映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

デッドゾーン  クリストファー・ウォーケン

2011-11-30 22:21:26 | 映画(洋画 89年以前)
映画「デッドゾーン」は83年のスティーブンキングの小説のサスペンス映画だ。
ディアハンターで狂気に迫る兵士を演じた直後のクリストファーウォーケンの主演だ。若干古さを感じるが、恐怖感を掻き立てるのがうまい展開だ。デヴィッド・クローネンバーグ監督はその後カルトファンが好むキャリアを積んでいくが、そのラインをつくったのがこの映画だ。


高校教師の主人公ことクリストファー・ウォーケンは同僚の女性とデートから帰宅する途中交通事故にあった。5年後に画面が移る。主人公が診療所のベッドで目を覚ました。深い昏睡状態だったのだ。「彼女は他の人と結婚したよ」という母の言葉に絶望する。

ある朝、主人公が看護婦の腕をつかんだ。主人公の脳裏に異様な映像が映ってきた。部屋の片隅で火に包まれて少女が泣き叫んでいる光景である。「家が火事だ。今すぐ帰れ」という彼の言葉に看護婦が家へ駆けつけると、消火活動に入っている消防士に助けられ泣きじゃくる娘の姿があった。
主人公はこん睡状態の後で超能力を得た。自分が手を触れた人物の近未来に起こることが見えてしまうのである。主人公は実業家の息子の家庭教師を依頼された。息子の手を握った時、アイスホッケーのユニフォームを着たまま池のなかに沈む教え子の姿を見たのである。依頼主である父親がアイスホッケーの試合を企画していることを知る。強引に止める主人公にたいして、父親は憤慨して無理やり試合に行かせようとする。結局主人公になつく息子が行くのをやめる。その翌日、新聞で2人の少年が池で溺死したことがわかり呆然とする依頼主であった。
このようなことが続き、主人公の超能力は明らかになった。周辺の人物がその能力を利用しようとするのであるが。。。。


オカルトのようでオカルトと感じさせない。何でだろう。このくらいの超能力を持った人間が実在しそうな気がするかもしれない。そう感じるからか。こうやってこの映画を見ると、その後影響を受けた映画が多いというのがわかる。同じように近未来を予測する能力をもつ人間を描いたトムクルーズの「マイノリティリポート」や最近では霊能力者を描いたイーストウッド監督の「ヒアアフター」など。元ネタの一つとしてこの映画があったと思う。逆にヒッチコック映画からハラハラドキドキ感のスタイルを継承している。



クリストファーウォーケン「ディアハンター」でオスカー助演男優賞を受賞した。彼が演じた兵士はベトナム戦線で前線からはぐれて、アウトローの世界に入る役だ。ロシアンルーレットのシーンはどうしても目を閉じざるを得ない。その時に見せる狂気の表情が凄い。その杵柄で今も映画界の最前線で活躍している。この映画での彼は「ディアハンター」で見せた表情に近い表情を見せる。怖い。


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あしたのジョー  

2011-11-27 21:10:16 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
映画「あしたのジョー」は日本漫画界史上の頂点に君臨する名作の映画化である。
主演2人の役づくりが素晴らしい。その精悍な肉体と訓練されたボクシングスタイルに感動した。
ノーガード戦法、クロスカウンターパンチなど少年の時に胸焦がれたジョーの話はなつかしい。実写で見ると、漫画とは違うときめきを感じる。有名すぎるくらい有名なストーリーを脚本家、監督がうまく料理できていると思う。


ストーリーは言うまでもない。
下町のドヤ街の飲み屋で、ボクシングジムの主である丹下段平こと香川照之はやくざ数名にからまれていた。そこを通りかかったジョーこと山下智久がチンピラを素早いさばきで打ちのめす。驚いたのは丹下だ。自分のボクシングジムで鍛えれば、モノになると口説くが相手にされない。でもコテンパンに打ちのめしてジョーは警察に引っ張られる。その後つながりを持つことになる財閥の令嬢白木葉子こと香理奈がその様子を見ていた。
単なるけんかだったが、ジョーには数多くの前科があった。一年の服役を命じられる。
刑務所に入ったジョーにはつわものたちがちょっかいを出していく。そしてコテンパンに打ちのめした。独房に入ったり出たりを繰り返した。そんなジョーの元にボクシングジムの丹下からはがきが届く。そこにはボクシングの心得が書いてあった。いつものように暴れまわっていたときにある男に強いパンチを受ける。他の相手とは違うつわものだ。力石徹こと伊勢谷友介である。訳あって刑務所に入ることになった彼はプロボクサーだ。かなわない。その時、丹下からもらったはがきの言うとおりの動きをする。そうすると力石に数発ヒットする。驚く力石、でもレベルが違う。ジョーはノックアウトされたが、力石も一目置くようになる。
暴れん坊となっていたジョーにボクシングをやらせてみたらどうかと財閥の令嬢白木葉子がやってくる。叩きのめされた力石への復讐を誓うジョーは闘志を燃やしボクシングの練習に励むようになるが。。。


クリントイーストウッドは言う。配役にはその人間にもっともよく似た人間を選ぶべきだと。今回はベストの配役だと思う。そして2人はそれにこたえていると思う。特に力石徹を演じた伊勢谷友介はまさに力石そのものである。究極なまでに身体を鍛えている役作りには敬服するしかない。「ザ・ファイター」を見て役作りに驚いたが、この映画も役作りの面だけをとれば上を行く気がする。

「あしたのジョー」が少年マガジンでスタートした時のことは、つい昨日のように覚えている。ちばてつやは「ハリスの旋風」を連載していたと思う。実はこの漫画が大好きだった。テレビのアニメも好きだった。「ジョー」がはじまったとき本当に暗かった。明るい「ハリス」からの転換にがっかりした。そしてアウトローな世界が続いた。他のスポーツ根性ものに比べ、底辺を這いつくばるような世界が子供の自分には合わなかった。同じマガジン連載の「巨人の星」と比べ慣れるのに随分と時間がかかった。


設定は30年代から40年代といったところであろう。セット作りに時間をかけた印象もある。でもこの時代をカラーで表現しようとすると非常に難しい気がする。他の作品に比べ、時代考証に気を配っている印象があるが、原作が時代並行ですすんだ「巨人の星」と異なり、はっきりとした設定の時期はない。原作が43年にスタートしているだけに、40年代前半と考えるべきであろう。でもその割にはセットに30年代的設定も多いのかな?という気がする。でもそんなことは鍛え抜かれた2人の肉体の前にはどうでもいいことだと感じさせてしまう。この映画の凄さに圧倒されるのだ。

最近「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という凄い本が出た。素晴らしい本だと思う。この本についてはあとでゆっくり書きたい。でも力道山木村2人の対決を忘れたころに再度クローズアップさせたのは「あしたのジョー」の原作者梶原一騎(高森朝雄)である。梶原一騎は「巨人の星」「タイガーマスク」がそうであったように実在人物と仮想の人物をクロスさせている。それはそれでおもしろいのであるが、「あしたのジョー」はまったく独立している。そしてストーリー作りがもっとも面白いものとなっている。あえて言いたい。日本漫画史上最高のストーリーであると。。。。。
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たった一人のあなたのために  レネー・ゼルウィガー

2011-11-27 06:02:10 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「たった一人のあなたのために」は50年代のアメリカを横断するロードムービーである。ミュージシャンの夫の浮気現場を目撃したために家を出た母親と二人の息子をコミカルに描いた。俳優のジョージ・ハミルトンの少年時代の母親との関係をベースに制作された。二人の息子を連れて家を出る母親にはレネー・ゼルウィガー、女好きのジャズマン亭主にはケヴィン・ベーコンだ。


1953年のニューヨーク、旅行に出かけていた主人公ことレネー・ゼルウィガーが早く帰宅すると、夫でジャズマンことケヴィン・ベーコンと若い娘の浮気現場に遭遇してしまった。レネーは、即座に夫に別れを告げて息子2人を連れて旅に出る。南部のお嬢様育ちで若いころはもてはやされたレネーは、いろんな男に出会う。どの恋愛も最初はいい感じでスタートするが、うまくいかない。すでに中年の域に入っている彼女には金目当てで近づいてくる男もいる。そうしていきながらアメリカ大陸を次から次へと移っていく。次の男を前の亭主のあてつけとばかり探してもそうはうまくいかない。。。。一方息子たちは母親に振りまわされて大変だが、次第に自分たちの道を見つけようと悪戦苦闘しはじめるが。。。


50年代ゴールデンエイジといわれたアメリカが舞台だ。色彩設計もよくいい時代のアメリカを見せる。ストーリーはドタバタ喜劇といってもいいだろう。ロードムービーとして次から次へといろんな人たちとの出会いを見せる。なけなしのお金を盗まれたり、結婚詐欺にあったり災難つづきだ。姉を頼ってもじゃじゃ馬の妹に嫌気がさしている。結局浮気症の亭主の方がずっとましと思うような気分となる。いいたいこといろいろあるんだろうなあと思いながら普通の時間を過ごした。

(参考作品)
たった一人のあなたのために
レネー・ゼルウィガーのロードムービー
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コットンクラブ  フランシスコッポラ

2011-11-24 21:39:36 | 映画(洋画 89年以前)
フランシスコッポラ監督による84年の作品だ。若き日のリチャードギアとダイアンレインのコンビで高級社交クラブ「コットンクラブ」で展開される人間模様である。「ゴッドファーザー」の流れを汲むむごい殺し合い映像もある。80年代のコッポラ監督は映画興行の不振でなんども破産に陥っている。この映画も製作費の半分程度しか回収できていない。当時としてはすごい予算をかけて、全盛時代の「コットンクラブ」を再現している。くり広げられるダンス、ミュージックのレベルは高い。


1920年代後半のニューヨークが舞台だ。まだ世界恐慌前だ。ハーレムにある「コットンクラブ」は、従業員とダンサーは黒人だが、客は正装した白人に限られる高級ナイトクラブだ。クラブのオーナーは、暗黒街の黒幕でマフィアを牛耳っていた。ボスであるダッチは、ハーレムで襲撃を受け、奏者兼ピアニストのディキシーことリチャード・ギアに命を救われた。歌手のベラことダイアン・レインは親分の愛人になる。リチャードは虎視眈々と上昇の機会をねらう。
若手の黒人タップダンサーであるサンドマンことグレゴリー・ハインズは、兄とのコンビでコットンクラブのオーディションを受ける。サンドマンは兄との対立や、混血の歌手ライラとの恋に悩みつつ、コットンクラブでの人気を確実なものとして行く。リチャードギアはコットンクラブのオーナーの口利きで、ハリウッドのギャング映画に出演しスターになる。その弟のヴィンセントことニコラス・ケイジは、暗黒街での成り上がりを目指すが。。。。


正直そんなに好きになれなかった。時折ゴッドファーザーを思わせる殺しのシーンがある。でもテンポがあわない。ストーリー的にはどうってことない。ここで凄みを見せるのはダンスショーのシーンである。あでやかであると同時にリハーサルを相当積んだと思われる踊りの完璧さに驚く。若き日のダイアン・レインが美しく、ハインズのタップが素晴らしい。このタップダンスを見るだけで価値がある。同じコッポラの「ゴッドファーザー」とは指向が違う。ショーのシーンに大きくウェイトを置く。まあしゃれたカフェでBGMのように見る映画かな?
若き日の髪がふさふさのニコラスケイジや黒人俳優ローレンスフィッシュボーンまでが出てくる。27年前の二人はまだ青かった。
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飛騨を旅する2

2011-11-20 19:21:10 | 散歩
2日目は飛騨古川という街へ行く。
何年か前に連続テレビ小説の舞台になったというが全く記憶にない。
小さな蔵の街だ。錦鯉が悠々と泳ぐ。


酒蔵を裏から見る。ファサードがきれい。


世界遺産白川郷へ向かう。
その前にそばやで腹ごしらえをする。これが抜群に良かった。
色づく紅葉の中にたつ美しい建物

近くの神社のお神酒だというどぶろくを飲む。白酒、若干酸味がつよい。
川魚は焼き具合がよい。

おすすめのおろしそば
こしが強い。おいしい!!
食べた後そば湯がでて、残りつゆと一緒に飲む。

世界遺産白川郷には観光客がいっぱい
すごい数である。

中を見学した家

中でおばあさんが建物のことを説明してくれた。
言葉づかいは悪いが、自信たっぷりに耐震性を説明する。
凄味を感じた。

説明をしていたら、あるおばさんがこんなに素晴らしいのに若者がいなくなってさみしいよね。
そう言われたらすかさず説明しているおばさんはこう切り返した。
「白川郷からは若者はいなくならない。ちゃんと仕事もある。藁ぶきも継承されていく。」

飛騨では貧しさよりも豊かさを感じた。

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飛騨を旅する1

2011-11-20 18:45:18 | 散歩
生まれて初めて飛騨に行ってきました。
関連会社の人たちといった。
名古屋まで新幹線で行き、そこからサロンバスの旅だった。
岐阜県だけどどちらかというと北陸の方が近い。
高山の街並みは賑やかだが、裏道に入ると割と静かでいい感じだった。
我々の近くに川越の蔵の街があるが、こっちの方が断然いい。


吉島家という昔造り酒屋だった素封家の自宅を見学した。
この和風建築が抜群に良かった。

和室の造作が絶妙だ。

オーソドックスな書院床



2階のななめ天井のラインの美しさはなんとも言えない素晴らしさだ。
ぞくぞくした。


建具も格子使いが現代では無理な巧みの技である。
広縁が狭いのが印象的だ。



中庭も色づく



厨房のあたりは現代風に改装


バックミュージックでジョンルイスのピアノを奏でていた。
これがいい。和風の音楽でなくピアノの音が不思議なくらい室内にいい取り合わせであった。
すばらしい時間だった。

色づく街を歩いた。わざとはぐれて一人で歩いた。
どこへ行っても観光客で埋め尽くされているわけではない。
一人の時間が至福だった。

泊ったホテルは割と大きなホテルの新館。

意外にたくさんの宿泊客がいた。食事は別に大したことはない。普通
お風呂はいい。肌につるつるとした感覚が残るのがいい。


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マネーボール1  ブラッドピット

2011-11-17 21:40:52 | 映画(自分好みベスト100)
映画「マネーボール」を劇場で見た。
映画は娯楽という原点に返って実におもしろかった。

野球映画の主人公はプレイヤーであるのがほとんどだ。監督が少し混じっているくらいであろう。「マネーボール」の主人公ビリー・ビーンことブラッド・ピットは、オークランド・アスレティックスのGMだ。普通なら憎まれ役にされそうなところだが、今回は映画の主役だ。ビーンは野球選手として挫折を体験している。スカウトを経て若くしてGMとなった。アスレチックスが2002年にア・リーグの連勝記録を達成できたのは、彼の力が大きい。


いきなり2001年のプレーオフでアスレチックスとヤンキースが戦う場面が出てくる。実際のシーンである。スター選手を集め実力ナンバーワンのヤンキースに肉薄するが敗れる。GMであるビリー・ビーンことブラッド・ピットは、ラジオを片手に聞いていた。彼にはジンクスがあり、球場では観戦しないのである。
シーズンオフになり、猛打を振るったジオンビをはじめとした主力3人が他球団へ移る。主砲ジオンビに至ってはヤンキースだ。その穴埋めをしなければならない。しかし、球団オーナーの気前はよくない。札束を重ねて他球団のスター選手を獲得する財政状況ではない。GMであるブラットはスカウトを集めて候補をあげてもらうがピンとこない。しかも、彼らの発言は長年の経験だけで感覚的に選手の名前を列挙する。
そんな中ブラットはインディアンスにトレード交渉に向かう。そこで一人の若者を発見する。ブラットがインディアンスフロントに選手を要求すると、ひそひそ声でその選手のことをフロントに注進する男だ。ブラットは彼が気になり交渉の後声をかけた。彼の名前はピーター・ブランドことジョナ・ヒルだ。野球経験のない小さい小太りの若者だが、イェール大学経済学部出の秀才だ。野球データがびっちり頭に詰め込まれている。自分の補佐にピーターを誘った。


ピーターが重視するのは出塁率である。選球眼が良い、数多く塁に出る男を評価する。強打者ジオンビをはじめとした3人の出塁率の平均0.36から、同じレベルで前の球団で干されている3人の男を選んだ。当然干されているのには理由がある。捕手なのに肩が壊れている。元スター選手だが今は衰えているなどスカウトたちは選手名を聞いて強く反発するが、ブラットGMは押し切ってしまう。従来のデータ分析では過小評価を余儀なくされる野手や投手たちを選んでいく。しかし、シーズンに入り結果がすぐ出るわけではなかったが。。。。

自分が小学校6年のとき、卒業したら何になりたいという文集で、スポーツのアナウンサーになりたいと書いた。小学生のときは、スポーツの記録オタクだった。特に野球、相撲、プロレス雑誌を毎月買い続けて、そこに書いてあることや記録表を暗記するのが趣味だった。何に役立つわけではない。単なる自己満足だ。そういう自分からすると、この映画ほどわくわくさせられる映画はない。

日本でいえば、野村克也のデータ野球が連想される。野村克也は最後の4割打者テッドウィリアムズの著書に強い影響を受けている。これもすごい本だ。相手のくせ、弱点を調べてという場面もこの映画でも出てくる。似ていると思われる場面もある。しかし、この映画の主題材は野村やテッドウィリアムズと若干違う。ビジネス的な要素がそこに強く入っているからだ。いかに安くいい選手をそろえるかという観点で、データが選択される。これがまたおもしろい。


ブラッドピット演ずるはぐれ者GMはなかなかいい味を出している。いつものブラッドピットのふるまいと大して変わらないが、元妻に逃げられた3枚目半の性格を演じる。ここではやはり野球データオタクのジョナヒルの存在がいい。アメリカ映画ってよくこういう天才を登場させる。日本映画でもないわけではないが、アメリカ映画の方がこういう半端ものの天才をうまく描写する。彼の出身大学という設定のイェール大学はアイビーリーグの名門、彼にアイビールックをさせるがぱっとしない。カッコ悪く見せるのがミソだ。ここでも実におもしろく脚本が練られている。最高だ!。。。。続く
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SOMEWHERE ソフィアコッポラ

2011-11-14 21:17:38 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「SOMEWHERE」はソフィアコッポラ監督の4作目で第67回ヴェネチア映画祭を制した。フェラーリを乗り回し酒と女に溺れるハリウッド俳優が、前妻と同居する11歳の娘とすごす時間を描きだす。「ロスト・イン・トランスレーション」でソフィアコッポラが描いたように、映画のストーリーに起伏はない。セリフも少ない。親子のひと時のふれ合いを淡々と映し出す。ロスのロケーションが美しく叙事詩のようにやさしい映像だ。


主人公ことスティーブン・ドーフはハリウッドのスターだ。いきなりフェラーリを乗り回すシーンが出てくる。彼はロスのホテル「シャトーマーモント」に長期滞在している。映画出演の合間に取材に応じたり、自分によってくる周辺の遊び人の女たちと遊んだりして日常を過ごしている。現実と虚実がいり混じっているようだ。ハチャメチャな毎日だ。セリフ少なく日常を映していく。
そこへ前妻の娘ことエル・ファニングがやってくる。娘は11歳だ。訳あってふたりはしばらく一緒に過ごすことになる。でもそれだけだ。2人と取り巻く派手な連中を映し出す。映画に筋立てはないし、大きな事件は起こらない。


ソフィアコッポラ監督は子供のころ父親とハリウッドの伝説のホテル"シャトー・マーモント"にすごしたことがあるという。小さいころの思い出が混じっているようだ。ジャケットのプールサイドの優美な写真が示すように美しい世界だ。「ロストイントランスレーション」でスカーレットヨハンソンとビルマーレーの2人を新宿のホテルにすごさせた。アンバランスな二人が独特の愛情の世界をつくった。その猥雑な新宿の雑踏ではなく、リッチな環境にあるホテルが素敵な雰囲気を醸し出す。
監督の前作「マリ=アントワネット」も自分は好きだ。前作でもロックの使い方がうまかったが、この映画でも印象に残る使い方だ。


娘と一緒にひと時を過ごす快感ってあると思う。第三者の美女と交わる以上の快感だ。個人的にもそういう瞬間が好きだ。遊び人である主人公のまわりは同じような連中だ。それらを娘が独特の醒めた目で見る。その目をオヤジがわかっている。根本のスタイルは変わらない。でも少しは娘の視線を意識する。その微妙なタッチがいい。
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海と毒薬  奥田瑛二

2011-11-13 08:52:26 | 映画(日本 昭和49~63年)
「海と毒薬」は熊井啓監督による86年のキネマ旬報ベスト1となった名作だ。

実際の史実に基づき遠藤周作が小説にした。大学病院で患者が人体実験の材料にされるという話だ。それ自体はよく聞く様な話だが、健康な人間が実験材料にしてしまうとただじゃすまない。あとは「白い巨塔」同様大学医局内の勢力争いと徒弟制度的な上下関係も描いている。原作を熊井啓監督が映画化を表明してからスポンサーがつくまでかなりの時間がかかったといういわくつきの作品だ。

昭和20年5月敗戦寸前の九州のある都市が舞台だ。米軍機による空襲が繰り返されていた。帝大医学部インターン二人奥田瑛二と渡辺謙は医学部の権力闘争の中でさまよっていた。しかも、どうせ死ぬ患者なら実験材料にという教授、助教授の非情な思惑を見せられ続けていた。
当時医学部長の椅子を、奥田たちが所属する第一外科の教授こと田村高広と第二外科の教授こと神山繁が争っていた。教授田村は結核で入院している前医学部長のめいのオペを早めることにした。成功した時の影響力が強いのだ。ところが、田村教授は助教授こと成田三喜男、看護婦長岸田今日子とともに着手したオペに失敗した。手術台に横たわる夫人の遺体を前に茫然とする医局メンバーだ。第一外科のメンバーたちは失敗と見せかけない工作に着手するが。。。。

このあと米軍の捕虜をめぐって人体実験をするシーンが出てくる。全身麻酔をした捕虜の心臓や肺を傷つけて人間の身体がどこまで耐えられるかなんて話はえげつない。そもそもB29が地上の砲撃で墜落するなんてことがあるとは思っていなかった。しかも、米軍機を操縦するメンバーが捕虜になるなんて初めて聞いた。法治国家とは言えない戦前の日本に国際法の概念なんてあるとは思えない。敵の捕虜は徹底的に虐待することしか考えていなかったのではないか。でも映画「戦場にかける橋」では日米の将校同士共感を持つシーンが出てくる。この映画はもはや敗色濃厚となったころの話だ。すべてが狂っていたのであろう。

熊井啓監督のつくる白黒映像は独特のドキュメンタリータッチだ。「謀殺下山事件」の映画も似たようなタッチだった。奥田瑛二は不倫ドラマでちょうど人気が出始めたころである。そこにまだ若手俳優だった渡辺謙がからむ。両者ともまだまだといった演技だ。逆に田村高広や成田三喜男のうまさが冴えるし、岸田今日子はまさに適役だ。

そういう名役者が取り組む手術シーンで実際の手術場面を映す。これがリアルだ。ストーリーに合った形で身体の中がえぐられる。どうやって撮影されたのであろう。
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告発の行方  ジョディフォスター

2011-11-12 19:51:21 | 映画(洋画 89年以前)
「告発の行方」はジョディフォスターが最初にオスカー主演女優賞を受賞した作品だ。レイプ裁判をテーマにしている。ジョディフォスターが迫真に迫る演技をするが、検事ケリーマクギリスがかっこいい。演技もさることながら裁判のテーマには考えさせられることも多い。



酒場から飛び出してきた若い男が、公衆電話から警察にレイプ事件が起きていると通報している。半裸の女性ことジョディフォスターが追うように通りに飛び出し、必死に車を止めて乗り込んだ。。。
病院にシーンが移る。ベッドに横たわる負傷したジョディフォスターを3人の男達が犯したのだという。ジョディから事情を聞いた女性検事補ことケリー・マクギリスは、ジョディと保安官を伴って酒場に行き犯人を確認する。数人がしめされる。犯人はすぐ判明した。
やがて事件の捜査は進む。犯人側の弁護人は被害者も酔っていたこと、挑発したことなどを指摘する。検事補はレイプ後の汚らわしい証拠写真を示す。しかし、遊び人の被害者に必ずしも有利とはいえない。結局軽い傷害で済まそうとする弁護側との話し合いで過失傷害となった。9か月の拘留で済む。
被害者ジョディは検事補を激しく責め、深く傷つき悲しみにくれた。ある日ジョディは、レイプのとき酒場にいて犯人達をあおった男に偶然出会う。男がからかい、怒ったジョディは彼の車に自分の車を激しくぶつけた。負傷して入院するジョディを見舞った検事補ケリーは、再び事件を裁判の場で争う決意を固めたが。。。


レイプした男たちはすぐにつかまる。あっさりした展開かと思い、しかも検事、弁護側が裁判官の裁定ですぐに刑が確定する。それだけでは非常に単純な展開だ。でもそれだけではすまさない。
なんとレイプの当事者でなく、それをあおった連中を訴えようとするのである。この映画の争点は当事者ではない第三者の有罪無罪の裁判なのである。
いじめをしている人間のまわりでそれをあおった人間に罪があるかどうかという話と同じである。凄い話だ。この映画を見た人は誰も今までの自分を振り返って、同じような場面に出会ったと思うであろう。弁護人はいくらなんでも当事者じゃないんだから、いいじゃないかという。しかし、検事補は有罪に執着心を示す。この攻め合いはなかなか見モノだ。
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再会の食卓

2011-11-06 21:21:41 | 映画(アジア)
「再会の食卓」は国共内戦で本土と台湾に別れ別れになった元の夫婦が再会する話である。同じ民族が別れる話はつらい。韓国映画に多い設定だ。近代化が進む上海の中の古い居住区をクローズアップしながら、2人の再会を描く。ただ、価値観の違いがあるせいかどうしても最後までしっくりしない展開であった。


ある日、上海で暮らす主人公のもとに一通の手紙が届く。その手紙には、1949年国共内戦の後に生き別れた元夫が、台湾から帰国団の仲間とくると記されていた。主人公は共産軍に属した新しい夫ルー・シャンミンや家族と共に暮らしていた。主人公は戸惑いながらも元夫を自宅に招き、精一杯もてなした。ホテルをとっていた元夫であったが、新しい夫の温情で今の家に泊めてもらうこととなる。しかし、彼には元妻に対する願いがあった。「これからの人生、私と一緒に台湾で暮らしてほしい」
予期せぬ元夫の告白に「幸せだったのはあなたと過ごした日々だけ」と心は揺れ動く。なかなか今の夫にその気持ちが伝えられない。そして決断の時がきたが。。。。

別れ別れになった元夫婦が再開するという設定自体は不自然ではない。でもその元夫を今の夫が自宅に招いて歓待するという設定が妙に不自然だ。しかも、今の夫が自宅に泊っていけという。何か違う感じだ。
それだけではない。元妻は元夫とよりを戻したいというのだ。しかも、今の夫や子供に加えて孫までいる生活を捨てていくというのだ。やさしい今の夫がいても愛を選ぶと言い切ってしまうというのだ。
こんなことあるのかしら???
日本人と中国人の感覚の違いがあってもどうして理解できない。沖縄の離島を舞台にした「ナビィの恋」を見た時も異様な感じがしたが、今回も同様だ。



現代上海の古い居住区と新しい部分と両方を映し出している。主人公は立ち退きによってお金を得てマンションを買うという設定になっている。いくら沿岸部の収入が高くなっているといっても、一握りの事業でもうけた金満家だけであとは日本のレベルと一桁違う低収入である。既得権で古い居住区に住む人は得しているかも?不動産価格の高騰を加味すると、立ち退き料で移り住む人はラッキーだろう。近代化もいいが、一時代前の姿が消えていくのはさみしい。今回の映像はいい感じだ。映画「シャンハイ」で偽上海を見たばかりなのでこれはこれでよかった。
新しい夫の名字が陸(ルー)である。山崎豊子の「二つの祖国」の主人公がやはり同じ陸であの小説を思い起こした。あの小説の上海よりも驚異的に発展してしまった。

でもどうしても共感できないことが多すぎた映画だった。
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ソフィアの夜明け  

2011-11-06 19:18:59 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「ソフィアの夜明け」はブルガリアの首都ソフィアを舞台にした作品だ。けだるい雰囲気で始まり、最後までその流れは変わらない。ドツボにはまる主人公兄弟がせつない。まずしい東欧の生活をクローズアップして、ドラッグ、ネオナチ集団やトルコ人との民族葛藤など、普段考えもしない話題が妙に新鮮だ。


ブルガリアの兄弟をクローズアップして、2人の物語を並行して映す。
両親と一緒に住む17歳の弟は、頭をスキンヘッドにしてネオナチ集団に加わる。家族と疎遠になっている兄ことフリスト・フリストフは38歳の木工職人だ。ドラッグ中毒で治療を受けていた彼はアルコールに頼る日々を送っていた。兄の恋人は演技専攻の学生。若い彼女は彼を心から愛している。でも彼はそっけなく彼女を取り扱う。彼女の誕生日にレストランで食事をともにするが、話もしない彼に怒った彼女が店を飛び出ていく。そのときトルコ人の家族3人が食事に来ていた。
トルコ人家族が外へ出ると、チンピラ達に囲まれる。いきなりボコボコにあう。そのチンピラ集団には弟が混じっていた。すぐあとに兄がそこを通りかかり、トルコ人家族をかばうが、コテンパンにやられる。その時弟の姿を見かけた兄は。。。。


ブルガリアを地図で改めてみた。今話題のギリシャと隣り合わせで、トルコともつながっている。オスマントルコ帝国全盛時代には500年以上トルコ領だった。その後ロシアを中心とした東欧経済圏の国となった。東欧諸国に共通することだが、貧しさがにじみ出るような映像があらわれてくる。
路面電車が通る首都ソフィアの街に走る車は少ない。その昔五木寛之が「ソフィアの秋」なんて小説を書いていた。名前から連想するイメージは素敵だが、映像から察すると非常に地味な場所だ。都市化への進化が遅い。
そこに映る主人公はいかにも社会の底辺といった印象だ。



この主人公もクランクアップ寸前にドラッグ中毒で死んだという。そういう悲しい話もある。トルコ人の家族が主人公の兄弟に絡んでくる。娘が美しい。エキゾティックでトルコ版黒木メイサをみるようだ。
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