映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

台北の朝、僕は恋をする

2012-03-28 08:29:22 | 映画(アジア)
「台北の朝、僕は恋をする」は台湾の青春恋愛映画だ。
台北の夜を彷徨う二人の男女をとりまくやさしい映画、気にいった。


台北に暮らす青年である主人公カイ(ジャック・ヤオ)は、大好きな恋人がパリに留学してしまった。本屋にフランス語を習得しようと教則本を読みに通っていた。一方、本屋で働くかわいい女の子スージー(アンバー・クォ)は毎日やってくるカイが気になって仕方ない。それでも主人公は恋人を想う。パリに電話をかけても、彼女はそっけなく相手にされない。主人公は哀しい気持ちで彼女をつなぎとめようとフランスに行こうと決意する。
親に無尽しても相手にされない。どうしてもパリに行きたいカイは仕方なく不動産業をやりながら裏稼業に手を染める地元のボスからお金を借りることにした。快諾してくれたが、その条件として謎の小包を運ぶ怪しげな仕事を受けることになった。それを見ていたボスの甥にあたる従業員がその謎の小包に関心を示す。懸命に奪い取ろうとする。しかも、ボスのところを内偵していた警官2人がボスの周辺に動きがあったことを察知して、ボスの事務所に出入りした主人公の後を追いかけるという構図だが。。。。


台北の夜は昭和50年代の日本を思い起こさせる。かなり近代化したと聞くが、ここで映る台湾はまさしく昭和後期の日本にタイムスリップしたような匂いを感じさせる。至る所に提灯がある。お祭りのようだ。
そんな中主人公と知り合ったばかりの女の子との不思議なつながりが語られる。
全般に流れる雰囲気はやさしい。ピアノ、バイオリン、ギターのやわらかい音がバックに流れ、さわやかな青年たちをやさしく包む。


本屋の店員である相手役アンバー・クォが可愛い。
主人公は毎日のように本屋に来て、フロアーに座りながらフランス語を勉強する。彼女スージーは普通であれば店から追いだしたいくらいの主人公に対して関心を持ってしまった。ちょっとしたきっかけで声をかける。こんなにかわいい女の子に声を掛けられて舞い上がらない男は普通だったらいないだろう。でもフランスへ渡った彼女のことが気になる主人公はそっけない。そんな不思議な関係を当初は映し出す。
ある夜雑踏の町に繰り出したときに偶然出会って、二人の間が急に接近する。しかし、なぜか彼は追いかけられている。それも訳もわからないうちに警察にまで追いかけられている。いつの間にか夜の街を彷徨う。その追跡シーンでは台北の夜を前面に出していく。なんか猥雑な雰囲気だ。そこがいい感じ。



ダンスのシーンが2か所出てくる。まるでインド映画のようだ。奇妙なステップを踏む。フラダンスのような動きだ。地元の踊りなのであろうか?笑えてしまう。
セットの美術のセンスに卓越したアメリカラブコメデイと違い、猥雑な台北ロケが中心だ。でも素朴な印象すら覚えるラブストーリー。なかなかよくできた映画だ。

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ミケランジェロの暗号

2012-03-27 06:02:49 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「ミケランジェロの暗号」はオーストリアのサスペンス映画だ。
第二次大戦中、オーストリアのユダヤ人画商がナチスに迫害され名画を奪われようとして抵抗する話をコメディサスペンスのように描く。二転三転し先を読ませない脚本が冴える。


1938年のウィーン。ユダヤ人画商カウフマン一家が営む画廊に、かつての使用人の息子ルディ(ゲオルク・フリードリヒ)が訪ねてくる。一家の息子ヴィクトル(モーリッツ・ブライブトロイ)にとっては兄弟同然の存在だった。カウフマン一家は400年前、バチカンから盗まれたとされるミケランジェロの名画を所有していると噂されていた。画廊主催のパーティーが終わった夜、ヴィクトルはルディからその真相を聞かれた。つい心を許して家の中の隠し場所で見せてしまう。
ところが、ルディはナチス軍に所属し大尉となっていた。彼は自分に有利になるように絵画のありかを軍に密告した。ナチスは画商の家に乱入する。隠し場所を見つけるが、すでに絵はない。問い詰めるナチス。
一家はスケッチを渡す代わりに、スイスへ行くことを交換条件にしてスケッチを渡す。ところが、中立国スイスで訴訟を起こされてはたまらないと一家は強制収容所へと送られる。
一方、ナチスは絵を取引の材料にイタリアと優位な条約を結ぼうとするが、イタリアお抱えの美術鑑定人に奪った絵が贋作であることを見破られる。本物の絵は一体どこへ行ったのか。どこかに隠した一家の父はすでに収容所で死亡、息子が収容所から呼び出されるが。。。。


イタリアルネサンス巨匠のミケランジェロのスケッチが400年前にバチカンで盗まれ、それがウィーンに住むユダヤ人の画商の手に渡る。オーストリアを強引に併合したナチスはそもそもイタリアの絵画だからイタリアに返してあげるのが筋だという。だからいったん戻せという。その都合のよく奪ったミケランジェロでイタリアとの条約は自国に優位にというナチスドイツの考えだ。でも金持ちで用意周到なユダヤ人だ。そうは簡単には盗まれないようにする。フィクションだけど、こんな話ありえそうと言えばそうかもしれない。この筋立ての発想がいい。



話の内容は読めそうだが、脚本は二転三転し、見ているものの裏をかく。これでもかこれでもかと裏をかく。ちょっとへそ曲がりがつくったんじゃないかと思わせる。
それなので意外に飽きない。
普通であれば、ナチスドイツとユダヤ人の絡んだ映画は目を伏せるようなむごい場面が次から次へと出てくる。でもこの映画はそうでもない。コメディ仕立てにしていると考えてもいいのかもしれない。途中で思わぬ逆転劇がある。まさにこれはエディマフィの映画を思わせる「大逆転」だ。
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東京公園  三浦春馬

2012-03-26 18:21:34 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
「東京公園」は青山真治監督の4年ぶりの作品だ。
カメラ好きの主人公の大学生と彼を取り巻く3人の女性のかかわりを描く作品
色男三浦春馬君がクローズアップされる。女性的なルックスを持つ彼の魅力を引き出そうと監督が踏ん張ったという印象だ。


主人公(三浦春馬)はカメラ好きの大学生だ。東京の公園をめぐって、家族写真を撮っている。
いつものように乳母車で子供を連れ出していた女性を写していたときに、ある男性に呼び止められた。
「何をしているのか?」と。事情を説明してその場は別れたが、再びその男が主人公の前に現れる。
「彼女を尾行して写真をひそかに取ってくれないか」と言われる。戸惑ったが、主人公はそれを受け入れる。依頼主の指示通りの公園に向かい、彼女(井川遥)の写真をとった。そしてメールで依頼主の男へ送信とすることにした。
主人公は40年代の建物と思しき、古い下宿に友人と住んでいた。夜はカフェバーでバーテンをしていた。
そこにはゲイのマスターがいて、時折主人公の母親違いの姉(小西真奈美)と主人公の元彼女(榮倉奈々)が飲みに来ていた。
尾行をする女性が美しい人だとわかったとたん、姉と元彼女が今までにない反応をするようになったのであるが。。。


ストーリーには大きな起伏がない。淡々と主人公を中心にして姉、元彼女、友人のことを描いていく。
尾行する女性は写真を撮られるだけである。そのままずっと進む。
義理の姉は継母の連れ子で9歳上である。主人公と義姉はずっと普通の姉弟関係であった。
ところが、尾行する女性が美女であることがわかると、急に態度が変わってくる。血がつながっていない普通の男女に戻るのである。
中間に何かが入るだけで化学反応が起きてくるのだ。この化学反応がこの映画の肝である。


同様に元彼女も同様にちがった反応を示す。高校の時からよく主人公のことを知っているちょっとおせっかいな女の子だ。ゾンビ映画が好きで、元彼女なのにやたらと彼にちょっかいを出す。
別に尾行する女性と主人公が会話をするわけではない。やきもち妬かれる筋合いはない。
それなのに不思議な化学反応が起きる。

その化学反応で試験管は爆発しない。
わずかな反応しか示さない。そうして映画が進んでいく。静かにピアノがバックで流れる。
最後に向かって一番の肝と思える長まわしのシーンがある。義姉と主人公を写す。これはよかった。
父母が移住した大島の風景、都内の公園風景や古い下宿の光景を取り混ぜながらラストに向かった。
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マーガレットサッチャー メリルストリープ

2012-03-25 09:28:38 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「マーガレットサッチャー 鉄の女」劇場に見に行った。

英国首相を10年にわたって務めた名宰相の回想録的映画だ。それだけにならず認知症になってしまったサッチャーの現在を映し出す。今年のオスカーで久々主演女優賞を取ったのがうなづかされるメリルストリープのすばらしい演技だ。現役時代、認知症となった現在の姿両方ともお見事だ。
政府に負担ばかり押し付け「小さい政府」を否定する今の狂った日本人には一番の薬になるような映画だと思うが、そう感じる人は少ないかなあ。


現在のマーガレットサッチャー(メリルストリープ)が映し出される。
家人からは外出しないように言われるがついつい出てしまう。そして亡くなった元夫が生きているのかと声をかけてしまう。
マーガレットは食料品店を経営しながら市政の政治家であった父親のもと育てられる。利発な彼女は名門オックスフォード大学に進む。その後彼女は政治に関心を示す。保守党の政治家の集会に参加するようになる。まだまだ女性が政治家になろうとする時代ではなかった。それでもダメもとで下院の選挙に挑戦、結婚後子育てをしながら1958年に初当選した。
その後教育相を務めるが、議会では野党とひたすら論争を重ねる。
ダメもとで保守党の党首に立候補する。絶対に無理だと思われながら当選する。
そのころの英国は労働貴族がえばっていた。
「福祉政策」という名のもとに労働党政権で経済が沈下していた英国民から支持を受け保守党が第1党に復帰する。そして党首サッチャーは英国史上初の女性首相となるが。。。。。


サッチャー首相は最近の民主党、社民党がもっとも嫌う新自由主義の思想に基づく政権運営をしていた。
福島党首みたいな左翼系の女性闘士には絶対にこの映画は受けないであろう。アカ思想の連中や左翼系新聞もこの映画は支持しないであろう。であるからなおのこと現代日本人が見なければならない映画だと自分は思っている。


我々が子供のころ、学校でイギリスを理想社会のように言っている日教組系社会科教師がいた。
「ゆりかごから墓場まで」なんと響きのいい言葉であったろうか。
その当時ビートルズの歌で「タックスマン」という歌があった。響きのいい歌で好きだった。
自分の父はとんでもない野郎の歌だ。と言っていた。「タックスマン」って税務署員と教えてくれた。
自営業の自分の家は時折税務調査に入られ調査のたびに「お土産」をたっぷり持っていかれた。
ビートルズは我々の比じゃない税金を取られていた。だから皮肉った「タックスマン」の歌をつくった。
ビートルズのジョンレノンがアメリカに移ったのと同様、国外に移動するイギリス人が多かった。
福祉という名のもとに高い税率で英国経済はボコボコにされた。
労働組合の連中が労働貴族としてもてはやされた。今の日本の組合のトップと同じである。
民主党が政権をとって一番喜んでいたのは組合労働貴族のバカ連中であろう。
この映画では何度もサッチャーは「労働者よ、働けるものは働け!」と怠けものを愚弄する。
日本人も単なるサボタージュの連中(本当の困窮者は別、これは守る必要あり)に言ってやればいい。

サッチャーは小さい政府を志向した。ミルトンフリードマンやハイエクの影響である。
以前ここでも取り上げたがミルトンフリードマンの本はいつ読んでも新しい。何から何まで国に押し付けようとする日本人を見ていると馬鹿じゃないかと思う。
フリードマンを信奉した中国の小平にしてもサッチャーにしてもみんな国をよくした。この間ブログに書いたが米国FRBバーンナンキ議長もフリードマンを尊敬する。


サッチャーの功績の1つにヨーロッパ共通通貨(のちの「ユーロ」)に加わらなかったことがある。
ヨーロッパ共通通貨ができる時、「何で参加しないのか?」と記者に問い詰められるサッチャーのシーンが映画に出てくる。頑固に彼女は「ノー」とする。短いが重要なシーンだ。
ユーロ通貨自体はドルや円との変動相場であるが、ヨーロッパの共同体の中では固定相場となる。経済状況の違う国同士がみな同じ価値であるはずがない。共通した経済政策では解決できるわけがない。これは現在のユーロ危機の状態を見るとよくわかる。いい時はいいが、今回のギリシャ危機のようになればダメになる。
ミルトンフリードマンは1950年から「変動相場制」を訴えていた。以前の金本位制は金と固定レートで結ばれ、金が統一通貨であった。大恐慌あとの金融危機は金本位制が生んだともいえる。これについてはケインズも同様の見解である。アメリカはニクソン時代に変動相場制に移る。結果的に正解である。のちに英国は共通通貨にいったん加わる。ポンドが固定相場であり、ジョージソロスに狙われポンド危機を招いてポンドは変動相場になる。そして共通通貨「ユーロ」には加わっていない。
今ヨーロッパはサッチャーがおそらくは予知した通りになっている。強烈なリーダーぶりを発揮した彼女の政策選択は正しかった。

この映画で面白いのは男性政治家たちに囲まれたサッチャーの姿である。
伝統あるウェストミンスターの議会場で与党、野党がものすごいヤジの中対決する場面がある。意外に議会場のシーンの映画って少ないから臨場感があってよかった。そこでの彼女はたくましい。負けない。
伝統と家柄が重んじられる世界で女性が政治に進出するってすごいことだったと思う。
あとはフォークランド紛争の時の決断、これは凄い!
戦勝した後の演説もすばらしい!ヤジに包まれた演説の時と違ってみんなシーンとして議会で彼女の演説を聞く。
この映画の中でのピークであろう。

そういうサッチャーを演じたメリルには本当に脱帽である。
意外に映画の評価が普通なのは、あまりにワンマンショーすぎるからであろう。
自分はこの映画好きです。
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引き裂かれた女  リュディヴィーヌ・サニエ

2012-03-24 20:24:35 | 映画(フランス映画 )
「引き裂かれた女」はアメリカで実際に起きた事件を元に描くフランス映画。監督はヌーヴェル・ヴァーグの巨匠のクロード・シャブロルだ。初老の男と若者が若い美女をめぐって取り合いをする設定はよくあるパターンだ。今回は主役リュディヴィーヌ・サニエが美しい。


高名な作家シャルル(フランソワ・ベルレアン)はTV局のお天気キャスター・ガブリエル(リュディヴィーヌ・サニエ)と出会う。それまで作家は子供こそいないが妻と幸せな生活を送っていた。同時に担当の女性編集者とも微妙な関係を持っていた。その編集者にTV出演と書店でのサイン会を頼まれたのだ。
インタビュー後に開かれた関係者のパーティーで、シャルルは若いガブリエルに見とれる。一方で若い男ポール(ブノワ・マジメル)はTV局の入口でガブリエルを待ち伏せし食事に誘う。父の遺産を相続したポールは仕事もせず、毎日ブラブラしていた。ポールはシャルルが書いた記事に不満を抱いていた。ディレクターをはじめ至る所で誘いを受けるガブリエルは無視した。
翌日、書店のサイン会でシャルルとガブリエルは再会する。その書店をガブリエルの母親が経営していたのだ。シャルルはガブリエルをオークション会場に誘う。シャルルはオークション会場で1冊の本を競り落とし、ガブリエルに渡す。帰りにリヨン市内の仕事場に行った2人は順調に愛を育んでいく。でも一方で若い男ポールも彼女を追いかけるのであるが。。。。


クロード・シャブロル作品らしく音楽は極めて少ない。静か過ぎるくらいだ。けだるい感じを醸し出す。時折出る音楽も古いフランス映画に戻ったようだ。色彩設計が若干抑え気味でいいトーンに仕上がっている。素敵な映画を見たという後味が残る。

サスペンスと言う設定なのでいつ肝心な場面がくるのかと、待っていてもなかなか来ない。けだるい恋の話を続けて見る人間をもったいぶらせるようだ。ある意味「ジョーズ」で1時間半近く人食いサメが現れないのと同じようである。このじらしがミソかな?あとは意味不明なラストシーンだ。これって何を暗示するのかなあ。

主役であるリュディヴィーヌ・サニエが魅力をプンプン振りまく。自由奔放な彼女のキャラクターにぴったりの役である。ブロンドヘアが美しく、フランス映画独特の色彩にマッチしている。彼女自体が色彩設計の軸になっている。以前「スイミングプール」に出てきたときには、あばずれな少女を演じピチピチなその豊満なバディにあっと驚いたが、今回は控えめな露出である。そこだけ不満足かな?でも日本で言えば沢尻エリカというべき小悪魔的魅力に普通の男はいかれてしまうだろう。


30くらい違う女性との恋を描くのは渡辺淳一先生の得意技、父親のいない20代の女の子は時折おじさんに狂うことがある。このパターンだろう。この映画では作家役のフランソワ・ベルレアンが妻がありながらも若い女性に狂う男だ。狂いながらも妻には「ジュテーム」と言う。困ったものだ。よくいるスケベオヤジだ。フランソワ・ベルレアンは映画「トランスポーター」の常連で現代フランス映画には欠かせない顔だ。でも今回の彼は役得だなあ。魅力を全身で発散するリュディヴィーヌ・サニエと何度もキスをする。うらやましくなってしまうくらいだ。
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レインオブアサシン ミッシェルヨー

2012-03-23 20:21:15 | 映画(アジア)
レインオブアサシンはミッシェルヨー主演の武侠ワイアーアクション物だ。

暗殺組織に所属する女刺客が過去と決別するため名前を変え、都会で暮らし始めた。しかし、組織の殺し屋たちが迫って繰る設定だ。
CIAの腕利きエージェントが静かに暮らしているところに、過去のしがらみで再度面倒なことに絡まれるというパターンは最近のハリウッド映画でよくあるパターンだ。西と東の違いはあれど、ストーリーの流れ自体は大きくはかわらない。ここではミッシェルヨーをはじめとしたワイアーアクションを楽しむ映画だろう。


明朝時代の中国。暗殺組織“黒石”によって時の宰相、張海端とその息子が暗殺される。“黒石”の首領、転輪王(ワン・シュエチー)の目的は武術の奥義を極めた達磨大師のミイラ強奪だ。それを手中に収めた者が武術界の覇権を握ると言われている。張宰相が遺体の上半身を隠し持っているとの噂を聞きつけ、屋敷を襲撃したのだ。
しかし最も信頼を寄せる部下、細雨(ケリー・リン)が混乱に乗じて達磨の遺体を奪い、姿を消したのだ。細雨は顔を変え、“曽静”(ミシェル・ヨー)という名で都で空き家を借り、新たな人生を歩み始める。やがて彼女の前に、阿生(チョン・ウソン)という配達人が現れる。やがて阿生の素朴で控え目な人柄に惹かれた曽静は近所の住民に祝福されて結婚式を挙げた。


ある日、夫とともに出掛けた銭荘で、主人公は盗賊と鉢合わせした。やむなく封印していた武術で一味を叩きのめす。しかしこの一件で、曽静の正体が“黒石”に見抜かれてしまう。転輪王は次々と刺客を呼び出す。暗殺組織の主は自分を裏切った細雨の首に賞金を懸けたのだ。
飛び道具の針を自在に操る男(ショーン・ユー)、妖艶な女殺し屋(バービー・スー)、多彩な奇術の使い手彩戯師(レオン・ダイ)の3人だった。。。

武侠ワイアーアクションといえば「グリーンデスティニー」だ。中国映画がこんなに進化したのかと驚かされた映画だ。ミッシェルヨーもいいが、チャンツィイーの動きが抜群にいい。色彩設計も鮮やかでよかった。そのパターンに日本の忍者映画のようなテイストが加わる。それぞれの殺し屋に特徴のある秘術を持たせる。明王朝のころの風俗を描く美術も悪くない。露天商で身を潜めながら生計を立てる主人公を描きつつ、町並みと生活を浮き彫りにする。銭荘というのは今で言えば銀行であろう。そういう建物がでてくるのは珍しい。

ケンリーがよく見えた。香港映画の美人女優だ。自分の好きなジョニートゥー監督「スリ」にも出演していた。今回は整形でその姿を変えるという設定のために途中までの出演であるが、美貌の殺し屋という設定で今後も見られるような気がする。さすがにミッシェルヨーも今回が限界であろう。49歳だ。それでも存分に楽しせてくれた。
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僕と彼女とオーソン・ウェルズ  ザック・エフロン

2012-03-21 21:22:01 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「僕と彼女とオーソンウェルズ」はアメリカの演劇かぶれの高校生が、オーソンウェルズの劇団の準団員になって悪戦苦闘する姿を描く。DVDスルー作品である。

1940年代前後の映画が好きな人たちにとってはたまらない面々が登場人物になって出てくる。オーソンウェルズはもとよりジョセフコットンの軟派ぶりの描き方もいい。バックの音楽も昔のビッグバンドジャズで実に軽快だ。予想よりも面白かった。


1937年のニューヨークが舞台だ。
郊外に住む高校生のリチャード(ザック・エフロン)は、ニューヨークに遊びに行く。レコード屋で一人の文学少女と知り合う。彼女が「ニューヨーカー」に掲載されるような小説が書きたいといっている時、主人公は演劇のことを語った。当時演劇界に一大旋風を巻き起こしていた、オーソン・ウェルズ(クリスチャンマッケイ)の主宰する劇団が演じる劇場に向かい、彼と運命的に出会う。折しもウェルズが準備中だった新作劇「シーザー」に俳優として出てみないかと誘われた。主人公は喜んで参加した。そこにはさまざま俳優たちやそれを取り巻く連中がいた。そこでのオーソンウェルズの自由奔放な振る舞いに圧倒される主人公であった。劇団に所属する年上の女性ソニア(クレア・デインズ)の魅力に徐々に取りつかれていくのであるが。。。。


オーソンウェルズの才能にはいつも畏怖の念を持って見ている。このブログでは「上海から来た女」しか彼の作品はアップしていない。この映画の設定は1937年であり、代表作「市民ケーン」の4年前だ。
シェイクスピアの演劇をブロードウェイで仕切っている時のオーソンウェルズはなんと22歳である。この映画で表現されている彼のパフォーマンスが真実なら、そのこと自体が驚きだ。弁がたち、ワンマンで周りを強烈なリーダーシップで引っ張る姿は凄いとしか言いようにない。どうみても22歳のふるまいではない。余技でラジオドラマに主演するシーンも出てくる。放送用マイクのまわりに集まった配役の中でアドリブをきかせながら自分の世界を見せるシーンは凄い。貫禄だ。

こんなオーソンウェルズを演じる無名俳優クリスチャンマッケイの演技力もタダモノではない。
オーソンウェルズが出演する映画を相当研究したと思われるそのふるまいと声の出し方が実にうまい。家にあるDVDでウェルズの声を聞いてうまいと改めて感じた。



ジョセフコットンも「市民ケーン」に出てくる。オーソンウェルズとのシェイクスピア劇での縁があったからであろう。その後ヒッチコックの「疑惑の影」バーグマンが美しい「ガス灯」オーソンウェルズも出演する「第三の男」と映画史に輝く名優である。彼の独特のチリチリ頭を意識して、プレイボーイぶりもこの映画のセリフでよくわかるようになっている。御愛嬌だ。

世相を感じさせる美術がいい。ブロードウェイのセットに感心する。ジャズバンドをいたるとこに登場させ、音楽的にも楽しめる。「スクールオブロック」をつくったリチャードリンクレイター監督がメガホンをとるのでそのあたりは抜かりがない。

映画史に輝く男たちの実像に迫る作品はそうは多くない。
楽しく見れた。
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あぜ道のダンディ  石井裕也

2012-03-21 06:00:52 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「あぜ道のダンディ」は50歳のシングルファーザーの生き様を描いたヒューマン・コメディーだ。
愛情に満ち溢れた映像が妙にしっくりくる。

去年大震災の後、最初に見た映画が「川の底からこんにちは」だった。地震後の喪失感で乱れていた心を和ませてくれた。それを撮った石井裕也監督の最新作は、男手ひとつで育ててきた息子や娘との関係に悪戦苦闘する男を描く。名脇役・光石研が不器用な中年を好演している。


周りには畑も目立つ地方都市が舞台だ。50歳配送業の宮田淳一(光石研)には、大学浪人中の息子と高校3年生の娘の子どもがいる。39歳で妻はガンで先立っていた。子どもたちは父親とは会話はかみ合わない。職場では同僚(藤原竜也)に話しかけられても、めったに返事をしないほど無愛想だ。中学時代からの友人の真田(田口トモロヲ)と居酒屋で酒を酌み交わすことが楽しみだ。
ある日、主人公は胃に不調を覚え、亡き妻と同じく、自分も胃ガンなのだと思い悩む。主人公は親友にしか相談できなかった。そんな中、俊也と桃子が東京の私立大学に合格する。病院に行くと、胃カメラでポリープらしきものが見つかる。あわてる主人公だ。
東京で子供たちは新生活を始めることになった。せめて思い出を残したいと思うのであるが。。。

主人公は怒りっぽい。ちょっとしたことですぐキレる。同僚に対しても、親友に対しても、家族に対しても同様である。中卒で仕事をはじめ、何かに劣等感を持っている。常に自分がバカにされているじゃないかと思っている。でも子どもの前ではつい見栄を張る。
不器用な中年男の泣き笑いや屈折した心情を軽妙に描く。こんな奴割といるんじゃないか。同時に自分もこの男のように怒りっぽくなっているんじゃないかと共感を持った。


この映画は一人称を主人公としているが、時折目線を下げて息子や娘を一人称にする場面が出てくる。安月給の父親にアパート代を出させて大学に行くということに子供たちも悪いなあという気持ちを起こす場面が出てくる。監督はまだ若いだけに息子や娘の視線をもつこともできる。年をとった監督にはこの目線は描けないのではないか。やさしさにあふれているそのシーンをみながら、子供と離れる時が来たときにどう思ってしまうのかを想像してしまった。

前作同様出演者が歌を歌う場面がある。これは前作の方が良かったかな。
でも意外にしっくりくる映画だった。子を持つ親にお勧めかもしれない。

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ブルースブラザース2000  ダンエイクロイド

2012-03-20 12:18:39 | 映画(洋画 99年以前)
ブルースブラザース2000は名作「ブルースブラザース」の続編である。
本当に楽しい。
ロードショー時に劇場に見に行った。最終のバンドコンテストの場面になった時、豪華なミュージシャンが次から次へと出てくるのにアッと驚いた。

ここしばらく目が痛く、気分がすぐれずに映画を見ていなかった。再開には見慣れた作品がいいと思い、この作品を選んだ。良かったと思う。


イリノイ州の刑務所にたたずむ主人公が画面に出てくる。前作とスタートの雰囲気は一緒だ。
エルウッド(ダン・エイクロイド)は18年ぶりに出所したところだ。そこで相棒のジェイクが死んでいることを知りシカゴに向かい旧知の修道女に会いに行く。
昔の恩師である修道女の施設には一人の孤児がいた。その子が妙になついた。10歳のバスター(J・エヴァン・ボニファント)である。エルウッドの育ての親カーティスに私生児がいることを知った。イリノイ警察の本部長キャブ(ジョー・モートン)である。エルウッドは弟分に会うがごとく訪ねるが全く相手にされず門前払い。
そんな警察本部長の財布をとっさに相棒の少年がすり、エルウッドは中古車を購入してかつての仲間のところへバンドへの勧誘に行く。
ストリップ小屋にいる歌手志望のバーテン(ジョン・グッドマン)を新たなメンバーにしようとするが、ロシアマフィアにいちゃもんをつけ追いまくられる。そんな中、車のディーラーになったギターリストや縫製の会社にいったり次から次へとメンバーを集めてバンドコンテストを目指す。誘拐犯と間違えられ警察本部長に徹底的に追いまくられるが。。。。


ヤマはいくつもある。
最初のヤマはカーディーラーの店主になったギターリストのマットマーフィーにところにダンが行ったところだ。
前回は「ソウルフード」のお店を経営していたところをブルースブラザースが訪れ、妻役のアレサフランクリンから「think」(考えろ!)と言われる。その場面は痛快でおもしろい。アレサが相棒の3人の女性とともに歌いながら、不良亭主がバンド仲間に加わらないように何度も「think」と言う。ダンエイクロイドと故ジョンベルーシの動きが吹き出すようにおかしい。

今回もアレサフランクリンが歌う。バックのお姉さまも同じ。ド派手な衣装に身をつけ彼女の初期の傑作「respect」を歌う。後ろでは故ベルーシの代わりに少年とジョングッドマンがダンに合わせて踊る。これがなかなかいける。



他にもたくさん見所があるが、あと2つに絞ろう。
1つはジェームズ牧師(ジェームズ・ブラウン)の伝導集会での神の啓示の場面である。前回は教会でジョンベルーシが神の啓示を受けてバク転しまくりの超絶ダンスを見せた。ジェームスもバックものりが凄かった。

今回も強烈だ。場所は野外の白いテントの中である。ゴスペルを歌う黒人の女性が大勢いる中、サムムーアが歌いまくる。60年代にリズムアンドブルースの名曲「ホールドオン」で一世風靡したサム&デイブの片割れだ。このソウルフルなテナーボイスがいい。そこに新たに神の啓示を受けたジョーモートンが加わる。この歌声ものれる。そこにジェームスブラウンが加わるシーンは本当にすばらしい。後ろでは集会に集まった原色の派手なドレスに身を包んだ女性や男たちがピョンピョン踊りながら歌いまくる。ステップがエキサイティングだ。ジェームスが故人になった今はもうこのシーンは不可能だ。



もう1つはバンドコンテストだ。主催はルイジアナのブードゥーの妖女(エリカ・バドゥ)だ。ブルースブラザースは、コンテストに参加するためにオーディションを受ける。主催者の妖女からレゲェを歌えと言われて、ブルース専門のダンエイクロイドは無理だと言う。そこを魔術で歌えるようにしてしまう場面が笑える。気がつくと、バックバンドの連中はカリブを意識した白いスーツに変身する。気がつくとロボットのように歌うブルースブラザース。いやはや最高だな。
そのあとがメインイベントだ。
このシーンを劇場で見たときは本当にあっと驚いた。何せ凄いメンバーだ。BBキングの姿が見える。いつものいでたちでブルースを演奏する。その隣はエリッククラプトンではないか!!!
こんなに衝撃を受けたことはめったにない。思わず声が出た。このあとも次から次へとビッグネームが出てくる。このメンバーは歴史上「ウィ-アーザワールド」に次ぐぐらいのビッグメンバーとして後世語り継がれるのではないか?
この強敵ルイジアナ・ゲーター・ボーイズを含めた最後のジャムセッションもなんともいえない。熱い演奏を展開。

個人的にはブルースブラザースは自分のベスト3にはいる作品だ。その延長線として十分に練りつくされて造られた作品だけに
楽しい作品になっている。監督のお笑いムードには冴えまくっていた。
これで映画復活できるか?

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目の調子が悪い

2012-03-13 05:20:54 | Weblog
先週初めから花粉症がひどくなった。
目の調子が悪い。

急にかゆくなった。今年は辞令がなかった。残留だ。
それはよかったが、部下に異動が多かった。
そんなストレスがあったのだろうか。
調子も悪い。
飲み会もあるが、気乗りがしない。

気がつくとブログもずいぶんとさぼっていた。
そろそろと思うが、映画もここのところ見ていない。
うーん。
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アジョシ  ウォンビン

2012-03-05 20:30:14 | 映画(韓国映画)
ウォンビン主演「アジョシ」を見ました。
主演ウォンビンの活躍にはビックリ、素晴らしい作品でした。
「母なる証明」で久々の登場を果たしたウォンビンが高いレベルの演技を見せる。「冬の小鳥」の少女キムセロンも出演して、韓国版「レオン」の匂いもさせるがウォンビンのワンマンショーともいえる映画だ


ソウルの片隅で主人公テシク(ウォンビン)は質屋を営む。家族も無く、隣の部屋に住む少女ソミ(キム・セロン)が訪ねてくるだけだった。ソミはテシクを“アジョシ(おじさん)”と呼び慕っていた。少女の母親はクラブダンサーで自分の暮らしで手いっぱいだった。少女の母親は麻薬中毒になっていた。彼女は組織の麻薬取引の場所になっていたクラブで麻薬を盗んでいた。
ある日主人公は、通りの真ん中でカバンを盗んだと警察に突き出されていた少女と出くわす。とっさに少女は、主人公をパパだと指差す。しかし主人公は、黙ってその場を立ち去る。その夜、主人公は少女から、それでもおじさんを嫌いにならないと言われ、言葉を失う。

質屋のあるビルに見知らぬ男たちが来た。少女の母親が質に入れていたカバンに、組織から盗んだ麻薬が隠されていたのだ。母親を問い詰め麻薬が質屋にあると知ってきたのだ。主人公は少女と母親が拉致されていることを知りカバンを組織の男に渡す。麻薬は確かに入っていた。しかし、そのまま二人を拉致したまま車は立ち去った。
組織を仕切るマンソク兄弟(キム・ヒウォン、キム・ソンオ)は少女と母親を引き換えに、主人公に麻薬の運び屋を引き受けさせる。その麻薬取引の現場を通報し、主人公と麻薬取引相手を警察に引き渡すという筋書きをマンソク兄弟が考えていた。主人公は取引相手との現場に行く。取引相手に麻薬を渡すと同時に少女たちを返せというが、取引相手はその事情は知らない。マンソク兄弟にだまされた主人公は驚く。現場が複雑にとりこんでいく中、警察も来てしまうが。。。。


この映画にはいくつかのポイントがある。臓器売買、子供を使った麻薬の移送、殺し屋と少女の友情である。身寄りのない子供たちを集めてむちゃくちゃなことをさせる組織の話はいくつかある。「闇の子供たち」は臓器売買にかかわる。しかも、拉致した子供たちに身体を売らせるようなこともさせる。「まほろ駅前多田便利軒」に少年による麻薬の移送の話が出てくる。こういうことってあるのかと驚いた。そして殺し屋と少女の友情を描くのは何と言っても少女時代のナタリーポートマンとジャンレノによる傑作「レオン」であろう。それらのエッセンスを見事に一つのストーリーにまとめている。バランスもいい。



何と言っても、ここではウォンビンのカッコよさに尽きる。男から見ても今回のウォンビンはぞくぞくするようなカッコよさである。「007」やミッションインポッシブルの「イーサンハント」よりもマットデイモン演じる「ボーン」シリーズのジェイソンボーンが一番近い気がする。なにしろ不死身だ。強い。究極に鍛えた体を見せられるとぞくぞくする。
それに加えて、悪役たちの顔つきがいかにも狂気に迫るもので、えげつない。バットマンのジョーカーを思わせる性格異常者の顔だ。そこはいかにも韓国映画らしいえげつなさ。暴力描写も単純に銃を使うだけでなく、身体に切り裂いたりスプラッシュに近い要素を持っているのが韓国映画らしい。目をそむけてしまうシーンも二度三度と出てくる。

「冬の小鳥」は評論家の評価は割といいが、個人的には思ったほどではなかった。あの映画の主人公キム・セロンがウォンビンの相手役となるが、別に特筆すべきところはない。普通かな。「レオン」で見せる少女時代のナタリーポートマンに比べるのはちょっと酷かもしれない。

韓国映画のアクションサスペンスが全部いいかと言われるとそうでもない。評判いい「生き残るための三つの取引」は大したことなかったので、ブログにもアップしなかった。
でもこの映画の出来はいいと思う。相変わらずサスペンスアクションでこの映画と同レベルの日本映画って年に一本あるかないかの水準だ。韓国映画のレベルは高い。
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BIUTIFUL・ビューティフル  ハビエル・バルデム

2012-03-04 12:05:14 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「ビューティフル」はオスカー俳優ハビエル・バルデム主演のメキシコ、スペイン合作映画だ。
よくできた映画だと思う。

バルセロナの闇社会で生きる男が余命2ヶ月と知らされさまよう姿を描く感動の人間ドラマだ。
監督は「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ時間軸を前や後ろに揺さぶるのが得意な監督だ。今回はハビエル・バルデムが見事な熱演、第63回カンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。その受賞自体が当然と思わせる傑作である。


スペインのバルセロナが舞台だ。主人公ウスバル(ハビエル・バルデム)は、二人の子どもを男手で育てていた。妻は情緒不安定で家を出ていた。彼女は売春婦寸前のすたれた生活をしていた。
主人公は裏稼業でしのいでいた。中国人の不法移民たちが働くコピー商品工場でバッグなどをつくり、アフリカからの不法入国の連中に露店で売らせる仕事の仕組みにからんだり、それに伴う警察への口利きで収入を得ている。同時に霊媒師の能力を持っている。
ある日、彼は病院で自分が末期ガンで、余命二ヶ月の宣告を受ける。宣告を受け、身体は弱っていく。それでも、そのことは誰にも告げず、今までどおりの暮らしをしていた。躁状態で不安定な元妻とも再び同居を始める。彼は死の準備を整えようとするのだが。。。。

ガンで余命が短いというのは黒澤明監督「生きる」の主人公と同じ設定である。
しかし、それぞれの主人公は対照的である。「生きる」の志村喬は長年役所の公務員として、問題を起こさず地道に働いていた男だ。一方今回のハビエル・バルデムは裏稼業まっしぐらの男だ。地理的に近いアフリカからの移民を露天商として使い、警察手入れ情報を与えながら巧みにかわしたり、偽ブランド品まがいのものを中国人の家族連れの移民につくらせている。いずれも本国ではすずめの涙の賃金しか得られないので、こんな状態でもまだましというわけだ。そういう本当の社会の底辺の人物からピンハネしている悪い奴だ。

志村喬はガンとわかったあと、強く落胆して行ったこともないストリップや飲み屋街を一人さまよう。そのあと前向きな気持ちを持ち、地元住民が望んでいた新しい公園をつくり静かに世を去っていく。でもハビエル・バルデムは大きくは変わらない。死に向けて静かに身辺の整理を始めるが、世の中のためにという感覚はない。日常の裏稼業から大きく変わっていない。そんな中とんでもない事件が起きる。

「生きる」では、ほぼ主人公一人にスポットライトが当たる。日本の公務員制度への批判的な見方などの社会性もあるが、すべては志村喬の問題に帰着する。そのため彼を浮き上がらせるために、黒澤作品常連の三船敏郎が出ていないのは意図的だろう。


この映画は「生きる」よりもかなり重層な内容の映画となっている。(だから「生きる」が薄っぺらいというわけではない。)その当時と比べグローバル化が進み複雑化している。アフリカや中国からの不法移民たちを主人公にからませ、じっくりと描写しているから内容が盛りだくさんだ。それぞれの移民の居住状態はひどい。倉庫の片隅に25人にも及ぶ従業員とその家族が一緒に寝る。映画の中で搾取という言葉が出てくるが、まさに19世紀前半の前近代的資本主義の形態と同じだ。

アフリカの不法移民が検挙される場面では、強制送還と背中合わせで生き延びてきたアフリカ移民のつらい話も浮き上がらせる。日本ではこういう移民問題がないが、最近の各国の映画を見ると深刻な問題があることがわかる。


映像はバルセロナの中をなめるように映す。しかし、ウディアレン監督作品同じハビエル・バルデムが出ている「それでも恋するバルセロナ」の観光案内のような美しいバックとは対照的にバルセロナの恥部を映す。
それがいい。

バルセロナの雑踏を映す映像で真実のこの街が浮かび上がる黒澤明作品で映るいかにも戦後のストリップ劇場に対して、現代バルセロナのトップレスバーを映す。これは御愛嬌か。ときおりサクラダファミリアなどの建築物も映像コンテの中に入り込むが、あくまで脇役だ。
街のど真ん中でアフリカ人の露店に手入れが入る時のスピード感ある映像はお見事というしかない。臨場感があるので驚いた。


主人公の子供たちに見せる態度は気分次第で変わる感じがあったが、徐々に変わっていく。移民たちへの思いも少しずつ変わる。やさしい心の交流に胸を打たれる場面もあった。
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グッバイ・レーニン 

2012-03-02 21:10:59 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「グッバイ・レーニン」はドイツ映画、1989年のベルリンの壁崩壊前後の東ドイツに焦点をあてる。社会主義国家の崩壊とそれに伴って、すべての価値観が変わるのに戸惑う人たちを描く。映画のタッチはやさしさに満ち溢れている。


1989年10月ベルリンの壁崩壊直前の東ベルリンが舞台、主人公アレックス(ダニエル・ブリュール)は教員の母親と一緒に暮らしていた。父親は西ドイツに亡命をしていた。そのため母親は普通以上に東ドイツの社会主義体制を崇拝し、思想活動にはまっていた。東ドイツ建国40周年を祝う式典の夜、主人公は改革を求めるデモ行進に参加し、機動隊に捕らえられようとしていた。その姿を目撃した愛国主義者の母クリスティアーネ(カトリーン・ザース)はショックで心臓発作を起こし、倒れた。生命の危機は脱したが、昏睡状態に陥ってしまう。

8カ月後彼女が奇跡的に意識を取り戻した。そのころは旧体制は崩壊して、西ドイツとの統一が進んでいた。主人公はまたショックを与えると命取りになると医者から忠告された。母を自宅に引き取って、東ドイツの体制がずっと続いているふりを装う。テレビが観たいという母の要望には、映画オタクの友人と偽のニュース番組を作って応える。ビルにコカ・コーラの垂れ幕がかけられ、国営の食料品店が大手スーパーに姿を変えていく中、東ドイツ製のものを探し求めて主人公はベルリンの町を走り回るが。。。。

映画が始まって約25分程度出演者のプロフィルと時代背景をカット割りを多くしてわかりやすく説明する。コーエン兄弟の映画やフランス映画「アメリ」と似たようなタッチだ。こういう手法って割と好きだ。

映像は鮮明でなくぼやけた感じにしている。旧東ドイツをどんくさく映すためだろう。西ドイツと統合したあとに、スーパーがアカ抜けたものになり、今まで買えた物が買えなくなる。そういう風刺の仕方がうまい。母親の大好物の東ドイツ製のピクルスが体制が代わって手に入らなくなり、探そうと右往左往する姿は滑稽だ。そういう姿を優しい音楽が包む。


上の体制が180度代わって右往左往するのは日本も戦後経験したことだ。軍国主義もあれはあれで極端だけど、左翼系の極端な動きや学生運動の高まりも妙な感じだ。今も某左翼系新聞の異常な論調に引きずられて国民がだまされている印象が強い。困ったものだ。
北朝鮮は今回あまりの食料困難に核兵器に対しての姿勢を変化させた。いずれそうなるのかはわからないが、国家が破綻して、韓国と合同するようになれば、映画とまったく同じようなことが起きる可能性がある。

ドイツ民族って賢い。2次大戦後ソビエトによって東側のみ社会主義体制に代わった。完全なる押し付けの社会主義を戦後40年で解消した。そして市場経済に代わったおかげで、ユーロ圏で一番の影響力を発揮している。何よりも驚くのは現首相のメルケル女史が東ドイツ出身であるということだ。最初それを知ったときには本当に驚いた。ドイツ人の寛容性に感心し、東西統一のシナジー効果を求めて、過去のしがらみにこだわらない姿をすばらしいと思った。


主人公のやさしさがいじらしい。社会主義を崇拝する愛国主義者の母親を心配させないように右往左往する。遺物となった旧東ドイツの製品を探してゴミ箱まで探す。ちょっといやらしい感じもしないわけではない。でも彼の気持ちはよくわかる。本当にいい男だ。
若い女の人には彼の厚情をマザコンという人もいるかもしれない。でもそれはちがう。母親への愛情をもつことはすばらしいことだ。女性って本当に身勝手だ。母親と仲のいい青年たちをマザコンといいながらも、自分が男の子の母親になったらマザコンの母親になる。しかも当然というような顔をしてね。
これだから女性心理はよくわからない。
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路上のソリスト  ジェイミーフォックス

2012-03-01 06:02:21 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「路上のソリスト」は路上生活をしているチェリストと記者のふれあいを描く映画だ。
ロスに9万人いるという路上生活者と精神が不安定な人たちに焦点をあてて社会の底辺に暮らす人たちの実態を描く。


ロサンゼルズ・タイムズの記者ロペス(ロバート・ダウニーJr.)はある日、べートーヴェンの銅像のある公園で2本しか弦のないヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエル・エアーズ(ジェイミー・フォックス)に出会う。
早口で自分のことをしゃべるナサニエルはジェリアード音楽院にいたと言う。驚いた。権威ある名門音楽学校の卒業生が、いったいどうして路上に暮らしているのかと。ナサニエルは確かにジュリアード音楽院に在籍していた。卒業ではなく退学だ。彼の演奏する音楽の美しい響きにひかれコラムのネタに取材をはじめる。

ロペスの手掛けるコラムは人気があった。彼が教えてくれた電話番号を頼りに、姉と元音楽教師に話を聞いた。姉は行方知れずの弟を心配しながら、少年時代のナサニエルはチェロを弾いていたと語る。音楽教師は「すごい才能だった」と証言した。弦2本で世界を奏でるヴァイオリン弾きに夢と希望を尋ねた。あと2本弦がほしいと彼はこたえた。ナサニエルについて書いたコラムは、さまざまな反響を呼んだ。
感動した読者の一人の老人がもはや使っていない自分のチェロを送ってきた。ロペスはナサニエルにチェロを届けた。巧みにチェロを奏でるナサニエルであった。そしてチェロは路上生活者の支援センターに預けて、そこで演奏するという条件をロペスは告げる。高価な楽器は狙われるからだ。
ナサニエルが音楽院を去り、路上で暮らすようになった理由をロペスはさぐろうとするのであるが。。。

話に大きな起伏はない。それなのでおもしろくないとする人も多いだろう。
でもいくつか気になるところがある。

まずは撮影の巧みさである。実に見事なカメラワークだ。ロス全体を俯瞰するように映したと思ったら、対象物に接近させたり、アップの映像にチェンジさせたり緩急自在の映像作りが見事だ。

そのカメラが映すロスのスラム街の光景が異様だ。
チェロを預ける支援センターはロスのスラム街の中にある。そこには路上生活者がたくさんいる。同時に精神が弱っている人たちも多い。日本でいえば、大阪西成のドヤ街を連想させる映像だ。黒澤明監督「天国と地獄」の犯人を追いつめて警察たちが追った横浜の貧民窟の映像にも通じるところがある。いずれにせよ、ロスを舞台にした映画では出てこない光景である。

支援センターには統合失調症の人たちがたくさんいる。この映画のソリストも幻聴や被害妄想に悩まされている。こういう人たちがなかなか社会性を持てないということもこの映画で描きたかったのかもしれない。
映画のセリフで、支援センターの人が「ここにいる人は友人を持つと、脳に化学反応が起きて、社会性を持つようになる。」といって社会への適応性について語っている。いろいろ考えさせる部分だ。

主人公の記者がつとめる新聞社にもリストラの嵐が吹き荒れている。ロスで新聞を読む20代以下の人が40%しかいないなんてセリフまで出てくる。そうなんだろうなあ。個人的には紙媒体の重要性を感じているけどね。言いたいことが盛りだくさんという脚本だった。
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夢駆ける馬ドリーマー

2012-03-01 00:45:46 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「夢駆ける馬ドリーマー」は2006年日本公開の作品
足を骨折して馬主に見捨てられた馬と調教師とその娘との触れ合いのドラマである。
単純な筋立てが意外にしっくりくる。躍動感のあるレースシーンのカメラワークとケンタッキーの田舎の田園風景を見ているだけですがすがしい感じにしてくれる映画だ。


ケンタッキー州レキシントン。主人公ベン(カート・ラッセル)は、牧場を細々と営んでいる。娘ケール(ダコタ・ファニング)の楽しみは、ベンについて馬の調教を見に行くことだ。しかし、ベンと祖父ポップ(クリスクリストファーソン)は牧場経営で対立していた。
彼が担当している馬の一頭がソーニャドール。走る姿を見て、娘は一目でその牝馬を気に入ってしまった。しかしレース当日、主人公はソーニャの足の異変に気づいた。オーナーに出走をやめるよう進言するが却下され、そのままレースに出走した。レース途中で足を骨折して騎手は落馬した。オーナーからは安楽死を命じられるが、主人公はギャラと引き換えにソーニャを引き取ることにするのだった。

牧場での療養でソーニャドールの骨折は徐々に良くなってきた。主人公はソーニャドールをメスの種馬として育てようとプランを立てるが、獣医から妊娠できないと聞き落胆する。家計は火の車であった。
そんなある時、娘がソーニャドールに乗ったとたん、ものすごいスピードで馬は牧場から逃げ出した。主人公はソーニャドールが素晴らしい走りをしていることに気づくが。。。。

同じようなタイプの作品に「シービスケット」がある。これも後味がいい映画だった。
今回もレースの場面での躍動感ある撮影が非常にうまい気がした。普通競馬中継だと、遠くからの映像しか見れない。これはこれで仕方ないが、騎手が騎乗している近くから映す映像は臨場感がある。


印象に残ったシーンとしては、娘がソーニャドールに乗っている時に馬が走りだして、主人公である父親が車に乗って懸命に追いかけていくシーンだ。あせった父親が追いかけていくのであるが、なかなかつかまらない。足を骨折してから、うまく走れなかったのに自分の予想を超えて本能のように走り回る馬がいじらしく思えた。長いシーンではないが印象に残った。

昔ギャロップダイナという馬がいた。クラッシック三冠を制した名馬シンボリルドルフに秋の天皇賞に先着して優勝した馬である。そのレースではギャロップは人気薄だった。

自分が印象に残るのは、その少し前にカラ馬になった後一着で駆け抜けてしまったレースである。ゲートをでたあとすぐに騎手が落馬してしまった。当然そのままレースが進むわけであるが、ギャロップダイナはなんと途中から騎手がいないままぐんぐん追いぬき、一番最初にゴール盤を駆け抜けた。落馬した時点で競走中止であるから、一番最初に駆け抜けても着はない。笑い話として話題になった。
でもこの話をスポーツニュースでみて、笑うと同時に凄いなあと思った。競馬ファンじゃないのにギャロップを少し追いかけてみた。その次のレースで一着をとって、勢いで出走した天皇賞では人気はなかったが、後方から怒涛の差し脚を見せてシンボリルドルフに先着した。単勝配当は81倍、まさにこの映画とにたような話だ。本能のままにカラ馬で一着でゴール盤を駆け抜けた時、馬に人知を超えたものすごいパワーが加わっていたのだと思う。

この映画で見せるソーニャドールにもそんなパワーが備わったような気がする。そもそも骨折になれば、安楽死するのが馬の運命である。それがそうならないで復活した時の凄さってなんか実人生でも同じような話があるような気がした。
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