映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「果てしなき情熱」 笠置シヅ子&市川崑

2023-09-21 23:01:45 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「果てしなき情熱」を名画座で観てきました。


映画「果てしなき情熱」は名画座の笠置シヅ子特集で観た1949年(昭和24年)の市川崑監督作品だ。この映画の存在は初めて知った。脚本は市川崑の連れ合い和田夏十で、落ちぶれた作曲家の物語である。いきなり画面に「これは作曲家服部良一の物語ではないよ」と文字でデカデカとでてくる。何じゃそれと思いながら古いフィルムの映像を追う。作曲家に堀雄二が扮して、その相手に月丘千秋をあてるが、笠置シヅ子に加えて、山口淑子、淡谷のり子の2大スターと当時の人気歌手を揃える。いずれも服部良一の曲だ。どちらかと言うと、怖いもの見たさに映画館に向かったという感じだ。

戦後のある繁華街、キャバレーに入り浸る作曲家の三木(堀雄二)は数々のヒット曲を生み出すが、酒に溺れる生活を送っていた。そんな三木は信州の田舎で出会った名前も知らない女に想いを寄せていた。キャバレーで下働きするしん(月丘千秋)が三木に想いを寄せて、シングルマザーの歌手福子(笠置シヅ子)が応援している。


ある日、三木は刃物を持った暴漢に襲われ、刺し返して刑務所で一年過ごすことになる。出所時にしんが待ってくれて、結婚を誓う。ところが、結婚を祝う日の夜に、駅のプラットフォームで想いを寄せる女性優子(折原啓子)にばったりあってしまい三木の心が揺れる。

作曲家の主人公の行動が意味不明でさっぱりわからない。
何でこんなに酔うのか?わずかな時間あっただけの女性にそんなに想いを寄せることってある?月丘千秋のような美女が目の前にいるのにだ。残念ながら、ありえないようなストーリーで脚本はハチャメチャだ。正直なところ高校の文化祭に毛の生えたような脚本だ。服部良一がこの映画は自分がモデルじゃないよとわざわざ言うのもよくわかる。だっていくら戦後のゴタゴタでもこんな女々しい男いるわけないよ。数々の名作品を生んだ脚本家の和田夏十も初期段階は世間に疎い。

逆に、市川崑がこだわったと思われるカメラワークがいい。カメラのズームを縦横無尽に使い移動撮影で巧みに歌手たちを映すのはいい。後年の作品を連想する。

口パクであっても、全盛時の山口淑子が歌っている姿を映し出す貴重な映像がでてくる。山口淑子は昭和24年近辺では、森雅之共演「我が生涯のかゞやける日」池部良共演「暁の脱走」三船敏郎共演の「醜聞」など後世に残る作品で主役を張る。特に「暁の脱走」での盛りのついた牝犬のような激しい接吻が印象的だ。大画面にアップで「蘇州夜曲」を歌う。服部良一の作曲だ。


今回メインなのは笠置シヅ子だろう。3曲歌っている。宝塚出身の月丘千秋や服部富子などの美人女優が共演なので、容貌的には引き立て役になってしまう。それでも存在感がある。関西弁でまくしたてているのも悪くない。他の人はわざとらしいせりふが多いので自然な演技に魅力を感じる。

この頃は「ブギウギ」調の数々のヒット曲を生んで、映画にもずいぶんとでている。笠置シヅ子をすごいなあと思ったのは黒澤明「酔いどれ天使」でのジャングルブギーの場面だ。カメラがグッと笠置シヅ子に近づく場面は大画面ではじめて観た時ドッキリした。あの迫力には劣るがここでもいい感じだ。


実は、この映画を観て気づいたことがある。映画「酔いどれ天使」で、笠置シヅ子がジャングルブギーを歌う前に、三船敏郎と山本礼三郎を目の前にして色っぽい木暮実千代がダンスを踊る場面がある。その時に流れるバックミュージックの響きと今回聞いた曲が一致したのだ。

「夜のプラットフォーム」である。この映画では服部良一の妹である元宝塚女優服部富子が歌う。歌もしっとりして良いが、彼女を捉えるカメラワークもいい。もともとは淡谷のり子のために服部良一が作った曲だけど、戦前封印されて戦後日の目をみた。ダンスに合う曲だ。

淡谷のり子「雨のブルース」で登場する。子供のころ、淡谷のり子を見るのが怖かった覚えがある。晩年はコメディタッチで親しみがあったが、小学校低学年までまともに彼女の顔を見れなかった。月丘千秋は姉の月丘夢路にも似ているのですぐわかった。当時24歳で美しい。自分は小学生の頃TV「光速エスパー」で主人公の母親役だったのを覚えている。

月丘千秋の母親役が清川虹子だ。娘に無心するダメな母親役だ。長い間名脇役だったなあ。サザエさんのお母さん役が十八番でも、今村昌平監督「復讐するは我にあり」やり手ババアが実にうまかった。殺しをやったことがある女役で底知れぬ怖さがあった。最後は芸能界のご意見番みたいだった。

ストーリー的には訳がわからないが、昭和24年のスターの姿が観れたので満足ではある。
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映画「神坂四郎の犯罪」森繁久彌&左幸子

2023-05-21 04:02:26 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「神坂四郎の犯罪」を名画座で観てきました。


映画「神坂四郎の犯罪」石川達三の原作を久松静児監督で映画化した1956年(昭和31年)の作品である。名画座の森繁久彌特集で観た。以前から気になっていた作品であるが、チャンスがなかった。この時代にしては珍しい法廷劇の要素をもつ。展開的に黒澤明「羅生門」のように数人の証言者のバラバラの発言をクローズアップする。森繁久彌もまだ若い。共演する女性陣の演技のレベルが高く見応えがある作品となっている。

雑誌の編集長神坂四郎(森繁久彌)が梅原千代(左幸子)と抱擁を交わす場面からスタートする。気がつくと、千代は薬を飲んでいて息は途絶え、神坂四郎も病院に運ばれていた。神坂には妻雅子(新珠三千代)と子がいた。心中未遂かと一気に新聞ネタとなった。神坂四郎には勤めている三景書房のカネを横領している疑いもあった。横領と自殺幇助罪で訴えられて、裁判が始まった。

雑誌社の女性編集者永井(高田敏江)や文芸評論家の今村(滝沢修)をはじめとして、神坂と縁があったシャンソン歌手戸川智子(轟夕起子)や妻の雅子の証言が次々とあった。神坂は亡くなった千代だけでなく、さまざまな女性と関係があった。それぞれの証言に矛盾があり、予想外の事実が浮き彫りになった後で、神坂四郎が弁明する。


これはむちゃくちゃおもしろい!傑作だと思う。
話がおもしろいのに加えて、それぞれの俳優の演技がすばらしい。
この時代の森繁久彌「夫婦善哉」「猫と庄造と二人のをんな」など女たらしでたらしない男を演じさせると天下一品だった。ある意味、社長シリーズで淡路恵子や新珠三千代あたりを前にして鼻の下を伸ばすのも似たようなものだ。この映画でも途中までは徹頭徹尾そのイメージである。思わず吹き出してしまうシーンもある。でも、今回は骨がある。

何せすごいのが左幸子である。自分には「にっぽん昆虫記」「飢餓海峡」などの昭和40年ごろのイメージしかなく大衆的な印象を持っていた。ここでの左幸子はビックリするくらい美しい。彼女に対して、そんな思いを持ったのは初めてだ。妖艶な感じをもつ。その彼女の演技は極めて情熱的森繁久彌に一歩もひかない姿を見せてくれる。情念がこもって実に素晴らしい。まだ羽入進とは結婚していない頃だ。加えて、自分にとっては「細うで繁盛記」新珠三千代「チャコちゃん」のお母さん役の高田敏江もいい感じだ。


石川達三の文庫本を書店で見ることは最近なくなった。自分が大学生くらいまでは、ドロドロとした男女関係のもつれというと石川達三の本を連想した。萩原健一、桃井かおり共演の「青春の蹉跌」も映画で大ヒットして、社会派の「金環蝕」もヒットしていた。ちょっとインテリで生意気な女性陣もみんな石川達三が大好きで自分もつられて読んでいた。田園調布に豪邸の自宅があったけどどうなったのであろうか。

周囲が亡くなっていて、自分だけ生きているというと、最近の市川猿之助に関わる事件を連想してしまう。神坂四郎横領罪に問われるが、文芸評論家の今村を助けてあげるために会社で使っている訳で、一定の交際費は認められている。亡くなった千代は小説の勉強のために今村のところへ北海道から上京した女性だった。実はその彼女を助けるために神坂が住まい探しなどに動いている訳でもある。一方で、会社への背任行為と雑誌社の社長に仕組まれる要素もある。それぞれの言い分には矛盾が潜んでいる。ただ、神坂は既婚なのに未婚と女性にウソをついているので始末が悪い。


最近の法廷劇といえば、弁護士が活躍する場面が多い。それと検察官の対決がクローズアップされる。ここでは両者はいてもそれぞれの証言が中心となる。それぞれの女性の言い分に対応した再現映像で、森繁久彌がいくつもの顔をする。駄々をこねたり、横柄になったりとこれだけの使い分けができるのもすごい。そして最後に向けて、この時代によく見られるだらしのない森繁久彌と違う顔をする。そのギャップにも注目したい。映画館の大画面で堪能したい作品である。
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映画「晩菊」成瀬巳喜男&杉村春子&細川ちか子

2023-05-04 17:18:34 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「晩菊」を名画座で観てきました。


映画「晩菊」は1954年(昭和29年)の成瀬巳喜男監督作品である。名画座の林芙美子特集で観た。昭和29年キネマ旬報ベスト10で7位となっている。この年は日本映画を代表する名作木下恵介監督「二十四の瞳」、「女の園」がワンツーフィニッシュで、その後3位に世界的名作黒澤明「七人の侍」が入る。そんなすごい年に成瀬巳喜男監督は「山の音」と「晩菊」をベスト10に送り出している。ところが、「晩菊」を観たことがなかった。オールドファンで超満員の映画館で杉村春子の名演を堪能する。

元芸者で金貸しで生計をたてているきん(杉村春子)は、昔の芸者仲間にもカネを貸していた。芸者仲間だったおとみ(望月優子)は娘(有馬稲子)にカネの無心をしているが、相手を見つけて結婚するという。たまえ(細川ちか子)はおとみと一緒に暮らしているが、自慢の息子(小泉博)はなかなか寄りつかない。飲み屋を営むのぶ(沢村貞子)もきんにお金を借りている。その店に昔きんと心中し損なった関という男が飲みに来ているが、無視。それでも、旧知の田所(上原謙)から訪問するという手紙が来て、きんはウキウキする。

昭和29年当時の東京の風景をバックに興味深く観れた。
映像を観ながら、本郷3丁目から菊坂を下ったあたりの風景と想像できた。菊坂に並行して裏手の通りがあり、通りの間を抜ける路地の雰囲気に感じるものがある。樋口一葉旧居跡に近いのではないか。昭和30年から40年代に入るころ、東京の街の小路地にはくみ上げの井戸があったものだ。ネットで確認したら自分の推測はどうやらあたっているようだ。親戚がこの場所から比較的近い初音町(現在の小石川1丁目)に住んでいた。

玄人女性をメインにした映画の代表作といえば山田五十鈴主演の「流れる」である。同じ成瀬巳喜男監督の作品だ。昭和31年の「流れる」の前に元芸者が主役の「晩菊」がつくられているのは気づかなかった。「流れる」柳橋の芸者の置き屋が舞台で、山田五十鈴には置き屋のお母さん役が実によく似合う。戦前の名女優栗島すみ子も貫禄があった。杉村春子は芸者の1人として登場する。コミカルな役柄だ。

一流どころの女優陣をまとめるのはむずかしいと想像するが、そこが成瀬巳喜男監督の人柄であり腕前なのであろう。「晩菊」でも、文学座の独裁者杉村春子だけでなく、望月優子、細川ちか子、沢村貞子の4人をまとめるのだからたいしたものだ。もともと、上原謙は演技で際立つタイプではないし、加えて若き小泉博の大根役者ぶりがちょっとひどいので、女優陣の演技がなおのこと引き立つ。

1.細川ちか子
その中でも、細川ちか子の振る舞う姿がよく見えた。演技というより自然体でできてしまう。息子役の小泉博坪内美子(これがまたいい女)演じるお妾さんとできたり、北海道に旅立ってしまうなんて母親役だけど、役柄よりも品よく見えるのは何か違うからだ。細川ちか子と財界の大物から政界に転じた藤山愛一郎との関係はあまりに有名である。品がいいのは当然だ。子供の頃、今のシェラトン都ホテルの場所に藤山愛一郎の大邸宅があり、すげえ大きいなあと思っていた。成瀬巳喜男監督と細川ちか子は戦前からの長い付き合いだ。


2.望月優子
のちに参議院議員になる望月優子が元芸者でいちばん情けない役だけど憎めない。酔ってばかりいる。バクチも大好きだ。子供2人を女手一つで育てる旅館の女中役だった木下恵介監督「日本の悲劇」と役柄としては似ているかもしれない。社会の底辺にいる女を演じるのが上手い。でも、どう考えても這いあがる道がない。そんな女の人たちは多かったのであろう。

3.杉村春子
この映画では、カネをせびりに人の家を訪れる飛び込みの人たちが何人も映される。杉村春子は元芸者で金をしこたま貯めて、カネ貸しである。延滞しそうになると、容赦なく取り立てにいく。貸している相手も滞納している人が多い。借りている元芸者衆は子どもの稼ぎだけが頼りだけど、自分を捨ててどこかに行ってしまう。どうにもならない。そんなきんさんにむかし関係あった男たちがカネをせびりにくる。もともとは好意を持っていた上原謙にはあえて化粧して歓待するが、金の無心で一気に冷める。この時代の映画によくあるパターンだ。


最後に着物姿の若い芸者衆が2人出てくる。たぶん本物だろう。プロデューサーの藤本真澄が連れてきたのかもしれない。その2人の芸者を見ながら恨めしい顔をする望月優子が印象的だ。

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映画「赤線の灯は消えず」 京マチ子

2022-10-11 08:22:38 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「赤線の灯は消えず」を名画座で観てきました。


映画「赤線の灯は消えず」は1958年(昭和33年)の京マチ子主演の大映映画だ。「偽れる盛装」での堂々たる貫禄に圧倒されて名画座の大映女優特集を続けて観てしまう。1958年3月末に売春防止法が施行されてまもない時の公開である。DVDもなく今回初めて観る作品で、Wikipediaにも記載がない。

吉原の赤線にいた信子(京マチ子)が故郷にも出戻れず、東京で何度も職に就いても赤線にいたというだけで差別される話の主旨だ。ストーリーが進むにつれて、以前観た原知佐子主演「女ばかりの夜」に似ていることに気づく。もっとも、「女ばかりの夜」の方が1961年公開で、むしろ「赤線の灯は消えず」の後でできた作品だ。両方とも赤線出身者の世話をする婦人相談所をクローズアップする。

いくつも逸話があり、これでもかというくらい京マチ子が窮地に陥る。赤線出身者というだけで差別されるのだ。京マチ子にまとわりつくチンピラに根上淳、一緒の店にいた若い元娼婦に野添ひとみ、その恋人に船越英二といったあたりがメジャーな共演者だ。浪花千栄子がいつもながらの芸達者ぶりで笑いを誘う。上流「京女」のイメージだった若き日の市田ひろみ関西弁を駆使して元娼婦の役を演じるのもビックリだ。

赤線廃止後まもない吉原の建物などを映した貴重な映像もある。時流に合わせて急いでつくったと思しき、普通の映画である。京マチ子「偽れる盛装」ほどの迫力はない。溝口健二監督の「赤線地帯」はまだ赤線が現役だった時の娼婦たちの悲運を描いていた。ここでは、赤線廃止で職を失った女たちが、仕事に就いても元の素性がばれて職の上司に言い寄られたり、差別も受けるし、チンピラに絡まれたりで八方塞がりになる気の毒な話だ。もともとの売春生活に戻らざるを得なくなる。


京マチ子が元の同僚に女中のあてがあると言われて根上淳演じるチンピラのところに行くと、それは罠で一緒に組んで売春をやらないかと誘われる。当然断って婦人相談所に行く。でも、斡旋された玩具工場では工場主に無理やり誘惑されるところを奥さんに見つかると、こいつは元赤線出身者で女の方から誘ってきたと言われる。これと同じような話が「女ばかりの夜」にもあったなあ。何でもかんでも悪く解釈されることの連続だ。

売春防止法で女性が解放されたという大義名分がある一方で、10万人以上の大量の失業者が出たという。半分が故郷に帰り、結婚する人もいたというが、暴力団も絡む闇売春が増えたのであろう。法律ができたおかげで放り出された女性が大勢いて、むしろその方が悲劇というのが映画で言いたかったのかもしれない。


この時代、女性にとっては、大正から昭和の初頭に生まれた大半の男たちが戦争にとられて適齢の結婚相手の絶対数が減り、苦労したはずである。そんな悲しい昭和史はこういう映画を観るとよくわかる。
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映画「偽れる盛装」 京マチ子&吉村公三郎

2022-10-09 17:56:00 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「偽れる盛装」を名画座で観てきました。

映画「偽れる盛装」は1951年(昭和26年)の京マチ子主演の大映映画で吉村公三郎監督新藤兼人脚本の作品だ。1951年のキネマ旬報ベストテンでは小津安二郎「麦秋」、成瀬巳喜男「めし」に引き続く3位となっている。4位の木下恵介「カルメン故郷に帰る」や5位の今井正「どっこい生きている」といった名作よりも上の順位だ。これまで観る機会がなく初見である。

京都を舞台にして京マチ子演じる芸妓の打算的な生き方を描いている。フィルム上映で状態はかなり粗いが、当時の京都祇園の花柳界の裏側も映し出す貴重な映像だ。

お茶屋島原屋の看板芸妓君蝶(京マチ子)は金ズル男を渡り歩く打算的な女だ。その一方でお茶屋の女将きく(滝花久子)はむかし世話になった染物屋が傾き息子(河津清三郎)が金の無心に来ると、家を抵当に入れて金を用意するお人好しで君蝶に呆れられる。妹の妙子(藤田泰子)は市役所勤めで同僚の孝次(小林桂樹)と結婚しようとしているが、孝次は同業の菊亭の養子で女将で養母の千代(村田知栄子)は格式が違うと結婚に大反対だ。これらの話を基調にして、祇園の花柳界を取り巻く浮き沈みを描く。

見応えのある映画だ。
確かに白黒の粗いフィルムの映像は現代の進化した映画技術と比較すると古さを感じる。題材となる花柳界の話も数々の映画で取り上げられている。しかし、戦後5年経った京都の町中を映し出し、祇園のお茶屋通りや現役の舞妓や芸妓が着物で着飾る姿を観ると風情を感じる。ともかく、撮影当時26歳だった京マチ子の存在感におそれいる。周囲との関西弁(京都弁?)の掛け合いもテンポ良く、思わず唸ってしまう。

⒈京マチ子の凄み
京マチ子の大映時代の作品はこのブログでもかなり取り上げている。ただ、OSKから映画界に移って長くはない昭和26年にここまでのレベルに達しているのがすごい。黒澤明監督「羅生門」は前年の作品である。ある意味イヤな女だ。金の亡者のような場面を何度も映す。「金の切れ目が縁の切れ目」とばかりに、未練たらたら縁を切りたくない男を平気な顔をして捨てる。お茶屋の家計が苦しくなると、身体を張って金のある男にまとわりつく。

女の情念、嫉妬といった部分を目の表情で見せる。相手を蔑んだ目をここまで非情に見せる女優は現代ではいない。古い映画を観る価値は、その女優の最高の演技をした場面を堪能できることにある。「偽れる盛装」では後年の京マチ子作品以上に凄みを感じる。


⒉吉村公三郎と新藤兼人
戦後間もなく「安城家の舞踏会」「わが生涯の輝ける日」をこのコンビでヒットさせた。その後失敗作もあり、2人は松竹を抜けて近代映画協会を設立してその後活動する。もともと松竹時代に「偽れる盛装」を別の題名で持ち込んでダメで、最終的にようやく大映に配給で決まったという。でも、そのおかげで結果的に京マチ子が起用できて正解だった。

吉村公三郎京都で子どもの頃育ったようで、よく熟知していると見受けられる。後年の「夜の河」でも山本富士子を起用して、京都を舞台にした。もともと銀座が舞台の「夜の蝶」でも人気クラブのママに京マチ子を配置し、一方で京都出身で銀座に進出したライバル山本富士子を起用する。いずれにせよ、夜の世界には熟知しているのであろう。


ただ、量産体制のせいか新藤兼人の脚本には突っ込みどころも多い。明治女の義理堅さを言いたかったにせよ、お茶屋の女将がこんなに簡単に家を抵当に入れるのを承諾するかな?しかも、担保に入れてすぐさま、返済期限が迫ってくるというのもちょっと変かな?という気もする。新藤の他の作品でもビジネス系のセリフに違和感を感じることがある。ラストに向けて、京マチ子が男に追われる場面も、普通であれば周囲に男が取り押さえられても良さそうだ。そんな欠点をすべて京マチ子の迫力でカバーする。

⒊名優のルーツ
登場人物に名優が揃う。金廻りが悪くなって縁を切られる商店主が殿山泰司で、近代映画協会の仲間だ。後年よりさすがに髪の量が多い。妹役の藤田泰子の恋人役が小林桂樹だ。もう10年くらい経ってからの東宝時代とイメージが違い若い。映画を観ながら驚く。まだまだ未熟者という感じで、京マチ子から往復ピンタをくらう。大映で小林桂樹を観たのは記憶にない。

妹役の藤田泰子はなかなかの美人女優で現代的な顔をしている。この後引退するが、履歴を見るとキョウドー東京の社長夫人に収まったとのことだ。


お偉いさん役が多かった河津清三郎は落ちぶれていく商家の息子役で、いつもよりみじめったらしい感じだ。京マチ子のスポンサーには進藤英太郎菅井一郎などが登場する。昭和40年代まで両者ともTVドラマの常連だった。進藤英太郎といえば「おやじ太鼓」の頑固おやじが脳裏に残る。溝口健二監督と相性が良かった。ここでは京マチ子の前で鼻の下を伸ばすスポンサーだ。

今月末久々に神楽坂で御座敷だ。この映画を観て待ち遠しくなった。
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映画「續 大番 風雲編」加東大介&淡島千景

2022-01-27 18:58:18 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「續 大番 風雲編」を名画座で観てきました。


續大番 風雲編 は1958年(昭和33年)の大番シリーズの第2作目である。前回同様に名画座の「淡島千景特集」で観た。加東大介演じるギューちゃんこと赤羽丑之助が相場で失敗して故郷に帰った後に、再度高い志をもって東京兜町に戻り、証券市場で立ち回る話である。第1作と同じで、儲かるときもあれば、すってんてんで逃げ回るシーンと両方用意されている。簡潔にまとまっており、スピード感もあって2時間飽きさせない映画だ。

持ち金をすべて突っ込んだ鐘ヶ淵紡績新株が五一五事件の影響で暴落して、いったん故郷に帰ったギューちゃん(加東大介)が、故郷には悪い事情は何も伝わらず大歓迎をうける。母校の小学校にも銅像を寄付していて、実家は満鉄株で儲けたお金で建て増しをしていた。スッカラかんに近い状態で戻ったが、実家では建築費の残りの760円という多額のお金を郵便局に預けていた。それが元手で周囲の寄付要請を受けたり、芸者をあげて飲めや歌えよの大騒ぎだ。あこがれの可奈子お嬢様(原節子)の森家からも町の英雄と晩餐の招待を受けた。

半年ほどいると町の資産運用の指南役になっていた。すると東京にいる元仲間の新どん(仲代達矢)からそろそろ戻ってもいいのではと便りが来て再度兜町に帰還する。東京では情が通じたおまきさん(淡島千景)が待っていた。再び鞘をとる仕事(サイトリ)を始める。金を借りた証券界の人たちには少しづつ返していき、信用を取り戻していた。そのころのインフレ基調の市況には金鉱株を買った方がいいのではとお世話になった富士証券の木谷(河津清三郎)に相談すると意見の一致をみて、日本産業株を買い進む。結局利食いもうまくいき13 万儲ける。


儲けた金を資金に店を持った方が良いのではと、証券取引所で働いていた新どんへ一緒にやろうと誘う。おまきさんと仲直りするなら良いよと言われる。しかし、ギューちゃんを追いかけて、四国の故郷から芸者が来てしまい、おまきさんに愛想を尽かされていた。でも仲直りして、兜町に自分の店をもつのだ。

その後は、再度鐘ヶ淵紡績に目をつける。木谷さんも大量に購入しているので提灯をつけるのだ。気がつくと、ドンドン上昇していくのであるが。。。

⒈加東大介
ギューちゃん役って加東大介にとっては天性の適役ではないかと思う。ギューちゃんは田舎者の小僧あがりでカッコはつけない。周囲には腰が低く、好かれる。そして気前がいい。こんな無防備で大丈夫なのかと思ってしまうキャラクターである。加東大介は当時40才超えているのに10代から30 にかけての役を演じるのは図々しい気もする。でもギューちゃんは歳よりも上に見える設定だから、いいんじゃないかな。


加東大介の実姉の沢村貞子が田舎の母親役で出ているのがご愛嬌だ。沢村貞子は長生きしたが、加東大介は64で死んだ。酒を飲まない人に限ってそういう早死にするのが不思議だ。

⒉芸者遊びと宴会芸
もともと四谷の待合でおまきさんと知り合って情が通じている仲であるが、結婚はしない。四国の田舎に帰ったあと、気に入った若い芸者に水揚げしてあげるよと約束する。

結局芸者が上京してくるのであるが、ギューちゃんの下宿に知人の妹と偽って引き取る。でもおまきさんにすぐバレる。しかも、築地芸者もかわいがり、湯河原の旅館をもたせてあげるわけだ。まあ、昔の金持ちの方がやることは派手だ。それに今だったら、SNSにしろ文春砲も怖くてできないかも。

この時代、高級料亭で芸者を呼んでドンチャン騒ぎするのがいちばんカッコいい訳だ。当時会社物の映画では、芸者遊びが付き物だった。それは見ていて楽しい。
東宝の毎度おなじみ宴会部長の三木のり平が笑える芸を繰り広げる。ここでは故郷でギューちゃんに色ごとを教えた先輩役だ。三木のり平は脇にまわってアホやると天下一品だ。加東大介もお世話になった木谷さんと大勢の芸者の前で宴会芸を披露する。いいノリだ。


1968年(昭和43年)に祖父が雅叙園で金婚式をやった。酒が入って宴たけなわになると、宴会芸を披露する区議会議員や会社社長がいた。あのときの構図が目に浮かぶ。そのノリが続いたのも昭和50年代くらいまでなのかな?今や宴会はコロナで禁止。辛いねえ。

⒊原節子
一作目では特別出演となっていたが、ここでは違う。しかも、セリフもある。地元の素封家のお嬢様で今は伯爵夫人である可奈子(原節子)をギューちゃん(加東大介)が田舎の青海苔の土産をもって目黒のお屋敷に訪ねるシーンがある。可奈子の言葉使いはいかにもひと時代前の東京の上流階級のご婦人が話している言葉遣いだ。原節子の話し方はこの時代のいかなる女優よりも上品だ。

学生時代に友人の母上にも上品な話し方の人はいたが、社会人になって顧客の上流の奥様と接した時にTV漫画で見る「ざーますおばさん」って本当にいるんだと感じた。昭和の頃はまだその手の人は東京にいた。今や上流東京弁を話す女性はかなり少なくなった。この時期の原節子の言葉遣いが教科書になる。ある意味さみしい。当時37歳、この数年後に映画界を引退するにはもったいない。


⒋富士証券木谷社長の自殺
河津清三郎が演じる上部証券会社の社長木谷さんにはギューちゃんはたいへんお世話になっている。もともとギューちゃんの名前を見て、丑之助というのは株取引にはいい名前だと言った方だ。丑は英語で言うと「bull」で強気の買いというギューちゃんの信条に合っていて、木谷さんの鐘紡買いに提灯をつける。

でも、戦争中は突発的な何があってもおかしくない。上がりきった鐘紡株の買いのせで売り方の踏み上げを狙った攻めた両者に災難が訪れる。木谷社長は自殺した山一証券の元社長太田収をモデルにしている。山一証券というのは戦前も戦後も懲りないというところなのか?
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映画「大番」 加東大介&淡島千景

2022-01-20 17:35:39 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「大番」を名画座で観てきました。


「大番」は獅子文六の相場師の一生を描いた小説を1957年に加東大介主演で映画化した作品である。当時の東宝スターが軒並み登場する。「大番」はシリーズ化して加東大介の代表作ともいえる。まだ少年の頃、TVの映画劇場で見た覚えがあるが、当時株の知識はなかった。記憶はないに等しい。名画座の淡島千景特集で「大番」が取り上げられるのがわかり楽しみにしていた。

左とん平と林美智子のコンビでNHKで夜の連続ドラマシリーズでやっていたのも見ている。おもしろかった記憶がある。今回観ていて、そういえばあの時主演二人のやりとりでこんなセリフがあったなというのに気づく。もちろん、大人になってから獅子文六の原作は読了している。でも、自分が若い頃は新潮文庫に獅子文六の作品が多々あったが今は見ることがない。

愛媛の田舎から単身日本橋に乗り込んできた青年ギューちゃんが、兜町で株の世界に入り、大儲けすることもあれば、大損もする紆余屈折の物語である。こうやって観てみると、簡潔に「大番」のポイントがまとめられていることに気づく。話がすっと頭に入っていき、わかりやすい。これは千葉泰樹監督の腕だと改めて感心する。しかも、登場人物に共感が持てる。これは大きい。

昭和二年の夏。四国宇和島から18歳の若者赤羽丑之助(加東大介)が上京して、東京駅に降り立ちそば屋で働く同郷の友人がいる日本橋に向かう。ようやく見つけたものの金はない。ちょっとしたトラブルがあり、宇和島を抜け出してきたのだ。見るに見かねたそば屋の店主が知り合いの太田屋という株屋を紹介し下働きとして働くことになる。大食いの彼は丑からとってギューちゃんと呼ばれる。先輩の新どん(仲代達矢)の指導もあって、早々に認められ取引所の場立ちも任される。

その後、ギューちゃんが徴兵検査で地元へ帰京した時、あこがれていた地元の富豪の娘森可奈子(原節子)が伯爵の令息に嫁入りして上京していることを知る。帰京したギューちゃんを新どんは待っていたが太田屋がつぶれたことがわかり途方に暮れる。取引でお世話になっていた証券会社の幹部木谷(河津清三郎)の世話で、株取引を繋いでサヤを取る仕事をするようになる。

昭和六年、その後株の世界をうまく泳げた丑之助は、四谷の待合でおまき(淡島千景)という女中と仲良くなる。落ちぶれている相場師(東野英次郎)に満鉄株を買えと暗示され、一気に大儲けするのだ。大当たりの大番振る舞いで絶好調だった。ところが、鐘淵紡績の相場に全力で突っ込んでいると、突如五・一五事件で証券取引所は停止し、大損をくらうことになるのであるが。。。

⒈戦前の相場師
帝大出で株の世界に入った恩人の木谷さんに「君の丑之助という名前はいい名前だ。丑(うし)は英語で言うとbull、これは強気であり買いだ。対するはbear、熊よりも牛の方が強い」と言われてギューちゃんはやる気になる。こんなセリフは心地よい。木谷は学問が株式市場で役に立つにはまだ時間がかかる。今は機転が大事だと教える。

ギューちゃんは最初に入った株屋の太田屋で「新東」株を取り扱う。これは東京証券取引所新株すなわち今でいうと、取引所の大家である平和不動産になる。平成3年まで東京証券取引所の旧指定銘柄が存在して、短波放送でアナウンサーが読み上げるスタートはいつも指定の平和不動産からだった。

昔相場師で今は落ちぶれたけど、兜町をウロウロしている老人がいる。兜町の株屋のみんなから嫌がられている。でも、相場をやらなくなると当たるようになったというその老人の話もギューちゃんは信じる。お告げのように教える銘柄が南満州鉄道すなわち満鉄だ。ギューちゃんは「ブル」とばかりに「買い」で大金を突っ込む。それで大儲けするのだ。

⒉加東大介
友人が奉公していたそば屋のオヤジに株屋の下働きの仕事をもらって住み込みで働くようになる。ギューちゃんはガツガツ働くのだ。丼飯も何杯もおかわりだ。まあ最近の働き方改革の真逆である。取引所の場立ちにも立たせてもらうが、背が低くて注文が通らずチャンスを逃して店主に怒られる。すると、次は場の一番前に飛び込んで堂々と注文する。こんな感じの立志伝を見るのは好きだ。

平成のはじめのバブル期も立会場銘柄が残っていて、大枚の注文が立会場で取引された。活況になると板寄せで取引停止の笛がなって活気は残っていた。でも、1999年になくなってしまった。ここでも昭和初期の活気ある取引場が再現されている。ミケランジェロアントニオーニ監督アランドロン主演の「太陽はひとりぼっち」のざわめくミラノ取引場シーンも連想する。

⒊淡島千景
うまくいくと、女の方も手を広げるのは世の常。ギューちゃんは儲けさせた客に四谷の待合に連れて行ってもらう。そこで長年の連れあいになるおまきさん(淡島千景)と知り合う。おまきさんは女中だから他の子をギューちゃんの夜のお相手につけようとすると君がいいと言う。そんな腐れ縁から一緒に住むようになるのだ。でも、獅子文六のイメージするおまきさんは淡島千景ほどの美人じゃないのでは?自分がその昔TVで見たおまきさん役の林美智子の方が合っている気もする。

新宿の三越に買い物に行くというセリフがある。え!あったの?と調べたら確かにある。おまきさんが働く四谷の待合の名前は春駒と書いてある。これは荒木町あたりに実際にあった待合なんだろうか?観ながらコロナ後寂れた荒木町を想う。

⒊原節子
宇和島の素封家の娘という設定だ。これはピッタリだ。伯爵と結婚するということで仲間の新どん(仲代達矢)が持っている雑誌に写真が載っているのを見つける。ギューちゃんは新どんの雑誌を破って拝借する。でも、この写真は確かにきれいだ。これはたぶんドイツとの合作「新しい土」の頃の原節子だと思う。

出演者クレジットのラストに特別出演原節子となっている。途中、若い頃は別の俳優を影武者のように使っていて本人は写真だけで出ないのかと思ったら、偶然歌舞伎座でギューちゃんにばったり会うシーンが用意されている。30代後半の美しい着物姿を見せる。まさに特別出演だけど、きれいだなあ。ギューちゃんはその姿を見た後、鐘淵紡績の相場で大暴落に遭うのだ。

⒋千葉泰樹監督と藤本真澄
このところ、観る映画で容認できないキャラクターばかりに出会っているので、気分が乗り切れなかった。情に厚くて、何ごとにも一生懸命な努力家を見ていると気分がいい。これは原作者獅子文六の思い通りではないか。それを映画として簡潔にまとめるのは戦前からの名監督千葉泰樹及び植木等や加山雄三の全盛時代の作品を数多く書いた脚本の笠原良三の力であろう。

そして、製作に藤本真澄の名前があるとホッとする気分になれる。原節子は藤本真澄が引っ張ってきたのであろう。ドロドロした大映映画とも違う東宝映画の安心感を感じる。
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夏目漱石原作 映画「こころ」 新珠三千代&森雅之&市川崑

2021-06-30 09:35:23 | 映画(日本 昭和34年以前)
夏目漱石原作映画「こころ」を名画座で観てきました。


「こころ」はご存知夏目漱石の古典的小説の映画化である。昭和30年(1955年)の市川崑監督作品だ。名画座の新珠三千代特集で見ておきたかった作品である。実は「こころ」が映画化されていること自体知らなかった。高校二年生の時、夏休みの課題でこの小説を読むように言われた。読み始めてみると、グイッと引き寄せられた。そして心にドッシリと残った。その後30 代に骨折で入院したとき読んだので、結局2回通読している。肝心なあらすじは頭に残っているが、ディテイルはすっかり忘れていた。

インテリだけれども無職の男性(森雅之)と彼を先生とあがめる大学生(安井昌二)が交友関係を深める中で、先生がのちに妻となる下宿先の娘(新珠三千代)と先生と幼なじみの下宿人(三橋達也)を含めた学生時代の三角関係の顛末を今だに悩んでいることを大学生に独白する展開だ。


こうやって映画を観た後、青空文庫でサッと読む。最初に読んだときは何日もかかった気がするのに、あっという間に読めた。実にオールドファッションな恋だなという感じである。映画の流れは原作には比較的忠実であり、市川崑監督作品らしく出演者を大きくアップに映して、その映像で心理描写を試みている。

それにしても、この恋愛感はさすがに古い。森雅之と三橋達也演じる学生はどう見ても変人だ。明治時代にはこんなひねくれた奴しか大学生はいなかったのかだろうか。高校の現代国語で取り上げられる題材は長きにわたって変わっていないと言われる。今でも高校の教科書にあるのであろうか?ましてや自分たちより50年近く下の世代にどう感じるのであろう。

⒈高校二年生の衝撃と読解力
今思うと、高校生当時読解力はあまりなかった。親が子供向け文学全集を買ってくれたが、どの本も読み切った記憶がない。相撲やプロレスなどのスポーツ系の雑誌や沢村栄治やベーブルースなどの伝記ものを読んではいた。高校に上がっても自宅近くに住んでいた星新一のショートショートや五木寛之の短編小説を読むのが精一杯の読解力である。一般的に有名な夏目漱石の作品も序盤戦でダウンで当時読了していない。そんなレベルで「こころ」は自分にとっては大著に見えたが、読み始めると何故か止まらなかった。



結局は1人の女性を取りあう話である。自分も恋に目覚めてはいた。しかし、視野が狭いから、学校内のしかも身近な女性についつい目が向かう。その女性をゲットするために一歩先を行くなんて話は高校生の目線の高さからすると、実はたいして変わらないのだ。夏目漱石というだけで偉人に見えるが、もっと近いところに存在する人だと感じるようになった。名著を読むことにも自分の居場所がある気もしてきた。一冊の本が読み切れるようになるきっかけになったのかもしれない。それでもそこからの道のりは険しかった。

話題になっている「ドラゴン桜」の設定には現実的に無理があると思っている。その理由は読解力を短期で身につける難しさである。いわゆる難関中学の国語入試問題はごく普通の大学の入試問題以上の読解力を要求される。あんな難しい問題を平気で解く奴とはとんでもない差がもう高校生になる時点でついている。このレベルは1年程度の勉強では到達できない。TVなどで「東大に挑戦」として猛勉強させる番組がある。いずれもうまくいかない。もちろん、国語の入試問題が解けるために読書すればいいという世間の愚論も的外れだ。でも高度に蓄積した読解力がなければあの英語や国語の問題は解けないし、自分の感覚ではそれが簡単に身につくものではない。

⒉原作に忠実
「こころ」を青空文庫で読み返したら、映画は原作にわりと忠実であることに気づく。「精神的向上心」なんてセリフもあるし、会話については原文と同じセリフが多い。最近それはそれでいいと思うようになった。海岸も含めいくつかロケ場面もある。まだ昭和30年なら、時代的に撮れたのかもしれない。本郷付近を想定していると思しき下宿周辺はセットだと思うけど、それもうまく再現できている。

ただ、先生の妻への想いというのが、かなり活字に表現されていた。Kへの気持ちについても同様である。結局好きで一緒になったのに、妻を残していくわけである。その辛い気持ちと罪悪感がさすがに映画の中では表現はできていない。もっとも2時間の映画でそこまで望むのも無理だろう。


原文には、猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。なんて記述もある。他にも万世橋、明神の坂、本郷台、菊坂、小石川と自分が散歩もよくするルートなので地名は親しみのあるものばかりである。

⒊無理がある森雅之と出演者たち

森雅之と三橋達也が大学生時代も同様に演じている。モノクロの映像でもさすがに無理がある。若い俳優がでて、年長になった老け顔も演じる方が良かったのではないか。この不自然さのためなのか、この作品は映画の名作として取り上げられていないのかもしれない。

新珠三千代は当時25才である。女学校を出るという年齢設定からすると、ギリギリセーフかな。関西出身のタカラジェンヌ新珠三千代ではあるが、ここで話す東京弁は、自分が20代くらいにはギリギリ上流階級の女性に残っていた話し方である。明治時代もこんな調子だったのだろうか。正統派お嬢様の東京弁は、聞く人によっては嫌味に聞こえてしまうかもしれないが、こういう上品さが消えていくのがある意味さみしい気もする。


安井昌二が大学生役である。この小説では重要な存在だ。もちろん違和感はない。ただ、見てビックリしたのは、ふっくらした安井昌二が娘のチャコちゃんこと四方晴美にそっくりだということだ。自分たちが小学生の時にはチャコちゃんは同世代では最大のスターであった。後の新派の人気男役安井昌二と父娘似ていないと思っていただけに意外。そんなことを思いながら映画を観ていた。
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映画「猫と庄造と二人のをんな」森繁久彌&山田五十鈴&香川京子

2021-04-01 18:31:19 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「猫と庄造と二人のをんな」を名画座で観てきました。

これは無茶苦茶おもしろい!
森繁久彌は昭和30年代くらいまでは、ダメ男を演じると天下一品だった。晩年しか知らない人から見ると,この情けなさにひたすら笑うしかない。同じ豊田四郎監督作品「夫婦善哉」でのダメ男ぶりも楽しいが、それよりも「猫と庄造と二人のをんな」の方が上方のお笑いを見ているような軽快なタッチで実に笑える。コメディの傑作だ。


芦屋の浜辺の近くで小さな荒物屋を営んでいる庄造の母親おりん(浪花千栄子)と庄造の女房品子(山田五十鈴)が大げんかして、品子が家を飛び出そうとしている。仲人の畳屋が現れ説得しても無理そうなので、荷物を運び出すのを手伝っている。都合の悪い庄造は外へ飛び出しているのだ。

おりんは夫亡きあと女手一つで出来の悪い息子庄造(森繁久彌)を育て上げた。しかし、庄造はどんな仕事についても長続きはしない。飼い猫のリリーを可愛がるばかりの毎日だ。品子は結婚して4年、おりんとは全くそりが合わなかった。庄造の叔父が娘福子(香川京子)を持参金付きで庄造に嫁がせてくれるとなったので、おりんはすぐさま折り合いの悪い品子を追い出そうと企んだ。庄造はじゃじゃ馬女の福子にいいように使われて海辺で遊んでいる。


行き場所のない品子は妹初子の家にもぐりこんだ。ある日、元仲人の畳屋から自分の後釜に福子が来たと教えてもらい憤慨する。品子は福子にあいだを引き裂こうと手紙を書いたり、猫のリリーを引き取ろうと庄造に持ちかけるが、すべて品子の企みだとおりんが気付き騒ぎは収まる。しかし、品子はあきらめない。リリーが品子のもとにくれば、必ず庄造がこっちに来て縁が戻ると確信していた。偶然を装い、品子は庄造を待ち伏せしたり、福子の目の前に現れ、庄造と自分が会っていると話を錯乱させる。

だが庄造は福子が来てからもリリーの面倒を見るばかりである。福子も猫のリリーへの溺愛に我慢できなくなり、リリーは品子が引き取ることになる。庄造は落胆してしまう。しかし、品子の家でもなつかぬリリーに困っていたが、留守の間に逃げてしまうのであるが。。。

⒈関西弁の応酬
主要出演者は山田五十鈴、浪花千栄子、森繁久彌といずれもネイティブな関西弁を話せるので、不自然さがない。香川京子も履歴を見ると、芦屋で幼少期を過ごしている。その女性3人の関西弁の応酬に疾走感がある。まさに昭和関西の原風景をありのままに映し出していてお笑いを見ている気分になる。


森繁久彌はボケの系統のダメ男を演じて、ほかの3人の女性と張り合わない役柄だ。本人は名門旧制北野中を出ている秀才だが、その後上京しているので、露骨な関西弁が出るキャラではない。でも、甲斐性のない大阪のボンボン役はうまい。晩年の大富豪キャラになる要素が見当たらない。

山田五十鈴は同じ昭和31年に成瀬巳喜男「流れる」柳橋芸者の置屋女将を演じた。江戸のど真ん中で東京弁だ。新幹線が走る昭和39年までは東京大阪の時間的距離感もあり、まだTVも普及しているとは言えない時代にしては極めて器用な東西言葉の使い分けである。

⒉女の業
女のいやらしさというのが、前面にクローズアップされる。浪花千栄子と山田五十鈴が嫁姑の関係で仲が悪い。お互いに女の業が深い。あっけなく、出て行って山田五十鈴が清々したのかと思うと、若い女が自分の後釜に来たのでムカつく。香川京子もいつもの上品なお嬢様キャラとはまったく違うアバズレ系で、そう簡単には言うことは聞かない。亭主を「あんた」と言う。

実はウチの奥さんも生まれは尼崎で関東に来て26年関西弁しか話さないが、自分のことを「あんた」と言う。そんなもんだ。


この激しい応酬が実に楽しい。エゴのぶつかり合いだ。ふらっと現れた山田五十鈴と香川京子が諍いを起こしているのに気付いた浪花千栄子がこっそり隠れる。こんな仕草に笑える。でも、こんな連中の中で暮らすことになったら、生きた心地がしないだろう。とは言うものの、庄造こと森繁久彌は極楽とんぼで、何を言われても、「ぬかに釘」だし「柳に風」猫を可愛がることしか能がない。

ただ、戦後この頃はすべてが男ありきである。決して立場が悪いわけではない。むしろいちばんなのは猫か?題名「猫と庄造と2人のをんな」の順番通りだ。谷崎潤一郎の意図がここにありきか?

⒊香川京子の変貌
何度もこのブログで書いているが、まだ子供だった頃から香川京子のことをずっと素敵な人だと思っていた。年齢が亡くなった自分の父より1つ上である。普通は父母の年ごろだと好きな女性には縁遠いはずだけど違う。その香川京子の出演作でも、溝口健二監督「近松物語」と狂女を演じた黒澤明監督「赤ひげの演技は毎度の育ちの良さそうなお嬢様や奥様役とはまったく違う。でも、この映画の香川京子ももっと一味違う。新境地だ。


最近の若い女の子が夏に着るような水着のような服を着ていて、言葉遣いもいつものお上品さのかけらもない。こんなに肌を見せることってない女優さんなので、思いがけないスタイルの良さに驚く。オールドファンは一見の価値あり。でも、やっとたどり着いたこの映画はDVDないんだよなあ。観れて良かった。
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映画「恋文」森雅之&久我美子&田中絹代

2021-03-24 18:27:49 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「恋文」を名画座で観てきました。

映画「恋文」は昭和28年の田中絹代初監督の新東宝映画である。名画座の森雅之特集の作品では「恋文」も注目していた。
渋谷の109ビルを東急本店に向かって行った途中に、恋文横丁と看板が書かれているエリアがあった。109のビルとくじら屋を過ぎると、薬局があった。今や、都市開発で整理されヤマダ電機が入ったビルが建ちわからなくなった。その恋文横丁あたりが舞台になる映画であれば、観るしかない。


丹羽文雄の原作「恋人」を木下恵介が脚色した作品で田中絹代がメガホンを持つ。確信はないが、このエリアを恋文横丁と呼ぶようになったのも、丹羽の小説とこの映画の影響ではないか。

復員後5年たって細々と翻訳で生計を立てていた男が、本国に帰還した米軍兵に想いを寄せた女たちの英文手紙を代筆するようになる。すると、男が好きだった女性が米軍兵の手紙を書くために来て狼狽するという話である。朝鮮戦争終了が昭和28年、サンフランシスコ条約後も米軍兵は相当数日本にいたのであろう。

ここでは、昭和28年の渋谷が映される。舞台の中心は109ビルの裏手にあった雑然とした三角州地帯である。地形は今も昔も同じだ。当時のハチ公前広場や電車乗り場が次々と映る。渋谷の原風景を見るだけでも価値がある。田中絹代が監督するだけあって、ご祝儀の意味を持つのか出演者は豪華である。月丘夢路や三原葉子、日生のおばさん中北千枝子などがパンパンを演じるとともに田中絹代監督自ら中年のパンパンになり切る。凄い貫禄だ。


やる気を失った復員兵と夫を失い米軍兵に身を任せていた過去を持つ女を中心にドラマを組み立てる。この恋物語という設定自体が昭和20年代の世相を象徴している気がする。

礼吉(森雅之)は兵学校を出たエリート士官であった。戦後復員してからは弟洋と一緒に同居して翻訳料で細々と暮らしている。弟は古本をブローカーのように動かし、一儲けしている。その礼吉が渋谷のハチ公前でばったり旧友の山路(宇野重吉)に会った。山路は渋谷駅西口の三角地帯の一角で、パンパンから依頼を受けて米軍兵に英語で恋文を書く代書屋をやっていた。


定職につかず弟に世話になっていた礼吉は、英語力を活かして山路と一緒にパンパンたちの代理で手紙を書くようになる。そんなある時、礼吉が店の控え室で休んでいると、仕切りを隔てて聞こえてきた山路が接客している女の声に聞き覚えがあった。最愛の女性道子(久我美子)の声ではないかと、店から帰った後で懸命に渋谷駅付近を追う。道子は結婚していたが、死に別れたと聞いていた。やっとの思いで会えて再会を喜ぶ。しかし、他の米軍兵相手の娼婦たちと同じように落ちぶれてしまったのかと落胆して、山路が道子を責めるのであるが。。。

⒈昭和28年の渋谷
自分が生まれる前の渋谷である。ここ数年渋谷駅周辺の地域開発が進んで新しいビルが数多く建った。映画が始まりいきなりタクシーから下車している弟がいる場所は、坂の上からガードが見えるので宮益坂付近に思える。スクランブル交差点のすぐ横の三千里薬局は映像でその看板を見せる。よく頑張っているね。


父に連れられ渋谷に行くようになった昭和40年代前半西武百貨店のところには映画館があった。センター街には夜でも黒いサングラスをした男たちがいて子供心に怖かった。今の109ビル横に長らく残っていたくじら屋には父とよく行った。あとはロシア料理のサモワールはもう少し先にあったが、大人になっても行った。

実家の家業に絡んで、祖父がこの辺りの仕事をやったと50年以上前に父が言っていた言葉が今だに脳裏に強く残る。祖父が亡くなって52年経つ。何でここが恋文横丁となっているのか??、少年時代から謎だったがようやくこの歳になって謎が解けた。

映画ではすずらん横丁ということで出ている。いろいろ調べると、映画の後に名前が変わっているようだ。恋文横丁でGoogle検索すると興味深いサイトがいくつもあり、参考になった。

⒉本のブローカーの弟
弟は兄の食い扶持を探して、翻訳の仕事を持ってくるが、元々は「せどり」というべき古本のブローカーである。香川京子が店の看板娘の古書店から本を仕入れて他に転売して利鞘を稼いでいる。米軍兵と付き合っているパンパンたちは、手にしたvogueなどの洋雑誌を香川京子の店へ持ち込んで換金している。それを弟が買い取って、洋風文化に関心ある紳士に売り込むのだ。しかも、弟はメイン通りの店玄関横に陣とっている。


中古品というのは、値段は自由に付けられ貴重品であれば高値で売れる。今でも同じだ。メルカリやアマゾンマーケットプライスの前近代的なビジネスの姿を映し出していて興味深い。

⒊現代との意識の差
昭和20年代の映画には、生活するために自らを売らざるを得なかった女たちの姿を映すものが多い。先日観た我が生涯のかゞやける日でも山口淑子が銀座の女給を演じていたし、田中絹代が演じた溝口健二監督「夜の女たち小津安二郎監督「風の中の牝鶏」もその手の作品だ。


ここでは落ちぶれた久我美子森雅之がなじる場面がある。2人がいるのはたぶん明治神宮の鳥居付近の映像だと思う。人気はない。人を非難する権利はないのに何でこんなに怒るのかと思ってしまう。でも、昭和20年代にはこういうシーン多いんだよな。男女差別の話は最近至る所で言われるけど、戦前をひきづる頃に比較すると、マシになった方だと思うけどね。
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映画「わが生涯のかゞやける日」 森雅之&山口淑子

2021-03-16 09:04:55 | 映画(日本 昭和34年以前)
吉村公三郎監督の「我が生涯のかゞやける日」は昭和23年(1948年)の松竹映画、名画座の森雅之特集の中でも気になっていた作品である。機会がなく見れなかった作品で、山口淑子がヒロインとなる。


軍の急進派将校に殺された終戦受託派の政界大物の娘が、落ちぶれて銀座のキャバレーに職を求める。そこの用心棒は父親を殺した元軍人だったが、図らずも恋に落ちていくという顛末である。

森雅之はこの当時37才、戦後のドサクサの中きわどい仕事で生計を立てる男を演じる。クスリ中毒の禁断症状がでている。その後「羅生門」で共演する「酔いどれ天使」の三船敏郎も連想してしまう。似たような人種だ。むしろここでは、対する山口淑子のきわどいパフォーマンスが見ものである。お嬢様がキャバレーの女給になれ下がって、底辺で生き延びていこうとする姿を巧みに演じる。

昭和20年8月14日,ポツダム宣言受託の方針が決まった後で、終戦締結派の政治家戸田の自宅を陸軍急進派の将校沼崎(森雅之)が襲う。いきなり戸田を拳銃で撃っているところに、娘の節子(山口淑子)が現れる。節子は持っていた短刀で沼崎を刺すが、将校はそのまま逃げていく。

昭和23年の銀座、裏社会の顔役佐川(滝沢修)は愛国新聞という新聞社を経営すると同時にキャバレーを経営していた。そこの用心棒として、沼崎が働いていたが、クスリ中毒になっていた。佐川には情婦(逢初夢子)がいたが、新入のホステス(山口淑子)が気に入り、沼崎に縁を取り持つように指示していた。節子は利かん気が強い女で、佐川の思い通りには簡単にはいかない。それでも、元検事の兄平林(清水将夫)を雇ってくれるならという条件を出して佐川の情婦となる。

それでも、なかなか言うことを聞かない強情な節子の気を紛らわそうと沼崎が試みているうちに、節子が終戦直前に父親を殺した男を探していることがわかる。そして、あの時自分を刺した女が節子だと気づくのであるが、黙っていた。襲ったときは暗かったので気づかないのだ。気がつくと、親分の情婦でありながら、沼崎は逆に近づいていく。


そのキャバレーに1人の脚の悪い新聞記者高倉(宇野重吉)が入ってきた。高倉は沼崎の旧友だった。高倉はいずれ佐川のところに手入れが入るのではと探りに来ているようだった。佐川はいくらか記者に金を渡して、引き取ってもらうようにと平林に頼む。高倉と平林の二人は互いに見憶えがあった。平林は検事時代、自由主義者の高倉を取調べる際に拷問で苦しめていたのだ。ここで一つの葛藤が生まれるのであるが。。。

⒈山口淑子
自分はこの時期の山口淑子では昭和25年の池部良共演の「暁の脱走」、昭和26年の三船敏郎共演の「醜聞の両方を見ている。終戦後、危うく中国の非国民として罰せられそうになるのを危うく逃れてからまだ2年しか経っていない。

やがて、参議院議員とまでなる山口淑子であるが、戦前の李香蘭から日本人女優としての変貌を遂げようとする頃の作品だ。森雅之とのディープキスが当時話題になったと言う。米国の女優並みになかなか情熱的だ。「暁の脱走」での池部良へのエロい色目づかいを思い出す。

元々は家柄のいいお嬢様なのにあっという間に没落している。先輩ホステスにはむかって取っ組み合いをするシーンが場末の落ちぶれた酒場の女の争いだ。眼光も鋭く山口淑子のキャラからするとちょっと意外。

⒉劇団民藝と滝沢修の怪演
映画会社の専属俳優出演協定がある中で、劇団民藝や文学座などの俳優は昭和40年代くらいまでの戦後の映画にとっては主演というよりも脇役で欠くことができない存在だと思う。それに加えて、戦後映画の名脇役というべき三井弘次、殿山泰司といったメンバーも佐川の子分役で出ている。殿山泰司の髪の毛が黒くふさふさしているのが印象的だ。



ここでは、滝沢修、宇野重吉という民藝の主力俳優が出演している。左翼系俳優が揃い、新藤兼人が戦後民主主義をクローズアップさせる脚本を書く。怪演というべきは滝沢修である。大学教授や政財界の大物などを演じることの多いが、ここでは裏社会のボスである。これは珍しい。背中に刺青で顔に刺し傷の痕、軽いメイクをしたその顔を見て、プロレスのユセフトルコに似ているので、一瞬外国人かと思い、滝沢とはわからなかった。

⒊戦後民主主義と新聞

宇野重吉は戦前は民主派の活動家で現在は新聞記者という役柄がよく似合う。「人民」なんてアカっぽいセリフも主に宇野にしゃべらせる。この当時の方が日本の知識を形成する鋳物の型を作るという意味で新聞記者というのが知識人の象徴であろう。でも、自分を迫害する検事と対決するなんて話はちょっと大げさかな?

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映画「美徳のよろめき」 月丘夢路&三島由紀夫

2020-11-21 10:41:43 | 映画(日本 昭和34年以前)
美徳のよろめきを名画座で観てきました。


美徳のよろめきは昭和32年(1957年)の日活映画であり、三島由紀夫原作の小説の映画化である。昭和32年の書き下ろしで、当時年間4位のベストセラーになった。この小説は何度も読んでいる。映画化された作品は見たことはなかった。

最初にこの小説を読んだのは大学生の時だった。あっと驚いた。まさに姦通小説というべき激しい不倫物語に息を呑んだ。貞淑な人妻が不倫の行く末に何度も子どもをおろす。実にショッキングであった。特に搔爬という文字に得体の知れない気味悪さを感じた。時を経て30代後半になって、自分も色んな経験をした後に再読した。読み進むうちに20代前後では知り得なかった大人の世界に浸り周囲の女性を見る目が一気にかわってしまった。読むたびに衝撃的な感情を呼び起こす小説である。


新藤兼人の脚本ということで映画を観るのを楽しみにしていたが、ちょっとがっかりである。残念ながらこれは失敗作と言えよう。スタートは小説の通りのナレーションで始まる。登場人物はそのままにしているが、中身はかなり変えている。原作で感じる薄気味悪いテイストが削ぎとられている。あまりにアッサリしているのに驚く。何でこんなに脚色したのであろうか?疑問に感じる。

元華族の気高い28歳のご婦人倉腰節子(月丘夢路)は夫(三國連太郎)と幼稚園に通う息子と鎌倉に暮らしている。何の不自由のない生活をしていた。


節子には土屋(葉山良二)という青年との甘い想い出があった。その接吻の想い出が忘れられないということを親友与志子(宮城千賀子)にも話していた。土屋とは街で何度もバッタリあったが、避けていた。節子の親族の葬儀に土屋が来ていて、鶴岡八幡宮で明日3時に待ち合わせと言い残して去っていく。節子は行きたい気持ちもあったがあえていかなかった。それでもたまたま行けなかっただけと言い訳して結局は会うようになる。そこから2人の密会が始まるのであるが。

ここまでの経緯に小説との大差はない。ここからがこの小説の肝である。身も心も土屋に狂っていく。土屋が別の女性と会っているという話だけで強烈に嫉妬する。土屋と付き合い始めたときに懐妊に気づく。これは夫との子である。でも節子は中絶する。気持ちが土屋に通っているのに産むということを拒絶するのだ。


映画ではこの後土屋との交わりで何度も子どもをつくり中絶する行為が省略されている。小説では触れられていない節子の友人与志子が浮気相手とのトラブルに巻き込まれる話が取り上げられる。新藤兼人は何でこんなに脚色したのであろうか?この小説の根幹が抜き取られて中途半端になっている。

1.昭和30年代の中絶事情
戦後のベビーブームの後で、GHQは中絶を解禁した。それとともに中絶することが普通になっていった。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。映画を観ると、この中絶に唖然とするが、もしかしたらこの中絶が当たり前の社会だったのかもしれない。

2.三島由紀夫の筆力
今回改めて小説を読むと三島由紀夫が丹念に節子の人となりを綴っていることがわかる。数多くのディテイルで節子の人格を含めたすべてを浮かび上がらせる。この辺りの三島由紀夫の筆力には本当に恐れいる。素晴らしい。それにしても搔爬という文字は読むたびに気分が悪くなる。しかも、官能の世界に浸って何度も子どもを堕ろす。いやな感じだ。映画のラストは小説どおりである。別れようとする土屋への手紙を書いているところを映す。でも、この小説を読むたびに感じる後味の悪さは感じない。
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映画「煙突の見える場所」田中絹代&上原謙&高峰秀子&芥川比呂志

2020-11-02 18:29:50 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「煙突の見える場所」を名画座で観てきました。


「煙突の見える場所」は昭和28年(1953年)公開の新東宝映画であり、キネマ旬報ベストテン4位の高評価だ。映画史の中ではたびたび映し出される千住にあったお化け煙突がまさに題名になる作品で、DVDはレアでこれまでご縁がなかった。田中絹代上原謙の夫婦が住む家に、同居人の芥川比呂志と高峰秀子が絡む。

まだ戦後を引きずる街の風景はどれもこれも貴重なシーンでそれを見るだけで価値がある。上原謙成瀬巳喜男作品「めし」同様のダメ親父ぶりである。それぞれの演技は特筆すべきはない。昭和20年代の世相を楽しむだけである。千住だけでなく上野界隈から昌平橋あたりもでてくる。


戦災未亡人の弘子(田中絹代)と緒方(上原謙)夫妻は、千住のお化け煙突が荒川河川敷の反対に見える長屋の貸家に住んでいる。2人が住む2階には役所で税金の取立てをしている久保(芥川比呂志)と上野で商店街の買い物アナウンスをしている仙子(高峰秀子)がふすまを隔てて住んでいる。まだ結婚して1年半の緒方と弘子がイチャイチャしていると、仙子が帰って来てお互い沈黙するという窮屈な状態だった。

緒方は弘子が良かれと思って競輪場でバイトしているのも気になって仕方ないセコい男。そんなある時、2人が家に帰ると部屋に赤ちゃんが横たわっていた。そこには置き手紙と戸籍謄本があり、元夫の塚原と弘子との子供と記載がしてある。結婚して2人だけの生活をしているのに子供がいるはずがない。それに緒方と弘子も婚姻届がしてあり、手元に戸籍謄本がある。

それを見て緒方はこれは二重結婚になるので、刑法上の罰を受ける可能性があると、捨て子を警察に届けようとするのを止める。しかし、赤ちゃんは泣き止まず、4人とも睡眠不足になる始末である。


赤ちゃんをどうするのかで緒方と弘子は大げんかして弘子は荒川に飛び込みかねない勢いだ。それを見かねて久保が役所を休んで元夫の塚原を探しに出る。でもなかなか見つからない。やっとのことで塚原(田中春雄)が見つかったが、競輪狂いで金がない。塚原を見捨てた子の母親勝子(花井蘭子)は小料理屋の女中で子供の世話ができる状態にない。そのうちに当の赤ちゃんは急激に具合が悪くなり、往診の医者に手が負えないと言われるのであるが。。。

⒈お化け煙突と下町
お化け煙突は4本建っているが、見る場所によって1本にも2本にも3本にも見えるというのがお化け煙突たる所以と映画で解説ある。これは知らなかった。荒川河川敷近くの長屋はいろんな物語の舞台になる。お化け煙突まで加わると絵になる。台風が来たりして川が氾濫すると一気に水没するようなところだ。


そこの家主は法華経を朝から新興宗教のように集団で唱えている婆さんだ。創価学会の前身みたいなものか。長屋の中にはラジオ屋もあり、近くの商店街に買い物に出ればチンドン屋もいる。店構えは看板が大きな文字で書いてある前近代的看板だ。

東京の商店街でもそれぞれの店を紹介するアナウンスって昭和50年代過ぎてもあったような気がする。高峰秀子はそのアナウンス嬢だけど、いい給料なんてもらえないでしょう。上原謙は足袋問屋に勤めている。ラジオ屋同様に消えた仕事である。上原は家に持ち込んで仕事するが、田中絹代に読み上げさせてそろばんで集計する。まあ、昭和50年代に入るくらいまではこれでしょう。

⒉社会の底辺にいる生活と今だったらありえないこと
緒方夫妻が住む長屋の家賃は3000円だという。自転車屋は特売で650円で自転車を売っている。何より夫婦が一階に住んでいる2階に別々の下宿人がいるという姿が異様だ。血が繋がっている親族ならともかくアカの他人同士がこういう住み方をしているというのを自分は知らない。これが下町なのか?高峰秀子の部屋の窓にあるカーテンは東京ボン太のトレードマーク唐草模様であるのに思わず吹き出す。


小遣い稼ぎに田中絹代競輪場でアルバイトする。小津安二郎の「お茶漬の味」にも競輪場のシーンが出てくるが、昭和20年代は割といろんな映画で見かける。どの映画を見ても競輪場が超満員であるのに驚く。何よりすごいのが、田中絹代のバイトとは当選券の払い戻しを競輪場の場内で弁当屋みたいに歩き回っているということ。一緒にバイトやっているのは自分たちが若い頃のおばあちゃん役浦辺粂子である。ギャンブラーのど真ん中で金持ち歩いて大丈夫?金とられない?むしろ心配だ。映像は美濃部都知事がなくした後楽園か松戸かどちらかだろう。

赤ちゃんを田中絹代の家に置いたのは、競輪場にたむろう元夫がバイトしている田中絹代を見つけて、どこに住んでいるのかと同僚の浦辺粂子に聞きわかるということだが、まあこれも現代では絶対ありえないことでしょう。

そもそも戸籍上の婚姻が二重になってしまうというのが、その当時ありえたのか?夫の死亡届けってどうなの?当然元戸籍の役所への確認があるわけだが、もしありえたとしたら凄い話である。脚本は「生きる」で役人を描いた小国英雄である。いずれにせよ、戦災未亡人は現在日本では死語である。高峰秀子はこののち11年後に成瀬巳喜男作品「乱れる」で戦争未亡人を演じるが、あと10年強は戦後を引きずっていた。
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映画「銀座化粧」成瀬巳喜男&田中絹代&香川京子

2020-10-11 08:17:19 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「銀座化粧」は昭和26年(1951年)の成瀬巳喜男監督作品


先日映画銀座二十四帖で昭和30年の銀座の風景を堪能した。もう少し前だったらどうなるんだろう、ロケ嫌いという噂のある成瀬巳喜男監督作品だけど、少しくらいは昭和26年の銀座を映し出していると思い「銀座化粧」をみる。ストーリー自体はたいした話ではない。田中絹代演じる銀座の女給と店の後輩香川京子の日常を映し出すだけだ。高速道路になり埋め立てられた川が全面に映し出され「銀座二十四帖」でも感じたが、東京がいかに水の都だったというのが「銀座化粧」でもよくわかる。

雪子(田中絹代)は銀座のバー・ベラミで女給をしている。長唄の師匠の二階を借りて、小学生の息子春雄と暮らしている。戦前、妻と別れると言い張る藤村(三島雅夫)と子供をつくったが、結局藤村は別れず母子家庭となってしまう。その藤村は戦後落ちぶれて、雪子に金を無心に来ていた。友人たちからは金になる旦那をもてとすすめられてもその気にはなれなかった。

雪子は、勤めるバーのママから20万円金策出来なければ店を手放さなければならないと相談をもちかけられた。成金の社長(東野英治郞)にたのんで借りようと相談したが、倉庫で体の関係を迫られ逃げていく始末である。仲間の静江(花井蘭子)が疎開していた先の素封家の息子石川京助(堀雄二)が上京したとき、案内役を雪子にたのんだ。雪子は京助と意気投合して心が動いたが、春雄が朝から行方不明になっているという知らせが入り、芝居見物の案内は、妹分の京子(香川京子)にたのんだ。幸い春雄は帰って来たが、気がつくと京子が京助といい仲になってしまうのであるが。。

1.昭和26年の銀座界隈
母子家庭で水商売に入って子どもを養うなんて構図は70年近く前も今も同じにはある。たいして広くもない店に大勢女給がいてこれじゃ儲からないでしょと感じるが、案の定火の車のようだ。貸せば客は払わないしなんてセリフもある。

店を閉めようとしたらなかなか帰らない客がいる。雪子(田中絹代)がついていたお客は、友人が来るはずだったけど、自分は持っていないと言い張る。次の店に来るはずだといわれ雪子はついて行くが、ちょっとした隙に逃げられる。3000円踏み倒した分は雪子が責任もって処理する必要がある。そんなこんなでこの稼業もなかなかたいへんだ。

今は見かけなくなった流しもバーに来る。3人のトリオの伴奏で歌う客がいる。花売りの少女たちもバー巡りをしているし、まだ8歳という女の子もバイオリン伴奏引き連れバーで流しをしている。美空ひばりのようなものだ。


服部時計店の時計は同じように映るが、森永キャラメルの電飾塔はない。銀座周辺に二階建ての建物が多い。ライオンもその一つだ。東京駅の地下にもあった「東京温泉」が銀座で建築中である。家の近くにはチンドン屋や紙芝居のお兄さんがきており、麻雀が1時間10円だ。小唄の師匠に間借りしているせいもあるが、町に三味線が鳴り響く。田中絹代に元情夫が無心に来て渡すのが200円、踏みたおした勘定が3000円、バーが生き延びるためのお金が20万円。最初10倍かなと思ったけど、違うかな?それぞれ何倍したらいいのだろう。単位の違いに少し戸惑う。

2.田中絹代
田中絹代のキャリアを追うと、昭和23年の夜の女たち(記事)という大阪の街娼を映した映画がある。ここでは夫を亡くして中小企業の社長にお世話になる役柄であった。でも、この映画では二号になることは拒否している。戦後まだ6年では、母子家庭になった女は水商売、妾しか生きる道がなかったのかもしれない。そのせつなさがよくわかる。


田中絹代は昭和24年に日米親善使節で渡米した帰国後、アメリカかぶれしたとマスコミに大きくたたかれたことがある。想像もつかないがかなりパッシングをうけたらしい。そのスランプを乗り越えているころである。小津安二郎「宗方姉妹」、溝口健二「お遊さま」「武蔵野夫人」といった作品に出ている頃で、今となってみればそんなに悪い時期でもない気もする。

3.香川京子と成瀬巳喜男監督
小学生の頃、こどものくせして香川京子さんって本当にきれいな人だ思っていた。ちょうどアメリカに行っていらっしゃって、時折TVで見る姿がまぶしかった。日本経済新聞連載の「私の履歴書」を書いたのがもう11年の前のことになる。これはおもしろかった。

黒澤明監督作品では常連だったけど、赤ひげ(記事)新任医師加山雄三が頭が少し狂っている香川京子演じる患者を診るシーンはなかなか狂気に迫る素晴らしいシーンだ。そんな香川京子の若き日を映す貴重な映像だ。美人でバーに来る男連中からちやほやされているが、先輩の田中絹代にしっかりガードされているという役柄だ。清楚な美しさが光る。


その香川京子が「私の履歴書」で成瀬巳喜男監督9時にはじまり、17時に終わる撮影ローテーションだったと書いている。やりすぎの演技を嫌い脚本でも余計なセリフはカットして絵で見せることにこだわったという。これは貴重なコメントで、さすが巨匠と言うべきだ。
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映画「銀座二十四帖」川島雄三&月丘夢路

2020-09-28 20:38:29 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「銀座二十四帖」は1955年(昭和30年)公開の日活映画


まさに銀座を舞台にした「銀座二十四帖」川島雄三監督作品、予想以上に現地でのロケシーンが多く、戦後10年目、昭和30年の銀座がどのように復興しつつあるのかよくわかる。昭和30年前後の東京を写した写真集がいくつもあるが、この貴重な映像にはかなわない。60年後のわれわれにその時代の銀座を教えるが如くの川島雄三の解説が入っていて価値のある作品である。

月丘夢路と三橋達也の主演であるが、このすぐ後に日活を支える北原三枝と浅丘ルリ子が登場する。いまだ健在の2人の若々しさに心ときめく。森繁久彌自ら歌を歌う。一瞬誰の声と思ったが、森繁だ。ナレーション で続く。

銀座のクラブといえば、花がつきもの。その銀座で 子分ジープ(佐野浅夫)と花屋を経営している三室戸完(三橋達也)こと通称コニーはルリちゃん(浅丘ルリ子)という少女をアルバイトに使っていた。あるとき、京極和歌子(月丘夢路)にバラを頼まれ川沿いの菊川という料亭にもっていき仲良くなる。


和歌子 は夫の克巳がよかならぬ事業に関係しているのを嫌って、一人娘を藤沢鵠沼に残したまま別居して銀座の菊川に身を寄せている 。 そこへ突然大阪から姪の仲町雪乃(北原三枝)が「ミス平凡」のコンテストに出場するために上京して来た。 自由奔放な 雪乃は銀座の夜を楽しんでいた。

生計を立てるために 和歌子はいくつかの絵を銀座の泰西画廊に持ちこんだ。その中には、少女時代、奉天で五郎としか記憶がない若い画家に自らを描いてもらった絵があった。そこにはGMとだけサインがある。手放すつもりはなかったが、 画廊の主人からは展示しておくと画家が名乗り出るかもしれないと言われ展示に応じた。

まもなく銀座で幅を利かせる桃山豪(安部徹)というキザな画家が名乗り出たが 和歌子のイメージと違う。姪の仲町雪乃 と親しくなったプロ野球選手の赤星(岡田真澄)より奉天にいた男がいると聞きあうが、プロ野球のスカウト三ツ星五郎(芦田伸介)であり画家ではない。

コニーはヒロポン中毒になり仲たがいした子分ジープを探すときにバーの奥に入ると、GMという人間が夜のヒロポン取引の元締めで名は三室戸五郎だといわれる。それはコニイの実兄であり、生きているとわかり、あわてて探すのであるが。。。

1.昭和30年の銀座
川島雄三監督得意の状況を説明するというパターンが多いのでわかりやすい。空からの銀座の俯瞰映像には中心部でもビルだけでなく木造の二階の家が目立つのに気づく。月丘夢路が身を寄せる料理屋のそばには川が流れ、柳が風に揺れている。銀座周辺のお堀や川は高速道路となって10年後には姿を消してしまう。


中心部に都電が走り、今なお残る服部時計店の時計台に加えて、森永ミルクキャラメルの地球儀のような広告塔がめだつ。たびたび映像になる このネオンサインの横での 捕り物風景は絵になる。河津清三郎の渋い表情も明治の顔でいい感じだ。すず(鈴)らん通りやみゆき通りもここまではっきりと映像にしたのは少ないのではないか。あえて鈴としたのは映像の画面にそうある。


東京駅の映像では、駅前にあるヤンマージーゼルの建物がまだビルになっていないで二階建てなのが印象的だ。1964年に新幹線が開通する前の東京というのも郷愁がある。

2.昭和30年の大阪難波
百貨店の比較をする。大丸、そごう、高島屋とあって銀座には松屋、三越、松坂屋があるとする。大阪のそごうが有楽町で建築中と今ある建物の工事現場を見せる映像もある。月丘夢路が大阪に向かうシーンでは、北原三枝も一緒だ。銀座で知り合った岡田真澄演じるプロ野球選手の試合を大阪球場で見る。高い席からは南海電車と高島屋の裏側が見える。よく戦災に耐えたものだ。高島屋の屋上から御堂筋を眺める。考えてみれば、大阪にいるときにその場に立ったことがないので見たことない景色だ。月丘夢路が高島屋で買い物をするシーンは優雅な感じがする。


3. のちに出世する俳優陣
石原裕次郎が登場する前の日活映画だ。昭和31年5月に「太陽の季節」が公開なのでまだ映画界に存在していない。いまや妖怪と化した浅丘ルリ子がこの当時15歳で少女の趣きを持っている。このあともっときれいになるが、この純情さもいい。

北原三枝は劇中では20歳となっているが、公開当時で21歳だ。石原まき子さんという存在しか知らない若者から見ると、この魅力にはびっくりしてしまうだろう。自由奔放なお嬢さん役で銀座のクラブで颯爽とマンボを踊る。そういえば数年前東京の名門ゴルフ場桜ヶ丘カントリーのメンバーの札に「石原まき子」という名を見つけたことがある。


主役の三橋達也はこの中で格上か?東宝に移る前の方が主役を張っていたかもしれない。芦田伸介「七人の刑事」で人気になる6年前、岡田眞澄は日活映画に出ているが、主演格ではない。チンピラ役の佐野浅夫が後年水戸黄門役をやろうとは誰が想像しただろうか?


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