映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「マネーショート」 

2016-03-06 20:51:17 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「マネーショート」を映画館で見てきました。


原作マイケル・ルイスの「世紀の空売り」は以前読んだことがあり、ものすごく面白かったので今回早速見に行きました。サブプライムローンの破綻をきっかけにアメリカ経済の混乱が始まり、リーマンブラザース証券の倒産にいたる世界大不況はまだ記憶に新しい。ほとんどの投資家がやられる中で、逆に破綻に賭けて大もうけをした投資家がいた。「世紀の空売り」で語られるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を購入して対抗する男たちの話は実に痛快だった。

映画では4人の男を中心に展開する。結果はもともとわかっているわけで、どういう過程を歩んで語るのか気になっていた。映画としては想像していたよりも普通かな?といった感じであるが、以前本を読んだときの臨場感を思い出していた。主演クラスの4人はいずれも悪くはないけど、それぞれが独立して話が展開するので演技合戦が見られるわけではない。

2005年、へヴィメタルをこよなく愛する金融トレーダーのマイケル(クリスチャン・ベール)は、格付の高い不動産抵当証券の事例を何千も調べていくなかで、返済の見込みの少ない住宅ローンを含む金融商品(サブプライム・ローン)が数年以内に債務不履行に陥る可能性があることに気付く。

しかし、その予測はウォール街の銀行家や政府の金融監督機関からまったく相手にされなかった。そんななか、マイケルは“クレジット・デフォルト・スワップ”という金融取引に目をつけ、ウォール街を出し抜こうと画策する。

同じころ、マイケルの戦略を察知したウォール街の銀行家ジャレット(ライアン・ゴズリング)は、信用力の低い低所得者に頭金なしで住宅ローンを組ませている大手銀行に不信感を募らせるヘッジファンド・マネージャーのマーク(スティーブ・カレル)を説得し、“クレジット・デフォルト・スワップ”に大金を投じるよう勧める。

また、今は一線を退いた伝説の銀行家であるベン(ブラット・ピット)は、この住宅バブルを好機と捉えウォール街で地位を築こうと野心に燃える投資家の二人から相談を持ち掛けられる。ベンは自分のコネクションを使って、彼らのウォール街への挑戦を後押しすることを決意する。


三年後、住宅ローンの破綻をきっかけに市場崩壊の兆候が表れ、マイケル、マーク、ジャレット、ベンは、ついに大勝負に出る……。 (作品情報より引用)

1.サブプライムローン
映画の中で貸し出し側のいい加減さが浮き彫りになるシーンがある。審査らしいものはしていない。年収が低くても信用度が低くても貸してしまう。毎月の返済額もかってに設定できてしまう。昭和から平成のはじめにかけての日本と同様に、不動産の値上がり神話がアメリカでも残っていた。中古で転売してしまえば、利益が残るという構図にアメリカの金融機関も緩やかであった。


そんないい加減な住宅ローンを入り混ぜた債権を債券にして機関投資家に売る。住宅ローンというのは、土地建物を担保に入れてお金を借りることである。するとお金を貸している債権者には毎月の返済と金利が入ってくる。しかも、ハチャメチャな債券を格上のAAAにしてしまうのだ。これは格付け会社もいい加減だ。

ここまで格上ならばということで、日本の農業系機関投資家もたっぷり買い込んでいたのは「世紀の空売り」に書いてある。おかしいと誰もが思っていても購入するから債券価格は上昇していた。しかも、予想したとおりに市場が動かず、破綻までやきもきしたのはこの映画に出てくる投資家たちだ。

2.クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)
CDSは債券のデフォルトをヘッジするための金融商品だ。サブプライムの破綻を予測してその債券がもしダメになった時には損失した額が入ってくるCDSを今回の登場人物は購入したのだ。しかし、CDSを買った人は、最初に決められたお金をこの保険料としてCDSを売った人に払い続ける。住宅ローン債券の中身がいい加減なことに気づいて、CDSを買いはじめたけれど、なかなか破綻しない。そうすると、まるで追証のお金を支払うがごとく、保険料を支払わねばならないのだ。へたをすると、今回の登場人物も保険料支払えず資金繰りショートとなり、住宅ローンの債券がデフォルトするまえに破産してもおかしくなかったわけだ。
そのあたりが今回の映画の焦点だ。最後には逆転するわけど、途中は悲惨になる可能性があったのだ。


この映画って金融商品のからくりを知らない人にとってはあまり面白い映画じゃなかったじゃないのかな?でも、たとえ話をいくつも織り交ぜてわかりやすくしようと試みたり、あえて画面に向かって登場人物が話しかけたりする工夫はされていたような気がする。それなんでアカデミー賞の脚色賞も受賞したのかな?

(参考作品)
世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち
最高におもしろいノンフィクション
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映画「オンリーゴッド」 ライアンゴズリング

2014-05-19 20:45:27 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「オンリーゴッド」はライアンゴズリング主演のサスペンススリラー映画だ。

ニコラス・ウィンディング・レフン監督映画「ドライヴ」でライアンが演じたドライバーはなんともカッコよく鮮烈な印象を残した。その名コンビが再度組む。タイのバンコクが舞台で、夜の映像がメインのエキゾティックな雰囲気の映画である。

アメリカを離れタイに移り住んだジュリアン(ライアン・ゴズリング)は、バンコクでボクシング・クラブを経営しているが、実は裏で麻薬の密売に関わっていた。そんなある日、兄のビリーが、少女の娼婦を暴行しようとして殺してしまう。その報復で娼婦の父親に惨殺される。

巨大な犯罪組織を取り仕切る母のクリスタル(クリスティン・スコット・トーマス)は、溺愛する息子ビリーの死を聞きアメリカから駆け付ける。クリスタルは他の部下に命じて父親を殺させるのだが、実は父親の他に元警官(ウィタヤー・パーンシーガーム)がいたことが判明する。

クリスタルは元警官だという謎の男チャンの抹殺も部下に命じるが。。。

映画を見始めて最初は何が何だかよくわからない。
説明が少ないので、意味がわからないままに話が進んでいる。そこにクリスティンスコットトーマスがアバズレ女の形相で登場する。なるほど母親による息子殺人の報復だな?でもそんなに単純ではない。
夜のムードを見ていくうちに、次第に奇妙な世界に引き寄せられる。

1.ライアンゴズリング
本当にカッコマンだ。ネオンの色と独特のオリエンタルムードの映像に彼の男前ぶりが映える。
ジャケットを見るだけでは、「ドライヴ」と同じように縦横無尽の活躍をするように思われる。
でも違った。そこが意表をつくところである。

2.美形のタイ女性
ライアンゴズリングには美形のお相手がつく。これが実に色っぽい。見せるところはちっとも見せないけど究極のエロスを感じる。

3.謎の男チャン
このタイ人最初から映っているんだけど、いったい何者という感じだ。無表情で東洋人的不気味さをもつ。でもこの映画の主人公はライアンだろと思って映像を追っていくと、元警官だという謎の男チャン(ウィタヤー・パーンシーガーム)が実質的主人公であることに気づく。ともかく強い。格闘技でいえばヒクソングレイシー的落ち着きを持ちながら、必殺仕置き人的な剣の捌きを見せる。自分に狙いを定めたアメリカ人をめちゃくちゃにするシーンにぞっとしてしまった。思わず目をそむけた。

4.クリスティンスコットトーマス
「イングリッシュ・ペイシェント」のころから彼女との付き合いは長い。つい先ごろも「危険なプロット」を見たばかりであるが、どうも映画とは距離をおくらしい。これにはビックリだ。彼女しかできない役って多いと思うだけに残念。ここでのアバズレ女ぶりもなかなかである。日本映画でマフィアの姉さん役でもやってくれればいいのに。。


究極のカルト映画になる要素を持つ作品である。一見の価値十分あり。

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映画「クロニクル」

2014-01-16 20:46:13 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「クロニクル」は2013年日本公開のアメリカSF映画

どちらかというと見ないタイプの映画である。でもネット上の評判もいいし、会社の後輩がおもしろかったという。ちょっと見てみるかという軽い気持ちで見た。「内気でオタクな少年が突如超能力をもって」という設定は映画史にはゴロゴロ転がっている。途中までのパターンはまさにそれで、決してつまらないわけではない。でもこの映画は素直ではない。超能力をもった少年が暴走してしまうのである。おそらくそれが全米でものすごい興行収入があった理由だろう。

高校生のアンドリュー(デイン・デハーン)は、大酒飲みで暴力的な父親、病気で寝たきりの母親のもと、学校でも一人ぼっちで過ごしていた。アンドリューはそんな生活のすべてを、唯一の話し相手である中古のビデオカメラに語りかけながら記録(クロニクル)していく。

ある日、同じ高校に通ういとこのマット(アレックス・ラッセル)が、アンドリューをパーティーに誘う。社交的なマットはお気に入りの女の子ケイシー(アシュレイ・ヒンショウ)を見つけて話し込むが、ビデオカメラを回していたアンドリューはいじめっ子に因縁をつけられる。
マットとアメフト部のスター選手スティーヴ(マイケル・B・ジョーダン)は、外で泣いていたアンドリューを見かねて、近くの洞窟探検に誘う。そこで3人は、不思議な物体に触れる。

それをきっかけに不思議な能力を身につけたことに気づく。超能力を得た3人は、女の子のスカートをめくったり、駐車している車を移動させたりと、軽いイタズラを楽しんでいた。ある日、後ろからあおってきた車を、アンドリューが超能力で横に向かせると、ガードレールを破り池の中に飛び込んでしまう。マットとスティーヴは運転手を救出するが、こりて人には使わないと超能力を使う際のルールを決める。
3人は学校のタレントショーで超能力を使った手品を披露する。みんなの喝采を受けアンドリューも人気者の仲間入りを果たす。

しかし、人気者になって向こうから近付いてきた女の子とキスをしようとしたが失敗して、学校でからかわれる。家庭の問題も解決しないし、思い通りにいかないのでアンドリューは、暴走した行動を起こすが。。。

親しい友人はいない。みんなから変わり者だと思われている。しかも、いじめっ子に狙われる。つまらない学生生活だ。ビデオカメラで自分の生活のすべてを撮ってしまおうと、絶えずカメラを持ち続けている。でもその撮り方がまわりから嫌われるやり方だ。友達と言うわけではないが、いとこのマットだけは付き合いがある。それだけマシだが、孤独には変わらない。

見ていてかわいそうだな。と思っていたら、すごい超能力をつかむ。
こんな超能力持ったら笑いが止まらないだろうなあ。人気者になるのもワケないでしょう。

でも彼の母親の病気は直せないし、元消防士だったという父親のぐうたらも治らない。しかも、治療薬の代金は高い。日本だったら健康保険さえ入っていたら、こんなことないだろうなあと思うけど、舞台はアメリカだ。

(ネタばれではあるが)
彼はそこでいじめっ子たちからカツアゲする道を選ぶ。うーん??そんなことしなくてもそれだけの超能力があればお金稼ぐ方法何ていくらでもあるでしょ。それにガキどもがそんなに金を持っているはずもない。しかし、それで味をしめると、コンビニにも乱入する。この辺りから暴走が続く。
オレだったら絶対違う動きするなあ?と思ってしまうんだけど、どうなんだろう。同じ立場だったら。。。

全米の映画ファンはこういった展開を支持するのである。確かにいじめっ子をやっつけるのは痛快である。でもなんか違うなあ??妙にこの辺が引っかかってしまった。
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ソウルメン 

2013-10-13 09:24:14 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
 映画「ソウルメン」は2008年のアメリカ映画だ。
2人の元ソウルシンガーが、元相棒の葬儀で歌うためにアメリカ大陸を西から東へ車で縦断するロードムービーだ。
これも想像していたよりも楽しい映画だ。出演者にサミュエル・L・ジャクソンがいるのが気になるのでdvd手に取った。日本未公開だ。
しかし、この映画はとてつもない意義を持つ作品だ。なぜなら、この映画を撮影している途中に出演者のアイザックヘイズと主役のバーニー・マックが亡くなっているのだ。2人の遺作になってしまった。これには驚く。映画を見終わる時までまったく知らなかった。


 1960年代から70年代にかけて人気を博したコーラス・グループ、マーカス・フックス&ザ・リアル・ディール。のちにマーカスは脱退してソロで成功したが、対照的にコーラス・デュオとして再出発したルイスとフロイドはケンカばかりで大成することなく音楽界を去り、離ればなれに。それから約20年後、彼らにマーカス訃報の報せが届き、ニューヨークのアポロシアターで行われるマーカスの追悼コンサートのため、ザ・リアル・ディールの再結成を依頼される。しかし、久々に再会したルイスとフロイドは相変わらずの険悪ムード。5日後のコンサートに向け西海岸から車で移動中もケンカが絶えず、行く先々でトラブルを引き起こす始末。さらには、彼らの過去に深く関わる若い娘クレオもメンバーに加わり、一行はニューヨークへと急ぐのだが…。

まず、2人が所属したマーカス・フックス&ザ・リアル・ディールの歴史をたどる。
モータウンサウンドの男性ヴォーカルグループらしい3人のコーラスグループが映し出される。そのあとは、テレビ「ソウルトレイン」でアフロヘアで踊りまくる3人だ。そしてディスコブームになる。クロスオーバーなのリズミカルなサウンドとソウルミュージックの系譜をたどるような映像が映し出される。
リードヴォーカルがソロデビューした後、残りの2人がコンビを組む。「ツービート」のビートたけしに対するきよし内山田宏とクールファイブの前川清以外といった存在感の人たちがデビューしてもうまく行ったという話はあまりない。同じように2人は転落していく。そして時がたった。そのリードヴォーカルが亡くなり、葬儀の席での追悼コンサートにお呼びがかかる。2人に大金を出すスポンサーもいるらしい。バーニーが誘いをかけるが、サミュエルはもう一度コンビは組みたくないと言い切る。それでも結局は付いていく。
そこからの2人の珍道中である。

このドタバタ劇はロードムービーコメディの定番だ。「ブルースブラザース」を連想させるコメディだ。

主役2人に均等に存在感を持たせようとする。でもコミカルで動きが大きいのはバーニーマックだ。コメデイ映画中心の彼のショーマンシップが光る。似たようなものだが、より強面のサミュエルより柔らかさがある。素人上がりの雰囲気を醸し出しているところがいいのではないか。

アイザックヘイズを初めて聴いたのは70年代初め、自分もまだ少年だ。当時全米ヒットチャートオタクだった自分は、「黒いジャガー」のテーマのテイストに戸惑った。何せ途中までヴォーカルがない。
ソウルフルなインストルメンタル音楽が流れた後、ようやく「シャフト」と主人公の名を呼ぶ声が聞こえる。こんな音楽がなんで全米ヒット№1になるのかがよくわからなかった。
当時は白人と黒人の曲が交互にトップ1になっている。まだ自分自身ソウルミュージックの世界に入っていけなかった。
その彼がこの映画を撮っているときになくなる。この事実は重い。
そういえば、「ブルースブラザース2000」にも出ていたっけ、ブルースブラザースバンドが最後コンテストで争う超豪華メンバーはエリッククラプトン、BBキングなど本当にすごかった。その中でも存在感あったなあ。

それにしても2人とも死んでしまうなんて、なんかたたりでもあったんではと思ってしまう。

(参考作品)
ソウル・メン
あるソウルバンドの盛衰物語


黒いジャガー
アイザックヘイズの全米ヒット1位の主題歌がソウルフル
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映画「シェフ!」 ジャン・レノ&ミカエル・ユーン

2013-08-28 17:54:14 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「シェフ!」は2012年に公開したコメディタッチのフランス映画だ。

dvdジャケットにシェフ姿のジャン・レノミカエル・ユーンが写っている。映画ポスターを見た後時も気になったが、DVDにスルーした。何気なく手にとったが、映画を見てみるとムードがほのぼのして悪くない。映画として傑作というわけではないが、見ているうちに気持ちが安らいでいく映画である。美しい料理を目で楽しむのにもいい。

若き料理人ジャッキー・ボノ(ミカエル・ユーン)は、料理へのこだわりが強すぎて、お店や顧客とトラブルばかり起こしていた。レストランを次々とクビにされる。彼は有名シェフのレシピを数多く記憶するオタク的料理人であった。彼の婚約者ベアトリス(ラファエル・アゴゲ)は妊娠していた。彼女のために稼ぎがないと困るので、老人ホームのペンキ塗りをはじめる。それでも料理のことしか頭にない彼は、ホームの厨房に口を出し始める。

パリの超高級三ツ星フレンチレストラン「カルゴ・ラガルド」は、ベテランシェフであるアレクサンドル・ラガルド(ジャン・レノ)がいることで有名だ。テレビの人気料理番組でも腕をふるう彼は超メジャーだった。しかし、最近マンネリに陥り評判を落としていた。レストランとの契約では、店の「三ツ星」を守ることがシェフ契約の大前提だった。 レストランオーナーからはメニューが時代遅れだと批判され、有能な助手たちも他店に移っていた。そして、オーナーから契約書通りに店の星が減ればクビだと通告されていた。

スランプ気味のアレクサンドルは前オーナーに会いに老人ホームを訪れた。そこで一緒に一皿のスープを飲むと、アレクサンドルが以前つくったスープのレシピを再現したものと気づく。それはアレクサンドルのレシピを完璧に暗記したジャッキーの手によるものだった。ペンキを塗っていたジャッキーは、料理の腕を見込まれスカウトされ、無給で彼の助手として働くことになる。
しかし、身重の婚約者ベアトリスには無給となる転職の話は言えなかった。

「三ツ星」の調査員は覆面で突如あらわれる。店に来るまでわからない。当日ギャルソンが感づいてわかる。ある調査員が来た時、ジャッキーはアレクサンドルのレシピを勝手にアレンジしてしまう。味付けを少し変えたのだ。それを聞いてアレクサンドルは憤慨するが、結果的にはその方が調査員には受ける。しかし、本審査する調査員はこれからやってくる。しかも審査員の好みは「分子料理」だという。今のままではまずいと、メニュー作りのため2人は他店への偵察を始める。ジャッキーが声を掛けた老人ホームのシェフたちもチームに加わり、新しいメニューの開発に取り掛かり始める。

そんな中、ジャッキーが再び厨房で働いていることを知ったベアトリスが、彼のウソに激怒し実家に帰る。とりなしてもうまくいかない。相棒のピンチに上司のアレクサンドルが仲裁にのりだすが。。

貧乏料理人ジャッキーは、自分の流儀に合わないと気が済まない職人肌だ。
顧客がオーダーした食事に合わせるワインが違うと、厨房から座席までやってきて違うワインを勧める。今飲んでいるワインを変えないなら、別の料理を持ってくると言い張る。当然クビだ。彼がつくるレシピでは食材にコストがかかってしまって店の利益率が落ちる。その店もクビだ。そんなことを続けてもまったく懲りない。
そんなジャッキーなのに奥さんが超べっぴんなのは何か不自然な気もするが、それは仕方ないだろう。

本屋で万引きしたアレクサンドルのレシピ本を細やかにジャッキーはマル暗記している。当然暗記するだけでなく、自分で料理を作っているのであろう。離婚経験者のアレクサンドルをつかまえて、離婚前の方がおいしいものを作っていたなんて平気でいう。このキャラクターも凄い。

融通が利かない男なのに、食材がまったくないという最後の修羅場では機転を利かす。ある意味スーパーマンだ。
有名シェフのレシピを完全にマスターことだけでも、かなりの実力がつくんだなあということを感じさせる。現実にはそんな簡単なものではないだろうとは思うが、本当に映画のように身につけているなら、それなりの料理人になれるかもしれない。
その昔、有名な料理家の辻静雄さんが「料理学校で1年に1500種類の料理を教えるが、そのうちの1%つまり15品を自分のものにできれば、一生食っていける。」と語るのを読んだことがある。この言葉って印象的だった。
料理だけでなくどんな仕事だって同じようなことが言えるだろう。何か一つを極めるということって大切なんだなって。



映画に出てくるフレンチはどれもこれもおいしそう。
勉強不足のせいか「分子料理」って知らなかった。なんか化学の実験風景みたいなところで、料理しているような感じだ。おいしいんだろうなあ?調べて一度賞味したい。
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映画「縞模様のパジャマの少年」

2013-02-11 20:44:41 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「縞模様のパジャマの少年」は第二次大戦中のドイツ軍将校の8歳の息子と同じ年のユダヤ人の少年との友情を描いたドラマだ。

ユダヤ人強制収容所を監督する将校の息子が、有刺鉄線の先にいる収容所内の少年と仲良くなるという設定だ。こんなことありえるのかな?と思いながら、映像を追った。縞模様のパジャマとは、収容所内でユダヤ人たちが着る囚人服のことだ。
無邪気な少年2人は好演だけど、ドイツ軍将校が英語をしゃべるというのはちょっと違和感がある。
そののち「ヒューゴの不思議な発明」で主演を務めるエイサ・バターフィールドの出世作だ。

第二次大戦下のドイツ。
ナチス将校である主人公の父が昇進すると同時に、家族4人はベルリンを離れ郊外へむかった。引越した先は人里離れた大きな屋敷である。その屋敷には軍の関係者が大勢出入りをしており、多くのメイドがいる中にはユダヤ人の使用人もいた。

8歳のブルーノは、縞模様のパジャマを着ている人たちが窓から遠くに見える農場で働いているのに気づいた。昼間に何でパジャマを着るのか不思議に思っていた。裏庭へ出るのを禁じられ、遊び相手もなく退屈していた。学校もないので家庭教師のおじさんがきて姉とともに教えてくれた。そこではドイツ民族の優位性とユダヤ差別も語られていた。
探検好きの少年は裏庭を探索していくと“農場”にたどり着いた。そこは向こう側と有刺鉄線で遮られていた。鉄線の向こうにはパジャマ姿の同い年の少年シュム-ルがいた。話を聞くと自分と同じ8歳だ。引越してから友人のいない主人公はうれしくなった。しかし、彼はお腹がすいているようだ。パンをこっそり家から持ってきて、彼に食べさせた。おいしそうに食べるシュムールを見て何度も寄るようになる。

ある日、主人公がダイニングに行くとシュムールがいるではないか。どうしたのかと聞くと、軍の人間からグラスを磨くように指示されきたのであった。いつものようにお腹をすかしているシュムールに主人公が食べ物を与えていたら、軍人が突然入ってきた。

ユダヤ人の分際でこの家の食べ物に手を出すとは何事かと烈火のごとく怒られた。その時軍人から「何でか」と聞かれ、シュムールは黙っていた。軍人にこの子を知っているかと聞かれ、横にいた主人公は怖くなって「この子のことは知らない」と思わず言ってしまった。少年は連れだされた。

その後主人公は有刺鉄線の前に何度もいったけど、彼は来なかった。どうしたのかと心配していた。しばらくたった後、シュム-ルがいた。シュム-ルの顔はひどく痛めつけられた跡があったが。。。

(加害者の立場から描いた作品)
ホロコーストのことを描いている映画はいくつかある。それぞれが収容所内で被害者が残虐行為を受けることだけが語られるのに対して、最後に近づくまで収容所の外で動いている話だ。被害者でなく加害者の視点から見た映画と言ってもいい。主人公の父母は絵にかいたような模範的なドイツ人夫婦である。母親も収容所で何が行われているのかを具体的には知らない。夫も良いパパを演じている。それが収容所の中ではむごいことをする。恐ろしい話だ。

(ホロコーストの「責任の分散」)
経営学の本で読んだ話だけど、ナチスのホロコーストに関しては、誰かが責任者だったらとてもうまくいかなかった。いわゆる「責任の分散」が最もうまくいった例として取り上げられていたのだ。何百万人というユダヤ人を殺したあの仕組みは、誰かが責任者だったというわけでなく「名簿をつくるだけ」「部屋に連れて行っただけ」「ボタンを押しただけ」のように担当を分散し、誰もが「自分の責任じゃない」状態をつくりだしたから、あれほどの大虐殺ができたと言われている。
あまりに凄い話で驚いたものだ。

この映画は当然フィクションなんだけど、この主人公の父親は実際どうなんだろうか?



(映画に対する疑問)
主人公は8歳である。少しだけ疑問なのは、子供は無邪気と言っても、ここまでまわりで起こることに対して無知かな?ということ。それと、ユダヤ人の子供も一度裏切られた少年ともう一度会おうとするのかな?ということ。有刺鉄線の境のところに監視の人がいないのかな?こんなに容易に話ができるはずはないと思うんだけどなあ。この映画ちょっと不自然に思うことは多かった。

そんなこと思っていて、アレどうなっちゃうんだろうなあ?と思いつつ進んでいく方向は。。。。
少しだけビックリだ。

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映画「コネクション マフィアたちの法廷」 シドニー・ルメット

2012-10-08 20:07:17 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「コネクション」は巨匠シドニー・ルメット監督による法廷物だ。

2006年に製作されていたが、日本では監督の死後に初めて公開された。監督のこのあとの作品「その土曜日7時58分」が緊迫感のある傑作だった。これもかなりいける。主演男優をはじめなじみの少ない俳優が中心で、当初日本未公開と判断されたと思うが、むちゃくちゃ面白い。映画のレベルはかなり高い。
植木等を思わせる主役ヴィン・ディーゼルの緩急自在の演技には拍手をおくりたい。お見事!

アメリカ政府は全米最大のマフィア・ファミリーを一掃しようと連邦当局の捜査の後、ルッケーゼ・ファミリーのメンバー20人を76もの容疑で裁判にかけた。、1987~88年の21ヶ月に渡って行われたルッケーゼ裁判は、アメリカ史上最長の刑事裁判となった。被告人20人、弁護人20人、控えに8人の陪審員を置くことや5日に及ぶ長い最終答弁など、裁判における歴史的な記録を生み出した。そのアメリカ犯罪史に残るマフィア裁判を映画化した。本作の法廷シーンの大半は、実際の証言を忠実に再現している。監督は「12人の怒れる男」「評決」の2大法廷物の傑作を生んだ名匠で2011年4月に逝去したシドニー・ルメットだ。

ニュージャージーで悪名高いルッケーゼ・ファミリーの一員であった主人公ジャコモ・“ジャッキー・ディー”・ディノーシオ (ヴィン・ディーゼル)を映す。
いきなりジャッキーが保護観察期間中に従弟に撃たれるシーンを映し出す。不死身の主人公は死なない。しかもマフィア仲間への厚情で彼をかばう。検察当局は全米最大のマフィア・ファミリーを一掃しようと摘発した。ルッケーゼ・ファミリーのメンバー20人を裁判にかけた。その時、主人公も麻薬取引の現場を押さえられ30年の刑を受けた。

連邦検察官のショーンから、刑期を短くする見返りに仲間を裏切る証言をするよう司法取引を持ちかけられる。しかし、主人公は仲間への裏切り行為を拒否する。

それぞれの被告が凄腕の弁護人を雇うのに対して、主人公は弁護人を付けないという驚くべき行動に出る。主人公は法廷でやり手の検察官の質問に対して、様々な駆け引きをしていくのであるが。。。。

最初にいきなり主人公が打たれるシーンであるが、どう見てもそれで死んでしまいそうなシーンなのに生き延びる。しかも、警察に訴えるようなことをしない。マフィアファミリーの結束の強さを示しているようだ。

その後法廷に立ってからの主人公の振る舞いにはずっとうなり続けた。弁護人はいらない。できたら弁護人を付けるべきとの周囲に対して悠然とふるまう。どんな証人が出てきても、たたき上げの自分の論理で相手を圧倒する。そして陪審員や一時は反感をもたれた仲間の被告人をも自分の味方にしていく。
この映画を見て、植木等の映画を連想した。主人公は明るく脳天気で後ろ向きの気持ちが一切ない。しかも、仲間は絶対に裏切らない。余分なことは言わない。彼はズブの素人であることを自認したうえ、時には法廷を笑いの渦に巻き込んだり、どぎつく証人を威嚇する。学歴はないが、世間の荒波の中で自分の大学を出て学んだ悪知恵がずっしり詰まっている。裁判官、検察官に対して緩急自在に反射神経よろしくふるまう。

シドニールメットはこの主人公を実にうまく描いたものだ。さすが!それにこたえたヴィン・ディーゼルはうまいとしか言いようにない。相当なワルである。しかも映画の中でもかなり勇み足をしている。そういう部分もうまく演じる。大したものだ。

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映画「テトロ」 フランシスコッポラ

2012-07-02 18:58:36 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「テトロ」はブエノスアイレスを舞台に、「ゴッドファーザー」の巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督が年の離れた兄弟の葛藤を描いた物語だ。

モノクロの画面を生かした映像作りは緻密ですばらしい。さすがコッポラというべき映像コンテが最後まで続く。アルゼンチン風の音楽もすばらしく。最後はブラームスの交響曲で締めくくる。
ブラームスの交響曲第1番を最後のヤマで効果的に使用。荘厳で不安を掻き立てられるような旋律が映像にマッチする。

それだけ言うと完璧な映画に聞こえそうだが、ストーリーがいまひとつ面白くない。
次にどうなる?という楽しみで映画に集中するという展開ではない。
ただ娯楽として楽しめなかったが、完璧な構図の映画だった。

アルゼンチンで暮らす兄テトロ(ヴィンセント・ギャロ)に会うため、異母弟のベニー(オールデン・エーレンライク)がブエノスアイレスに降り立つ。テトロは妻ミランダ(マリベル・ベルドゥ)と住んでいた。しかし、名前を「テトロ」と変えた兄はそっけない態度をとるだけだった。高名な指揮者(クラウス・マリア・ブランダウアー)を父に持つ兄弟だが、兄はある衝撃的な事件から生まれ育ったニューヨークの家を飛び出した。本来の名前を捨て「テトロ」と名乗った。そんな兄とは別に義姉は優しくしてくれた。

ある日、ベニーは兄が密かに執筆していた自伝を盗み見てしまい、それをきっかけに兄弟の仲は決裂。さらにベニー自身の出生にかかわる家族の秘密が明らかになっていくが。。。。

現在がモノクロ、過去の回想がカラーというように分ける。チャンイーモア監督「初恋のきた街」を思い起こさせる。パートカラーで演じられる過去回想の画面構成がすごい。
先日見た「愛の残像」でもモノクロ画面の利点が浮き彫りになったすごい映像だったが、さすがにコッポラのこの映画のほうがすごい。
不安定な心理を強調する音楽に合わせて、暴力描写などが強烈なシーンが作られる。

ひときわすごいと思うシーンが3つあった。
1つ目はテトロと妻とのベッドシーンだ。このシーンでのモノクロの光と影のコントラストでうまく表現した2人のシルエットは美しかった。別に美男美女というわけではない。その二人が光と影の中で、静かに戯れる。しなやかだ。露骨に性行為を示すわけでない。「男と女」を連想した。こんな美しいベッドシーンは歴史的?ともいえる気がする。


2つ目は飼い犬の子犬を弟が追いかけて行くシーンだ。子犬が車道に出てしまい、危ないと思った弟がそのまま車道に入り込む。車がそこを避けるが、別の車が逆方向から来て弟が交通事故にあってしまうシーンだ。これにはドキッとした。CGは使っていないと思う。このシーンをまともに撮れるの?危ないなあ。あまりにリアルなので配役さん大丈夫なのかと心配してしまう。
3つ目はテトロが弟の友人たちとドライブに出るシーンだ。そこで写す南米の景色の映像コンテがすばらしい。雪山に向かいながら、その山をモノクロカラーで美しく映し出す。ぞくっとする。モノクロの極地だと思う。そのあとで弟が女性2人と戯れるシーンも悪くない。



あとは脇役としてテトロの妻と同じアパートに住むホセという男の存在がアルゼンチンの匂いを強く出す。
ともに個性あふれる面々で、特にホセの夫婦喧嘩のシーンは笑える。

完璧に盛り付けされた味もいい料理なのに、何か楽しめないという気持ちなのかな。。。
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路上のソリスト  ジェイミーフォックス

2012-03-01 06:02:21 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「路上のソリスト」は路上生活をしているチェリストと記者のふれあいを描く映画だ。
ロスに9万人いるという路上生活者と精神が不安定な人たちに焦点をあてて社会の底辺に暮らす人たちの実態を描く。


ロサンゼルズ・タイムズの記者ロペス(ロバート・ダウニーJr.)はある日、べートーヴェンの銅像のある公園で2本しか弦のないヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエル・エアーズ(ジェイミー・フォックス)に出会う。
早口で自分のことをしゃべるナサニエルはジェリアード音楽院にいたと言う。驚いた。権威ある名門音楽学校の卒業生が、いったいどうして路上に暮らしているのかと。ナサニエルは確かにジュリアード音楽院に在籍していた。卒業ではなく退学だ。彼の演奏する音楽の美しい響きにひかれコラムのネタに取材をはじめる。

ロペスの手掛けるコラムは人気があった。彼が教えてくれた電話番号を頼りに、姉と元音楽教師に話を聞いた。姉は行方知れずの弟を心配しながら、少年時代のナサニエルはチェロを弾いていたと語る。音楽教師は「すごい才能だった」と証言した。弦2本で世界を奏でるヴァイオリン弾きに夢と希望を尋ねた。あと2本弦がほしいと彼はこたえた。ナサニエルについて書いたコラムは、さまざまな反響を呼んだ。
感動した読者の一人の老人がもはや使っていない自分のチェロを送ってきた。ロペスはナサニエルにチェロを届けた。巧みにチェロを奏でるナサニエルであった。そしてチェロは路上生活者の支援センターに預けて、そこで演奏するという条件をロペスは告げる。高価な楽器は狙われるからだ。
ナサニエルが音楽院を去り、路上で暮らすようになった理由をロペスはさぐろうとするのであるが。。。

話に大きな起伏はない。それなのでおもしろくないとする人も多いだろう。
でもいくつか気になるところがある。

まずは撮影の巧みさである。実に見事なカメラワークだ。ロス全体を俯瞰するように映したと思ったら、対象物に接近させたり、アップの映像にチェンジさせたり緩急自在の映像作りが見事だ。

そのカメラが映すロスのスラム街の光景が異様だ。
チェロを預ける支援センターはロスのスラム街の中にある。そこには路上生活者がたくさんいる。同時に精神が弱っている人たちも多い。日本でいえば、大阪西成のドヤ街を連想させる映像だ。黒澤明監督「天国と地獄」の犯人を追いつめて警察たちが追った横浜の貧民窟の映像にも通じるところがある。いずれにせよ、ロスを舞台にした映画では出てこない光景である。

支援センターには統合失調症の人たちがたくさんいる。この映画のソリストも幻聴や被害妄想に悩まされている。こういう人たちがなかなか社会性を持てないということもこの映画で描きたかったのかもしれない。
映画のセリフで、支援センターの人が「ここにいる人は友人を持つと、脳に化学反応が起きて、社会性を持つようになる。」といって社会への適応性について語っている。いろいろ考えさせる部分だ。

主人公の記者がつとめる新聞社にもリストラの嵐が吹き荒れている。ロスで新聞を読む20代以下の人が40%しかいないなんてセリフまで出てくる。そうなんだろうなあ。個人的には紙媒体の重要性を感じているけどね。言いたいことが盛りだくさんという脚本だった。
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夢駆ける馬ドリーマー

2012-03-01 00:45:46 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「夢駆ける馬ドリーマー」は2006年日本公開の作品
足を骨折して馬主に見捨てられた馬と調教師とその娘との触れ合いのドラマである。
単純な筋立てが意外にしっくりくる。躍動感のあるレースシーンのカメラワークとケンタッキーの田舎の田園風景を見ているだけですがすがしい感じにしてくれる映画だ。


ケンタッキー州レキシントン。主人公ベン(カート・ラッセル)は、牧場を細々と営んでいる。娘ケール(ダコタ・ファニング)の楽しみは、ベンについて馬の調教を見に行くことだ。しかし、ベンと祖父ポップ(クリスクリストファーソン)は牧場経営で対立していた。
彼が担当している馬の一頭がソーニャドール。走る姿を見て、娘は一目でその牝馬を気に入ってしまった。しかしレース当日、主人公はソーニャの足の異変に気づいた。オーナーに出走をやめるよう進言するが却下され、そのままレースに出走した。レース途中で足を骨折して騎手は落馬した。オーナーからは安楽死を命じられるが、主人公はギャラと引き換えにソーニャを引き取ることにするのだった。

牧場での療養でソーニャドールの骨折は徐々に良くなってきた。主人公はソーニャドールをメスの種馬として育てようとプランを立てるが、獣医から妊娠できないと聞き落胆する。家計は火の車であった。
そんなある時、娘がソーニャドールに乗ったとたん、ものすごいスピードで馬は牧場から逃げ出した。主人公はソーニャドールが素晴らしい走りをしていることに気づくが。。。。

同じようなタイプの作品に「シービスケット」がある。これも後味がいい映画だった。
今回もレースの場面での躍動感ある撮影が非常にうまい気がした。普通競馬中継だと、遠くからの映像しか見れない。これはこれで仕方ないが、騎手が騎乗している近くから映す映像は臨場感がある。


印象に残ったシーンとしては、娘がソーニャドールに乗っている時に馬が走りだして、主人公である父親が車に乗って懸命に追いかけていくシーンだ。あせった父親が追いかけていくのであるが、なかなかつかまらない。足を骨折してから、うまく走れなかったのに自分の予想を超えて本能のように走り回る馬がいじらしく思えた。長いシーンではないが印象に残った。

昔ギャロップダイナという馬がいた。クラッシック三冠を制した名馬シンボリルドルフに秋の天皇賞に先着して優勝した馬である。そのレースではギャロップは人気薄だった。

自分が印象に残るのは、その少し前にカラ馬になった後一着で駆け抜けてしまったレースである。ゲートをでたあとすぐに騎手が落馬してしまった。当然そのままレースが進むわけであるが、ギャロップダイナはなんと途中から騎手がいないままぐんぐん追いぬき、一番最初にゴール盤を駆け抜けた。落馬した時点で競走中止であるから、一番最初に駆け抜けても着はない。笑い話として話題になった。
でもこの話をスポーツニュースでみて、笑うと同時に凄いなあと思った。競馬ファンじゃないのにギャロップを少し追いかけてみた。その次のレースで一着をとって、勢いで出走した天皇賞では人気はなかったが、後方から怒涛の差し脚を見せてシンボリルドルフに先着した。単勝配当は81倍、まさにこの映画とにたような話だ。本能のままにカラ馬で一着でゴール盤を駆け抜けた時、馬に人知を超えたものすごいパワーが加わっていたのだと思う。

この映画で見せるソーニャドールにもそんなパワーが備わったような気がする。そもそも骨折になれば、安楽死するのが馬の運命である。それがそうならないで復活した時の凄さってなんか実人生でも同じような話があるような気がした。
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ラストキングオブスコットランド フォレスト・ウィテカー

2011-12-04 17:55:24 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「ラストキング・オブ・スコットランド」は2006年の作品。フォレスト・ウィテカーがオスカー主演男優賞を受賞した。アミン大統領によるウガンダの恐怖政治を描く。しかし、起承転結の転の部分までは暗いムードではない。むしろお気楽なアフリカ音楽をバックにユーモアあふれた明るいムードが漂う。テンポもよく傑作だと思う。


舞台は1970年代、主人公ギャリガン医師ことジェームズ・マカヴォイはスコットランドの医学校を卒業したばかりだ。高い志を持って、アフリカ中部ウガンダにある診療所で働くことにした。当時は、診療所で近代医療に診てもらうよりも祈祷師に見てもらうことの方が多い。遅れていた。もう一人の英国人医師とその妻だけが診療所にいた。ウガンダではアミンことフォレスト・ウィテカーが政権を握っていた。
ある日ギャリガン医師が車を走らせていると、大統領車が牛にぶつかり事故にあったところに出くわす。アミン大統領は指を痛めていたようだ。骨折ではないかと痛みを訴えるアミンに対しこれは軽い捻挫だという。横で苦しむ牛を見てとっさにギャリガン医師は射殺する。アミンはギャリガン医師の手際良いふるまいを気にいった。
翌日、ギャリガン医師は、アミンから直々に「主治医になってくれ」と頼まれる。それを引き受けたギャリガン医師は、アミンと親密になっていく。そんなある日、ギャリガン医師がアミンと車に同乗している時に、反対勢力の襲撃にあった。前方にいた護衛の車がぐちゃぐちゃにされたが、ギャリガン医師とアミンは危うく逃げた。スケジュールは内部以外知らないはずと「裏切り者がいる」と激怒するアミン。疑心暗鬼にかられた彼は、粛正の動きを加速させるが。。。。。


ウガンダでロケされている。いかにもアフリカらしい光景だ。映像の色合いは明るい。黄色のトーンが画面を覆うので陽気な印象を感じさせる。同じ黒人でも欧米にいる人たちと、アフリカにいる人たちでは色の黒さも人相も違う。人相を見ると相当な数の現地エキストラがいたようだ。その彼らがいるウガンダを描くにあたって、バックの音楽がいい。あえてそうしたと思うが、アフリカ調音楽の基調も明るい。その中でのフォレスト・ウィテカーとジェームズ・マカヴォイの関係の描き方も途中までは映像の基調通り暗くない。そこからの転落は。。。。

フォレスト・ウィテカーは独裁者の一面だけでなく、明るく親しみやすい本質をもっていたアミンをうまく演じた。ふるまいにユーモアが感じられ、恐怖政治をおこなう一面は最後まであらわにしない。


ギャリガン医師ことジェームズ・マカヴォイもいい。その後アンジェリーナジョリーの「ウォンテッド」や「つぐない」でもいい味を出すが、この役はハマり役の気がする。スコットランドの普通のお坊ちゃんがウガンダに行き、たまたまの縁で主治医になる。架空の人物だというが、この人間の一人称で語られる。彼の目を通じてアミン大統領の実像をあぶりだすのに成功している。ストーリーの作り方がうまい。

いい映画だと思う。

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アウェイク

2011-10-26 07:01:34 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「アウェイク」は若きリッチマンが全身麻酔による手術を受けるときに陰謀に巻き込まれるサスペンスだ。若手ハンサム俳優ヘイデン・クリステンセンにジェシカ・アルバが絡む。脇を固めるのは黒人人気俳優のテレンスハワードと蜘蛛女の怪演で知られるレナオリンだ。


ニューヨークに住む 主人公である若き経営者ことヘイデン・クリステンセンは父親から莫大な遺産を継いでいた。彼は心臓に難病を抱えていた。彼は秘書ことジェシカ・アルバと交際をしていた。身分違いの恋であったのでそれを母親ことレナ・オリンには言い出せないでいた。ジェシカからは結婚を懇願されるという板挟みの状態だった。その上、心臓疾患はすぐにも移植手術が必要であった。
主人公は釣り友達の心臓専門医ことテレンス・ハワードを信頼していた。恋の悩みも打ち明けていた。主人公は背中を押され、母の反対を押し切り、二人だけで結婚式を挙げる。奇しくもその夜、ドナーが見つかったとテレンスから連絡が入る。主人公がジェシカに付き添われ病院へ行くと、母が心臓医療の権威を連れていた。医療ミス疑惑でいくつかの訴訟を抱えているテレンスに、一人息子の手術を任せられないと母は訴える。息子はテレンスの腕に委ねると言い張る。手術が始まる。全身麻酔が施され、感覚は鈍っていく。なぜか意識だけは覚めたままだったが。。。。


全身麻酔の手術をした時、麻酔と同時に夢の中に入っていく夢をみるような気分になった気がする。現実から離れるので、記憶は一切消えるし、痛みもない。
今回の主人公は意識が残っていた。手術をする医師が何を言っているのかわかるのである。そこで陰謀が語られている。驚く主人公だ。でも今一歩だなあ。見せ場もなく残念
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アクロス・ザ・ユニバース

2011-08-21 17:58:09 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
ご存じビートルズの名曲「アクロスザユニバース」が映画の題名になっている。なんとなくDVDを手にとっても後回しにいつもしてしまった映画だった。ウディアレン監督の人生万歳を見てエヴァンレイチェルウッド嬢のみずみずしい若々しさが気になり一度は見てみようと思った作品だった。

見て強く後悔した。何でもっと早く見なかったのであろうか?と。妙な偏見があったのは残念だった。
前面に流れるビートルズの曲が実に効果的に使われている。60年代の若者の偶像を見事に描いている。満足であった。

1960年代のイギリス・リバプール、造船所で働くジュードことジム・スタージェスは母親と2人で暮らしている。米兵だったというまだ見ぬ父に会うためアメリカへと渡る。しかし、東海岸のプリンストン大学で管理人として働く父親は存在すら知らなかった息子の訪問に戸惑うばかり。すっかり失望したジュードだったが、ひょんなことからプリンストン大学の学生であるマックスと知りあう。そして、マックスの家に行き、彼の妹ルーシーことエヴァンレイチェルウッドと出会い、かわいい彼女に惹かれる。ジュードはマックスと共にニューヨークへと向かい、歌手のセディが住むグリニッジ・ビレッジのアパートに転がり込み、様々な若者たちとの刺激的な共同生活をスタートさせるが。。。。


ビートルズの音楽が絶えず流れ続けて、ミュージカルの色彩だ。印象としてはカトリーヌドヌーブの「シェルブールの雨傘」を連想した。曲の選択がそれぞれの場面にぴったりきている。ビートルズが生まれたころの60年代が舞台でベトナム戦争への出征や反体制派の活動なども映画の題材になる。基本はラブストーリーだ。こうやって日本訳をマジマジと見ると、彼らの歌にいかにラブソングが多かったのだと思う。印象的だったのは「オールマイラビング」「イットウォンビーロング」「ガール」など。オリジナルをうまく編曲している。若い出演者にそのまま歌わせるのがいい。
毛沢東をおちょくったような「レヴォリューション」の歌詞がおもしろかった。文化大革命で暴れまわる紅衛兵や毛主席自身を批判するその内容である。当時まだ文化大革命の意義の評価が固まっていないころで、ジョンの歌詞が一歩先を行っている感じだ。

もう一度見てみたいと思わせる作品だ。
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ミックマック  ジャン=ピエール・ジュネ

2011-08-07 22:29:41 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「ミックマック」は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督によるブラックユーモア復讐劇である。
鉄くず屋の一角に集う一芸に秀でた個性的な面々が、軍需産業で巨万の富を築いた死の商人たちを相手にユニークな作戦を展開してゆく。「アメリ」のスタッフによる同様の色彩設計と映画の展開は見ていて楽しい。


レンタルビデオ店で働く主人公ことダニー・ブーンは、発砲事件に巻き込まれ、頭にピストルの弾を受けてしまう。運よく生き延びたものの、頭には弾が残ったままだ。しかし、入院中に仕事も家も失ってしまう。外で寝泊りをしながらパントマイムで生計を立てていた。
そんな主人公を見かけたガラクタ修理屋は、彼を鉄くずの片隅に陣取る仲間の所へ連れて行く。そこには個性豊かな人々が住んでいた。タコのような「軟体女」、計算の天才「計算機」、人間バズーカでギネスブック記録を持つ「人間大砲」、元民俗学者の「言語オタク」、ガラクタから何でも作る「発明家」など凄い面々だ。主人公はガラクタ集めの途中、兵器会社の横を通りかかる。そこは、頭に残った銃弾を造っている会社であった。さらにその向かいには、30年前に砂漠で父の命を奪った地雷を造った会社があった。この2つの武器製造会社に対して、主人公は仲間たちと共に復讐を始めるが。。。



映画「アメリ」は大好きである。初めて見た時、その美術の巧みさと色彩設計にアッと驚いた。現代フランス映画のレベルが依然高いことにほっとした。主人公アメリにブラックユーモアの心を持たせながらパリの街を縦横無尽に走りまわらせる。映画の展開の仕方も抜群だ。この映画でも美術、衣装、編集、脚本が一緒のスタッフである。「アメリ」がもつ良さをここでも発揮する。
小道具がいい。新旧の道具を自在に使う。主人公が乗る三輪自動車をみて懐かしくなった。

今回ジャン=ピエール・ジュネ監督は「ミックマック」で一人の妄想癖のあるオヤジを主人公とする。
それだけでなく一芸にたけた変わり者をたくさん登場させる。そしてコメディ的要素を強くさせる。根底に武器で利益を得ている実業家への強い反発があり、反戦映画的要素も持つ。女の子が主人公なので「アメリ」の妄想のほうが優しいだけ見やすいかもしれない。でもその反戦的要素を難しくは表現しない。「アメリ」同様に基調にナレーションがありわかりやすく笑いにつなげる。「ブルースブラザース」の匂いも感じさせる楽しさだ。
アメリの二番煎じにしない努力は感じるが、ジャン=ピエール・ジュネ監督には同じタッチでこれからも色彩豊かなブラックコメディを作ってもらいたいものだ。
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こわれゆく世界の中で  ジュード・ロウ

2011-07-28 05:51:05 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「こわれてゆく世界の中」はロンドンを舞台にしたシリアスドラマ、監督は「イングリッシュ・ペイシェント」のアンソニー・ミンゲラだ。ジュードロウが主演で脇をベテラン美人女優の2人ロビン・ライト・ペンとジュリエットビノシュが固める。強い見せ場があるわけではないが、移民で人口が今でも増えている英国の特殊事情がよくわかる。



ロンドンの再開発に携わる若き建築家ウイル・フランシスことジュード・ロウは、共同経営者と共に都市開発プロジェクトの責任を担っていた。私生活では映像作家リヴことロビン・ライト・ペンとその娘と暮らしているが、結婚はしていない。娘は自閉症ともいわれ、夜中ずっと起きて奇声をあげたりして苦しんでいた。そのことが2人の関係の進展を阻んでいた。
彼のオフィスに泥棒が入った。窃盗団は東欧移民系グループで実行犯は少年だった。警察が取り調べるが再度泥棒が入る。オフィスはロンドンでも環境のよくないところだった。そのためジュードロウは夜自動車で会社の前で待機して様子を見ることにした。
何日か同じことを繰り返した後、誰かが事務所に侵入するのを見る。主人公は懸命に追う。逃してしまう。しかし、その一人が貧民街のマンションの中の一室に入るのを見る。玄関先で迎えたその少年の母親ことジュリエット・ビノシュには見おぼえがあった。縫製の仕事をしているようだ。ジュードロウは自分の身元を隠して彼女の元へ自分の衣服の手直しを頼みに行く。ボスニアの英雄である夫をなくしたジュリエット・ビノシュは、息子と二人で亡命してきた移民だった。そしてジュードロウとジュリエットの仲はいつしか進展していくのであるが。。。。



さまざまな人間模様を映し出していくが、この映画の主題は移民問題であろう。
日本と違いイギリスは人口が増えている。それも移民による人口増加である。アメリカ映画でもその題材が目立つが、よからぬ人たちも大量に流入している可能性も高く問題もおそらくは大量に発生しているのであろう。今回はボスニアからという設定だが、アルバニアとか東欧系からの移民が問題を起こす映画が多い。ジュリエット・ビノシュがボスニア移民を演じる。こうやって聞くと彼女の英語も多少不自然だ。あえてそうしているのかもしれないが。エスターやマイレージマイライフにも出ていたウクライナ系美人ヴェラ・ファーミガが娼婦の役で出てくる。映画に異種の色彩を与える役柄だ。


社会主義国家という矛盾にみちた経済体制はいつか破綻をきたす。それだけならいいが、めしが食えずに大量に他国に移動する。いずれ北朝鮮も同じようなことが起こるかもしれない。同言語を話す韓国や朝鮮族のいる中国だけでなく、日本にもルートをたどって来るだろう。

アンソニー・ミンゲラ監督はこの映画の2年後2008年に若くしてがんで亡くなってしまった。「イングリッシュ・ペイシェント」は好きなだけに残念だ。しかし、ここでは熟女の域に入ったジュリエット・ビノシュを脱がしている。「イングリッシュ・ペイシェント」ではクリスティントーマスのみ脱がしてジュリエット・ビノシュは傷痍軍人の面倒を見させるだけだった。ある意味ベテラン女優を脱がせるという特異な才能を持った監督だったのになおのこと残念というべきか?
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