映画「アクトレス 女たちの舞台」を映画館で見てきました。
ジュリエット・ビノシュとは相性がいい。それだけの理由で映画館へ足を運ぶ。クリステン・スチュワートとクロエ・グレース・モレッツの一緒に出ている女優もこれからのハリウッド映画を支えていく存在だ。名女優が20年前演じた出世作に再度オファーがかかる。主人公に翻弄される中年上司の役で受諾するか迷うが、出演に向けてスイスの美しいエリアでマネジャーと稽古に励みながら、若い新進女優との共演に臨むという話だ。
スタートから秘書との掛け合いが続くが、最初は妙に眠気を誘う。スイスに舞台が移ってから少しづつ慣れていくが、女性的な会話が続くので正直なじめない。「イングリッシュ・ペイシェント」や「存在の耐えられない軽さ」のようなジュリエット・ビノシュの代表作とちがいストーリーにしまりがない。男性がほとんど活躍しない映画である。それでも3人の女優の演技自体はわるくない。見応えのある部分もある。バックのクラッシック音楽も選曲がよく、美しいスイスの風景や建物をみているだけでも目の保養にはなったけど。
チューリッヒに向かう列車の中。大女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)と、そのマネージャー兼個人秘書のヴァレンティン(クリステン・スチュワート)が乗っている。マリアは売れっ子、出演依頼の電話はいまだに多い。
マリアは、劇作家ヴィルヘルム・メルヒオールが、その功績を称えた賞を受けることになり、その代理としてチューリッヒに向かっている。20年前、マリアは、メルヒオールの書いた戯曲「マローヤのヘビ」の舞台でブレイクした。メルヒオールは、戯曲のタイトルになったマローヤのすぐ近く、シルス・マリアにいる。
列車の中にメルヒオール死去の知らせが入り、マリアは驚く。チューリッヒに到着すると、メルヒオールへの授賞式に向かう。。夜のレセプションで、売り出し中の若い演出家クラウス(ラース・アイディンガー)が、マリアに面会を求めてくる。クラウスは、「マローヤのヘビ」のリメイクを企画中で、マリアに出演を依頼する。かつてマリアの演じた20歳のシグリッドではなく、シグリッドに翻弄され、自殺を図る経営者のヘレナ役だった。クラウスは、かつてマリアの演じたシグリッド役に、ハリウッドで売り出し中の女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツ)を起用すると、マリアに告げる。ためらうマリアに才能ある演出家の作品なら出るべきとヴァレンティンは出演を勧める。
マリアとヴァレンティンは、シルス・マリアにあるメルヒオールの山荘を訪ねる。メルヒオールの妻、ローザ(アンゲラ・ヴィンクラー)が出迎える。ローザはマリアを、シルス・マリアの近くのマローヤ峠に案内する。雲の流れが、まるでヘビのようになることから、「マローヤのヘビ」だと解説する。 それでもマリアは「マローヤのヘビ」のリメイクへの出演をためらうので、ヴァレンティンが懸命にマリアの出演を促そうとする。そしてヴァレンティンは個人的舞台稽古のあいてになってあげるのであるが。。。
1.シルス・マリアとマローヤのヘビ
原題は「シルス・マリア」である。シルス・マリアは地名で、スイス東南部、高級山岳リゾート地で知られるサン・モリッツからバスで20分程のところにある標高1,815mの小さな集落である。谷筋にある4つの湖が神秘的で、マローヤ峠に雲海がゆったりと流れるさまは「マローヤのヘビ」といわれる。それ自体が主人公が出演する戯曲の題名だ。
映画ではその美しい姿を映しだす。
2.往年の名女優と新進女優の対比
主人公マリアは現在も大女優である。ひっきりなしに仕事のオーダーが入るけど、気難しく気にいらないと出ない。名作「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンは往年の栄光を追い求める落ちぶれた女優だが、決してそうではない。主演でない映画に出る必要もないが、個人秘書にこの脚本家の作品ならと言われ出演を決意する。お世話になった脚本家が亡くなったことも影響があるのであろう。
初対面の共演2人の出会いは、若いジョアンがベテランのマリアに若干ゴマをすり、この子感じ悪くないじゃんと感じる。しかし、そのまますんなりはいかない。まだ若いのに自由奔放に有名作家と不倫をしたり、行動が向こう見ずで大胆だ。自分に自信もある。そしてマリアがある場面で、ジョアンにちょっと間をとったらというと、否定していやがり、そんな必要があるのとかわす。この場面が一番の見どころかなと感じる。
3.ジュリエット・ビノシュ
超名作といえる「イングリッシュ・ペイシェント」「存在の耐えられない軽さ」ばかりでなく、このブログでも「夏時間の庭」とか「ショコラ」なんて作品までとりあげている。「こわれゆく世界の中で」ではいい年をして脱いでいるが、この映画でも気前よく脱いで、真っ裸で泳ぐシーンがある。もっと若いときに大胆になった方がよかったのにと思うが、女心はよくわからん。
実際のマリアの人生に照らし合わせているような戯曲のセリフをクリステン・スチュワートと掛け合いで稽古する場面にはいろんな意味を含んでいるんだろうなあと感じるが、男の自分にはちょっと退屈だな。
(参考作品)
ジュリエット・ビノシュとは相性がいい。それだけの理由で映画館へ足を運ぶ。クリステン・スチュワートとクロエ・グレース・モレッツの一緒に出ている女優もこれからのハリウッド映画を支えていく存在だ。名女優が20年前演じた出世作に再度オファーがかかる。主人公に翻弄される中年上司の役で受諾するか迷うが、出演に向けてスイスの美しいエリアでマネジャーと稽古に励みながら、若い新進女優との共演に臨むという話だ。
スタートから秘書との掛け合いが続くが、最初は妙に眠気を誘う。スイスに舞台が移ってから少しづつ慣れていくが、女性的な会話が続くので正直なじめない。「イングリッシュ・ペイシェント」や「存在の耐えられない軽さ」のようなジュリエット・ビノシュの代表作とちがいストーリーにしまりがない。男性がほとんど活躍しない映画である。それでも3人の女優の演技自体はわるくない。見応えのある部分もある。バックのクラッシック音楽も選曲がよく、美しいスイスの風景や建物をみているだけでも目の保養にはなったけど。
チューリッヒに向かう列車の中。大女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)と、そのマネージャー兼個人秘書のヴァレンティン(クリステン・スチュワート)が乗っている。マリアは売れっ子、出演依頼の電話はいまだに多い。
マリアは、劇作家ヴィルヘルム・メルヒオールが、その功績を称えた賞を受けることになり、その代理としてチューリッヒに向かっている。20年前、マリアは、メルヒオールの書いた戯曲「マローヤのヘビ」の舞台でブレイクした。メルヒオールは、戯曲のタイトルになったマローヤのすぐ近く、シルス・マリアにいる。
列車の中にメルヒオール死去の知らせが入り、マリアは驚く。チューリッヒに到着すると、メルヒオールへの授賞式に向かう。。夜のレセプションで、売り出し中の若い演出家クラウス(ラース・アイディンガー)が、マリアに面会を求めてくる。クラウスは、「マローヤのヘビ」のリメイクを企画中で、マリアに出演を依頼する。かつてマリアの演じた20歳のシグリッドではなく、シグリッドに翻弄され、自殺を図る経営者のヘレナ役だった。クラウスは、かつてマリアの演じたシグリッド役に、ハリウッドで売り出し中の女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツ)を起用すると、マリアに告げる。ためらうマリアに才能ある演出家の作品なら出るべきとヴァレンティンは出演を勧める。
マリアとヴァレンティンは、シルス・マリアにあるメルヒオールの山荘を訪ねる。メルヒオールの妻、ローザ(アンゲラ・ヴィンクラー)が出迎える。ローザはマリアを、シルス・マリアの近くのマローヤ峠に案内する。雲の流れが、まるでヘビのようになることから、「マローヤのヘビ」だと解説する。 それでもマリアは「マローヤのヘビ」のリメイクへの出演をためらうので、ヴァレンティンが懸命にマリアの出演を促そうとする。そしてヴァレンティンは個人的舞台稽古のあいてになってあげるのであるが。。。
1.シルス・マリアとマローヤのヘビ
原題は「シルス・マリア」である。シルス・マリアは地名で、スイス東南部、高級山岳リゾート地で知られるサン・モリッツからバスで20分程のところにある標高1,815mの小さな集落である。谷筋にある4つの湖が神秘的で、マローヤ峠に雲海がゆったりと流れるさまは「マローヤのヘビ」といわれる。それ自体が主人公が出演する戯曲の題名だ。
映画ではその美しい姿を映しだす。
2.往年の名女優と新進女優の対比
主人公マリアは現在も大女優である。ひっきりなしに仕事のオーダーが入るけど、気難しく気にいらないと出ない。名作「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンは往年の栄光を追い求める落ちぶれた女優だが、決してそうではない。主演でない映画に出る必要もないが、個人秘書にこの脚本家の作品ならと言われ出演を決意する。お世話になった脚本家が亡くなったことも影響があるのであろう。
初対面の共演2人の出会いは、若いジョアンがベテランのマリアに若干ゴマをすり、この子感じ悪くないじゃんと感じる。しかし、そのまますんなりはいかない。まだ若いのに自由奔放に有名作家と不倫をしたり、行動が向こう見ずで大胆だ。自分に自信もある。そしてマリアがある場面で、ジョアンにちょっと間をとったらというと、否定していやがり、そんな必要があるのとかわす。この場面が一番の見どころかなと感じる。
3.ジュリエット・ビノシュ
超名作といえる「イングリッシュ・ペイシェント」「存在の耐えられない軽さ」ばかりでなく、このブログでも「夏時間の庭」とか「ショコラ」なんて作品までとりあげている。「こわれゆく世界の中で」ではいい年をして脱いでいるが、この映画でも気前よく脱いで、真っ裸で泳ぐシーンがある。もっと若いときに大胆になった方がよかったのにと思うが、女心はよくわからん。
実際のマリアの人生に照らし合わせているような戯曲のセリフをクリステン・スチュワートと掛け合いで稽古する場面にはいろんな意味を含んでいるんだろうなあと感じるが、男の自分にはちょっと退屈だな。
(参考作品)
存在の耐えられない軽さ | |
ジュリエット・ビノシュの出世作、当時23歳 | |
夏時間の庭 | |
ジュリエット・ビノシュとオリヴィエ・アサイヤス監督とのコンビ作品 | |