映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「おはん」 吉永小百合&大原麗子

2023-11-08 08:55:58 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「おはん」を名画座で観てきました。


映画「おはん」は1984年(昭和59年)の東宝映画、宇野千代の原作を市川崑監督で映画化する。吉永小百合が主演のおはんを演じる。この年の日本アカデミー賞で数々の賞を受賞し、キネマ旬報ベスト10で6位で吉永小百合が最優秀女優賞を受賞している。吉永小百合はこの頃から文芸作品での主演が増えてきた。でも、この当時吉永小百合の映画にはまったく関心がなかった。昭和の頃は,よく宇野千代が雑誌に載っていたなと思い出す。あまり関心がなかった。

古物商を営む幸吉(石坂浩二)は色街の芸者おかよ(大原麗子)のもとで一緒に住むことになり、妻のおはん(吉永小百合)と別れる。それから7年経った時、幸吉は町でおはんとバッタリ会う。おはんに息子がいることを知り、一度店に寄るように言いその場は離れる。来るとは思っていなかった幸吉は店頭でおはんを見つけて、隣のおばはん(ミヤコ蝶々)の部屋に行って情交を交わす。それ以降、おかよの目を盗んでこっそりと逢引きをするようになる。


2人の人気女優の演技合戦が見ものの映画だ。
浮気相手のもとに行ってしまった元夫と逢引きを繰り返して、再度自分の息子と一緒に3人で住もうと望む女が吉永小百合だ。まさか元妻と浮気をしているようには思えず、家を改築して2人で夫婦生活をもっと楽しもうとする活発な女性が芸者の大原麗子だ。その間に入った石坂浩二はモテると言えばモテる男だけど、どちらにもいい顔をしている情けないダメ男だ。森繁久彌はこんな男を演じるのが得意だった。

現代でも、妻とは別れると言いつつ、一切別の女の存在を自分の妻には言わずに浮気している男は確かにいる。ただ、このおはんのように別の女に行ってしまった裏切り者の元夫との復縁を待つ女は明治の女なんだろう。当時は、甲斐性のある男には妾は1人ならず大勢いた。天皇家だって、女官という名の皇族の側近の女性がいた。大正天皇までは正妻の子ではない。医療事情が悪いので子供が育たない。仕方ない。

様々な映画賞を受賞した主演の吉永小百合は奥ゆかしい明治の女を情感こめて演じて確かに良い。今から39年前なので彼女がまだ30代,年齢を感じさせない妖怪のような美しさを備えた現在の吉永小百合もいいが,当然若い時はもっと美しい。当時,いろんな女優が潔くヌードになる映画が多く吉永小百合にも同じような期待がかかっただろう。石坂浩二との絡みできわどいシーンはある。ただ、ここで寸止めで終えたは良かったかもしれない。

大原麗子が非常によく見える。住み込みの芸妓を抱えている置屋のやり手女将である。最後に向けて,大原麗子と吉永小百合が対峙する場面がある。吉永小百合との浮気がばれた後だ。そこでの大原麗子は泣いたりわめいたりせずに落ち着いた面持ちだ。この貫禄はなかなかだせない。今思うといい女優だったんだなと思う。自分から見ると,賞は大原麗子にあげてもいい気もする。


近江八幡や岩国で撮ったとされるロケ地は、ひと時代前の建物が建ち並んで趣がある。セットでなく実際の建物を利用しているので,リアル感が高まる。39年経ってもすべて残っているのであろうか?

市川崑らしいアップを多用する映像はいつも通り。スローモーションで石坂浩二と吉永小百合の絡みを撮るカメラワークも良い。ただ,バックのミュージックにマーラーの交響曲5番の有名なフレーズを使っている。ちょっと違う印象を受けた。最後はストリングスだったからいいけど,途中は陳腐なオルガンもどきを使ってしけた感じがする。五木ひろしの主題歌もどうなのかなあ?映画音楽がもう少しまともだったらもっと良くなっていたのにと感じる。この当時いい作曲家がいなかったのかなあ。
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映画「水のないプール」 内田裕也&中村れい子

2023-09-20 17:56:47 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「水のないプール」は1982年の若松孝二監督作品だ。

内田裕也が俳優として活躍している時期に若松孝二監督がメガホンをとっている。クロロホルムによる性犯罪の事件に影響を受けてつくられた作品だ。沢田研二、赤塚不二夫、原田芳雄、タモリ、ピンクレディのMIEなど超豪華俳優陣が脇を固める。被害者としてメインの中村れい子「嗚呼! おんなたち 猥歌」でも一緒である。当時22歳で美貌の絶頂時期に撮った映像だけに貴重である。DVDがレアで、名画座で観るしかなかった。ところが、Amazon primeでは無料で見れるようになった。なぜか感想を書いていなかったのでいい機会だ。

地下鉄の改札係で切符を切る男(内田裕也)には妻(藤田弓子)と子ども2人がいる。ルーティンの仕事に飽きて転職を考えている。その矢先、家族旅行で行った避暑地の木影で交わるカップルを見てそそられ、女性の部屋に侵入してクロロホルムを使い眠らせ強姦することを思いつく。行きつけの喫茶店の店員ねりか(中村れい子)が1人暮らしというのを小耳にはさんだ男は、後をつけ自宅を確認した後に夜忍び込む。計画通りに実行できた後で、繰り返し忍び込むようになる。


昭和の匂いがプンプンする映画だ。
内田裕也は演技がうまいわけではない。でも、不思議な存在感がある。80年前後から86年の「コミック雑誌はいらない」までの内田裕也は、監督にオレにこういうのやらせろよといっているが如くに美人女性陣との絡みが多い映画にでている。前作「嗚呼! おんなたち 猥歌」神代辰巳監督と組んだが、今度はまさにピンクの巨匠若松孝二監督と一緒だ。浮気相手の島田陽子と出会う前だ。

40年前といっても、今も変わらない建物なんていくらもあるけど、現在、駅に切符切りはいない。そんな昭和の空気感が随所にある。切符切りは退屈な仕事だろう。上司や部下ともしょっちゅう諍いを起こす。決してケンカが強いわけでないのについケンカを売る内田裕也はそんな役柄が似合う。ヒット曲はないのに、マスコミの前に顔を出すといつもロックンロールと一言いう。バカの一つ覚えだけど、それがいい。

特筆すべきは中村れい子の美貌であろう。この当時ずいぶんとグラビアで見せてくれたなあ。その美しい身体も含めて、現代にそのまま引っ張っても上級レベルのルックスといえる。クロロホルムを使って眠っているので、無理やり脱がされるわけでない。夜に忍び込んだ内田裕也が静かに全裸にして、いたした後で、朝食まで作ってあげる。そんなバカなことあるかと誰しも思うだろうが、この世界は奇妙に思えない。


ピンクレディが解散した翌年だ。MIEは雨の日にレイプされそうになっているのを内田裕也に助けられる役で、特に脱ぐわけでない。まだMIEも若い。一緒に暮らす女が「水のないプール」で裸になったりする。


沢田研二と安岡力也はヤクザ役で、内田裕也が居酒屋でケンカに巻き込まれる。ここでの沢田研二は気味悪いくらい妖艶である。全盛期だ。原田芳雄は内田裕也が転職しようとして受けた会社の社長で、右翼がかっている。赤塚不二夫は警察官だ。殿山泰司は内田裕也がクロロホルムを購入しようとする町の薬局の店主タモリは全裸にした女性のからだを撮るポラロイドカメラを売っているカメラ屋の店主だ。町の薬局やカメラ屋を最近は見ない。藤田弓子がムチムチの身体をした内田裕也の妻役だ。よくぞ揃えたもんだ。

若松孝二監督が引っ張ってきたのか、中村れい子以外にも大勢の女の子が脱ぐ。内田裕也のクロロホルムの犠牲になるのだ。そういえば昔よくピンク映画で見たなあという女優さんも脇を固めている。最近日本映画では、瀬々敬久、廣木隆一、城定秀夫などメジャー作品でピンク映画出身の監督の活躍が目立つ。いずれも観客に対してサービス精神旺盛だ。ここでも若松孝二監督のご指導よろしく大勢の若い子が脱いでいるのはいい感じだ。

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映画「アフリカの光」萩原健一&田中邦衛&神代辰巳

2022-09-05 17:57:38 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「アフリカの光」を名画座で観てきました。


アフリカの光は1975年の萩原健一主演、神代辰巳監督の東宝映画である。名画座の神代辰巳特集で未見の作品を確認している。前年の「青春の蹉跌」がヒットしたおかげで東宝から連続して神代辰巳にオーダーが入るようになる。孤高の作家丸山健二原作の映画化で、アフリカでの出来事ということでなく、アフリカへの航海を夢みる若者2人が流れ者のように北国の漁港に入り現地の荒くれた男たちと交わる話である。架空の北国の町となっているが、知床の羅臼が舞台である。流氷が広がり、白鳥の姿も見える。極寒の中の撮影だ。

いきなり、流れ者の若者2人(萩原健一、田中邦衛)が飲み屋で現地の船乗りらしき男たちに絡まれ、大げんかして警察に留置されるシーンからスタートする。なんでケンカするのか、セリフなくいきなりのドタバタ劇だ。その後も、エロ系場末の飲み屋で桃井かおりが男の相手をしたり、飲んだくれ船員が暴れてという港町映画独特のムードでストーリーが流れる。

でも、じっと観ていても、話の内容がよくつかめない。有名俳優が多くても登場人物それぞれがどういう関係にあるのか説明的セリフもなさすぎて「櫛の火」よりもわかりずらい。藤竜也桃井かおりの情夫とわかっても、小池朝雄高橋洋子の父親とは映画見ている間ではわからない。作品情報を読んで初めてわかる。この映画はちょっとキツイなあ。おすすめ映画ではない。

神代辰巳監督も一部作品で演出しているTVドラマ「傷だらけの天使」の撮影を終えた萩原健一が主演だ。訳もわからず、地元の船員たちとすぐ取っ組み合いだ。カメラの姫田真左久手持ちカメラでブレまくりに捉える。ショーケンの動きは「傷だらけの天使」の木暮修とまったく一緒なのに驚く。決してカッコいい役柄ではない。まわりに集団でリンチもくらう。桃井かおりから「あんた下手ねえ」と交わった後笑いながら言われる。それでも、70年代の萩原健一ファンなら、ドジな部分も残したパフォーマンスで気にいるかもしれない。


当時、「スケアクロウ」など男性がコンビを組んだ映画が流行っているせいもあってか、萩原健一の相棒役が田中邦衛である。本職の演劇の活躍は知らないが、映画では「若大将シリーズ」も終わって、仁義なき戦い他の東映ヤクザ映画でチンピラ的役をやった後だ。男色系映画のように妙に2人がくっつくのがちょっと違和感ある感じだ。

神代辰巳監督作品との相性の良い桃井かおりがここでも登場、ヤクザの情婦なのに平気で流れ者の2人に体を許す。萩原健一とは「青春の蹉跌」で雪の上で大胆に絡んでいた。それよりも低レベルの女を演じる。場末ムードがぷんぷんする。高橋洋子も神代作品3作連続で登場するけど、徐々にイマイチになっていく。
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映画「櫛の火」ジャネット八田&草刈正雄&桃井かおり&神代辰巳

2022-09-04 17:59:03 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「櫛の火」を名画座で観てきました。

櫛の火は1975年の神代辰巳監督作品、草刈正雄が主役でジャネット八田と桃井かおりが相手役である。昭和50年代に入ったばかりで町並みや部屋の古さが過渡期の感じがする。映画の存在は知っていても、DVDにない。観るきっかけがなかった作品のひとつである。日活映画主戦場の神代辰巳青春の蹉跌がヒットした後、東宝で一連の作品を監督をしている。人気監督として脂が乗り切っている。ジャネット八田のヌードは週刊誌のグラビア等で当時話題になった記憶がある。結局観に行っていない。古井由吉の原作はあるけれど、必ずしも忠実ではないようだ。

スタートから説明は少ない。映画が始まり草刈正雄がうなだれたパフォーマンスを見せた後、ジャネット八田の絡みと、桃井かおりとの絡みを交互に映す。神代辰巳作品だけに、ねちっこい。当時人気だった女性2人とも気前よく脱いでくれる。でも、一体何者なのかそれぞれのプロフィールが何も語られていない

しばらくして、桃井かおり草刈正雄に話し始める。学生運動にのめり込んだ後に草刈正雄と付き合い始めたようだ。そのうちに、病院内でヒステリックになっている桃井かおりを映し始めたと思ったら、いきなり病院内での通夜のシーンだ。ジャネット八田が人妻だとわかるのもずっと後、河原崎長一郎演じる亭主がいるけど、草刈正雄と関係を持つ。岸田森との怪しい関係もある。何かというと、すぐ戯れるくっついたままの状態は、日活ポルノ並みの絡み頻度で最近でいえば「火口のふたり」のようだ。

映画のストーリーを要約している文章を読むと、実際の映像とまったく違う映画を説明しているようだ。草刈正雄はMG5のモデルから役者になって2年目、セリフも不自然だし、まったくの大根役者である。しかもやせすぎボリューム感ある2人の裸体にはアンバランスなカラダだ。いいところがまったくない。それでも、当時の美人女優2人が気前よく脱ぐ相手役としてのカッコ良さがある。


改めて、神代辰巳の本を読むと、この映画はかなり編集でカットさせられたようだ。併映の萩原健一、岸惠子コンビの「雨のアムステルダム」との関係で30分近くカットされたという。名画座のフィルム状態が悪いのかもしれないが、ここまでカットされるとキツイ。高橋洋子が八田の夫役河原崎の愛人として出演しているが、中途半端な存在になっている。気の毒な感じがする反面、編集だけでなく映倫からもカットされた状態でもこれだけ濡れ場があるわけだから、実際にはどうだったんだろうか?と考えてしまう。神代辰巳監督の盟友撮影の姫田真左久これこそオ◯ンコ映画(映画監督 神代辰巳 2019 p219)だと言っているのもわかる。
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映画「黒薔薇昇天」 谷ナオミ&岸田森&神代辰巳

2021-12-29 07:08:49 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「黒薔薇昇天」を映画館で観てきました。


黒薔薇昇天は1975年の日活ポルノ映画だ。数多く見た日活作品の中で自分には最も衝撃的な作品だった。18歳前だけど、リアル映画館で観ている。いい時代だった。神代辰巳監督にとっても最盛期といえる時期だ。谷ナオミといえば、団鬼六原作の、SM的縛りものがあまりにも有名だが、神代辰巳三部作ともいえるコミカルなタッチの日活ポルノ作品がある。

今回名画座の日活ポルノ特集では「悶絶どんでん返し」と「黒薔薇昇天」を観た。11PM関西版司会の藤本義一原作で、ブルーフィルム製作の男の物語だ。ブルーフィルムが題材の今村昌平監督「エロ事師たちとはちがう面白味がある傑作といえる。

感想を書こうと思ってなかなか筆が進まないときがある。それはつまらない映画の時ではない。衝撃をどう表現しようと思って筆が止まってしまうのだ。少年の時の衝動を思い浮かべ脳裏でようやく言葉がまとまってくる。

紀州和歌山の海辺のホテルでブルーフィルムの監督である十三(岸田森)は裸で戯れる男女を撮影している。ところが、演じている女優のメイ子(芹明香)が男優で亭主の子供ができたので、休ませてほしいと駄々をこねる。結局、やむなく撮影を中止せざるを得ないので大阪へ戻ることになる。

監督の十三はエロテープもつくっていた。犬猫の息遣い、歯科治療に苦しむ女性の悩ましい声等を寄せ集めて、生録りテープのように仕立ていた。いつものように仕掛けていた歯医者の診療所に置いたテープレコーダーを再生する。すると、歯科でよく出会う令夫人(谷ナオミ)が、診療台の上で歯医者からいたずらをされるよろめき声が聴こえる。これは何かあると、早速十三が調べあげると、女が財界の実力者の愛人幾代であることがわかる。


十三は実は探偵事務所の者だと偽って幾代に接近する。十三が執拗に幾代を追いかけると、徐々に気持ちがほだされてしまい、十三の仕事場に連れ込んでしまう。そして、ブルーフィルムを見せながら幾代に迫って身体をからませる。しかし、いつのまにか取り囲んだ映画スタッフたちが、撮影し始めるのに気づき幾代は激しく抵抗する。でも、もとに戻れない快感に狂う。こうして、幾代は十三のブログションに加わるのだったのであるが。。。

⒈谷ナオミと想い出
想い出深い女優である。中学生のとき、試験前などスッキリしない気分になると五反田のピンク映画館に行った。池上線の五反田駅を階下に下り、御殿山に向かって少し進んだところの奥にあった。道路を隔てて三井銀行の反対側である。好奇心で恐る恐る最初入ったが、超未成年にもかかわらず何も言われなかったのでずっと通った。

ピンク映画を観ていると、作品が替わってもいつも出てくる俳優が変わらないことに気付いた。男優では港雄二や久保新二、女優では珠瑠美、原悦子と谷ナオミが取っかえひっかえ出てくるのだ。その中でも谷ナオミの張りのある豊満な肉体に魅かれた。日活ポルノとはまた異なるアウトローな感覚に魅せられた。やがて、谷ナオミも日活作品に出演するようになる。その頃には日活の映画館が地元五反田からなくなっていたので、新宿まで観に行っていた。その頃観たのが「黒薔薇昇天」である。


当時20代半ばだったという谷ナオミの年齢が信じられないくらい年上の役柄が多かった。団鬼六作品で悶える姿が目に浮かぶ。

そんな谷ナオミが引退して熊本でクラブを経営していることを知った。ずっと気になっていたが、突如熊本出張があり大学の同期で地元の役人になっている友人に事前に声をかけていた。日本三大SOと言われているエリアには東京から一緒に行った同僚といきなりいった。そこで体力使った後、おいしい熊本名産物を食べて、同期と落ち合い谷ナオミのクラブへ行った。行く前から心は高揚感であふれていた。そこで実際にお会いした谷ナオミのやさしい笑顔はもう15年以上あれから経つが忘れられない。

話すだけで緊張した。そのむかしお世話になったんですよ。と話しかけると、やさしい笑顔でそうおっしゃる方っていらっしゃるんですよ。そう言っていた。一生の想い出である。

⒉岸田森
何せわれわれの世代にとっては、怪奇ものドラマと「傷だらけの天使」での萩原健一、水谷豊コンビを雇う探偵社で岸田今日子の下につく辰巳さん役である。自分には、中山麻理がストリッパー役をする回での裸を見るエロい目つきが脳裏から離れられない。「黒薔薇昇天」は、「傷だらけの天使」が終わってそんなに経っていない頃だ。

それにしても、ここでの谷ナオミとの絡みは絶妙である。当時映画を観ていて、本気でやっているんじゃないかと思った。大阪の海岸側に建つとおぼしき寂れた船宿での絡みではお互いに真剣度が増して、汗で身体が濡れているのがわかる。岸田森の髪が汗で濡れて薄いのが露呈する。何かいやらしい。迫力あるとしかいいようにない。


⒊神代辰巳
ここ数年神代辰巳作品が映画館で観られるとなると、ついつい仕事の合間を抜け出しても行ってしまう。今年は萩原健一の「恋文に行った。喜劇とまではいかないが、コミカルなタッチが強いのに気づく。以前、内田裕也特集を名画座でやっていた際にも、神代辰巳監督作品だけ観ている。常にロックンロールと言っているだけの内田裕也に笑いを誘う演技をさせる。撮影の姫田真左久との名コンビはいつも通りで、激しめの絡みの演出で臨場感あるカメラが冴えわたる。

日活での谷ナオミが出演する神代辰巳三部作は、かなりコミカルな要素をもつ。上流の貴婦人が罠にはまってSMの縄で苦痛と快楽に喘ぐというのがいつもの谷ナオミパターンなのにこのシリーズだけはちがう。谷ナオミに笑顔が見えることも多い。この映画を久々見て熊本のクラブで自分に振りまいてくれたあの笑顔が目に浮かんだ。

⒋紀州の海景色と70年代半ばの大阪
映画がはじまりすぐさまブルーフィルムを撮っているホテルの外にある景色に見覚えのあるのに気づく。和歌山市と南紀白浜の中間あたりにある白崎海岸だ。まるで北極に来たかとも思える石灰岩で真っ白な海岸線を平成のはじめに初めて見た時の感激は忘れない。地元の人でもこの辺りは行かないと思うし、関西の人でも知らない人の方が多いだろう。産湯海岸など近場の海の透明度は奇跡的だ。その海岸をロケ地に選ぶ神代辰巳のセンスがいい感じだ。


大阪に戻ると、ブルーフィルム撮影隊は街中に繰り出す。大阪難波の南海電車の駅のタクシー乗り場谷ナオミが彷徨うシーンでは心斎橋パルコ前でのシーンを含めて今から46年前、万博から5年しか経っていないミナミの雑踏が映る。


そして、圧巻なのは松坂屋の屋上の遊園地のゴンドラに乗って、谷ナオミと岸田森がエロいやりとりをするシーンだ。何と、ゴンドラには松坂屋の老舗看板マークが付いている。日活ポルノの撮影とわかっていたのであろうか?撮影の姫田真左久が別のゴンドラに乗ってアクロバット的な撮影をしている。1975年当時、大阪松坂屋は京阪電車の天満橋にあったようだ。こんなことって今では考えられない。
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映画「赫い髪の女」 宮下順子&石橋蓮司&神代辰巳

2021-11-27 16:43:23 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「赫い髪の女」を名画座で観てきました。


映画「赫い髪の女」は1979年2月公開で日活ポルノでも傑作と名高い作品である。最近はDVDあるようだが、以前はレンタルで見たことなかった。初見である。名画座の日活ポルノ特集で観たかった映画だ。

奇才中上健次原作神代辰巳監督がメガホンを持ち荒井晴彦脚本というだけで一定以上の質は保証と確信する。宮下順子と石橋蓮司の主演作で、若き日の石橋蓮司の髪がフサフサだ。神代辰巳作品特有のねっとりした絡みのリズムがここでも顕著だ。「赫」という文字に不思議な感情をおぼえる。

ストーリーはどうってことない。うらぶれた海岸沿いの町でダンプの運転手をしている光造(石橋蓮司)が、ドライブインで赤い髪の女(宮下順子)が1人たたずんでいるのを見つける。同乗している光造の仲間と女をひろう。乗っていて突然生理になったと女はダンプを飛び出すが、光造の部屋に向かう。女は名乗らない。どうも亭主がいて、子供もいるらしい。でも、お互いに詮索はしない。あとは情交の連続である。

⒈70年代の地方の情景
石橋蓮司は海沿いの町の土木工事に関連したダンプやブルドーザーの運転手をしている。定職というわけでもなさそうだ。住むアパートはかなりボロい。階下からシャブ中毒の男女の金切り声が聞こえる。お風呂すらない。宮下順子も外の銭湯に行く。たまにインスタントラーメンをすするが、それ以外はひたすら交わる。


70年代のうらぶれたアパートから町に買い物に行く。地方の風景が懐かしい。これが、80年代を過ぎて90年代ともなると、地方にもロードサイド店舗が増えてファミリーレストランが全国どこでもあるようになる。まだ昭和の車が走る街道沿いにドライブインがポツリポツリとある世界だ。

どこでロケしたのであろうか?和歌山出身の中上健次がイメージする海辺の町の肌合いがいい感じだ。ひたすら雨が降り続ける映画である。それも汚いアパートの外でかなり降る。抱き合う2人の情感が高まる。

⒉肌をあわせる宮下順子と神代辰巳
脚本の荒井晴彦はごく最近に火口のふたりという柄本佑と瀧内公美が肌を合わせ続ける映画を撮った。大胆な演出で話題になったが、神代辰巳監督のワイルドな映像に比べればまだまだエロ映画演出の修行が足りないという印象を受ける。ここでも、神代辰巳の演出はワイルドで、宮下順子も応えている。79年の作品なので、火口のふたりのようにヘアがポツリと見えるちゃんと前貼りしているのかいというほどの映像になりえない。番外編のように肉感的な絵沢萌子にトルコの泡踊りの真似事をさせるシーンがいい感じだ。


それにしても、宮下順子の動きに情を感じる。肉感的なボディではないし、乳房も小ぶりだ。若い頃は大して興味なかった。ここでは、ネットリしていて汗をかきながら石橋蓮司と何度も交わる。こんなにいい女だっけ?と思わせるほど今の自分にはよく見える。

⒊中上健次
原作「赫髪」短篇集「水の花」の中の作品である。中上健次和歌山の新宮で生まれている。平成のはじめに自分も和歌山にいたことがあり、親しみを感じる。古代からの歴史があるところ特有に差別は激しいエリアで、小説でも被差別エリアのドツボさを取り上げている。性描写が尋常でない。

映画化した新宮と新宿歌舞伎町を舞台にした軽蔑、紀伊半島の古いおぞましい慣習が映像に覗ける千年の愉楽、王子から十条で働く新聞配達の受験生をピックアップした十九歳の地図いずれもブログで取り上げた好きな映画である。それぞれの主人公はいずれも変わった奴だ。中上健次は文学者としてはそれなりに成功した男なんだけど、死ぬまで劣等感を持って生きて来た感じがある。

「赫い髪の女」の主人公は昭和の田舎町によくいるただの運転手だ。女も教養のかけらもない。社会の底辺をさまようそんな2人が言葉も交わさずにひたすら交わるこんな本能的な感じも悪くない。
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映画「恋文」萩原健一&倍賞美津子&神代辰巳

2021-09-29 06:20:45 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「恋文」を名画座で観てきました。


「恋文」は1985年の神代辰巳監督作品である。萩原健一とのコンビというだけでこの映画の存在は気になっていたが、DVDになっていない。これまで観れていなかったので、名画座に駆けつける。連城三紀彦の直木賞受賞作「恋文」を映画化した。

妻(倍賞美津子)と小学生の息子を持つごく普通の家庭の美術教師(萩原健一)のもとに昔の恋人(関根恵子)から白血病で余命が短いという手紙が届く。死ぬまで面倒を見ようとする夫と親戚のふりをして元恋人と接近する妻との三角関係を描いている。


ストーリー自体はあまりのれない。こんなつまらない話でよく直木賞とったなと思ってしまう。何もかも不自然で、登場する誰にも感情移入はできない。ただ、神代辰巳監督の映画術は冴えわたる。

昭和にデートバックしたなあと実感する映画である。井上堯之の音楽にもいつもの切れ味はない。バックに不必要に流れるだけで古さを感じる。まさに70年代のクサいTVドラマを見るようだ。携帯電話はもちろんない頃だ。連絡をつけるために、公衆電話を使ったり、行く先で電話の呼び出しをする。現代と行動範囲がまったく違ってくる。今で考えると、不自由極まりないが、神代辰巳監督は萩原健一と倍賞美津子を巧みに方々へ疾走させる。「恋文」ではこの2人のピークの姿を見るだけで十分価値はある。

⒈萩原健一
岸恵子との「約束」では顔立ちが未熟な感じがする。その後、TVの「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」などを経て俳優らしさが色濃くなってくる。「青春の蹉跌」あたりで、我々がイメージする俳優ショーケンの顔になる。神代辰巳監督とは意気投合できたのであろうか?共演作は多い。内田裕也も同様だが、神代辰巳は破天荒な男の使い方に長けている。

この役柄ちょっと変わった役柄だ。円満な家庭を築いていたのに、死の病に侵された昔の恋人の面倒をみるというだけで、学校をやめてしまう。しかも、元恋人の手紙を家に残して飛び出してしまい、今や消えた風景である東横線に向かい合う渋谷川沿いのバラックに住み着いて、築地の場外で働く。

もともと破天荒そのものな私生活と連動するような役柄の方が得意なはずだが、「青春の蹉跌」での弁護士の卵といい、「恋文」の元美術教師といいインテリ的な匂いが入る。この時代のショーケンはそんな役も楽にこなす。飲んで暴れて警察に何度もやっかいになるという設定になっているが、「傷だらけの天使」で見るような暴れまくるハチャメチャな演出はない。

⒉倍賞美津子
この頃はアントニオ猪木と結婚していた。20代の倍賞美津子には現代的な美人というイメージをまだ小学生の自分は持っていた。猪木と結婚すると発表されたときは驚いたなあ。でも、今村昌平監督作品「復讐するは我にあり」で豊満なバストを世間に見せつけてくれたときは、その衝撃に当時大学生の自分はもっと驚いた。

この映画の頃、ちょうど39才である。絶えず、いい役がまわっていて女優としていちばん輝いていた。それだけに美しい。雑誌の編集者という役柄だ。キャリアウーマンが似合う雰囲気をもつ。一眼レフを持つ倍賞美津子を映したショットがカッコいい。演技も安定している。キネマ旬報の主演女優賞をはじめ、賞を総なめするのもうなずける。


昭和の頃、80年代であることは間違いない。どうしても時期を特定できないが、一度だけ実物を見たことがある。ホテルニューオータニのトロピカルラウンジ「トレーダービックス」に男の取り巻きを連れて飲んでいた。すごい迫力だった。まさに後光がさしていた。最近映画館の予告編で佐藤健の新作で年老いた倍賞美津子を見た。本当に老けた。今回名画座で観れるということで足がむいたのも、当時絶頂の倍賞美津子を見たかったのだ。よかった。

⒊高橋恵子
萩原健一演じる主人公の元恋人で余命短い白血病の患者を演じる。高橋伴明と結婚して間もない頃だ。自分はデビューまもない大映倒産寸前の「おさな妻」の頃からのファンである。少年の頃はよく「お世話」になった。70年代後半は精神的に不安定だったのか?失踪事件を起こしたり、常にスキャンダルと背中合わせだった。

ここでは、花嫁姿まで見せつけるが、高橋恵子はそんなに素敵だと思わない。もっときれいな高橋恵子ってもう少し後の方が拝めると思う。

⒋神代辰巳
神代辰巳監督はいくつか鋭いショットを見せつける。西新宿の地下道で、通勤時に一斉に駅から高層ビル方向に向かって歩く大勢の人混みの反対方向に萩原健一と倍賞美津子を歩かせるショットがうますぎる。それに加えて、カメラに向かって萩原健一と倍賞美津子を並んで座らせ、長回しで演じさせるシーンも大画面にはえる。交互に横向きの2人を切り返すアングルもいい。大人の恋というのを強く意識させる。

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映画「夜叉ヶ池」坂東玉三郎&篠田正浩

2021-07-12 05:00:12 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「夜叉ヶ池」を観てきました。


映画「夜叉ヶ池」は1979年(昭和54年)の坂東玉三郎主演の篠田正浩監督作品である。泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」を映画化したものだ。公開当時大学生だった自分も、坂東玉三郎が女形で一人二役を演じる面白そうな映画があるのは気づいていた。残念ながら当時観ていない。この映画の存在をすっかり脳裏から外していたのも、篠田正浩監督の他の有名作品と違い、名画座でもDVDで見たことがないからだ。今回90歳になった篠田監督が坂東玉三郎の同意を経て構成し直したらしい。日経新聞の記事で気づき公開早々観に行く。

これは凄い映画である。
今から42年前の技術としては最高の特撮技術を使って、山からの大洪水の映像を映す。


また、人気女形として世間の注目を浴びていた歌舞伎界の新しいスター坂東玉三郎を主演に起用して、美の極致ともいうべき姿を映し出す。映像のバックには冨田勲のシンセサイザーが鳴り響き、妖気じみたムードを醸しだす。坂東玉三郎が山の神である白雪姫を演じる場面の迫力は半端じゃない。本来これが戯曲であったというのがよくわかる。上映当時29歳の演技は実に素晴らしく、この迫力は大画面で感じとるべき作品である。
恐れ入った。


岐阜と福井の県境にある様々な伝説のある夜叉ヶ池を目指して植物学者で僧侶でもある山澤(山崎努)が旅をしていた。山のふもとの村落では、雨が降らずの日照り状態で村の人たちが困っていた。井戸でさえもカラカラだ。そんな村から山間部に入ると、泉が湧いているのに気づく。そこでは一人の女百合(坂東玉三郎 二役)が炊事をしているのを見て山澤は声をかけた。


百合は白髪の老人晃(加藤剛)と同居していた。晃の了解を経て、お腹が空いているという山澤は一軒家に寄らせてもらった。百合は旅の間で見聞きした面白い話を聞かせてくれと山澤に告げると、部屋の奥にいた晃は旅人の声に聞き覚えがあり驚く。間違いなく親友の山澤の声だったからである。

晃は世間から姿を隠した身であったので、目の前には出ず、やがて山澤は夜叉ヶ池に向かい山の中に姿を消した。ところが、突如大雨が降ってくる。これはたいへんと晃は慌てて山に探しに向かい、2人は再会するのだ。そして旧交を温める。長くは滞在できないと聞き、2人で夜叉ヶ池に向かうのである。

一方で、いったん大雨が降ってようやくホッとした村落の人々であったが、すぐに止んでしまう。これは困ったと、村では陣中見舞いに来ている代議士(金田龍之介)をはじめとして、夜叉ヶ池の龍神のために若い娘を生贄にしてしまおうとして、百合をその対象にしようとする話がもりあがってきたのであるが。。。

⒈坂東玉三郎の妖艶な姿
百合と白雪姫の一人二役である。戯曲では必ずしも一人二役ではないようだ。か細い声を出して、晃の妻を演じる坂東玉三郎は明治大正の写真に出てくる古風な美人という感じでそんなにビックリする程の存在ではない。妖気じみているわけでもない。ところが、雨がいったん降り、泉の中から水の妖怪のような男2人が出てきてから、神話的な要素が出てくる。そして、白雪姫が登場するのだ。


ここで完全に戯曲的要素が強まる。着物を着た坂東玉三郎演じる白雪姫の迫力が凄い。女形にしては高身長の玉三郎が打って変わって凄まじいオーラを発する。実質的に舞台劇を映画に映し出すというわけである。ましてや大画面でアップに映る玉三郎が醸し出す妖気は半端じゃない。この映画の見所はここだろう。

⒉豪華な出演者
山崎努が最後までストーリーを引っ張る。大学教授兼僧侶という役柄だ。「天国と地獄」をはじめとした黒澤映画の名脇役で存在感を示した後で、この映画に近いキャリアでは1977年の「八つ墓村」の殺人鬼の印象で世間を震撼させた後だ。

加藤剛演じる萩原晃は夜叉ヶ池に魅せられ来て百合の魅力にどっぷりハマって山に残っている設定である。さまざまな場所で色んな職業の人の面白い話を聞くのが好きということで言えば、柳田國男のような民俗学者ということなのであろうか?大岡越前シリーズはもちろん「砂の器」や「忍ぶ川」といったいった名作も撮り終えて乗っている頃だ。


こういった主戦級に加えて、脇役も揃っている。ファンタジーの世界では水の妖怪を常田富士男と井川比呂志という名脇役が演じ、三木のり平もでてくる。腹黒い代議士役は金田龍之介でまさに適役だ。これだけのメンバーを集めたというのも篠田正浩監督作品ということもあるけど、上り調子の坂東玉三郎主演というのも強い吸引力となった気がする。

⒊冨田勲のシンセサイザー
クレジットはなかったが、バックに流れる音楽が冨田勲のシンセサイザーだというのはすぐ察した。映像にマッチしている。音楽がうるさすぎて興醒めする映画は多い。ここではそうは感じない。坂東玉三郎演じる百合の存在がこの世のものとは思えないからだ。しばらくはオリジナルだと思っていたが、ムソルグスキー「展覧会の絵」の有名なフレーズも入っているのに気づく。

自分が初めて冨田勲のレコードを購入したのは「展覧会の絵」が最初だ。ELPことエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」は針ですり減るほどレコードを聴いていたので、馴染みがあったからだ。ピークはホルストの「惑星」だったかもしれない。

⒊龍神の怒りで氾濫する池と特撮
そもそも夜叉ヶ池って泉鏡花の小説に出てくる架空の池だと思っていた。映画を見ながら、どこでロケしたのかなと思っていたくらいだ。まあ幻想的でいくつかの神話ができるのもよくわかる。龍神のご機嫌を取るために、1日に3回鐘を鳴らすわけだ。でも、怒りが表面化する。そこからの大洪水の場面は迫力ある。時節柄不謹慎な話だが、ごく最近に熱海の大惨事をTVで見ていたけど、それを予測していたみたいな映像だ。


溢れるような激しい水の流れは途中でアレ!イグアスの滝だとわかる。ウォンカーウェイ監督の「ブエノスアイレス」にもイグアスの滝が何回も映し出されるが、豪快な滝である。自分がよく知っている画家が、ここにスケッチしに行ったけど、まあ中心部からかなり遠いところらしい。今でも遠いくらいだから、40年以上前なら日本からの直通便は当然ないし、行くだけで難儀したんじゃないかな。

篠田正浩監督はインタビューでこう語る。
南米・イグアスの滝に宮大工を呼び、鐘楼を建てた。大船撮影所の特撮では50トンの水流でミニチュアのセットを押し流した。イグアスの滝は神の手で造られた景色だという。その霊力を日本の歌舞伎の女形なら表現できる。男女の境がなくなる。超現実の世界だ。性を超越した女、性を超越した男というものが歌舞伎劇にはでてくる。

洪水に飲み込まれ、北陸は大水源池に変わる。それをゴジラなんかを作った日本の特撮の技術でやる。近代文明が造った東京や大阪をゴジラが壊すように。僕は42年前に天災と人災、2つのダブルパンチを受けた光景を見ていた。同じ事をやっていた。俺こんな傑作作ったかな?

「夜叉ヶ池」の普遍的なメッセージを伝え、僕の映画を支えてくれた人たちに報いたいと思った。(篠田正浩インタビュー 日本経済新聞 7月5日記事引用)
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映画「コミック雑誌なんかいらない!」 内田裕也&滝田洋二郎

2021-07-11 06:39:41 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「コミック雑誌なんかいらない!」を名画座で観てきました。1986年キネマ旬報ベスト10の2位である。

なかなか観るチャンスがなかった映画である。これがムチャクチャ面白い。
後におくりびとでアカデミー賞外国映画賞を受賞し一躍有名人となった滝田洋二郎が監督する。内田裕也がTVのワイドショーの突撃リポーターを演じる。「嗚呼!おんなたち・猥歌」「少女娼婦 けものみち」などこの頃の内田裕也が出る映画にハズレはない。


1985年(昭和60年)に話題になった事件がいくつも取り上げられている。豊田商事事件や三浦和義のロス疑惑、神田正輝と松田聖子の結婚などに加えて日航機墜落事件、山口組一和会の抗争までピックアップする。個人情報保護法やコンプライアンス問題に異常に過敏な現在の社会でこんな映画今作ろうと思っても無理だろうなあ。

内田裕也のリポーターぶりはまさに不器用といった感じである。しゃべりっぷりはたどたどしい。素人俳優丸出しだ。梨本勝をはじめとしたよくいるレポーターとは大違いである。もっとも取材陣が押し寄せるときには梨本勝や須藤甚一郎なんかも登場する。でも、突撃取材は反発を喰らうことが多い。演技とはいえ喧嘩早い内田裕也が抑えているのがよくわかる。

三浦和義のインタビューというのがリアルすぎてすごい。内田裕也が真相はどうなんでしょうか?とたどたどしく突っ込む。天才詐欺師三浦の方がある意味役者だ。いくらか出演料もらっているのであろうか?
こんなの映像で見れるチャンスないよ。


ざっとこんな感じだ。
ワイドショーのレポーター、キナメリ(内田裕也)は突撃取材で人気がある。
⒈成田から飛び立つ桃井かおりに、放送作家の高平哲郎氏との恋愛についてマイクを向けていたが、まるで相手にされなかった。これってマジなの?演技なの?

⒉バリ島から帰ってきた三浦和義を他のキャスターとともに成田で待ちうける。準備中と札の出ているフルハムロード・ヨシエに入って三浦和義(本人)にマイクを向けてコーラを浴びせかけられてしまう。


村上里佳子がママをしている馴染みのバーに入って、取材で苦しめた桑名正博と安岡力也(本人)に絡まれ、お前の来るところでないと強い酒を飲まされる。

当時の村上里佳子の美貌に驚く。

松田聖子、神田正輝の結婚式が近づいており、聖子の家に張り込み、風呂場で唄う「お嫁サンバ」を録音することに成功するが、電信柱に昇っているところを警官に捕ってしまう。警察では警官(常田富士男)に絞られるが、チャッカーズ(?!)のサインをくれと原田芳雄演じるプロデューサーにコッソリ耳打ちする。

常田富士男のボケ刑事ぶりが笑える。

山口組、一和会の抗争の取材で、ヤクザの溜まり場に行き威嚇されおびえる。

役者がヤクザの役をやっているように見えないけどなあ。いいのかな?

⒍同じマンションに住む老人(殿山泰司)が、セールス・ウーマンから金を買ったという話を聞いて疑問を抱いたキナメリは独自に、金の信用販売会社を捜索し始めた。現場体験記の番組で、金の信用販売についてレポートしたいとプロデューサーに提案するが相手にされない。
ある日、ホストクラブを取材し、一日ホストを勤めた彼は、ある女に買われホテルに入る。女は激しく体を求めるが金がない。代わりに数百万円の金の証明書を彼に渡した。数日後、テレビのニュースで女がガス爆発で自殺したことを知り、彼はハッとして隣りの老人のドアを叩く

⒎日航機の堕落現場を山に登って取材する。

そして最後に
豊田商事事件で会長襲撃のTVのリアルな映像には日本中が唖然とした。これを真似てビートたけしが犯人役となって金の信用販売会社の会長が住むマンションに行き取材陣の前で窓を破って中に入ると、アッという間に会長を刺殺してしまうシーンも映す。


ビートたけしもこの頃はまだ若く、パフォーマンスは凄いけど、今の顔ほど殺人鬼が演じられる顔にはまだなっていない気もする。なんせあの時、殺しに部屋に侵入した連中の人相はすごかった。人殺しをする奴の人相ってこんな顔なのかと自分は感じていた。

こんな感じである。
こうやってみると鬼籍にはいった人が多い。みんな死んじゃった。時の流れを感じる。まあこの時代には社会人になってリアルに生きてきた自分からすると、面白いシーンが続く。

滝田洋二郎監督はそれまで世間を騒がせた事件を題材にしたピンク映画(ポルノでないピンク)を数多くつくってきた。そういうドキュメントテイストが映像に満ち溢れている。売れっ子ホスト役でピンク映画の名優港雄二や久保新二もでてくる。殿山泰司を騙すセールスレディはピンク女優の橘雪子だ。いわゆる友情出演だよね。

この頃増えはじめたノーパン喫茶からファッションマッサージ系に移りつつある新宿風俗エリアの取材シーンも懐かしい。


その他、内田裕也がTV取材の1日体験でホストをやったりして、郷ひろみが売れっ子ホスト役で特別出演したりする。ホスト仲間に片岡鶴太郎がいて、郷ひろみのモノマネで哀愁のカサブランカを本人の前で歌うのがご愛嬌である。

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映画「十九歳の地図」 中上健次

2021-05-31 21:23:15 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「十九歳の地図」は1979年(昭和54年)の作品

「十九歳の地図」は和歌山出身の奇才中上健次原作の映画化である。平成のヒトケタ年代に和歌山市内で仕事していたことがあり、中上健次作品はいくつか読んでいる。ただ、この映画を知らず何故かご縁がなかった。amazon primeにあるので、何気なく観てみたらこれが面白い。


和歌山出身で、新聞配達をしながら東京の予備校に通う青年が、ちょっと変わった同僚の先輩とともに様々な出来事に出くわす物語だ。柳町光男監督は鹿島を舞台にした根津甚八主演の「さらば愛しき大地」を観ている。
「地図」というのは新聞配達で担当するエリアのお手製地図で、そこにチェックを入れている。ちょっと気に入らないことがあると、お手製の地図に×をつけていくのだ。

映画がはじまって、すぐさまロケ地が東十条から王子にかけてのエリアであることがわかる。ちょっと驚いたが、昭和の時代に短期間住んだこともあり、今でも王子名主の滝周辺をたまに散歩するので馴染みが深い。最近の映画だったら、あえて住所を隠すところであるが、電柱などから露骨に住所が見えるようになっている。


吉岡まさる(本間健二)は和歌山から上京してきて、住み込みで新聞配達をして予備校に通っている十九歳の青年だ。体力勝負でつらい仕事なので、予備校にもあまり行ってはいない。吉岡は配達区域の地図をつくり、それぞれの家に名前を書き込み配達で気に入らないことがあると×印、ムカつく度合いで×印2つなどとランクをつけチェックしている。その×が増えると公衆電話から嫌がらせの電話をかけたりしているのだ。


吉岡の同室には30代の独身男、紺野(蟹江敬三)がいて日ごろは仲良くしている。ホラばかり吹いていてダメ男の紺野は、自殺未遂の末、片足が不自由になった女(沖山秀子)をマリアと呼んで親しくしている。でも、金回りの悪い紺野は、亭主づらをしたいがあまりにひったくりや強盗を繰り返すようになるのであるが。。。

⒈中上健次
和歌山でも新宮出身である。紀伊半島の南側で和歌山市から特急で3時間半もかかる三重県との県境だ。その近くの那智熊野はいわば日本の聖地で歴史がある。歴史が長い処はどこも被差別問題があり、路地といわれるエリアの住民を描いた中上健次の作品にはその色が濃い。若松孝二監督が晩年に撮った千年の愉楽は中上健次作品らしいどんよりした雰囲気をもつ。

「十九歳の地図」の作品発表は1973年で、芥川賞候補になった。中上健次は高校を出て上京して浪人生活をしている。その時の心情を書いたものなのであろう。結局は大学へは行っていない。運良く評価されて、その後1976年「岬」で芥川賞を受賞するのだ。映画化は1979年と若干ブランクある。

⒉新聞配達配達員の悲哀
単調な肉体労働でもある。自転車にも乗るであろうが、1人あたりの配達数は多い。ずっと走りっぱなしだから体力も使う。雨の中もあくせく走っていくのだ。

ここでは我々が知ることのない新聞販売店の世界も描かれる。早朝に起きて、早朝のラジオ放送を聴きながら配達のトラックから新聞の束を新聞店の中に運び、配達員が自分が配る新聞にチラシを入れ込む。手際良くやる必要がある。


あと、重要な仕事は集金だ。どんな業種でも回収というのは嫌な仕事である。店の中に各配達員の棒グラフがある。集金業務での回収率によって給与の支払いに滞りが出ることもありうるというのだ。非情だ。毎日配達しているのに、「オレはとっていないよ」と集金時に言われることもある。逆に、「大変ね」と集金に行った時にお茶やケーキが出ることもある。その時に奥さんに「お国はどこ?」なんて言われるのだ。

そんな台詞を聞いて、自分の母を思い出した。見るからに田舎から出てきたばかりの寿司屋やそば屋の出前にそんな風に声かけていたなあ。でも、気に入らないこともあってその家に主人公は×をつける。ちょっとひねくれている。

⒊王子から東十条エリア
中十条とか王子本町とか具体的に地名が出てくる。映画上映時はまだ埼京線ではなく、赤羽線十条駅と京浜東北線東十条駅の間あたりのエリアから以前板橋のガスタンクがあった辺りまででロケ地が散らばっている。今でもごちゃごちゃ入り組んでいるところは多い。京浜東北線の線路沿いから一気に高台になる。ガケに建っている家も多い。

王子駅から坂を上がった飛鳥山公園展望台があったのも映像に出てくる。ここから西ヶ原、滝野川方面と王子駅前も映し出す。もちろんこの展望台も今はない。今はあの汚い外部をカーテンウォールで隠しているが、駅前に「女の世界」というキャバレーがあった。一瞬だけど、それも映す。貴重な映像だ。


「十九歳の地図」の原作は未読であるが、設定の場所はこのエリアではないようだ。中上健次の履歴を見ても、北区付近に住んだ形跡はない。柳町監督がロケハンで選択したようだ。でもこのエリアをあえて選択したのも「王子スラム」があるからかもしれない。

⒋王子スラム
今だったら、大騒ぎになる表現も多い。主人公も配達エリアを示す地図に「王子スラム」と書く。しかも、そのスラム地帯が映像に出てくるのだ。廃品回収のクズ屋とかがある掘立て小屋が立ち並ぶ。まさに昭和を甦らせるすごい貴重な映像だ。もちろん今は跡地すらない。


昭和40年代前半、母が流産したことがあった。自分にとって妹になり損なった子の霊を祀る寺が王子にあった。母と一緒に品川から京浜東北線に乗って王子駅を降りて、今は公園になっている石神井川の横を歩いた時にショッキングな場面に出くわした。ハン◯ル文字の回覧板のようなものがあって、汚い掘立て小屋が並んでいた。もう50年以上経つが、この光景は鮮明に脳裏に焼き付いている。

今回この映画に出てくる「王子スラム」を見て、まったく同じように見えた。「王子スラム」の場所は王子駅と東十条駅の中間地点にあたり、場所は違う。こんなに色んなところにスラム街があったのかと改めて驚く。映画では在日の人たちの会話も出てくる。柳町監督がその辺りは意識している気がした。
コメント (2)
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「傷だらけの天使 ヌードダンサーに愛の炎」中山麻理&萩原健一&水谷豊

2020-11-12 20:05:07 | 映画(日本 昭和49~63年)
傷だらけの天使は1974年(昭和49年)のテレビシリーズ

「太陽にほえる」で衝撃的死に方をした萩原健一をクローズアップするシリーズだ。深作欣二や神代辰巳などの映画界の鬼才を毎回監督として起用する。


「ヌードダンサーに愛の炎」市川森一の脚本、萩原健一、水谷豊、岸田森、岸田今日子というレギュラーメンバーと役者が揃ってメガホンを深作欣二が持つ。70年代の日本映画を代表する傑作「仁義なき戦い」と同時期の映像で、手持ちキャメラの躍動感が冴える。最高だ。深作欣二は「傷だらけの天使」では実際2作しか演出していない。シリーズにはいい作品が沢山あるがもっとも衝撃的作品だ。

毎週ゲストの美女が顔を連ねる。いろんなヌードが楽しめるシリーズだった。その週は中山麻理だ。演じるのがヌードダンサーで美しいバストを見せる。これを見て世間の男どもは皆圧倒された。ここでもストリップ劇場の観客席にいる岸田森が脱いだ姿を目の当たりにして目をまるくする。それにしても改めて見るとやっぱり凄い。見せる!!Amazonプライムで無料で見れる。


綾部事務所に財界の大物から依頼があった。上流の生活に飽き足らなくなった娘マリ(中山麻理)が家出をしたまま帰ってこないで、今はストリップ嬢になっている。どうもヤクザあがりの男である忠(室田日出男)に惚れているようだ。取り戻してくれないかという依頼だ。綾部事務所の辰巳(岸田森)は木暮修(萩原健一)にストリップ劇場の観客席で何とかとり戻せと依頼し、アキラ(水谷豊)と一緒に幕引きで劇場に勤めるようになる。

修は近づこうとしてマリと待ち合わせをするが、そこにベテランの踊り子が来たりして、夜のお相手で閉口する始末。忠とマリの関係は崩せそうにない。そんな忠がむかしの仲間とのイザコザに巻き込まれている様子であるが。。。

⒈中山麻理
自分が小学生の頃、サインはV巨人の星はクラスの誰もが見ていた。岡田可愛演じるユミのライバルで最初は同じチームだったブルジョアの娘である。見ようによってはツンとしている。巨人の星で言えば、花形満だ。途中でライバルチームに移籍する。当時誰もが椿麻理として中山麻理のことを知っていた。

傷だらけの天使が始まる前に、田宮二郎主演の「白い影」という渡辺淳一原作のTVドラマがあった。その時に、田宮二郎が勤務する病院のご令嬢で田宮二郎に言いよる役を演じた。この役柄はキツイイメージの金持ちのご令嬢である。サインはVからすると、若干イメチェンである。存在感はあった。


中山麻理は同じ時期にショーケンこと萩原健一のライバル沢田研二主演の映画「炎の肖像」でも爆乳を披露している。ただ、こんなにすごいものが服の下に隠されているとは知らなかった。早乙女愛と同じ衝撃である。

2.手持ちカメラの躍動感
深作欣二監督作品仁義なき戦いのヤクザたちの殴り込み格闘シーンでは手持ちカメラが躍動感ある映像を映し出している。この番組でも萩原健一と水谷豊がヤクザと大喧嘩をしてコテンパンにやられるシーンがある。手持ちカメラで乱闘を映し出す手法は同じである。手持ちなので映像はブルブル震えている。それが緊迫感を高める。まさにドタバタ劇をそれらしく見せる。

萩原健一まで死んでしまったので、ここにでている面々は岸田今日子、岸田森、監督の深作欣二をはじめとしてほとんど若くして鬼籍に入っている。深作欣二映画常連の室田日出男「ピラニア軍団」や「前略おふくろ様」で人気者になる直前である。

現役続行は水谷豊だ。頑張っている。彼がスター街道を歩むきっかけはこの作品で、「兄貴~!」萩原健一にからむのをTV「ぎんざnow」「素人コメディアン道場」でものまねをやってスターになったのが柳沢慎吾や関根勤や小堺一機など。学校でもみんなものまねやっていた。このシリーズでは最終回に至るまで情けない役柄が多い。ここでも中山麻理の言葉に翻弄される。今では考えられないくらいの振られ役だ。最後にストリップ劇場のかぶりつきで踊り子のご開帳を見るシーンがある。バックミュージックがなんと伊藤蘭がリードボーカルのキャンディーズ「危ない土曜日」だというのは偶然にしては今見ると出来過ぎだ。


中山麻理的にはGSで一世を風靡した沢田研二と萩原健一の2人とベッドシーンを演じられるわけだからまんざらでもないだろう。逆に世の女性ファンからは嫉妬の目で見られただろう。自分的にはこの時の中山麻理を手に入れた無名俳優だった三田村邦彦に羨ましいなあという気持ちをもっていた。

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映画「大地の子守歌」原田美枝子&増村保造

2020-10-14 16:46:52 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「大地の子守歌」を名画座で見てきました。


「大地の子守歌」は昭和51年(1976年)の作品で自分と同世代の原田美枝子主演、この映画も長い間DVD化されていなくて見るチャンスがなかった。名画座で増村保造特集を上演しているに気づき、足を向けた。これは見てよかった。13歳の少女が瀬戸内海に浮かぶ島の遊郭に売られ悪戦苦闘するという話だ。ここでは増村保造のハードな演出とこの当時まだ若干17歳だった原田美枝子の体当たり演技が光る。

昭和7年、四国の山奥で13歳のおりん(原田美枝子)は、ババアと呼ぶ祖母(賀原夏子)と暮らしていた。男勝りのおりんは小学校もいかず、獣を狩って食べる野生人のような生活をしていたが、ある日家に戻るとババアが息絶えていたのに気づく。そのことは周りに黙っていたが、村の人たちにばれてしまう。一人になったおりんを狙って、女衒の男がおりんに接近する。山で育って海を見ていないおりんに、言葉巧みに海を見に行こうと誘い、瀬戸内海に浮かぶ御手洗島に連れて行くのだ。

島にいくと富田屋という遊郭に連れていかれる。おりんは抵抗したが、そのまま下働きをすることになる。男勝りのおりんは周囲と常に軋轢を起こしていた。陸地の売春とは別に「おちょろ舟」という舟を出して沖で停泊する船での売春があった。おりんは進んで漕ぎ手になり店を手伝った。

やがて、初潮を迎えても店に黙っていたが、富田屋の店主たちにばれてしまい客をとるようになる。おりんはこの生活から逃れようと人の倍働いた。海辺で同世代の青年(佐藤佑介)と知り合ったりして気を紛らしていた。ところが、ある日目の前が見えずらくなっていることに気づく。人一倍働いていたせいか医者に行くと片目はほぼ失明状態だといわれるのであるが。。。

1.野生の女おりんとセックスチェック第二の性との共通点

山奥の藁ぶき屋根の一軒家がおりんとババアの住処だ。野ウサギを狩ったりして小学校もいかず生活する。野生そのものだ。言葉づかいも普通の男以上に荒々しい。そんなおりんが瀬戸内海の島で売春宿に気が付くと行かされている。他の女郎とはすぐさま取っ組み合いのけんかを始めるし、手が付けられない。気に食わない客から「水くれ」といわれたのでバケツに水を入れてきて、客に浴びせるとかめちゃくちゃだ。


そんな野性的なおりんを演じる原田美枝子もすごい。悪さをしたときに、全裸で店主からお仕置きを受ける残忍なシーンがある。SM映画のようだ。17歳にしてヌード全開である。この原田美枝子をみて連想したのが、同じ増村保造監督作品の「セックスチェック第二の性」だ。男女の性別があいまいな陸上選手を演じる安田道代が強烈な目つきで相手をにらむ。ものすごいワイルドだ。周囲と強烈な軋轢を起こす場面が全く同じにみえる。

これって、増村保造監督特有の個性的人物の異端ぶりを強調する演技指導が生んだものだと思う。若き原田美枝子もよく食らいついていったと思う。

2.瀬戸内海に浮かぶ島に売られる
御手洗島というのは初めて聞く名前だ。てっきり売春島だと思ったらそうではなさそうだ。江戸時代から瀬戸内海の海上輸送の中継地点だったらしい。考えてみたら、客がいなければ売春は成立しないわけで、それなりに栄えたところだったのであろう。今も伝統的な風景が一部残っているようだ。

売春宿に売られたというのが、ババアが死んで身内がいなくなったおりんなのに、女衒が誰に金を支払ったのか?ちょっとよくわからないが、単に女衒が儲けただけなのかもしれない。「おちょろ舟」という舟で沖の船でやる売春というのもすごい話だ。こんなの初めて聞いた。輸送する船も多く、きっと地理的に停泊している船がそれなりにあるあろう。舟を沖の海まで漕いでいくというのも女性には酷な仕事なんだろうが、それを進んで買って出るおりんという女もすごい。

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映画「もう頬づえはつかない」 桃井かおり

2020-10-12 21:49:48 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「もう頬づえはつかない」は1979年(昭和54年)のATG映画

映画「もう頬づえはつかない」は見延典子のベストセラー小説を桃井かおり主演で映画化した作品である。原作は未読。名画座での上映には縁がなく、DVDもでていなかったかと思う。ふと自分の大学生時代の映画を観たくなった。

早稲田大学第一文学部の学生だった見延典子が在学中に卒論として書いた。主人公の早稲田の女子学生がバイトで知り合った学生と元恋人のライターとの間の関係に揺れ動くという話である。若き日の桃井かおりと奥田瑛二、若干年上の森本レオを主軸に当時の同棲世代の紆余屈折を描く。


もう40年経ったのかと思うが、昭和20から30年代の映画を観たときと違って、まったく違う世界を見ているといった感じはしない。正直、話はたいしたことはない。主人公の妊娠が大きな事件には違いないが、起伏というほどでもない。地方出身の女子学生の日常を語っているというべきか。親元離れて、好き勝手やって男を連れ込んだ女子学生ってむしろ今より多かったんじゃないかな。

高田馬場から早稲田正門前までのスクールバスを映すが、周囲の風景に違和感がない。大学のキャンパスも変わらない。学生運動も一段落している時期だ。もう昭和50年代中盤になると、かなり垢抜けていると言えよう。いくつかの感想を見ると、しらけ世代という言葉もあるけど、逆に無意味な学生運動にうつつをぬかしたお前らの方が異常だったと言ってあげたい。

早大生のまり子(桃井かおり)は、アルバイト先で知り合った同じ大学の橋本(奥田瑛二)同棲中である。バイトをやめてしまい家賃も遅れがちで、大家の高見沢(伊丹十三)の妻・幸江(加茂さくら)が営む美容院でバイト中だ。


そんなとき、突然恋愛関係にあったルポライターの恒雄(森本レオ)がまり子のアパートにやってくる。部屋には橋本もいた。恒雄はまり子と橋本の関係を知って争いになり、まり子の前から姿を消す。そして故郷の秋田に帰る。また、橋本も就職試験を受けるために故郷鹿児島にかえった。そんな2人がいないとき、まり子は妊娠していることに気づくのであるが。。。

1.桃井かおりと奥田瑛二
「青春の蹉跌」が1974年で「幸せの黄色いハンカチ」が1977年となると、この当時桃井かおりははもう一人前の女優である。27歳で大学生を演じるということ自体がずうずうしい気もするが、薬科大学へ行ってから早稲田に移ったという設定を考えるとそれもありなのか。

独特のアンニュイなムードはいい感じだし、あらためてこの頃の彼女をみると美しいと感じる。奥田瑛二、森本レオの両方とベッドシーンもこなし、バストトップも気前よくみせる。ただ、今見ていると日活ポルノとしか見えないんだけどなあ。


奥田瑛二はブレイクするずいぶん前だ。ずいぶんと痩せている。この当時もう29歳になるんだけど、大学生だと言っても違和感を感じない。まったく売れていない時代で、俳優業が本業と言えない時代なのかもしれない。彼がブレイクするのはTVの金妻シリーズで、そのときまでには5年を要する。「コンドーム」じゃダメだと、盛んに「ピル」でやらしてくれ、全然違うんだと言い張る。映画の中で桃井かおりは妊娠する。ピルだから奥田瑛二じゃないと思い、森本レオの子だとするが、それはわからないよね。

2.伊丹十三
センスのある雑文を書いていた個性派俳優の時代である。映画監督として「お葬式」をとるのはこの5年先だ。味のある大家さん役である。外廊下ではなく、内廊下のアパートである。廊下に共通の公衆電話があってむしろ下宿スタイルという感じか、映像からすると西武新宿線沿いにあるアパート。今や見かけなくなった屋根上の物干し台の上で洗濯物の干し方のうんちくを語る。語り方がいかにも伊丹十三って感じである。まさに髪結いの亭主で、浮気をして加茂さくら演じる奥さんにはさみで刺される。

映画の中ではただ単に主人公だけを追うのではなく、大家夫妻も追っていく。でもこの映画ご懐妊とこれだけじゃねという感じだ。この映画で森本レオ演じるルポライターは、三流雑誌でヤクザに関する雑文を書いてヤクザに追われるという設定である。でもこれってこの13年後の伊丹十三の未来みたいな話だなと思い、不思議な縁を感じる。


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映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」 渥美清&京マチ子&檀ふみ

2020-05-01 06:27:26 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」は1976年の松竹映画


今回のマドンナは京マチ子と檀ふみ、この2人が親子役というのもめずらしい組み合わせだ。美女を前にして渥美清はいつもながらのフラれっぷり。軽快な話しっぷりがここでもドタバタ劇を繰り広げる。

さくら(倍賞千恵子)の一人息子満男の担任教師、雅子先生(檀ふみ)が家庭訪問でとらやにきていた。ちょうどたまたま旅先から寅次郎(渥美清)が帰ってくるところだった。美人の先生をみて寅次郎はうっとり、近くに住んでいるという先生に送っていくとうるさい。息子の大事な先生を相手にでしゃばる寅次郎に対して博(前田吟)は怒る。

いつものようにけんかになって寅次郎はとらやを飛び出ていく。寅次郎は長野のお祭りでテキ屋の本業をしたあと、別所温泉に向かうのである。そこでかつて知り合った旅芸人坂東鶴八郎(吉田義夫)一座と再会し旅館で飲めや歌えやで大騒ぎ。挙句の果て翌朝勘定となったのに金がない。そして、さくらのもとに地元の警察から無銭飲食で拘留していると電話が入り、柴又から遠路長野まで引き取りに向かうことになる。さくらに大目玉を食らう。

さくらに引っ張って来られ、とらやに戻った寅次郎は、店先で雅子先生と、彼女の母親・柳生綾(京マチ子)と会う。柳生家はもともと華族の出の高貴な家柄であったが、病気がちの綾は長い間入院生活を送っていた。寅次郎やさくらの幼少時代を知っており再会を大いに喜ぶ。世間知らずの綾は気のいい寅次郎に好印象を持つ。そして、お互い意気投合して綾の家に何度も通い詰めるようになるのであるが。。。

渥美清の口上は冴えわたる。病魔襲うはるか昔のことだ。祭礼の一角で四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。といつもながらの軽快なフレーズだ。架空の世界だけど、こんな口上でいったいどれだけの人が買うんだろうかね?

1.京マチ子
もともとは爵位を持つ家のお嬢様で、戦後に復興成金と結婚したあとで、病気で長い間療養しているという設定である。こういう役は京マチ子というより原節子の十八番といった感じだ。 山田洋次監督安城家の舞踏会お嬢さん乾杯を意識してプロフィルをつくったに違いない。


でも、これらの作品が出た1950年前後には京マチ子は高貴というのではなく売春婦も含めてまったく真逆な地位の女を演じていた。かなり長い間舞台にも出ていたが、さすがに高齢で生き尽きた。その彼女が死んだときは、山田洋次が追悼の文を出している。京マチ子は大映の専属だったので、松竹とはそんなに縁のないはずだ。それでも「息をのむような美しさ」と彼女をたたえ見送った。ファンだったのであろう。

2.檀ふみ
まだ大学在学中だ。それにしても清純な姿はかわいい。駿台予備校で浪人してから慶応経済入って留年しているはずだけど慶応は同じ学年で2回ダブれないので何年生なんだろう。2年生かな?青春の蹉跌に出演したころよりもあとだ。深窓の令嬢で育った京マチ子演じる母親同様、大事に育てられたという設定だ。名門旧教育大付属高出身で学校の先生という役は適役かもしれない。


キャンパスでなく、六本木の飲み屋で深夜男と2人で飲んでいるのを大学時代みたことがある。ただ、この映画でも相手はよりどりみどりでしょうと御前様にいわれているけど縁がなかったようだ。この家にはばあやがいる。浦部粂子だ。自分が子供のころはおばあちゃんというと浦部粂子飯田蝶子だった。

3.別所温泉
今から4年前に上田駅周辺から別所温泉というルートで向かったことがある。

(4年前の写真、映画の電車はもっと古い)

紅葉がきれいで、すきま風で寒い旅館に泊まったっけ。そこの旅館で寅次郎が無銭飲食をする。別所温泉駅やお寺に見覚えがあった。映画の中で北陸新幹線を上田駅に停車という横断幕が掲げられているのに時代を感じる。何もないところで、近くのスナックでコンパニオンと歌いまくった記憶がある。昨年の台風で上田駅から向かう電車の橋が決壊してしまうのをTVでみて、ショックを受けた。これじゃ行けないな、旅館の人たち困ってしまうなと。

さくらはわざわざ無銭飲食の寅次郎を迎えに行く。昭和51年でいえば、当然長野新幹線はない。柴又から京成で上野に行って、特急で上田駅までいって乗り換えで別所温泉だ。特急だった頃で、横川の釜飯を買うために停車時間が長いからものすごい時間がかかるはず、やっかいな奴だ。


4.吉田義夫と谷村昌彦

旅芸人の親分は吉田義夫が演じる。自分が子供の時は「悪魔くん」というTVをやっていて悪魔役だったので、親しみがある。松竹というより東映の俳優だったのに寅さんとの相性がよく山田洋次監督は何度も起用している。

一座の公演で車寅次郎先生と寅さんを持ち上げる。そして調子に乗ってどんちゃん騒ぎ、一座には谷村昌彦がいる。「悪魔くん」と同じ頃「忍者ハットリくん」の実写版をやっていた。小学校の仲間もみんなみていた。「はなをかじった(花岡実太)」と聞いて懐かしい初老のオヤジは多いだろう。
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映画「青春の蹉跌」 萩原健一&桃井かおり&檀ふみ

2019-09-01 18:05:08 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「青春の蹉跌」を映画館で観てきました。


昭和49年の神代辰巳監督の作品、石川達三の本は高校、大学時代にかなり読んでいる。当然「青春の蹉跌」の内容は鮮明に覚えている。石川達三得意の色恋沙汰だ。ただ、映画館にいっていない。しかも、最近はDVDが発売されたようだが、レンタルにもなかったので初めて見る。

萩原健一、桃井かおり、檀ふみ3人の若き日の姿が懐かしい。司法試験受験生の青年が家庭教師をしていた娘とねんごろになる。お世話になっている富豪のご令嬢に路線変更しようとするが、娘が妊娠してしまってあたふたするという話。途中ここまで長回しでなくてもという緩慢な流れも続き、若干だれるが、人気キャストの腕力で映画をもたせる。

昭和49年の歩行者天国でにぎわう新宿が映る。年初から小坂明子の「あなた」が大ヒットした。その曲もかかるし、全米ヒットチャート1位で日本でも流行ったバリーホワイトの「愛のテーマ」をパクったようなバックミュージックが繰り返し流れる。いずれも時代を感じさせる。メイデーのシーンで社会党の成田委員長がデモをやっている広場で演説するシーンが映る。さすがに今であればありえない映像だ。映画では森本レオが過激な左翼用語を連発しており、ゲバ棒学生の夜襲を受けるシーンがある。まだ大学紛争の色合いが残っている。

1.萩原健一
萩原健一は「傷だらけの天使」同様にメンズビギのジャケットをさっそうと着こなす。実にかっこいい。「約束」岸恵子と共演した時と比較すると、顔もあか抜けている。公開は昭和49年6月なので、「傷だらけの天使」は始まっていない。神代辰巳監督のコンビはこれが初めてだ。高校紛争にのめりこみ、司法試験受験するってインテリのイメージとは違うが、いいキャスティングだと思う。


2.桃井かおり
桃井かおりが独特のけだるい感じをにじませる。最初は萩原健一が家庭教師をやるという設定だ。当時23歳で高校生というとずうすうしい気もするが、まあいっか。中島葵演じる継母が別の男とつきあっていて少しひねている役柄。日活ポルノで名をなす神代辰巳の強烈演出はここでも活かされる。当然バストトップはあらわになり、からみのシーンも多い。かなり大胆だ。雪の中で交わるのは寒いだろう。この映画の後、「前略おふくろ様」などで萩原健一とは名コンビとなる。


3.檀ふみ
檀ふみは当時の教育大付属高から一浪して慶応経済に入学したばかり、映画にも出られるようになったのであろう。かなり清楚な感じである。この役には適任だ。


ヨットに乗船しながら、赤いセパレートの水着で泳ぐシーンがある。色づいたボリューム感はない。檀ふみは大学には6年いたので、年下の自分も学校で何回か見たことがある。同時に六本木の居酒屋で深夜まじめそうな男性とツーショットの場面に偶然出くわしたこともある。結局独身、これだけは運がなかったのかもしれない。
コメント (2)
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