映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「チネチッタで会いましょう」 ナンニ・モレッティ

2024-11-27 16:01:47 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「チネチッタで会いましょう」を映画館で観てきました。


映画「チネチッタで会いましょう」はイタリアのベテラン監督ナンニモレッティの新作である。「映画の中の映画」の手法で自ら映画監督役となって1956年のソ連ハンガリー侵攻に戸惑うイタリア共産党員たちを描く役柄だ。5年に1作程度と製作本数は決して多くない。前作「3つの鍵」は高級アパートメントに暮らす三家族を描く作品でストーリー、美術、音楽すべてにおいてよくできていた。

予告編の音楽でアレサフランクリン「シンク」が流れる。自分の人生ベスト3のひとつ「ブルースブラザーズ」の町のダイナーからブルースブラザーズのメンバーを引っ張る名場面で、妻役のアレサフランクリン自ら演じて歌っているシーンは何度観ても楽しい。そんな雰囲気を期待して映画化に向かう。

ベテラン映画監督のジョヴァンニ(ナンニモレッティ)は1956年のイタリア共産党の苦悩を描く映画を製作中だ。ハンガリーからサーカス団が来ているのにソ連がハンガリーに侵攻してイタリア共産党の支部がソ連を支持するかどうかで大慌て。


そんなストーリーなのに、若いスタッフはイタリア共産党が存在したことすら知らない。チネチッタ撮影所で新作の撮影が始まると、党員役の主演女優が勝手にアドリブで演技するし、ジョヴァンニはイタリア共産党とソ連の確執を描く政治映画のつもりでつくっているが女優はこれって恋愛映画じゃないのと反発。フランス人プロデューサーは詐欺師だったと判明、長年プロデューサーとして支えてくれた妻は若手監督と組んで別の映画に気を取られている。しかも妻に別れを告げられる。にっちもさっちもいかない大ベテラン監督の悩みは尽きない。

イタリア映画らしいお遊びムードに満ちたブラックコメディ
ナンニ・モレッティ演じるベテラン監督は名声があるせいか何をやるにも自分勝手で独りよがりだ。長年連れ添った妻が別れを告げるのもわかる。立ち寄った妻の撮影現場で若手監督の演出に口を出す。撮影を止めてしまい気がつくと朝だ。若手スタッフとはギャップができてピントが狂いっぱなし。そんな自分勝手な老人監督は時代遅れ。でも、イタリア映画らしく色彩設計、美術、音楽の設計は抜群にいい。


結局カネの都合がつかないのだ。フランス人プロデューサーがNetflixの担当者を連れてくるところがおかしい。ネットフリックスは作品が190カ国で見られると強調し、最初の掴みは2分ぐらいでとかターニングポイントにも時間を気にする。指図が多い。大幅な改変を要求するが、ジョヴァンニの流儀とまったくかみ合わない。受け入れ難くても所詮はカネ。現場はストップだ。でも、もうダメかと思った時に救世主が現れる。韓国映画資本だ。

日本映画界にもNetflixが入って「地面師」のようなカネのかかった良作が生まれている。いい傾向だと自分は思っている。でも、この監督のように受け入れられない人もいるだろう。もっと日本映画に資本が入ると、レベルが上がるんだろうといつも思っているけど、マイナー作品で閑古鳥の上映館を見るとむずかしそう。それに対して韓国映画には日本よりカネがかかっている作品が多い。雑誌「映画芸術」で荒井晴彦が久々におもしろかったという意味がわかった。
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映画「ソングオブアース」

2024-09-24 22:36:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ソングオブアース」を映画館で観てきました。


映画「ソングオブアース」ノルウェー西部のオルデダーレン渓谷に住む夫婦の一年を追うドキュメンタリー作品。監督のマルグレート・オリンが自らの両親と美しい自然の春夏秋冬を映し出す。役所広司「パーフェクトデイズ」ヴィムベンダースが製作総指揮に名を連ねる。ノルウェーには行ったこともなく地名も知らない。地図で見るとノルウェー西部の海に接するヴェストラン県にある渓谷のようだ。はるか遠い。一生行かないであろうこの土地の魅力に魅せられる。

美しい自然の光景を大画面で堪能したい。音楽も含めてよかった。

ドローン撮影で氷河の渓谷から湖を俯瞰する。一時代前だったらこんな映像をとるのは難しかっただろう。冬は凍りつき、春から夏にかけてエメラルド色になるオルデバトネット湖と長年の蓄積で溶けてできた氷河が中心に映る。



84歳の父親は氷河や山の中に入っていく。1人でたたずむ父親を見ていったいどうやってその場所まで辿り着いたのかと思ってしまう。そして若き日からの暮らしを老人が語っていく。


夢で空中を飛びあがって地上を見ることがある。ハッとすると目が覚めるんだけど、山の頂上あたりをドローンで下を見ながら映す映像を観ているとそんな感覚をもつ。まさに夢のような世界だ。



冬から春にかけて、氷河が崩れ落ちる。溶けた雪は水量の多い滝のように流れる。夜になるとオーロラが空をつつむ。


秋には樹木は黄色に色づき野生の動物や鳥たちがその壮大な風景の中静かに動きまわる。なんて素晴らしいのだろう。
自分の余計なコメントもなしにしたい。
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映画「美食家ダリのレストラン」

2024-08-22 19:58:10 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「美食家ダリのレストラン」を映画館で観てきました。


映画「美食家ダリのレストラン」はスペイン映画。独裁政権に反発してバルセロナを追われたシェフが海辺の街カダケスのレストランで働く話だ。オーナーはカダケスに住む芸術家サルバトール・ダリの狂信的なファンだ。予告編で観るおいしそうな料理に魅かれる。監督はダリのドキュメンタリーを3作撮っているダビッド・プジョルである。セリフの中にダリの功績を織り交ぜる。

1974年、フランコ政権末期のスペイン。バルセロナを追われた料理人フェルナンド(イバン・マサゲ)とアルベルト(ポル・ロペス)の兄弟は、友人フランソワのツテでサルバドール・ダリの住んている海辺の街カダケスに辿り着く。彼らを迎えたのは魅力的な海洋生物学者のロラ(クララ・ポンソ)、そしてその父はダリを崇拝するレストラン「シュルレアル」のオーナーであるジュールズ(ジョゼ・ガルシア)だった。

オーナーは「いつかダリに当店でディナーを」をスローガンに、ダリの家族や運転手にアプローチを重ねるが、こちらに気持ちが傾むいてくれない。(作品情報引用)


海辺のレストランを舞台にしたなじみやすいスパニッシュコメディだ。
スペインの海辺の町カダケスが魅力的である。大画面に映る水のウェイトが多い海上や海辺のシーンが昼夜とも海にいる体感をもたせてくれる素敵な映像だ。料理人がつくる料理も視覚的に美しく、色あい鮮やかに食欲を誘う。ストーリーは別として映像を楽しむために観ておきたい。一生行くことないだろうカダケスの町は観ておく価値がある。


独裁者フランコが亡くなる1年前の設定だ。政府への反発を示すバルセロナのシーンはわずかで、ほとんどがカダケスでのロケシーンだ。警察との対立の場面はわずかだ。警察も賄賂で動くひと時代前の田舎警察だ。

無口な料理人フェルナンドが腕利きで主人公とも言えるが、実際にはレストランのオーナーのジュールズ個性的でセリフもいちばん多い。おっちょこちょいとも言える行動が常に笑いを誘う。コメディアン的存在がいい。
ダリへの思いが強く、レストランの客席にはダリ独特のデザインのオブジェなどが置いてある。料理を持ってダリにレストランに来て欲しいとアピールするが、大金を出せとダリの妻に断られていた。有力料理批評家がレストランで食べたフェルナンドの料理を絶賛する。ところが、ダリに関する悪口を批評家が言うと、ジュールズが怒って店から追い出してしまう。ロックも好きでエピソードが絶えない。


シェフフェルナンドはスペイン人にしては謙虚だ。余計なことは言わない。もともと一流店のシェフだったのに、海辺のレストランで働く時も皿洗いなどの下働きでいいからと受諾する。下働きの時からつくる料理はみんなが絶賛する。基本的にはフランス料理だ。意匠的にもすばらしい。方々からうわさを聞いて食べに来る。地元の海産物を豪快に調理する屋台の影響も受ける。


ただ、フェルナンドと弟はバルセロナでの騒乱で警察に追われている。ビクビクしているのだ。レストランのオーナーがトラブルを知り、クビにしようとしてもブイヤベースを味わいやめる。


男性陣は野暮ったい連中だらけだが、女性陣は美女だらけ。恋物語も用意されている。レストランオーナーの娘クララ・ポンソが魅力的だ。最近屁理屈ばかりで気前のよくない日本映画と違い、しっかりバストトップも見せてくれてうれしい。クリミア半島出身というロシア美人も弟の方と恋仲になる。黄色のワンピースが似合う。夏に観るのがもってこいの作品だ。

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映画「幸せのイタリアーノ」 ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ&ミリアム・レオーネ

2024-08-14 18:29:40 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「幸せのイタリアーノ」を映画館で観てきました。


映画「幸せのイタリアーノ」はイタリア版ラブコメディ映画。独身でリッチな49歳のプレイボーイが足に障がいをもつ美女に惚れてしまう話である。予告編でだいたいのストーリーの予測がたってしまう映画だけど、イタリア特有のゴージャスな雰囲気が味わえればと映画館に向かう。

スポーツシューズ会社の社長ジャンニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)は女性には目のない49歳独身貴族。亡くなった母親のアパートに荷物整理に来て母の車いすに座っていると、隣に越してきた美女が挨拶にやってきた。ジャンニと親しくなった彼女は、実家で下半身不随となった姉キアラ(ミリアム・レオーネ)に引き合わせる。ジャンニはあえて歩けることは言わずに車いす生活を続けていく。徐々に関係が深まっていくが、真実を言い出せずにいた。


イタリア映画らしい明るく笑えるラブコメディだ。
こんな感じになるだろうなと想像でき、ストーリーに目新しさはない。美男美女が登場してイタリアの歴史を感じさせる背景を見るだけで単純に楽しめる。


予告編でお相手役の女性の美貌に目を奪われる。ミリアムレオーネは元ミスイタリアというだけあってものすごい美女だ。妹役のピラル・フォリアーティも負けずに美しい。ここまでは普通美女が揃わない。主人公のピエルフランチェスコ・ファヴィーノはイタリア映画ではおなじみだ。今回はいかにもイタリア風軟派系だけど、マフィア映画の強面の演技も得意だ。

イタリアらしいシャープな設計の建物やインテリアデザインが楽しめて目の保養になる。ゴージャスでゆったりした間取りの主人公の自宅はミケランジェロアントニオーニの「夜」の豪邸を思い出す。ヴィジュアル面では最高だ。ジャンニは赤いフェラーリを乗り回し、次から次へと美女をものにするプレイボーイだ。スポーツシューズメーカーのワンマン社長で、会社では周囲の発言が自分の流儀に合わないとクビにしてしまう独裁者だ。二卵性双生児の全く似ていない兄弟がいる。会社の外に出ると遊び放題で軟派系のキャラクターがお似合いだ。


脇役もうまく適切に配置する。ジャンニの女性秘書は昼間社長の面倒をみてテキパキと捌く一方で、夜になると、カラオケクイーンに変貌する。マドンナの「ライクアヴァージン」で脱ぎながら歌うのが笑いを誘う。キアラの実家にいる祖母が個性的で、毒のある言葉をジャンニに投げつける。妹に引き寄せられたジャンニが姉を紹介されたのを見てハメられたね。とジャンニにいう。

こういう2人が笑いを呼ぶだけでなく、ジョークが炸裂で十分に楽しめる。
お気楽でいい。
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映画「ストレンジ・ウエイ・オブ・ライフ」 ペドロ・アルモドバル&イーサン・ホンク

2024-07-27 06:51:07 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ストレンジウエイオブライフ」を映画館で観てきました。


映画「ストレンジウェイオブライフ」はスペインのペドロアルモドバル監督の新作映画。なんと31分の短編映画である。地元スペインが舞台ではなく西部劇を題材にした作品だ。ちょうどすき間時間ができたときに映画館に立ち寄る。ペドロアルモドバル監督の作品は毎回楽しみにしている。独特の色彩感覚で不安を呼び起こす音楽をバックにいつもワクワクさせられる。どういった背景で今回の作品を作ったのかはわからない。イーサンホンクとペドロパスカルのダブル主演でいわゆる西部劇をメキシコに近いエリアを舞台にする。

舞台は1910年。若き日に共に雇われガンマンとして働いていた旧友の保安官ジェイク(イーサンホンク)を訪ねるため、シルバ(ペドロパスカル)は馬に乗って砂漠を横断する。出会ってから25年が経つ2人は酒を酌み交わし、再会を祝う。若き日に2人は愛し合った仲で、久々にベッドを共にする。しかし、シルバがここへ来たのは息子のある罪の減免を図ろうとしていたのだ。ジェイクはそれを許さない。


まさに短編、男色系の匂いを残したペドロアルモドバル流の西部劇である。
英語のセリフで,アメリカの西部開拓時代が舞台となるといつもとは違う。音楽も西部劇ぽく始まり,不安を呼び起こすいつものアルベルトイグレシアスの音楽と違う音色なので,今回は音楽担当が変わったのではないかと当初から思ってしまったが、今まで通りで途中からいつも通りになる。


さすがにエンディングロールを含めて31分となると限界がある。若き日に愛し合っていた男性2人が,旧交を温めて、愛し合うシーンはある。バイセクシャルのペドロアルモドバル監督らしい場面だ。特に,この2人が若い頃に愛し合った回想シーンは、ワインと衣装の赤を強調したいつものペトロアルモドバル監督らしい色彩感覚のシーンである。

ただ,今回はシルバーの息子が罪を犯している。保安官のジェイクは見逃すことができない。懸命にかばうシルバーは息子を逃がそうとしているが,ジェイクは許さない。シルバーが息子に逃げろと言いに行くのを,密かに追っていたジェイクと3人が鉢合わせするところがこの映画の最大の見せ場だ。一体どうなってしまうんだろうと思うが,それが終了してしばらく経って気がつくと、映画は終わってしまう。まさに短編小説のような余韻を持つ。
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映画「フィリップ」

2024-06-27 18:16:27 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「フィリップ」を映画館で観てきました。


映画「フィリップ」は、第二次大戦中のドイツでフランス人として身を隠す1人のユダヤ人に注目する作品。ポーランドの作家レオポルド・ティルマンドの自伝的小説をもとに監督のミハウ・クフィェチンスキが映画化した。ティルマンド自身が1942年にフランクフルトに滞在していた実体験に基づいている。予告編で何度も見ていると、ナチスの迫害をフィリップがスレスレでかわす場面が多い。

1941年のワルシャワ、ユダヤ系ポーランド人のフィリップ(エリック・クルム・ジュニア)は恋人と劇に出演している最中に、ナチスの銃撃を受けて恋人と家族を失う。悲しむ時間もないままに、その場を脱出する。

2年後フィリップはドイツのフランクフルトのホテルでウェイターとして働いていた。夫が戦場で任務につくドイツ人妻たちを中心に誘惑している。ドイツ人同士の結婚を奨励しているナチスでは外国人がドイツ人に手を出すと厳罰を受けていた。しかし、フィリップはホテルで知り合ったリザ(カロリーネ・ハルティヒ)に惹かれて、一緒にドイツからパリへ脱出しようと考えている。


ナチス統治下のドイツにおける異色のユダヤ人の物語である。
ナチスドイツの卑劣な行為を非難する映画は数多い。内容が予測されて見なくてもいいやと思う作品の中で、違うテイストの作品に見える。要するに、夫が戦場に出ているご婦人たちの性の処理をする男の話である。高尚な主張があるようなストーリーではまったくない。見応えがあるレベルでもない。


1939年からポーランドドイツのみならず、ソ連からも侵攻されてひどい目にあった。戦後日本ではアカ教師が多かったせいか、ナチスドイツの話ばかりになっていても「カティンの森」の話を含めてソ連も負けないくらい酷い。ともかくここではナチス統治下のドイツでの話だ。映画の中にも出てくるが、ある恩人によってドイツに生き延びていったのだ。両国に対するポーランドの恨みは根深い。

フランクフルトの高級ホテルでは,ウェイターは外国人ばかりである。ナチスの将校に向かって、自分の出身地を自己紹介をする場面がある。そこでは,フィリップはフランス人として自己紹介をする。ポーランド生まれとは言えない。

高級ホテルには有閑マダムたちが大勢来ている。フィリップはその女たちに声をかけまくる。そして、意気投合した女性とプールサイドの別室に入り込む。戦時中ドイツ将校の妻が乱れる設定は初めて観る。戦前の日本じゃこういう事はなかっただろうなぁ。

ただ,愛撫をしている最中でも,ポーランド人の悪口が出たら、そこで一気に態度を変える。気まずくなったとしても,ドイツ人女性は外国人との姦通がばれると罰則を受ける。頭は丸坊主だ。そこの辺りを突っ込んでフィリップは毎回逃げ切る。


この手の第二次大戦中を描いた映画は多い。セットなのか戦後残っている建物なのかはわからないが,時代を反映した建物の並びを見ることが多い。室内のインテリアは濃い茶を基調としたオーセンティックな雰囲気である。美術はいつもながらよくできているし、結婚式パーティーのシーンも豪華だ。同性愛禁止のナチスの方針からして,オカマが街で捕まっているシーンもある。逆に,将校が若い男性に手を出すゲイ系の場面もある。将校だったらいいのか。フィリップを知っているポーランド出身の女をドイツ人将校が囲っているシーンもある。


ドイツ人女性がみんな美しい。でも15禁の成人向となっているのに,残念ながら男女の絡みは大した事はなかった。ドイツ人美女たちのエロチックな場面を期待して、映画館に向かうとがっかりさせられることになるであろう。
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映画「関心領域」 

2024-05-26 15:01:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「関心領域」を映画館で観てきました。


映画「関心領域」は悪名高きアウシュビッツ収容所の内部でなく、すぐそばに住む収容所長の自宅に焦点をあてる英国のジョナサン・グレイザー監督の作品である。カンヌ映画祭グランプリやアカデミー賞の国際長編映画賞と音響賞も受賞している。言葉はドイツ語でドイツ人俳優が演じる。妻役のザンドラヒュラー「落下の解剖学」でも主演だった。ナチスドイツを扱う映画は多い。ほとんどスルーだが、昨年の「アウシュヴィッツの生還者」は年間通じても指折りの傑作だった。怖いもの見たさで映画館に向かう。

1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。庭にはプールもあるその家の主は収容所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)で、夫婦と2人の息子と2人の娘と赤ちゃんがいる。のどかに生活している。
窓から見える壁の向こうでは大きな建物から赤い炎と黒い煙があがっている。そして、たえず音が聞こえる。収容所内部の光景は一切描かれず、ヘスの一家がそれを見ることもない。


どう解釈するのかむずかしい映画だ。
欧米では日本よりもアウシュビッツ収容所の存在は重く捉えれている感じがする。これまでの収容所を題材にした映画では残酷なシーンが続いていた。ここでは何もない。映画「オッペンハイマー」で最初から最後まで不穏な音が鳴り続いていた。この映画も同様である。

この音をどう表現するのかむずかしいが、コンサート会場やディスコの外で聞こえるドスのきいた音というイメージを持つ。そして、その中に銃声と思しき音や叫び声に近い音が混じる。そんな音を聞きながら、家族は生活している。壁の向こうの煙突からは勢いよく煙が上がっている。そんな場所でも、理想的な家庭というイメージしかない。妻(ザンドラ・ヒュラー)はこの地からの異動を恐れて、ずっといたいと思っている。


ハンナアーレントが戦犯アイヒマンの裁判で感じた「悪の凡庸」の言葉が脳裏に浮かぶ。映画の中で流れる音を聞くと、自分は極めて不穏な印象を持つが、家族がそれを不快に感じていないのが奇妙である。それでも、川遊びをした子供たちを風呂で丹念に洗うシーンが印象的だった。


映画のラストに向けて、ハンガリーのユダヤ人を大量に収容所に移送する話があった。独ソ戦に加えて、米国の欧州上陸で挟み討ちにあいナチスの戦況はこの時期最悪だったはずだが、この場に及んでまだまだ収容所で処理しようとする話に驚く。評価は高いけど、自分は苦手
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映画「ありふれた教室」 レオニー・ベネシュ

2024-05-23 19:54:02 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ありふれた教室」を映画館で観てきました。


映画「ありふれた教室」はドイツのある初等教育7年生(12歳)の教室の話である。ここのところ邦画ばかり見ていたが,まともだと思われるドイツ映画を選択する。トルコ系ドイツ人イルケル・チャタク監督の作品。ドイツ映画界では各種賞を受賞している作品だ。大学でフランス語選択だったので,ドイツ語には馴染みが薄い。解説には中学校1年となっているが、ドイツと日本では教育体系も異なり映画内どおり7年生と呼ぶ。

予告編では暗そうな雰囲気であったが,観てみると最初から最後まで目が離せない展開であった。

熱心で、正義感の強い若手女性教師のカーラ(レオニー・ベネシュ)は,新たに赴任した学校で7年生のクラスを受け持つ。構内では盗難事件が頻繁に起きていた。その犯人として教え子が疑われる。校長らの強引なクラス内調査に反発したカーラが職員室に隠し撮りを仕掛けると、動画にはある人物が着ている洋服が映っていた。

服を着た当人を問い詰めると否定する。解決に校長を巻き込むと校内の関係がおかしくなる。校長を含めた対応は生徒にまで噂となって広まり,学校中を巻き込む騒動となる。


まぎれもない傑作である。
話の内容から,好きかどうかと聞かれると微妙だが、映画としてはすばらしいリズミカルなテンポと主演女優及びクラス内の生徒の掛け合いがリアルで実際の学校にいるような感覚を持つ。良い映画に出会ったと思う。

⒈リズミカルな展開
取り上げる逸話が多い。簡潔に一つ一つのシーンを要点がわかるように映し出してテンポよく次のシーンに移っていく。小さな山をリズミカルにつなぐ。緊張感が最後まで途切れない。長い上映時間になりつつある最近の日本映画では時間を費やすだけの無駄な長回しが多い。そんな日本映画を見慣れてきたので,逆にすばらしいと感じる。

⒉強い女
主人公は日本の小学校のように7年生に対して何でも教える数学も体育も教える情熱的な担任の教師だ。テキパキしているし正義感も強い。苗字がノヴァクと言うので,「めまい」の名女優キムノヴァクを思い出す。ポーランド出身の設定だ。でも、自分が生徒だったら最も怖い教師と思うタイプだ。授業中怠けづらいタイプだ。カンニングも見破る。体育の授業中外に退避した連中を強引に連れ戻す。ライターを持っている女生徒も見つける。

女教師が主人公になる映画やTV番組はあれど,この女性主人公カーラほどみんな強くはないすぐ泣いてしまう。絶対こんな形になったら,日本映画だったら泣くなと思っても、絶対に泣かない。女々しくない。本当に強い女だ。ただ、今回は泥沼に落ち込む。保護者会で問い詰められ、過呼吸症になってトイレのゴミ箱にあるビニール袋で息を吸う場面が見どころの一つだ。


⒊担当クラスの生徒をかばう主人公
実は、隠し撮りで引っかかる女性は学校の同僚教師で、担任クラスの生徒の母親でもあった。あり得なさそうなすごい状況だ。動画にはっきり映っていても否定されて、成績優秀な息子との関係も悪くなる。こんな事件があって母親は学校に来れなくなるが、息子は懸命に母親をかばう。主人公の立場は微妙だ。そんな時、教え子である息子が突然暴走するのだ。


暴走は危険領域を越える。でもそんな生徒を主人公カーラはかばう。微妙な瞬間が続く。そしてエンディングに向けて、伏線の回収でもあるルービックキューブがポイントになる。精一杯のラストへの持っていき方は悪くない。
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映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」

2024-05-09 22:33:56 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」を映画館で観てきました。


映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」はドイツ映画。ドイツ居住のトルコ移民の男がタリバンの疑いをうけて強制収容所に留置されているのを救出しようと試みる母親と弁護士の物語である。アンドレアス・ドレーゼン監督による実話をもとにした人間ドラマだ。。肝っ玉母さんを演じたを演じたメルテム・カプタン第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(主演俳優賞)を受賞した。太ったオバサンの振る舞いが気になる。

 2001年10月、ドイツ・ブレーメン。トルコ移民のクルナス一家の母ラビエ(メルテム・カプタン)は、19歳の長男ムラートから、パキスタンのカラチへ旅行するという電話を受ける。ムラートはパキスタンでタリバンではないかと逮捕され、翌年2月、キューバの米軍グアンタナモ収容所に移送されていることがわかる。


警察も行政も動いてくれず、息子の無実を信じるラビエは、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルト・ドッケ(アレクサンダー・シェアー)の事務所に乗り込み無理やり協力を依頼する。そこでアメリカ政府を訴える集団訴訟に加わることを提案され、2人でワシントンD.C.へ向かう。

母親の奮闘ぶりは理解するが、ちょっと苦手なキャラクター
テロリストと疑われ、米軍のグアンタナモ収容所に収容された無実の息子を救おうと母が奮闘する。一家はトルコ出身でドイツに暮らす移民だ。主人公の夫はメルセデスベンツに勤めて、自分もベンツを乗り回す。3人の息子を育てるひと昔前の大阪のオバちゃんを連想させる猛烈なキャラだ。

正直こういう自分勝手で、自分の都合だけで振る舞うおばさんは苦手だ。弁護士事務所にも予約なしで乗り込んでいくし,運転すると一方通行路は逆走するし、信号無視もしょっちゅうだ。コンプライアンスの概念は皆無。からだ中に貴金属やアクセサリーをつけまくっているので,空港の手荷物検査場もなかなか通過できない。その強烈さで笑いを取ろうとするのがこの映画だが,自分は好感を持てなかった。一方で人権派弁護士は長身でやせていて、主人公と対照的。そのコントラストはいい。題名にあるジョージブッシュはまったく出てこない。


米軍のグアンタナモ収容所はいくつかの映画で取り上げられている。キューバ海上にある無法地帯のエリアだ。ジョディフォスター主演「モーリタニアン 黒塗りの記録」では、同じくテロの嫌疑のある男の弁護の話だった。そこでの拷問シーンは想像を超える酷いものだ。拘束されたムラートも無実なのに疑いを持たれたということになっている。当地では拷問を受けているようだ。ここではそのシーンはない。ただ、あの911テロ事件の直後にイスラム信仰のためとはいえ、疑いを持たれる渡航をするのは自業自得だ。

リベラル派はアメリカの残虐な囚人への仕打ちを糾弾するが、一方ではあのテロに関わった可能性で当然の処置とも考えられる。今のイスラエル問題同様意見がわかれる論点だ。平和な日本で良かったと感じる。

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映画「ミツバチと私」ソフィア・オテロ

2024-01-08 20:26:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ミツバチと私」を映画館で観てきました。


映画「ミツバチと私」性同一性障害に悩む8歳の男の子を取り巻く家族の戸惑いを描いたスペイン映画だ。スペインの女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレの初監督作品だ。主役を演じたソフィア・オテロベルリン映画祭で最優秀主演俳優賞(男女に区別はなくなった)を受賞している。LGBT系の映画は合うのと全くダメなのとに分かれる。写真を見ると、女の子っぽい主人公がかわいい。まだまだ幼いし、同性愛的映画のいやらしさもないだろう。ふと、小学校3年前後の自分のことが脳裏に浮かびこの映画を観てみたくなる。

スペインのバスク地方、母アネ(パトリシア・ロペス・アルナイス)と姉、兄と8歳の男の子アイトール(ソフィア・オテロ)が夫を家に残して夏のバカンスに母親の実家に帰る。アイトールは自らを男の子扱いされるのを嫌がり、女の子のような髪型で自らをココと呼んでいた。母親の親族からはもっと男の子っぽく髪を切れと言われても本人は従わない。母親はそんなアイトール(ココ)をかばっていた。

実家はミツバチを育てて蜜をとる養蜂業に代々携わり、父親ゆずりでアネも実家の工房で彫刻に専心している。アイトールは、母親がかまってあげられないので、自分の性に対する疑問により敏感になってきている。その悩みをオバに打ち明ける。


目線をグッと下げて観ると、8歳の子どもの悩みが伝わる。
女性監督が絶好のキャストを得て女性目線の強いドラマづくりをする。

ソフィア・オテロありきの映画である。古今東西の映画で、こんなに女性的にかわいい男の子っていただろうか?自分には思いつかない。女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレオーディションで主演ソフィア・オテロを選んだ。このキャスティングだけで成功は約束されたようなものだ。奇跡的な出会いと言える。もう少し年を重ねたら、この映画は撮れないのだ。ソフィアありきで物語をつくっていく。

回想シーンで幼いときのトランスジェンダーの姿を映す映画はあっても、子供自体の性同一障害がメインになる映画は記憶にない。

映画では、アイトールことソフィア・オテロ手持ちカメラで丹念に追っていく。髪の毛は肩まで掛かり女の子並みの長さだ。母親の実家に行って、親族や周囲から男の子っぽくした方がいいのではと言われ続ける。立ちションもするけど、まだお寝ショもしてしまう。プールに行ってもバスローブをしたままで水着にあえてならない。女子更衣室に入ると、同世代の女の子から男の子なのに何でいるのと言われてしまう。そういったエピソードが続く。そして、その悩みが次第に強くなってくる。


母親アネの目線も追っていく。ミツバチの養蜂業の家業を持つと同時に、彫刻にも造詣が深い家計だ。アネは彫刻に強い思いが残っていて、実家の工房に入ると諸事が目に入らない。連れてきた子どもたちのことも眼中に入らなくなる。


アイトールはやさしいおばさんと親しく時間を過ごす。「死んで生まれ変わったら女の子に生まれ変われるかなあ。」とビックリするようなことをおばさんに言うと、「既に女の子だよ」とおばさんは言ってくれる。そして、おばさんは母親アネにもっとアイトールの話を聞いてやってくれと忠告する。素直でない母親は反発する。このあたりの女性同士の関係や夫との関わりなど、女性監督ならではの視点を感じる。女性の方が感じることが多いのではないか。


実はソフィア・オテロ男の子なのか女の子なのか書いている途中でもわからなかった。ベルリン映画祭の授賞式の写真で初めてわかった次第だ。映画の中での振る舞いは極めて自然だ。演技を超越して、わざとらしさがない。すばらしい。大女優ナタリーポートマンやスカーレットヨハンソンが子役で登場したときを連想させる天才の登場だ。


自分が8歳の頃は家庭学習は全くやらず、成績も良くなかった。授業で手を挙げることはなかった。でも、出来がわるい自分を見かねて女の子たちが遊んでくれた。女の子が遊ぶタミーちゃんとかの人形を買って一緒に遊ぶ女性的な毎日だった。自分で呼べないのに誕生日になると、次々と女の子が来てくれた。母があわてて不二家にケーキを買いに行った光景を思い出した。映画のようなことはなかったが、普通に男の子っぽくなる転機が来たのはその直後だったかもしれない。
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映画「枯れ葉」 アキ・カウリスマキ

2023-12-15 21:07:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「枯れ葉」を映画館で観てきました。


映画「枯れ葉」はフィンランドのアキカウリスマキ監督の久々の新作である。復活してくれてともかくうれしい。Amazon primeに突如初期の作品がラインナップされて、未見の「マッチ工場の女」「真夜中の虹」まで見れた。いずれも独特の風味を感じる。

最初アキカウリスマキ監督作品を観た時、昭和30〜40年代の日本にタイムスリップしたようなフィンランドの背景の中、無表情で寡黙な登場人物が質素な美術のもと実に暗いと思った。ところが、観続けているうちに、二郎ラーメンのように中毒になってくる。この感覚がジワッと心に刺さる。いちばん好きなのは「ルアーブルの靴みがき」「浮き雲」だ。今回常連のカティ・オウティネンは出ていないが、評論家筋の評価は異様にいい。初日に映画館に向かう。


ヘルシンキの街で、アンサ(アルマ・ポウスティ)は理不尽な理由から仕事を失い、ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は酒に溺れながらもどうにか工事現場で働いている。ある夜、ふたりはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれ合う。だが、ホラッパはアンサが伝えた電話番号を書いた紙をなくしてしまう。アンサは連絡を待っているが来ない。そうしているうちに、アンサもホラッパも再び失職してしまうのだ。このまま連絡が取れないと思っていたところで、運がめぐって来る。しかし、それも続かない。

いかにもアキカウリスマキ監督作品らしいドツボの連続だ。
いつもながら、路面電車の走るヘルシンキの街は地味だ。建物も古ぼけている。人々を取り巻くのは昭和半ばの色彩だ。主人公をはじめとして登場人物は無表情かつ寡黙で、セリフは最小限である。そして、物語は単純だ。カップルとなる2人は単純な仕事に従事する労働者。しかも、2人とも運に恵まれずついていない。ここまでやるかと思うくらい窮地に落とす。そこに、ロックを基調としたバンドの音楽が流れる。この辺りは毎回似たようなものである。でも、そのワンパターンがいいのだ


時間も80分台にまとめる。すばらしい。
主人公アンサを中年の域に差し掛かりつつある未婚女性にしているのは「マッチ工場の少女」に似ている。ようやく運が巡るようにも見えたけど男はアル中だ。勤務時間中にも小瓶を飲むし、トラムの停留所で寝てしまい野宿することもある。

アンサの父も兄もアル中で死んだ。あんまり酒に溺れてほしくないと言うと男は反発していったんは話が潰れる。そこからがミソだ。未練たらたらの男が改心する。ここで再転換してラストに向かう。ところが、もう一度奈落の底に落とす。いかにもアキ・カウリスマキ監督作品らしい。最近年甲斐もなく、飲み過ぎで失敗した自分には心に響く。

アキカウリスマキの作品にはドツボのままで終わる作品もある。
でも、「ルアーブルの靴みがき」のように希望がもてるのは何よりだ。名曲「枯葉」が優しく包む。ぶっきらぼうだけど、ウォーミングハートのこんな感じがいい。
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映画「SISU/シス」ヨルマ・トンミラ

2023-11-09 06:34:14 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「SISU/シス」を映画館で観てきました。


映画「SISU/シス 不死身の男」はフィンランド映画、第二次世界大戦中にフィンランドに侵攻していたナチスに1人闘いを挑んだ元兵士の話である。フィンランド映画といえば、アキカウマリスキ監督の人情味あふれるシリアスドラマを連想する。その他で自分が観たフィンランド映画も似たようなおだやかな作品だった。今度は鬼のような人相の男がメインの写真に映っている。ちょっと違うなあとスルーする予定だった。

最近、映画好きの取引先の男性と昼食を共にした。その時、最近観た映画の話題になり「SISU/シス」って観ましたか?と言われた。まだという自分の反応に「痛快ですよ」と勧められて思わず観てみたくなった。映画館に行くと、予想よりも観客が多いので驚く。評判が良いのかもしれない。

1944年、フィンランド国内にナチスドイツの軍勢が攻め込んでいたが、撤退の態勢に入っている。そんな戦車を率いる師団の横を1人のフィンランドの老兵が歩いて通り過ぎる。老兵は金鉱を見つけて、金塊を持っていた。ナチスの兵士たちにちょっかいをだされて、金塊を持っていることがバレてしまう。危うくやられそうだったのに、逆にコテンパンに兵士たちを退ける


慌てたナチスが調べると、この男はアアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)だと判明する。フィンランドの特殊部隊出身で「不死身の男」の異名をもつ男だ。フィンランドを侵略したソ連との戦いでは300人のロシア兵を退治したという。ナチス当局は面倒だから相手にするなと言うが、戦車連隊の隊長ブルーノ・ヘルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)はアアタミを始末しようとする。


たしかに、おもしろい。
スキッとする痛快アクション映画である。

怖い顔をした傷だらけの男を見ると、一瞬中世から近世にかけての昔の話かと思ってしまう。実は第二次世界大戦中の時代設定で、相手はナチスの兵士だ。どんな立ち回りをするのかと思ったら、次から次にいろんな格闘のネタがでてくる。アイディア満載だ。

当然1人で大勢を相手にするわけである。しかも、銃は向けられるし、戦車はぶっ放すし、周囲には地雷だらけだ。かなうはずがないのに、こうやって倒すのかとあの手この手で飽きさせない。挙げ句の果てには、「ミッションインポッシブル」トムクルーズばりに飛んでいる飛行機につかまる。


自分の脳裏で連想したのは、「バッドアス」ダニートレホである。しがない老人がならず者を倒してヒーローになる話だ。老人をクローズアップさせるのが似ているかもしれない。ヨルマ・トンミラは還暦越えと知り思わず応援する。でも、この映画の方が相手を倒す格闘シーンの捌き方のアイディアに富んでいる。ヤルマリ・ヘランダー監督の発想はおもしろいし水中の格闘をはじめ実現してしまうのがすごい。

実はナチスはフィンランドの女性を捕虜にとっていた。その女性たちが、アアタミの大暴れに乗じてナチスの軍勢に反撃するのも見どころだ。そんな活劇ばりの映画をキッチリ90分にまとめるのも好感が持てる。知人に勧められた「シス」は誰かにおもしろい映画はと聞かれたら思わず推薦してしまう気がする娯楽映画の見本だ。
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映画「ヨーロッパ新世紀」 

2023-10-15 21:39:10 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ヨーロッパ新世紀」を映画館で観てきました。


映画「ヨーロッパ新世紀」ルーマニア映画、移民で揺れ動くルーマニアの山村での出来事を鋭く描く。監督のクリスティアン・ムンジウ「4ヶ月、3週と2日」カンヌ映画祭パルムドールを受賞しており、この映画は自分も観ている。望まない妊娠をした女の友人が掻爬する手助けをする一部始終を映し出す作品で確かに作品のレベルは高かった。同じ監督なので、それなりのレベルは期待できると思って映画館に向かう。後半戦の展開にはぶっ飛んだ。すごい!

出稼ぎ先のドイツの工場で、マティアス(マリン・グリゴーレ)は別の工員にジプシーと言われて暴力沙汰を起こす。ヒッチハイクを続けて何とか故郷のルーマニアのトランシルバニアに帰郷する。妻のアナ(マクリーナ・バルラデアヌ)と息子がいる家に戻るが、まったく歓迎はされない。息子のルディは森で何かを見てから言葉が発せない。マティアスの年老いた父親はかなり衰弱していた。


マティアスは以前から関係のあったシーラ(ユディット・スターテ)の元に行く。シーラはパン工場の経営に携わっている。人手不足で求人しても集まらない。EUの補助金絡みでスリランカから2人雇い、1人追加する。ところが、村の人たちは歓迎せず、SNSに投稿した後で教会の集まりでも神父が工場にアジア系従業員を辞めさせるように言えと吊し上げるのだ。


田舎の村で出稼ぎアジア人に対する酷い仕打ちがあらわになる。
後半戦、エスカレートする住民集会を映し出す。集会に集まった住民にむかって固定カメラが一挙一動をとらえる。これまで観たことのない迫力のある場面は圧巻だ。映画ファンは必見と言えよう。

先入観なく観て、約1時間で登場人物の人間関係がつかめてくる。
そもそも主人公マティアスもドイツの出稼ぎ先で差別用語を浴びせられている。暴力沙汰を起こしてそのまま逃げるようにルーマニアの山間部に帰るのだ。この主人公もいい加減だ。子育てを妻に任せているのに、感謝の気持ちは少しもなく、逆に育て方が悪いといちゃもんつける。息子は言葉が発せなくなっている。

そして、もともと関係のあった工場経営者の女性シーラのところにもぐり込む。一度深い仲になった男女が離れても再度くっつくとヨリが戻るのは良くあることだ。ただ、マティアスの発言は聞いていて腹立たしくなる。


シーラが携わるパン工場は産業のないこの村では数少ない働き場所なんだろうけど、人が集まらない。求人広告をどうしようかなんて相談もしているけど、結局アジア人を引っ張ってくるしかない。スリランカ人を雇う。みんな真面目そうだ。でも、村の住人は気にいらない。村の周辺にあった炭鉱がなくなり職を失った人が多いというのに。ここまで何で避けるのか?という気もする。感染症ももってくるとかうるさい。むちゃくちゃ閉鎖的だ。

まずは、教会の集会に加わろうとしたスリランカ人を入れないように追い出した後に神父に詰め寄る。ここで住民たちの反対の発言がエスカレートした後で、スリランカ人たちが宿舎にしている家が襲われる。

そして、集会が始まるのだ。ここから延々と緊迫感がある場面が続く。自分は時間を計っていなかったが、作品情報によると17分の超長回しだ。このシーンには驚いた。集会で数多くの住民たちがスリランカ人を追い出そうと発言すると同時に、工場経営者や移民側につく人たちも反論の発言する。特定の人だけにセリフがあるわけでない。外野もうるさく、集会がぐちゃぐちゃになる。大げさではなく、こんなリアルな集会のシーンはこれまで観たことがない。これって何度もテイクを取ったのであろうか?やりとりが半端じゃない。最大の見どころのシーンを観るだけで、この映画を観る価値がある。


新生児の数が100万人を大幅に下回り、人口減少が予測されている日本では労働力の確保に移民に頼らざるを得ないのは間違いない。最近は食べ物の単価を上げないサイゼリヤにはアジア系といっても中東系の人種も目立つようになってきた。川口には1000人単位で中国人が入居している芝園団地もある。でも、この映画に出てくるような田舎の町に、移り住むこともあるだろう。この映画は対岸の火事のような捉え方はできない


印象に残ったことは多々あるが、シーラが聴いている音楽がトニーレオンとマギーチャン主演映画「花様年華」で繰り返して使われた弦楽の曲だ。シーラはチェロでこの曲を弾こうとする。


自分たちのそれぞれの伴侶同士で浮気していることに気づき、2人が出会うようになる。「花様年華」ではそんな場面に使われていた。当然、クリスティアン・ムンジウ監督は「花様年華」の不倫ムードを意識しているだろう。ただ、この映画は不倫を極めて描く作品ではない。家庭の混乱、周囲での人種差別と排除とかあるのに、ノホホンとしている主人公を責める。

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映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」

2023-07-25 06:45:53 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」を映画館で観てきました。


映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」はドイツナチスのゲシュタポに幽閉されたオーストリア人の法律家を描いている小説家ステファンツヴァイク「チェスの本」の映画化である。チェスが絡んだ映画で面白い作品が多い。フランス映画に比較すると,ドイツ映画を見ることの方が少ない。大学の第二外国語がフランス語だったせいもあるかもしれない。最近ナチスを題材にした映画は多い。ほとんど回避しているがチェスが絡むとなると見てみたくなる。

第二次世界大戦の前、オーストリアにナチスドイツが大きく政治に関わるようになった頃,ウィーンで法律事務所を営むユダヤ系のヨーゼフにもナチスの蝕手が伸びてきた。ヨーゼフ(オリバー・マスッチ)は高級ホテルの一室に監禁されて、管理している貴族の銀行口座の暗証番号を教えるまで閉じ込めるとゲシュタポ(秘密警察)のベーム(アルブレヒト・シュッヘ)により尋問される。長期にわたったためヨーゼフの精神は錯乱した。一方で、ヨーゼフは見つけた一冊のチェスの本を読み暗記するのに膨大な時間を費やし、お手製の駒を動かしてシミュレーションしていた。

監禁が解けたあとで、妻とともにアメリカ行きの船に乗る。船内のチェス大会で1人のチェスチャンピオンが大勢の乗船客を相手にしているときに、客船のオーナー(ロルフ・ラスゴード)の打ち手に横から口出しをして引き分けに持ち込んでしまい信頼を得る。ヨーゼフはチャンピオンと試合することになる。

映画の質はそれなりだけどイメージが若干違う展開であった。
別にナチスの代表者とチェスしているわけではない。ナチスに仕掛けたというのはちょっと大げさだ。チェスのチャンピオンと試合している時にたしかに映像にゲシュタポの男が幻のように現れるが現実ではない


主人公のヨーゼフはナチスによる長年の監禁で幻惑に悩まされて精神が錯乱されて統合失調症になってしまう。映画の基調は絶えず、幻惑として現れるナチスのゲシュタポ(秘密警察)の面々を映していく。妻とアメリカ行きの船に乗ったつもりだったけど、実際には1人だったのだ。妻の姿もまぼろしだった。

もともとヨーゼフはウィーンでハイソな世界にいた法律事務所を営む弁護士だ。お抱えのクルマに乗りながら、豪邸に住む。ウィンナーワルツが華麗に流れる舞踏会でも妻と踊る。(解説では公証人となっているが、違和感を感じる。映画のセリフでは法律事務所を主宰する弁護士だ。)


自分が感じるのに、ロンハワード監督ラッセルクロウ主演の「ビューティフルマインド」に流れるムードと一緒だ。ゲームの理論のナッシュ均衡でノーベル賞を受賞したジョンナッシュ暗号解読にかかりっきりになり幻惑を見るようになる。監禁で心の安定を失うヨーゼフとの類似点を見出す。統合失調症にとらわれる男の心の暗雲を映す映像としては、色彩設計や画面構造も含めてこの映画も悪くはない。


ただ、チェスゲームが基調のNetflix「クイーンズギャンビット」や映画「ボビーフィッシャーを探して」のようにチェスゲームの駆け引きや勝ち負けでの興奮を期待すると肩透かしにあうかもしれない。それに、いくらチェスの本を繰り返し読んでも、チェスのチャンピオンと対等に戦うなんて話はありえない気がする。将棋の定石本や棋譜を監禁されて集中してディテイルまで読み込んでも藤井聡太と対決レベルになるはずはない。
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映画「EO」

2023-05-12 19:02:24 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「EO」を映画館で観てきました。


映画「EO」はサーカスにいたロバが方々でさまざまな出来ごとに出くわす一種のロードムービー的な映画だ。ロバというと、自分の世代では日本TV「おはようこどもショー」のロバを思い浮かべる。あの時は愛川欽也のかぶり物だったけど、妙に大きく見えた気がする。ここではそんなに大きくないロバで控えめな性格だ。

もともとサーカスの見せ物用で若い女と戯れていたEOというロバが、動物愛護の観点から保護される。ところが、移った農場から勝手に飛び出してしまう。保護されるごとにハプニングがあり、気がつくと国をまたがっている。どうなるEO?


もちろん、ロバが何か話すわけではない。しかも、周囲のセリフは最小限だ。鳴り響くバックミュージックは、ロバの感情と苦難の環境を示すように高く鳴り響く。牧場を去り野生の動物が渦巻く森の中をさまよう。ところが一転、町のサッカーチームに出くわして守護神のようになる。欧州人のスポーツへの熱狂をコミカルに示すシーンだ。でもすんなり行かない。ライバルチームの恨みをかいEOが傷つけられるのだ。


そんな紆余屈折が続く。ロバの周囲を取り巻く人たちに翻弄されながら、賢いロバが最高の演技をして期待に応える。ロバを人間のように被写体として導くのはお見事である。でも、この映画好きかと言われれば、正直うーんといった感じだ。
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