映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

今年読んだ本

2010-12-31 22:06:02 | 
今年は150を超えたが目標の200冊読むことができなかった。
娘の受験があって、自分が教えるために問題集をやったりした。
それで時間を使ったかもしれない。

小説は何はともかく「1Q84」№3が印象に残る。
離れていた二人の接近のまとめ方にうまさを感じた。
読み切った後、村上春樹作品を読み返してみた。そこら辺の連載小説のような軽さはなく、どれもこれもじっくりと練られてつくられている。「カフカの海」「ねじまき鳥」は同じように練られていて小説を読んだという感じがほかの作家でしなくなっているのはちょっとまずいかも?

最近の経済情勢を反映して、論調がどれもこれも似たような気がした。
それでも読んだ甲斐があったのは

「成熟日本への進路」波頭亮
コンサルタントらしく、図表や数値を用いて日本の現在の状況を分析して、彼なりの日本の処方箋を書いていた。日本は成熟期に入ったと論じる。もうこれ以上今までの策をとっても経済成長はしないとしている。成長から分配策をと主張する。非常にわかりやすく現在の問題点がうきぼりになった。
「高福祉だから自由経済」という論理が、デンマークと日本の比較数値で的確に説明されていたのに感銘した。
「手厚い社会保障と固い雇用保護は、国民経済を不健全にさせる。」
公務員制度に対してもするどい論理を述べる。これまでの行政改革がことごとく官僚制度の強い抵抗にあって失敗したことも論じる。

「競争と公平感」大竹文雄
日本人の競争嫌いを論じた後、市場経済に対する拒否反応が強い日本の現状に疑問を呈する。
「日本の学習指導要綱では市場競争のメリットを教えるように書かれていない。」
「日本人は選択や努力以外の才能、学力、運などの理由で所得格差が発生することを嫌うため、そのような理由で格差が発生したと感じると、実際のデータ以上に格差感を感じる。」
格差社会言及に対する疑問である。
その他相対的貧困率が上昇の理由、正社員と非正規社員の問題、増えた祝日の功罪、最低賃金引き上げが労働市場に与える影響など。。。。
書き出すとつきない。わかりやすく面白い。

「分かち合いの経済学」神野直彦
これも最近特有の論調だ。労働市場についての矛盾を論じる。
意見が一緒という訳ではないが、興味深かった。
「歴史の曲がり角では、進む目的を間違えないように、車を止めてでも地図で目的地と現在地を確認する必要がある。」

無頼派の宗教学者植島啓司「生きるチカラ」が一番面白かった。
彼の本は必ず買って読んでいる。ばくち打ち的な発想が根底に流れている。
本音で語っていてくれるのがいつもうれしい。
「あらゆる選択には誤りが含まれており、成功か失敗かは簡単には判断付かない」
「予想外の収入は往々にしていい結果をもたらさない」
「1つのプラスでその人を好きになる」

スタンフォード大学のティナ教授が書いた「20歳のときに知っておきたかったこと」
日本の閉塞感のある論調とちがい、自由に論じている。
「手元に5$ある。2時間でできるだけ増やすといわれたらどうする?」
「ニーズを掘り起こすのに必要なのは、世の中のギャップを見つけ埋めること」
「1939年のサーカスとシルクドソレイユの違い。」
「問題解決に必要なのは、鋭い観察力、しっかりとしたチームワーク、計画を計画で終わらせない実行力、失敗から学ぼうとする前向きな心、独創的な解決策、必ず解決できるという気概である。」
「並はずれた業績を達成した人の最大の味方は、他の人の怠慢である。」
「外に出て多くの物事に挑戦する人の方が、電話がかかってくるのをじっと待っている人よりも成功する確率は高い」
「他人から学ぶことで失敗の確率は下げられる」
「努力すればするほど運はついてくる。」
「最高のチームプレイヤーは他人を成功させることに労を惜しまない」
などなど。。。書ききれない。実に感心した本だ

伊丹敬之「場の論理とマネジメント」には実際の仕事に生かしてみようとしたいことがたくさんあった。

最後は子供の受験準備にかかわり何気なく知った本だ。

有賀悠(ゆう)さんの勉強本
伝説の勉強本で、現在絶版である。でもこんなに凄味のある本があったとは驚いた。
今でも彼の発想をほとんどまねして書かれている勉強本はある。
本から伝わる迫力がぜんぜん違う。
東大薬学部を卒業する時点で、大学院試験と薬剤師国家試験、上級国家公務員試験と東大理Ⅲの大学入試4つに受かったという恐るべき実績を持つという。これってすごいなあ。
その昔こんなこと知っていたらとついつい思ってしまう。
「記憶ノート」「再生記憶と再認識記憶」の話には感嘆した。
「使える記憶だけが得点になる」
「まず5回読むこと。新しいことが行動パターンとして頭に定着し、習慣になるには100時間への脳への刷り込みが必要といわれている。習慣化するまで繰り返すこと。。。。。。」
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年末うだうだ

2010-12-31 19:36:33 | Weblog
クリスマス前21日に忘年会は終えた。
浦安のベイサイドでの関連業者さんの忘年会に招待されて、雨が降っているにもかかわらず午前3時近くまで飲んだ。これが間違いのもとになった気がする。

その翌日22日は一日二日酔い。通夜があり埼玉で
クリスマスは自宅で過ごしたが、少しづつ忘年会疲れが見えてきた。
その週末の早朝が実に寒かった。この朝夜の寒さで風邪をひいた。
27日仕事納めだったので会社に気合で行ったが、一日しんどかった。
今年は仕事面ではいい年だった。12月の成績も抜群にいい。
納会はたらふく飲んだが、翌日28日医者に行った。
近所の町医者で、カルテからすると2年半ぶりだそうだ。風邪薬をもらったら少しは良くなる。
29日から娘と勉強を始めた。日曜日祭日中心だった数学中心の演習、入試過去問がもう一歩解けない。
細かく解き方を説明して、解き直しさせる。
まあダメな問題を何度も繰り返してとけばいいだろう。

30日は品川の家に行き、妹と一緒に高輪の寺に行って墓参り
正月に向けて家の身のまわりの準備もした。
家の本が増えすぎたので品川の家の本棚へ運ぶ。首都高速は渋滞はない。
むしろ高速1000円の正月明けの方が込むかもしれない。
今日31日は映画を見ながら過ごした。

あとは紅白歌合戦をみて一年を終了させるだけだ。
今始まったところ、桑田が出るらしいのでそれはみたい!
あとは加山雄三がどう歌うのか注目している。
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クレイジーハート  ジェフブリッジス

2010-12-31 15:08:50 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
今年最後の映画である。ちょうど222本できりのいい数字で終える。

「クレイジーハート」はジェフブリッジスが念願のオスカー主演男優賞をついに受賞した作品だ。落ちぶれた酒びたりのカントリー歌手を演じる。若き日より好きだったジェフブリッジスの記念すべき作品だけにロードショウで観るべきだったが、時間がなかった。ようやく大晦日に観ることができたが、すばらしい心温まる作品であった。

かつて一世を風靡したカントリー歌手ことジェフ・ブリッジスはドサ回りの歌手に落ちぶれていた。ボーリング場の片隅で歌ったり、ジェフはさえない気持ちを酒で紛らわしていた。

ジェフは演奏するサンタフェのバーで、バンドのピアニストから、彼の姪で地元紙の記者ことマギー・ギレンホールの取材を受けるよう頼まれる。久々の取材を引き受け、ジェフはマギーと打ちとける。しかし、若手トップシンガーとして人気を集めている元の弟子ことコリンファレルの話や彼の子供の話になり、取材を打ち切る。翌日再度演奏に訪れたジェフとマギーは気持ちを盛り上げ情交を交わす。彼女には4歳の息子がいて、離婚の痛手から控えめに接する。そんな時昔の弟子の前座にという話がプロポーターからくるのであるが。。。

昔の名優が落ちぶれた姿をあらわにする設定がよく見られる。ミッキーロークの「レスラー」もこれに近い内容だ。ジェフブリッジスは自らカントリーソングを歌う。それだけでも大したものだ。酒場で歌うカントリーのサウンドはすんなり受け入れられる。非常に叙情的だ。
彼は酒におぼれた姿を身体で露骨に表わしている。その昔「カリブの熱い夜」の彼の腹は明らかに割れていた。今はブヨブヨだ。本当に酒を飲んで演じたようなリアル感があった。



そこに現れた女性がマギー・ギレンホールだ。記者という素性にあった知的な雰囲気を醸し出す素敵な存在だ。ショートカットがよく似あい、ダメ男へのやさしい母性も見せる。目の前に現れたら、一気にいってしまいそうな魅力的な女性だ。ジェフは昔の杵柄でいまだに中年ファンにはもてる。しかし、彼女が現れて人生をやり直そうとする気持ちすら起こす。そんな姿をうまくとらえている。



元の弟子であるスター歌手の顔を見て、あれ!と思ったらやはりコリンファレルであった。ちょっと意外であった。頭を後ろに束ねた若手人気歌手という設定で自ら歌っているらしい。うまいと思う。元の親分を自分の前座にするのが、歌手の夢だというセリフがあった。それだけは避けたいと、主人公は抵抗するが、金銭的問題で素直に受け入れる。でもこのあとの2人のセリフは非常に友好的だ。こういう設定の場合お互いをののしりあったりする場面が出てきそうだが、それがない。それもこの映画を心地よく感じさせる一つの要因であろう。

「ラストショー」「スターマン」「カリブの熱い夜」「恋にゆくえ」「シービスケット」「アイアンマン」少年のころからずっと長いキャリアを積み重ねてきた彼がオスカーを取ったのは本当にうれしい!せめてものご祝儀に映画館で観れなかったのは今年一番の悔いに残ることだ。
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ザ・ファーム  トムクルーズ

2010-12-31 11:33:16 | 映画(洋画 99年以前)
93年のシドニーポラック監督の作品でトムクルーズが若き弁護士を演じる。
観た気がするのだが、すっかり内容を忘れていた。なぜだろう?
ファーム 法律事務所という題名だが、法廷ものではない。法律事務所と依頼人との関係にスポットをあてて、若き弁護士が大きな陰謀の渦に巻き込まれる話である。
ここでもデイブ・グルーシンの音楽が抜群。彼自身による素敵なピアノソロをバックに南部の都市メンフィスを美しく舞台にする。途中タックスヘイブンで有名なケイマン諸島の美しい避暑地の映像も映し出し、目を楽しまさせてくれる。もう少し短くてもいけるかな?という気がするが、シドニーポラックの前作「愛と哀しみの果て」の凡長さに比べると、ミステリーの色彩がある分楽しめる。


ハーバード大学を5番以内の成績で卒業した主人公ことトム・クルーズは、NYやシカゴの法律事務所の強い勧誘を受けるが、それを上回る条件の南部メンフィスにある法律事務所に就職した。小学校の教員である妻ことジーン・トリプルホーンはためらったが、説得してメンフィスへと向かった。教育係ことジーン・ハックマンの下で猛烈に働き始め、事務所の仕事と司法試験の準備に精を出した。
そんな時事務所の2人の弁護士がケイマン諸島で事故死したと知らされる。そんな彼の前に、謎の男エド・ハリスが現れ、二人は事故死でないことを告げた。他にも死んだ弁護士が2人いるという。疑問を抱きながらもトムは、依頼人にあうためハックマンと共にケイマン島に赴く。トムは島の別荘で、多数の謎の書類を発見する。島から戻ったトムは、収監されている兄に面会に行く。トムは兄に紹介された私立探偵のエディに、死んだ弁護士についての調査を依頼した。ところが私立探偵がマフィアまがいの男に射殺される。そしてその殺害について話したいことがあると謎の男エドハリスがFBI捜査官と名乗り近づいてくるが。。。


トムクルーズが出た映画は基本的に観て損したというのはそんなにない。それなりにお金もかかっているし、監督もみな一流だ。映像も非常に楽しめるものが多い。93年と言えば彼が最も活躍した時期である。ここでも彼らしいアクションで頑張りを見せる。

でもそれをひきたてているのが名脇役たちであろう。
エドハリス、ジーンハックマン、ホリーハンターと3人の芸達者に助けられている。
エドハリスの顔を見ると、また悪の黒幕かとつい思ってしまうくらい悪役がよく似合う俳優である。ここではFBI捜査官であり、いつものあくの強さが抑えられている。
ジーンハックマンはイーストウッドのオスカー西部劇「許されざる者」を撮ったすぐ後の作品だ。70年代のように主役を張るわけでなく、自分の立場をわきまえ、悪徳法律事務所の中でトムのインストラクターを演じる。ここでは「許されざる者」のような悪役ではなく、情のあるワルを演じている。

ホリーハンターがいいキャラしている。私立探偵の秘書をしているフーテン風女を演じる。個人的にはコーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」での彼女が好きだ。ここは堅気な役ではない。でも途中から格段の活躍を見せる。彼女もオスカー女優賞をもらった「ピアノレッスン」のすぐ後である。
こういう芸達者に囲まれると影が薄くなるクルーズはいつになったらオスカーがもらえるのか?


メンフィスは黒人が多い都市だ。またプレスリーが育った町としても有名。アレサフランクリンもメンフィス生まれだ。ブルースの町であるのがこの映画でもよくわかる。黒人中心の風俗をうまく映し出す。こういう行ったことのない街の様子がわかるのも映画の醍醐味だ。途中プレスリー狂の男が出てくる。これが茶目っ気があってうれしい。巨匠シドニーポラックも少し遊んでいるかも?
そういえば矢沢永吉の「トラベリンバス」にもメンフィスの地名が出てくる。キャロルのころ「メンフィステネシー」歌っていたなあ。あ!あれはジョニー大倉のボーカルだったか。
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殺しのドレス  アンジー・ディッキンソン

2010-12-30 05:21:49 | 映画(洋画 89年以前)
エロティックサスペンスなんて言い方、いやらしいけど、男の哀しいサガでついつい観てしまう。
時は80年に入るところ、映画が放映された記憶はあったが、観ていなかった。
「殺しのドレス」は今も現役で活躍するブライアン・デ・パルマ監督のサスペンス映画である。二人の美女のナイスバディをあらわにしながらドキッとさせる。若き日の脚線美で有名なアンジー・ディッキンソンの怪演が見モノである。


マンハッタンの魅力的な中年女性ことアンジー・ディッキンソンのシャワーシーンからスタートする。
彼女は突然たくましい男に襲われる夢をときどき見ていた。そのため精神分析医ことマイケル・ケインのクリニックにかよっていた。彼女にはコンピューターオタクの息子がいた。1人で街に出たアンジーは、心療内科医のマイケルを訪ねた。彼は夫のセックスへの不満を聞いてアドバイスをした。
アンジーは美術館へと向かった。美術館で彼女は1人の男の視線を感じ、ふらふらと男を追いかける。彼女は誘われるままにその男とタクシーの中で情事を交わし男のアパートヘ行く。熱い情事から目を覚ましたあと、急いでその部屋を出た。ところが、途中指輪を忘れて来たことに気づきエレベーターで戻ったところ、刃物をもった妙なブロンド女が乗ってきたが。。。。

このあと若手女優のナンシーアレンを活躍させる。その後ブライアン・デ・パルマと結婚する女性だ。
二通りのエロティックな楽しみがあるのはいい。ただ流れているのは東京12CHのドラマ「プレイガール」のドタバタエロティックサスペンスの匂いだ。



ここでの殺しのシーンはなかなかどぎつい。しかも、恐怖感に襲われるシーンも続出する。B級センスの映画だが、飽きずに見れてしまう。現実と虚実の境目をわからなくさせてしまう妄想シーンが多い。
ブライアン・デ・パルマ監督はその扱いがうまい。
序盤のメトロポリタン美術館でのシーンは実際にロケしたのであろうか?あの広大な美術館の中を主演がさまよう。そのさまよう姿も何かに幻惑されているようだ。



アンジー・ディッキンソンは若いころからジョンウェイン「リオブラボー」などで脚線美を披露している。調べるとなんとバートバカラックの奥さんだったようだ。65年から80年はバカラックの全盛時期にあたる。ところがこの映画の直前に離婚。その直後のかなりきわどい作品だけに、最近の日本のアイドルたちの離婚劇と通じるものがあるのであろうか?と感じてしまう。50にしてのこの作品は凄味を感じる。
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ウォーカー  デンゼルワシントン

2010-12-29 21:24:58 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
大好きなデンゼルワシントンということだけで観たが、やはり苦手の未来モノで合わなかった。
核戦争で地球が崩壊してというのは、どうも個人的に苦手な設定である。
序盤戦で流れたビージーズの全米№1ヒット「傷心の日々」が妙に心に残った。



近未来の設定、世界が崩壊した後“ウォーカー”ことデンゼル・ワシントンが、広大な大地を一人歩き続けていた。世界に一冊だけ残されたある“本”を携えていた。その本を誰に、何のために届けるのか、一切の理由も目的も知らずに30年間、ひたすら西へ向かって歩いていた。水脈を独占する独裁者ことゲイリー・オールドマンが君臨する街を訪れた。ウォーカーが部下たちを一瞬にして倒したことを知ると、その腕前に興味を抱いた。そこには盲目の情婦とその娘が暮らしていた。娘はウォーカーが本を持っていることに気付き、ゲイリーに伝える。それこそ自分が捜し求める本に違いないとゲイリーは、立ち去るウォーカーを包囲した。
本を巡って両者の間で開始される銃撃戦。だが、ウォーカーは銃弾をかいくぐり、次々と敵を倒していく。歩き出したウォーカーの後を娘が追い逃げるが、ゲイリーオールドマンが追いかけていく。。。。

その本に記された言葉だけが、真に人々の心を支配できるという。
日本人にとってはそういう本はないかもしれないが、キリスト教徒にとっての聖書、イスラム教徒にとってのコーランはそういう本にあたるのであろうか?そんなことを考えてしまった。

イメージ通りの灰色の映画であった。
あまり元気を与えてくれない映画だけに他を観た方が良かったかも?
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大菩薩峠 市川雷蔵

2010-12-29 05:55:22 | 映画(日本 昭和35年~49年)
中里介山の原稿用紙1万5千枚におよぶ大著として有名な「大菩薩峠」である。
主人公の机竜之助を市川雷蔵が演じる。中村玉緒、山本富士子と当時の大映美人女優が脇を固める。この主人公は正義の味方ではなく、むしろとんでもない剣士である。剣のライバルの女を手篭めにしたり、無実の他人を意味もなく斬ったりする冷酷な男である。東映の時代劇の明るい雰囲気に対して、大映の時代劇は夜のムードが強いのが特徴である。この映画も美術、照明の巧みさでスリラーと思しき匂いをさせる。


時は幕末、甲州裏街道の大菩薩峠で、一人の老巡礼が武士机竜之助こと市川雷蔵に意味もなく斬殺される。老巡礼の孫娘お松(山本富士子)は、通りがかった盗賊裏宿の七兵衛に助けられ、養育される。竜之助は道場の若師範であった。その青眼音無しの構えは恐れられていた。甲源一刀流の師範宇津木文之丞は奉納試合で竜之助と立ち会うことになっていた。その内縁の妻お浜こと中村玉緒は妹と偽って竜之助を訪ね、試合に負けてくれと懇願する。竜之助は拒絶するばかりか、お浜を犯してしまう。あげくに竜之助は奉納試合で宇津木の脳天を叩き割ってしまうのであるが。。。。



その後主人公はライバルの妻中村玉緒を連れて江戸へ向かう。中村玉緒は愛憎の狭間で苦しむ。同時に主人公に恨みを持つ人たちが復讐を企てる。それ自体を単なる剣士同士の対決話ではなく、スリラー、ホラーの匂いをにじませる描き方をする。市川雷蔵の姿が妖気にあふれ、鬼気迫る画面にぞくっとさせられる。

中村玉緒が昔は美人女優だったというと、信じられない顔をする人が多い。娘は驚いていた。この映画はかなり特殊な存在であるが、彼女も21の若い色気を強くにじみ出す。それ自体がなぜかおかしい。
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バトルオブシリコンバレー 

2010-12-28 14:17:18 | 映画(洋画 99年以前)
アップル社とマイクロソフト社の起業初期の興亡を描いた作品である。
ツタヤの復刻シリーズの1つとしてレンタルした。掘り出し物の傑作ぞろいの中では陳腐であった。

どちらかというとアップル社の方にウェイトがおかれる。アップル社の設立と、どのようにMacintoshを作るに至ったか、そして如何にジョブズはレイオフされるようになったかの顛末を語る。一方、マイクロソフト社のビルゲイツの若き日の成長過程も描いているが、ウィンドウがマッキントッシュの真似をしたことが強調されている。すでに聞いたことがあるエピソードが多い。スティーブ・ジョブズの退社前のご乱交は実際にとれほどまでに激しかったのか?非常に口が悪いといううわさは聞いているが実際のところどうなんだろう。

まだ現役バリバリの人間を描くのはなかなか難しい。スティーブについては一度失脚した後、再度アップルに戻った。

戻って間もないころなので、スティーブについては特に辛口だ。
この映画から10年たって最近の活躍は輝かしいものである。今作ったらどうなるのかな?
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浮草  小津安二郎

2010-12-26 19:31:59 | 映画(自分好みベスト100)
小津安二郎で一番の作品と言われれば、迷わず「浮草」としている。
松竹専属の小津が初めて大映で撮った作品である。先日「ノルウェイの森」を観た時、雨の使い方がうまく、ブログに「浮草」を思い出したというコメントを書いた。改めてみて、やはりうまいと思う。



中村鴈治郎、京マチ子に加えて若手の若尾文子、川口浩をからませる。そこに小津作品常連の笠智衆、杉村春子が加わって当時としては豪華キャストである。旅芝居の一座が志摩半島のある街に行く。そこには親方中村鴈治郎の昔の女杉村春子がいて、今の女である京マチ子が嫉妬するという話である。
話は実に単純で、小津作品らしいわざとらしい脚本であるが、芸達者がそろって演技は完ぺき、宮川一夫カメラマンによるカラー撮影がすばらしく、どう考えても小津作品ではずば抜けている気がする。

志摩半島にある小さな港町。そこに12年ぶりに旅回りの嵐駒十郎一座が来た。座長こと中村鴈治郎を筆頭に、京マチ子、若尾文子など総勢十五人、知多半島一帯を廻って来た。鴈治郎と京マチ子の仲は一座の誰もが知っていた。だがこの土地には、鴈治郎が若い頃に子供まで生ませた飲み屋の女将杉村春子が住んでいた。その息子こと川口浩は郵便局に勤めていた。杉村は川口に、鴈治郎は伯父だと言い聞かせていた。鴈治郎は、川口とつりに出たり、将棋をさしたりした。不在がちな鴈治郎に京マチ子が感づいた。鴈治郎を罵倒するが、息子と遊んで何が悪いと開き直る。そこで京マチ子は妹分の若尾文子をそそのかして川口を誘惑させようとしたが。。。。

いつもの松竹のセットでつくっている小津作品とは違った色彩である。旅芸人の親方を演じた中村鴈治郎のあくの強さが全面に出ているからだろう。小津作品特有の平穏な家庭ではなく、昔堅気の旅芸人の世界である。猥雑さがツンとくる。そして昔カタ気のしきたりを示すような「上方風手締め」の場面がでてきて、一時代前の匂いをプンとさせる。
今の役者が同じように演じようとしても絶対にできない鴈治郎の絶妙のうまさが感じられる。
京マチ子もいい。女の業の深さをあらわにする情念あふれる演技は、彼女ならではのものである。当時35歳、女ざかりの彼女の色気は相変わらず我々をドッキリさせる。ついたり離れたりするこの男女の絆は成瀬の「浮雲」と通じるものがある。鴈治郎の方が男っぽいが。。。
いずれにせよ小津安二郎の役者使いのうまさがにじみ出ている。



当時の大映の看板カメラマン宮川一夫の巧みなカメラワークが抜群にいい。基本は小津作品特有の切り返しショットと低いカメラアングルで、それは変わらない。しかし、美的センスが一段上の気がする。カラーを意識した巧みな美術、京マチ子、若尾文子が着る夏のきもの色遣いがすばらしい。志摩の田舎町のたたづまいもなつかしい雰囲気だ。映像を楽しむ要素が盛りだくさんである。

降りしきる雨の中、ののしりあう鴈治郎と京マチ子を巧みに映す場面は他の小津作品にあるであろうか?日本映画史上に残る名場面である。
改めて小津のベストと再認識した。
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恋のゆくえ ジェフ・ブリッジス

2010-12-26 18:12:50 | 映画(洋画 89年以前)
クリスマスイブは早く帰った。シャンパンを飲みながら家族3人で祝った。
酔いにまかせながら映画「恋のゆくえ」を観た。
これが実によかった。期待しないで掘り出し物を探し出したようで気分がいい。

「恋のゆくえ・ザ・ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」はジェフブリッジスが兄ボーと組んで、売れないピアニストを演じる。そのバンドでミシェル・ファイファーがボーカリストを演じる。これが実にすばらしい。クレジットを見ると音楽がデイブクルーシンだ。そのままヒュージョン音楽の渦に入ると思いきや、ミッシェルの吹替え無しで挑んだ素晴らしいボーカルに魅せられた。
音楽の素晴らしさだけでなく、脚本のうまさにも驚嘆する。傑作だ。


アメリカのシアトル、主人公の兄弟ことジェフ・ブリッジスとボー・ブリッジスは“ザ・ファビュラス・ベイカー・ボーイズ"というピアノデュオを組んでいる。人気が落ちマンネリ化で興行を降ろされたのをきっかけに兄ボーは、女性ヴォーカリストを加えることを提案する。歌手のオーディションでは37人参加するが全部ダメ。がっかりした二人の前に遅刻して現れたのはミシェル・ファイファーである。粋な彼女の歌に魅かれ採用する。破天荒な振るまいであるが、観客のハートをつかんでいく。そして彼らは人気を取り戻す。そしてジェフとミッシェルはしだいに恋におちていくのだが

兄ボーは不安定な世界で生きていながら、温かい家庭を守っていく安定を大切にするタイプ。
弟ジェフはピアノの腕前は天才肌。ハンサムで女性にはモテる。気ままな独身生活を楽しんでいるように見えるが、同じアパートに住む孤独な女の子以外に心を開かない。正統派モダンジャズをやりたいが、意に沿わない音楽でナイトクラブをまわっている。

そこに加わるミシェル・ファイファーは美人だが、若干下品なイメージも持つ。気が強く、強烈な個性を持っている。基本はのちに演じる「バットマン」のキャットウーマンと同じ匂いだ。
そのミシェルの歌が実に素晴らしい!当然吹き替えと思ったら、なんと彼女が歌っているということだ。
日本ではハイファイセット山本潤子が歌った「Feelings」80年代ディスコナンバーへの編曲が有名な「Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)」などを歌い、エンド・ロールではジャズの名曲「My Funny Valentine」を歌う。イヤー驚いた。ぶったまげた!
一番すばらしいのが、スタンダードの名曲「makin whoopee」だ。ピアノの上に横たわりながら歌う彼女の色気に完全ノックアウトである。こんなジャズクラブがあれば毎日でも通うなあ!



これだけは言いたいのは脚本の見事さだ。
この映画は当時29歳のスティーヴ・クローヴスの脚本、監督である。彼は「ハリーポッター」シリーズの脚本であまりにも有名だ。
兄弟の会話、ミシェルとジェフの会話、ジェフとアパートに居候する少女との会話
どれも味がある。一言では語りつくせない見事さだ。

でもあえて特筆するなら、ジェフブリッジスがアパートの部屋に居候する少女と会話する場面だ。
ジェフがいやなことだらけで家に朝帰りしたときに、世話焼きの少女がジェフに「卵焼きつくろうか」「コーヒー入れようか」という。ジェフが「うるさい!」とかんしゃくを起すと、彼女は黙ってその部屋から上がれる屋上へ
心配したジェフも屋上にあがり、座っている少女の隣に座る。
少女「良くないことあったんだね」ジェフ「うーんそうだ」と。
そしてジェフは少女の手をやさしく握る。
たどたどしいジングルベルしかピアノが弾けない彼女に「ピアノ教えてあげるよ」という。
ほほ笑む少女。。。

この場面に涙が出た。ジーンとした。
そして正月娘の受験勉強ずっと付き合っていこうと思った。
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フォークリスマス  リース・ウィザースプーン

2010-12-24 04:56:35 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
フォークリスマスは日本未公開のクリスマスコメディ映画である。
オスカー女優リースウィザースプーン主演でアメリカでは大ヒットした。クリスマスをいつも2人だけで過ごしていたカップルが、あるハプニングで双方の面倒な家族と過ごすハメになるラブコメディ。
このフォーは4で、4つの家族のクリスマスの意味だ。これも深く考えずにシンプルにみるのが良いと思う。



付き合い始めて3年の、結婚もせず子供も作らない主人公の二人ヴィンス・ヴォーンとリースウィザースプーン。クリスマスには、二人きりで海外へバカンスに出掛けていた。しかし、深い霧で全て欠航となる事態に見舞われた上、空港でTV中継に映ったことでバレてしまい、仕方なく双方の家族と過ごすことになる。それぞれの両親とも離婚しているため、4つの家族のクリスマスホームパーティを巡るハメに。いずれも個性豊かな家族で、ハチャメチャの騒動に巻き込まれていくが。。。。

ドタバタコメディであるが、出演者は豪華である。ロバート・デュバルやジョン・ヴォイトとこのブログでも再三取り上げた名優が両方の父親役で出てくる。いずれも老けたなあ!という印象だ。それでもテンポのいいこの作品についてきている。貫禄だ。


色彩設計に優れ、最近のラブコメディ同様完ぺきな美術セッティングである。クリスマスの描き方が美しく、目を楽しまさせてくる。リースウィザースプーンも相変わらずノリがいい。主演男優のヴィンス・ヴォーンは現代アメリカンコメディでは外せない俳優である。アメリカでヒットした「ウェディングクラッシャーズ」も日本公開されなかった。日本では評価されていないが、味がある。バカができるって素晴らしい。腹を抱えて笑うシーンも用意されている。

結婚が人生の墓場としていた二人が、次第に家庭の温かさに目覚めていく。
そこがほのぼのとさせる。


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めぐり逢えたら  トムハンクス&メグライアン

2010-12-23 14:12:54 | 映画(洋画 99年以前)
クリスマスまであと一日、少しでも気分を盛り上げていきたい。
「めぐり逢えたら」はトムハンクスとメグライアンのゴールデンコンビによる93年のラブコメディ。妻を亡くして失意の男と婚約者がいるボルチモアの女性との恋の物語。ケイリーグラントとデボラカーの名作「めぐりあい」を意識すると同時に、恋のスタンダードナンバーをバックに流しながら恋人たちの気持ちを盛り上げていくカップル向きの映画だ。最初に見たときに比較すると、アラも目立つがラブコメディだけに単純にみたい。


最初にシアーズタワーが画面に出てくるのでシカゴとわかる。主人公の建築士ことトムハンクスの妻の葬儀のシーンだ。妻に先立たれ失意のトムはシアトルに移住する。悶々とした父親を心配した8歳の息子がラジオ番組にリスナー参加する。それはトーク生番組で、「落ち込んでるパパに新しい奥さんを」と切々と訴えていた。続いて電話口に出た父親トムがやるせない心境を訴えた。それを聴いていたボルチモアの新聞記者ことメグライアンの胸に響く。彼女には婚約者がいた。でも妙にその話に関心を持ち、彼と接触を持とうとすることになるが。。。。


90年代のメグライアンの活躍はすごかった。ラブコメというと彼女なしでは成立しないくらいの勢いだった。その当時は彼女の出演する映画はほとんど観ている。こののち「ユーガッタメール」でもトムハンクスと共演する。そのころまでが彼女にとって一番いい時期だったのではないか?
トムハンクスもコメディアンから演技派への転換を図っているころ、この作品の後「フィラデルフィア」「フォレストガンプ」で2年連続オスカーの快挙を成し遂げる。

クリスマスのパーティシーンがでてくるが、アメリカ映画らしい素敵な美術設計だ。イルミネーションが美しい。そこにナットキングコールの「スターダスト」やフランクシナトラの歌をからめる。それだけでご機嫌になる。シアトルでのトムハンクスが居住する海辺の家も味がある。舞台設定がよく気分を盛り上げる。



この映画の最終舞台はエンパイアステートビルだ。
このビルには強い思い入れがある。小学校の低学年の時、「世界で一番高い建物って何?」という話題になった。僕は自信を持って「東京タワー」と答えた。しかしそのあとある男の子が「エンパイアステートビル」と答えた。「エー!何それ」と思った。家に帰って少年向けの社会科図鑑を見て確認したら、はるかにエンパイアステートビルの方が高いではないか?それ以来妙にこのビルが気になった。
初めてニューヨークに行った時、何はともあれ「エンパイアステートビル」に登りたいと思った。このビルの展望台はオープンエアである。今は亡き国際貿易センタービルを遠くに見ながら、少年のころからの念願がかなったことで感慨にふけったものだ。

そんなビルにからめた素敵な映画は多い。この映画を見ながら今年も気分のいいクリスマスを迎えたい。明日は早く帰ろう。
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映画 ノルウェイの森 2

2010-12-19 20:24:39 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
時代考証については、考えられていたと思う。
自分が大学にあがったときには、学園紛争の匂いはほとんど無かった。だからこれについては詳細は語れない。自分の母校も学生運動全盛時にはそれなりにあったみたいだが、もともとは学生運動が似あわない学校である。自分は今でも学生運動をやっていた人間はクズだと思っているくちである。

それはさておいて
村上春樹が主人公の原型と考えると、映画の服装その他が違うと思わせるところがある。
主人公の服装は、確かに当時の大学生が着ていたタッチである。
プレイボーイの先輩の雰囲気はまさにそれだという適切さだと思う。


村上春樹は神戸に生まれ、若き頃当時VANのブランドが好きであったとインタビューで語っている。
少なくともこの映画の主人公のようなダサい服装ではなかったのではなかろう。
レコード屋で働いている設定ということもあるんだからもう少し違うんじゃないかな?
松山コウイチについては好演だったと思う。
服装はともかく、主人公のナイーブさはよく表現していたと思う。

あとはミドリの設定である。
小説と映画が異なるのは仕方ない。
でもこの当時の女子大学生が持っていた知的雰囲気とミドリの匂いはどうしても違うような気がする。
最近は大学進学率が55%程度に上るというが、この当時は短大を合わせても20%にもなっていなかったであろう。こういっては何だが、微妙な知的匂いを感じさせる女性が多かった。
ミドリは古本屋の娘である。都内に生まれ、四谷にある名門女子高校に通うがお嬢さんとは違うという原作の設定だ。しかも当時の早稲田に通う女の子というとイメージが若干違う気もする。確かにあの髪形はよく見られたが、高校生はともかく大学生はあんな感じだったかな?吉永小百合も高校時代はこの髪型だが、大学生時代はちがう。
それと「ワタナベクン」というしゃべり方が若干違う気がする。


でも水原希子はみずみずしい若さをもつ有望な新人だとは思う。
(上に述べたことは彼女の資質とは関係ない)

菊池凛子があの年を演じるのは大変だったと思うが、よくやったと思う。
割と難しいシーンがたくさんあったと思う。
短いカットが多いといったが、極度の長まわしもあった。撮影ともども大変だったと思う。

今回濡れ場が大胆ではない。寸止めにしている。
これは良かったのであろうか?うーん難しい!
この小説を最初に読んだときは、情交の場面がやたらと目についた。
彼独特の性表現もある。それを言葉としていくつかとりいれたが露骨にはしなかった。
でもくどいけど、最後のレイコサンとの場面だけは残念だ。

村上春樹の小説に年上の女性との情交が出てくることが多い。
最新作「1Q84」にしてもそうだし、「国境の南太陽の西」もそうだ。
でもその年上の女性との情交が一番素敵なのは「ノルウェイの森」だ。
そういった意味でつくづく残念だ。

悪口もずいぶんと言ったが、かなり丹念につくった形跡がみられる。
監督、演技者の努力に敬意を表したい。
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映画 ノルウェイの森 1

2010-12-19 18:19:42 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
「ノルウェイの森」をロードショウで観てきました。
初めて小説を読んでから20年以上経つ。その後何度も読む機会があり、それなりの思い入れがある。村上春樹ファンで妙にこの小説に批判的な人もいるが、底辺に流れる70年代に向かう独特のムードとポップな響きが好きです。ベトナムのトラン・アン・ユン監督が起用される。「青いパパイアの香り」「夏至」いずれも大好きです。
今回楽しみにしていました。

時は1968年高校生の主人公こと松山ケンイチは、高校の同級生キズキと直子こと菊池凛子と仲良く青春時代を送っていた。その後キズキは人生に絶望して自殺した。友人を亡くした失望のまま、東京の大学に進学することになった。地方出身の大学生を収容する寮に住み大学に通うが、大学は学園紛争の真っただ中であった。授業も心ない学生たちによって中断する毎日、レコード屋でバイトをしながら悶々としていた。
そんなある日ナオコこと菊池と偶然再会した。同郷のよしみで親しくする二人である。二人で仲良く散歩するのを楽しんでいた。ところが彼女はある日突然姿を消す。心の病があり、静かに療養せざるを得ないのだ。再度一人でさまよっているとき、同じ授業を受けているというミドリこと水原希子が学食で声をかけてくる。急接近してきたミドリと主人公は時折会うようになるが。。。。



スタートは飛行機の中としていなかった。何もかも入れていると時間が足りなくなる。
なくても不自然さはなかった。

そんなに放映時間が長いとは感じなかった。
肝心なところは長まわしのカットとなるが、短いカットをずっと続けていく手法である。長いストーリーであるからこうやってまとめる必要があったのであろう。それはそれで正解である。同時にロケ時間がものすごくかかっただろうなと思わせた。
映像的にうまいと思ったのは、風と雨のバックの使い方である。「青いパパイア」「夏至」も同様に雨の使い方が非常にうまいと思った。特に室内セットでの雨の使い方は、小津安二郎監督の「浮草」を思わせる絶妙のうまさである。得意の小動物を使った表現はわずかにとどまったが、序盤少しだけ見られた。
監督得意の映画の手法が垣間見られて、映画としての完成度はまずまずだと思っていた。



でもネタばれになるが大きく取り上げないが、後半戦に不満が残る。

これだけは言いたい。

ナオコが療養に行った先のお世話する女性がいる。その女性レイコが主人公を訪ねてくる場面がある。僕自身は彼女が主人公を東京に訪ねてくる場面はこの小説の一つのクライマックスであると思っている。そこの表現が全く駄目であった。これが非常に残念である。監督と感じ方が違うのであろうか?極端にいえばここに時間をかなり取ってもいいくらいである。
レイコが主人公のところを訪れてギターを弾きながら歌いまくる場面が小説にある。素敵な場面である。そこが全く省略されている。レイコの表現が足りなかった。これには正直がっかりした。

つづく
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悪魔のような女  シャロン・ストーン

2010-12-18 20:45:02 | 映画(洋画 99年以前)
「悪魔のような女」はシャロンストーン主演による96年のリメイク映画である。。
もともとはフランス映画でラストの結末が有名だ。妻と愛人が組んで男の殺害を計画するなんて話はおそろしい。「この結末は誰にも話さないでください」なんてキャッチフレーズを持つ。スリラーの色彩が強い。それを現代版にアレンジしている。



郊外の寄宿舎のある学校で、もともと妻が親から引き継いだ学校で夫の理事長は公然の愛人として数学の女教師シャロンストーンと付き合っていた。しかし、横暴な理事長に腹をたてた妻と愛人が共謀して、夫の殺害計画を練り、実行しようとする。
彼女たちはピッツバーグにあるシャロンのアパートへ向かった。妻は離婚話がしたいと理事長を呼び出した。愛人教師シャロンは理事長に姿を見られないようにし、隣家の夫婦の家で過ごしてアリバイを作った。そして睡眠薬入りの酒を飲んで昏睡状態の理事長を、2人でバスタブに沈める。激しい格闘の末についに理事長の息の根も止まり、夜中に二人で死体を運んで学校のプールに沈めるが。。。。

原作はフィルム質が悪く、古ぼけた画像が鮮明でないのがたまにキズである。しかし、名匠アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の作品とあって、恐怖感を強くかりたてる。

そのリメイクはどうかと期待をしてみた。40年後の作品とあって画像技術がかなり発達しているわけである。でも原作と比較して少し物足りなかった。クルーゾ監督の作品で見せた恐怖感は天下一品だ。この映画で影響を受けた人はなんと多いのであろうかと思う。でもその恐怖感が弱い。



リメイク版ではかなり猟奇的なシーンが見られたが、意外に怖くはなかった。なぜだろう?
結末はあえて複雑にしている。でもこれでいいのであろうか?
原版での愛人役フランスの名優シモーヌ・シニョレは日本のプロレスラー神取忍を思わせる風貌を持つ。その彼女よりも美しい美貌をもち、普段よりも悪人の相を見せるシャロンストーンは適役の気がする。でも恐怖感をさそわない。
クルーゾ監督の妻が前作で、理事長の妻を演じていた。彼女は「恐怖の報酬」でも出演している。そのか細さとイザベル・アジャーニと通じるところはある。しかし、何かちがう。

もう一度元の作品を見てみよう。
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