映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

キャタピラー  寺島しのぶ

2011-06-29 05:50:47 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「キャタピラー」は寺島しのぶ主演。さまざまな賞を主演女優賞として受賞した。傷痍軍人となって帰ってきた夫との関わりを描く。賞を総なめの作品だが、根は暗い。彼女も頑張ったけど、傷痍軍人となった大西信満の凄味ある演技に驚いた。



時は太平洋戦争のさなか、主人公こと寺島しのぶの夫こと大西信満も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかし、寺島のもとに帰ってきた夫は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。寺島はおびえた。同時に落胆した。しかし、面倒を見るのは自分しかいなかった。
その姿は多くの勲章を胸に“生ける軍神”と祀り上げていた。四肢を失っているのに夫は寺島を強く求めた。寺島はそれにこたえる。衰えることのない夫の旺盛な食欲と性欲に寺島は戸惑いながらも軍神の妻として尽くした。しかし、寺島は次第に空虚なものを感じ始めた。同時に夫も戦争での自分の行為のトラウマに悩まされていくようになるが。。。。



映画は暗い。街中の右翼街宣車でよく高らかに歌われる軍歌がこの映画で流れる。繰り返し流れる。そのムードを基調にして田舎の戦時中の光景が描かれる。何もないような田舎で2人だけで奇妙な生活をする。そこで2人の主演が競う様に演技を誇示していく。究極の演技だ。ただ、見ようによっては30年くらい前のにっかつポルノを見ているような錯覚を覚える。正直そんなに変わらない気もする。もともとはそのジャンルにいた若松孝二監督の作品だけにそうなるのは仕方ない。
学生時代に谷崎の文芸作品とエロ小説がどこが違うのかという議論をよく友人たちがしていた。実際には文章の高尚さを除いては大して変わらない。国際的に評価を受けたこの作品も、その昔のにっかつポルノも大して変わらない。そんな印象を受けた。
個人的には手足を失い顔もただれた最悪の状態を演じた大西の方を強く評価したい。
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ハナミズキ  新垣結衣

2011-06-26 17:53:01 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「ハナミズキ」は一青窈の歌をモチーフに映画化された純愛物語である。新垣結衣と生田斗真の当代きってのスターを中心に映像化された。正直くさい話と思いながらも純愛話に引き込まれていく。気がつくと目に涙がたまっていくのはどうしたことであろうか?北海道釧路方面で育った高校生2人の純愛を変形の双曲線を描きながらその後を語っていく。美の絶頂とも言うべき22歳の新垣結衣に加えて、生き生きとしたロケ地のバックも美しく、映画の醍醐味を感じさせる。

舞台は北海道だ。海外で働くことを夢見て勉強に励む主人公新垣結衣は、幼い頃に父を亡くし、母こと薬師丸ひろ子と暮らしている。幼い頃に病死した父が庭先に植えたハナミズキの木に見守られ高校生になった。通学の電車に乗っている時、電車が鹿をひいてしまう。その場足止めを食ってしまうことになる。あわてて電車を出てバス乗り場に向かおうとしたがバスは去る。その日は彼女の大学への推薦をかけた試験の日だったのだ。電車に同乗していた水産高校の高校生こと生田斗真は彼女を見かねて、仮免にもかかわらず、運転しようとして事故を起こす。結局試験には間に合わず、彼女は早稲田への校内推薦におちた。


それをきっかけに新垣結衣と生田斗真の純愛がはじまる。新垣は東京の大学を目指すが、生田は父の跡をついで漁師になろうとしていた。彼に励まされながら、一般受験では難しいと踏んでいた早稲田に合格した。遠距離恋愛が始まる。だが東京暮らしの新垣と北海道にいる生田の2人の気持ちは次第にすれ違っていくのであるが。。。。


一青窈の歌「ハナミズキ」は大好きだ。紅白歌合戦で彼女が大学の仲間たちと歌ったときの映像は脳裏にくっきりと残っている。聴いているだけで胸にジーンときたものだ。そんなわけでこの映画も映画館で見ようと思っていた。でも急に場違いな気がしてやめた。ちょっと後悔した。エンディングロールはよほどのことでないとすぐ切り上げる。ここではその余韻にしばらくひたった。いい歌だ。

純愛物はなぜか不意に涙が止まらなくなることがある。その映像を見ながら、いろんなことを連想してしまうからなのか?よくわからない。ここでもそうだった。むしろ前半戦の高校から大学にいく時の方が妙に話がくさくなくてジーンときた。北海道の映像が気持ちを盛り上げたのかもしれない。例に挙げるべきかどうかと思うが、自分が村上春樹の小説が好きなのはその純愛性だと思う。最新の「1Q84」も「ノルウェイの森」も「国境の南太陽の西」もみな純愛がベースだ。小さいころからの純愛を積み上げていった小説を読んでいるとなぜかたまらなくなってくる。それと同じような衝動をこの映画でも感じた。



ロケ地の美しさには感動した。北海道の雄大な風景をうまく映像にとりいれた。カメラワークもうまい。港や漁船の上で描く漁師の生き生きとした姿は「魚影の群れ」を思い起こす。「悪人」の灯台の使い方も巧みであったが、この映画での使い方も実にうまい。
映画を見ていて、その人の絶頂とも言うべき時期の映像を見ると何とも言えない美しさを感じるものである。この映画の新垣結衣にもその気持ちを感じた。高校生から社会人までよくもまあ頑張って演じたものだ。彼女にも生田斗真君にも敢闘賞を与えたい気がする。

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エリザベス  ケイトブランシェット

2011-06-26 17:48:36 | 映画(洋画 99年以前)
映画「エリザベス」は16世紀のイングランド女王エリザベス一世の女王創成期を描く。英国国教会を築いたヘンリー8世と、侍女アン・ブーリンとの間に生まれたエリザベスが女王になる時から、独身を決意して統治にあたろうとする姿を描く。ケイトブランシェットが好演、それを芸達者のジェフリーラッシュや「恋におちたシェイクスピア」で好演したジョセフファインズが支える。ヘンリ8世の離婚問題があるだけに世界史の中でもおもしろい場面で、何度も取り上げられてきた題材だ。



16世紀の英国史を振り返る。1534年自身の離婚問題でローマ教皇との関係が悪くなり、ヘンリ8世は首長法を発令して、自らイギリス国教会の首長を宣言した。カトリックから独立したのだ。1517年のマルティンルターの「九十五カ条の論題」以降プロテスタントの動きが欧州で活発になっていた。しかし、ヘンリ8世死去以降のイギリスではなおも旧教・カトリックと新教・プロテスタントの勢力争いは続いていた。
そして映画は1554年に始まる。ヘンリ8世の子である女王メアリー1世はカトリックを復活しプロテスタントを弾圧した。スペイン王であるフェリペ2世と結婚したにもかかわらず彼と会う機会はめったになかった。ヒステリックになっていた。
一方でヘンリ8世が侍女アン・ブーリンに産ませたエリザベスことケイト・ブランジェットは異母姉妹のメアリ1世にいじめられていた。ロンドン塔に投獄されてしまう。メアリー1世はフェリペ2世との子ができたのでは?と想像妊娠をするが、結局は子宮の病気だった。そのまま他界した。1558年、エリザベスに王位が継承される。新しい女王に、フランスのアンジュー公やスペイン王との結婚話が持ち上がる。エリザベスは恋人のロバートことジョセフ・ファインズと逢い引きを重ねていた。国内の財政は苦しく、スコットランドとの戦争にも敗れたイングランドの状態はよくなかった。エリザベスは新教派の重鎮ことジェフリー・ラッシュを味方につけ、国を新教に統一することを決定した。これを怒ったローマ法王は英国に密使を送るが。。。。

視線をいろんな人物におきながら、16世紀のイギリスは題材になっている。ナタリーポートマンがエリザベスの母であるヘンリ8世の侍女アンブーリンを演じた映画はまだ最近の話だ。

トマスモアをメインにしたオスカー作品「わが命つきるとも」もある。「エリザベス」では父ヘンリ8世は出てこない。彼が亡くなった後という前提で、エドワード6世も出てこない。メアリー1世の王位時代から描かれる。メアリ1世はここではまさに嫌な女として描かれる。政略結婚でスペインのフェリペ2世と一緒になったにもかかわらず、年下の彼は別の女に手を出してメアリ1世の前には姿を現さない。メアリはかわいそうな存在ではあるが、ここではいじめ役として描かれる。
エリザベスは新教徒として異端な身で、あやうく処刑になりそうになる。そういう深刻な場面もあるが、どちらかというと自由奔放な存在だったエリザベスを描いている。そこがいい。それを描くためか恋人にジョセフファインズを持ってきたのは適切だったろう。軟派の匂いがする彼を持ってきたことで、色彩が柔らかくなる。「恋におちたシェイクスピア」と同じ効果だ。
同時にフランスのアンジュー公の軟派ぶりも見モノだ。

おもしろい題材であるが、どうしても近世までの映画はタッチが暗くなる。まだ暗黒の中世から抜けきっていない。争い事すべてに宗教がからんでくる。いやな時代だ。
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4年目の雑感1

2011-06-24 05:11:07 | Weblog
横浜に行った。神奈川は会社の施設もあり、小田急にはのる事が多い。東海道線は久しぶりだ。
横浜駅を降りると、昔を思い出す。崎陽軒のシュウマイの売り子がいなくなって久しい。
子供のころは横浜駅ホームで売り子からシュウマイを買うのが楽しみだった。そこでシュウマイを買って腰越の別宅へ行った。
相鉄のショッピングモールの雰囲気は30年以上も大きく変化していない。
大学のとき、練習で平沼体育館によく行ったものだ。練習の後よく飲みに行った。家に帰るのが面倒になってよくいろんな友人の家に行った。自宅と反対方向なのに北鎌倉によく行った。
相鉄線に乗る。昔先輩が宴会芸でいしだあゆみの「ブルーシャトウ」の音楽に合わせて相鉄線の歌を歌っていた。「横浜、平沼橋、西横浜♪。。。希望が丘、三ツ境、瀬谷、大和♪、。。、終点海老名」と歌う歌である。その先輩が先日千葉に異動になって2人で飲んだ。さすがに昔の芸は歌われなかった。

相鉄線沿いの町で仕事を済ませた後、東横線に乗った。武蔵小杉にも用があったのであるが、途中下車して日吉の町を見てみたくなった。日吉も地下ホームとなって久しい。でも降りたことはなかった。
改札を抜けるとそこは駅ビルのようになっていた。以前は線路の上を歩道橋のように反対側と行き来していた。
今は違う。大学の並木を一瞥して、駅の反対側へ行った。高校生がたくさん歩いていた。
当時よく行っていた雀荘のほうへ向かった。すでになかった。それはそうだろう。そしてロータリーを包むお店の中を歩いた。
銀行が妙に支店を出している気がする。銀行は支店を減らす傾向だとおもうが、日吉はそうではない。
知っている店を探した。一軒だけトンカツ屋は自分がいたころにあった。がんばっているようだ。あとは記憶がない。寄っているうちに武蔵小杉に行くのはやめた。その日の仕事は切り上げた。
東横線に乗りながら、30年ほど前の光景がつい昨日のことのようにいくつもいくつも脳裏に浮かんできた。
そして品川の家に向かった。
アジサイがきれいに咲いている。この間もサツキがきれいに咲いていた。母がなくなってから家の花壇の花がきれいに咲くようになった。不思議だ。よくわからない。次から次へと季節ごとに別の花がきれいに咲く。

夏目漱石の「夢十夜」を思い出す。その第一夜に、死にそうな女に「百年たったら迎えに来ますから」と言われて、墓のそばにいる男の話が出てくる。気がついてみたら100年たっていたと。。。そこで白いゆりが咲く場面が出てくる。解釈では白いゆりはその女が自分に会いにきて咲くということが書いてあった。母が生まれ変わったのだろうか?いやそんなことはないと思いながら、異様に伸びきった家の樹木をみた。
父の命日はもうすぐだ。ブログも丸3年たった。
キャロルキングの「タペストリー」を聴きながら時間の流れを思う。

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Uターン  ショーンペン

2011-06-23 18:41:34 | 映画(洋画 99年以前)
オリバーストーン監督には珍しいブラックジョークのような作品。ショーンペンを主人公にしている。マフィアに追われた男が砂漠の町に迷い込む。そこで無一文になり、借金に追われた彼がハチャメチャな行動をとる。回りもみんなハチャメチャという設定だ。

主人公であるショーン・ペンは、車が故障したため「Uターン可」(よそ者は引き返せの意味)の標識を掲げた、砂漠の果ての街にやってくる。ショーンペンは借金でマフィアに追われるならず者だ。すでに2本指づめをされた。そこで肉感的で美しい女中米系の美女ジェニファー・ロペスに出会う。ショーンは言葉巧みにジェニファーロペスに近づく。事を運ぼうとしたら彼女の夫ことニック・ノルティが「俺の女に手を出すな」と現れる。ところが、ジェニファーの夫から「妻を殺してくれたら金をやる」と言われる。その場を立ち去ったショーンペンだったが、コンビニで強盗に遭遇してしまう。巻き添いを食った彼は手持ち金をなくした。一文無しの彼は借金もあり、夫の依頼を引き受けることにした。ショーンペンはジェニファーを山の絶壁へと誘い出すが、逆に誘惑され肉体関係を結ぶ。逆に夫を殺害するように仕向けられるが。。。。



ペギーリーの軽快なジャズヴォーカルで始まる。社会の底辺の男女がたむろう街に立ち寄ったショーンペンがはまってしまうという内容だ。軽快な展開を予測させたが、そういうどたばたが続き不愉快な印象だ。オリバーストーンというよりも、コーエン兄弟が好きそうな題材だ。コーエン兄弟だったらもっと面白くするのになんか違う。笑いを誘わない。ショーンペンらしさがにじみ出ている。ジェニファーもエスパニア系特有の色気をむんむんさせる。個人的にはショーンペンの映画には失望感を味わったことはない。でも残念ながらいま一つのれない作品だなあ。
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死に花  

2011-06-21 21:38:08 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
2004年の犬童一心監督の作品だ。先日「メゾンドヒミコ」を見終わった時、何気なく見つけた。
出演者がタダモノではない。谷啓、青島幸男、山崎努、藤岡琢也、宇津井健そして森繁久弥と現在では鬼籍に入った人も多い。そんな最後の力を振り絞った映画には何かがあるはずと見た作品。映画の内容はあまりにばかげているが、超一流と言われた彼らから何かが読みとれそうだ。


東京郊外にある老人ホーム“らくらく長寿園”を映し出す。高級老人ホームで悠々自適の日々を送っていた。ある日、仲間の1人こと藤岡琢也があっけなく他界してしまう。みんな意気消沈、恋人の加藤治子は後を追った。元映画プロデューサーの山崎努は遺品の中に、銀行の地下に穴を掘り、金を強奪すると言う奇想天外な計画を記した“死に花”と題されたノートを発見。

仲間の谷啓、青島幸男、宇津井健、そして恋人の松原智恵子と共にその計画を実行に移すことにした。狙うは、宇津井のかつての勤め先である“サクランボ銀行”。期間は、ターゲットの支店が閉鎖されるまでの一ヶ月間。穴掘りの拠点となる隅田川沿いに住むホームレスの長門勇やホームの新人職員をも仲間に引き入れ、着々と穴を掘り進めて行く山崎努たち4人。予定通り金庫の真下まで掘り進めることが出来た。ところが台風に見舞われせっかく掘った穴が水没してしまう。。。。

ばかげた話である。よくもまあこんな話に名優たちが飛びついたのだとも思う。
この中でも現役バリバリである山崎努が中心となる。
ペースメーカーがいないときついだろう。


なんせこの映画の中でもあの世に行く藤岡琢也は、本当にこの数年後逝ってしまった。彼は私生活でジャズ好きといわれた。40年代から50年代にはよく彼のオーディオルームが雑誌とかに出ていた気がする。藤岡の葬式の場面で、自らビデオ映像で挨拶をする場面がある。そこで彼がスウィングしながら歌うのはなかなか粋だ。こういったやり方があるのかと思った。


谷啓も亡くなった。ハナ肇、植木等というスターの影ではあったが、クレイジーで3番目に存在感を示していた。トロンボーンプレイヤーとしても優秀だった。
そのクレイジーを初期に支えたのが青島幸男である。放送作家としての青島は極めて優秀である。「シャボン玉ホリデイ」のノリは最高だ。クレイジーの初期の歌に見せるノリのいい歌詞は日本サラリーマン界史上に残る凄さである。こんなに凄かったのに議員や知事としての彼は妙にいやな奴だった。体制にただ意味もなく反逆しようとしていただけだ。それだけが残念だ。そのあとにつくったこの作品で本当の彼らしさが見える。「いじわるばあさん」や「泣いてたまるか」の彼を思い出す。本当はこういうのが合っているのに何で変に突っ張っていたんだろうか?彼も鬼籍に入った。
宇津井健は「渡る世間は。。。」で藤岡琢也の後を継いだ。この映画一緒にやりながら遺言でもあったんであろうか?山岡久乃は劇中でも死んでしまったが、彼は死なせられなかったろう。ザガードマンのキャップで見せた精悍さはすでにない。山口百恵ドラマの父性もない。振る舞いが老年の境地に入っている。

不思議だなあと思うのは、劇中で亡くなると引きづられるように本当に亡くなってしまうことがよくあることだ。「おくりびと」でも峰岸徹がそのあと逝ってしまった。古くは「情婦」のタイロンパワーなど。怖くて死ぬ役はできないなあ。

松原智恵子を見ると、子供のころを思い出す。「あいつと私」「時間ですよ」のお嫁さん時代の清楚なイメージは子供ながら憧れたものだ。みんな年取ったなあ。自分もそうだけど
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メゾン・ド・ヒミコ  オダギリジョー&柴咲コウ

2011-06-19 09:27:04 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
「メゾンドヒミコ」は2004年の犬童監督作品。個人的にゲイというのは肌に合わないが、傑作だと思う。オダギリジョーと柴咲コウの二人が主演だ。ゲイの老人ホームという特殊な設定の中、個性的な男たちを登場させる。主演二人で成り立つ映画ではなく、名脇役の存在がこの映画の質をあげている。全般的に流れているムードはやさしい。ゲイ嫌いが見ても不愉快ではない。


零細企業の事務員柴咲コウのもとに若い男オダギリジョーが訪ねてくる。彼女の父こと田中泯が癌で余命幾ばくもないと言い、父の経営する老人ホームを手伝わないかと誘う。しかしその父は自分と母親を捨て、銀座ゲイバー「卑弥呼」を切り持った男であった。「何で?」という彼女であった。でもお金に困っていた。結局日当3万の日給をちらつかされ、海辺の老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」の門をくぐる。そこには想像を絶する個性的な住人ばかりが暮らしていた

彼女は住人の個性の強さに驚いた。生まれ変わったらバレリーナと相撲部屋の女将になることを夢見る陽気な老人ニューハーフ・ルビイ、洋裁が上手く女性的で心優しい男、元・小学校の教員で今は将棋が趣味の男、ホームのパトロンの元・部下で、家庭菜園に精を出す男、ギターがうまく背中には鮮やかな刺青を入れている男、ゲイバー「卑弥呼」の元・従業員などなど。実の父・卑弥呼は娘との予期せぬ再会に戸惑った。日曜日ごとにホームに出向いた。最初は距離を保っていた。しかし、その裏側に隠された孤独や悩みを知るようになるが。。。。


映画「八日目の蝉」に個性の強い写真館の主が出てくる。映画館で一瞬誰かと気付かなかった。名優田中泯である。そもそもは舞踏家で映画に初めて出たのが「たそがれ清兵衛」である。主演の真田が最後に対決する剣の達人を演じた。まさに凄味を感じさせる演技であった。「メゾンドヒミコ」ではそれとは真逆の「ゲイバー」の元ママ役である。これがまた似合っている。銀座のママというのは独特の貫禄があるものである。そういう雰囲気を醸し出す。なんてうまいんだろうか。田中泯をみるだけでも価値のある映画ばかりだ。


あとの脇役たちで目立ったのはニューハーフ・ルビイである。歌澤寅右衛門という老人俳優が演じる。抜群にうまい。底抜けの明るさに圧倒される。柳沢慎一も久しぶりに見た。40年代くらいまでは良くテレビに出ていたものだ。元教員という役が板にはまっている。そんな連中の中で柴咲コウはスッピンで演じる。みんなに「ブス」なんて言われたことないと思われる彼女が、いかにも色あせた事務員を演じる。OLではない。いわゆる事務員だ。意地っ張りなところがいじらしい。もしかして彼女のベストかもしれない。


そんな連中と横浜のクラブに出かけた時の映像はこの映画の一つのヤマであろう。ダンスホールというべきであろうか?独特のステップに合わせて昔の歌を男女入り混じって踊る。「星降る街角」「また逢う日まで」をいかにも楽しそうに踊る姿は、見ている自分の気持ちも高揚させる。軽快に踊るバックの人たちもいい。オダギリジョーとコスプレの柴咲コウの二人も本当に楽しそうにステップを踏んで踊る。いいシーンだ。

そういう中盤を経て、終盤にしんみりと持っていくところは映画づくりのうまさを感じた。それを支える細野晴臣の音楽もシーサイドのロケーションにもあい素晴らしかった。
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小説家を見つけたら  ショーンコネリー

2011-06-18 05:33:22 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
「小説家を見つけたら」は「グッドウィルハンティング」の続編とも言うべきガスヴァンサント監督の2000年の作品だ。ショーンコネリーが偏屈な小説家に扮して、ニューヨークのダウンタウンに住む黒人少年とのふとしたことから生まれた友情を描く。ショーンコネリーは不朽の名作を残してその後小説を書かなくなったという設定だ。少年を物書きとして成長させていく。ある意味アメリカンドリーム的な作品ともいえよう。



NYのブロンクスで暮らす16歳の黒人少年ウォレスことロブ・ブラウンは、プロのバスケットボール選手を夢見るかたわら、不良仲間には内緒で大好きな小説を書き続けていた。そんな彼が不良仲間にそそのかされてアパートの1室に盗みに入る。ところが、部屋にいることに気づき少年はリックサックを残したまま退出する。その中には彼の創作ノートが入っていたのだ。逃げた後彼はリュックを忘れたことを悔いた。そのアパートのまわりをうろうろしていた彼のそばにリュックが投げられる。アパートの主はショーンコネリーだ。忘れていたリュックの中を見たら、創作ノートが赤ペンで添削されていた。謝る少年はショーンコネリーと知り合う様になる。
少年は通常の学校の成績は及第点ぎりぎりだったのに、高校生の全米統一試験で素晴らしい成績をとった。そんな少年の才能に気づいたエリート私立高校から彼に誘いがきた。高校のスポーツの名声をあげるため、当然彼のバスケットの才能もかわれたのであった。新たな学校へ通ううちに少年は、その老人が有名な小説家だということを知るが….。



話自体は静かに進む。ニューヨーク私立校に進んだ後の少年の振る舞いはサンドラブロック主演の「しあわせの隠れ場所」と同じ類だ。両方とも黒人の少年をクローズアップさせ、貧民街で育ったという設定だ。後に作られただけにサンドラブロックの映画のほうが真似したのかもしれない。
ガスヴァンサント監督は「グッドウィルハンティング」を撮ったとき、マットデイモンを天才に仕立てた。相手に数学だけでなく、人文科学系の知識をひけらすシーンがある。今度も似たようなシーンがある。最初は攻撃的なひけらし方ではない。キーポイントになるシーンで攻撃的に知識をだしていく。
いずれにしても、監督は広いアメリカの中で、下層社会の人間でもすごい博学がいるということを示したかったのであろう。個人的にも痛快と思わせるところがある。
アメリカはイギリスのような貴族はいないが階層はある。こういうのが大衆には受けるかもしれない。

劇中有名な小説家の古い紹介記事として、古いショーンコネリーの写真が出てくる。「007」のころの写真だ。あの当時のコネリーは自分は大好きだ。もちろん老いたコネリーの味のある演技はもっと好きだ。いい年の取り方をしたみたいだ。
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インドシナ  カトリーヌドヌーブ

2011-06-16 05:26:06 | 映画(アジア)
すばらしい!
こんなにすばらしい映像美の映画をこれまで見ていなかったことを悔いたくらいだ。


映画「インドシナ」は92年のカトリーヌドヌーブ主演作品だ。1930年代のベトナムを舞台にフランス人女性とベトナム人の養女をクローズアップする。母子2人が同時に愛したフランス軍人との三角関係を描いた作品だ。現地ロケの映像が実に美しい。こんなに越南エリアを美しく写した映像はおそらくないのではないだろうか?世界遺産の名勝ハロン湾を最も美しく写した映像はトランアンユン監督「夏至」かと思っていたが、この映像を見てあっと驚かされた。



1930年代仏領インドシナが舞台だ。この地で生まれた主人公のフランス人女性ことカトリーヌ・ドヌーヴはゴム園を経営していた。ドヌーブは航空事故で孤児となった安南皇室の娘カミーユを引き取った。養女となったカミーユことリン・ダン・ファンはドヌーブを母として順調に育った。そんな時ドヌーブはフランス人将校ことヴァンサン・ペレーズと知り合う。絵画オークションで落札の権利を譲ってくれと将校が頼み、ドヌーブは断った。それがきっかけでその後2人には強烈な恋が生まれた。だが2人には恋の成就を阻むものがあった。
そんな時、皇帝が暗殺された。社会主義勢力が国の独立を願い決起したのだ。高校生のリンは町での発砲事件に巻き込まれた。それを救ったのが偶然通りかかった母の恋人だったフランス人将校だ。リンは自分を助けた彼に純愛を覚えた。娘は将校を館でのパーティに招く。事情を知らないカミーユの目前で、元恋人2人は口論し、にぎやかだったパーティーは混乱するのであるが。。。。

成瀬巳喜男監督の不朽の名作「浮雲」の主人公2人はもともと「仏印」で知り合った設定になっている。映画の「仏印」というセリフで初めてその言葉を知った。物心がついてすぐにベトナム戦争が連日テレビの話題を独占していたころに育った自分には意外感があったものだ。


その仏印ことベトナムを舞台に丹念にロケハンティグをしっかりやっている。これでもかというくらいベトナムの美しい映像が連続して出てくる。コロニアル文化を示すような街の建物や富豪の自宅の建物の建築様式は、中のインテリアを含めて今まで見たことのない素晴らしさだ。籐のソファが基調のアジアンテイストのインテリアが好きな人にとっては格好の教科書のようなものであろう。


それに加えてハロン湾の美しい光景を見事に映像とマッチングさせている。水墨画を見るがごとくの独特の奇岩が並ぶハロン湾は美しい。その中を帆船が横切る。30年代の匂いをさせる。他にもみずみずしい自然の光景が続く。将校が当局に見つかってしまうシーンを描いた滝(ダラットの滝?)も日本三大名瀑の一つ「袋田の滝」のようで印象に残った。ベトナム観光ダイジェストのようだ。

アジアが舞台なのに妙にカトリーヌドヌーブが妙にスクリーンになじんでいる。ゴージャスなイメージが強いからであろう。この映画撮影当時48歳、恋を演じるには限界の年齢だ。ゴム園の経営者という設定はしっくりする。個人的には「ダンサーインザダーク」が嫌いなので、ここでのドヌーブが一層良く見える。

映画を見ていて養女のアジア人女性に見おぼえがあった。あれ?!と思って、以前ここでも取り上げた「真夜中のピアニスト」のピアノ教師役のアジア人女性であることに気がついた。清楚な雰囲気を持つ彼女の存在が映像にしっくりいっている。恋に落ちるフランス人将校もいい。アジアと西欧人の組み合わせがいい。色合いの取り合わせがいいような感じを持つ。食べ合わせのいい食事をしているような気分だ。

あと感心したのはエキストラをふんだんに使っていることだ。アジア的リアル感を醸し出す。この映画ができた92年はちょうど19年前、ベトナムが発展基調になりつつあるころだ。物価も安く、賃金も安い中で安価で現地人を起用できたのであろう。ゴム園のクーリーの労働、べトコンの前哨とも言うべきゲリラ兵士たち、奴隷売買される人たち、これらすべてを表現するだけのエキストラが用意できたのも時代背景であろう。今作ろうと思ってもフランス映画資本では資金的に無理だったかもしれない。ベトナム人の表情も今の方がはるかに豊かな表情になっているので違和感を覚えたのかもしれない。ベストな時期につくられた映画だ。

ただちょっと長すぎたかもしれない。編集も中途半端になっている印象もある。
それでもこんなに目を楽しまさせてもらって感激である。

(参考作品)

インドシナ
ベトナムの美しい映像を堪能する


夏至
ベトナム三姉妹の危ない恋


真夜中のピアニスト
リン・ダン・ファンがピアニストを演じる
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さらば友よ  アランドロン&ブロンソン

2011-06-15 18:17:42 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
アランドロン主演の68年のサスペンス物だ。アメリカ映画の名脇役だったチャールズブロンソンがフランス映画でものすごい存在感を示す。主演2人と言ってもいいくらいだ。男と男を競い合っている。映画のストーリー展開にはこれといった驚きはない。全盛時代の2人をからめた映像をBGM的に楽しめばいいのではないか


アルジェリア戦線帰りの兵士たちを乗せた船がマルセイユについた。その中に、軍医の主人公ことアラン・ドロンもいた。そのドロンに「知り合いの友人では?」といきなり若い女が話しかけてきた。ドロンは無視して歩き続けた。同じ船から戦争を商売にしてきた男ことチャールズ・ブロンソンもおりた。彼は部下をかきあつめ、次はコンゴに出かけ一稼ぎしようとたくらんでいた。それには軍医が必要なため、ドロンをくどいていた。
ブロンソンを殴り倒し、ドロンは彼を追ってきた若い女のシトロエンに乗った。女はドロンに仕事を頼んだ。彼女はパリの会社の債券をひそかに持ちだし利用していた。それを金庫に返さなければならない。医務室の隣りに金庫がありクリスマスの連休の間に、それを返してほしいというのだ。ドロンはその仕事をひきうけた。医務室にハイスピード分解写真装置のついたカメラを持ち込み、金庫室の見通せる小窓にそれをセットした。金庫のダイヤル番号を盗み出そうとした。金曜日は会計簿をしまうために金庫が開けられることになっていたがその日は2億フランの現金がしまわれるのを知って、ドロンの目的はかわった。債券を返して同時に、中身をいただこう。だが、カメラは7つのダイヤルのうち、3つしか写してなかった。組合せは無数にあり、時間は三日三晩しかない。ドロンが作業を開始したとき、ブロンソンが現れたが。。。。



68年日本でいえば昭和43年である。GSブームもひと段落したころか。世は大学紛争にあけくれていたころだ。そういう日本とこのころのフランスと比較すると、顔立ちが違う。明らかにフランス人の顔がアカぬけている。女優達の美人度が高い。映画に登場するくらいだから、容姿のいい人を集めている可能性もある。生活の豊かさに比較にならない何かがあった。同時に走っている車に注目したい。日本車と欧州産の車のスタイリングには大きな差があった。なめらかなカーブが美しい。
映像の色合いも鮮やかだ。こういう映画を見ながら日本人たちは大きな影響を受けたのであろう。当時の鈴木清順監督作品にもそういう影響が感じられる作品もある。でもどことなくダサイ。越えられない壁があった。



この作品の中身は正直大したことない。ただ、2人の存在感は強烈だ。70年代日本のCM界にはなくてはならない存在だった。アランドロンは「ダーバン」チャールズブロンソンは「マンダム」でそれぞれの個性を強く日本人に印象付けた。今CMを見ても古臭さは感じない。ここでも何回か取り上げたが、「マンダム」のブロンソンの存在はすべての日本人に強いインパクトを与えた。自分も学校で下敷きに彼の記事の切り抜きを入れておいたものだ。あの渋い声が耳に響く。そういう彼を起用するきっかけがこの映画ということになれば、ここでの彼の姿がかっこいいのは言うまでもない。
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イヤーオブザドラゴン  ミッキーローク&ジョンローン

2011-06-12 21:31:00 | 映画(洋画 89年以前)
何かと忙しくて映画が見れなかった。

「イヤーオブザドラゴン」というとカンフー映画の題名みたいだ。実際には、ニューヨークのチャイナタウンを根城に勢力拡長をはかるチャイニーズ・マフィアの若きドンとこれを敵対視するニューヨーク市警刑事の死闘を描く85年のアクション映画だ。監督は「ディアハンター」のマイケル・チミノだ。チャイナタウン独特の権力闘争を描くだけでなく、悪の巣タイの奥地の場面をクローズアップする。「ディアハンター」のアジアの場面とダブらせている。人気絶頂の若き日のミッキーロークが「レスラー」の今とは想像もつかない精悍な刑事役を演じる。そのライバルにはこの一作後に「ラストエンペラー」で世界中に知られることになるジョンローンだ。アジアに別の意味での郷愁を持つと推測させるマイケルチミノ監督らしい映像づくりだ。



ニューヨークのチャイナタウンが舞台だ。チャイナタウンのレストランでチャイニーズ・マフィアのボスが暗殺された。盛大な葬儀の行列の中には若き幹部ことジョン・ローンの姿もあった。その模様を中国系アメリカ人の美人TVレポーターことアリアンヌが報じていた。チャイニーズ・マフィア内部では新旧対立による抗争がたえない。、ボスの死もジョンローンの謀略によるものだった。
ニューヨーク市警の刑事ことミッキー・ロークは、絶え間ないチャイナタウンの抗争のために送り込まれた敏腕刑事だ。ポーランド系米人の彼はジョンローンとの対立をエスカレートさせていった。そんなある夜、ミッキーロークとアリアンヌが食事をしているチャイナ・レストランを覆面の2人組が急襲し、機関銃で店内を一掃した。あやうく命を落としそうになった2人はこの事件がきっかけで急接近した。抗争は一段とエスカレートしていった。

マイケルチミノの「ディアハンター」をベスト映画だという人に何人かであった。個人的にはちょっと長すぎる感じがする。序盤戦の結婚式のシーンをあんなにクローズアップしなくてもいいのにとも思う。しかし、ベトナム戦争の描写以降はとてつもなくどぎつい。ロシアンルーレットのシーンには何度目をつぶったことか。あの病的なクリストファーウォーケンの表情が印象的だ。
今回もそのテイストを一部醸し出す。抗争劇にいったんタイに逃走したジョンローンが、麻薬シンジケートの親分と会うシーンには「ディアハンター」の中盤から終盤にいたる強い匂いを感じさせる。
もともとチャイナタウンの抗争劇として見た映画だが奥が深かった。猥雑なニューヨークのチャイナタウンのロケがなかなか良かった。チャイナタウンから見る今は亡きワールドビジネスセンターの雄姿が美しく、懐かしさすら覚えた。


なによりミッキーロークもジョンローンもかっこいい。そういった2人の全盛時をみるのは悪くない。
この善悪両者はデニーロとアルパチーノの対照を描いた「ヒート」に通じるものがある。家庭不和に悩むミッキーがアルパチーノとダブった。
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ガープの世界  ロビンウィリアムズ

2011-06-06 04:34:39 | 映画(洋画 89年以前)
1982年のロビンウィリアムズ主演の作品。ジョン・アーヴィングのベストセラーの映画化である。監督は「スティング」、「明日に向かって撃て」の巨匠ジョージロイヒル。ガープ少年の成長していく姿を描き、全般はアメリカのほのぼのとしたムードが流れる。


1944年、主人公の母である看護婦ジェニーことグレン・クローズは赤ん坊を連れて実家にもどって来た。両親は、娘の話を聞いて驚いた。グレンはかねて子供がほしいと思っていた。病院へ瀕死の兵士が運び込まれた。患者のアソコが勃起しつづけているのをみたグレンは、彼の上にまたがって受精、妊娠。生まれたのが、この子だというのだ。名前は父親がテクニカル・サージェントだったことから頭文字をとってT・S・ガープと名付けられた。
グレンは男子校に学内看護婦として住み込む。ガープ少年はその男子校へと進学する。青年となったガープことロビン・ウィリアムズは、レスリング・コーチの娘へレンことメアリー・ベス・ハートにひかれる。幼馴染のませた女の子に誘惑されて青空でいたそうとしているのを、その妹で意地悪のプーがヘレンに覗かせたので彼女は怒る。ガープは相手にしてもらえない。こんな場所に長くいても仕方ないと感じたガープは母とニューヨークに行くことにした。
ガープは子供のころから空想癖があり小説家になろうと考えていた。母クローズは文筆活動に興味はなかった。しかし、男子校生活や世の男性の性への関心に興味を持つ。そしてニューヨークの街娼をコーヒー・ショップに誘い、金を払って娼婦について取材する。やがて彼女は「性の容疑者」という本を出版する。出版社の巧妙な宣伝で本はベストセラーとなり、ジェニーは女性解放運動の闘士と見られるようになる。一方ガープは大学で学問の道に入るヘレンとの関係を取り戻しつつあったが。。。。


グレンクローズの子作り話が普通でないけど、あとはハッピーエンドストーリーと思わせた。青春もののような青年期の性の探求もテーマにある。ところが起伏が大きくできて後半ヤマを作る。ただし、手に汗を握る印象はない。全般的にはアメリカ映画特有のほのぼのとしたムードが流れる。やばいシーンもそう感じさせない。連想させるのはトムハンクスの「フォレストガンプ」だ。原作があるせいか、時間内にいろんな話を詰め込もうとしている。脚本に穴ができている印象もある。

ロビンウィリアムズは大好きな俳優だ。ハンサムボーイではないが、主役を張れる貴重な存在だ。見てはずれを感じることはほとんどない。グレンクローズは「危険な情事」のイメージが強すぎる。この映画の彼女が真実の彼女に近いのではないか?この作品をはじめいずれの初期の作品も彼女の演技が一級品であることを示す。最近は舞台中心と聞くが、そろそろもらい損ねたオスカー狙いのいい作品に恵まれてほしいものだ。



またもや最初にビートルズがでた。このところ映画の挿入歌にビートルズとの相性がいい。自分の車でも「ホワイトアルバム」を聴いているせいなのか?ここでは「サージェントペパーズ」にある「when I'm sixtyfour」だ。ポールの歌で、64歳になってこうなりたいという夢、自分を見捨てないでほしいと語る歌。アルバムではジョージのインド音楽の後、緊張を冷やすように「笑い」があってこの歌がスタートする。意識的にのんきだ。
ストーリー的に起伏が激しいのにのんびりしたムードとなっているのはこの歌がテーマソングになっているのもあるかもしれない。
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県警対組織暴力  菅原文太

2011-06-04 05:36:22 | 映画(日本 昭和49~63年)
県警対組織暴力「仁義なき戦い」の好評をうけ、深作欣二監督、笠原和夫脚本、菅原文太主演と同じコンビで昭和50年につくられた作品だ。日本映画史上最高のスピード感を持つ「仁義なき戦い」のスタッフがつくっただけに期待を裏切らない。今回は視点を警察側におき、暴力団に接近する刑事と暴力団同士の抗争を描く。架空の町倉島市としているが、中国地方が舞台だ。主演同様松方弘樹も脂が乗り切っていて、金子信雄、成田三喜夫が個性を出し切る。川谷拓三のチンピラぶりも笑える。実におもしろい映画だ。


時は昭和38年、中国地方の倉島署の刑事久能こと菅原文太は暴力団担当の叩き上げの刑事だ。文太は、大原組の若衆頭・広谷こと松方弘樹と癒着している。広谷は、対立する勢力の川手組長こと成田三樹夫と土地がらみの利権を争っている。文太は6年前、対立する暴力団組長を射殺した松方の犯行を見逃してやった。それ以来二人は固い絆で結ばれている。文太は川手組の縄張り拡張のために職権乱用した事をつきとめ叩きつぶした。混乱がつづく倉島地区を取り締まるため、県警主導で暴力取締り本部が再編成されることになり、県警本部からエリート警部補・海田こと梅宮辰夫が赴任した。梅宮は、法に厳正、組織に忠実、やくざとの私的関係を断つと三点をモットーに本部風を吹かせたが。。。。

警察側からの視点と見る目は異なるが、手持ちカメラ中心の躍動感ある映像は「仁義なき戦い」と同じである。今は暴力団との関係に対して、かなり厳しい目がある。昭和30年代から40年代にかけては実際にこういう癒着はあったかもしれない。自分が癒着する組の対抗勢力に対して厳しい取り調べをしたり、警察の手入れがある時は、事前に情報を組関係者にもらしておいたりする場面などはここでも出てくる。


菅原文太の一番いい時期だ。いきなりチンピラを脅して高価なライターを取り上げたり、川手の子分こと川谷拓三を取り調べるときなどは、全裸にひん剥いたあとで殴る蹴るの暴行を加え、マル秘情報をすっかり吐かせる。このシーンは凄い。一世を風靡した川谷拓三の名をあげたシーンともいえる。みっちり川谷を絞りあげた後で、川谷の女を署内に呼ぶ。川谷はたまっているものを吐き出すかのように女をトイレの中に連れ込みコトをいたす。平然とする文太。痛快だ。
松方弘樹の若衆頭も迫力がある。ホステス役の池玲子を手篭めにするシーンはいかにもヤクザの匂いをぷんぷんさせる。池玲子はなつかしい。東映ピンク路線の代表的存在だ。少年だった自分も当時どきどきしながら彼女を追いかけたものだ。

梅宮辰夫の警部役はそののちの貫禄と比較すると、まだまだという気もする。この時期はまだ組関係者の役が似合っていたのかもしれない。プレイボーイで有名だったころだ。彼のお父さんは私の家の近くで開業していた。内科医院でお世話になった。小学校の校医だった記憶がある。母に言わせると、お父さんの方が息子より男前だ。梅宮先生は腰が低いといつも言っていた。子供心に梅宮医院の看護婦は美人だらけだなあと思っていた。
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密愛  キム・ユンジン

2011-06-02 05:37:13 | 映画(韓国映画)
「密愛」は2002年の韓国映画だ。シュリで北朝鮮のスパイ役を好演した美人女優キム・ユンジンが主演、人気男優のイ・ジョンウォンと共演する。結婚して子どもにも恵まれて幸せな生活を送っていた彼女が、夫の愛人の出現で家庭が崩壊したあと移った田舎町で妻に好きな人ができるという不倫映画である。姦通罪がいまだ存在する韓国では異例の映画だ。
個人的にはキム・ユンジンを見るためにみた映画だ。


主人公ことキム・ユンジンには出版社を経営する夫と小学生の娘がいた。ところが、クリスマス・イヴの家族団欒に夫の女性同僚が突然家に現れる。彼女は夫にべたべたしたあとにキムを殴り倒した。その半年後、一家はソウルから遠く離れた田舎に移り住んだ。事件の傷が癒えず無気力な日々を送る主人公であった。そんな時、主人公は隣家にすむ医師ことイ・ジョンウォンと知り合う。精神安定剤の処方箋をもらいに医師の診察を受けた。そのあと主人公は医師からあるゲームを提案される。それは4ヶ月間割り切った関係の恋人として過ごすこと。ただどちらかが「愛してる」と言ったらその関係は終わりだというのだ。主人公はとまどう。しかし、あるとき彼の車に同乗することになりやがて。。。。。



映画の内容はどうってことない。ただキムユンジンを追いかけるだけだ。これほどのどぎつい演技は韓国映画ではめずらしい気がした。彼女にとっては一つのハードルなんだろう。
彼女は様々な表情を見せる。不倫相手に罵倒されて、失意のどん底に落ちる。その色あせた感じから、不倫を重ねていく中で、驚くほど美しくなる。同一人物とは思えない七変化だ。しかし、それが放物線を描くように転換を迎える。それでも彼女を追いかける。表情が豊かな女性だ。
相手役のイ・ジョンウォンもいい男、自分の若き仕事友達の不動産屋の社長に似ている。その彼の実生活もこのストーリーにそっくりでなんか笑えた。

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陽炎座  松田優作&大楠道代

2011-06-01 19:08:25 | 映画(日本 昭和49~63年)
『陽炎座』(かげろうざ)は鈴木清順監督の代表作の一つだ。前年の『ツィゴイネルワイゼン』の成功を受けて製作され「フィルム歌舞伎」と呼ばれた81年の作品。松田優作演じる新派の劇作家が、大楠道代演じる謎めいた女に翻弄される。



1926年の東京が舞台。新派の劇作家松崎こと松田優作は偶然に、美しい謎の女品子こと大楠道代と出会う。三度重なった奇妙な出会いを、松田はパトロンである玉脇こと中村嘉津雄に打ち明けた。ところが、広大な玉脇の邸宅の一室は、劇作家が謎の女と会った部屋とソックリ。謎の女はパトロンの妻ではと松田は恐怖に震えた。
数日後、主人公は品子とソックリの振袖姿のイネと出会う。イネは「玉脇の家内です」と言う。しかし、驚いたことに、イネは、主人公と出会う直前に息を引きとったという。主人公の下宿の女主人みおは、玉脇の過去について語った。玉脇はドイツ留学中、イレーネと結ばれ、彼女は日本に来てイネになりきろうとしたことなど。そして、イネは病気で入院、玉脇は品子を後添いにした。そこへ、品子から主人公へ手紙が来た。「金沢、夕月楼にてお待ち申し候。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋死なねばなりません……」金沢に向う主人公は列車の中で玉脇に出会った。彼は金沢へ亭主持ちの女と若い愛人の心中を見に行くと言う。金沢では不思議なことが相次ぐ。品子と死んだはずのイネこと楠田恵理子が舟に乗っていたかと思うと、やっとめぐり会えた品子は、手紙を出した覚えはないと語るが。。。。

レトロ基調の美術の色合いがカラフルだ。独特な映像美である。前作同様難解な物語の進行が見るものを困惑させる。でもまったく訳がわからないわけではない。大正末期のセレブ社会を映し出すだけでなく、遊郭や花柳界のあでやかな姿やジャズで踊りまくる場面、旅芝居の芸も登場させて見るものを楽しませる。衣装もあでやかだ。終盤にかけての色彩設計には驚く。



「太陽にほえろ」のジーパン刑事でさっそうと登場した松田優作は、我々少年たちに強烈なインパクトを与えた。学校では彼をまねる少年たちがあちらこちらにいた。殉死した回の演技はテレビ史上に残る名演技でコメディアンたちがモノマネしたものだ。この映画はそんなときから7年たっている。ワイルドで暴れまわる彼とは違った面を見せるので、若干戸惑う部分はある。しかし、この辺りから遺作の「ブラックレイン」までのキャリアは緩急入り混ぜお見事としか言いようにない。



大楠道代というのも強い個性を持つ女優である。この当時はまだ30代半ばで、本来の美貌を残している。今は水商売またはそれあがりのような初老の女性を演じると天下一品である。「人間失格」でレトロなバーのママを演じたが、まさに地で行っていた。作品リストをみると「顔」「赤目四十八瀧心中未遂」「空中庭園」と傑作にしか出ていない。というよりも彼女が出演すると、傑作になってしまうということなのかもしれない。

彼女はもともと大映の女優で、東映の藤純子に対抗して江波杏子とつぼを振っていた。自分は当時五反田にあった大映の映画館の前で「やくざ映画」の看板をじっとみていた。安田道代という女優の名前とその美貌が子供心に妙に印象に残った。でも子供の自分はその「やくざ映画」を見ることなく大映は倒産した。

陽炎座
大楠道代の妖艶ぶり


ツィゴイネルワイゼン
鈴木清順の美学を楽しむ
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