映画「マーティン・エデン」を映画館で観てきました
「マーティン・エデン」はジャック・ロンドンの小説を、ピエトロ・マルチェッロ監督が20世紀初頭のアメリカから1970年代のイタリアに舞台を移し映画化した作品である。アメリカ文学に造詣のない自分はもちろん未読。荒くれ者の船乗りがブルジョワ階級の女性と接することで書物に目ざめ作家になるまでを描いている。主演のルカ・マリネッリが「ジョーカー」のホアキン・フェニックスをおさえて2019年ヴェネツィア国際映画祭男優賞受賞、まさに新しい男性スターの登場ともいえる好演である。
イタリアナポリの港町、労働者階級に生まれ育ったマーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、船乗りとして自由奔放に生きていた。ある日港で一人の若者が暴漢にいじめられているのを見てやめろと声をかける。ところが、言うことを聞かないので暴漢を殴り倒し若者を助ける。若者は大豪邸に住む金持ちの御曹司だった。
そのお屋敷にいくと、姉のエレナ・オルシーニ(ジェシカ・クレッシー)がいた。エレナは今まで付き合ったことのない清楚で知的な女性で、マーティンは一気に惹かれる。部屋には本がたくさん置いてあり、マーティンはよくわからないけれど強い関心を持った。
オルシーニ家にとっては息子を救った恩人ということでこれをきっかけにお屋敷に出入りするようになる。エレナの影響で読書にのめり込む。しかし、マーティンは小学校4年までしか学校は行かなかった。エレナはマーティンには教育が必要と諭して、本人もその気になるが、基礎的な素養がないと受け取られ独学するしかない。仕事も辞めて旅行にでて、ネタを集めて文章を書こうと試みる。そのとき列車の中で知り合ったマリア一家に身を寄せ、本を読んでは書き出版社に小説を送り続けるが、不採用が続く。
そんなときオルシーニ家で知り合ったインテリ階級のラス・ブリッセンデン(カルロ・チェッキ)の知遇を得る。その後も不採用が続き衰弱したマーティンのもとにようやく雑誌から採用の通知と報酬の20万リラが届く。周囲に喜ばれるが、ラス・ブリッセンデンに連れて行ってもらった社会主義者の集会で演説したことでエレナとオルシーニ家の怒りを買うのであるが。。。
1.努力家マーティン・エデン
荒くれ者で、クチよりも手の方が先に出る。女とみたらすぐやっちゃう。それが努力家に変貌する。個人的にはマーティン・エデンという男に好感を持った。最初は「ブルジョワの女性と接して」という映画の宣伝文句に石川達三の「青春の蹉跌」のような展開を事前に予想していたが、まったく違った。自分を偉くみせようとするところがない。見栄は張らない。素直に小学校4年で学校はやめたと言い切る。
作家のボードレールの名前もちゃんといえない。知ったかぶりをせずに素直にエレナの影響を受ける。しかも、なけなしの金をはたいて中古のタイプライターを購入する。慣れない手つきでタイプを打つ姿がいじらしい。
それだからか、エレナも徐々に惹かれていく。エレナに対しては奥手だ。物書きになろうと、今まで生きてきた人生のことを文章にして出版社に何度も送るがいつも原稿が戻ってくるばかりだ。それでも、常に読書をしたり、旅をして見聞を広めなんとか認められるようになろうとする向上心を持つところに惹かれる。とは言え、立身出世といういやらしさはない。
2.後半への転換に慣れない
認められてからの変貌は、これって夢の中の妄想話と一瞬思ったくらいだ。そんなに変わってしまうの?というのをわざと見せつける意図だろうが、なんかしっくりこない。家賃を支払わないからマーティンを冷遇した義兄や送った原稿をそでにした出版社などを含めて、本が売れて手のひら返した対応に戸惑うというよりも反発する。それでもお世話になった母子家庭のマリアには家を用意している。恩返しのできるいい男でもある。
主人公のキャラを理解し巧みに演じたルカ・マリネッリがパワフルでうまい。アランドロンの再来という褒め言葉もあるが、それは言える気もする。イタリアが舞台ということでは同じの「太陽はひとりぼっち」を連想する。
「マーティン・エデン」はジャック・ロンドンの小説を、ピエトロ・マルチェッロ監督が20世紀初頭のアメリカから1970年代のイタリアに舞台を移し映画化した作品である。アメリカ文学に造詣のない自分はもちろん未読。荒くれ者の船乗りがブルジョワ階級の女性と接することで書物に目ざめ作家になるまでを描いている。主演のルカ・マリネッリが「ジョーカー」のホアキン・フェニックスをおさえて2019年ヴェネツィア国際映画祭男優賞受賞、まさに新しい男性スターの登場ともいえる好演である。
イタリアナポリの港町、労働者階級に生まれ育ったマーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、船乗りとして自由奔放に生きていた。ある日港で一人の若者が暴漢にいじめられているのを見てやめろと声をかける。ところが、言うことを聞かないので暴漢を殴り倒し若者を助ける。若者は大豪邸に住む金持ちの御曹司だった。
そのお屋敷にいくと、姉のエレナ・オルシーニ(ジェシカ・クレッシー)がいた。エレナは今まで付き合ったことのない清楚で知的な女性で、マーティンは一気に惹かれる。部屋には本がたくさん置いてあり、マーティンはよくわからないけれど強い関心を持った。
オルシーニ家にとっては息子を救った恩人ということでこれをきっかけにお屋敷に出入りするようになる。エレナの影響で読書にのめり込む。しかし、マーティンは小学校4年までしか学校は行かなかった。エレナはマーティンには教育が必要と諭して、本人もその気になるが、基礎的な素養がないと受け取られ独学するしかない。仕事も辞めて旅行にでて、ネタを集めて文章を書こうと試みる。そのとき列車の中で知り合ったマリア一家に身を寄せ、本を読んでは書き出版社に小説を送り続けるが、不採用が続く。
そんなときオルシーニ家で知り合ったインテリ階級のラス・ブリッセンデン(カルロ・チェッキ)の知遇を得る。その後も不採用が続き衰弱したマーティンのもとにようやく雑誌から採用の通知と報酬の20万リラが届く。周囲に喜ばれるが、ラス・ブリッセンデンに連れて行ってもらった社会主義者の集会で演説したことでエレナとオルシーニ家の怒りを買うのであるが。。。
1.努力家マーティン・エデン
荒くれ者で、クチよりも手の方が先に出る。女とみたらすぐやっちゃう。それが努力家に変貌する。個人的にはマーティン・エデンという男に好感を持った。最初は「ブルジョワの女性と接して」という映画の宣伝文句に石川達三の「青春の蹉跌」のような展開を事前に予想していたが、まったく違った。自分を偉くみせようとするところがない。見栄は張らない。素直に小学校4年で学校はやめたと言い切る。
作家のボードレールの名前もちゃんといえない。知ったかぶりをせずに素直にエレナの影響を受ける。しかも、なけなしの金をはたいて中古のタイプライターを購入する。慣れない手つきでタイプを打つ姿がいじらしい。
それだからか、エレナも徐々に惹かれていく。エレナに対しては奥手だ。物書きになろうと、今まで生きてきた人生のことを文章にして出版社に何度も送るがいつも原稿が戻ってくるばかりだ。それでも、常に読書をしたり、旅をして見聞を広めなんとか認められるようになろうとする向上心を持つところに惹かれる。とは言え、立身出世といういやらしさはない。
2.後半への転換に慣れない
認められてからの変貌は、これって夢の中の妄想話と一瞬思ったくらいだ。そんなに変わってしまうの?というのをわざと見せつける意図だろうが、なんかしっくりこない。家賃を支払わないからマーティンを冷遇した義兄や送った原稿をそでにした出版社などを含めて、本が売れて手のひら返した対応に戸惑うというよりも反発する。それでもお世話になった母子家庭のマリアには家を用意している。恩返しのできるいい男でもある。
主人公のキャラを理解し巧みに演じたルカ・マリネッリがパワフルでうまい。アランドロンの再来という褒め言葉もあるが、それは言える気もする。イタリアが舞台ということでは同じの「太陽はひとりぼっち」を連想する。