映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

魂萌え 風吹ジュン

2011-01-27 20:57:01 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「魂萌え」は桐野夏生の小説の映画化だ。定年を迎え夫婦ふたりで平穏な生活を送っていた妻が、63歳夫に心臓麻痺で急死される。平凡だった主婦に次から次に訪れる波乱含みの話だ。風吹ジュンが好演で、とりまくさまざまなキャラクターの俳優たちがおもしろい。



夫こと寺尾聰が定年退職を迎えた夜、妻こと風吹ジュンが祝宴の後片付けをしていると、夫が手を差し出す。2人はぎこちなく握手をした。その3年後の2月。寺尾が突然の心臓発作で帰らぬ人になる。葬儀が終わると、息子が日本に戻ってこの家で同居したいと言い出し、長女こと常盤貴子は兄の勝手さに憤慨する。その常盤も彼氏と同棲状態。その時、死んだ寺尾の携帯電話が鳴る。寺尾の死を知らなかった伊藤という女性こと三田佳子からであった。
寺尾は蕎麦打ちが趣味で、亡くなった日も「杉並蕎麦の会」に行ったと思っていた。だが、線香をあげに訪れた「杉並蕎麦の会」のメンバーによると、今年は1回も来なかったという。夫の嘘は三田という女性に関係があると直感し、風吹ジュンは三田佳子を呼び出す。翌日、線香をあげにきた三田は、明らかに年上だ。寺尾とは会社の同期で、10年も交際してきたという。驚くばかりだったが。。。



家の子供たちが自分勝手に相続しようとするのを目の当たりにして、主人公は腹たてて家出をする。
生まれて初めて入ったカプセルホテルで年老いた変人女性加藤治子に出会う。これが普通じゃないおばあさんだ。それに加えての主人公の3人の友達、それぞれ一世を風靡した今陽子、藤田弓子、由紀さおりの高校の同級生3人これも面白い。ケンカばかりしているけど、いつも一緒に行動を共にする。「杉並蕎麦の会」の人たちの会へ行き、なぎらケンイチや林隆三と知り合う。初老の恋愛話も混ぜてくる。いろんな個性が入り混じっていって、映画はドタバタしながらおもしろく展開していく。

きっと原作が丹念に作っているのであろう。
それに加えてベテラン役者さん達の個性が冴えていた。それぞれに好演だと思う質の高い映画だ。
最後は主人公の前途を応援してあげたい。そんな気にさせられた。

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花のあと  北川景子

2011-01-27 16:56:35 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
藤沢周平の短編を映画化した作品だ。男勝りの剣の腕をもつ主人公に北川景子が扮する。いかにも藤沢周平作品らしいほのぼのとしたムードで作品が流れ、起承転結がはっきりしている時代劇である。



藤沢周平いつもながらの東北の海坂藩。満開の桜の下、主人公こと北川景子は一人の若い武士、江口孫四郎と出逢う。その男は藩随一の剣士という噂だ。男に劣らぬ剣の腕を持つ北川は数日後、父の許しを得て、江口と竹刀を交えることとなった。激しく竹刀を打ち合ったが、剣の腕に差があり、勝てなかった。その時、真剣に女性の剣士に立ち向かった江口に対して熱い恋心が燃え上がった。


しかし、北川には家の定めた才助という風采の上がらぬ許婚がいたのだ。同じころ、江口にも上級武士の家への婿入りの話がでているのであった。北川は静かに江口への想いを断ちきった。数ヵ月後。冬になって主人公の元に、江口が江戸で自ら命を絶ったとの報が舞い込んでくる。驚く北川。江口が藩の名誉をそこない窮地に陥った末のことであったが。。。。陰謀であった。

満開の桜と雪山の美しい景色が印象的な映像である。男勝りの剣の達人という設定は珍しい。
難しい役を北川景子が上手にこなしたと思う。かなり剣のけいこを重ねたのではないか?
ストーリーは読みやすい。決着の仕方はちょっと不自然な気もする。でも時代劇はそんなものだろう。単純に見た方がいいかもしれない。
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ソウルキッチン

2011-01-26 18:01:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
コメディ映画「ソウルキッチン」渋谷の劇場で見てきました。ドイツ映画を見る機会はほとんどない。しかも、ドイツに行ったことも、ドイツ語も習ったことはない。今回ある評論家が絶賛しているのを見て急に行きたくなった。食感に訴えるシーンやセンスのいい音楽もよくなかなかの作品である。



「ソウル・キッチン」の舞台はドイツハンブルクの倉庫街にあるレストランだ。大衆食堂兼ライブハウスというべきこの店を舞台に、ドタバタ騒ぎが起こる。
主人公ジノスことアダム・ボウスドウコスは、滞納していた税金の支払いを迫られたり、椎間板ヘルニアになったりと、さんざんだ。恋人も上海にいってしまった。腰痛で調理ができなくなったため、頑固者のシェフを雇うことにした。彼は前の店で客とケンカしてやめた腕のたつシェフだ。

「ソウルキッチン」が大衆食堂として人気があったメニューを一気にやめさせて4種類だけのメニューにする。前からの常連がいなくなる。そんなとき、服役中の兄が仮出所してきた。そして、ウェイトレスに惚れた兄が彼女のために盗んだDJセットで音楽をかけると、店は連日、大盛況になる。 しかし絶好調もつかの間、主人公の元の同級生である強欲な不動産屋や、石頭で淫乱な税務署の女まで出てきて次第にハチャ滅茶になるが。。。


ドイツは欧州各国からの移民、特にトルコ系移民が多く、多民族が住まう国になっているようだ。ハンブルグといえば、ビートルズが売れる前にしばし滞在していたところという認識しかない。近代的な都市というよりも、若干タイムスリップしたようなところだ。初めて見る街だ。そんな街の倉庫を改造して作られたレストランはなかなか魅力的。そこにさまざまな登場人物を出していく。
ある意味「ブルースブラザース」をほうふつさせるような映画の匂いを感じた。
音楽のセンスが実にいい。DJにのめり込むほど音楽好きというアキン監督は、作中にさまざまなディスコ音楽に加え、ドイツやギリシャの音楽を混然とちりばめた。ギリシャ移民2世のボウスドウコスは俳優業のかたわらギリシャ料理店を経営しており、本作のモチーフとなっている。


登場人物がそれぞれ奇怪な動きをするので、映画館の中は笑いの渦に包まれていた。
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冷たい雨に撃て、約束の銃弾を  ジョニートー

2011-01-23 20:19:05 | 映画(アジア)
香港好きの自分にはたまらない傑作である。
「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(原題:Vengeance 復仇)は香港のフィルムノワールの巨匠ジョニートー監督の昨年の作品だ。娘の家族を襲撃殺した犯人たちを追うフランスから来た元殺し屋の男の話である。
ジョニート-は「ミッション」「エグザイル」と香港アクション映画ファンにはたまらない作品を残したが、自分の目からするとこの映画の方がはるかに素晴らしい。このブログで絶賛した「スリ(文雀)」のスタイリッシュな映像に魅せられた自分としては、そのスタイリッシュなタッチを強く残しながら、現代香港マカオの風景の中に香港マフィアたちが美しく溶け込む映像を楽しんだ。
後半にかけ若干だれるところがあるが、最高だ!



マカオの高級洋風住宅が画面に映る。中国人夫、フランス人の妻と二人の子供の団欒のシーンだ。
チャイムが鳴り夫が玄関先に行くと、いきなり何者かに襲われる。
娘の災難を聞きつけ、フランスからその父親ことジョニー・アリディがくる。ジョニーの愛娘のみ重体ながら死を免れた。そして、娘の家族を殺害した犯人は3人で、そのうちの一人の耳を娘が銃で打ち抜いたことを知る。地元警察から見せられた現場写真をみて“Vengeance(復讐)”と書くのだった。
そのころ、アンソニー・ウォン、ラム・カートン、ラム・シュの3人は、組織のボスことサイモン・ヤムから殺しの依頼を受け、ホテルの一室でターゲットを仕留める。その時廊下ですれ違ったジョニーアリディに、手にしていた銃を見られてしまう。その事件が明らかになった後、警察はホテルにいたジョニーにマジックミラー越しに並ぶ容疑者から真犯人を見つけるよう依頼する。ジョニーは犯人を見つけたが、「ここにはいない」と証言した。そして釈放された犯人を尾行する。合流したアンソニーウォンら3人に「仕事を頼みたい」と告げるのだった。ジョニーはフランスで経営するレストランと邸宅を提供するという。
その後3人とジョニーは、銃の調達を請け負う男から、香港の海鮮街で店を営む男たちの情報を聞きつける。香港に向かった4人は、耳を負傷した男たちを探し出し、夜の公園で激しい銃撃戦を展開、ジョニーは肩に銃弾を撃ち込まれるが。。。。。



復讐に次ぐ復讐でどっちが味方か敵だかわけのわからなくなる展開は、香港ノワールの典型的なパターンだ。しかし、以前の香港映画のパターンと思ってみると、この映画の素晴らしさに感嘆するであろう。ジョニートー監督は、前作「スリ」で殺しを中心にした映像から脱却した。香港セントラルのコロニアル風ロケーションを舞台に、実に美しい映像を見せてくれた。今回はその延長である。前作の最終場面で傘をさして、華麗にスリの技を競う場面があった。今回も香港の町のど真ん中で同じように主人公およびアンソニーウォンとその仲間3人を雨の中思いっきり泳がせる。傘をさす群衆の様相が、ヒッチコックの「海外特派員」の名場面を思わせる。
香港ノワールとはいえ、殺しに次ぐ殺しという観点で見ない方がいい。殺し屋3人の個性も見せどころ。「スリ」と同様にデコボコのメンバーをそろえる。アンソニーウォンは安藤昇に似ている気がする。



香港らしい夜の薄汚い街かどで得体のしれないムードを醸し出す。また街の映像だけでなく、珍しく砂浜の映像を映す。名作「慕情」を思い起こす。アバディーンを中心に水上生活者の映像を映すのが20年以上前の香港映画によくあるパターンだった。その匂いを思い起こさせる。マカオに関してもグランドリスボアホテルを中心にした大きく変貌したマカオの映像を中心にして、サナド広場や外人居住地も映す。ばくち場裏手の雑踏やストリートガールの呼び込みもある。そんな現代マカオ風俗を見る楽しみもある。



本当にご機嫌な映像が続き満足した。
でもやっぱりマカオのあの異常な夜のネオンの輝きは実物で見たいなあ!

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ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い

2011-01-22 05:30:53 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
コメディ映画「ハングオーバー」の評判を聞き見たくなった。
調べたら全米で2億7000万$、世界で4億6000万$を超える大ヒットである。円高の今のレートでも380億円強だ。これってすごい!日本の過去最高よりも上だ。
その作品が危うく日本で公開されないままになる可能性があったらしい。ゴールデングローブ賞の作品賞(コメディ・ミュージカル部門)となり、あわてて日本でも公開された。
結婚式を間近に控えた男とその友人計4人が独身最後のバカ騒ぎをしようとラスベガスに繰り出すが、ハメを外し過ぎてわけがわからなくなるドタバタ劇だ。
いやーおもしろい。しかも男性向けの映画だ。

結婚式を2日後に控えたダグは、親友である教師と歯科医、そして婚約者の弟と共にラスベガスでバチェラ-パーティーを開こうと向かい高級ホテルのスウィートの部屋に入る。さてこれから飲もうとする場面から一気に翌朝に話が飛ぶ。



当然のごとく羽目を外し、酔いつぶれていた男たちが目を覚ますとニワトリが歩き回り、歯科医は歯が一本抜け、クローゼットには赤ん坊がいるという状況。しかもトイレに虎が出現する。前夜の行動は、もちろん記憶にない。しかも結婚式を目前に控えた花婿の姿が、マットレスともども見当たらない。残された3人は赤ん坊を抱えながら花婿を探しつつ、前夜の記憶をたどるのであるが。。。。



二日酔いで前日の記憶がない。奇妙な電話の着信があったり、覚えのない領収書があったり、前夜の悪事を翌朝聞いて回ることも正直今でもたまにある。そんな哀しい男のサガを見事にコメディ化した。

バチェラ-パーティーすなわち独身最後の羽目外しを題材にした映画って割と多い。日本盤までつくられた「サイドウェイ」なんてその一種であろう。だいたい結婚式を目の前にすると、妙にバカ騒ぎしてみたくなるものである。自分も若いころは人の結婚式にかこつけて相当遊びまわった。
アメリカの場合、それがもっと習慣化しているのであろうか?これだけヒットするからにはそういう要素があるのであろう。女性を対象にしたラブコメではこれだけはヒットしない。ある意味、男の哀しいサガをうまく映画化している。日本人の我々からすると、ラスベガスなんて、酒バクチ女の3つの遊び要素を完備しているすばらしいスポットがあるのでアメリカの男はうらやましい。中国はマカオがあるしいいなあ!

赤ちゃんはコメディと相性がいい。個人的には赤ちゃんを題材にしたコメディって好きで、コーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」とかは見るたびに大笑いしてしまう。ホテルのバスルームに虎がでてきたのには驚いた。キャサリン・ヘップバーンケイリーグラントのコンビによるコメディ「赤ちゃん教育」に出てくる豹のベイビー同様のインパクトだ。それに加えて、なんとボクシングのマイクタイソンまで出てくる。これ自体「虎」のような存在だ。彼の存在自体がサプライズで笑える。「エスター」で恐怖の波状攻撃としたが、この映画は笑いの波状攻撃だ。


日本の映画配給会社も考えてくれたらいい。このブログでもいくつか取り上げたが、DVDにスルーしている大ヒットコメディがいかに多いことか。宣伝次第でもっと日本でもヒットすると思うんだけどなあ

ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える
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ソーシャルネットワーク  デイヴィッド・フィンチャー

2011-01-20 20:40:35 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
話題作「ソーシャル・ネットワーク」を劇場で見てきました。究極のオタクで「フェイスブック」を誕生させたマークザッカーバーグがハーバードのオタク学生だったころから、這い上がっていく姿を描いている。デイヴィッド・フィンチャー作品には好き嫌いがあるが、これはなかなか楽しめる作品だと思う。ITとは縁がない人こそ逆に見てみると良いのではないか?



2003年秋。ハーバード大の学生マーク・ザッカーバーグがボストン大生の恋人とバーで早口で口論しているシーンからスタートする。自己中心的なマークの話に嫌気が差して、恋人から振られてしまう。マークは寮に戻り、ブログに彼女の育ちやブラジャーのサイズまでを書き並べ悪口を載せる。さらにハーバード大のコンピュータをハッキングして、各寮のサイトから女子学生の写真を集め、アルゴリズムの能力に優れた親友のエドゥアルド・サベリンの協力の下で女の子の顔の格付けサイトを立ち上げる。サイトの口コミが一瞬に広がり、2時間で2万2000アクセスを記録する。ところが、サーバーの許容量がパンクしてしまい、大学側に潰されてしまう。

後日、理事会に呼び出しを食らったマークは半年の保護観察処分を受ける。また、大学中の女学生全員から嫌われ者となる。この話を聞き、ボート部に所属する富豪の息子の双子兄弟とその友人がマークの優れたIT能力に目を付け、「harvard.edu」に群がる女と出会うことを目的としたハーバード大生専用サイトの制作協力を依頼する。これにヒントを得たマークはエドゥアルドをCFOとして1000ドルの融資を受けてサイトの制作に取り掛かり、2004年初頭、「ザ・フェイスブック」が誕生する。


いきなり、すさまじい早口である。この掛け合いがこの映画の出来の良さを予感させる。

そこで主人公から語られるのは、テスト満点でハーバードに入学したという自意識過剰の自信、涼しい顔をして自分より低いレベルの大学生をバカにする態度。どう考えてもふられてもおかしくない振る舞いである。いくら天才とはいえ、こんな男は女性からは嫌われるだろう。男性は非常に楽しめるが、女性からするとちょっといやだなと思う気がする映画だと思う。
でもこの主人公のパワーはすさまじい。逆に自分はこの映画を見てものすごいパワーをいただいた。天才、裏切り者、億万長者はみな当てはまるが、危ない奴ではないと思う。



細部はともかく大筋で話はこのとおりだと思う。硬軟両方からハーバードを語る。
ボート部の学生を例に挙げてハーバードのエリート意識を語ると同様に、大学側の学生への大人扱いを学長の言葉として語る。全米ナンバー1の実力とエリートをこれまで輩出してきた実績から、彼らを追う女性も多い。

もっとも「フェイスブック」のきっかけもそこである。群がる女性を軽い存在にして色をつけているために、この映画自体を重々しくしない。70年代のフリーセックス時代の映画のような軽さも感じられる。パーティやクラブのシーンも現代アメリカ風俗として見れる。



最後にエンディングでビートルズの「ベイビー・ユア・リッチマン」が流れる。映画が終了して、独特の低音リズムが聞こえてきた。そしてジョンレノンの声が聞こえる。数百回聞いているからすぐわかる。「マジカルミステリーツアー」のアルバムの中ではもっとも地味な歌で、「愛こそすべて」の前に演奏されていた曲だ。地味なのでレコードをよくとばしてきいたものだ。

先日「ノルウェイの森」を劇場に見に行ってエンディングでビートルズ聞いたばかりだけど、連続で驚いた。
まさに主人公を一種皮肉ったようにこの曲が流れる。歌詞を見ればわかるが、まるでサントラでつくったみたいだ。選曲としてはまりすぎている。

早めに見ておいてよかった。
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腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 佐藤江梨子

2011-01-20 20:21:33 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は佐藤江梨子が女優くずれの役を演じるコメディである。まさに適役といった感じだ。脇の俳優の演技も冴える。傑作という訳ではないが、悪くはない。



北陸石川県の田舎でトラックにある夫婦がはねられるシーンからスタートする。
死んだ夫婦には兄こと永瀬正敏夫妻と妹佐津川愛美が同居していた。その訃報を受け、長女こと佐藤江梨子が東京から実家に戻ってきた。女優になることを目指して上京していた佐藤江梨子は自己チュウの固まりのような女だ。親の仕送りで生活していた。4年前上京を父親に反対された佐藤江梨子は、父をナイフで切りつけようとして、止めに入った兄こと永瀬正敏の額に傷跡を作ってしまった。そして、家族の話を妹は漫画にして投稿してホラー漫画雑誌に掲載されてしまったのだ。それがあってか妹へ尊大な態度をとる。
北陸にいる間に東京の所属事務所をクビになった佐藤江梨子は、雑誌の記事を見て、新進映画監督に自己PRの手紙を送る。あとは実家でわがまま放題でぶらぶら。しかし、次回作のヒロインとして起用したいという文通相手の監督からの手紙が届き、佐藤江梨子は有頂天となる。でも一筋縄ではいかない。しかも東京から借りた金返せと男がやってくるが。。。。



もともとの原作があったわけだが、登場人物の人物設定が実におもしろい。
女流作家の作品だけに3人の女性のキャラが傑作である。
佐藤江梨子のおバカキャラの女優役はまさにはまり役だ。原作者のイメージ通りだろう。極度に自己中心に世の中がまわっているような人物。こんな個性を示せる俳優は他に見当たらない。おバカキャラが売りの里田まいではイメージが違う。
ただこのストーリーを仕切っているのは妹役だ。暗い人物設定で背も低く、バカでかい佐藤江梨子と対照的だ。でも賢い。姉の佐藤江梨子の常に後を追い、漫画のネタにしようとしている。彼女が描くホラー漫画を時折画面に出すところが御愛嬌だ。ラストにかけての展開がおもしろい。
永作博美が永瀬正敏の妻役だ。これがまた味がある演技をしている。もともとコインロッカー孤児で東京の施設育ち。お見合いで田舎に来たが、夫永瀬正敏はいつも冷たい態度をとる。しかも夜の接触もない。かといって帰るところもないわけだから、変人だらけの家族に音もあげず付き合っている。ある意味かわいそうな存在だが、そんなところを全く感じさせない。つらいことにもあっけらかん。
彼女は比較的シリアスな役が多いだけに何か面白い。

そういう配役の妙を感じた。
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ベストキッド  ジャッキーチェン

2011-01-19 18:09:56 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
ウィルスミス制作で、彼の息子ジェイデン・スミスがジャッキーチェンと組んで中国北京にて撮影したアメリカ映画である。中国へ転校して、いじめられてしゅんとしている子がジャッキーチェンの指導でカンフーに目覚めていく映画である。年々発展していく北京の現在の姿をうまく映像に写しながら、カンフー映画的にも楽しめる快作だ。単純に楽しめた。



父を亡くし、母親と2人暮らしの主人公の少年ことジェイデン・スミスは、母の中国への転職を機にアメリカから中国・北京に引っ越すことになった。現地に着き町に遊びに出ると、バイオリンを持ったかわいい中国人の女の子がいた。その子にちょっかいを出していると現地の少年たちに邪魔をされた。ケンカとなるが、カンフー使いの少年にコテンパンにやられた。
転入した学校に行くと、そのカンフー少年たちがいた。そして嫌がらせを受ける。主人公は隠れてばかりいたが、そのグループに泥水を浴びせる。懸命に追いかけるカンフー少年たちに逃げ尽きて傷めつけられる。その時マンションの管理人ことジャッキー・チェンがとめた。実は管理人はカンフーの達人であったのだ。カンフー少年とジャッキーがもみあいになるが、少年たちを捌いていく。その後、カンフー少年の所属する道場の師匠が復讐に燃えていくので、主人公はジャッキーチェンのカンフーの個人教授を受けることになるが。。。

大きく変貌をとげた北京の姿がこれほど鮮明に映し出されるアメリカ映画もめずらしい。北京観光案内のごとく、天安門広場、北京オリンピックの鳥の巣形状のスタジアム、紫禁城、万里の長城と主要観光地は軒並み映っている。同時に北京の下町の光景も描いている。
主人公がカンフー少年たちに追いかけられるシーンで北京の裏通りを映す。「燃えよドラゴン」でブルースリーの妹が追いかけられるシーンをとっさに連想した。中国らしさで映像的に楽しめる。紫禁城の外国映画の撮影はなんと「ラストエンペラー」以来だそうだ。わいろが相当動いたのかな?



主人公が転校した学校には、中国人だけでなく西洋人も数多くいる設定である。こんな学校ってあるの?といった印象だが、日本でいうアメリカンスクールのような私立学校は存在するだろう。主人公の好きになる女の子もそこに通うが、父母がブルジョアの設定で父親は外車を乗り回す。香港だったら、以前でもある設定であるが、まさに現代中国を象徴しているような映像といえよう。
ブルジョアといわれ文化大革命で失脚した人たちが観たらどう思うことか。。。哀しい話だ。
その文化大革命を支持した日本の某大新聞社の左翼思想の面々もどう思うのであろう。



ジャッキーチェンは枯れ切る一歩手前のカンフー達人の役で、ファンキーな彼の一面を見せるわけではない。一部を除き、立ち回りも少なく、少年にその主役を譲っているようだ。その謙虚さが、貫禄ある達人に見せている。題名はkarate kidだ。アメリカではkarateの方が受けがいいのであろうか?
ウィルスミスのせがれのジェイデン・スミスの活躍もすごい。かなり鍛えたのであろう。

それにしても、この空手大会は極真大会を超越した「プライド」のような総合格闘技的試合だ。かなり際どい真剣勝負をやる。日本で子供たちにこんなことをやらせたら、教育ママのような人たちが大騒ぎするだろうと思った。そういった意味でもなかなかやるなあといった印象だ。おもしろかった。
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羊の歌  加藤周一

2011-01-17 21:48:13 | 
この前、加藤周一の話をした。
彼が生まれてから40歳過ぎまでの生き様を書いた「羊の歌」というのが岩波新書にある。
岩波新書でもナンバー96と2桁だ。

1919年の渋谷生まれだ。開業医の息子である。
小学5年で当時の東京府立一中へ飛び級、旧制一高、東大医学部のエリートコースを歩む。
それだけ聞くと何から何までうまく行っているように見える。でもそれを超越した何かを人生でつかんでいき成長する姿が描かれる。一種の私小説である。その中で様々な人物が出てくる。
祖父や父親といった親族、小学校の同級生、教員、身のまわりの世話をしてくれた人、旧制中学、高校の同級生、文学に目覚めた人たち、戦時体制についていこうとした人たち、反発していた人たち。医学の仲間、パリの在留邦人、さまざまな恋した女性などなど。その人たちの姿がスケッチをするがごとく描かれている。

父親の人物像がおもしろい。父親は埼玉熊谷の近郊の豪農の生まれで、跡取りは家督の兄に譲る次男坊
若き日より秀才で、東京帝大医学部を出たが、出世レースで不遇となり開業医になっている。
それも全然商売っ気のない開業医だ。目立たない看板を立てて、無愛想な診察をして、あえて薬を投与しないこともあるような変わり者の医者だ。隠者ということであろう。
はたまた母方の祖父の自由奔放振りが傑作だ。地方の素封家の息子で明治の時代に外遊で遊んでいるような希少価値の人だ。渋谷に多数の家作を持つ。その財産を食いつぶしてのんびり遊んで暮らしている。
妻のほかにも女がいるようだ。孫もたまにその女性と会うところに連れて行く。そんな祖父に父はあまり良い顔をしない。対照的な二人だが、祖父も父も徐々に落ちぶれていく。

また今から80年近く前の東京の渋谷周辺の様子が手に取るようにわかる。
渋谷の金王町で生まれ、育った町並みの様子。
縁日のテキヤの口上の響き
家の中で静かにしていれば聞こえるさまざまな音。
納豆売りの声や豆腐屋のラッパの音。シナそば屋の笛

少し前の東京では聞くことができた音だ
そういった物売りが近くに来る音などのさまざまな描写が素敵だ。

小学生時代の記述がある。
貧富の差が激しい時期、中学に行く人間とそうでない人間とが区別されてクラス替えになる話。
低学年のときに自分と同じくらい勉強ができた大工のせがれの家に遊びに行ったが、
兄弟の子守に追われて付き合ってくれず、家に帰って勉強できない彼を見て哀しく思った話。
彼は小学校で終えるクラスになったようだ。
縁日になり、道玄坂の氷屋にカキ氷を食べに入ったら、同じクラスの出来の悪い同級生がいた。
その同級生は学校の振る舞いとはまったく違う、身軽さで店に来るお客をさばいていた。
別人のような俊敏な友人を見たときの気持ちの表現などなど。。。大衆的な匂いもある
当時の金持ちの子は、普通の小学校に行くのではなく師範学校付属や私立などに行き、町民と違う
学問を受けていた。あえて父親がそうしなかった。その中で彼は「下野の世界」を知った。
でも、それ自体が加藤周一の奥行きの深さにつながっているように思える。
小学校5年でその世界を離れて府立一中にいく。
もちろんそのあとも面白い話が盛りだくさんだが、なんか彼もさみしげだ。

全般的にきれいな日本語を使った昔の都会の情景描写が美しい。
こんなにきれいな日本語ってあるのであろうかと思う。その美しい情景を願わくば、映像として観てみたいものである。しかも、文章がわかりやすい。だからといって軽くない。これってものすごく難しい。妙に難しい言葉をあえて使っていない。さすがである。

加藤周一は訳のわからない左翼政治理論家を否定していた。彼らからは、耳慣れぬ抽象的な言葉がたくさん出てくるだけで、どこへ続くのかわからない。「良く考えられたことは明瞭に表現される。」文章があいまいなのは、多くの場合に、単なる技術面ばかりでなく、言おうとすることを筆者がよく考えていなかったということ、あるいは文章の内容を、作者自身が十分に理解していなかったということを意味する。

そのいいお手本である。
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秋津温泉 岡田茉莉子

2011-01-16 17:23:37 | 映画(日本 昭和35年~49年)
昭和37年の岡田茉莉子主演作品。のちに結婚する吉田喜重監督がメガホンをとる。岡田自ら藤原の原作から自分で企画を立てて制作のクレジットに名を連ねている。岡山の山奥の温泉地を舞台に男女の情念に迫る作品だ。


昭和二十年の終戦前、東京の大学生こと長門裕之が一人岡山を旅していた。たまたま移動の列車にいた女性が秋津温泉の女中で、話を聞き訪れた。心が病んでいるばかりでなく、体は結核に冒されていた。岡山県の山奥の秋津温泉場の娘こと岡田茉莉子は、長門を気の毒に思い自殺から救った。終戦となりしばらく温泉場で療養した後、戻るが自堕落な生活を送っていた。それから三年、長門は再び秋津温泉にやって来た。荒んだ体の療養だが、岡田に「一緒に死んでくれ」と頼んだ。二人で心中を図ろうと川ぺりに向かうが、冗談とばかりに岡田は一笑に付す。しかし、二人の心は深く通じ合うようになっていた。その後も何年かおいて長門は秋津温泉を訪れる。しかし、長門は文学仲間こと宇野重吉の妹と結婚した。その話を聞いても岡田は、長門が忘れられなかったのであるが。。。。

究極の腐れ縁映画故高峰秀子の代表作「浮雲」を思わせる部分もある。白黒の「浮雲」と比較するとカラー作品ならではの美しい風景を映す。季節感のある映像コンテには映像美が感じられる。
岡田茉莉子が美しい。成瀬巳喜男作品の「浮雲」では森雅之が浮気する相手を演じたり、「流れる」では山田五十鈴の芸者置屋に所属の若芸者に扮している。この映画の6,7年くらい前で20代になったばかりの映像であるが、なんかイモっぽい。それに比べると大女優としての貫禄も付いたのか、格段に美しくなっている。着物の着こなしが素敵で、センスがいい。長門裕之との情念の愛を次第に深めていくたびに、表情が変わっていく。それがいい。



山奥の温泉場という設定もいい。雪が降る時の映像が特に美しい。桜の満開の映像も実に美しい。そこに岡田茉莉子の美しい和装の姿が実によく映える。津山駅の風景もひと時代前の地方の風景を表わしている。その情景がムードを高めている。
一つだけ問題があるとしたら、音楽がうるさすぎ。
主題の音楽は素敵な音楽だと思うが、場違いな音響がムードを妨げている。残念
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接吻 小池栄子

2011-01-16 10:56:47 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
死刑囚の男に恋するOLを小池栄子が演じる。比較的淡々とストーリーが流れるが、土壇場で見せ場を作る。普段は大らかでおちゃらけているようなキャラの小池栄子が別の一面を見せる。

主人公こと豊川悦司は、住宅街で縁もない一軒家に侵入し、親子3人を惨殺した。警察とマスコミに自ら犯人であることを告げ、多くのテレビカメラに取り囲まれる中、身柄を拘束される。
自宅のテレビでその逮捕劇を目にした女主人公こと小池栄子は、謎めいた笑みを浮かべる豊川に惹かれる。小池は一家惨殺事件に関する新聞記事のスクラップを開始し、豊川に関する情報を集めはじめた。一方、逮捕後の豊川は、警察の取り調べに対し沈黙を貫いていた。拘留中の豊川に接見した弁護士こと仲村トオルが語りかけても、何一つ言葉を発しなかった。初公判から傍聴していた小池は、弁護士に近づき豊川への差し入れを取次いでくれるようお願いする。見ず知らずの豊川に対して親近感を抱いていると告白する小池は、仲村弁護士には奇異な存在に映ったが。。。。


映画の中の小池栄子は、親族と離れて暮らし同僚ともなじまない。つまらない毎日を送っていたところで事件の男に関心を示す。そういう孤独な性格の女性に個人的には親近感を覚える。キムギドク監督の映画で同じように囚人の処に通い詰める女性の題材があった。もしかして同じような展開なのかとも思ったが違っていた。最終的に何でこういう結末に向けて進んだのか?よくわからない。でも驚いた。

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吹けば飛ぶよな男だが 山田洋次

2011-01-15 05:55:17 | 映画(日本 昭和35年~49年)
山田洋次監督による1968年の喜劇である。なべおさみ主演だ。
エキスポ直前の阪神間の雑踏を舞台にくりひろげられるチンピラ男の話
今ひとつではあるが、昭和40年代前半の風俗が懐かしく感じさせる。



チンピラの主人公ことなべおさみは、仲間とともに大阪駅で天草からの家出少女こと緑魔子を誘惑し、山の中でエロフィルムの強姦シーンを撮影しようとする。必死に拒む姿を見かねて、仲間を裏切り、緑魔子と逃走する。
緑魔子をポン引きのおとりに使ったり、ミヤコ蝶々が経営する福原のトルコ風呂に売ったりしますが、なべは次第に惚れていく。ポン引きの客で気のいい中年の高校教師こと有島一郎がなにかと緑魔子の面倒を見てた。しかし、裏切った兄貴分にとうとう見つかり、「指をつめてわびを入れろ」と大騒ぎになる。。。。

山田洋次監督がめずらしく関西に遠征している。当時セクシー女優として売れていた緑魔子を前面に出す。坂の多い神戸の街を中心に映画は展開していく。煙まみれの阪神工場地帯がいかにも雑な雰囲気だ。神戸新開地が場面にでてくる。福原のトルコ風呂はセットでなく、実際のトルコ風呂で撮影されたのであろう。
主人公がいかにもチンピラである。破天荒な動きがアナーキーだ。でも主役張るには役不足だ。
逆に犬塚弘のやくざに迫力を感じる。石橋エータローと安田伸はポン引きの客役でなべに脅される。
植木等が東宝で活躍していた一方でクレージーの面々が地味に松竹で小遣い稼ぎをしていた。

寅さん映画のスタートの時期に山田洋次がどんな喜劇を撮っていたのか見てみたかった。
同じ大阪の万博真っ最中にロケした「家族」のすばらしい出来に比べると
2年前のこの作品の出来はうーんといった感じだ。
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サイドカーと犬  竹内結子

2011-01-12 17:32:01 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
2007年の根岸吉太郎監督竹内結子主演の人情物である。
母親が家出した後、姉弟の面倒を見るために通ってきた父親の知り合いの若い女性と子供とのふれあいを描く。淡々とストーリーは進むが何かじんわりとした余韻を残す。



はじめに不動産会社の営業として働く30になった女性主人公を映す。冴えない毎日を送っているようだ。彼女は弟から結婚披露宴の招待状を受け取る。そのためか不思議な気分になり会社を休む。そして、主人公は20年前の刺激的な夏休みを回想する。

小学4年生の夏休み、父と喧嘩の絶えなかった母が家を出た。その数日後に主人公の家に突然サイクリング自転車に乗ってヨーコさん(竹内結子)がやってくる。食事を作ってくれるそうだ。誰?と思いながら彼女と買い物に出る。ヨーコさんは煙草を吸い、さっぱりとした性格の女性だった。父は中古車を扱う商売をしていた。しかし、盗難車に手を出したり危ない仕事にも手を出していた。主人公には、ヨーコさんとの生活は驚きの連続だった。しかも、ヨーコさんは主人公を子ども扱いすることなく付き合ってくれたが。。。。

子供心は複雑である。何でか知らず、母親が家出する。そのすぐ後に若い女性が家の面倒を見にやってくる。姉弟は一瞬どうしていいのか戸惑う。新しいお母さんならそれはそれでしょうがないといった気にもなる。しかも、父親の仕事も決して順調そうではない。子供心に不安が募る。
そういった心境の中での子供たちのふるまいと親しくなろうとする竹内結子との掛け合いがいい。



末期の今村昌平作品のようなほのぼのとしたムードが映画を支配している。根岸吉太郎監督のやさしいムードづくりが冴えている。末梢神経に触れるような大きなアップダウンはない。でもなぜか心に残る。最終に近い場面で、娘が父親にからむ場面が出てくる。強烈にしんみりしてしまうシーンであった。

テレビ中継では江川投手を映し出し、阪神の岡田との対決との話をしている。単純に考えれば1980年だろう。それなりに時代考証は考えられていると思うが、ちょっと違うかな?と思われることもいくつかある。自分にとっては大学時代真っ最中、そういえばこの映画に出てくる竹内結子にそっくりのおおらかな年上女性に憧れた記憶がよみがえる。髪型がまだキャンパスにいた竹内まりあを連想させた。

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読書術と加藤周一1

2011-01-11 21:15:35 | 
正月明けて会社に出勤する時、いつもながらの通勤で何を読もうかと思った。

ふと考えて、小谷野敦の「バカのための読書術」を手に取った。何度か読んでいる本である。この人は確かに本を読んでいる。ちょっと変わったところはあるけれど、おもしろい。
小谷野敦の「読書術」をたまたま立ち読みしていたら、お勧めの本の一つに伊藤整の「氾濫」があった。映画評はこのブログでもコメントしている。佐分利信が主演であった。今現在、ほとんど絶版で売っていない本であるが、私の好きな本の一つである。軽いノリだが、こういうとき自分と波長があったと考えて、購入することにしている。
ちなみにその日家に帰って新聞を読んだら、芥川賞の候補に小谷野敦の名があった。偶然に驚いた。

そんな本を正月からパラパラ読んで今年読む本をピックアップしようと思った。
読んでいると、加藤周一の「読書術」の本のことを書いてあった。
いわゆる戦後知識人を嫌う小谷野敦加藤周一には一目置いている。

この本には思い入れがある。転居、転勤してもずっと書棚にある本がある。読書について書かれた本は
かなり読んだが、2冊だけ絶対にしまい込んだり処分したりしない本がある。加藤周一氏の「読書術」小泉信三先生の「読書論」である。2冊とも何度読んだかわからない。いずれも主要部分にマーカーがしてある。
基本的にはフセンをつけて読む方だ。その方がいざというときに処分できる。
でも本当に惚れ込んだ本は、きたなく使ってマーカーがしてある。その一つである。

高校2年にさかのぼる。
それまでは家の近所に住んでいたショートショートの星新一を読んだり、五木寛之の本を楽しんでいたりした。それでも人よりは本は読んでいる方だった。
席替えで自分の席の前に座った奴がいた。1年のときは別のクラスであった。長距離をやけに早く走って、校内マラソンでも上位に入る男だった。勉強も学年で10番以内の秀才であった。こっちは麻雀好きの柔道部員。もうこのころには主将となっていた。でもぐうたら高校生だった。
そんな彼が席を後ろに向いて話しかけてきた。「この問題ってわかる?」数学の積分の問題だった。2年の一学期が終了するころだったが、授業は積分まで進んでいた。容器から流れ出す水の量を計算する問題だったと鮮明に記憶している。しこしこやった。というよりも彼の方が自分よりも勉強ができる。そんな彼がこっちを試したのであろうか?こういうときは気合が入る。解けた。
でも彼はちゃんと答案をつくっていた。そんなの聞かなくてもいいのに。。。
その前の中間テストの世界史の点数が90点以上で自分が先生に名前を呼ばれた。まさに体育会系の自分がいい点数を取ったので驚かれた記憶がある。小学校のときから歴史が好きだったから、他は無理でもこれだけは頑張ろうと思ったのである。

そのことも彼が話しながら「今度家に遊びに行っていい。」といわれた。
品川の自宅はいつも雀荘のようになっていたぐうたら高校生のたまり場であった。
そこに彼が来た。
好きな音楽を聴きながら、本の話になった。自分の書棚を見せた。本は確かにいっぱいあるが、読んでいない本も多い。エロ本も山ほど。親父の書棚からかっぱらってきた本もある。その中に加藤周一の「読書術」があった。まさに親父の本だ。その本を彼はすでに読んでいた。
そしてこの本の通りに読書を進めていると言った。一年の夏休みに芥川竜之介を全部残らず読んだばかりでなく、そのあと夏目漱石も全部読んだと。。。。驚いた。
自分も加藤周一の「読書術」を読んでみようと思った。実にわかりやすくためになる本だった。スタートはそれが始まりである。その後30年以上たち100回以上この本読んだろう。
自分が年間200冊以上コンスタントに読むようになったのも彼とこの本のおかげである。

その後彼は元来の理系の才能を発揮して京大へ行った。受けた後東京に戻って絶対落ちたよと言っていた。発表すら見に行かなかったら、入学手続きの資料が大学から彼の家に届いた。当時京大は点数を公表していて、かなりの高得点だった。東大受けても楽に行けたであろう。もの好きで京大へ行った。
高校の最後には高木貞冶の「解析概論」を熟読理解していた。理系の天才系にはありがちのひらめきがあった。読書家の彼は歴史系が欠けていると思って僕に声をかけたのかもしれない。実は全然そんな力は持っていないのに。。。そのまま学者になるかとも思っていたが、大学で自殺未遂をした。これは驚いた。
校舎の階上から飛び降り、大変な大けがをした。これは自殺だったと思う。それでも病棟で「解析」の本を読んでいた。大学院に行き、そのあと民間の会社に行った。これが大間違いだったと思う。そうでなかったら、その後本当に自殺するなんてことなかったのにと。

今日そんなこと思い出した。加藤周一と高校の同級生が妙にダブった。
加藤周一の「羊の歌」読みたくなった。
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白い恐怖 イングリッド・バーグマン

2011-01-10 20:25:03 | 映画(洋画 69年以前)
アルフレッドヒッチコック監督によるサイコスリラーである。
1945年というと終戦の年。監督にとっては「救命艇」のあと「汚名」の前の作品でイングリッドバーグマンをメインにする。「カサブランカ」「ガス燈」と続き、前年にはオスカー主演女優賞を受賞。彼女にとっての絶頂時期で実に美しい。今回は精神科医を演じる。眼鏡をかけたバーグマンも知的魅力にあふれている。もともと世界大戦のあと精神分析が流行していたそうだが、その分析に関する話は中途半端になってしまった印象だ。


「緑の荘園」と呼ばれる精神病院の前院長が退任して、新院長ことグレゴリーペックが着任した。病院の女医ことイングリッドバーグマンはお固いと同僚から言われていたが、精神医として高名な彼に急激に魅かれた。ある日、バーグマンはグレゴリーが白と黒のストライブ模様に対して異常な恐怖を抱いていることに気づく。また、彼女はグレゴリーのサインが新院長の著書のサインと違うことに気づき問い詰めると、本物の新院長を殺害したと思い込んでいた記憶喪失の患者である事を突き止めた。そして彼はそのままニューヨークへと姿を消した。彼女は心を惹かれたグレゴリーの失われた記憶を追うことで、真実をつかもうとニューヨークへと旅立つのであったが。。。



「白い恐怖」「汚名」はいずれもイングリッドバーグマンが主演で、サイコサスペンスの色彩もあるが、どちらかというと恋愛映画の色彩が強い気がする。それもイングリッドバーグマンの美しさを強調しているからなおのこと感じるのかもしれない。ヒッチコックは美男美女を主演にもってくることが多い。イングリッドバーグマンのあとはグレースケリーと続いていくが、最大のお気に入りはイングリッドバーグマンだとも噂される。有名なイングリッドバーグマンの恋の逃避行でもっとも失望したのはヒッチコックだそうだ。相手役のグレゴリーペックは「ローマの休日」の6年前の作品で、まだ新進気鋭といった感じ。バーグマンからみて格下の印象だ。

恋愛映画的雰囲気を盛り上げるのが、ミクロスローザの音楽だ。彼はこの作品でオスカー音楽賞を受賞している。この後のスリラー映画の基本ベースとなったテルミンによる恐怖の雰囲気を醸し出しながら、基調はラブロマンス的なストリングスの音楽である。繰り返される主題に合わせて、そこにバーグマンが登場すれば、否が応でもロマンチックムードが盛り上がる。

しかし、ヒッチコック得意の小技は他の作品ほどは冴えない。この映画は「夢のシーン」がよく話題に出るが、そんなに凄いとは思えない。やはり彼の本領が発揮されるのは「見知らぬ乗客」からではなかろうか?それまでに6年を要してしまう。「白い恐怖」「汚名」の2作は、これでもかとイングリッドバーグマンに何度もキスの演技をさせるのが印象的だ。
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