映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ワイルド・ライフ」ポール・ダノ&ジェイク・ギレンホール&キャリー・マリガン

2019-07-18 20:15:47 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)

映画「ワイルド・ライフ」を映画館で観てきました。

『ワイルドライフ』は俳優ポール・ダノが監督デビューを飾った作品である。自らは出演していない。「ルビー・スパークス」で共演したのゾーイ・カザンと共同で脚本・製作も担当した。ゾーイ・カザンは私生活でもパートナーである。「ルビー・スパークス」は大好きだし、ポールダノの作品は「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」をはじめとして割と相性がいいので、早速観にいく。


夫婦生活の変調と家庭崩壊を14歳の少年の目線から見た作品である。キャリー・マリガン、ジェイク・ギレンホールという主演級を主役にして、田舎町での出来事を静かに語っていく。しっとりした音楽はうるさくなく、それに60年前後のポップスをからませる。題材は深刻だが、この14歳の心情に同化してしまう部分もあり全体を流れるムードが自分には合った。素敵な余韻が残る好きな映画である。

1960年、14歳のジョー(エド・オクセンボールド)は、ゴルフ場で働く父ジェリー(ジェイク・ギレンホール)の仕事のために、母ジャネット(キャリー・マリガン)とアメリカモンタナ州の田舎町に引っ越ししてきた。ようやく新天地の生活が軌道に乗り始めた矢先に、ジェリーが解雇され失業してしまう。

収入がなくなり夫婦仲が険悪になる。母はスイミングプール、息子は写真館での職を見つけるが、ジェリーは山火事を消す出稼ぎ仕事をすると家を出てしまう。家の生計は安定していない。やがて母ジャネットはスイミングプールの教え子で地元の自動車販売店の経営者であるミラー(ビル・キャンプ)を頼り、親密になっていく。ジョーは2人の関係を知り動揺する。そして、山での仕事を終えて数カ月ぶりに夫が帰宅するのであるが。。。


1.父ジェリー(ジェイク・ギレンホール)
モンタナ州に引っ越したばかりである。ゴルフ場のコーチをしていて、顧客とも仲がいい。もともとは気のいい奴である。賭けゴルフの話を顧客としているのをゴルフ場の人間が聞いて不快感を持たれたのか、クビになる。収入減に家族は驚く。その後、クビは撤回という連絡がゴルフ場からくる。意地っ張りなのか、戻ろうとしない。スーパーのレジとかで日銭を稼ごうともしない。

テレビで報道されている山火事の映像が気になる。男気を出して、山火事消火のために出稼ぎに出る。妻は当然反対だ。このあたりは変わったやつだなあと思う。やがて戻ってくるが、妻の様子がおかしいので問い詰めて異変に気付き、ある行動に出るのだ。


2.母ジャネット(キャリー・マリガン)
夫に帯同してモンタナ州の田舎町にやってくる。こんな辺鄙なところに来るくらいだから仲も悪くないんだろう。ゴルフ場をクビになるまでは普通の専業主婦だった。でも収入が途絶えるというのは大ごとである。やっとの思いで職を探し出し、スイミングスクールで泳げない人をコーチする職を得る。でも夫は時給の安い山火事消火作業に行ってしまう。

家計はきついだろう。知り合う場面は出てこないが、スイミングで教えた自動車販売会社の社長と仲良くなる。彼は独身だ。このあたりからキャリーマリガンのメイクがかわってくる。まるで娼婦の役みたいになってくる。息子には自動車販売会社に勤めているという。次第に急接近していくのを息子からも心配される。


3.14歳のジョー(エド・オクセンボールド)
引越して転校したばかりだ。フットボール部に所属したが、まだ友達はできない。父はフットボールの練習に付き合ってくれて仲がいい。そんな普通の生活が父の失業で変化する。家計が苦しく両親が苦慮しているのがよくわかる。生活費の補助のために、まだ学生の身分だけど写真館でアルバイトをする。それでも、だまって父母の愚痴まがいの会話を聞いている。その表情が健気だ。クラスメイトの女の子が話しかけてくれるようになった。家のことが気になり勉強もできない。彼女がカンニングさせてくれたり加勢してくれる。母性本能をくすぐる少年だ。


14歳の少年の設定だが、親が困ったときに心配になるのはよくわかる。自分の実家は会社経営だった。小学校高学年のころ、もともと扱っているものが時代の流れで売れなくなったとき気になって仕方がなかった。扱っている商品の代替え的商品がCMに出てくるとドキドキしながらTVを見ていた。また、両親がもう離婚してもおかしくないようなけんかを何度もしていた。その時はものすごく心配したし、母が飛び出したときに新幹線に乗ってしまうのかと東京駅まで行ったこともある。でも、家に戻ったら平然と母はいた。そんな自分に投影してこの少年の気持ちに同化していった。

少年の雰囲気がポール・ダノ自身に似ているように見える。ウディ・アレンの映画で自らが出ていない作品では、出演者に自分のセリフを代弁させているような場面に出くわす。この少年は比較的無口で繊細さがにじみでる。ポール・ダノ自らが演じているような錯覚をもつ。


この映画ポスターでは、椅子に座っているジェイク・ギレンホールキャリーマリガンを横目でじろりとにらんだ写真になっている。2人の間の椅子は息子がすわるためのものだ。ここにはポール・ダノ自らが座ってもいいような気がした。

ルビー・スパークス
ポール・ダノ,ゾーイ・カザンのブログ


ラブ&マーシー 終わらないメロディー
ポール・ダノのブログ

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映画「モナリザ」ボブ・ホスキンス&キャシー・タイソン

2019-07-17 17:58:32 | 映画(洋画 89年以前)


映画「モナリザ」は1987年日本公開の英国映画
モナリザ
ボブ・ホスキンス


いきなりナットキングコールの「モナリサ」が渋めに流れる。この曲はもともと映画の主題歌だったし彼の歌声を聞くと映画「花様年華」を連想する。刑務所出所まもない男が、黒人高級娼婦の運転手になり、彼女の女友達の行方を一緒に探すというストーリーだ。最初は川を渡る鉄橋やチャイナタウンを見てニューヨークロケかと思ったが、ボブ・ホスキンスが乗る車が一時代前のジャガーだしマイケルケインの登場で英国だということがわかる。いかにもチビデブハゲの典型のようなボブホスキンスが主演を張っている。カンヌ映画祭主演男優賞も受賞したというがそれもうなづける。

ボスの身代わりで刑務所にいたジョージ(ボブ・ホスキンス)は出所早々娘ジェニー(ゾーイ・ナゼンソン)に会おうと訪ねたところが、前妻ドーン(ポーリーヌ・メルヴィル)に門前払いされ大げんか。すぐさま自分のジャガーを預ってくれていた相棒のトーマス(ロビー・コルトレーン)のところへ行き、身代わりをしたボス、モートウェル(マイケル・ケイン)の所に向かう。


元ボスは不在だったが、黒人の高級娼婦シモーヌ(キャシー・タイソン)を金持ちの客たちに送り届ける運転手の仕事をもらう。彼女はホテルの従業員に睨まれながらも高級ホテルで客をとっていた。初めは2人のソリが合わず、シモーヌを道路に立ち往生させたりした。しかし仲直りした2人は徐々に親近感を覚える。シモーヌは仕事帰りにジョージに橋の上で女がたむろう街娼窟に車を走らせるように頼む。ヘロイン中毒で失踪していた親友キャシー(ケイト・ハーディー)を探すためだ。調べていくうちに、かつてシモーヌのヒモだったアンダーソン(クラーク・ピータース)が失踪のカギだとわかる。どうも彼がキャシーを薬づけにしたようで、その黒幕がモートウェルだった。ジョージはキャシーを救出するために懸命に探すのであるが。。。

⒈グリーンブックとの対比
昨年のアカデミー賞作品「グリーンブック」は黒人ピアニストの南部エリアコンサートツアーに際して、白人運転手が帯同する話であった。ここでは、ムショ帰りのチンピラが黒人高級娼婦の運転手をするという。人種の組み合わせは同じである。いずれの運転手も腕っぷしは強い。グリーンブックの主人公はクラブコパカバーナの用心棒で酔客をボコボコにする場面があるし、この映画のジョージは娼婦がたむろうエリアで女絡みでヤクザまがいの男に因縁をつけられた後で、その男をボコボコにする。コンビを組んですぐさま運転手が腹を立てて、車の外に放り出すにも同じである。


次第にお互いの情が移っていくのも同様であるが、ここでは40~50年代のフィルムノワールのように、ある人物を探すという目的がある。そこが違う。探偵のタイプとは似ても似つかない男だが、美女の依頼主が来て、それに翻弄されるというフィルムノワールの定石に従っている感がある。

⒉チビ、デブ、ハゲ
正統派主演男優とは真逆の存在で、ジョーペシ、ダニーデヴィートなどと同類項の存在感を持つ。チビ、デブ、ハゲというと映画「シャル・ウィ・ダンス」の3人のダンスの練習生みたいだ。3つまとめての要素をもつこういう俳優がいないと映画は成り立たないから面白い。


今回はジョージの可愛い娘の存在が1つのポイントになる。映画「ブロウ」では刑務所行きのジョニーデップ演じる主人公が娘に会いたいのに最後まで会ってくれない。ここでは奥さんからメチャクチャ嫌われるが、娘は仲良くしてくれる。そういう姿を見ると、落ち着くし、ホッとしてしまう。

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映画「ブロウ」ジョニー・デップ

2019-07-16 05:35:19 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)

ブロウ

映画「ブロウ」は2001年のアメリカ映画

ジョニー・デップが麻薬ディーラーの紆余屈折した人生を描いた作品である。こういう裏稼業の映画は裏切りに次ぐ裏切りが定番のように映し出されるのが常である。この映画も同様である。一気に億万長者となってきらびやかな生活をしたあとで、お決まりの転落というパターンはよくある。こういう不良を演じさせると、ジョニー・デップはうまいし、かっこいい。70年代から80年代の服装を身に包んだジョニー・デップを見るための映画かな。


ジョージ・ユング(ジョニー・デップ)は、マサチューセッツ州の設備工事店経営者(レイ・リオッタ)の息子として育った。父の家業はうまくいかず、それをみて大金持ちになってやろうという強い夢を持っていた。

1968年ユングは同級生とともにカリフォルニアに行く。そばに住んでいたスチュワーゼスのバーバラ(フランカ・ポテンテ)と付き合うようになり、彼女が麻薬の元締めデレック(ポール・ルーベンス)を紹介してくれた。そのドラッグをスッチーのバーバラが飛行機で運んで東部の大学に売りさばいて大儲けした。

それでは満足せず、ジョージは直接産地から大量に仕入れようともくろむ。メキシコの農家から小型飛行機で運び、これまた大儲けする。恋人バーバラと結婚しようとしたが彼女はがんに侵されていることがわかる。しかもジョージは麻薬の所持容疑で逮捕される。仮釈放後、バーバラは亡くなり、仲間もバラバラになる。


その後実家に帰ったが、母親の警察への通報で収監となる。同房のディエゴ(ジョルディ・モリャ)と意気投合し、出所後コロンビアへ行きコカインの運び屋をするようになる。やがて麻薬の元締めパブロ・エスコバルと知り合う。コロンビアから大量のコカインをアメリカへ密輸し始めたジョージとディエゴは巨額の金を手にして3000万ドルをパナマの銀行に預ける。


1980年前後にはジョージの提供するコカインはアメリカにおいてかなりのシェアを占めていた。ジョージはディエゴの結婚式で出会ったマーサ(ペネロペ・クルス)と恋に落ちる。マーサには婚約者がいたが、2人は強引に結婚し娘ができ、まともに暮らしていこうとする。しばらくは平穏な日々が続いたが、裏街道を脱することができず再びジョージは逮捕されるが。。。

トム・クルーズ主演の「バリー・シール」という映画がある。実は「ブロウ」はずっと前に公開されているんだけど、麻薬の原産地である中南米の映像が繰り返し映し出されていることも含めてかなり類似している気がした。というよりも「バリー・シール」が似せたのだろう。

実はジョージのヒステリックな母親がキーポイント、アメリカ映画でよく出てくるすぐかんしゃくを起こしやすいタイプである。父親の商売がうまくいかず、母が家出をしようとする。健気な息子のジョージはバスの乗り場まで追いかけて止めようとするが、乗って出ていく。でも最終帰ってくる。そんな女は嫌いとばかりに母がハグしようとしてもジョージ本人は拒否する。こんな母親に懲りたって感じである。

ジョージが一度逮捕された後に一時帰宅したのに、その母親は一瞬歓迎するように見せるが、警察に通報する。これって「バスケットボール・ダイアリーズ」でいったん追い出された息子を自宅に入れないで警察に通報するのと同じだ。尾崎豊も覚せい剤で逮捕されたのは父親の通報だったよね。「バスケットボール・ダイアリーズ」ではそのあと更生、警察通報はいいようにもとれるけど、ジョージは再び悪の道に入る。

内田樹の「映画の構造分析」を読むと、アメリカ映画には男性から女性への嫌悪感があふれていると書いてある。この母親に対してはどうなのかなあ。
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映画「暗殺の森」ジャン=ルイ・トランティニャン&ドミニク・サンダ

2019-07-15 07:30:27 | 映画(自分好みベスト100)

映画「暗殺の森」は1970年公開のイタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督の作品
暗殺の森
ベルナルド・ベルトルッチ


日本公開は1972年である。公開後しばらくして名画座で何度も公開されるうちにカルト的に有名になっていく。第二次世界大戦中、ムッソリーニのファシスト党時代に大学の講師をやっている主人公が新婚旅行でパリに行く際に、イタリア国家当局から睨まれているパリ在住の恩師の殺人を依頼されるという話である。「男と女」の主演で有名な名優ジャン=ルイ・トランティニャンが冷静沈着な暗殺首謀者を演じる。この映画では何といってもドミニク・サンダの美貌が見ものだ。



第二次大戦中のイタリア、大学で哲学の講師をしているマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、婚約者であるジュリア(ステファニア・サンドレッリ)と新婚旅行に旅立つ準備をしていた。その際、マルチェロは国家当局より反ファシストでパリに亡命しているマルチェロの恩師であるクアドリ教授(エンツォ・タラシオ)に接近するよう命令が下った。そして政府のエージェントとしてマニャニエーロ(ガストーネ・マスキン)が同行することになり、パリに着く直前にクアドリ教授の抹殺に手をかすよう要請された。


パリに着いたマルチェロはクアドリ教授に連絡をとったが、教授には教え子マルチェロの記憶はなかった。それでもアポイントをとり、妻ジュリアとともにクアドリ教授の家を訪問した。その際、クアドリ教授の若妻アンナ(ドミニク・サンダ)と出会った。数日後、両夫婦は中華料理屋で会ったが、片隅にはマニャニエーロが隠れていた。夕食の後、四人はダンス・ホールへ行き踊りにふけった。一目会ってアンナに魅かれたマルチェロはダンスをしながらクアドリ教授がアンナを置いて一人で外出するようにアンナを誘導しようとした。

マルチェロは、マニャニエーロに、明日はクアドリ教授が車で一人ででると教えた。ジュリアとアンナをベルサイユにとどめようとしたのだ。しかし、翌朝マニャニエーロが電話で教授がアンナも同乗したことを知らせてきた。二人が乗った車をマルチェロとマニャニエーロの車が追った。やがて森に近づいた。一台の車が停車していることに気づき、教授が車を降りたところを待ち構えていた男たちがいるのであるが。。。

奥の深い映画である。1回見ただけではわかりづらい重層構造だ。脚本も担当するベルナルド・ベルトルッチはいくつもの逸話を重ね合わせていく。脇役のセリフもすべて意味を持つ。それに加えてバックストーリーとしてマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)の少年時代に犯した殺人の話を織り交ぜる。これ自体が後半戦に映しだされるシーンに意味を持たせる。話を単純にせずにじっくりとストーリーを固めていくのはお見事だ。

1.映像の美しさとカメラ
アパートメントは古いが、その他の公共建築物は天井が高くその空間は独特の雰囲気を持つ欧州的建築物だ。その背景と出演者を映し出す名カメラマン・ヴィットリオ・ストラーロの腕がさえる。地中海に面するイタリア国境の町ヴェンティミーリアでの海を背景としたカメラアングルに思わずうなる。やがて、パリの街に移り、色彩設計がかわる。どんよりとした「くもり」ではなく、決して明るくはないブルーを基調にした色合いだ。


アカデミー賞撮影賞をなんと三度も受賞という腕前でいまだ現役を引退していない。「カフェ・ソサエティ」や「女と車の観覧車」といった近年のウディ・アレン作品で腕前を披露している。最終の森のシーンでは手持ちカメラで駆けまくる。「仁義なき戦い」での乱闘を映し出した手持ちカメラ映像のような臨場感がでている。

2.ドミニク・サンダの美貌
映画が始まって約一時間は婚約したマルチェロ夫婦にスポットをあてて、ドミニク・サンダは出てこない。映画「ジョーズ」で約1時間以上サメがその姿を現わせないのと同じである。パリに着き狙いを定めた教授の自宅を訪問したときに初めてドミニク・サンダはその姿を現す。当時22歳の彼女は実に美しい。その後、バレエスタジオでの指導でみせる美しいボディが素敵だ。そしてマルチェロと接近したとき、一気にバストトップをあらわにする。初めてその姿を見たとき、日本人の若者はどんなに興奮したか。我々が学生だった頃、パルコの宣伝でドミニク・サンダがでていて、熱狂的に支持されていたものだ。


3.ダンスホールでの2人のダンス
ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)とアンナ(ドミニク・サンダ)の2人がダンスホールでタンゴを踊るシーンがある。いつになくドミニク・サンダのノリが大胆になる。まさに美の共演だ。すばらしい。ジュリアが着替えようとしたときに侍女のようにアンナがセッティングする場面がある。その際、アンナがジュリアのドレスをまくり上げレズビアンを思わせる動きをする。この当時、さすがにあれ以上の映画表現はできないのかもしれないが、性器を吸っていると十分に想像させる何かがある。


新婚としてのマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とジュリアが途中イタリアとフランスとの海辺の国境であるヴェンティミーリアの町に寄りながら、フランスに向かっていく。その列車の中でジュリアが恥じらいながら自分の性体験を語る。そして、二人が列車のコンパートメント席で愛を交わすシーンとなる。あとで考えると、このセリフにも意味があるようだ。これはこれで興奮させる何かがある。
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映画「バスケットボール・ダイアリーズ」レオナルド・ディカプリオ

2019-07-14 07:20:09 | 映画(洋画 99年以前)


映画「バスケットボール・ダイアリーズ」は95年のアメリカ映画
バスケットボール・ダイアリーズ


「バスケットボール・ダイアリーズ」レオナルド・ディカプリオ「タイタニック」以前に主演した作品である。題名とジャケットからして、さわやかな青春物語を連想するが、違う。高校のバスケットボール部に所属する青年が麻薬にはまって落ちていく姿を描く。当時21歳のディカプリオがいかにも若い。後年「ウルフ・オブ・ウォールストリート」でもドラッグにはまる金融マンを演じる。その時にはハチャメチャにらりっている姿を見せるが、その前哨戦ともいえる。


ニューヨークの場末。ジム(レオナルド・ディカプリオ)はカトリック系の高校に通う問題児。バスケットボールでは名選手の彼の仲間はミッキー(マーク・ウォルバ-ク)、ペドロ(ジェームズ・マディオ)、ニュートロン。彼の書く詩を理解する唯一の親友ボビー(マイケル・インペリオリ)は白血病で死んでしまう。ジムはヘロインに手を出し、すぐに夢中に。ジム、ミッキー、ペドロの3人はニュートロンの忠告も聞かず麻薬に溺れ、試合中にもうろうとしてしまう。ジムはコーチのスィフティ(ブルーノ・カービー)に肉体関係を迫られ、怒って相手を殴る。神父(ロイ・クーパー)とスィフティが警察を呼び、麻薬はみつからなかったが3人は退学になる。ジムは母(ロレイン・ブラッコ)にも問い詰められて家出。


三人は窃盗や強盗で金を作っては麻薬を打つ。ペドロは強盗中に警察に捕まる。ジムは半死半生で近所に住むレジー(アーニー・ハドソン)に助けられる。レジーはジムの書く詩に才能を認め、麻薬をやめさせようと自宅に引き取る。ジムは留守中に逃げだしてしまうのであるが。。。(kinenote 引用)

最初に映し出すディカプリオはバスケットボールに熱中しているよくいる不良学生、白血病に侵されている親友が短い命を終えるのに涙を流したり、ライバル校のバスケットボール部員とケンカしたり単なる青春ドラマと思わせるストーリーの流れである。それが、仲間のガールフレンドの家で、その友人のピチピチボディの女の子とドラッグにふけって遊ぶあたりがターニングポイントになる。ここから転落の一途を歩む。


いつ復活の兆しを見せるのかと思うが、そうならない。退学した上に家を追い出され、友人たちと無一文で窃盗にはしり、その金で麻薬を買う。車を盗んでジグザグ走行したり、常にらりっている状態だ。近所のバスケット仲間だった黒人男性に助けられ麻薬を禁じられる。そのときは更生しそうになるが無理だ。ここでは落ちるだけ落ちていく高校生の姿を半端じゃなく見せていく。若き日のマーク・ウォールバーグ演じる仲間の行動もエスカレートする。麻薬中毒のレオナルド・ディカプリオの演技はこのあと名作で抜擢される素地となるような演技だ。この刺激的演技は放映禁止になった国もあるというのもわかる。

この若きレオナルド・ディカプリオは男色系にはモテそうなタイプであろう。シャワー室の一角でバスケットボールのコーチから誘いをうけたり、家出した後に金なしで自分を売る場面まででてくる。裏の部分が満載といった感じである。

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映画「アマンダと僕」

2019-07-03 07:56:28 | 映画(フランス映画 )
映画「アマンダと僕」を映画館で観てきました。


突如のテロに姉が巻き込まれ、24歳の青年が姉の子供を7歳の子供を引き取ることになるという話である。いかにもフランス映画らしく映すパリの美しい背景のもと映画は展開する。主人公ダヴィッドは繰り返し自転車でパリの街中を走りまくる。父と姉弟の父子家庭で育った仲の良い姉が亡くなったという悲痛にくれる暇もなく、姪の面倒をみざるを得ない現実に向かう主人公を映し出している。

身内の不幸で子供を引きとるという設定はときおりみられる。最近では同じく姪を引きとる「ギフテッド」、甥を引きとる「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という名作がある。ある意味その二作にインスパイア―されたと思う部分も多い。「ギフテッド」と同じく姪を引きとる。母親と親権をめぐって争うが、ここでの母親はしばらく会っていない異国に住むアマンドにとっては祖母だ。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公はすぐカッとなりキレやすい便利屋だが、ここでは職業が同じだけど性格は温厚だ。登場人物の「組み合わせ」というか「順列」としてストーリーはうまくつくれるものだ。

夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、パリにやってきた美しい女性レナ(ステイシー・マーティン)と出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな生活を送っていたが突然の悲劇で大切な姉(オフェリア・コルブ)が亡くなり、ダヴィッドは悲しみに暮れる。そして彼は、身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の世話を引き受けることになる。


親代わりのように接しようとするが、まだ若いダヴィッドには荷が重く、戸惑いを隠せない。アマンダも、母親を失ったことをなかなか受け入れられずにいる。互いに不器用で、その姿は見ていてもどかしく、しかし愛おしい。悲しみは消えないが、それでも必死に逞しく生きようとするアマンダと共に過ごすことで、ダヴィッドは次第に自分を取り戻していく。(作品情報より)

1.ダヴィッドの葛藤
ダヴィッド本人が職業は樹木の「枝切り」だという場面もある。建物賃貸管理のことも含めて何でもやる24歳の若き便利屋だ。姉とは仲がいい。もちろん姪アマンダもおじさんを信頼している。遊びに出た姉が突如のテロに遭遇して亡くなる。たいへんなことだが、姉はシングルマザーで、父は亡くなっている。叔母はいるが実母は2人の子供と別れてロンドンに住んでいる。そうなると、自分が面倒みるしかない。その現実に直面して驚く。仲良くなりそうだったレナもテロ被害を受け、故郷に帰ってしまう。次から次へと落ちていくのである。

しかし、静かに涙は流すが、大暴れをしたりわめいたりはしない。そういう気質なんだろう。アマンダはおじさんといるのが心地よいという感じだ。次第に心が移っていく。



2.ロンドンでのアマンダ

姉が生きているときに、ウィンブルドンテニスのチケットが入手でき、姉弟とアマンダと行く約束をしていた。アマンダとダヴィッドはロンドンのテムズ川(と思われる)のほとりを2人それぞれの自転車で並走している。お前の面倒は少なくとも18歳までは見なきゃいけないといっている。大好きなおじさんと一緒にいれてアマンダは喜ぶ。そして、ウィンブルドンに向かう。実写との組み合わせであろうが、このシーンもいい。


好きな選手が一方的にやられ「エルビスは建物を出た。」すなわち「もう終わりだ」といいつつ涙を流すアマンダの姿が見どころだ。映画のスタートあとにアマンダが姉からこの言葉を教えられてエルビスプレスリーの小粋なロックンロール「Don't Be Cruel」とともに母娘楽しそうに踊るシーンがある。ウィンブルドンのシーンにかぶさり最初のダンスシーンが生きてくる。これこそ伏線そのもの。
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映画「キッズリターン」北野武

2019-07-02 05:36:55 | 映画(日本 1989年以降)


キッズ・リターン
金子賢,安藤政信


映画「キッズリターン」は1996年の北野武作品だ。

「キッズリターン」は1996年のキネマ旬報ベストテンで2位の高評価を受けている作品だ。北野武は出演せず、監督に徹している。機会がなく見れていなかった。教師に逆らってばかりいるはぐれ高校生2人が主役で、ボクシング、やくざの道それぞれの頂点を目指して悪戦苦闘する話である。


見ていて、最初は単なる不良のいたずら話かと思ったら、ボクシングジムに2人が入門するあたりからテンポがよくなる。さまざまな登場人物を好位置に配置して、2人のゆくえに大きな影響を与えさせる。

脇役を充実させ、重層に展開させる北野武の脚本が実にうまい。もともと大学では工学部であった北野武が他の作品以上に綿密な設計図を書いて「キッズリターン」をつくった軌跡を感じる。出演していない分、客観的に映画作りができているのではなかろうか。疾走感のある映像を映すカメラの巧みさも冴え、傑作と言えるものとなっている。

18歳の秋、シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)はいつもつるんで学校をサボってはやりたい放題の毎日を送っていた。ある夜、ヤクザ(寺島進)に絡まれたシンジとマサルは、それをいさめた組長(石橋凌)の貫禄にさすがだと感じる。そんなころ、以前にカツアゲした高校生が助っ人に呼んだ男にのされてしまったマサルは、自尊心をひどく傷つけられ、自分もボクシングを始めるのだった。


酒もタバコもすっぱりやめたマサルは、毎日ジムに通って練習に励んだ。そんなマサルに連れられてジムを訪れたシンジも、なりゆきからジムに入門することになった。ところが、遊び半分のスパーリングで、マサルに鮮やかなカウンターを浴びせたシンジは、センスの良さをジムの会長(山谷初男)に認められ、本格的にプロを目指すことになる。面白くないマサルはジムをやめ、以前出会った組長のもと、ヤクザの世界に足を踏み入れてしまう。マサルは学校にも来なくなり、互いに顔を合わせることもなくなっていった。

高校を卒業したシンジは、いよいよプロボクサーとしてデビューし、着実にその才能を伸ばしていた。マサルは今では子分をかかえてシマを任されるまでにのし上がっている。ある日、マサルがシンジを訪ねてジムにやってきた。ふたりは、お互いにそれぞれの世界でトップに立った時にまた会おうと約束する。


1.脇役の使い方のうまさ
ヤクザの組長(石橋凌)、若頭(寺島進)、ジムの先輩のハヤシ(モロ師岡)、同級生で漫才をやるコンビ、内気な高校生と常連の喫茶店の母娘など、各登場人物に意味を持たせてつなげている。北野武の脚本は重層構造で、物語に深みを持たせる。同時並行で同級生たちの成長物語を語っていく。


シンジの先輩のハヤシのうまさはこのあと語るが、やくざの組長の石橋凌がうまい。突っ張っているマサルが若頭に突っかかっていくときに、見どころある若者だとみなしてか組長は優しく取り扱う。その組長はタバコを買ってきてと一万円札を渡す。釣りはいらねえよというその見栄っ張りぶりを繰り返し見せる。よくありげな感じだがらしさがにじみ出ている。

2.ボクシング映画のもつスピード感
カツアゲの仕返しで連れてこられたどこかのアンちゃんに、マサルがパンチで仕留められる。粋がってもケンカの実力がないことに気づき、ボクシングジムに入門する。ところが、マサルの付き合いで入門したシンジのパンチをみて、トレーナーが筋の良さを認める。

教えていくと面白いくらい上達して、結局マサルよりシンジの方が強くなり、マサルはボクシングジムを辞める。そして、ジムで指導を受けながら勝ちまくっていく。このあたりの展開がいかにもスポーツ映画特有の上達への一本道だ。こういうときのスピード感は見ていて心地よいものだ


ところが上昇もあれば、下降もある。元新人王だというハヤシという先輩は、飲みにつれていったりシンジを誘惑にさそう。普通ボクシング映画では、「レイジングブル」のジョー・ペシ、漫画でいえば丹下段平のように狂ったように指導の鬼と化すトレーナーがいるものだが、ここではそこまでの存在ではない。そのためか、先輩の悪影響だけで徐々にペースを崩していく。でもこの転落があるからこそ映画が成立する。

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映画「誘拐報道」萩原健一&小柳ルミ子

2019-07-01 05:55:05 | 映画(日本 昭和49~63年)

映画「誘拐報道」(1982年)を映画館で観てきました。


名画座の「萩原健一特集」最終日に放映された。レンタル店で見ることもなく、そもそも「誘拐報道」という映画の存在すら知らなかった。実際に起きた誘拐事件のあらましと取材する新聞社の動きを映し出す。誘拐犯人を萩原健一、その妻を小柳ルミ子が演じる。萩原健一は俳優としてのキャリアを積んで映画「約束」から10年、演技力を高めてきている。減量しての役作りだったという。


読売新聞という実名が出てきて驚いた。実話に基づく話だけにノンフィクション的な臨場感もある。この当時でいえば豪華俳優総出演だけに予想以上の見ごたえがあった。特に小柳ルミ子の好演が光る。先日内田裕也特集で「少女娼婦けものみち」姫田真佐久のカメラの見事さに感心したが、ここでも犯人が丹後の実家に帰った時の映像などに凄みを感じる。

私立小学校一年生の三田村英之が下校途中に誘拐された。県警本部の発表で、犯人が英之少年の父で小児科医の三田村昇(岡本富士太)に三千万円の身代金を要求していることが分かった。県警捜査課長(平幹二朗)から各新聞社へ子供の身の安全に留意するため「報道協定」の要請があり各社は受けざるを得なかった。三田村家には遠藤警部(伊東四朗)以下六名の警察官が入り込み、妻の緋沙子(秋吉久美子)と共に電話を待った。緋沙子が一人で来るようにとの電話があった。そこに向かうと川原には英之の学帽とランドセルが置かれてあった。

日本海側丹後の雪道を一台の車が通過していく。サングラスの男が降りて公衆電話で三田村家に電話をする。男は金をそろえるように指示して受話器を置いた。誘拐事件発生の知らせを土門社会部長(丹波哲郎)をはじめとした読売新聞大阪本社の幹部は大阪のクラブで受ける。地元の新聞販売店では大西支局長(三波伸介)をはじめとした事件記者たちが泊まり込みで捜査の行方をうかがっていた。


海を見下す断崖の上から、犯人が布団袋に入れた子供を投げすてようとするが、海面に潜水服着用の数名が目に入りやめる。そのあと、犯人=古屋数男(萩原健一)は老母(賀原夏子)のいる実家へ寄る。そこへ数男の妻・芳江(小柳ルミ子)から電話がかかってきた。家計を助けるため芳江が働いている造花の作業場に取り立ての男がきて、数男の行方を捜していた。方々連絡とった後で実家にかけたのであった。金策に困った数男は娘の香織を私立小学校に通わせていており、生徒の名簿から三田村家のことを知り犯行に及んだ。

数男は途中で財布を落とし、母親からもらったお金のほかに持ち金も無くなっていた。あらためて三田村家に電話を入れ、宝塚市内の喫茶店での現金受け渡しを指示する。捜査本部はあわただしく動き、記者たちも店のまわりを張り込んだ。しかし、店の中の動きに異変を感じた数男は店に近づかなかったが。。。

1.萩原健一と小柳ルミ子
ここでのショーケンこと萩原健一は持ち味の破天荒さをいかして、誘拐犯の切羽詰まった姿を巧みに演じている。これはこれで敢闘賞。今日は「いだてん」の高橋是清役で萩原健一でてしまうだよね。最後の姿、貫禄あるなあ!

でもまったく予期せず良かったのは小柳ルミ子である。犯人の妻を演じている。もちろん、自分の夫が子供を誘拐しているなんて全く知らない。ただ、振り出した200万円の手形がよくない筋に回って取り立てに来ていて、夫が窮地に陥り姿を消していることはわかっている。その夫が自宅に戻ってきた。自分は親も死んで身寄りもない。戻るところもない。私はどうすればいいの?財布をなくして、金がない夫になけなしの金を渡そうとして泣き崩れてしまうシーンもある。これには映画だということを忘れて情を移してしまう。


あとは、振り出した手形の件で喫茶店の店主に行ったときに言い寄られるシーン、ある意味覚悟を決めていくシーンの下着姿が超色っぽい。このあと、時が過ぎ妙に気前よくヌードになることが多くなった小柳ルミ子であるが、脱いでいないこのときの色香は明らかに脱いだ時よりも強く、並々ではないものを感じる。

この映画、被害者側の妻である秋吉久美子、事件記者の婚約者である藤谷美和子に同情させる設定になっているけど、なんとも感じないなあ。ただただ、小柳ルミ子の好演に魅かれる。見直した。

2.新聞社の前時代的な動き
自分が働き始めたころは、どこの会社も今でいうパワハラの基準でいえば、すべてアウトであろう。頭をたたき、部下を罵倒し、取材活動に向かわせるシーンがある。しかも、劇中で読売新聞の実名までだしている。要はこのパワハラみんなOKということだ。夜討ち朝駆けが当たり前の世界だったけど、今はどうなんだろう。

3.豪華俳優と三波伸介
上映されてからすでに37年たっている。鬼籍に入った出演者も少なくない。捜査課長の平幹二朗、編集局長の永井智雄、部長の丹波哲郎、支局長の三波伸介、いずれも故人である。丹波哲郎が下手な当時はやった「ダンシングオールナイト」を歌うのがご愛嬌。

それにしても三波伸介久しぶりに見たなあ。

このころは絶頂期で「笑点」の司会者でもあったので、日本テレビ系のこの映画には出演を頼まれたのかもしれない。現場近くの新聞販売店に寝泊まりする際、ズボンを脱いでステテコ姿になったけど、だぶだぶの身体だなあと映画を見て思った。でも調べると、この映画が公開されたのが1982年9月、そのあと12月に突然死しているんだよね。不摂生丸出しの身体だけに仕方ないけどなあ。あの時はみんなびっくりした。それにしても、てんぷくトリオのコンビの伊東四朗が刑事役演じている。この映画から37年たっているけど、現役まっしぐら。反面教師というのはこういうことか?



誘拐報道

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映画「セックスと嘘とビデオテープ」スティーブン・ソダ―バーグ 

2019-07-01 05:41:33 | 映画(洋画 89年以前)


映画「セックスと嘘とビデオテープ」は1989年のアメリカ映画
セックスと嘘とビデオテープ


スティーヴン・ソダーバーグの出世作である。1989年カンヌ映画祭パルムドールの作品、主演男優賞も受賞している。4人の心理戦といった展開である。
倦怠期に入っている夫婦がいる。夫婦関係はめったにない。夫は妻の妹と不倫をしている。ダンナの大学時代の友人が来て、近所に住む。それまでの3人の関係に1人が介在することで、大きく揺らぐという展開である。


弁護士という設定だが、慎重という感じではない。マリッジリングを持ち出して、所帯持ちってこんなにもてるとは思わなかった。18くらいから指輪をしておけばよかったよと話す。妻の妹と浮気をしている。短い時間でも用を足すといった感じで情交を重ねる。そしてすぐさま仕事に戻る。妻とはめったに関係はない。でも仲が悪いわけではない。
ピーター・ギャラガー


妻は弁護士夫人で普段の暮らしに問題はない。ただ、若干うつな状況でカウンセリングを受診している。自分から求めようともしていないので夫婦生活はご無沙汰気味。夫の浮気は疑っていない。そんな時に夫の大学友人が現れる。2人で話を重ねていくうちに少しづつひかれていく。
アンディ・マクダウェル



夫の大学の友人が遊びに来る。しばらくはこの町にいたいらしい。短期で部屋を借りる。独身だ。妻が関心を示して、いろんな話を聞き出そうとしている。あっちのほうは不能だと自ら告白する。でも、女性から自分の性遍歴を聞き出すことが趣味である。聞き出す一部始終はヴィデオに撮っており、そのテープをたくさん保有して、ときおり一人で見るのだ。
ジェームズ・スペイダー


妻の妹はカフェバーで働いている色っぽい女。割り切って姉の夫とすき間時間を使って、体を重ねている。でも姉の夫の友人が来て、姉と仲良く話しているのが気になる。好奇心からその友人の家に押し掛ける。女性から性遍歴を聞き出し、ビデオを撮っていることがわかると、自分も体験を話し出す。自ら興奮してしまった彼女は姉の夫を呼び出し、いつも以上に燃えてしまうのであった。
ローラ・サン・ジャコモ


そういう状況から4人が変化を遂げる。
将棋で序盤戦から中盤戦になり駒がぶち当たる時のように、少しづつ4人の関係に変化が起きるのだ。いろんなことが暴かれることもある。嘘が嘘でなくなる。そんな時それぞれがどういう態度をとるのかを見ていく映画である。


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