映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「マーティン・エデン」 ルカ・マリネッリ

2020-09-30 21:18:02 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「マーティン・エデン」を映画館で観てきました


「マーティン・エデン」ジャック・ロンドンの小説を、ピエトロ・マルチェッロ監督が20世紀初頭のアメリカから1970年代のイタリアに舞台を移し映画化した作品である。アメリカ文学に造詣のない自分はもちろん未読。荒くれ者の船乗りがブルジョワ階級の女性と接することで書物に目ざめ作家になるまでを描いている。主演のルカ・マリネッリ「ジョーカー」ホアキン・フェニックスをおさえて2019年ヴェネツィア国際映画祭男優賞受賞、まさに新しい男性スターの登場ともいえる好演である。

イタリアナポリの港町、労働者階級に生まれ育ったマーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、船乗りとして自由奔放に生きていた。ある日港で一人の若者が暴漢にいじめられているのを見てやめろと声をかける。ところが、言うことを聞かないので暴漢を殴り倒し若者を助ける。若者は大豪邸に住む金持ちの御曹司だった。

そのお屋敷にいくと、姉のエレナ・オルシーニ(ジェシカ・クレッシー)がいた。エレナは今まで付き合ったことのない清楚で知的な女性で、マーティンは一気に惹かれる。部屋には本がたくさん置いてあり、マーティンはよくわからないけれど強い関心を持った。


オルシーニ家にとっては息子を救った恩人ということでこれをきっかけにお屋敷に出入りするようになる。エレナの影響で読書にのめり込む。しかし、マーティンは小学校4年までしか学校は行かなかった。エレナはマーティンには教育が必要と諭して、本人もその気になるが、基礎的な素養がないと受け取られ独学するしかない。仕事も辞めて旅行にでて、ネタを集めて文章を書こうと試みる。そのとき列車の中で知り合ったマリア一家に身を寄せ、本を読んでは書き出版社に小説を送り続けるが、不採用が続く。


そんなときオルシーニ家で知り合ったインテリ階級のラス・ブリッセンデン(カルロ・チェッキ)の知遇を得る。その後も不採用が続き衰弱したマーティンのもとにようやく雑誌から採用の通知と報酬の20万リラが届く。周囲に喜ばれるが、ラス・ブリッセンデンに連れて行ってもらった社会主義者の集会で演説したことでエレナとオルシーニ家の怒りを買うのであるが。。。


1.努力家マーティン・エデン
荒くれ者で、クチよりも手の方が先に出る。女とみたらすぐやっちゃう。それが努力家に変貌する。個人的にはマーティン・エデンという男に好感を持った。最初は「ブルジョワの女性と接して」という映画の宣伝文句に石川達三の「青春の蹉跌」のような展開を事前に予想していたが、まったく違った。自分を偉くみせようとするところがない。見栄は張らない。素直に小学校4年で学校はやめたと言い切る。

作家のボードレールの名前もちゃんといえない。知ったかぶりをせずに素直にエレナの影響を受ける。しかも、なけなしの金をはたいて中古のタイプライターを購入する。慣れない手つきでタイプを打つ姿がいじらしい。


それだからか、エレナも徐々に惹かれていく。エレナに対しては奥手だ。物書きになろうと、今まで生きてきた人生のことを文章にして出版社に何度も送るがいつも原稿が戻ってくるばかりだ。それでも、常に読書をしたり、旅をして見聞を広めなんとか認められるようになろうとする向上心を持つところに惹かれる。とは言え、立身出世といういやらしさはない。


2.後半への転換に慣れない
認められてからの変貌は、これって夢の中の妄想話と一瞬思ったくらいだ。そんなに変わってしまうの?というのをわざと見せつける意図だろうが、なんかしっくりこない。家賃を支払わないからマーティンを冷遇した義兄や送った原稿をそでにした出版社などを含めて、本が売れて手のひら返した対応に戸惑うというよりも反発する。それでもお世話になった母子家庭のマリアには家を用意している。恩返しのできるいい男でもある。


主人公のキャラを理解し巧みに演じたルカ・マリネッリがパワフルでうまい。アランドロンの再来という褒め言葉もあるが、それは言える気もする。イタリアが舞台ということでは同じの「太陽はひとりぼっち」を連想する。
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映画「銀座二十四帖」川島雄三&月丘夢路

2020-09-28 20:38:29 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「銀座二十四帖」は1955年(昭和30年)公開の日活映画


まさに銀座を舞台にした「銀座二十四帖」川島雄三監督作品、予想以上に現地でのロケシーンが多く、戦後10年目、昭和30年の銀座がどのように復興しつつあるのかよくわかる。昭和30年前後の東京を写した写真集がいくつもあるが、この貴重な映像にはかなわない。60年後のわれわれにその時代の銀座を教えるが如くの川島雄三の解説が入っていて価値のある作品である。

月丘夢路と三橋達也の主演であるが、このすぐ後に日活を支える北原三枝と浅丘ルリ子が登場する。いまだ健在の2人の若々しさに心ときめく。森繁久彌自ら歌を歌う。一瞬誰の声と思ったが、森繁だ。ナレーション で続く。

銀座のクラブといえば、花がつきもの。その銀座で 子分ジープ(佐野浅夫)と花屋を経営している三室戸完(三橋達也)こと通称コニーはルリちゃん(浅丘ルリ子)という少女をアルバイトに使っていた。あるとき、京極和歌子(月丘夢路)にバラを頼まれ川沿いの菊川という料亭にもっていき仲良くなる。


和歌子 は夫の克巳がよかならぬ事業に関係しているのを嫌って、一人娘を藤沢鵠沼に残したまま別居して銀座の菊川に身を寄せている 。 そこへ突然大阪から姪の仲町雪乃(北原三枝)が「ミス平凡」のコンテストに出場するために上京して来た。 自由奔放な 雪乃は銀座の夜を楽しんでいた。

生計を立てるために 和歌子はいくつかの絵を銀座の泰西画廊に持ちこんだ。その中には、少女時代、奉天で五郎としか記憶がない若い画家に自らを描いてもらった絵があった。そこにはGMとだけサインがある。手放すつもりはなかったが、 画廊の主人からは展示しておくと画家が名乗り出るかもしれないと言われ展示に応じた。

まもなく銀座で幅を利かせる桃山豪(安部徹)というキザな画家が名乗り出たが 和歌子のイメージと違う。姪の仲町雪乃 と親しくなったプロ野球選手の赤星(岡田真澄)より奉天にいた男がいると聞きあうが、プロ野球のスカウト三ツ星五郎(芦田伸介)であり画家ではない。

コニーはヒロポン中毒になり仲たがいした子分ジープを探すときにバーの奥に入ると、GMという人間が夜のヒロポン取引の元締めで名は三室戸五郎だといわれる。それはコニイの実兄であり、生きているとわかり、あわてて探すのであるが。。。

1.昭和30年の銀座
川島雄三監督得意の状況を説明するというパターンが多いのでわかりやすい。空からの銀座の俯瞰映像には中心部でもビルだけでなく木造の二階の家が目立つのに気づく。月丘夢路が身を寄せる料理屋のそばには川が流れ、柳が風に揺れている。銀座周辺のお堀や川は高速道路となって10年後には姿を消してしまう。


中心部に都電が走り、今なお残る服部時計店の時計台に加えて、森永ミルクキャラメルの地球儀のような広告塔がめだつ。たびたび映像になる このネオンサインの横での 捕り物風景は絵になる。河津清三郎の渋い表情も明治の顔でいい感じだ。すず(鈴)らん通りやみゆき通りもここまではっきりと映像にしたのは少ないのではないか。あえて鈴としたのは映像の画面にそうある。


東京駅の映像では、駅前にあるヤンマージーゼルの建物がまだビルになっていないで二階建てなのが印象的だ。1964年に新幹線が開通する前の東京というのも郷愁がある。

2.昭和30年の大阪難波
百貨店の比較をする。大丸、そごう、高島屋とあって銀座には松屋、三越、松坂屋があるとする。大阪のそごうが有楽町で建築中と今ある建物の工事現場を見せる映像もある。月丘夢路が大阪に向かうシーンでは、北原三枝も一緒だ。銀座で知り合った岡田真澄演じるプロ野球選手の試合を大阪球場で見る。高い席からは南海電車と高島屋の裏側が見える。よく戦災に耐えたものだ。高島屋の屋上から御堂筋を眺める。考えてみれば、大阪にいるときにその場に立ったことがないので見たことない景色だ。月丘夢路が高島屋で買い物をするシーンは優雅な感じがする。


3. のちに出世する俳優陣
石原裕次郎が登場する前の日活映画だ。昭和31年5月に「太陽の季節」が公開なのでまだ映画界に存在していない。いまや妖怪と化した浅丘ルリ子がこの当時15歳で少女の趣きを持っている。このあともっときれいになるが、この純情さもいい。

北原三枝は劇中では20歳となっているが、公開当時で21歳だ。石原まき子さんという存在しか知らない若者から見ると、この魅力にはびっくりしてしまうだろう。自由奔放なお嬢さん役で銀座のクラブで颯爽とマンボを踊る。そういえば数年前東京の名門ゴルフ場桜ヶ丘カントリーのメンバーの札に「石原まき子」という名を見つけたことがある。


主役の三橋達也はこの中で格上か?東宝に移る前の方が主役を張っていたかもしれない。芦田伸介「七人の刑事」で人気になる6年前、岡田眞澄は日活映画に出ているが、主演格ではない。チンピラ役の佐野浅夫が後年水戸黄門役をやろうとは誰が想像しただろうか?


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映画「鵞鳥湖の夜」 グイ・ルンメイ&ディアオ・イーナン

2020-09-26 20:00:33 | 映画(アジア)
映画「鵞鳥湖の夜」を映画館で観てきました。


「鵞鳥湖の夜」は「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督の新作である。主人公グイ・ルンメイリャオ・ファンが再度登場する。これはすぐさまいくしかない。「薄氷の殺人」は旧満洲ハルビンを舞台にしたミステリーで、夜の中国のダーティーなムードは素晴らしく、巧みな映画作りに魅せられた。

前作ほどまでは望めるかと思ったら、むしろこの映画の方がいい。往年の吉田栄作に似たフー・ゴーが加わる。単純な話だけど、スリルたっぷりで楽しまさせてくれるし、世間一般では報道されない中国式黒社会や売春などの現代中国のダーティな面がクローズアップされる。バイク窃盗団の縄張り争いなんて、倫理観ある社会の国での出来事とは思えない。傑作だと思うし、好きなタイプの映画だ。

2012年7月19日
中国南部。じっとりと雨が降りしきる夜、警察に追われているバイク窃盗団の幹部チョウ・ザーノン(フー・ゴー)が、郊外の駅の近くで妻のヤン・シュージュン(レジーナ・ワン)の到着を待っていた。しかし胸に深い傷を負っているチョウの前に現れたのは、赤いブラウスをまとった見知らぬ女だった。


彼女はリゾート地である鵞鳥湖の娼婦リウ・アイアイ(グイ・ルンメイ)。なぜシュージュンの代わりに、美しくも謎めいたアイアイがここにやってきたのか。しばし用心深く互いの真意を探り合ったのち、チョウは重い口を開き、自分の人生が一変した2日前の出来事を語り始めた。

7月17日
夜、刑務所から出所して間もないチョウは、自らが所属するバイク窃盗団の技術講習会に顔を出した。ところが会場のホテルで指南役のマーが、数十人もの構成員に担当区域を割り振っている最中、思わぬ揉め事が発生。若く血気盛んな猫目・猫耳の兄弟が、古株のチョウがリーダーを務めるグループに因縁をつけ、チョウの手下の金髪男が猫耳に発砲してしまったのだ。


仲裁に入ったマーの提案でチョウと猫目・猫耳の両グループは、制限時間内に何台のバイクを盗めるかを競う勝負を行うことになった。しかしその真っ最中、猫目が卑劣なトラップを仕掛けて金髪男を殺害し、チョウの胸にも銃弾をお見舞いする。からくも猫目の追撃を交わしたチョウだったが、バイクでの逃走中、視界不良の路上で誤って警官を射殺してしまう。

7月18日
警察は総力を挙げ、警官殺しの容疑者チョウを全国に指名手配し、30万元の報奨金をもうけて一般市民からの通報を募った。最新の捜査情報によれば、動物病院で手当を受けたのちに姿を眩ましたチョウは、鵞鳥湖の周辺に潜伏しているらしい。再開発から取り残された町や無人の森が広がっているこの一帯の捜索を担当するのは、凄腕のリウ隊長(リャオ・ファン)率いる精鋭チームだった。


この日、鵞鳥湖の畔で観光客相手の娼婦をしているアイアイは、“水浴嬢”と呼ばれる彼女たちの元締めであるホア(チー・タオ)から、ある依頼を受ける。それは逃亡中のチョウが会いたがっている彼の妻シュージュンを捜し出すことだった。
(作品情報より引用)

⒈雨降る夜の世界
現代中国のダーティーな部分を題材にした映画に傑作が多い。ジャ・ジャンクー監督帰れない二人(記事)罪の手ざわり(記事)が代表的な作品だが、迫りくる嵐(記事)もよかった。「迫りくる嵐」でも雨が効果的に使われていた。この映画で主人公2人がスタイリッシュに出会う時に強い雨が降っていたし、警察官を撃ち殺す場面でも強い雨の中を主人公はバイクを飛ばす。レベルの高い韓国クライムサスペンス映画で犯罪を犯す場面に雨のシーンが多いのとすべてが通じている気がする。

そういう雨が降る中での中国の町独特の薄暗いムードと浮かび上がるように光る多彩な色のネオンサインがこの映画のムードを高めている。撮影のドン・ジンソンは「薄氷の殺人」と同じ、美術のリウ・チアンは「迫りくる嵐」と知り、妙に納得する。

⒉グイルンメイと売春婦
台湾映画で純情そのものであったグイ・ルンメイももはや清純派でいく年齢でもない。「薄氷の殺人」で一皮むけたあと、本作品では売春婦だ。ベリーショートの髪で赤いワンピースに身を固め、顔の表情はいかにも中国人という冷淡そのものの表情で登場する。渋い。

湖にいる「水浴嬢」と称する。お金で買った男と、湖の中で抱き合いながらいたす。確かに海で抱き合って交尾の態勢に入っても周囲から見てもわからない。恥ずかしながら若い頃、自分も海でそういう経験はある。


⒊単純にいかないストーリー
キーとなるストーリーにフラッシュバックを何度も挿入する構成である。前回薄氷の殺人では、説明が少なく理解不能となる場面もあった。それだけに緊張感をもって映像を追ったが、たった3日間の出来事なので捜査活動をする警察官同士の会話で流れは理解できた。前回のようなことはなかった。それでも、ディアオ・イーナン監督のセリフに頼らず映像で見せる基本はかわらない。これはこれでいいと思う。

ヤクザ映画がどちらが味方か敵かよくわからない展開になるのと同様に、この映画も頭を混乱させられる場面はある。登場人物自体がどっちが味方かがわからないなんて言っている。単純ではない。ここでという場面で裏切りもある。こちらもフェイントをくらう。

そんなストーリーのバックで流れる音響効果もいい。映る風景自体が60年代前半の路地が多い日本の猥雑な町そのもので、バックに流れる映画音楽も武満徹を連想させるものだ。実にいい感じ。実際にある60年代の日本のサスペンス映画を洗練させたという感じをもった。


4.印象深いシーン
マジックミラーのように連なる鏡の中で主人公2人が彷徨うシーンがある。とっさにオーソン・ウェルズ「上海から来た女」のサンフランシスコの遊園地のマジックミラーに映るオーソン・ウェルズとリタ・ヘイワースを思い浮かべた。独自の世界をディアオイーナン監督はここでも繰り広げている。

町では70年代後半の「ラスプーチン」や「ジンギスカン」なんて新宿のディスコで踊られていたディスコミュージックに合わせて、隊列を組んでステップダンスを踊っている。最近の中国映画を観ると、こういう場面によく出くわす。時代は30年以上ずれていると思うけど、みんな楽しそうに踊っている。一種盆踊りのように思えてならない。中国ではやりなんだろうか?
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映画「ソワレ」 村上虹郎&芋生悠

2020-09-24 18:36:07 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「ソワレ」を映画館で観てきました。


「ソワレ」和歌山の日高御坊エリアが舞台という宣伝文句に魅かれて見にいく。美浜町の煙樹海岸の浜辺が懐かしい。主演の村上虹郎は前作「ある船頭の話」も含め好感を持って接している俳優だ。少女に性的虐待をしてきた父親が刑務所出所後少女のもとを訪れいざこざが起きる。少女とそれに同情する男がその場を離れ、2人で逃げ回るという話である。

正当防衛なんだから逃げることもないのにと個人的に思ってしまうが、何故か逃げてしまう。不自然な部分が多く、映画自体は粗削りだが、よく知っている和歌山エリアが映し出されることで飽きずには見れた。

翔太(村上虹郎)は俳優を目指して上京するも結果が出ず、今では東京でオレオレ詐欺に加担して日銭を稼いでいる。ある夏の日、故郷・和歌山の海辺にある高齢者施設で演劇を教えることになった。翔太は、施設でヘルパーとして働くタカラ(芋生悠)と知り合う。


数日後、祭りに誘うためにタカラの家を訪れた翔太は、窓ガラスの割れる音に驚く。刑務所帰りの父親から激しい暴行を受けるタカラを目撃する。止めに入る翔太。 それをタカラのにあるハサミが血に染まっている。タカラを見つめる翔太は、やがてその手を取って駆け出していく。こうして、二人の「かけおち」とも呼べる逃避行の旅が始まった。

  1.和歌山御坊エリア
平成3年から3年間和歌山で仕事をしていた。市内中心であるが、たまに南紀方面に向かうこともある。今は自民党幹事長でえばっている二階俊博の選挙区があるところだ。自分がいることろは小沢一郎の子分といわれていた。今回何度もショットで映る海岸は、煙樹海岸という美浜町の浜辺だ。


本当に懐かしい。遠浅ではないので泳ぐ人はいない。美浜町といっても御坊と背中合わせで 、この海岸からは御坊の火力発電所が見える。映像にも何回か出てきた。この海岸のそばで釣りをしたことがある。地元の人と一緒で、熱帯魚みたいな色鮮やかな魚が釣れた覚えがある。その場で焼いて食べた。若干堅かった。


御坊駅に接続する紀州鉄道には乗車したことがない。2人が懸命に逃げた後にこの小さな車両に乗り込む。自分がいた当時は、高速道路もここまで通っていなかった。海辺の道路を湯浅、広川、日高と走るのが好きだった。海はきれいで、空気もきれい。ここにいるときは、もう二度と東京に戻ることはないのであろうかと思ったこともあった。御坊というのは、やくざが姿をひそめるのには絶好の場所だというのを当時聞いたことがある。ある意味地の果てだ。


そこから和歌山市に向かう。徳川御三家の一つで名将軍吉宗も生んでいる。和歌山城もある。でも寂れる一方の街だ。ぶらくり丁というのがメインの商店街だが、シャッター商店街のようなもの。商店街の裏手に割りと堕落した飲み屋街とソープ街があった。そこも映し出すと懐かしさが増す。女の子はそこにあるスナックでバイトする。

 2.芋生悠の瑞々しさ
刑務所を出所するという通知が届く。性的虐待を受けたいやな思い出が心に沁みついている。玄関ドアをトントンたたく音にも返事をしない。父親かと思うからだ。実父かどうかはわからない。東京から来た翔太に祭りに誘われたので、そのときだけ玄関に向かうと父親だった。刑務所に行っても全く直らない。いいようにやられそうになったときに翔太が来る。

初めて出会う女の子だ。割といろんな作品に出ているようだがご縁はなかった。芋生悠は熊本出身だという。


和歌山の田舎で育った子という設定でもおかしくない純粋さを持つ。今風若者を若干外れる。育った環境は最悪、働く施設の中でもなじんでいるとは言えない。そういう彼女がまぶしい。清楚なんだけど、翔太とともに逃げる時に見せる走りは、いわゆる「おんな走り」の軟弱な走りでなくしっかり走る。最後にかけて、村上虹郎と結ばれそうになる場面が出てくる。そこで見せるバストトップはボリュームのあるものではないが、何故か親しみのあるものだ。

3.村上虹郎
東京で演劇の稽古になじんでいないシーンがでてくる。そのあとで、オレオレ詐欺をやって老婆をだまして分け前をもらう場面もある。都会の荒波の中になじんいるのかどうかよくわからない。そんな虹郎が故郷に戻る。老人施設で老人たちと演劇をやるためだ。でも、ふとしたことから少女を助ける。そして逃げる。


絶対逃げたる!と意気込んでいるが、しばらくするとお前のせいでこんなになったと彼女を責める。いやな奴だ。本質的にはまともでないところを何度も示す。助けてくれた梅干し農家でもせっかく泊めてもらったのに、お金を盗もうとしたり、パチンコ屋で大暴れしたりいろいろだ。競輪もすっからかん。翔太が行く和歌山競輪場に歩いて行けるくらいのところに自分の事務所があった。 懐かしい。

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映画「影裏」綾野剛&松田龍平&大友啓史

2020-09-23 17:48:52 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「影裏」は「るろうに剣心」の大友啓史監督の2020年公開作品

大友啓史監督の作品るろうに剣心(記事)シリーズはまあ凄いアクションだった。しかも、綾野剛と松田龍平の顔がDVDの表紙に見える。この3人が組んでいる。それだけで内容も確認せずにピックアップする。見てみると、想像とは違っていた。盛岡に転勤してきた青年が会社の先輩との友情を深めるが、先輩があの日姿を消し、東日本大震災で死んだのではという疑いが浮上するという話だ。

ここのところ増えている男同士の深い交情もテーマの一つだ。映画自体は「るろうに剣心」のようにリズミカルではない。でも、たまにはこういう作品も追ってみる。

今野(綾野剛)は会社帰りに同僚の西山(筒井真理子)に突然呼び止められる。西山から日浅が行方不明、もしかしたら死んでしまったかもしれないと聞き驚くシーンから始まる。東日本大震災で岩手県沿岸が津波の被害に襲われていたあとだった。

今野秋一は医療系薬品卸の営業マンで、2009年に埼玉から岩手の盛岡に転勤で 移った。そこで課長と呼ばれていた同僚である日浅典博(松田龍平)と親しくなった。友人もいないので、同じ年の今野は二人で酒を酌み交わしたり、一緒に釣りをして関係を深めていった。やがて、今野が会社を辞めることになり、冠婚葬祭を扱う互助会の営業に転職する。会社が変わってもそのままつきあっていた。 

 夜にガラガケ釣りに出かけたとき、ちょっとしたことで2人はいさかいを起こした。そこで日浅は、「知った気になるなよ。人を見る時はな、その裏側、影の一番濃い所を見るんだよ」と今野を見つめたまま言う。突然の態度の変化に戸惑う今野は、朝まで飲もうと言う日浅の誘いを断り帰宅。しかしそれが、今野が日浅と会った最後だった。 


西山は日浅に金を貸してもいるらしい。日浅の足跡を辿りはじめた今野は、日浅の父親・征吾(國村隼)に会い「捜索願を出すべき」と進言するも、「息子とは縁を切った。捜索願は出さない」と素っ気なく返される。さらに日浅の兄・馨(安田顕)から突き放されてしまうのであるが。。。 


1.綾野剛
普通のサラリーマンである。独り者で地方に転勤となったらさみしい。30歳で同じ年の男友達ができたら楽しいだろう。一緒に釣りに行ったり地方生活の快適さを満喫するのだ。でも、綾野剛にはゲイの気質があった。あるとき、突然松田龍平にキスをするのだ。松田はそれには応じない。そのあとで、綾野剛に女装の訪問者が訪ねてくる。元の恋人のようだ。徐々に綾野剛がゲイだというのをあぶり出していく展開である。


「世界価値観調査2005年」によると、同性愛への許容度で日本は世界52か国中17位だという。許容度がもっとも高いのはスウェーデンで、ノルウェーも高い。逆に許容度が低いのはヨルダン、インドネシアというイスラム教国家だ。日本はアメリカよりも許容度が高い。最近の日本映画で同性愛を扱う作品が急激に増えた印象を持つけど、今後も増えるかもしれない。

2.松田龍平
松田龍平は気のいい先輩だ。岩手県人だけど方言話さない。大学の時東京に行っていたからだという。夜一升瓶を持って飲もうぜとくる。ここまではいい奴だ。綾野剛にも契約が足りないからといってお願いするが、別に悪いことをしているわけではない。でもある時から音信不通になり、東日本大震災を迎える。


互助会に入った同僚の女性(筒井真理子)が互助会の事務所に行方を聞き出すと、津波が押し寄せたとき宮古へ営業に行っていたけど、車も見つからないという。そんな松田の父親から息子は大学に行っていないと偽の卒業証書を見せられるのだ。借金、経歴詐称、行方知れずと途中から謎をつくる存在となる。

3.大友啓史と盛岡
自分のように大友啓史作品というだけで、ついつい見てしまうという人もそうはいないだろう。これは沼田真佑の芥川賞受賞作品で、大友啓史から映画化の申し出があったらしい。大友啓史は岩手出身というのは以前から知っていた。清らかな水が流れるせせらぎの中で釣りに没頭するシーンが続く。ロケハンティングにも成功しているといえよう。もともとこの場所で撮ろうと思っていたとおぼしきいい感じの映像である。市内のお祭りのシーンもある。


大友啓史は名門盛岡一高出身だ。大学の時も社会人になってからもこの学校の出身者には随分と出会っているが、みんないい奴だ。バンカラ気質の学校らしい。学校に下駄を履いてきた奴がいてびっくりしたことがある。生まれ故郷に帰って、そこを舞台にする映画をつくりたかったんだろうなあ。そんな大友啓史の思いを感じながら映像を追った。
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映画「ジュディ」レネー・ゼルウィガー

2020-09-21 17:59:56 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「ジュディ」は2020年日本公開の米国映画


映画「ジュディ」レネー・ゼルウィガーはアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。個人的には好きな女優である。しばらくお休みしていた時期もあってかこの受賞はうれしい。運悪く3月のコロナ渦で映画館に行けず、DVDスルーとなる。一瞬2回目の主演女優賞かと思ったけど、2002年度最優秀作品賞を受賞したミュージカル映画「シカゴ」ではノミネートのみである。

翌2003年「コールドマウンテン」で最優秀助演女優賞を受賞しているが、さほど活躍しているとも思えず、前年の残念賞的な受賞という印象を持った。それを考えると、堂々たる受賞だ。「ジュディ」レネー・ゼルウィガーのワンマンショー的な映画で映画の質が極度に高いとも思えない。でも、後半戦には胸がジーンとする場面も用意されている。

ジュディガーランドの伝記物というよりも47歳で亡くなる半年前のむしろ落ちぶれた姿をフォーカスする。え!これはレネーゼルウィガーが演じているとは思えないなあという位のメイクである。50代といってもおかしくない。かなり老けて見える。でも、ショーのパフォーマンスは一部堕落したシーンを除いてはいい感じである。


1968年、往年の大スター47才になったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)はクラブでのショーに出演するために、子供たちを元夫に預け、単身ロンドンに向かう。アメリカではドサ回りの家なき金欠生活だったが、イギリスでは注目を浴びクラブは連日満席の盛況だった。しかし、それまでの堕落した生活に戻るかのように睡眠薬とアルコールの量が増えていった。


ジュディは、アメリカから会いに来た実業家ミッキー(フィン・ウィットロック)の励ましで元気を取り戻し、2人は結婚する。しかし、アメリカに戻ってステージをというミッキーの案がご破算になる。ジュディはまた精神の安定を崩した状態でステージに立ち、観客とトラブルを起こしてしまうのであるが。。。

⒈転落する人生
オズの魔法使いは1939年である。さぞかし、チヤホヤされたであろう。その後は結婚と離婚を繰り返している。それに加えての酒とドラッグ狂いである。ここでも、子供と一緒にホテルに行っても宿泊料未払いで、宿泊を拒否される場面からスタートだ。金には困っているのであろう。結局は元夫のところに行くしかない。親権は自分にと主張してもお金がない。


どうも浪費家のようだ。ロンドンへのコンサートツアーをやったりするわけだから、カネが全然入らないわけじゃないだろう。子ども2人をつれていこうとするが、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。

⒉意外性のある場面
長期公演の話があってロンドンに向かう。アメリカとは違いちゃんと周囲がスター扱いをしてくれる。ジュディガーランドというに昔の名声が生きているのである。現地で若き女性マネジャーもつく。でも、リハーサル会場に向かい、そこにはバンドマスターであるピアニストがいるが、まったく歌おうとはしない。すぐその場を立ち去る。

大丈夫かと周囲は思っている中で、本人はステージフライト状態だ。それでも会場には正装に身を固めた観客で一杯。なかなか現れないジュディに煮を切らしたマネジャーが来て、無理やりステージに立たせる。初日には評論家も来るらしい。


これじゃ歌えないんだろうなあ、無理なんだろうなあとわれわれに思わせておいて、いざステージに登ると素敵な歌声を聴かせる。一瞬の予想を裏切る意外性のある場面だ。いい感じである。ステージも順調に運び、娘のライザミネリも出席したパーティで知り合ったミッキーもロンドンに来てご機嫌だ。でも、続かない。こういった落差が続く展開だ。

3.若き日の再現映像
若き日の再現映像が何度か出てくる。名プロデューサーと思しき人に、君より美しい子はいくらでもいる。でも、君の美声はすばらしい。それを生かしてちゃんとやるんだよ。と諭されたりする。いかにも転落という現在の場面が出た後で、そういった再現映像が何度もでてくる。

1日18時間働き詰めでクタクタという場面で思いっきりプールに飛び込むシーンは愛嬌がある。いずれも、そういう記憶がよみがえったことで一時的な復活を果たす。でもダメ。


堕ちていく姿を見るのは悲しい。でも、ゲイの男カップルとの交情やマネジャーやピアニストから慰労をうける場面など優しさにあふれたシーンもある。そういう積み重ねで最後に向けては予想もしない胸から湧き上がる何かがあった。
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映画「前田建設ファンタジー営業部」高杉真宙&永井豪

2020-09-20 18:26:43 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「前田建設ファンタジー営業部」は2020年公開の作品


「前田建設ファンタジー営業部」は漫画のマジンガーZの格納庫を設計するというミッションに基づき前田建設の特別部隊ファンタジー営業部の社員が奔走する話である。会社でも前田建設の社員から話を聞いて映画館に見に行った人もいた。意外に観客がいたという話だ。下請け業者もいっぱいいるしね。優先順位は後になりDVDスルーである。

そもそもマジンガーZというのを漫画でもTVでも見ていない。格納庫って何?って感じだったが、緊急事態発生でマジンガーZが出動する場所なのだ。アニメの出動シーンが映り、プールが開いてその下から飛び出してくる。文章で説明するより見るのが早い。


映画に出てくる技術屋の奴らがいかにも専門バカ丸出しだけど、そういうキャラっていいよね。でもこんな金にならないこと業務時間外でよくやるよ。という感じである。

2003年前田建設工業のオフィスの片隅にある広報グループの若手社員ドイ(高杉真宙)がパソコンに向かっている。そこにグループリーダーのアサガワ(小木博明)がやってきて「マジンガーZの格納庫を作ろう」と声をかけられドイは適当に答える。広報グループの同僚であるベッショ(上地雄輔)、エモト(岸井ゆきの)、チカダ(本多力)も会話にはいってくるが、まだ半信半疑だ。


グループリーダーのアサガワはいう。空想世界では、毎週のように、さまざまな建造物が、作っては壊され、作っては壊されている。マンガやアニメの世界、その空想世界にある建物を実際に設計して顧客に提案するのだ。

かくして、アサガワに巻き込まれる形で広報グループは、マジンガーZの地下格納庫を作る依頼をファンタジーの世界から受けたという体裁で、検討に向け始動する。アサガワが上層部やマジンガーZの権利元に次々と根回しをし、部員たちも創意工夫を凝らしていく。

最初は、冷ややかだったドイも、渋々ながらも巻き込まれた部員たちと共に、掘削オタクで土質担当のヤマダ(町田)、クセの強いベテラン機械グループ担当部長のフワ(六角)、さらに社内だけでなく社外からも協力を得て、前代未聞のミッションに立ち向かっていく。

⒈徐々にのってくるメンバー
リーダーが突然マジンガーZの格納庫作ろうよと騒ぎ出す。こいつ何興奮しているの?と思う。躁鬱病の躁状態だ。部下の広報部員は何となくしらけている。周囲にいる社員連中たちは奇異の目で見ている。でも今回のプロジェクトに参画するメンバーがそれぞれに分担して、設計や施工のためにノウハウを知ろうと社内の専門オタクに聞いているうちに一気にやる気が増強する。


女性の広報部員が土木の地質のオーソリティの話を聞きに行っても眠くなるばかり、でも地質オタクが夜遅くまでかかりっきりになるのにつられる。女の子も徐々にのってくる。最後には掘削や残土処理の積算と工期算定を報告していた。こういうシーンっていいよね。


でも、こういうのは労基署が見たらどう思うんだろう。課外と言いながらパソコンログオフしているわけではないので、残業代支払っているのか?とか査察に入られたら大騒ぎになるだろうなあ。立憲民主党の連中どももこういう映画は嫌がるだろうねえ。

⒉永井豪と思春期
久々出てきたね。永井豪、このじいさんてっきり前田建設の社長かと思った。


マジンガーZが昭和47年スタートとなると、自分も中学生になってクラブ活動もあり洋楽に強い関心をもつようになった。趣味嗜好がもっと大人びていたのである。同じころの永井豪作品で言うと、「デビルマン」も知らない。逆に「ハレンチ学園」は真逆でクラス中みんな漫画読んでいたし、TVも見たし、映画館にも向かった。思春期に入ったころで、親の目をかすめてじっと見る。世間ではバカな教育ママたちは低俗番組と大騒ぎである。別にいいじゃんと思うけど、ヒステリーBBAには困ったものだ。


一躍人気になったのが児島美ゆきでTVも映画も主演。でもバストトップは見せてくれない。二代目十兵衛の渡辺やよいが映画で見せてくれて小学生の自分には超刺激的だった。実家の従業員と同級生と見に行って、同級生が思わず自分の股間を触って、固くなっているのか確かめる。その記憶が50年近く前だけど鮮明に記憶に残る。
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映画「スペシャルズ」ヴァンサン・カッセル

2020-09-16 20:04:50 | 映画(フランス映画 )
映画「スペシャルズ 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たち」を映画館で観てきました。


自閉症の題名が入っているのが気になり映画館に向かう。ヴァンサン・カッセルは韓国通貨危機の話「国家が破産する日」でIMFの高官を演じていた。「スペシャルズ」は実話に基づき自閉症児も出演しているのでドキュメンタリー的な要素を持つ。一般的な自閉症のイメージでいくと、ここでの自閉症患者はかなり重症である。

自閉症のレベルによっては、通常の義務教育に通えるレベルの子が多い。でも、このレベルだと養護学校でないと対応は無理であろうし、普通のところでは手に負えない子たちばかり扱っているというセリフもある。

ブリュノ(ヴァンサン・カッセル)は、自閉症の子供たちをケアする団体〈正義の声〉を運営している。支援している青年の一人ジョゼフが、電車の非常ベルを鳴らして鉄道警察に取り押さえられたのだ。緊急地域医療センターへと向かうと、重度の症状から6か所の施設に受け入れを断られたヴァランタンという少年の一時外出の介助を頼まれる。完全に心を閉ざしていたヴァランタンは頭突き防止のヘッドギアをつけて、一人で立ち上がることもできない。


会計士から、監査局の調査が入ることになり、不適切な組織だとジャッジされれば、閉鎖を命じられると忠告される。赤字経営で無認可、法律の順守より子供たちの幸せを最優先するブリュノの施設は、役人に叩かれれば山のように埃が出る状態だった。

ブリュノはヴァランタンの介助を、マリク(レダ・カテブ)に相談する。ドロップアウトした若者たちを社会復帰させる団体〈寄港〉を運営するマリクは、教育した青少年をブリュノの施設に派遣していた。マリクは遅刻ばかりでやる気のない新人のディランを、ヴァランタンの介助人に抜擢する。

そんな中、調査員が関係者との面談を始める。まずはジョゼフの母親が、無認可の組織の落ち度を探られるが、彼女はいかにブリュノが親身で熱心かを力説し、「認可なんて関係ない」と言い切るのだった。ジョゼフの勤め先を見つけようと、1万通メールしても断られ続けたブリュノだが、ようやく試しに1週間雇ってくれる洗濯機工場が現れる。だが、それも長くは続かなかった。一方、運動に連れ出されたヴァランタンも、遅れてきたディランの鼻に頭突きをしてしまう。直前まで手を握っていたのにとディランは憤然とする。

調査員は次なるターゲットのマリクに、大半の支援員が無資格だと詰め寄るが、マリクは資格があれば暴れる子を抑えられるのかと鼻で笑う。緊急地域医療センターの医師も、3か月で退院しなければならない患者を無条件で受け入れてくれるのは、ブリュノだけだと証言する。
調査員は称賛の声にも耳を貸さず、無秩序で怪しげな団体だと決めつけるのであるが。。。(作品情報より引用)

症状が重いのはヴァランタンという少年だが、もっともよく出てくるのがジョゼフという青年だ。ようやく引き取ってくれる工場が見つかり、電車に乗って行こうとするが、なかなかたどり着かない。しかも、電車に乗ると非常ボタンを押してしまい、電車を止めてしまう。常習犯で同じことを何度もやる。ようやく工場で働くようになったら、同僚の女性に寄り添って離れない。ある程度寛容の気持ちで見てもらっても工場も嫌気がさすのだ。

1.忙しい主人公ブリュノ
ヴァンサン・カッセルもいろんな役を演じているけど、今回ばかりはかなり疲れたんじゃないだろうか?まさに重症の自閉症患者を取り扱うほど面倒なことはない。

携帯電話はたえず鳴りっぱなし。預かっている子どもが手に負えないほど面倒なことを起こすのに加えて、誰からも見放された子がいるので頼むから引き受けてくれという電話も病院その他からガンガンかかってくる。ブリュノは独身でお見合い的紹介を受けてビシッとスーツで決めて、携帯の電源を切って相手の女性と会う。これも行方をさがしてきた同僚に追われて、話はまとまらないのだ。


2.自閉症
hors normeという仏語題の日本語訳はと調べると「並外れた」である。確かにそうだ。ダスティンホフマンがアカデミー賞を受賞した「レインマン」をはじめとして「自閉症」を扱った映画は意外に多い。でも、ここまでの重症患者は出演していなかった。統合失調症と診断されて薬を飲まされる羽目になったというセリフもある。その診断自体も変だとは思えない。

自分の子どもは、幼稚園にあがるころまで言葉があまりしゃべれなくて広汎性発達障害の疑いがあるといわれた。あたふたして、児童相談所や障がい施設にはずいぶん行ったことがあった。それもあってか、ここで見るのはとびきりハードな自閉症児のように思える。


許認可を受けていないし、無資格者が障がい者を取り扱っているとなるとフランス厚生省当局が監査をするのは職務上当然であろう。営業停止となるのも常識的である。でも主人公が調査員に言う。「どこの施設も、誰も面倒を見切れない重症者ばかりなんだ。いいからそちらで預かってください」と。そう言われても、当局は引き取りようがない。見放されると途方に暮れる子どもたちばかりだから、妥協したということなんだろう。

3.インターナショナルな出演者
ドロップアウトした若者たちを集めた施設を扱っているマリクのところには、アフリカ系、ヴェールをかぶったイスラム系、アジア系と人種のるつぼになっている。


マリク自体イスラム教徒だとしている。エマニュエル・ドットの本で読んだのであるが、最近のフランスは無宗教国家になりつつあり、凶悪なテロ事件を受けてイスラム教徒がフランス国民から相当いやな目に遭っているという。今回のこの映画もそういう影響を受けている感がある。
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映画「チィファの手紙」ジョウ・シュン&岩井俊二&ダン・アンシー

2020-09-13 05:53:09 | 映画(アジア)
映画「チィファの手紙」を映画館で観てきました。


岩井俊二監督作品ラストレターは今年公開された中でも好きな作品だ。そのラストレターとほぼ同じストーリーを中国で岩井俊二監督が撮った作品「チィファの手紙」が公開されると聞き早々に見に行く。実は中国版の方が先に制作されたらしい。プロデュースにはこれも自分の好きな香港映画ラブソングの監督であるピーターチャンが加わる。どんな感じに仕上がるのか見る前から興味津々だった。

ラストレターが夏休みの出来事であるのに対して、「チィファの手紙」が冬の中国が舞台と対照的な設定がいくつかある。それでも、ストーリーと場面はほぼ同じなので目で追いやすい。岩井俊二自ら音楽担当のクレジットに名を連ねる澄み切ったピアノが基調の音楽に合わせて流れる映像は美しく快適な時間を過ごせた。

チィナンの葬儀が終わった後で、チィナンの娘のムームー(ダン・アンシー)は中学の同窓会の通知が母の手元に届いていたことをチィナンの妹ユエン・チィファ(ジョウ・シュン)に伝えて渡す。チィファは同窓会に出席して姉の死を告げるつもりが、本人に間違えられてしまいそのまま席に着く。そこには、その昔憧れていたイン・チャン(チン・ハオ)が出席していた。

思いもよらずスピーチを依頼されたチィファは早々に席を離れるが、彼女をイン・チャンが追いかける。チィファはここでも姉チィナンの代わりできたとはいえなかった。イン・チャンからこのあと一緒にどうですかと聞かれたが、交換先をスマホで交換して別れる。「あの小説読んだ?」と聞かれたが、チィファは意味がわからなかった。


帰宅後、イン・チャンが「ずっと好きだった」というメッセージを送ったのをチィファの夫が見つけて憤慨する。チィファのスマホは壊されてしまう。仕方なくチィファは、チャンに住所を明かさないまま手紙を送る。手紙を受領したイン・チャンは感激して返信する。

住所がわからなかったので元の住所に送る。宛名が死んだチィナン宛てであったので、娘のムームーと冬休みで来ていたチィファの娘サーラン(チャン・ツィフォン)が封をあけて手紙を読む。そして、2人がイン・チャンに向けて返信するのだ。


30年前にさかのぼる。北京からイン・チャンが家族で転校してきた。インチャンの妹とチィファ(チャン・ツィフォン一人二役)が同級で仲良かったので、妹が病気で休んでチィファが訪ねてきたときにはじめてインチャンと出会う。その後、インチャンの妹の病気が長引き、改めてチィファが訪ねてきたとき、たまたま外で姉のチィナン(ダン・アンシー一人二役)が自転車で通りかかる。

チィナンに一目惚れしたイン・チャンはラブレターを書き、チィファを通じて姉に渡してくれと頼む。何度も書いたのにもかかわらず反応がないのでどうしたのかと思っていた。生徒会の会合でイン・チャンとチィナンが会ったときに改めて確かめると、妹のチィファがイン・チャンのことを好きになったので手紙を渡していないのがわかったのであるが。。。

こうして現代と30年前が並行して流れるのはラストレターと同じである。

1.現代の中国ヘの変貌
こうして現代中国の場面が出てくると、少し前の中国映画や地方を舞台にした作品では映っていない現代風住居とインテリアが急激に洗練されたことに驚く。街並みもきれいに整った。システムキッチンも廻り縁のある部屋も少し前はこんな小綺麗でなかった。チィナンの父母も住む家が平屋で、岩井俊二監督中山美穂主演の名作「love letter」で中山美穂が住む家によく似ていることを思い出した。あの映画も冬の小樽が舞台だった。

2.中国版出演者
チィファを演じたジョウ・シュン は中国四大女優のひとりとまで言われる存在だ。個人的には永作博美に似ている気がした。ここでは大きな抑揚はなく中国の俳優らしく淡々と演じる。ラストレターでは福山雅治に対応する小説家をチン・ハオが演じる。松任谷正隆を散切り頭にしたような雰囲気の俳優だ。でも、賃料の高い上海にいることも含め、労働せずに文筆活動という設定自体が毛沢東がもっとも嫌悪するタイプで文化大革命を経た中国社会ではありえない存在ではなかろうか?と感じる。


それにしてもかわいいのは若き日のチィナンとチィナンの娘の一人二役を演じたダン・アンシーだ。この清楚さは新垣結衣を連想する。中国の女優というと、ゴンリーとかチャン・ツィイーのように気が強そうで、打算的に見える。それとは違う。広瀬すずもかわいいけど、チィナンの存在はこの作品が上に見える。


3.中山美穂と豊川悦司
ラストレター」のとき、もっとも衝撃的だったシーンは中山美穂と豊川悦司の2人が出たときだ。これには背筋に電流が走った。セリフと設定は若干違うが、同じようなシーンがある。残念ながらlove letterという前哨戦の名作があるからわれわれを驚かせたというハンデがあるわけど、これも日本版に軍配が上がる


4.30年前のチィナンのスピーチ
卒業式の答辞を依頼され、美人で優等生のチィナンが指名される。その添削をインチャンが頼まれる。手紙の文面が素敵だったからだ。チィナンが一生懸命考えてつくったそのスピーチがいい。当然、岩井俊二の思いが入っているわけだ。


われわれには無限の可能性がある。この場所で等しく輝いていたわれわれが違う人生を歩んでもまた巡り会おうというようなことを言っていたと思う。これを聞いて魯迅の「故郷」を思い出した。われわれの時も中学三年生の国語の時間で習ったけど、今も教科書にはあるらしい。40年以上前の授業だったけど、つい昨日のように思い起こせる。

自分の時は私立中学志向に移行し始める時期だった。中卒も若干いたし、結果的に高校中退もいた。勉強できるやつも含めてレベルは上から下まで公立中学で一緒に過ごしていた。この作品をあらゆる日本の中学3年生が習うのはこのスピーチにあるようなことを感じさせる意味があると思う。あれ?「ラストレター」のときはどうだっけと思いながら感激していた。
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映画「白と黒」仲代達矢&小林桂樹&橋本忍

2020-09-11 05:43:35 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「白と黒」を名画座で見てきました。
これは実によくできたサスペンスである!


映画「白と黒」は昭和38年(1963年)の東宝映画である。昭和38年のキネマ旬報ベスト10の1位はにっぽん昆虫記で2位が黒沢明監督の天国と地獄とハイレベルな戦いである。その年の9位にDVDその他で見かけない作品があった。映画「白と黒」である。名画座での上映に思わず駆け込み、名脚本家橋本忍のオリジナルシナリオでサスペンスという先入観だけで見た。

先輩弁護士の奥様を男女関係のもつれから殺してしまった主人公の弁護士が、警察に捕まり自白した容疑者の弁護をひきうけながら、その罪の意識に心を乱すという話である。単純にはいかない展開と仲代達矢、小林桂樹という東宝の看板スターの演技合戦に息をのむ。

いきなり男女2人が言い合っている姿を映す。「あなたは私の男妾よ」といわれながら、男は女のクビを締めて殺す。男は浜野弁護士(仲代達矢)で、女は浜野がお世話になった宗方弁護士の妻靖江(淡島千景)である。浜野はすぐさま中目黒の宗方邸を立ち去り、自宅へ戻ると宗方宅のお手伝い(菅井きん)から奥様が亡くなったと電話を受ける。事件現場にいくと、浜野がその日に訪問したと聞いた刑事(西村晃)から何時に宗方邸をでたのかと事情徴収を受ける。そのとき、容疑者が捕まったという知らせが入り、浜野は驚く。

捕まった容疑者脇田(井川比佐志)は前科四犯の窃盗常習犯であり、送検され事件を担当する落合検事(小林桂樹)から事情徴収をうけた。脇田は現場から金目の貴金属や現金の証拠品を持ち去っていった。自分は盗みはしたけど、殺しはしていないよと主張する。それでも、執拗な落合検事の取り調べが続き、やがて自白した。弁護には殺された妻の夫である宗方弁護士(千田是也)と浜野弁護士があたることになる。宗方は死刑反対論者であった。

法廷検事に引き継いでいったん仕事を終えた落合検事が、夜のバーで顧問先の建設会社社長(東野英治郞)と一緒だった浜野弁護士と一緒になる。その席で酩酊した浜野弁護士が落合検事に対して、自白の根拠だけで殺しをやったと決めつけるのはおかしいのではないか。自白しても、物証はないではないかと浜野弁護士は主張する。その場では強く反発した落合検事であったが、確かに気になる点があると上司の部長検事(小沢栄太郎)の許可を得て、再度捜査を開始する。しかし、すでに法廷では脇田は死刑の求刑を受けているのであった。


その日に宗方邸のお屋敷に入ったのは浜野とお手伝い、2人と夫人の身辺を洗うと意外なことがわかってくる。徐々に浜野と婦人との関係を匂わせる証拠が出てきたのであるが。。。

1.橋本忍の緻密な脚本
いきなり殺しの場面がでる。犯人がすぐわかるわけである。早めに犯人を観客に知らせてどうやってその犯人が捕まるのか?または無罪放免になるのか?そういうことを観客に考えさせるという映画もある。「飢餓海峡」なんて映画は比較的中間地点で三國連太郎を犯人だと判明させる。でも、この映画では井川比佐志演じる別の犯人を放つ。現場から金目のものを奪って捕まってしかも自白しているのだ。われわれは仲代達矢が犯人だとわかっているから、これって冤罪モノかと考える。そんな感じで見ながら映画の行く先を考える。

しかし、筋立ては単純でない。映画の至る所に伏線を張りながら、少しずつ自分の予想をはずしていく。橋本忍は実にうまい。そして、特別出演で大宅壮一松本清張を登場させる。大宅壮一は当時当代きっての評論家だったけど、この時代のテレビの映像は意外に残っていないからこれって貴重な映像だよね。松本清張が特別出演する。この二人の存在が映画の中で生きる。

2.仲代達矢と小林桂樹のすばらしい演技
一連の黒澤明作品がピークに達している時期である。仲代達矢用心棒、椿三十郎という時代劇、捜査責任者を演じた「天国と地獄」、同じ時期にそういった名作はあれど、演技レベルでいえばこの作品がいちばんだと思う。

仲代達矢小林桂樹が対峙する場面がある。電車がとおる音が響く個室で、小林桂樹が迫る。そのセリフの一つ一つは橋本忍に緻密に設計され、それに対して仲代達矢が対処する顔つきはすごい迫力を持つ。すばらしい!小林桂樹成瀬巳喜男監督「女の中にいる他人」で逆に殺人犯を演じたが、そのときと同じような匂いを感じた。社長シリーズのおちゃらけた姿とは違ううまみがある。

3.60年代が匂う映画
マツダの三輪車トラックや外車の黒塗り送迎車などで「三丁目の夕日」を地でいっている60年代の光景が映る。殺された邸宅もいかにも一時代前のお屋敷の雰囲気を持つのだ。設定自体も山茶花究演じる建設省の役人と東野英治郞演じる建設会社の社長が夜の接待で一緒になったりするのは最近ではあまり見ない光景だろう。そこに絡む特殊音の使い方のうまさ、武満徹の不安を感じさせる音楽が効果的に使われる。映画会社専属がいわれていた時期に、こういうシリアスな映画では俳優座の団員たちなしでは成立しなかったのもよくわかる。

仲代達矢がにげきれるのか?捕まるのか?このあたりに緊迫感をわれわれに感じさせる。そうやって迷彩をつくりながら、一瞬にして思わぬ死角をつくる。ネタバレになるからいえないが、橋本忍の脚本は実にお見事である。松本清張がゲスト出演したのもそう思ったからであろう。自ら犯した殺人事件に別の犯人が現れ、その人物の弁護をする弁護士が主人公なんて設定はありそうでなく現代にリメイクされてもおかしくない。

今日はボロボロのフィルム上映だったけど、AMAZONプライムにあった。ただ、この映画は大画面で観た方がいいと思う。

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映画「mid90s ミッドナインティーズ」 ジョナ・ヒル

2020-09-07 19:32:56 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「mid90s ミッドナインティーズ」を映画館で観てきました。


映画「mid90s ミッドナインティーズ」はマネーボールウルフオブウォールストリートの名脇役で存在感を示したジョナヒルの初監督作品だ。13歳の不器用な少年がスケートボード好きの年上の不良少年たちの仲間に入って大人の世界に一歩踏み入れようとする青春映画だ。これといったスターは誰も出演していない。評論家筋の評価は高く、女性陣からは感涙というコメントもあるが何で泣くのかな?ちょっと大げさかなという感じを持つ。

1990年代半ばのロサンゼルス。13歳のスティーヴィー(サニー・スリッチ)は兄のイアン(ルーカス・ヘッジズ)、母のダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と暮らしている。小柄なスティーヴィーは力の強い兄に全く歯が立たず、早く大きくなって彼を見返してやりたいと願っていた。


そんなある日、街のスケートボード・ショップを訪れたスティーヴィーは、店に出入りする少年たちと知り合う。彼らは驚くほど自由でかっこよく、スティーヴィーは憧れのような気持ちで、そのグループに近付こうとするが…。(作品情報より引用)

⒈背伸びした13 歳の主人公
ちょっと古いが「小さな恋のメロディ」マーク・レスターに似ている。13歳の男の子は小学生の雰囲気が抜けきれない少年も多い。背も小さい。片親で兄貴と暮らしているが、兄貴にはいじめられている。スケートボードショップにたむろう不良グループの中で存在感を認めてもらおうと一生懸命だ。気持ちはよくわかる。


スティーヴィーはただ突っ張っているだけの嘘つき少年である。タバコ吸ったことないくせに、無理やり吸ってゴホン、いつも吸うけどこれじゃないんだなんていう。パーティで知り合った年上の少女と2人きりになって、デートしたことある?と聞かれ、思わずフロリダのディズニーランドに行ったなんていってしまう。

でもこのくらいの年齢ってこんなものでしょう。悪さの数々がばれて母親が何でなんでも話してくれないの?と言うけど、なかなか母親には本当のこと言わないよね。

でもあることで仲間に認めてもらう。黒人は日焼けするか?と不良の先輩たちに質問されてしばらく考えこんで、「黒人って何?」といってしまい、周囲がなごむのだ。

⒉アメリカの格差社会をのぞく
ジョナヒルの自叙伝的意味合いを持つという。どちらかというと、片親で、持ち家には住んではいるが下層階級に近いかもしれない。最近日本は格差社会なんて言うけど、アメリカは極端だ。比較的まともな本の部類の小林由美「超格差社会アメリカの真実」によれば、「公立の小中高等学校ヘいけば、麻薬、セックス、暴力が蔓延している」となっている。この映画はそれを地でいっている。ともかく途中からめちゃくちゃである。


日本では私立の名門も多いが、一時の公立の低落傾向も収まり公立名門校は数多く存在する。「低所得に生まれ、低水準の公共教育しか受けられなかった人は、その後の人生を通じて衣食住すべての日常生活で大きなハンデキャップを背負う」とまで言い切る。不良仲間の一人が高2になったので、うちは金があるからそろそろハーバード大を目指すなんてセリフもある。少しづつ格差をのぞかせるのだ。ジョナヒル自身も「マネーボール」でイェール大出のインテリ野球オタクを演じてそっちの部類かと思ったらどうやら違うようだ。

⒊優しい年上の女の子
13歳のくせにタバコをすうだけなく、ドラッグにも酒にも手を出す。ただ、うらやましいのは、パーティで年上の女の子にちょっかいを出してもらえることだ。しかも、ドラッグでメロメロだ。ラリっているときに流れるのがハービーハンコック「ウォーターメロンマン」なかなかいい取り合わせだ。


デートをしたこともないのに、したよとドキドキしながら嘘を言う。でも女の子にも好奇心があるのか?別室に誘われてペッティングをしたと大騒ぎだ。このころは、憧れだけはあったけど、そんなことには当然無縁だった自分からするとうらやましい。
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映画「シチリアーノ 裏切りの美学」 マルコ・ベロッキオ

2020-09-02 19:48:27 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「シチリアーノ 裏切りの美学」を映画館で観てきました。

「シチリアーノ裏切りの美学」愛の勝利を ムッソリーニを愛した女眠れる美女という傑作でメガホンをとったマルコ・ベロッキオ監督の新作である。愛の勝利を ムッソリーニを愛した女はイタリアの独裁者 ムッソリーニが共産主義者だったころから支えた女性との関係を描いた作品である。ムッソリーニ自らの演説も混ぜた編集、感情を揺さぶる音楽をふくめ 撮影、映像コンテすべてにおいてすばらしい作品だった。今回もそれに期待して映画館に足を運ぶ。


マフィアの鉄の結束を裏切った男に焦点をあてて、実際の抗争とマフィア幹部を裁く裁判を80年代から約20年にわたって追っていく。 日本の傑作といわれる「仁義なき戦い」などの実録もの映画は、裏切りに次ぐ裏切りの連続をスピード感をもって描いている。 ここでは深作欣二監督作品のようなスピード感こそないが、 イタリア人独特の情熱的なパフォーマンスや日本ではありえない大人数の被告人が檻の中から罵声を発する裁判の形式自体に圧倒的迫力を感じる。


1980年代初頭、シチリアではマフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派の大物トンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)は抗争の仲裁に失敗しブラジルに逃れるが、残された家族や仲間達はコルレオーネ派の報復によって次々と抹殺されていった。ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、マフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事(ファウスト・ルッソ・アレジ)から捜査への協力を求められる。


麻薬と殺人に明け暮れ堕落したコーザ・ノストラに失望していたブシェッタは、固い信頼関係で結ばれたファルコーネに組織の情報を提供することを決意するが、それはコーザ・ノストラの ”血の掟” に背く行為だった。(作品情報より引用)

1. 主人公ブシェッタと ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ
よくぞまあ、人相の悪い主人公を選んだものだ。結婚は3回目、パーティがあると前妻との子供も一緒に加わる。 女好きで、刑務所の中でもやりまくりだ。 両方のマフィアのグループの間に入ろうとするが、うまくいかないとわかるとさっさとブラジルに行く。

そこで麻薬で捕まって当局から拷問を受ける。2台のヘリコプターに乗って、片方には拷問で負傷している ブシェッタ、片方には吐かないとヘリコプターから海に落とすぞとばかりに妻クリスチーナを吊るすシーンがすごい。

2.裁判
大きな裁判所の法廷である。その法廷の片隅に檻に入っている被告人が大勢いる。なんじゃこれ?中からは大きな声で裏切り者にたいして罵声が飛ぶ。傍聴席にいる被告人の妻たちも叫びまくる。すごい迫力だ。この連中も人相が悪い。裁判長もそのパワーに負けじと対抗する。ブシェッタとボス的存在だったピッポ・カロ2人並んで証言する。裁判と言うより罵り合いだ。兄貴は会ったことあるけど、本人には会っていないよと。もうその時点でブシェッタの兄貴は暗殺されている。でもとっておきの証拠があると、写真をおもむろに差し出す。


3.印象に残るシーン
あるターゲットがいる。その男に狙いを定めてブシェッタは待機している。相手は自分が狙われていることに気づくと、生まれてまもない赤ちゃんをおもむろに抱く。すると、ブシェッタは撃てない。年数を経てもずっと狙っている。公衆の面前ではいつでも子どもと一緒だ。そうやって時間がたち、その子どもが結婚することになる。ようやく1人になりブシェッタはピストルを手に取るのだ。いつまでたっても追い続ける執念がみなぎっていた。



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