映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ドッグ・マン」

2019-08-26 21:23:33 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ドッグ・マン」を映画館で観てきました。


イタリア映画「ドッグ・マン」カンヌ映画祭主演男優賞を受賞した作品である。白黒の犬をてなづける宣伝ポスターが印象的だが、内容は見れば見るほどきつい題材だ。一言でいうと「いじめられっ子の逆襲」というべきか。単純そうで根深いものがある。プロフィルを見ると、主人公を演じるむしろセミプロというべきキャリアのマルチェロ・フォンテは確かに好演、本当に犬好きだね。ドラえもんの「ジャイアン」のようないじめっ子も役に徹してイヤな奴を演じている。

それにしてもナポリ郊外というこの町は寂れている。いじめっ子もいじめられっ子も頭が弱い。
頭が弱いどうし何でこんな関係続けているんだと思ってしまう。イタリア版下層社会の話ということなのであろうか。


イタリアのさびれた海辺の町で、マルチェロ(マルチェロ・フォンテ)は「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを営んでいる。妻とは別れて独り身だが、最愛の娘とも頻繁に会い地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しんでいた。


だが、一つだけ気掛かりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)に暴力でおどされ、犯罪の片棒を担がされていた。小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ちかけられた話を断りきれずにいたマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。マルチェロは考えた末に、驚くべき計画を立てる。

1.いじめられっ子 マルチェロ
廃墟のような建物の一角で、犬のトリミングサロンを経営している。性格は温厚で、犬を通じて地域社会に溶け込んでいる。妻とは別れたが、娘とは仲がいい。旅行の計画を2人で立てている。腐れ縁の友人シモーネが、泥棒に入るときに運転手役をむりやりさせられている。

シモーネが泥棒に入った家には、まさに警備員のようにプードル犬がいた。シモーネはうるさいのでむりやり犬を冷蔵庫に押し込んでその場を去っている。その話を聞いて犬がかわいそうだと思ったマルチェロはもう一度その家に忍び込んで、冷蔵庫から犬を取り出して水につけて解凍する。ともかく商売を超えて犬が好きなやさしい男だ。



2.いじめっ子 シモーネ

小柄なマルチェロとは対照的に大柄で、腕っぷしも強い。まさにドラえもんのジャイアンのイタリア版だ。ゲームセンターのスロットで遊んでいて、300ユーロやられる。頭にきて叩いてマシンを壊す。弁償させようと店主は怒るが、逆上され怖くなった店主は逆に300ユーロをシモーネに支払う。泥棒に入って金品を盗むことはしょっちゅうである。町の人から厄介者だと思われている。あるときマルチェロを脅迫して犯罪を起こす。警察もシモーネの仕業と思い込んでそれをマルチェロに認めろというが、マルチェロが承認のサインをしない。結局マルチェロに犯罪の責任を押し付ける。



3.反発

マルチェロが警察に行っても仲間をかばうこと自体は、マルチェロ本人が刑務所でのお勤めをすることを意味する。長いお勤めを終えて地元へ帰ってきてもシモーネは感謝すらしない。マルチェロは改めて分け前をくれというが、そんなものはないとシモーネに言われる。さすがに腹が立ち、シモーネのバイクをぶち壊そうとするが、その倍付で半殺しに痛めつけられるのだ。それでもマルチェロは自分が悪かったと言って、いいヤクを手に入れる方法があると相談を持ち掛けていくのであるが。。。(あとはこの映画のヤマ場)

4.いじめの構造
いじめを映画を見ると、誰しもが自分にあった記憶を思い出すであろう。自分もそうだ。一度あったいじめから抜け出すのはむずかしい。時間がかかる。相手か自分のどちらかがその場を離れることが必要である。この二人は腐れ縁で、子供のころから同じような関係だったに違いない。ずっと同じエリアにいるとなると、その上下関係は下手すると一生変わらないかもしれない。どこにも身体だけ大きくて腕っぷしの強いジャイアンのような奴っているもんだ。これだけは万国共通だ。

ただ、いじめをやった方は気楽に考えているし、すぐ自分のやったことを忘れるけど、やられた方の恨みは一生残る。それが爆発するとどうなるのか?というのがこの映画のポイント。

この映画の最終に向けての動きを見て、スカッとした人もいるかもしれない。
そんなことを考えていた。

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映画「ロケットマン」エルトンジョン&タロン・エガートン

2019-08-25 19:23:25 | 映画(自分好みベスト100)

映画「ロケットマン」を映画館で観てきました。


待ちに待ったエルトン・ジョンの伝記映画である。すぐさま観に行くしかない。
1970年代前半全米ヒットチャートマニアだった自分が、その当時いちばんひいきにしていたのがエルトン・ジョンである。5枚目のアルバム「ホンキー・シャトウ」は比較的ロック雑誌でも評判よくレコードを何度も聞いていた。その中でもいちばん好きだったのは「ロケットマン」だ。こんなにきれいなメロディってつくれるのかと感動した。ヒットチャート的にはそんなには上位にはいかなかった。でもこの当時一番好きな曲だった。

その曲を題名にしたことだけでも興奮している。映画はもちろんよかった。最初の場面で「ロケットマン」が出てきたときからうきうきである。エルトンジョンが上昇気流に乗っているときの曲が次から次にミュージカルタッチで流れて、実にごきげんな至福の時間を過ごせた。


映画はアル中患者の寄り合いみたいなところに、エルトンジョン(タロン・エガートン)独特のド派手な衣装を着てうつろな目をしてヨレヨレで現れるところからスタートする。そこでアル中、ドラッグ、セックス好きを告白する。そして妄想のように少年時代のエルトンジョン(本名レジー・ドワイト)が映し出されて子供頃の映像が映し出される。

父母と祖母との4人の家庭だったが、ジャズ好きで性格の悪い父と自由奔放な母は仲が悪く父は家を留守することが多い。家庭はうまくいっていない。そんな中、ピアノに関心を持ったレジーはレッスンを積み、王立の音楽アカデミーに通うようになる。ただ、母の浮気で父母は離婚、母は恋人と再婚する。黒人R&Bのバックバンドでレジーはキーボードを弾くようになる。その時に黒人アーチストからデビューするなら本名でなく芸名でプレイした方がいいよとアドバイスを受ける。

作曲と歌しかできないエルトンに詩人のバニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会う機会ができる。これはまさにすばらしい運命だ。やがてレコードプロデューサーへ売り込む。そこでのちのヒット曲になるような曲をピアノで弾く。決していい評価ではないが、なんとかアルバム3枚を一年以内で発売してもいいよと言われる。芸名エルトン・ジョンとしてのスタートである。コンサートでは、ド派手な衣装とジェリー・リー・ルイスばりのホンキートンクピアノのパフォーマンスで大人気である。

それからは上昇の一途である。ヒットチャートにも登場。ただ、その後マネジャーとして付き合うジョン・リードと男色の付き合いに引き込まれる。人気がでるにつれ、付き合いも派手になりアル中やドラッグ中毒になる場面など、おきまりの転落が続く。


1.エルトンジョンとの出会い
1971年ころは10代の若妻を描いた映画がはやっていた。日本でも関根恵子演じる「おさな妻」が大映最後のヒットとなる。日本でビージーズの主題歌「メロディフェア」が大ヒットした映画「小さな恋のメロディ」は中高校生にすさまじい人気だった。

そのころ同じようなテイストで「フレンズ」という映画があった。14歳と15歳の少年少女の恋愛と妊娠出産を描く。この映画で音楽を担当したのがエルトン・ジョンである。そこで初めて知る。そのころの愛読雑誌「ミュージック・ライフ」でエルトン・ジョンが初来日した記事を読んだ記憶がある。「僕の歌は君の歌」(YOUR SONG)を聞くとなんていい曲だと思った。これは今でもそらで歌える。二枚目のアルバムを購入すると同時に常にチェックしていた全米ヒットチャートでエルトンジョンをマークするようになる。


2.クロコダイル・ロック

つい先ごろ見た映画「アルキメデスの大戦」に出ていた小林克也のDJで全米ヒットチャートを紹介するFM番組があった。一緒に聞いているエルトンジョンが好きな同級生がいた。毎週聞きながらいつエルトンジョンがトップになるのか友人と待ちに待っていた。「クロコダイルロック」がヒットチャートの上位を急上昇するのに大興奮して、ついにトップをとった時中学の教室で友人と抱き合った思い出がある。「ダニエル」、「ティーチャーアイニードユー」などいい曲が続き「ピアニストを撃つな」 (Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player) というLPの出来が抜群だと思う。もともとジェリーリールイスをまねて「Whole Lotta Shakin' Goin' On」をロックンロールタッチのピアノを弾きながら歌う彼の真骨頂が出てきたのだと思う。
ピアニストを撃つな+4


3.Saturday Night's Alright for Fighting
実はGoodbye Yellow Brick Roadのアルバムを聴きながら、このブログを書いている。レコードでは二枚組だった。品川の家にはまだそのレコードが置いてあるが、今はCDで。
黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード)


最初特殊音からはじまり、長めのドラマティックな曲からスタートする。当時アルバムにこういうロングバージョンの曲を入れるのがはやっていた。次は「Candle in the Wind」ノーマ・ジーンことマリリン・モンローを偲んだ曲だった。ダイアナ妃が亡くなった時、この曲をダイアナ妃に捧げるとして歌って世紀の大ヒットとなったのは記憶に新しい。その次の「ベニー&ジェッツ」もずっと聞いていると味があり好きだったが、ヒットチャート一位になるとは思わなかった。でも一番いいのはGoodbye Yellow Brick Roadだね。この映画でも印象的に使われている。前作に比較するとロックンロールからレゲや正統派バラードなどいろんなジャンルが楽しめる。最高傑作であることは間違いない。


序盤戦で若き日のレジー少年がGoodbye Yellow Brick Roadからの最初のシングルカットの曲Saturday Night's Alright for Fightingを歌いだし、ミュージカルモードで歌うのは実にごきげん。もちろん「クロコダイルロック」の場面も「ホンキ―キャット」も抜群、自分には忘れられない映画となった。
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映画「天気の子」新海誠

2019-08-15 21:44:06 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「天気の子」を映画館で観てきました。

「君の名は」新海誠の新作はなんか気になる。会社が休暇中の娘と観に行こうと、準備をしていたら外はすごい雨、まさに豪雨に近い。娘の運転じゃいけないかと思ったら、一転雨が止む。なにこれ?でもこれってこの映画でまさに再現するような話だ。


東京が映し出される。毎日のように降り続く雨にみんな嫌気がさしている。7月の下旬までの気候と同じじゃないか。降ったりやんだりで何本傘をなくしたことか。そんな雨の東京に作者は二人の少年少女を放つ。母親の看病をしている少女が外を照らす光に気がつき、老朽化しているビルに向かう。屋上に向かうとそこには鳥居がある。同様に神津島から東京に向かう少年がいる。まだ高校一年だ。未知の東京で一人彷徨う。いかがわしい雑誌の責任者などの脇役の使い方もうまく、飽きずに最後まで見れる。

「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、
怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。(作品情報より)


まわりを見ると少年少女が多い。そういう小学生や中高生が見る映画にしては、結構きわどい。ホテルに連れ込もうとする場面など歌舞伎町のディープゾーンが次から次へと出てきて、若い女の子わかるかな?といった印象をもつ。

代々木や田端駅の光景が頭に焼き付く。
映画が始まってすぐ古いビルを見て、これって「傷だらけの天使」萩原健一と水谷豊が屋上に住んでいたビルじゃないと気づく。このテレビが放映されていた当時この主人公たちと自分は同じ年頃だった。うわさでこれが代々木にあるってわかり何度か観に行ったけど、見上げるだけで中に入ったことはない。最終回水谷豊が死んでしまうときの萩原健一のパフォーマンスが目に浮かんだ。


田端駅南口というのも、映画のロケでたまに見るエリアである。なぜか何度も行ったことがある。メインの入り口でない南口を降りると、坂があり、そこを上がると階段がある。上がっていくといくつか住宅が建っている。道は狭い。そこのアパートにに陽菜が住んでいる。アニメだけど、いいロケハンをしたなという感じだ。いかにも昭和のアパートは二人の想い出をつくっていく。晴れ女を売りにして、イベントごとでどうしても雨にしたくないときに現れて、雨天を晴れに転換させみんなに感謝され金を稼ぐ。こんな商売いいよね。


映画を見終わって、娘の通うスポーツジムにむかう。20分強でつくのであるが、運転は自分がすることにした。そうしたら、また強烈な豪雨が来た。大丈夫と別のエリアの人に言われるくらいの雨だった。娘は自分だったら運転お手上げだったかもと言いながら、映画を楽しんだ彼女はジムに行った。
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映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」

2019-08-12 08:14:59 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」は2018年日本公開のエリッククラプトンの人生を描いたドキュメンタリー


エリック・クラプトンをはじめて知ってから50年になる。早いものだ。車を運転するときはエリック・クラプトンの曲を流している。タイミングが合わず、映画館にはいけなかったが、今回貴重な映像の連続でうきうきしてしまう。エリック・クラプトンが好きだという最近の若い人にクリーム時代の歴史的名演「クロスロード」を聞かせたことが何度かある。クイズをだす。このギターは誰でしょう?唐突な質問なのかもしれないが、わからない。エリック・クラプトンの名前をだすとみんな驚く。こんな攻撃的で激しかったのかと。

エリック・クラプトンのギターもすごいが、リズムセクション2人のテクニックもすごい。自己顕示欲が強いんじゃないかと思われる若き3人の技巧を競い合う演奏はロック史上最高のプレイだ。


1.ブルースへの傾倒
英国に生まれたエリッククラプトンは子どものころ内気な少年だった。そのころの映像を見るとアルバム「リプタイル」のジャケットを思い出す。エリックは周囲で誰も注目しない黒人のブルースに傾倒していく。やがてヤードバーズに参加して、そのギターで一目置かれるようになる。しかし、ポップス系の音楽づくりに嫌気がさし脱退、ジョン・メイオールのバンドへ移る。そこでは黒人ブルースを基調にした曲がつくられていた。

ある時、エリックはエレクトリックギターとマーシャル製アンプの組み合わせの妙に気づく。ご機嫌なサウンドがでるのだ。ますますエリックは開眼、ハーモニカのリトル・ウォルターの影響もうけながらそのギターのフレーズに磨きをかけていく。このころのエリッククラプトンは上昇あるのみといった感じである。



2.クリーム

1966年ドラムスのジンジャーベイカー、ベースのジャックブルースとともにクリームを結成する。ジョン・メイオールのバンドから突然脱退する。ジャズの素養がある高いレベルのテクニックをもつ2人とのコンビで一世を風靡する。室内の録音ではサイケデリックなギターの音色が際立つ。ライブではお互いの腕前を競い合う異次元のサウンドでファンを沸かせる。コンサートでは延々40分にわたっての演奏することもある。フィルモア・イーストでの伝説のライブはアルバムにもなり、世界中のロックファンを熱狂させた。しかし解散、クリーム結成前から元々不仲だったジンジャーベイカーとジャックブルースの二人の喧嘩が絶えないのも原因の一つである。


3.ジョージハリソンとの友情と女性問題
エリッククラプトンはそのギターの腕前を買われて、様々なミュージシャンのバックで演奏するようになる。1967年12月アレサフランクリンのアルバム「レディソウル」「Good to Me As I Am to You」ではアレサのボーカルに絡むようなブルース調のリードギターを披露。


親友だったジョージハリソンに誘われビートルズの録音にも参加、「ホワイトアルバム」の中の「While My Guitar Gently Weeps」ではリードギターを披露する。ポールマッカートニーのピアノにリンゴスターのハイハットが絡むイントロに、泣きの入ったエリック・クラプトンのギターがからみつく。映画ではビートルズのセッションの映像がでてくる。
1971年8月、ジョージハリソン主催のバングラデッシュ救済チャリティコンサートでは「While My Guitar Gently Weeps」エリッククラプトンのリードギターが聞ける。これは版権の問題でしばらくは輸入盤しかなく、あわてて高い輸入盤をねだって買った自分はレコード針がすり切れるくらい聞いたものだ。
ジョージ追悼コンサートにて↓


このころエリック・クラプトンにはシャーロット・マーティンという恋人がいた。ジョージハリソンの妻であるパティと4人で会う関係であったが、次第にパティに魅かれていく。

4.デュアン・オールマンとの出会い

クリームが解散して、スティーブ・ウインウッドとブラインドフェイスというバンドを結成するが、アルバムを一作だけ出して解散する。そのころ、オールマン・ブラザース・バンドのリードギターであるデュアン・オールマンのコンサートを見て衝撃を受け、一緒にセッションをするようになる。1970年8月人妻パティへの思いを募った「レイラ」で気があったデュアンオールマンとツインギターの共演をする。


当時所属したデレクアンドドミノスには結局デュアン・オールマンは参加しなかった。その後1971年10月デュアン・オールマンはオートバイ事故で死亡、前年に亡くなっていたジミ・ヘンドリックスと合わせギターの盟友をなくし、エリック・クラプトンは落胆する。そしてドラッグに溺れる日々を過ごすようになるのだ。

このあたりまでが自分にとっては親しみやすいところ。
酒とドラッグで転落そして復活というのはおきまりの構図だが、転落前の上昇基調のころをみているときが楽しい。1970年代初頭中学生になったころ、はじめてロック雑誌「ミュージックライフ」を買った。ニューロックがブームになりつつあるときで、次から次へとロックミュージシャンが来日していた。星加ルミ子編集長率いる雑誌上ではエリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスどっちが上かなんて議論がされていた。懐かしい。

1974年から北欧のツアーにでるエリッククラプトンが映る。「アイ・シャット・ザ・シェリフ」がエリックにとって初の全米ヒットチャートナンバー1になるのも1974年9月だ。マイアミを思わせるジャケットとサウンドにイメチェンした感じを当時持ったが、まだまだアル中から抜けきれなかったんだなあ。いろいろあったけど、ご子息の高層ビルからの転落死は不運としか言いようにない。現在のいいパパぶりは悪い路を通り抜けた感がある。


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映画「凪待ち」香取慎吾&白石和彌

2019-08-11 06:44:11 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「凪待ち」を映画館で観てきました。


白石和彌監督の新作は香取慎吾の主演でギャンブル依存症の男を描いている。これも転落の物語である。SMAP解散後、ジャニーズ事務所から飛び出した3人が続いて映画に出演している。ぼそぼそという口ぶりの香取慎吾はしゃべりがうまいというタイプではない。体格がよく全身で演技するという面では白石和彌監督の演出もよく、思いっきりこの役に浸っている。

これでもかこれでもかと主人公は転落ベクトルの波状攻撃で谷底に何度も落ちるような思いを味わう。バッドエンドで終了してしまうような映画の予感が途中してきた。でも、予想外の展開に驚くと同時に、絶望の状態に軽い光を差し込むやさしさがみえて後味はわるくない。


仲間と競輪三昧でぶらぶらしていた木野本郁男(香取慎吾)は川崎の工場を辞めて、同居人である恋人・亜弓(西田尚美)の故郷・石巻に戻る決心をした。そこには、末期がんであるにも関わらず、石巻で漁師を続ける亜弓の父・勝美(吉澤健)がいた。亜弓の娘・美波(恒松祐里)は、引っ越しを余儀なくされ不服を抱いている。美波を助手席に乗せ、高速道路を走る郁男に美波の声が響く。
「結婚しようって言えばいいじゃん」半ばあきらめたように応える郁男。
「言えないよ。仕事もしないで毎日ぶらぶらしてるだけのろくでなしだし…」

実家では、近隣に住む小野寺(リリー・フランキー)が勝美の世話を焼いていた。人なつっこい小野寺は、郁男を飲み屋へ連れていく。そこで、ひどく酒に酔った村上(音尾琢真)という中学教師と出会う。村上は、亜弓の元夫で、美波の父だった。新しい暮らしが始まり、亜弓は美容院を開業し、郁男は印刷会社で働きだす。


そんな折、郁男は、会社の同僚が競輪の予想記事をみてだべっているところに口出しをする。こいつも仲間だとわかり、同僚から競輪に誘われる。公営競輪場はないが、町の一角にノミ屋があるのだ。郁男のアドバイス通りにすると大当たり、これが間違いの始まりだった。

ある日、美波は部屋からタバコが見つかったことで亜弓と衝突し家を飛び出す。その夜、戻らない美波を心配しパニックになる亜弓。落ち着かせようとする郁男を亜弓は激しく非難するのだった。
「自分の子供じゃないから、そんな暢気なことが言えるのよ!」
激しく捲くし立てる亜弓を車から降ろし、ひとりで探すよう突き放す郁男。だが、その夜遅く、亜弓は遺体となって戻ってきた。郁男と別れたあと、防波堤の工事現場で何者かに殺害されたのだった。突然の死に、郁男と美波は愕然とする。


「籍が入ってねえがら、一緒に暮らすごどはできねえ」
年老いた勝美と美波の将来を心配する小野寺は美波に言い聞かせるのだった。一方、自戒の念が強い郁男も寂しさがつのり、やがて競輪のノミ行為にはまっていく。その後郁男は、社員をトラブルに巻き込んだという濡れ衣をかけられ解雇となるのであるが。。。
(作品情報 引用)

作品情報には石巻と書いてあるが、映画では宮城県に行くとしか言っていない。それでも、津波にのまれた話や日本製紙の大きな工場の映像で石巻であることがわかる。水量の多い旧北上川の河口が印象的だ。三回行けば一生金に困らないという金華山には5回も行った。その時に石巻にも泊まった。このおかげでギャンブルにもハマらず助かっている。

1.競輪とギャンブル依存症
一時期競輪が好きになった時期があった。好みはあるだろうが、非常に高度な推理ができてたのしい。強い風圧の関係で競輪は誰かの後ろ(番手)について走った方が有利である。そのため最も強い「逃げ選手」の番手についた選手が本命になるケースが多い。そこを別線の逃げ選手はそうは簡単に逃げさせまいと駆け引きをする。先行は一車なのか?先行型のどちらが優位になるのか?その番手はだれがとるのか?先行型はまくりにまわるのか?という競輪の基本推理はあるけれど、力が均衡していると直線になれば誰が上位に入選するのかわからないのだ。

いろいろ考えてもなかなか当たらない。やられるのはわかっても好きなものは好きということで平日の昼間からたくさんの人が競輪をやっている。そしてやられる。だから競輪場から駅までの間はオケラ街道と言われる。


2.郁男の転落
もともと郁男(香取慎吾)は川崎競輪に入り浸りの生活だった。同居人の女性が実家に帰るのでついていく。まさに髪結いの亭主だ。もともとの仲間から宮城は競輪場がないねと言われ足を洗うつもりだった。ところが、同僚がスポーツ新聞の競輪記事をみて予想している。郁男も気になる。同僚の予想に対して「この強い先行選手に番手はついていけないはずだから、薄めの選手との車券をおさえておいた方がいい」という。競輪好きならわかるセリフだ。

もっともらしいアドバイスなので、こいつは競輪を知っているなと仲間に思わせる。それが間違いのもとだった。思えば、こういうことってあるかもしれない。しばらくの間麻雀やその他ギャンブルに手を出していなかったのに、異動先でこんな会話がきっかけでまたやるようになる。そしてはまる。人生ってこんな感じじゃないだろうか?


3.ノミ屋の店長のふるまい
ノミ屋といっても若い人はわからないだろう。私設競輪売り場である。当然違法、反体制勢力の資金源である。公に行われているレースと同じように買えるのだ。今は場外車券場やネットで購入するシステムができたが、昔はそういうのはなかった。客にタネ銭がなければ、町金金利で用立てる。

ノミ行為に郁男は引っかかった。やられっぱなしで借金が積む。それでも挑戦して当てるのだ。やったとばかり配当を回収しようとする。大金かけているから払い戻しが多い。大慌てのノミ屋の店主は店の外へ逃げる。香取が大きな体で追う。捕まえたとき、店主は勝った控えをなんと口に飲み込んでしまう。飲み込んでしまうからノミ屋なんだと。これをギャンブル好きの親父が見たら笑えるけど、SMAPの香取君が好きで見に来た人はわかるのかな。笑いは起きず。若いころノミ屋で馬券買わないかと友人に何回か言われたことがある。これだけは経験がないのは幸いしている。


競輪の話もちきりのこの映画だけど、白石和彌監督がギャンブルはしないという。アウトローの映画ばかり撮っているのにちょっと意外。脚本家はギャンブル好きじゃないと書けないんじゃないかしら?でもこの映画血を超えた交情が本当のテーマなんだろう。それはみているとよくわかる。

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フランス映画「ヨシワラ」早川雪洲&田中路子

2019-08-10 06:48:11 | 映画(フランス映画 )


フランス映画「ヨシワラ」を映画館で観てきました。

こんな映画があるなんて知りませんでした。。
1937年フランス公開の映画で、恵比寿GCで古いフランス映画特集の一本として上映。「ヨシワラ」とはもちろん今もソープ街として残る吉原遊郭のことである。早川雪洲と田中路子以外は、出演者はほぼフランス人だけだ。実家の没落でやむなく吉原に身売りせざるを得なかった女とロシア将校との哀しい愛の物語である。


1933年にドイツではヒトラーが政権を握り、1936年にはベルリンで国家の威信をかけたオリンピックが開催され絶頂期だ。翌1937年にはパリで万博が開催されている。ただ、労働者のストライキもあり、必ずしもうまくいっていないようだ。1933年に日本は国際連盟を脱退、1936年に日独防共協定が締結されている。フランスと日本の関係はいいようには思えない。日独合作で早川雪洲も出演する「新しき土」が1937年に公開されている。どういう背景で日本を舞台とするこの映画が製作されたのであろうか。

まず吉原についてフランス語で解説する画面が映る。貧しい家庭の出身者や家が没落して遊郭に売られた者たちがいるところだとする。
明治維新まもないころ、大名だった父親が高利貸しに引っ掛かり破産して切腹する。娘のコハナ(田中路子)は吉原に身売りせざるを得ない。コハナに思いを寄せる車夫のイサム(早川雪洲)は人力車で彼女を吉原まで運び、吉原大門をくぐり娼館に送り出す。コハナはもちろん慣れない。そのころ帝政ロシアの軍艦が寄港する。兵士たちは、吉原で一夜を過ごそうと大はしゃぎである。ロシア将校ポレノフ(ピエール・リチャード=ウィルム)は兵士たちの監督を命じられて同行する。そこでコハナとの運命の出会いをする。

このあと2人の恋愛に元使用人の早川雪洲がからむストーリーが続くのであるが、機密書類の保管をめぐってコハナに嫌疑がもたれるということはわかっても、ちぐはぐで詳細はよくわからない。エロチックできわどいシーンはない。

吉原の大門を開けると、別世界が広がる。日本家屋風の建物が連なっている。格子のある障子とかよく作れたなあ。漢字文字のそれらしい感じの看板もあり、とりあえず日本風のセットにはなっている。娼館のやり手ババアも娼婦もフランス人である。ちょんまげをしているフランス人使用人がいる。日本語のフレーズはしゃべる言葉に出てこない。音楽も欧州風で、オリエンタルなムードは一切ない。奇妙な感じである。


早川雪洲と田中路子いずれもフランス語を話す。早川雪洲はハリウッド俳優だと思ったが、器用に欧州の言葉もこなす。田中路子は細い眉毛が妖気じみている。ここではみんなはゲイシャと呼んでいる。将校にもたれかかる姿は色っぽいが、キスシーンはない。ギターの音色がする三味線を弾きながら、オペラ歌手らしい美声を聞かせる。外人の来訪にあわせて、娼館ではフランス人やり手ババアの指導で一斉にあいさつの練習をしている。アメリカ人には「ハウ・ドゥ・ドゥ」フランス人には「ボン・ソワール」とあいさつの練習をするのがご愛嬌で笑える。

ヨシワラ


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映画「バーニング」ユ・アイン&イ・チャンドン

2019-08-09 08:03:18 | 映画(韓国映画)


映画「バーニング」は2018年の韓国映画


映画「バーニング」村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作としている。イ・チャンドン監督「シークレットサンシャイン」、「ペパーミントキャンディ」の名作を残してきた。玄人筋の評価は高い。原作は読了しているが、記憶にない。映画を見た後で再読した。もともと同郷の幼馴染だった男女が再会して仲良くなったあとで、得体のしれない金持ちの男性が出現する。ある時男性が主人公に秘密の趣味の告白をする。その告白のあと動揺する主人公の姿を描く。

村上春樹の短編は謎めいたものが多い。舞台を韓国に移したこの作品は原作の重要ワードをそのまま残すが、話を広げ独自の解釈をする。不思議な味わいをもつ映画である。

運送業のアルバイトをしながら小説家を目指すイ・ジョンス(ユ・アイン)は、デパートの店頭で幼馴染のシン・ヘミ(チョン・ジョンソ)に声をかけられる。2人で酒を酌み交わした後に急接近して肉体関係を持つ。そのあとヘミはアフリカ旅行に行く。旅行中、飼い猫の世話を頼まれたジョンスは、ヘミのマンションを時折訪れるが、猫は一度も姿を見せなかった。

半月後に帰国したヘミは、ナイロビ空港で出会ったという青年ベン(スティーブン・ユァン)を連れていた。ヘミに誘われてベンの自宅に行くと、仕事をせずに高級マンションに暮らし、高級車を乗り回しているようだ。ヘミはベンに急接近している。そのあと、ベンとヘミがジョンスの実家に遊びにきた。その時、ベンはジョンスに「ビニールハウスを焼くのが趣味だ」ということを打ち明ける。その日を境にヘミがジョンスの前から姿を消すのであるが。。。


1.納屋を焼く
原作では「納屋を焼く」ことになっているが、ここではビニールハウスだ。それ自体は同値のようなものである。ジョンスの古くなった実家で3人は大麻を吸ってハイになっている。へミは上半身裸になって踊りだす。疲れ切ってへミが寝て二人きりになった時ベンが「ビニールハウスを焼くのが趣味」と告白する。ジョンスはあぜんとする。近々にこの近所で焼くと聞いたジョンスは気になって仕方がない。ふだん乗っているトラックで近所をくまなく走り回る。でも焼かれたビニールハウスはどこにもない。これはどういうことなんだろうとジョンスは動揺する。


2.姿を消すヒロイン
久々出会った2人がへミの部屋でメイクラブする。ベットの下からスキンを出して、使ってという。男慣れしていることを示すのであろうか、脱ぎっぷりもよく韓国映画では珍しい大胆さである。夕焼け空をバックに、マイルス・デイヴィスのトランペットに合わせて、へミが上半身裸になって踊るシーンがある。バストに整形大国韓国を思わせるものを感じる。


村上春樹の小説では、ヒロインとなる女性が突然姿を消すことが多い。行方不明になること自体は「スプートニクの恋人」などで読んだことがあるので、また来たかという感触である。彼女は金を持っていませんよとベンが話しているので、高利貸しの追い込みから逃げているのかと自分は一瞬感じた。でもへミは現れない。自室にはもう住んでいないようだ。ジョンスはベンを尾行するようになる。初めてベンの「ビニールハウスを焼く」というのが「殺人」につながるということに気づく。

村上春樹の原作では余韻を残すように終わっている。読者に想像させる。ハードなエンディングではない。誰かが突然姿を消すことが日常茶飯事にあるので、最初に読んだとき何も考えなかったかもしれない。黒沢明監督の映画「羅生門」は、芥川龍之介の「藪の中」を題材にしている。小説では事件の当事者2人と殺された男の死霊の3つの証言が語られるだけである。映画「羅生門」では目撃者が見たままを語るシーンを加える。黒澤明の新解釈だ。韓国の名監督イ・チャンドンが映画の中で自分なりに解釈する。へミの家族、ジョンスの母親など登場人物も加えて証言を増やす。もともとの短編小説を深みのあるものとしている。そして衝撃のシーンにつなげる。

バーニング


螢・納屋を焼く
村上 春樹

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映画「アルキメデスの大戦」菅田将暉&田中泯&小林克也

2019-08-08 19:02:37 | 映画(日本 2019年以降主演男性)

映画「アルキメデスの大戦」を映画館で観てきました。

菅田将暉の主演作品とは相性がいい。数学の天才が海軍の方針を動かすという話のようだ。おもしろそう。高等数学のセンスがないと自覚する自分は数学の天才という設定にひかれて観に行ってしまう。どういうところで、数学の天才ぶりを発揮するのかと思っていたら、船舶に関しては素人の主人公が巨大戦艦の建造費を2週間で算出してしまおうという話である。工学部出身ではない。帝大数学科100年に一人の天才という触れ込みである。しかも、船舶建造費に関する所与の条件は機密でわからないことだらけ。

漫画が原作だけに不自然なことだらけの設定である。映画の中に出てくる物語の数々は普通で考えたらありえないことだらけ。それでも不思議とストーリーの中に入り込んでいくので眠くはならない。


いきなり映像となるのは昭和20年の戦艦大和の最期である。制空権をとられて米軍航空機による空からの攻撃を受けっぱなしだ。戦艦からの砲撃も激しく、入り乱れる攻防がなされるが、結局沈没してしまう。誰もが知っている事実である。山本五十六という人物は東条英樹首相などのA級戦犯とは逆に一般の日本人からは好評価を受けていると言える。この映画でも正義の味方はあくまで山本五十六で、その考え方に基づいて動くのが主人公という構図である。

1933(昭和8)年海軍省は秘密裏に巨大戦艦の建造を計画している。海軍少将・山本五十六(舘ひろし)はこれからの戦いに必要なのは航空母艦だと進言したものの、嶋田少将(橋爪功)をはじめとした上層部は日露戦争の開戦を制した世界に誇れる壮大な軍艦こそ必要だと考える。しかし、巨大戦艦の建造費は意外に高くない。不自然だ。山本はその矛盾の解明にあたり軍部の息がかかっていない協力者として、帝国大学の数学科で100年に1人の天才と言われる櫂直(菅田将暉)に目をつけた。

大の軍隊嫌いという変わり者の櫂はかたくなに協力を拒んでいたものの、巨大戦艦を建造すればその力を過信した日本は必ず戦争を始めるという山本の言葉に動かされ、すでに決まっていた米国留学の道を断る。櫂は二週間という短期間で建造費のからくりを解明するよう指示を受けた。しかし、戦艦に関する一切の情報は建造推進派の者たちが秘匿している。困難だらけにもかかわらず、櫂は作戦を立てる。


さすがに戦前日本史の真実というのはマンガであっても動かせない。その事実を前提としながら、一人の数学好きの若者を暴れさせる。海軍任官後まずは、当時先端の軍艦であった「長門」を見学、設計図等は極秘扱いであるが、艦長をごまかしこっそりと図面を書き写す。それをもとに今回計画の軍艦の設計図を自ら作成する。一方で船舶工学に関するあらゆる書籍を読み込み、構造計算など船舶設計に必要な諸要件を理解する。しかし、軍艦の積算資料はない。建造にどれだけの人工がかかり、鉄の量がどれだけ必要なのか資料がないのだ。以前海軍と取引があった大阪にある造船会社に行き、過去の船舶建造の資料を得ようとするが断られる。それでも粘る。

1.不自然さ満載
⒈将校が出入りする高級料亭で学生の身分で芸者をあげる。そこで山本五十六と知り合う。
⒉いきなり少佐に任官
⒊使っている鉄の総量のみを変数にして船舶の建造費を算出し、それが正解する。
これらをいちいち気にしていたらきりがない。所詮はマンガと思うしかない。

2.東京帝大数学科
帝大で100年に一人の天才だという。1933年であれば、東京帝大数学科ができて100年たっていない。個人的には高木貞治教授がまだ在籍していたかどうかが気になった。数学を勉強した人で解析概論 ">
高木貞治の「解析概論」
を知らない人はいないであろう。調べると1936年に東京帝国大学教授を退官したようだ。とすれば、漫画の世界であるが櫂直とはダブっている。有名な数学者でいえば、彌永昌吉は1929年の卒業でその後留学、小平邦彦は1935年の数学科入学のようである。この映画で櫂直は海軍勤務になる前にプリンストン大学に留学することになっている。小平邦彦が東大卒業後プリンストン大学に留学したことを意識して設定したのであろう。

世の中にはすごい天才っていると思う。工学部、理学部という境界をこえて短期間で巨大戦艦の設計をして金額をはじき出すことが、一歩抜けた天才であればできうることなのか?もしもで考えると面白い。


3.ベテラン俳優の活躍
不自然な設定によるマイナス点はあれど、この映画はベテラン俳優の活躍が目立つ。橋爪功の嶋田少将はいやな奴の役だが、嫌味の語りがうまい。
何より海軍技術系のトップの役を演じる田中泯が抜群の存在感を示す。まさに昭和の将校らしい顔になっている。ラストに向けての主人公とのやり取りはこの映画のヤマ場だ。凄みのある将校ができる俳優ってそんなにいない。もともと舞踏界の人であったが、「たそがれ清兵衛」真田広之演じる主人公と対決する剣豪を演じてから出番は飛躍的に増える。個人的には「八日目の蝉」の写真館の店主役も好きだ。


あとは小林克也だ。最初はわからなかったが、途中で気づく。DJで一世を風靡した小林克也も昭和の軍人らしい顔になっている。若いころは大変お世話になった。「ベストヒットUSA」がスタートする前に、1970年代前半FM東京で全米ヒットチャートを紹介する深夜番組があった。アップデートで小林克也が国際電話をして最新チャートを伝える。その番組を聞くのが中学生のころ毎週楽しみであった。そんな彼が78歳になる。まだまだ健在であることを確認してうれしくなった。


印象に残ったシーンがある。序盤に戦艦大和が沈没するシーンの時、大和の砲撃を受けて海に米軍戦闘機が墜落する。戦闘員はパラシュートで海に落ちる。それを別の米軍軍用機が海に降り立ち、乗務員を助ける。それを戦艦大和の乗組員があぜんと見守るシーンである。日本ではこんなことはあり得ないのであろう。あえてこういうシーンを入れ込んだところに意味がある。

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映画「よこがお」筒井真理子&深田晃司

2019-08-07 17:46:41 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「よこがお」を映画館で観てきました。


これはよかった。
深田晃司監督の作品は「ほとりの朔子」「淵に立つ」いずれも気に入っている。今回は「淵に立つ」で存在感が強かった筒井真理子の主演であるので、映画館に足を運ぶ。筒井真理子はここでも好演、それに加えて市川実日子が不気味な役柄をそつなくこなす。主人公である訪問看護師にあらぬ嫌疑がかけられ、マスコミからも注目され普通の生活から一気に転落していく姿を描いている。そこには女性ならではの強烈な嫉妬が絡んでいたのだ。深田晃司監督のオリジナル脚本はよく練られていて、上質なヒューマンミステリーに仕上げられている。終盤に近付くにつれてドキドキ感も高まり、予測のつかない流れにひかれていく。


リサ(筒井真理子)と名乗るその女は、和道(池松壮亮)の前に突然現れた。美容師と客として、リサと接していた和道だったが、やがて彼女の不思議な魅力に惹かれていく。リサの本当の名前は市子、かつては周囲から厚く信頼される訪問看護師だった。

基子(市川実日子)という訪問先の娘で、市子に憧れ以上の感情を抱く者もいた。ところがある日、基子の妹のサキが失踪する。まもなく無事保護されるが、逮捕された容疑者は意外な人物だった。事件への関与が疑われた市子は、ねじ曲げられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてが音を立てて崩れてゆく。(作品情報より)

作品情報では重大なことが隠されている。ある程度ネタバレになるが、重大な事実も含めて語りたい。

1.市子が転落するきっかけと基子
市子(筒井真理子)はある家族の訪問看護師として、若干ボケも入っているおばあさんの世話をしている。おばあさんは親族よりも市子の言うことをきく。家族から信頼されていた。また、おばあさんの孫にあたる長女基子(市川実日子)が同じような訪問看護師になりたいということで、市子は受験勉強の手伝いをしている。プライベートでは、市子は連れ子のいる男性と結婚を前提に付き合っていた。そんなある時、基子の妹サキが行方不明になる。警察に捜査も依頼して大騒ぎだ。しばらくして発見される。その後テレビに映る連れ去った犯人を見ていて市子はあぜんとする。なんと、妹の息子である辰男だったのだ。


市子が基子に勉強を教えているときにたまたまサキも一緒だった。その時に市子の甥の辰男もその場にいたのだ。市子はそのことを基子とサキの母親に話そうとしたところ、基子から黙っていた方がいいと言われる。勉強を教わっていた基子は同性愛的感情をもって市子に接していた。市子も心を許して、普通であれば他人に話さないようなことも基子に話していた。基子はもっと市子と接近したそうであったが、市子はフィアンセである男性と近々結婚する可能性を伝える。


その直後であった。週刊誌の記者から突然市子のプライベート電話に「何か隠していることありませんか?」と電話が入る。そのあと週刊誌に甥の誘拐に叔母の市子が絡んでいるという記事が載るのだ。そのあとはお決まりの転落劇である。これでもかこれでもかと市子の不利になるような出来事が起きる。テレビ、雑誌あらゆるマスコミも絡めて市子に攻撃を与える。何もしていないのにこの仕打ちはちょっときつい。

最初週刊誌の取材の話があるときには、すぐには感じなかったが、基子が絡んでいるんだろうなあということがわかる。基子は一方的に好意を抱いていた。それなので、市子にフィアンセがいることが気に入らない。市子の幸せに嫉妬を抱く。そして、基子の意地悪がエスカレートするのである。転落は絶壁のように真っ逆さまだ。



2.深田晃司と筒井真理子

二階堂ふみ主演「ほとりの朔子」で気になる存在となった深田晃司監督浅野忠信主演で「淵に立つ」をつくった。不気味な作品だったが、これがよかった。刑務所出所間もない男が昔の仲間が経営する町工場に居候することになる。町工場の店主の妻が筒井真理子であった。この家族3人と男が一緒に旅行するとき、元々同居を嫌がっていた妻と男が急接近する。このとき揺れ動く情感こもった筒井真理子がよかった。

この映画で存在感を示したこともあってか、園子温監督「ANTIPORNO」の作家の秘書役では大胆な全裸を披露しながらSとM両方のふるまいで驚かさせた。1960年生まれでもういい年である。脱ぐ年でもなかろう。花が開いたのがここ最近という遅咲きの女優である。ここでは悪女を演じる市川実日子の怪演も冴える。二人そろって映画のレベルを昇華させている。


激しい起伏が何度も起こり、息をつけない。これだけはネタバレできないが、最終場面に向けてもう一つの盛り上がりをつくる。思いがけない展開を見せ、おお!こう来るかとドキドキする。お見事である。

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