映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

夏時間の庭  ジュリエット・ビノシュ

2010-05-30 14:28:46 | 映画(フランス映画 )
パリ郊外の大邸宅で老婦人が亡くなり相続が起きた。その相続人の3人、兄妹弟のふるまいを描く。著名な画家たちの美術品を数多く貯蔵された古い邸宅での3人の姿をじっくり描くフランス映画だ。監督は香港の女優マギーチャンの夫オリビエ・アサヤス、撮影はエリック・ゴーティエで、このブログでも「イントゥザワイルド」「モーターサイクル・ダイアリーズ」の2作の素晴らしい撮影を絶賛した名手である。個人的にジュリエット・ビノシュとの相性がよく観た。地味な作品だが印象に残る。

母親の75歳の誕生日に3人の子供が誕生日祝いに来ている場面からスタートする。パリ郊外にある緑美しい大邸宅である。価値ある美術品がたくさんある家だ。娘のジュリエット・ビノシュは美術学校を卒業した後デザイナーとなり、現在はアメリカに滞在している独身女性、兄シャルル・ベルリングは経済学者となりそのままパリにいる。弟ジェレミー・レニエは経済発展著しい中国に行って、事業をしている。バラバラの家族であるが、母親は長男を呼んで、自分が死ぬときにはおまえが相続をまとめてくれと話をする。



そして母親が死んだ場面に移る。家族の誰もがその家に住むことを望まない。かなりの相続税がかかることがわかり、美術品をオークションにかけたり、オルセー美術館に寄贈することも相談することになる。でもパリに残る長男はさびしそうだ。。。



最後まで大きな起伏はない。相続をめぐって大きな争いが起きるわけではない。
静かにストーリーが流れる。
オルセーにある美術品を実際に使っているとのふれこみであるが、そんなに素晴らしい作品が前面に出ているわけではない。でも映像は非常に上品にまとまっている。
妙に整理整頓が行き届いているわけでなく、どことなく乱雑に小物をちりばめていて、美術担当のセンスのよさを感じる。そこを巧みに名手エリック・ゴーティエが撮影している。取り合わせの良い料理といったところか?

この映画は観る立場によって感じることが異なる気がする。
自分は同じように父母に家のことを託されたことを思い出しつつ、長男としての思いに共感した。品川の家にまだ大量にいろんな雑多なものがある。この映画と違ってオルセーに寄贈するような素晴らしいものは何もない。でも遺品に対する思い入れは強い。
であるから整理されないままになっている。
同じように70くらいの女性が観ると、被相続人である母親に自分の気持ちを照らし合わせるのではなかろうか?老いた母親が3人の子供とのパーティを終え、見送り別れるときのさびしげな後ろ姿が妙に印象に残る。

傑作とは思わない。でも兄弟3人の演技はいずれもよく、脚本もダブりなく表現した簡潔なセリフでいろいろなことを観ている我々に何かを考えさせる作品であった。
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未納が増えると年金が破綻するって誰が言った? 細野真宏

2010-05-30 13:28:05 | 
表題の本を読んだ。
国民年金未加入の人が多い。よって年金はいずれ破綻するという議論は違うよという話。

この本で年金未納の問題はよくわかった。
年金全体における未納者の比率は全体の中で5%程度となれば
たしかに年金が破綻することにはならないであろう。

ただ年金を払わないという人がいること自体は問題だ。
でもこれは自分で自分の首を絞めることですよ。と言い切る。
国民年金で支払額の約1.7倍、厚生年金では支払額の約2.3倍をもらえるのにこれを放棄するというのはもったいないですよ。
払わない人おばかさんですねというような話だ。
なるほど

年金の税方式の件はよくわかった。
半分会社に負担してもらっている厚生年金の金額がそうならないとなると家計への影響は大きい。これはかなりの負担になる。
今でも給与明細をみると、これさえ引かれていなければと思ってしまう。
それが倍になれば大変なことだ。

企業経営者はこの方式を支持するというが、そもそも企業経営者の大多数はサラリーマンである。経営者になれば少し観点が変わるかもしれないが、サラリーマンのときにこの案を支持するとは思えない。
だって毎月の手取りが3万から4万程度厚生年金の支払いのために大幅に減るわけであるから。。。
経営者になったとしても同じように思うでしょう。
これは読んで良かった。やさしく説明されてよくわかった。
これ以上この議論がされないことを希望します。

でも円高によって企業が利益が出なくなる構図の議論は若干違うと思う。

円が強くなったとき、価格が高くなるので日本製品を買わなくなると論じる。
そうだろうか?
もともと設定していた製品価格が突然高くなるはずがない。
仮に1000ユーロだったものは、そのままの価格だと思う。
企業はそんなに簡単には価格転嫁できないはずだ。

むしろ1ユーロ160円だったときに100ユーロ16000円の商品があったとして
円に換算して1万6千円の収入が入るのが、1万1千円の収入しか入らないということだと思う。
なんだかんだ言って経済の本質的なことをすべて理解してはいないと思った。

細野氏と日経の論説委員との年金未納に関する論争はどっちもどっちという感じがする。
それと同時に新聞や活字に縁がないと言い切っている細野氏もどうかと思う。
あまり自慢するような話ではない。日経も稚拙な男と話をしても仕方ないという感じだろう。

でも細野氏は新鮮な目で社会現象をうまくとらえているとは思う。
この本もためにはなった。
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よかった 福島大臣罷免

2010-05-29 21:25:13 | Weblog
沖縄普天間移設問題、5月末の期限間近に至って民主党もようやくまともになった。
選挙に向けて攻勢を強めているといえる。
社民党の福島が一人で暴れていたけれど、国民の合意は得られないであろう。
罷免は当然である。
国民世論の大勢がアメリカとの交渉妥結を目指しているから
これでよかったのではないか?

ところで先日の事業仕分けは痛快であった。
そもそも民主党嫌いの自分から見ても
「宝くじの控除率の高さ」と役員の豪華な事務所と応接部屋
「裁判書類」の法外なコピーの価格
「交通安全協会」の警察権力をバックにした独占権益
を取り上げたのはよかった。

特に「交通安全協会」への強引な勧誘、不必要な交通安全講習
などは天下の日経新聞もどうかと取り上げていた。
警察権力をたてにするから怖い怖い!!
誰も何もいえない。
そんな状態が続くだけによかった。

民主党嫌いの自分だけど、早めに社民党をぶっ潰してここで再攻勢をかけて欲しい
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湖のほとりで

2010-05-28 05:49:13 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
イタリア映画である。殺人事件が起こり、それを追う刑事の話である。
ヨーロッパ映画らしい重苦しいタッチで、イタリアらしい明るさがかなり押さえてある。イタリアでも風景はスイスのような田舎町が舞台である。

主人公の刑事は舞台となる北イタリアの町に異動できた。その町は湖に隣接した静かな田舎町である。その湖のほとりで若い女性の遺体が発見される。犯人探しが始められる。遺体を医師が見ると彼女は処女であった。乱暴された形跡もない。死を自然に受け止めていた形跡がある。そして若い男が容疑者として浮かび上がってくるが。。。。



正直不毛なタッチの映画は苦手である。ミステリーであるが、推理や立ち回りの派手さはない。個々の登場人物の会話を通じての心理描写が中心となる。刑事自体問題を家庭に抱えている。みんな何かとつらい思いをしている。そういう人間模様を描写する。
男性よりも女性に美しい人が多数出てくる。イタリアの女性は美人が多い。

うーん、どうかなあ
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大地の子 山崎豊子

2010-05-25 22:00:51 | 
時間がずいぶんかかったけど、山崎豊子「大地の子」を読み終えた。

主人公は終戦まもなく日本人孤児として路頭に迷った。そこを中国人夫婦に助けられ九死に一生を得た。日本人として差別を受ける中、学校の教員であった養父母に大事に育てられ、大学まで行かせてもらった。そして国家発展の根幹である鉄鋼業に従事することになった。そうしたとき文化大革命がおきる。インテリ層が軒並み更正を言い渡される中、彼も逮捕される。まったくの無実であるが、政治犯として、日本人に生まれてきたことで迫害を受ける。中国人の父親は行方がしれない息子を心配するのであるが。。。。

山崎豊子の小説はダイナミックである。中国を舞台にするとよりスケールが大きくなる。この映画は「不毛地帯」や「沈まぬ太陽」のような具体的個人モデルがあるわけではない。しかし、歴史上の史実は概ねその通りである。
モデルがいないだけ他の作品よりフィクション性が強くなる。そのせいか、作者の山崎豊子は主人公陸一心を次から次へと谷底に突き落とす。意地悪な人が主人公をいじめるテレビドラマのように、ねたみを持たれて主人公がいじめられる。むしろ女性読者がすきそうな陰湿ないじめぶりだ。

文化大革命の悲惨さは現在では中国映画でも観られるようになっている。権力回復のためとはいえ、毛沢東もちょっとやりすぎだ。国家主席劉少奇が廃人になるくらいいじめを喰らって失意のまま亡くなったのは有名な話である。その末端で数多くの知識人が紅衛兵にコテンパンにやられた。その一人として日本人残留孤児の主人公を登場させる。ヤクザのリンチ顔負けのすさまじさだ。

それでも養父を尊敬し敬い、家族を大事にする姿勢は素晴らしかった。
この小説の中で、「もし日本と中国の立場が逆転したとしたら、はたして日本人は中国の子供を助け育てたであろうか?」という話があった。
大多数の日本人は同じような慈悲の心を持っているはずだ。でもあの戦前の流れからするとわからない。逆にそのことで迫害を受けたかもしれない。

当時の中国の元首蒋介石が戦争が終わったときに、日本に対して賠償を要求しなかったことは有名だ。第1次大戦後戦争に負けたドイツが戦争賠償金のためにハイパーインフレになり、その後復讐を始めたことへの懸念があったと思う。この決断によって日本はかなり復興を早めることができたと思う。蒋介石は日本の恩人と言ってもいいかもしれない。
この小説の中で「中国は日本に戦争賠償を求めなかった。」ということが何度も言及される。そのためにもっと無償で日本は経済援助をすべきだと言っている。ある意味その要求は正論かもしれない。でもあまり引きずられるのもどうかと思う。中国の経済発展のためにかなり尽力をはたらいたのであるから、もういいであろう。

そんなこと思った。
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出て行け 福島大臣

2010-05-25 21:05:11 | Weblog
しばらく政治のことは書いていなかった。

鳩山の迷走はあきれてものが言えない。でもようやくここに来て正常な考えを持った。
というよりも、日米間のことはもう少し前からわかっていたとは思う。
人気取りのつもりが、逆に人気を落とすことになった。
遅すぎたなあ!選挙後すぐには出来なかったとは思う。でも年末くらいには方向転換できたでしょう。そうしたらこんなに人気落とさずにすんだのに。。。。

もともと選挙のときから民主党の偽善政治にはあきれていたから、化けの皮がはがれてほら見たことかという心境だ。

それにしても、福島瑞穂の奴をなんで早く追い出さないのか?
亀井の爆弾発言とは訳が違う。
福島瑞穂は人間のクズだ。
「重大な決意」を持っているならなんで政権離脱しないの?
今が心地いいんでしょ。でも鳩山完全に福島におちょくられている。

ともかく鳩山は福島を早く追い出すこと。
追い出さないと日本がぶっつぶれる。
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ピクニック キム・ノヴァク

2010-05-23 13:37:12 | 映画(洋画 69年以前)
アルフレッドヒッチコック監督の作品で「めまい」が再評価されているようだ。1958年の色鮮やかなカラー作品で、美しいサンフランシスコの街を舞台にして一人の美人の人妻を尾行するジェームス・スチュアート主演の作品だ。

この作品で妖艶な演技を見せるのがキムノヴァクだ。思わずドキッとさせられる美しさに圧倒させられる。その彼女が「めまい」の3年前に撮った名作が「ピクニック」である。22歳のキムの清純な美しさが際立ち、ウィリアム・ホールデンがいかにも彼らしいチャランポラン男を演じる。彼にとってはボガード、ヘップバーン共演「麗しのサブリナ」と香港を舞台にした「慕情」の映画史上に残る2大名作の間に作られた絶頂期の作品である。

9月の初旬、貨物列車に乗ってウィリアム・ホールデンがカンザスにやってきた。大学時代の同窓だった金持ちの息子を訪ねてきた。街を歩いていて、無一文の彼は老人の女性が一人住む家で庭掃除をさせてくれと頼む。彼の身なりを見かねた老婆は飯を食べさせてあげる。その隣の家にいるのがキムノヴァクである。母親と妹、居候の独身の女教師の3人と一緒に住む。昔の同級生はどうも彼女に求愛をしているらしい。キムに聞いた昔の同窓の居所を訪ねていき、ウィリアムは歓待された。そして町で恒例の集団ピクニックにキムの家族や同窓生と一緒に参加することになるが。。。

私が思うピクニックという言葉の響きは、家族や仲間と一緒に郊外へ弁当を持って散策にでる響きである。基本的には同じニュアンスであるが、この映画でのピクニックは集団ピクニックと夏祭りを併せ持った町のお祭りである。そのセレモニーの様子をじっくり映画で描いていく。朝鮮戦争以降、ベトナム戦争前の平和だったアメリカの地方都市の祝い事の様子がわかる。貴重な映像だ。

ウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァクが名曲「ムーングロー」で踊るダンスは名シーンである。奇妙に頭に残る。



うまいダンスではない。キムのしぐさには男をメロメロにする強いオーラがある。でもその恋愛に焦点を合わせるだけでない。キムの家族の性格、心理描写に奥深く入る。美人の姉に引け目を感じて勉強に精を出す男っぽい妹役と中年独身の居候女教師のふるまいが映画に味付けする。

よき時代のアメリカの姿をよくあらわした映画らしい映画を観て良かった。
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バッドアス

2010-05-23 07:45:36 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
黒人映画制作者のはしりの誕生をテーマにする。メルヴィン・ヴァン・ピープルズは白人に牛耳られていた映画界に「スウィートスウィートバック」でブラック旋風を巻き込んだ。息子マリオン・ヴァン・ピープルズが監督兼主演で親父のオマージュをおこなう。
70年代のソウルミュージックを彷彿させる音楽をバックに流し続けながら、彼ら黒人製作者の苦労を映し出す。

ハリウッドの映画制作者の主人公メルヴィン・ヴァン・ピープルズは、黒人だけでブラックパワーを示す映画をつくろうとする。すでに「ウォーターメロンマン」をヒットさせていた。
自薦他薦でスタッフは集まるが、制作費がない。スポンサーを頼ってまわるが、断られつづける。
出演俳優も俳優組合から圧力がかかったりうまく行かない。そんな中映画撮影を強行していく



努力して何かを成し遂げるといったムードが強いわけではない。主人公は比較的のんきだ。次から次へとでてくる困難をサッカーのドリブルのように避けるようにして映画をつくる。詐欺師的な要素も持っている。その雰囲気も映画では十分読み取れる。
それまで白人俳優の陰で、黒人俳優は使用人やコメディアン的な役しか与えられてはいなかった。シドニーポワチエはすでに活躍していたが、彼を起用するほどの金もない。そこで当時全盛だったポルノの匂いもむんむんさせながら映画をつくることを思いつくのだ。


最初に時代背景をドキュメンタリータッチで説明してわかりやすい。
このころすでに音楽界ではブラックパワーが爆発していた。モータウン全盛のころである。
ドリームガールズなんて映画はそのころを上手に描いている。
しかし、黒人スタッフのみでの映画制作には程遠かったようだ。
感動する映画ではない。徐々にムードを盛り上げていく。
監督それ自体の若いころが役柄で登場する。なんと12歳で童貞にさよならをするのだ。
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扉をたたく人 リチャード・ジェンキンス

2010-05-20 04:53:23 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
名脇役が年老いて突如として主役を張る映画には傑作が多い。
この映画もその典型である。リチャードジェンキンスといってもぴんとこなくてもこの顔は映画ファンなら見たことあるであろう。初老の融通のきかない大学教授の不思議な出会いを暖かく描いている。

主人公のジェンキンス教授は、コネチカットの大学に勤める62歳である。妻に先立たれたあと気難しくなり、融通のきかない孤独な男だ。大学からニューヨークでの代理講演を頼まれる。いやいやながら引き受けることになる。そこで所有しているニューヨークのアパートに戻った。入ると人の気配がする。風呂をみると、黒人の女性が入っていた。そしてその恋人の男性がいる。他人が自分のアパートにいることに驚くジェンキンスだが、どうやらこの2人も騙されてこのアパートに住むことになったようだ。2人は家を出て行くが、教授は追いかけて住む所のあてのない二人を呼び戻す。そして3人の奇妙な同居生活が始まる。男はシリア出身のアフリカンドラムの演奏家であった。ピアノを学ぼうとして、モノにならなくて音楽への劣等感を持っていた教授は、彼のアフリカンドラムに関心を持つようになるが。。。。


このあと軽い起伏を二度ほど通過する。そして味のある展開に持っていく。主演のジェンキンスはベテランらしく不器用な大学教授の役を見事にこなす。
初老の彼が熟年のはかない恋に落ちていく構図は観ていていい感じである。
デートでブロードウェイにミュージカル「オペラ座の怪人」を観に行くシーンが出てくる。14年前にニューヨークに行ったとき、同じ劇場で「オペラ座の怪人」を観た。それを思い出し、懐かしくなった。


この映画のもう一つのテーマは移民問題である。人口がどんどん減っていく日本と違って、アメリカは300万人ほど毎年人口が増加している。2001年の同時テロ事件以来それまでは緩やかだった中東諸国からの移民に対して、きびしい目が浴びせられているようだ。不法滞在はなおのことだろう。今回もシリア人を登場させるが、イスラム系の人たちに対する当局の目はよりきびしいであろう。あれほどまでの事件が起きたのだから仕方ないと思う。でもある意味社会問題になっているのかもしれない。

この映画で一番好きなシーンは、同居のシリア人がセントラルパークの中で仲間たちと、アフリカンドラムを演奏している中に、主人公の教授が入り込んで一緒に演奏するシーンである。孤独で人との距離を置いて暮らしていた主人公がオープンな気持ちで入り込んでいく。それと同時に奇妙な来訪者であったシリア人との距離をなくしていくシーンだ。気持ちが妙に和んだ。
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闇の子供たち 江口洋介

2010-05-19 20:00:37 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
タイを舞台にした臓器売買や幼児売春のどきついテーマの作品。
経済発展著しいと言われるが、実態はまだ裏社会に操られているタイを描く。



江口洋介は日本の新聞社のタイ支局に務める新聞記者である。日本では一定の年齢にならないと臓器移植が出来ないことにかこつけて、タイで裏臓器売買による移植がおこなわれている事実をつかむ。タイのNGO機関に勤める宮崎あおいとのかかわりの中で、脳死状態での臓器移植ではなく、生きたままでまだ10歳に満たない少年少女の臓器が提供されている事実をつかむ。タイの裏社会では、貧しいなる故売られてきた少年少女たちを幼年趣味のための売春宿にまずぶち込み、エイズになったらごみにして捨ててしまう。そうでないときは、臓器提供にさせられてしまう。。。。。


時おりニュース等で、一定年齢に満たない日本の子供の臓器移植を海外でおこなうという話が流れる。親も必死であろう。その親の気持ちを佐藤浩市が代弁する。でも生きている子供の臓器を提供されるのでもいいんですか?と宮崎あおいが親に訴える。複雑な気分である。昨年臓器移植法案が成立して、これからは日本でも事例が出てくることと思うが、過度にきびしい日本の世論を相手にそうやすやすと臓器移植はなされないであろう。この映画のテーマにあるような海外での臓器移植の話はこれからもある気がする。

幼児の売春とは変態な行為だけど、こういった話は昔からよくきく。
一定を超えた金持ちにこういう趣味があるとも聞く。もっとも有名なのは亡くなったマイケルジャクソンであろう。
でもむごい話だなあ。

観ていて「スラムドックミリオネア」や「シティオブゴッド」を思い出した。似たような世界である。いい映画というよりも、今もこういう話がまだ世界の片隅でおこなわれていると教えてくれるノンフィクションタッチの恐ろしい題材の映画だ。
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鴨川ホルモー  栗山千秋

2010-05-18 05:46:56 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
鴨川ホルモーは万城目学によるベストセラーの映画化である。
本は読んでいない状態で観た。これはファンタジーなのか?
ふつうの青春物にとどまらない奇妙な映画である。
栗山千秋が美貌を隠して、メガネの京大生を演じる。しかも理学部生である。
不自然だけれどこれはこれでいいのかもしれない。イモ女ぶりを演じている。時折みせるキルビルの時のような表情はなかなかいい。



憧れの京大に入った主人公は得体の知れないサークルの勧誘を受けて、友人と二人で新歓コンパに参加する。
わけもわからず大騒ぎ、何のサークルかわからないし、どうしようかと思っていたら美女がいた。
その彼女が入部するという話を聞いて、入部を決断した。入部すると新刊コンパのメンバーはみな来ていた。中にはどんくさい理学部生栗山千秋もいた。
途中まで普通のサークルと思っていたら、突如としてお祭で驚きの洗礼を受ける。
ここは伝統的な鬼言葉を操るホルモーというゲームのサークルなのだ。

映画自体はわけもわからないまま展開していく。京都の街を舞台にしているので、数々の観光名所といわれるところが次々とでてくる。でもそれを美しいコンテで映し出すといったタイプの映画ではない。鬼語といわれる奇妙な言葉を発しながらの対決がテーマだ。
あとは美女栗山千秋の変身ぶりを見せるのがポイントであろう。今の日本を代表する美女だと思う。キルビルに続いて、海外から今後オファーが来るのは間違いない。彼女の切れ長の目には飛びぬけて幻惑させられる。
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ロルナの祈り  ジャン=ピエールetリュック・ダルデンヌ

2010-05-16 19:53:39 | 映画(フランス映画 )
カンヌ映画祭の常連ジャン=ピエールetリュック・ダルデンヌ兄弟監督の映画
「ロルナの祈り」はヨーロッパ映画独特の不毛のにおいがする。テーマはどす黒い。国籍売買、偽装結婚など隣国中国ではあるが、日本ではないような話を題材とする。共産主義崩壊によって東欧、西欧の双方への人口流入があることで裏取引が蔓延しているどきつい話が基本となる。

アルバニアからベルギーに来ている主人公ロルナことアルタ・ロブロシは、ブローカーの手によってヘロイン中毒の男と偽装結婚してベルギー国籍を得る。男はうだつの上がらない男で、常に身体の不自由を訴え、わがままし放題。それでも彼女への情が移り、更正をしようとする気持ちは持っている。しかし、彼女は彼と離婚して、ベルギーの国籍を売ってロシアの男のもとへ行こうと試みる。ちょっとした狂言ばりに暴力ざたを夫が犯したと台本を考えて、男にもそれに協力するように話をするが。。。。



ショートカットの女性主人公をカメラがひたすら追う。手持ちカメラで臨場感を出し、社会の底辺の人間の卑しい行為を舐めるようなカメラワークで追いかけていく。それにしても下劣である。でも途中から違った心が彼女に生じてくる。あっと驚くラブシーンもある。本気度が強いと思わせるハードさである。明白ではないが、その転換が映画の主題となっていく。

この監督が映画で主人公にする人たちはみな下劣である。今回のユーロ通貨危機で感じることであるが、思っている以上にヨーロッパ諸国がいい加減であることを感じさせる気がする。日本企業は強いユーロを背景に輸出でリーマンショックの前はかなり儲けてきた。それが1ユーロ170円近かったのが今は114円台だ。為替市場からの不信任は彼らの低俗さから来ているというのを、ヨーロッパ系底辺の人物像を描いた映画を観てなおのこと感じる。
ちょっと言い過ぎかもしれないが。。。
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歩いても歩いても  阿部寛

2010-05-16 07:57:26 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
なんか奇妙な題名である。映画を観てしばらくして、家族の団欒時にいしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」のレコードをかける画面がある。その中で有名なサビ「歩いても~歩いても~」と歌詞が流れてくる。
どうもそのメロディが題名の基本になっているのかな?と思った。
祖父が亡くなったとき、はじめて身内を亡くした内孫の自分はとてもショックだった。そのとき流行っていたのがこの曲である。子供ながらこの歌が妙にしみた。そんな思い出もある。

「歩いても歩いても」はある家族の帰郷の一日を描いた作品である。
大きな起伏がなく、内容が家族の会話に集約される。
でも全てのセリフが味わい深い作品だ。


阿部寛と夏川結衣夫妻には子供が一人いるが、現在失業中。彼が夏に実家に泊まりに戻る。
実家は開業医であったが、年老いた医師の父原田芳雄は、妻樹木希林と二人で暮らしている。
本当は息子に後を継いでもらいたかったが、15年前に長男は他界、次男阿部寛にはその気はなかった。今でもそのことで父と息子にわだかまりがある。妻は漂々と余生を楽しんでいる。
そんな帰郷の日を描いていく。

最後に語られる話を言っても、映画の性質上問題ないであろう。
息子夫婦が帰郷したあと、数年たって原田芳雄が亡くなり、妻が後を追うことになっている。その墓参りのシーンである意味を持たせて映画が終わる。
自分も父母は一昨年亡くなって、同じようなパターンになった。
そんな話を聞きながら、自分に照らし合わせた。
この映画はストーリーを楽しむというよりも、この帰郷の話を自分に照らし合わせてみて
何かを振り返るといった感じである。

父子の異様な確執
母が息子にこっそり語る嫁の話、母のぴんとはずれたような会話
妻と夫が次の帰郷について語る話など
同じようなことってあったっけ

原田芳雄も阿部寛そして樹木希林もうまいなあ。
派手さのない映画だけど、妙にひきつけられる。
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花まんま  朱川湊人

2010-05-16 07:51:50 | 
通勤途中に、朱川湊人の短編集「花まんま」を読んだ。
特に題名の「花まんま」の愛情あふれる文面に思わず涙してしまった。
心が洗われて、妹への愛情という言葉が気になり、品川の家に一人住む妹のところへ寄った。

花まんま
妹をもつ兄の語りではじまる。妹は生まれたときから変わった子であった。父を亡くした
兄妹は母と一緒につつましく暮らしていた。時々妹は行方不明になったりして家族を心配させた。
そのとき行方の手がかりを得るため、妹の日記帳を兄は見た。そうすると漢字で名前が書いてあった。
小学校の低学年では書けないような字の名前だ。誰なんだろうと兄は思ったが、それは彼女の前世の名前であることがわかった。。。。。

凍蝶
差別を受けて子供のころいつも一人ぼっちだった少年が、やすらぎを求めて遊び相手を探しに自分の住むエリアから離れたところを放浪していた。そこで繰り返し会うようになる18歳の女性がいた。彼女は病気の弟のためにウェイトレスとして働いていると言っている。ある冬の日、二人が会話している時白い蝶が飛んできた。春よりも早く飛びはじめているなあというが、彼女によれば春からずっと生きてきて飛んでいるのだという。。。。

送りん婆
主人公が大阪の古いアパートに住んでいたときの50年ほど前の回想である。アパートに酒乱のおじさんがいた。
おじさんはがんに侵されていた。そのとき、おばさんが呼ばれた。耳元でおばさんが一言話すと、苦しんでいた顔つきが一転柔和な表情となり、そして少しして亡くなっていった。このおばさんは死ぬ寸前の病人のところへ行き、同じように言葉をささやくのであが。。。。

大阪で暮らすということと差別の話はきっても切れない話である。
朝鮮人の差別問題と同時に、はっきり何の差別とは言わないが、いわゆる「差別」の話も出てくる。
それを書くことでいかにも大阪らしい話となる。

それにしてもなんと愛情に満ち溢れている話であろう。
電車の中で本を読みながら、家族のことをおもった。
妻と娘だけでなく、亡くなった父と母そして妹のことを思った。
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シャッターアイランド  レオナルド・ディカプリオ

2010-05-14 05:52:15 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
シャッターアイランドはマーチンスコセッシ監督の新作である。劇場で鑑賞した。
監督とレオナルド・ディカプリオとのコンビも定着してきた。三船と黒澤のコンビのように指名がかかる。
彼の強いオーラにスコセッシも魅せられるのであろう。
精神障害のある犯罪者を収容する島をディカプリオ扮する保安官が訪問する話である。

1954年連邦警察の保安官であるレオナルドディカプリオは連れの保安官とともに
精神障害のある犯罪者を収容する島を訪れる。一人の女性が脱走したというのだ。収容所にはベン・キングスレー所長をはじめとしたメンバーがいた。
収容されている患者たちと面談しながら、収容所の中を探検する。程度の重い患者が収容されている棟や絶壁を通り抜けたところにある謎の灯台を目指していくのであるが。。。。。



マーチンスコセッシ監督の映画であるから、当然映画館で観る画像の迫力は違う。
ホラー映画の匂いやヒッチコック映画の匂いも感じさせながら話を展開させていく。
ドキッとして思わずのけぞってしまうような場面も多々ある。
それなりにたのしまさせていただいたが、宣伝の題目は若干違うかな?といった印象だ。
最後まで観おわったあとはラッセルクロウの「ビューティフルマインド」を思い起こさせた。

ディカプリオは観るたびごとに、うまいなあと感じる。
演出もいいのであろうが、けっこうきわどい場面も多い。絶壁のシーンはスタントにかわっているとは思えずすごいなあと感心する。
ベンキングスレーも安定している。まさに適役だ。
ガンジーやシンドラーのリストでの演技がすばらしかった。この間のペネロペ・クルスとの絡みもいいが、こういうシリアスな映画の方があう。


個人的な趣味ではスコセッシ監督前作「ディパーテッド」のスピード感を持った展開の方が好きかな?
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