映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

私が、生きる肌  ペドロ・アルモドバル

2012-05-31 21:00:55 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「私が、生きる肌」を劇場で見た。

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の新作である。鋭い色彩感覚と意外性のあるストーリー展開、ちょっと常識外れの映像をいつもたのしませてくれる。今回は評論家の評価が極端に分かれる。逆に怖いもの見たさの気分にさせてくれる。衝撃的な予告をみてドキドキしながら新作を見たが、期待を裏切らない作品だった。

形成外科医ロベル(アントニオ・バンデラス)は、画期的な人工皮膚の開発に没頭していた。皮膚移植の事例を学会で発表するシーンからスタートする。大豪邸の屋敷に帰るとそこには一人のメイドが待っていた。そして部屋から見るモニターテレビに映るのはタイツを全身に着用した一人の女性(エレナ・アナヤ)だった。彼女は大きな部屋で一人でヨガをしながらたたずんでいた。

大豪邸の地下には、手術が可能な大きな診察室がある。主人公はそこで人工皮膚を移植していた。そしてもうすぐ完成しようとしていた。物語はある人物の来訪で動く。虎のコスチュームに身をまとった一人の男だ。TVインターホンに映る男はお尻にあるあざを見せてメイドを呼び出す。彼はメイドの息子だったのだ。メイドは玄関先で対応するが、強引に家にあがりこんできた。テレビの画面には街で銀行強盗があったニュースが映り、犯人として虎男が映っていた。あわてるメイド、拳銃を向けるが逆に虎男に縛られてしまう。そのとき虎男は画面をもう一度見て、そこに女性がいるのに気づく。

虎男は懸命に広い家の中を探し回る。扉を次から次へと開け、ようやくたどり着く。女の顔には見覚えがあった。虎男はまさに飢えた野獣のように個室のタイツ女を求める。虎男が女の上で暴れまわっているころ、主人公が家に戻ってきた。主人公はピストルをもって女の個室へ向かう。そして男に拳銃を向けたのだ。。。

話は10年前に戻る。主人公は妻と娘と暮らしていた。妻はやけどをしてしまう。その時この虎男も一緒にいた。彼女は全身やけどの瀕死の重傷であったが、虎男は逃げた。主人公は懸命の看病をするが、自分の姿を見てショックで妻は自身の命を絶つ。そして娘も大きなショックを受けるという過去があったが。。。。

重層構造のストーリーで、もう少し先まで語りたいがこのくらいにしておこう。

映画を見始めると、全身タイツの奇妙な女性が映る。何だろう?妻なのか、単なる監禁されている女性なのかまだわからない。そうしていくと突如虎のコスチュームの男が来る。こういうぬいぐるみを着た男が出てくるのはデイヴィッドリンチ監督の映画によくあるパターンだ。怪奇ものなのか?いや違う。理解に苦しむ。音楽が緊迫感を高める。ドキドキしてくる。
その後2度ほどタイムスリップしてようやくある程度ストーリーが読めてくる。それまでずいぶんと時間がかかる。心因性ショック、監禁、強姦、皮膚移植と題材自体はどきつい。変態マンガの世界ともとれるが、そんなに不自然な話ではない。でも伏線をいたる所に散らせたかなり手の込んだ作りかただ。
先を読ませぬ脚本は類推がしづらい。最後まで予測困難であった。


主役を演じるアントニオバンデラスはまさに適役といえよう。整髪料で固めた髪をびしっと決めたうえ、細いセンスの良いネクタイをしめたスーツ姿はなかなかスタイリッシュだ。タキシードの着こなしもかっこいい。タイツ姿の女もなかなかの好演だ。肌をさらし、ワイルドな男たちの愛撫にも耐える。
彼が住む豪邸が想像を絶する屋敷だ。これは凄い。そこに掛った絵画も素晴らしく、美術の見事さもいつも通りだが、原色のトーンが若干抑えられているのがセンス良く見える。。

賛否両論の意味はわかった。
自分は素晴らしい作品だと思う。
コメント (2)
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ミッドナイトインパリ2  ウディ・アレン

2012-05-30 22:01:46 | 映画(自分好みベスト100)
1から続く

1920年代というのはアメリカでは1次大戦後の好景気を反映して株価も上昇した素晴らしい時代だった。そんなときは芸術も全盛を極めるものである。そういう芸術家のヒーローを次から次へと呼んでくる。「フィールドオブドリームス」でケヴィンコスナーが昔の野球選手をグラウンドによんだのと同じノリなのだ。

村上春樹の訳によるスコット・フィッツジェラルドはかなり読んでいる方だ。ゼルダとの関係はあまりにも有名なので、主人公の立場になってみて片やフィッツジェラルドで片やゼルダとわかるならば、そりゃびっくりするわなあ。フィッツジェラルドの作品はゼルダと一緒にいる時が一番良かった。「グレート・ギャツビー」は1925年だ。でも彼女が精神を患ってからは、本人が調子を崩してしまうのである。そういった意味で、ゼルダが振られたとばかりにセーヌの岸辺で泣き崩れるシーンは実にうまい作り方と感じた。

ここでのヘミングウェイもかなりワイルドに演じられている。映画に出てくる闘牛士はよくはしらないが、これは小説のモデルかな?主人公にも君はボクシングが好きかいと聞く場面がある。彼は闘牛や戦争やカジキマグロ釣りや現実な題材を選んでいるが、いずれも男臭さが感じられるものである。実はフィッツェジェラルドとヘミングウェイには実感的題材という部分で共通点がある。実際に両者はパリで会っているらしい。パリでのお互いの会話はそんなに離れてはいないだろう。そういえばウディは映画「マンハッタン」で孫娘マーゴヘミングウェイと共演したなあ。エキゾチックな眉の彼女も今は別世界の人だ。。


パブロピカソが愛人をモデルとして書いた絵について、キャシーベイツ演じるガートルード・スタインと語りあう。教養足りずでガートルードの存在は知らなかった。ウディアレンもうまい俳優を持ってきたものだ。
ピカソの彼女であるアドリアナが以前はモディリアーニと付きあっていた設定である。社交界のヒロイン的存在だ。当代きってのフランスを代表する女優マリオン・コティヤールをウディアレンは起用した。前にパリを舞台にした「世界中がアイラブユー」ではジュリアロバーツを起用して自らキスしてしまう。今回もマリオンとの仕事ではウディはさぞかしご満悦だったと思う。キスシーンも自分の分身のつもりだろう。
ダリを演じたエイドリアン・ブロディも「戦場のピアニスト」とは違う独特の芸術家っぽいムードだ。


コールポーターのピアノもいいが、マリオン・コティヤールとのミッドナイトのデートが素敵だ。
気がつくと19世紀にまでタイムスリップしてしまう。馬車に連れられて行った先は「マキシム」だ。そこにはなんとロートレックがいる。そして横にはゴーギャンがいてマリオンにちょっかいを出す。ため息が出てくる。そうすると映画館で見ている観客からもため息のようなものが出るのがわかった。
マリオンがいう。このまま1890年のパリにいたいと。。。そうすると19世紀の芸術家たちはルネサンスの方がいいという。ミケランジェロの絵に囲まれていたいと。人は昔を美しく回顧したがるというのがウディがいいたかったことのようだ。でも主人公はその時代その時代が一番いいんだという。自分のセリフを主人公にしゃべらせる。

個人的に一番ドキッとしたのは、主人公がプジョーに乗るときに乗車している人がTSエリオットと名乗った時だ。この映画みていて何度も同じ感触を持ったが、この時が一番だ。20世紀の知性といわれるTSエリオットを知ったのはその昔駿台予備校に通っていた時だ。当時英語の教員に奥井先生という人がいた。まだまだ英文700選を書いた鈴木長十先生も元気で受験英語の鬼才伊藤和夫もバリバリだった。でも英訳の洗練さでは奥井潔さんにかなう人はいなかった。どう訳しても自分には奥井先生のようには訳せない。自分の未熟さを感じた。
先だって日経新聞「私の履歴書」でシェイクスピア研究の小田島雄志さんが連載している時、自分の親分として奥井さんの名をあげた時はどきどきした。その奥井先生はTSエリオットを語った。その話は本当に高尚に思った。そんなエリオットを今理解できているわけではない。でも昔を思い出して感慨にふけった。

一度でいいから主人公と同じ気分に浸ってみたい。
別に一日でもいいので。。。
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ミッドナイト・イン・パリ  ウディ・アレン

2012-05-30 22:01:29 | 映画(自分好みベスト100)
ウディアレンの新作映画「ミッドナイト・イン・パリ」を劇場で見た。

大人のおとぎ話のようで実に快適な時間を過ごせた。
大満足だ。


いきなりパリの観光案内のように人気スポットをスライドのように映しだした後、主人公(オーウェン・ウィルソン)と婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)がモネの絵から飛び出たような蓮の池で一緒の場面からスタートする。

主人公は脚本家であるが、小説で名を成そうと奮闘しているところ、今回はフィアンセの両親の仕事上の出張に合わせてパリに遊びに来た。共和党右派のフィアンセの父親とはウマが合わない。そんな時、フィアンセの大学時代の友人(マイケルシーン)夫婦から一緒に観光しようと誘われる。ロダンの「考える人」の前で、ガイド(カーラ・ブルーニ)に対して知識人ぶって解説する男をいやらしく思っていた。
そんな連中と一緒にいても楽しくない。主人公は一人で夜のパリの街を散歩にでた。



しばらくして、ホテルへの帰り道が分からず迷ってしまった。その時12時になったのを知らせる鐘がなる。目の前を1920年型プジョーが走る。中に乗っている連中は少し酔っているようだ。一緒に乗らないかと誘われて主人公は付いていく。ある店に入っていくと、服装が少しクラッシックだ。ピアニストが粋なピアノを弾く中で、夫婦と思しきカップルに声をかけられた。名をフィッツェジェラルドという。聞いたことある名前だと思ったら、作家だという。女性の名はゼルダ。偶然に驚く主人公はピアノ弾きがコールポーターだと知る。しかもここは店ではなくジャンコクトーの家なのだ。
そのあとお店を移る。ポリドールだ。横にいる男を紹介されたら、なんとアーネストヘミングウェイだ。ワイルドな振る舞いの彼とも意気投合する。しかも彼が小説を評価してくれるという。そうして初めて自分が1920年代にタイムスリップしていることに気づく。自分が書いている小説を取りに店の外に出たら迷ってしまう。戻った時そこに店はなかった。

翌日フィアンセにいいところがあるよと誘い、同じ場所へ行く。しばらく待ち続けたが、お迎えの車は来ない。いい加減にしてくれとばかりにフィアンセはホテルに戻る。あれは昨日だけのことだったのかと思った時、12時の鐘が鳴る。
同じようにクラッシックカーが走ってくる。乗っていくと、文壇のサロンのようなところについた。ヘミングウェイがいる。女性のサロンの主ガートルード・スタイン(キャシーベイツ)が芸術を語る中、そこにいる画家はパブロピカソだ。彼がモデルとして描く女性(マリオン・コティヤール)は愛人だ。美しい女性アドリアナは今までの恋の話をしてくれた。そして彼女にも魅かれていく。



こんな日が毎日のように続く、夜になると外出する主人公をみてフィアンセの父親が心配になってきた。彼の後を追う探偵を雇うのであるが。。。

いつものようにウディアレンが出ていなくても主人公に自分の分身のようなセリフを話させる。機関銃のようなアレンのセリフが続く。「知識人を装う男」との会話にウディアレンらしい皮肉がたくさんこめられている。「アニーホール」のころから全く変わらない。ウディらしい会話が続いていると思っていたら、古いプジョーが突如現れる。
そこからは完全に大人のおとぎ話である。ずっとドキドキしっぱなしだった。

たくさん語りたいので続く。。
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嵐を呼ぶ男 石原裕次郎

2012-05-30 07:41:05 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎主演の昭和32年の作品だ。

「おいらはドラマー、やくざなドラマー。。。」で始まる主題歌はあまりにも有名だ。
映画自体は稚拙な部分が目立ち、演技も今一つで荒削りであるが、初期の石原裕次郎から発せられるオーラは凄い。
彼の初期の代表作である「狂った果実」や「太陽の季節」はいずれも白黒であるが、この映画はカラー(総天然色)、いきなり映されるシーンは日劇横日比谷側から不二家や森永のキャラメルの広告塔をカラーで映す。白黒はあってもカラー映像は意外に少ないかもしれない。
昭和32年は映画「三丁目の夕日」の一作目の設定と同じだ。昭和30年代初期の東京をカラーで見るということでも価値が大きい気がする。

銀座でクラブを経営する女支配人(北原三枝)の店では日夜人気バンドによるジャズが演奏されていた。人気のドラマーチャーリー(笈田敏夫)はギャラのアップを要求していた。元々支配人とドラマーは付き合っていたが、ドラマーはダンサー(白木マリ)に手を出していた。ある夜ドラマーは出演を拒否する。すでに別のところで契約が決まっていたらしい。ドラマーがいなくなって困る支配人であるが、兄貴を弟が売り込みに来ていたドラマーのことを思い出す。
そのドラマー正一(石原裕次郎)は銀座を流していた男だ。ケンカに明け暮れる毎日を送っていて、その日も留置場にはいっていた。支配人は身元引受人になり、ドラマーは留置場を出て、店でドラマーの穴埋めをした。自由奔放で、腕の立つ彼はバンドとの息もあい、人気が上昇する。
人気が上昇したのには元のレギュラードラマーは面白くない。ドラム合戦を提案して、正一もそれを受ける。ところが、ドラム合戦の前夜銀座の夜の顔役にからまれて、ケンカしてしまった正一は腕をけがしてしまうのである。当日手が負傷のまま臨むのであるが。。。。


ストーリー自体はどうでもいい話だ。ただ、ここで映る映像は取り上げたいことが盛りだくさんにある。
女支配人の家を映す。居候している石原裕次郎が朝食を食べようとする時、トースターやジューサーが映像に映し出される。昭和32年であれば、ほとんどの家庭にはいずれもなかったはずだ。特にジューサーの中のオレンジジュースは総天然色映画であることを意識してか、鮮明な色で映し出している。石原が住むアパートとの対比を通じてあこがれの世界を映し出すのも大事な映画の役割だ。


石原裕次郎はまだまだ荒削りで、演技もうまくない。それでも強烈なオーラを出す。「嵐を呼ぶ男」を歌うシーンは圧倒的かっこよさだ。歌い始めるシーンは背筋がぞくっとする。
何より驚くのは彼の足の長さだ。この映画から50年たった最近では決して珍しくないが、チビで短足の日本人男性の中でひときわ足が長い。他の出演者とのコントラストに驚く。

北原三枝は割と普通、むしろ白木マリの色気あふれる振る舞いが印象に残る。
豹柄のビキニもどきの姿でストリップのような情熱的なフロアダンスを踊る。後ろでドラムスをたたく石原裕次郎に対して、強く挑発するような視線を送る。控室でダンスを踊る服装を脱ぐシーンがある。当然バストを見せないが、当時としてはぎりぎりのエロチックな表現だ。

音楽の基調は正統派エイトビートのジャズが中心だ。でもこの映画入ってすぐ平尾昌晃がいきなりロックンロールを歌う。出演者としてのクレジットではない。まだデビュー前でジャズクラブで歌っていたリアルな姿だ。有名な「ウェスタンカーニバル」はこの翌年からはじまる。これもずいぶんと荒削りだ。紅白歌合戦でラストの「蛍の光」を指揮する姿を誰が想像できたであろうか。

笈田敏夫は元々ジャズシンガーだ。このころの彼はやくざと思しき眼の鋭さで、晩年の枯れ切ったロマンスグレーのキザじいさんの面影が少ない。渡辺プロの社長の渡辺晋さんがドラム合戦のとき、ウッドベースを演奏しているのも印象的だ。当時の日活映画常連岡田真澄も裕次郎の後ろで演奏する役柄だ。
銀座の顔役を演じる安部徹、高品格の渋さはここでも光る。高品が演じるチンピラを麻雀放浪記の出目徳役や晩年のテレビに映る姿と対比するとおもしろい。金子信雄はここでもせこい役だ。仁義なき戦いの親分役と大して変わらない。この辺りからキャラが確立していたのかもしれない。

生まれ育った五反田では日活の映画館は今の東興ホテルの裏側あたりにあった。大映や東映に比べると父や母と行く回数は少なかった。演奏の映像と音楽があっていない。格闘シーンにリアルな感じがない。今の映画の進化を知っているので稚拙と感じるが、初めてこの映画を見た若者たちは強烈な衝撃を受けたんだろうなあ。
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まぼろし  シャーロット・ランプリング

2012-05-28 05:30:05 | 映画(フランス映画 )
映画「まぼろし」はイギリスの名優シャーロット・ランプリング主演2001年のシリアスドラマ
現代フランス映画の若き名匠フランソワ・オゾン監督の作品はブログで取り上げてきた。器用にもフランス語も巧みに話すシャーロットと監督の相性は抜群にいい。
夫が突然行方不明になった一人の女性の喪失感と、不在になった夫の幻影と言い寄ってくる男性の現実に彷徨う姿を描いている。


舞台はフランスだ。
南西部のリゾート地にある別荘に向かった主人公(シャーロット・ランプリング)は夫と2人で25年にも及ぶ夫婦生活をしていた。海辺に出てたたずんでいた時、ふと気がつくと夫がいない。探し回るがいない。あわてて海辺のレスキュー隊に捜索を頼むが、ヘリを使って捜索しても見つからなかった。
一人暮らしをするようになった彼女は大学で英文学を教えていた。彼女の気を紛らせるために友人たちが、彼女に男性を紹介しようとしたが、気乗りしない。彼女は家では夫の幻影と話をしていたのであった。前のように夫の面倒を見て、彼に洋服を買ってあげようとしていたのであった。
友人たちの紹介する男性の中で、一人主人公に強い好意を寄せる男性がいた。送る途中突発的に唇を奪われたが、彼女は避ける。謝る男性はあきらめず、彼女に接近していく。主人公もそのまま彼と会うようになってきたとき、家に警察から留守番電話が入っていた。夫らしき死体が発見されたという知らせだが。。。。

フランス映画らしく色彩が若干淡く映し出される。この辺りは原色を多く使うアメリカンラブストーリーの鮮明な美術とは違う。フランソワオゾン監督の作品は、「リッキー」「スイミングプール」「8人の女たち」それぞれ全く違うストーリーなのに流れている基調がいつも同じである。不思議だ。ストーリーの起承転結がはっきり分かれているので、わかりやすい。ゲイだと公言している彼が女性映画をとると天下一品なのはどうしてなのであろう。

自分が年をとったせいか、50代の女性を主人公としたこの映画にすんなりなじむようになってきた。この映画にシャーロット・ランプリングはまさに適役である。この映画で彼女は脱いでいる。この時55歳の彼女のヌードというと無理がある気がするが、50代の大人の恋話には必須の場面なのかもしれない。

長い彼女のキャリアで一番印象深いのはポールニューマン主演「評決」での謎の女の役である。

まだ若き彼女にポールニューマンがハマっていく姿が印象深い。インテリな雰囲気を醸し出している彼女が美しかった。その彼女が同じフランソワーズオゾン監督「スイミング・プール」で売れっ子作家の役をやった時同一人物には見えなかった。しかも彼女が最後脱ぐシーンを見て驚いた。「まぼろし」も大学教授の役だ。インテリ女性がセクシャルな違った一面を出すというパターンがうまい。


先日マーガレットサッチャーの伝記的映画を見た。あの映画で認知症になっているサッチャーが亡くなった夫の幻影と毎日会話をする場面がある。この映画も同様のパターンだ。この映画の主人公はけっしてボケているわけではない。25年連れ添って毎日会話をしていたのが突然いなくなった。それでもデイリーの動きは変わらないのである。ましてや子供がいない設定だ。こんな感じになるのは決して不自然ではないのかもしれない。

もう一つ印象的なシーンは、行方不明の夫の老いた母親と会話する場面だ。二人の会話で、生んだ自分の方が連れ添った妻よりも彼のことをよく知っているんだと言い張る場面がある。当然妻は長く連れ添った自分方が関係が深いと主張している。日本フランス世界どこへ行ってもこういう関係はどこも同じだなあと思った。

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灼熱の魂 

2012-05-24 06:01:30 | 映画(自分好みベスト100)
映画「灼熱の魂」を見た。カナダ映画である。
うーん凄い映画だ。今年見た映画では一番だと思う。

中東の国レバノン出身の劇作家が作った戯曲の映画化だという。レバノン、カナダを結び、あるレバノン出身の一人の女性の人生を振り返っていく。ストーリーは食材をうまくからめた高級フレンチ料理のような手の込んだものだ。序盤から伏線をちりばめながら、少しずつラストに接近する。重層構造の筋立てにいくつものエピソードをからませる。レバノンを映す映像美もすばらしく、筋立て、映像、演技いずれも完ぺきに近い映画だと思う。


カナダケベックが舞台だ。一人の中東レバノン出身の女性が亡くなった。プールで具合が悪くなり、突如として病状悪化したのであった。
その遺言の内容を聞きに、子である双子の姉弟が公証人の元へ行く。財産分与についてはお互い均等にということが当たり前に語られた後、公証人から2人の姉弟の父親と兄に渡される手紙の存在を知らされ2人は驚いた。父親と兄はレバノンにいるという。2人に手渡ししてくれという遺言だった。
手紙の存在に戸惑うが、数学者である姉は指導教授からも心に迷いがあると純粋数学はできないよと言われ、レバノンにルーツ探しに行くことを決めた。手掛かりは母親の一枚の昔の写真である。


舞台は過去にさかのぼり、母親の若い頃を映し出す。キリスト教徒の集落でイスラム思想の活動家の男と付き合っていた彼女だったが、男は射殺されてしまう。その時彼女は懐妊していたのであった。地元の隣組からは白い目で見られた彼女は祖母のもと、自宅にて出産した。その子は祖母が育てることとして、彼女は地元を出て行った。
地元を出て行ったあと、彼女は親類の援助で大学へ行く。しばらくすると、レバノンは内戦からむ宗教闘争に入った。そんな中故郷に戻った彼女は、内戦で村がぐちゃぐちゃになっていることを知る。生んだ子もいない。
過激な活動家として組織のために活動するのであるが。。。

舞台はまた現代へ。レバノンに行った姉は指導教授から紹介された数学者にあう。これはなんの役にも立たない。昔のことを知っていると思われる人物を追いかけると同時に、母の故郷へ向かう。昔のことを振り返る話を村の女性にすると、母はよく思われていないことがわかる。そんな中わずかな手掛かりを求めて国内を歩き回っていくが。。。

過去と現在を並行的に映しだしながら、じっくりとストーリーを作り上げていく。
カット割りのスピードは普通だが、それぞれのセリフには余韻を感じさせる絶妙の間の取り方を感じる。重量感がある。

映画ではいきなりレバノンの風景が映る。乾ききったエリアの中に一本のヤシの木が立っている。そして建物の中で子供たちが立ち並ぶ中、バリカンで髪の毛が刈り取られるシーンがいきなり映る。どういうことなんだろう?と思いながらも、全く関係のないシーンが続くのでラストになるまで、このシーンの存在をすっかり忘れていた。その意味がわかるのは最後に接近した時である。
こんな感じで、最終に一つに結びつけるためのエピソード的シーンがいくつか主要ストーリーの中に入り込んでいく。正直一回見ただけで、ストーリーの全貌を把握するのはかなり至難の技だと思う。理解不能のところを再確認したり、レバノンの歴史をチェックした方が頭にすんなり入る。

宗教闘争を示す殺し合いのシーンはかなり過激だ。キリスト教とイスラムの対決だ。イスラム教徒たちを乗せたバスが、武装したキリスト教徒たちに襲われるシーンはドキッとする。
皆殺しになりそうになる前に、主人公が十字架を見せて一人かろうじて逃げる。バスの中に一人の子供がいて主人公は助けようとするが、彼女の子供でないと見抜いた襲撃した相手に子供が射殺される。このシーンは無宗教の日本人には信じられないような場面だろう。宗教闘争の根深さを感じる。

映画がはじまってすぐフランス語が語られるのに気付く。あれ?と思うが、レバノンの歴史を知るとなるほどだとわかる。以前はフランス領であったのだ。しかも、カナダケベック州はフランス語圏である。そうなのかと理解する。こういった形で内部闘争の絶えないレバノンからカナダへ移民できている人たちは多いのであろう。

中東系の美人というのはエキゾティックできれいだ。主人公の体当たりの演技には驚いた。

イヤー凄い映画だなあ。
映画を見たという実感が身体中で感じられる傑作でした。
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ラブアゲイン スティーブ・カレル

2012-05-23 10:06:33 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「ラブアゲイン」は妻に離婚を突き付けられたさえない中年男性の姿を描いたラブコメディだ。

ダメ中年を演じたら天下一品のスティーブ・カレル演じる主人公を中心にして、モテ男ライアン・ゴズリングに手ほどきを受ける姿がおもしろい。


映画はある夫婦の妻(ジュリアン・ムーア)が旦那(スティーブ・カレル)に離婚の申し出をする場面からスタートする。
キョトンとする夫は何もいえない。追い討ちをするが如く、妻はある男デイヴィッド(ケビンベーコン)の名前を出して、すでにその男とできていると告白する。夫はそんな話は聞きたくないとばかりに、車の扉を開けて逃げ出す。夫婦には3人の子供がいた。長女は一人暮らしで13歳の長男と幼い次女と暮らしていた。結局子供は母親の元に残る。

仕方なく一人暮らしを始めた夫であるが、バーで愚痴を言うばかりだ。そんな彼の独り言を聞いていたプレイボーイ風の一人の男(ライアン・ゴズリング)が近寄ってくる。彼は事情を聞き、女性を口説く手ほどきを教授する。洋服を新調したり、髪型から何まで変身した彼は、バーで女性を口説くようになる。
手馴れてくると、次から次へとうまく行くようになるのであるが。。。。

ジュリアン・ムーア演じる主人公の妻は見ようによっては嫌な女である。普通の亭主である主人公を見捨てて別の男に走ろうとする。内田樹の「映画の構造分析」という本で「アメリカ映画が、その全史を通じて強烈な女性嫌悪にドライブされている。」そう書いてあったが、なるほどと思わせるようなこの映画である。
日本ではラブコメはカップル以外は男性の姿を見つめるのが難しい。でもアメリカではそうでないのかもしれない。女性嫌悪が語られるので、女性の身勝手さに手を焼いている男性のうっぷんが晴らされるのかもしれない。そんな映画を日本で見る大多数が女性なのが笑える。



登場人物は多い。13歳の思春期の長男をクローズアップさせ、子守に来ている17歳の女性への思いを語らせる。思春期の年上への憧れを語る。割りと多人数が絡む映画であれど、比較的単純な恋の話なのでわけがわからなくなるなんてことはない。途中意外性のある場面をいくつも持ってきているので話の展開で飽きることはない。笑いが思わずこぼれる場面も多い。


ライアン・ゴズリングはかっこいい。先日ロードショーで「ドライブ」を見たばかりである。男前の代名詞のようになってきた。スティーブ・カレルとの対照でうまい使い方だ。また、ケヴィンベーコン、マリサトメイ両ベテランが特製スパイスのような役を演じて、映画にアクセントを添える。

普通のラブコメディの色彩、ほのぼのとしていいが、まあ退屈なときに見る映画かな。
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テイカーズ マットディロン

2012-05-21 05:25:36 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「テイカーズ」はロスを舞台にした2010年の犯罪アクション映画だ。
「takers」のtakeは意味の多い単語だ。映画の中では「奪う」と訳していた。まあ強盗団ということなのであろう。


ロスアンゼルスが場面に映り、白人黒人入り混じった5人のプロの盗人集団(イドリス・エルバ、ポール・ウォーカー、ヘイデン・クリステンセン、マイケル・イーリー、クリス・ブラウン)が銀行強盗に入る話からスタートする。完ぺきなシナリオ通りに無事に200万$ゲットする仕事を終える場面だ。彼らは仕立てのいいスーツに身を包み、優雅な生活をしていた。そんな彼らの前に5年前にコンビを組んだ男が刑務所から出所してきた。以前の分け前が欲しいということもあったが、刑務所で知った2000万$を運ぶ現金輸送車の情報を持ってきた。この盗人集団は一度仕事を成功させると1年は何もしない方針であった。今回は金額につられて元の相棒と一緒に取り組むことにした。
一方ロス市警の警部(マットディロン)は銀行強盗事件を追っていた。休みの日も娘を連れて犯人を追いかけるワーカーホリックな刑事だ。今回も少ない情報から犯人たちの手掛かりを得ようとするのであるが。。。


ロスの映画は、夜のシーンがきれいだ。今回は盗人たちが優雅に美女たちをはべらかしながら、遊びまくるシーンが出てくる。「プレイボーイ」社のへフナーみたいな豪遊生活といった感じを見せる。一方で犯人たちと警官の人間模様を間にはさむ。薬漬けの身内やいつも通りのロス市警の汚職の話が入る。
逃走劇をしつこく活劇のように見せるシーンはなかなか凄い。ロスのビルの谷間を刑事と犯人が追いかけまわるのはなかなかスリリングだ。他にも激しい弾が飛び交う銃撃戦もあり、アクション映画としてはいくつもの見せ場は用意しているようには見える。


しかし、どうも不自然な設定と思える部分が多い。
いきなり銀行強盗してヘリで逃げるけど、これって普通だったら空中で追いかけっこもするであろうし、レーダーでヘリの到着先も探知できるような気がする。それとこの盗賊さんたち高級外車に高級マンションでの優雅な生活をしているけど、これってずいぶんと目がつく動きのような気がするんだけれどなあ。普通日本だと高級外車を買った時点で税務署にもチェックされて、金の出所を綿密に調べられてしまう気がする。IT社会アメリカ警察が日本より遅れているような感じはしないんだけど。。。
見ているうちに、こんな疑問を常に感じていた。

映画は普通かな
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5年目になって思うこと1 (橋下もようやく原発容認へ?)

2012-05-20 08:29:35 | Weblog
そろそろブログも5年目に入る。早いものだ。
自分の日ごろの行いの悪さも棚上げにしていくつか気になったことも話したい。

今日の新聞を読んでいて、橋下徹もようやく原発再稼働容認に転換しつつあることを知った。
夏だけは再稼働していいよと。この転向は大前研一に言われたからだろう。
少し前の世論調査では原発復活やむなしとの調査が多かったが、政府が再稼働に向けた方向に動くと世論調査は再稼働反対の方向に動いた。世論は政府の意見と反対に動く最近の傾向がある。
一体どういうことかと思った。日本人バカじゃないの?と
電力が足りないと言い切っているのに何でまた原発がダメだというのかと

日本人は電力問題が自分の身近な生活に大きな影響を与えていることをどう考えているのか。
計画停電というのは体験したものでないと、その不自由はわからないと思う。
突然真っ暗になって、何もせずにじっとする。こういうときは何もやる気が起こらない。
昼間に計画停電がなされると、信号機が点灯しない。町を歩くのが怖くてしょうがない。
昨年の3月は精神的にずいぶんとダメージを受けた。

関西人は東京人よりも派手好きだし、店頭の照明計画も派手だ。
しかも、自分も5年住んだからわかるけど、とにかく暑い。
こんなんで節電や計画停電なんて出来るわけないでしょう。
それなのに橋下徹は反対し続ける。気が狂ったのかな?と思っていた。

でもこのまま橋下徹の言う通りにさせて、計画停電で逆にわざと集中砲火を浴びさせる作戦なのかとも思った。いずれにせよ、ちょっとまずいんじゃない。
今の日本人はちょっと狂っている。
太陽光発電で原発一基分の電力を賄おうとすると山手線の中すべてにソーラーを設置するくらいでないとうまくいかないと、自分が行っている研修会である超大手エネルギー会社のトップが話していた。でもそんなことマスコミに向けてはちっとも言ってくれない。
反原発の連中から集中砲火を浴びるからだ。
ドイツが原発に頼らないといっていたが、まだまだ現実にはドイツ国内で原発は稼働している。全部が停止するのはずっと先だ。しかも、大陸が続いているから他国から電力を融通することも可能だ。まわりが海の日本とは違う。再稼働にそんなに目くじら立てないでほしい。

太陽光の電気買い取り価格の単価は高い。原子力発電の単価とは比べ物にならない。このつけはすべて国民の血税にまわってくる。電気料金値上げに反対して、原発再稼働に反対する。凄い矛盾だ。企業は大赤字になったら耐えられない。電力会社も同じである。政府がその分補填するとなったら、税金に転嫁される。どうして日本人は対岸の火事を自分のこととして思えないのか。アカ新聞主導の世論操作の恐ろしさを感じる。
もう少しまともな方向に動けないのであろうか。。。

先週は忙しくて更新できなかった。
あまりに腹立たしいので映画以外のことを久々書いた。
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やわらかい生活  寺島しのぶ

2012-05-13 10:20:21 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
映画「やわらかい生活」は2006年の寺島しのぶ主演のドラマだ。

絲山秋子さんの原作映画化の「ばかもの」を先日コメントした後、勢いで見てしまった。
大卒総合職からドロップアウトした女性に焦点をあてて、精神に異常をきたしながら東京の猥雑な町蒲田で生き続ける生きざまにスポットライトをあてる。

寺島しのぶ演じる35歳のヒロインは大田区蒲田に一人暮らしで住んでいる。すでに両親が亡くなっている。それをきっかけに総合職で勤めた一流企業を退社した。出会い系サイトで知り合った中年男と痴漢プレイを楽しんだり、立ち上げたサイトにアクセスしてきたうつ病のヤクザ(妻夫木)とタイヤ公園で会ったりしている。
両親の7回忌に福岡に帰った。そこには博多弁の親戚の男(豊川悦司)がいてやさしくしてくれた。
蒲田を徘徊していた時、選挙演説をしていた男に声をかけられた。彼は早稲田大学の同期で、都議会議員に立候補しようとしている。2人で飲みに行った。昔話に花を咲かせ、彼女の家に向かったが、どうもEDのようだ。そんな何人かの男たちと他愛のない付き合いをしている時に、福岡の親戚の男がコテコテのアメ車に乗って上京して彼女のアパートを訪れるが。。。。


ストーリーはどうってことない。緩急もない。
廣木隆一監督は「ヴァイブレータ」で以前寺島しのぶと組んだが、同様にまったりしている映画だ。新宿と和歌山の新宮を舞台にした映画「軽蔑」の時もそうだったが、長まわしが好きな監督である。見ようによってはどうでもいいシーンを長い沈黙も含めて、長まわしで撮る。一つだけ違うのが寺島のヌードシーンがないことだけであろう。でもこの映画での寺島はいつもよりきれいに見えるのはどうしてかな?

大学出の女子総合職が話題になった時期もあった。今はどうなっているのやら。それでも銀行あたりは女性支店長が増えてきた気もする。キャリアと思しき雰囲気の人もいるが、おばちゃん風の支店長もいる。この映画で寺島しのぶ扮する主人公が、自分と一緒に入って頑張ってきた総合職の女の子が911で死んじゃったと独白する場面がある。設定とはいえ、あのときも銀行の人ずいぶんと亡くなったなあ。
作者絲山秋子さんの履歴を見ると、この主人公にダブっているところがある。自分を描写する感覚で作っているので自然体なのかもしれない。でも起伏が少ない。


蒲田という街は猥雑なところである。ヤクザも多い。その昔国鉄蒲田駅から京浜蒲田に歩くのはちょっと怖かった。その蒲田を商店街を中心になめるように撮っていく。松竹のスタジオもあったし、以前はテレビの刑事物のロケによく出ていたものだ。
高校時代、大田区から通っていた友人が多く何かというとコンパは蒲田でやった。すでに時効であるが、高校時代からよく飲み歩いていたものだ。みんな寛容なんだろう。当時池上や蓮沼あたりの友人も多かったが、京浜蒲田から先の糀谷とか羽田あたりからきている友人もいた。蓮沼と糀谷といえば全く対照的だ。片や住宅街で片や日本経済を支える中小零細企業の工場街だ。そんな対照的な町に住む連中が蒲田で集う。
そういう昔を懐かしく感じながら、他愛のない映画を見ていた。
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矢沢永吉 IN 東京スカイツリー 

2012-05-13 06:50:35 | 矢沢永吉
昨日の朝矢沢永吉ファンの友人が今日の夜矢沢がテレビにでるよと教えてくれた。
なんと東京スカイツリーからのライブ放送である。
しかも、自分の大好きな「東京」をやってくれるという。これは見るしかない。

昨日も何かと仕事が忙しく、一瞬忘れかかっていた。6時過ぎに「そうだ」とあわてて帰宅、でもどう考えても7時半には間に合わない。結局テレビ前に座ったのが7時40分過ぎだった。
家の人はいきなり「東京スカイツリー」の番組を見るもんだから何で?という感じだ。

まあすぐには出ないだろう。そう思っていたら、一瞬だけ画面に映る。ミスのようだ。
東京スカイツリーの施工の難しさを示すような話が続いた後、いよいよ登場だ。


350Mの展望台からの映像、MCはなくバックの伴奏が流れる。
スローで始める匂いだが、「東京」のイントロとは若干違う。
あれ?と思ったら歌い始めるとやっぱり「東京」だ。

アコースティックギターとサックスがバックにいて、ストリングスを奏でる女性たちがいる。
そしてもっと凄いバックが、まさしく東京の夜景だ。
作り物の夜景ではない。東京タワーの高さより高い展望台からの凄い夜景をバックにしみじみ歌う。
暗い東京の街を星屑のようにキラキラひかる灯りが美しい。

矢沢永吉というとノリノリのイメージが強い人も多いが、個人的にはバラードが素晴らしいと思う。
コンサートでもそれまで立ちながらノリノリの観客たちも、バラードがはじまると静かに着座して聴いている。そのコントラストがいい。飲酒入場禁止にしているのもバラードをじっくり聴かせるためだろうと勝手に思っている。

武道館で「東京」をやる時の感動はなんともいえない。ここ数年コンサートではやっていない。
その感動がテレビで味わえるのだ。


スタイリッシュな東京の夜にぴったりである。
途中サックスのソロも流れる。ストリングスも優雅に奏でられ、心のときめきは最高潮に達した。

もう一曲オーソドックスなヤザワ節的ロックンロールを、ブラスのお兄さんと3人女性ボーカルをバックで
やった。新曲らしい。「it's up to you」お前次第だと訳すのであろう。
最後にMCのお姉さんが入ってきた。
ヤザワも東京スカイツリーでライブするときめきを率直に語っていた。そして技術に敬意を表していた。
いよいよ40周年今年も頑張ってください!
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ブラザーフッド ウォンビン

2012-05-09 07:10:19 | 映画(韓国映画)
映画「ブラザーフッド」は朝鮮戦争が題材となった2004年の韓国映画である。


1950年の韓国ソウルの場面が映る。
ある兄弟がこの映画の中心だ。兄(チャンドンゴン)は靴磨きをして、一家の家計を助けている。兄にはフィアンセがいて、もうすぐ結婚するところであった。18歳の弟(ウォンビン)は頭がよく、ソウル大学を目指して勉学に励んでいた。母とともに平和に暮らしていた家族だったが、6月突如として北朝鮮が国境ラインの38度線を突破して南側に攻め込んできた。ソウル市内は大混乱だ。家族は南部に住む親戚を頼って、移動しようとするが、鉄道の切符は取れない。
そんな修羅場の中、町の中で招集がかかる。18歳から30歳までの男子が点呼されていたので、弟が向かうとそれは軍隊への招集であった。母は懸命に止めにかかるが、軍の憲兵は聞く耳を持たない。無理やり連行された。その際、その場から離れていた兄が見つけて連行される列車に乗り、無理やり連行を阻止しようとするが、結果的に二人とも連れて行かれてしまう。

北朝鮮は勝ち進み、韓国側は釜山近くまで追いやられた。そんな最前線に2人は配属される。まわりの連隊が負け続け、2人が配属された部隊は北朝鮮の部隊のはさみうちにあった。食糧物資も来ず飢えに耐えながら戦うこととなった。もはや絶体絶命になった時、兄が北朝鮮側への夜襲を志願し、敵の部隊を不意打ちにして劣勢を挽回する殊勲をあげる。そして、その勝利と同時に国連軍と名乗るマッカーサー率いるアメリカ軍が参戦、次第に連戦連勝して北方面に挽回して行った。

元々軍隊にはいるのを嫌がった兄は、弟が除隊するために危険な仕事で勲章をもらうのが狙いであった。次から次へと危険な戦いに功績をあげて、敵の首都平壌で相手の大佐を生け捕りする功績をあげた。軍のヒーローとなった。ところが、敵を追い込んだ所に参戦したのが、中華人民共和国の人民軍である。またまた劣勢に立ち、もう一度退散する。そうして、ソウルまで退却した。家に戻ると、なんと兄のフィアンセ(イ・ウンジュ)が北朝鮮側の思想の影響を受けていると、連行されようとしていたが。。。。

今よりも韓流ブームの時に公開された。ウォンビンが出てくるので多くの映画館で上映されたが、入りは思ったほどよくなかったという。それはそうだろう。韓流好きのおばさんも戦争映画じゃ見る気もしないだろう。ましてや朝鮮戦争に興味を示すのはよっぽどの物好きだ。

でもこの映画よくできていると思う。
歴史上の事実に基づき、想像上の人物を活躍させる。戦争の途中経過に忠実なので、本当にありそうな話に見えてくる。北朝鮮兵士を「アカ」の野郎とののしる場面が何度も出る。コテンパンに打ちのめす。毎度のごとくの韓国映画の暴力表現がきつい。韓国人は取っ組み合いのけんかが好きなせいか、戦争映画にもかかわらず武器よりも肉体でのぶつかり合いが好きだ。北朝鮮の兵士たちをケンカさせて、どっちが勝つかなんて賭けをしたりやることがヤクザ的だ。

映画を見ながらふとおもった。上官が兵士たちを虫けらのように扱う。旧日本軍の士官的扱いだなあって。そういえば1950年って2次大戦が終わった45年からたった5年しかたっていない。それまでは韓国は日本の領土だった。とすると、この上官はどういう教育を受けていたんだろう?日本の軍部で鍛えられていたのでは?という疑問が浮かんだ。
調べてみると、確かにそうだったらしい。そのためか、韓国語とはいえ、下士官への命令口調には日本語的表現がかなりされている。逆に北朝鮮側は中国の人民軍から大きな影響を受けていたようだ。ある意味南北対決は戦前の日中戦争の流れに近いのかもしれない。そこに日本を破ったアメリカが加わり、北朝鮮にはソビエトが加勢する。朝鮮戦争は人民同士の戦いを超えて世界戦の様相を呈していた。

クリントイーストウッドの名作「グラントリノ」の主人公は朝鮮戦争の退役軍人の設定であり、彼自身朝鮮戦争で戦っている。マリリンモンローが朝鮮戦争を慰問した映像は何度も見たことがある。

朝鮮だけの戦いではなかった。

南北の離散はお涙ちょうだいの場面だと思うが、そうはならなかった。
それでも世界史の一面として参考になった映画だった。
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男はつらいよ 望郷篇 長山藍子

2012-05-07 06:01:37 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「男はつらいよ 望郷篇」は昭和45年の第5作目である。


今回のマドンナはテレビ版で妹さくらを演じていた長山藍子である。いつものような寅さんの振られ話で、舞台は北海道札幌小樽と千葉県浦安である。

柴又の団子屋のオヤジことおいちゃん(森川信)が危篤という話を聞いて、戻ってきた寅さん(渥美清)がだまされていたことに気づく。あわて者の寅は葬儀屋から寺の段取りまで来る前に準備したのであった。腹を立てた寅は、旧知のテキヤの親分が危篤だという知らせもあり、北海道へ向かう。
テキヤの親分は余命短い容態だった。小さい頃に別れた息子に会って、詫びたいという望みを聞いて寅と連れ合い(秋野太作)は息子(松山省二)に会いに行く。息子は国鉄の機関士だった。今さら彼は会いたくないという。小さい頃に一人で父親に会いに行ったら、従業員をなぐっていた。それをみて嫌になったというのだ。結局親分は亡くなった。寅はやくざ稼業の末の哀しさを感じる。
柴又に戻った寅は堅気になりまじめに働かねばならないと言いだして、職を探そうとする。タコ社長のとこに意気揚々と勤めようとするが、うまくいかない。ふてくされて江戸川の小船に乗っていたら、気がつくと浦安に向かっていた。
浦安では豆腐屋で働くことになった。そこでは気のいいおかみさんが取り仕切っていて、美しい娘(長山藍子)がいた。今度は長続きしそうな感じではあったが。。。。

昭和45年といえば、大阪万博の年である。日本中が万博の話でもちきりであった。その年、山田洋次監督は「家族」というキネマ旬報ベスト1の名作をとっている。九州から北海道まで縦断するロードムービーである。大阪万博へ寄る場面もあった。この作品に出演したメンバーを見てみると、今回の「男はつらいよ 望郷篇」とほとんど一致している。なんと渥美清まで出ている。この2つの作品はセットで見てみると別の発見がある。2つの映画に共通する役者が今と違ったイメージを醸し出す。

倍賞千恵子がきれいだ。この当時29歳。小さい頃倍賞千恵子には吉永小百合とともにまだ歌手としてのイメージを持っていた。そんなイメージを思い出した。アパート住まいで亭主との子供もまだ乳飲み子の設定、当然吉岡君はまだまだ出てこない。映画「家族」でも赤ちゃんがいる設定であったが、「家族」よりもアカぬけて見える。


おいちゃん役は森川信だ。自分にとっては、実写版「サザエさん」の波平のイメージが強い。サザエさんが江利チエミでフナが清川虹子だった。どちらかというと元来の喜劇役者の匂いが強くて、笑いを誘うのがうまい。下条よりも渥美清との相性がいい感じがする。早くに亡くなったのは残念

マドンナが長山藍子だ。彼女がスターダムにあがったのはNHK連続テレビ小説「旅路」だったと思う。その前の「おはなはん」はうっすら覚えている感じだ。「旅路」は小学校低学年だったが鮮明に覚えている。祖父祖母が小樽出身だったので、この番組は毎日欠かさず見ていた。視聴率の高い番組が多い歴代のNHK連続テレビ小説の中でも「おしん」に次ぐ平均視聴率だという。脇役だったが、この作品で知名度が上がった長山藍子は一連のTBS石井ふく子プロデューサーの作品で人気絶頂となった。「肝っ玉母さん」も「ダンプ母ちゃん」も小学生のころよく見ていた。その直後だけに彼女としてはいい時期だったはずだ。
黒澤映画の常連井川比呂志は「家族」で倍賞千恵子の夫役だ。しかも彼はテレビ版ではさくらの夫の博役だ。芸達者の彼ではあるが、ここでは地味な役だ。

北海道で恩人の息子が石炭を入れながら運転するのは蒸気機関車である。いわゆるD51型「デコイチ」だ。当時はまだ北海道を走っていた。その雄姿を見せるだけでも貴重な映像だ。
また、千葉県浦安が舞台になっている。ディズニーランドで一躍全国区的知名度になったこの町も、ディズニーランドができる13年前であるこのころは単なる漁業の町であった。D51以上に貴重な映像だと思う。小さい漁船がたくさん停泊している姿は凄い映像だ。そんな中寅さんはいつものように縦横無尽に動き回る。渥美清もまだまだ元気だ。
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太陽に灼かれて ニキータ・ミハルコフ

2012-05-06 07:26:56 | 映画(洋画 99年以前)
映画「太陽に灼かれて」は94年のロシア映画、1930年代のスターリンによる粛清時代を描く。

成宮寛貴君の映画のコメントしていたら、彼が昨年「太陽に灼かれて」を劇で上演していることがわかった。この映画は割と有名だけど、機会がなく見ることがなかった。ロシア料理は大好きなんだけれど、ロシア映画はスケールが大きい割に苦手だ。ずっと後回しになっていた。

別れた恋人が突如戻ってくることに戸惑う妻とその夫の振る舞いを描く。

ロシア革命の英雄コトフ大佐(ニキータ・ミハルコフ)は田園地帯の避暑地「芸術家村」で若妻マルーシャ(インゲボルガ・ダプコウナイテ)とその一族、娘のナージャ(ナージャ・ミハルコフ)とともに幸福な日々を送っていた。映画ではのどかな生活をしばらく描いていく。
ある日サングラスの髭面の老人が訪問してきた。かつて家族同然に親交があったドミトリ(オレグ・メシーコフ)の変装だった。貴族育ちの彼はピアノを弾きながらはしゃぎまわる。昔の恋人であったマルーシャと一家は再会を喜び、ナージャもすぐになついた。しかし、大佐は複雑な心境を顔に表していた。
一家は川に遊びにいく。大佐はナージャと遊んでいた。ドミトリがわざとおぼれたふりをしたりして、彼女を挑発した。二人きりになったマルーシャとドミトリのあいだには昔の情熱がよみがえる。その雰囲気を察した大佐が彼女を真意を確かめようと、強く愛情を求めようとする。ドミトリは何かの意図をもって訪れているようであったが。。。


前置きの長い映画である。ロシアの大草原の中、暮らす家族の偶像をじっくりと描くといえばいいかもしれないが、若干凡長である。退屈な映画だなあと思っているところに元の恋人が現れる。強い化学反応を示す。そこで映画の流れが大きく変わっていく。一人の男の媒介で映画が引き締まる。緊張感が出てきて映画がおもしろくなる。



スターリンの粛清というのは旧ソ連の歴史の中でも非常に暗い場面である。元々のライバルであるトロツキーもこのとき殺された。ヒトラーが悪くいわれるが、それ以上に悪く評価されてもおかしくないような男である。
計画経済に失敗して、国民が困窮した。その時点で反逆する気配の人物を次から次へと抹殺した。「エニグマ」などの映画でドイツよりももっとひどいことをポーランドでしてきたことが指摘されている。
その後、毛沢東主席が大躍進政策に失敗した後、劉少奇、小平が改革政策を打ち出すのに文化大革命で対抗したのと同じだ。社会主義というのはろくなもんじゃない。
主人公はそういうスターリンと仲良く写真に写っていて、自慢しているような男だ。それでもちょっとしたことで粛清を受ける。大変な話だ。


監督兼主演のニキータ・ミハルコフがうまいのは言うまでもない。正反対のキャラを演じるオレグ・メシーコフが貴族出身の秘密警察の男を演じていた。教養を見せつけ、ピアノにギターにサッカーと何でもやる。会話もセンスがある。こんな2つの強い個性には普通の女性であれば戸惑うであろう。
ここで特筆すべきは監督の娘でもある子役のナージャ・ミハルコフである。父と一緒に出演している気楽さもあるせいか、無邪気で屈託のない演技は演技の枠を超えている。まさに天才というべきであろう。自分の映画史の中でもこんなにうまい子役ってみたことがない。彼女を見るだけで価値がある映画ともいえよう。カンヌ映画祭パルミドールとオスカー外国語映画賞となったのもナージャ・ミハルコフが強く評価されてというのが大きく影響している印象を受けた。
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佐藤健  ロミオとジュリエット

2012-05-05 07:58:23 | 散歩
佐藤健主演「ロミオとジュリエット」赤坂ACTシアターで観劇してきました。


観劇してブログに感想書くなんて初めて、正直劇はほとんど観ない。だからトンチンカンなコメントになるかもしれない。東京都心が不慣れな妻と娘がいくのに、付き添いで行ったようなものだ。
夜の赤坂のコリア色が強くなってからあまり行っていない。TBSが大きく変わってからは、赤坂駅周辺は正直よくしらない。でもずいぶんとセンス良くなったなあ。キャピタル東急ホテルは割と好きで、すぐそばまでは来ているんだけど。。。



まあ女性の多いこと、それは予想していた通りであったが、どちらかというと熟女が多い。観客席に座ってまわりを見回して比率を計算してみた。だいたい86%前後が女性かな?佐藤君だから若い人が多いと思いきや全然違う。40代以上女性比率は50%以上かもしれない。1万円を超えるチケット代は若い子には手が届かないのであろう。うちのように母娘で来ているようなパターンはあれど、有閑マダムの集まりと見た。トイレ休憩の時の中年女性の大行列には驚いた。

ロミオとジュリエットというだけで何も予習してこなかった。中学生の時オリビアハッセイ主演の「ロミオとジュリエット」は映画で見た。ものすごく感動した覚えがある。当時とんでもない人気だった。

オスカー作品「恋に落ちたシェイクスピア」で映画内で男装したグゥイネスパルトロウが演劇を演じていたのはロミオとジュリエットだった。不朽の名作ミュージカル「ウェストサイドストーリー」のベースはロミオとジュリエットだ。「サタデイナイトフィーバー」にもその匂いを感じる。

この戯曲はあまりにも有名すぎるので、ネタばれありでストーリーは簡単に説明していいだろう。
イタリアの町でモンタギュー、キャピュレットの2つの家は抗争を重ねていた。ところが、モンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットが仮面舞踏会で知り合い、恋に落ちる。そして勢いで教会で結婚してしまう。しかし、両家の抗争はエスカレートして殺人事件まで起きる。当然両家は2人の恋を認めない。ジュリエットは死んだふりをするために薬を飲み、周りを錯乱させ2人で逃亡する魂胆だ。仮死状態になる薬でしばらくすると目覚めるのだ。本当は手紙でそのことをロミオに伝えたはずなのに伝わらない。ジュリエットが死んだ姿を見てロミオは自ら命を絶ってしまう。そしてジュリエットが目覚めて自分の意図が伝わらずに死んでしまったロミオを追う。
なんて話は、これをベースにいくつもの映画や戯曲がつくられている。

舞台がはじまった。
16世紀から18世紀にかけてのイギリス史って割と関心がある。演出もイギリス人のようだし、昔の服を着てでてくるのかと思ったら違う。。。。。
いきなり奏でられる音楽はロック系のリズムだ。どうも現代劇風にアレンジしているようだ。セリフも現代風日本語にしてある。いきなり両家の対立の場面が出てくる。町のチンピラのケンカみたいだ。どちらかというと不良グループの対決である「ウェストサイドストーリー」の影響が強い。かといってミュージカルではない。

しばらくして主演が出てきた。佐藤健君だ。いかにも現代風カッコマンの話し方だ。ある意味彼にとっては自然なのかもしれない。演劇のことはくわしくないが、自然流でいい感じだ。劇は初めてだという。テレビに映画に普段活躍しているわけだから問題はないだろう。普通の現代劇のように展開する。あの莫大なセリフもきっちりこなすのはすごいなあ。キスの連発は美女相手でもさすがに疲れるかな?
石原さとみさんはキンキン声をあげて必死に演じているという感じだ。こっちの方がいっぱいいっぱいなのかなあという印象だ。

仮面舞踏会は1930年代から50年代と思しきダンスパーティだ。アップテンポなジャズに合わせて踊るという設定、これはこれで悪くないけど、出演者のジルバダンスがちょっと下手すぎる。30年代から50年代を舞台にしたアメリカ映画あたりでこういうダンス場面はよく出てくるけど、どれもこれも完ぺきなダンスである。ちょっと興ざめするなあ。踊っている最中に、全員が動きをストップさせて恋に芽生える2人だけにスポットライトを当てる演出はなかなか良かったけどね。
あとはセリフに「下ネタ」が多すぎる印象。チ○ポとか女性のアソコの話をするのはちょっと下品な印象を与える。不良を印象ずける意図なのかな?一言ならともかくちょっとやりすぎ。しかも「このババア」なんてセリフ、上にも言ったように観客の半分が40代以上の女性なんだから、ちょっとやばいんじゃないのという印象を持った。それともおばさんたちみんな気にしないのかなあ?

そして有名なバルコニーのシーンとなる。昔のバルコニーは現代のアパートのそれと同じような幅2Mに満たない程度の大きさだ。でもそれじゃうまくいかないだろう。今回は舞台の上に橋を架けるようにバルコニーをセットしてある。これはうまいと思った。幅があるだけに自由にジュリエットが動き回って観客への演技のインパクトを強くすることができる。現代風に情感をこめるのには成功した気がする。

後半はあっという間に薬を飲むシーンになる。
情感こめてやっているように見えるけど、心に何もしみてこない。演劇はよくわからないので偉そうなことは言えないが、そのまま普通に終わってしまった印象だ。
うーんこんなもんかな。


ジュリエットに仕えた乳母をキムラ緑子さんが演じていた。これはうまい気がした。舞台を全力で走りまわりながら演じていた。先日見たばかりの「わが母の記」で樹木希林を面倒見る主人公の妹役をやっていた。先日の感想で何も言わなかったが、絶妙なうまさを披露していた。もともと顔立ちが昭和30年代の匂いが強い女性だ。着物姿がぴったりだった。
あとはロレンス神父の橋本さとしさんもまともに見えた。声がいい。

佐藤健君のファンにとっては良かったんじゃなかろうか?塀をよじ登るところなんてかっこいいよ。
ただ普段映画を見慣れているせいか、映像美に惹かれることが多い。そういった部分では演劇はやっぱりちょっと自分のテイストとは違う感じだと感じた。でも今度佐藤君映画主演するそうだから見てみよう。
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