映画「あのこは貴族」を映画館で観てきました。
予告編で気になった映画である。何気なく見た「あのこは貴族」の映画紹介の記事で水原希子が慶大生を演じるというのも気になった。門脇麦は若松孝二監督のアシスタントを演じた「止められるか、俺たちを」や「さよならくちびる」などでの演技に好感度を持って見ていた。水原希子は広告でよく見かけるが映画では「ノルウェイの森」以来かな?
政治家の家系で育ちの良い弁護士をめぐる2人の女性、お見合い相手のご令嬢と慶応中退の女性の2人を対比して描く物語という構図である。最近流行の格差社会というテーマに結びつけるならちょっと大げさかもしれない。外から見ると奇異に見えることもあるが、内部の感覚では案外とそうでもないのだ。
主演2人の演技は悪くないし、キャラクターとしても好意がもてる。ロケハンにも成功して、映画のテンポもいい。セリフもこの学校の内部事情やブルジョア育ちの人たちの生活ぶりをそれなりに取材している感もある。でも、最後に向けては「え!これで終わっちゃうの?」というような尻切れトンボの終わり方だったのは脚本の詰めの甘さと編集のミスかもしれない。
渋谷松涛で開業医の三女として育った榛原華子(門脇麦)は幼稚園から名門私立大を卒業したご令嬢だ。周囲の同級生はバイオリニストの相楽逸子(石橋静河)を除いては結婚へのしあわせな道のりを歩む友人も多い。交際している男性と別れ、紹介で数人と会うがうまくいかない。ようやく、お見合いで弁護士の青木幸一郎(高良健吾)と出会う。抜群の好感度の青木に惹かれていき、家柄の良い青木家の家族からも認めてもらい婚約の運びとなる。
一方、富山県で育った時岡美紀(水原希子)は地元で勉学に励んで慶應義塾大学に入学した。内部進学者のブルジョアぶりに違和感を感じながらも、学生生活を送っていた。ところが、父親が失業して家計は火の車、キャバクラ嬢をやりながら通おうとしたが断念して中退する。その後、オミズの道を歩んでいる時に青木にお店で再会する。美紀が履修した講義のノートを慶応生だった青木が借りたことがあったのを美紀が覚えていたのだ。それをきっかけに2人は逢うようになる。付き合いは腐れ縁というくらいに長い。
バイオリニストの相楽があるパーティで演奏している時、パーティーに参加していた美紀が相楽の演奏を気にいる。近づいて連絡先を交換しようとしたが、名刺の持ち合わせがなく、そばにいた青木の名刺の裏書きで自分の連絡先を伝えようとした。親友の華子からフィアンセと聞いていた青木だと相楽は気づき、あわてて華子に連絡する。そして、仕事のふりをして美紀を呼び出し、華子を含めて3人で会うのであるが。。。
⒈松涛のお嬢様
ホテルで華子がおばあさんを含めて家族一同で会食をしているシーンを映す。小学校から一緒のご学友との会食場面や、松濤にタクシーで向かうシーンなどセレブぶりを際立てようとするシーンが続く。居住地を他の町でなく、松濤を選択したのはセレブを強調するには適切でだろう。
松濤、神山町はもともと佐賀の鍋島家が所有していた借地が多い。先のバブル時代で所有権はかわったところも多いかもしれないが、高級マンション以外では自分の感覚からすると実業家が多く、医者がそんなに住んでるかな?という気もする。あと、華子が幼稚園から付属校というセリフもあるが、時期にもよるが松濤幼稚園なんて超セレブ幼稚園もあったので、ここに住んでいる人がそういう女子校付属幼稚園に行くかな?という気もする。
それでも門脇麦は大衆的な役柄だったこれまでの作品と違い、性格の良いお嬢様になり切っている。好演だと思う。名門女子大に附属小学校から行っている子たちは、会社でずいぶんと出くわした。昔はともかく最近はそんなに浮世離れしていない。
⒉大学内での格差
水原希子演じる真紀が慶応大に入学して、友人と歩いているときに、「あれは内部生」とたむろっている派手な学生をみるシーンがある。確かにその光景は自分が学生時代から伝統的にあるかもしれない。時間を経ていく内に、いろいろな交流はあるが、最初の印象はそんな感じかもしれない。ただ、慶応女子高出身者2人と一緒に食事に行ってランチ4200円に驚くシーンはちょっと大げさかな?
自分は受験組で、しかも学窓を離れて久しいけど、学校時代からいろんな付き合いのあった中に同窓や上司部下とかも含めて内部生はかなり多い。深く付き合ってみると、実はそんなに出生レベルが違うわけでもないこともわかる。偏見は避けたい。
今から40年も前のことが今に当てはまるかわからないが、自分もそうだが自営業を含めた経営者の息子が周りに多く、超有名企業勤務の父親の息子、政治家や公務員でもお偉方系などの息子が目立つ。地方出身者も県でトップないし有数の進学校を出て地元ではそれなりの素封家の息子が多い。そうでない普通のサラリーマンの息子もいる。ついこの間、田舎の国鉄職員の息子が大出世した。出世は出生にあまり関係ない。
幼稚舎出身者はその経営者の息子系が多いけど、超老舗系でちょっとレベルが違う。さすがに、そのレベルの違いがわかっているだけに子どもを中学から入れても幼稚舎から入れる気にはなれない。でも幼稚舎出身でも没落している家庭もあるんだよなあ。
慶応は二年連続で進級できないと、今はどうかしらないが通称「ホッポリ」で退学になる。でも、起業した会社が成功して長期に在学して中退した奴とかいるけど、金欠の中退ってあまりいないんじゃないかな?地方出身の自分の友人も普通の成績で学校奨学金使ってタダで学校へ行った奴いるけどね。
銀座のホステスで慶応生は何人か会ったな、その一人が母校教授になった先輩のゼミに入ったのにはびっくり仰天した。それと、各種キャバクラで早稲田の女子学生も出会ったけど、母子家庭が多かったね。賢くて話は面白いしいい子だった。
この映画の真紀のイメージだ。何が何でも這い上がるというしぶとさを感じたし、みんな卒業している。時代が変わったのか、真紀の存在は現実にはありえる。
それでも、いくつかのセリフはそれなりに不自然さはないように取材しているとは思う。
⒊気の利いたセリフ
華子と真紀がばったり出会うシーンがある。あのあとで、真紀がこんなことを言う。
「同じところにずっととどまるということでは、そちらの世界もこちらも同じだよね。」
なるほど、これはセレブを超越したお言葉
同窓会に行った真紀が、地元の土建屋の三代目に誘われるシーンがある。それも意識しているけど、都会で同じように老舗の家系に生まれて育った人間に対してもその比較を示しているのだと思う。都会という範疇で言うと、バブル崩壊もあり、うまくいっているのとそうでないのと落差が激しい気もする。
よく言われるように、永く続く同族企業って結構経営がしっかりしている会社も多い。そういう場合は親の意向でそのまま東京や地元に残るだろうけど、今の世の中なかなかそうはいかない場合も多い。でも、真紀の言うセリフの意味はよくわかる。
予告編で気になった映画である。何気なく見た「あのこは貴族」の映画紹介の記事で水原希子が慶大生を演じるというのも気になった。門脇麦は若松孝二監督のアシスタントを演じた「止められるか、俺たちを」や「さよならくちびる」などでの演技に好感度を持って見ていた。水原希子は広告でよく見かけるが映画では「ノルウェイの森」以来かな?
政治家の家系で育ちの良い弁護士をめぐる2人の女性、お見合い相手のご令嬢と慶応中退の女性の2人を対比して描く物語という構図である。最近流行の格差社会というテーマに結びつけるならちょっと大げさかもしれない。外から見ると奇異に見えることもあるが、内部の感覚では案外とそうでもないのだ。
主演2人の演技は悪くないし、キャラクターとしても好意がもてる。ロケハンにも成功して、映画のテンポもいい。セリフもこの学校の内部事情やブルジョア育ちの人たちの生活ぶりをそれなりに取材している感もある。でも、最後に向けては「え!これで終わっちゃうの?」というような尻切れトンボの終わり方だったのは脚本の詰めの甘さと編集のミスかもしれない。
渋谷松涛で開業医の三女として育った榛原華子(門脇麦)は幼稚園から名門私立大を卒業したご令嬢だ。周囲の同級生はバイオリニストの相楽逸子(石橋静河)を除いては結婚へのしあわせな道のりを歩む友人も多い。交際している男性と別れ、紹介で数人と会うがうまくいかない。ようやく、お見合いで弁護士の青木幸一郎(高良健吾)と出会う。抜群の好感度の青木に惹かれていき、家柄の良い青木家の家族からも認めてもらい婚約の運びとなる。
一方、富山県で育った時岡美紀(水原希子)は地元で勉学に励んで慶應義塾大学に入学した。内部進学者のブルジョアぶりに違和感を感じながらも、学生生活を送っていた。ところが、父親が失業して家計は火の車、キャバクラ嬢をやりながら通おうとしたが断念して中退する。その後、オミズの道を歩んでいる時に青木にお店で再会する。美紀が履修した講義のノートを慶応生だった青木が借りたことがあったのを美紀が覚えていたのだ。それをきっかけに2人は逢うようになる。付き合いは腐れ縁というくらいに長い。
バイオリニストの相楽があるパーティで演奏している時、パーティーに参加していた美紀が相楽の演奏を気にいる。近づいて連絡先を交換しようとしたが、名刺の持ち合わせがなく、そばにいた青木の名刺の裏書きで自分の連絡先を伝えようとした。親友の華子からフィアンセと聞いていた青木だと相楽は気づき、あわてて華子に連絡する。そして、仕事のふりをして美紀を呼び出し、華子を含めて3人で会うのであるが。。。
⒈松涛のお嬢様
ホテルで華子がおばあさんを含めて家族一同で会食をしているシーンを映す。小学校から一緒のご学友との会食場面や、松濤にタクシーで向かうシーンなどセレブぶりを際立てようとするシーンが続く。居住地を他の町でなく、松濤を選択したのはセレブを強調するには適切でだろう。
松濤、神山町はもともと佐賀の鍋島家が所有していた借地が多い。先のバブル時代で所有権はかわったところも多いかもしれないが、高級マンション以外では自分の感覚からすると実業家が多く、医者がそんなに住んでるかな?という気もする。あと、華子が幼稚園から付属校というセリフもあるが、時期にもよるが松濤幼稚園なんて超セレブ幼稚園もあったので、ここに住んでいる人がそういう女子校付属幼稚園に行くかな?という気もする。
それでも門脇麦は大衆的な役柄だったこれまでの作品と違い、性格の良いお嬢様になり切っている。好演だと思う。名門女子大に附属小学校から行っている子たちは、会社でずいぶんと出くわした。昔はともかく最近はそんなに浮世離れしていない。
⒉大学内での格差
水原希子演じる真紀が慶応大に入学して、友人と歩いているときに、「あれは内部生」とたむろっている派手な学生をみるシーンがある。確かにその光景は自分が学生時代から伝統的にあるかもしれない。時間を経ていく内に、いろいろな交流はあるが、最初の印象はそんな感じかもしれない。ただ、慶応女子高出身者2人と一緒に食事に行ってランチ4200円に驚くシーンはちょっと大げさかな?
自分は受験組で、しかも学窓を離れて久しいけど、学校時代からいろんな付き合いのあった中に同窓や上司部下とかも含めて内部生はかなり多い。深く付き合ってみると、実はそんなに出生レベルが違うわけでもないこともわかる。偏見は避けたい。
今から40年も前のことが今に当てはまるかわからないが、自分もそうだが自営業を含めた経営者の息子が周りに多く、超有名企業勤務の父親の息子、政治家や公務員でもお偉方系などの息子が目立つ。地方出身者も県でトップないし有数の進学校を出て地元ではそれなりの素封家の息子が多い。そうでない普通のサラリーマンの息子もいる。ついこの間、田舎の国鉄職員の息子が大出世した。出世は出生にあまり関係ない。
幼稚舎出身者はその経営者の息子系が多いけど、超老舗系でちょっとレベルが違う。さすがに、そのレベルの違いがわかっているだけに子どもを中学から入れても幼稚舎から入れる気にはなれない。でも幼稚舎出身でも没落している家庭もあるんだよなあ。
慶応は二年連続で進級できないと、今はどうかしらないが通称「ホッポリ」で退学になる。でも、起業した会社が成功して長期に在学して中退した奴とかいるけど、金欠の中退ってあまりいないんじゃないかな?地方出身の自分の友人も普通の成績で学校奨学金使ってタダで学校へ行った奴いるけどね。
銀座のホステスで慶応生は何人か会ったな、その一人が母校教授になった先輩のゼミに入ったのにはびっくり仰天した。それと、各種キャバクラで早稲田の女子学生も出会ったけど、母子家庭が多かったね。賢くて話は面白いしいい子だった。
この映画の真紀のイメージだ。何が何でも這い上がるというしぶとさを感じたし、みんな卒業している。時代が変わったのか、真紀の存在は現実にはありえる。
それでも、いくつかのセリフはそれなりに不自然さはないように取材しているとは思う。
⒊気の利いたセリフ
華子と真紀がばったり出会うシーンがある。あのあとで、真紀がこんなことを言う。
「同じところにずっととどまるということでは、そちらの世界もこちらも同じだよね。」
なるほど、これはセレブを超越したお言葉
同窓会に行った真紀が、地元の土建屋の三代目に誘われるシーンがある。それも意識しているけど、都会で同じように老舗の家系に生まれて育った人間に対してもその比較を示しているのだと思う。都会という範疇で言うと、バブル崩壊もあり、うまくいっているのとそうでないのと落差が激しい気もする。
よく言われるように、永く続く同族企業って結構経営がしっかりしている会社も多い。そういう場合は親の意向でそのまま東京や地元に残るだろうけど、今の世の中なかなかそうはいかない場合も多い。でも、真紀の言うセリフの意味はよくわかる。