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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「沈まぬ太陽」  渡辺謙

2012-02-29 06:31:39 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「沈まぬ太陽」は山崎豊子のベストセラーの映画化である。
日本航空をモデルにしたと思われる数々の事件とともに歩んだ主人公の動きを追う。
以前本を読んだ後、ブログにアップしたが、1700ページにもわたる大著である。

1960年代前半国民航空社員の恩地元(渡辺謙)は、労働組合委員長であった。社員の待遇改善をめぐって会社幹部と争いを重ねていた。その結果、恩地はパキスタンのカラチへの海外赴任命令を会社から言い渡される。2年という約束であった。しかし、次の異動辞令もイランのテヘラン行きとなる。
その間、会社経営陣は帰国をちらつかせながら組合からの脱退を促していた。同時期に組合にいた同期の行天(三浦友和)は、早々に組合を抜け、エリートコースを歩み始めていた。行天の裏切り、更に恩地の妻(鈴木京香)や子供2人との離れ離れの生活が続いていた。

十年に及ぶ僻地での不遇な海外勤務に耐え、本社への復帰を果たすが、恩地への待遇が変わることはなかった。その中、航空史上最大のジャンボ機墜落事故が起こる。犠牲者は520名。現地対策本部に配属された恩地は現場に赴き遺族係を命ぜられる。そこで様々な悲劇を目の当たりにする。
政府は航空会社の民営化をを図るべく、国民航空新会長に関西の紡績会社の会長国見(石坂浩二)の就任を要請した。恩地は新設された会長室の部長に任命され復権した。事故によって失墜した会社の再建に尽力した。しかし、主流派からは冷たい目で見られていたが。。。。


3時間を超える長い映画である。重層構造ともいえるいくつものストーリーを積み重なっていく。
主人公の組合活動、不遇な海外赴任、ジャンボ飛行機の事故、外部からの会長就任と構造改革の失敗、不正経理問題の5つのストーリーを主人公を中心に展開させる。
この5つのうち2つでも十分に映画の脚本となる話の内容である。全部を取り上げているので、ディテールが細かいという訳ではない。概略をつかんでいっている感じだ。それでも放映時間3時間にはどうしてもなるだろう。

モデルになった日本航空に労働組合がいくつもあり、それぞれが権利を主張して今回の経営破たんの理由の一つになったというのは有名な話だ。原作によれば、主人公は元々組合活動に関心がなく、推されるように組合専従になったとのことだった。しかし、そこから抜けられなくなる。組合専従がエリートという時代ではあるが、さすがにストをちらつかせた労使交渉には経営者側も左遷辞令を出さざるを得なかっただろう。
60年代前半のパキスタン、イラン、ケニアといえば、完全な未開の地であったのではないか。大変だったと思う。映像ではそんなに深くは取り上げられてはいない。思ったよりもあっさりしている。でもじっくりロケをするわけにもいかないであろうから仕方ないかもしれない。


そして、ジャンボ機の事故である。原作でもこの辺りはドキュメンタリー的に取り上げていた気がする。あの時のことはよく覚えている。自分は休みであったのであろうか。テレビを見ていたら、羽田発大阪行きの飛行機と連絡が取れないというニュースをやっていた。一瞬ハイジャックを連想した。しかし、しばらくして大惨事のニュースが入ってきた。大変なことになったと思った。あのときは日本中がアッと驚いた。
まさに悲劇だといえる。



鐘紡の伊藤淳二氏と思しき会長も登場する。小説では主人公と外部から招へいされた会長だけはまともに書かれていた。今回も無難に石坂浩二を起用して、小説のラインに沿って、他のはえぬきの幹部を腹黒く描く。ここまでやると、さぞかしむかついた人は多いだろう。
伊藤淳二氏は鐘紡時代、組合との協調路線で有名だった。ここでもその手腕を買われ、「不毛地帯」の主人公のモデルでもある瀬島龍三氏と思しき人物に三顧の礼で招聘されている。しかし、会社の中は想像以上に黒い世界だった。ホテル事業子会社を通じた不正経理問題や10年間の外国為替先物予約取引などとんでもない状態だった。汚職の摘発をしようとしても、政治家もからんで主流派から大きな反発を受ける。

フィクションと言うが、明らかに現実の話に基づいている。そういうリアリティはある。
それぞれの俳優については可もなく、不可もなくといったところであろう。現代日本映画を代表するメンバーが出演しているが、演技で特筆することはない。渡辺謙は無難にこなす。三浦友和が悪役じみているのがめずらしい。これも悪くはない。「大岡越前」加藤剛が年をとったのに驚く。
やはりこれらの話をスケール感をもって描いた山崎豊子作品の凄味が映画からも感じられた。
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ゆりかごを揺らす手  レベッカ・デモーネイ

2012-02-26 10:07:11 | 映画(洋画 99年以前)
「ゆりかごを揺らす手」はカーティスハンソン監督による92年のスリラー映画だ。
ここでもすごい悪女がどきどきさせるようなパフォーマンスをする。


研究者の優しい夫と幼い娘に囲まれ幸せな日々を過ごすクレア(アナベラ・シオラ)は2人目の子供を身ごもった。担当した産婦人科医師は状況を確認するふりをして彼女の陰部に対して手で猥雑な行為に及んだ。事情を知った夫の助言により、彼女は警察に訴えた。他に数人の女性が被害に遭ったことが判明し、社会的制裁を受けた産婦人科医はピストル自殺した。訴訟を受ける可能性があるということで夫の財産が没収となった。残された産婦人科医の妻ペイトン(レベッカ・デモーネイ)は衝撃を受け、妊娠中の彼女は流産し子宮を除去摘出されてしまった。

6ヵ月後クレアは無事に男児を出産していた。産婦人科医の妻は、過去を隠してクレアに近づいた。娘にも好かれるように振舞っていた。相手の信頼を得て住み込み家政婦として雇われることに成功した。


引っ越して来た夜から彼女は自分の乳房をジョーイに含ませるなど自らの子供のように扱い始めた。しかし、悪事を次々はじめだした。研究者である夫の重要な論文をこっそり破り捨てたりした。家族に親しんでいる精神障害を持つ黒人使用人もわなにはまった。また、夫婦の仲を裂くため、夫の旧友であり現在は友人の妻(ジュリアン・ムーア)と浮気しているように画策し、家庭崩壊へと追い込んでいった。それにショックを受け妻の持病である喘息が悪化していったのであるが。。。

悪女映画は数多い。どれもこれも背筋をひんやりとさせられる。「蜘蛛女」「深夜の告白」「悪魔のような女」「危険な情事」などが有名であろう。いずれも凄すぎる。

自分はこの映画を見て「エスター」を連想した。「エスター」は子供の設定であるが、家族内で同居する悪女の設定ということでは同じである。家庭内で積み重ねるいたずらの数々はどちらもすごい。悪女を演じるレベッカデモーネイは若き日のトムクルーズの彼女でもあるが、風貌がヒラリークリントンに似ている。冷たい美貌がそっくりだ。ここで見せた自分の母乳をあげて赤ちゃんを自分になつかせる意地悪は究極の意地悪だ。女は怖い!途中からのドタバタ劇は「危険な情事」のグレンクローズの振る舞いも連想させる。恐怖の波状攻撃には家の中でのけぞりそうになる。

カーティスハンソン監督は「LAコンフィデンシャル」という名作を残しているが、メリルストリープ主演の「激流」ではB級映画的サスペンスタッチのスリラーを仕上げている。
この映画が持つ独特のサスペンスタッチもなかなかだ。もう一度このタッチでつくってほしい。

一つだけ気になったところがある。ここの奥さんがぜんそく疾患だという設定である。ぜんそくは怖い。
自分の会社入社同期が30前半にぜんそくで死んでいる。北野高~京大出の秀才であった。彼はぜんそくを親に隠していた。東京にしばらくいた後関西に帰った。親と同居したが、何も言っていなかった。死んだあと手帳を見たら、自分の疾患を治すために懸命に病院周りをしていたことを知った。せつない気持ちになった。彼は風呂に入っている時に発作を起こす。風呂から飛び出した彼は親に何かを訴えたけれど、親は何も分からない。吸引機の場所も分からず、そのまま窒息した。
この映画で奥さんが発作を起こすシーンを見て、本当だったら死んでもおかしくない気がした。
どうでもいいことだけど、急に思い出した。

ゆりかごを揺らす手
史上最強の家政婦


エスター
家庭に侵入する少女


ルームメイト
同居は怖い
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冷たい熱帯魚  

2012-02-25 18:19:59 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
冷たい熱帯魚を見た。傑作というべきか迷うが、ともかく凄い映画であった。

富士山麓のある町で主人公社本(吹越満)は小さな熱帯魚屋を経営していた。死んだ先妻のあとの若い後妻妙子(神楽坂恵)と娘の美津子(梶原ひかり)と暮らしていた。家族はバラバラだった。
そんなある日、娘がスーパーマーケットで万引きしたため、店に呼び出される。警察に言うぞと店長に激怒されていたその場を救ってくれたのは、スーパーの店長と知り合いの男、村田幸雄(でんでん)だった。村田は巨大熱帯魚屋、アマゾンゴールドのオーナーだった。帰り道、強引に誘われ、3人は村田の店へと寄る。そこには村田の妻・愛子(黒沢あすか)がいた。村田は娘美津子に自分の店で働くように勧め、住み込みの他の女子従業員たちに交じって勤務をスタートさせる。継母である妙子と娘は合わなかった。


数日後、主人公はある意味恩人である村田に“儲け話”を持ちかけられ、彼の熱帯魚店に呼び出された。そこには村田の顧問弁護士と投資者の吉田がいた。1000万もする高級魚のビジネス話に乗るかどうか迷っていた吉田だったが、まじめそうな主人公の存在も手伝い、現金を村田に渡した。
だが直後、吉田は殺される。村田の妻が飲ませたビタミン剤に毒が入っていたのだ。驚く主人公はおろおろする。豹変した村田と愛子に命じられるまま、社本は遺体を乗せた車を運転し、山奥にある怪しげな古小屋に辿り着く。そこでとんでもない行為を手伝わされるのであるが。。。。

韓国映画特有のえげつなさを日本でやったらこうなるという映画だ。一人のワルと図らずもはまっていった一人の男の話だ。ともかく2時間以上圧倒されっぱなしであった。


今回の実質主役というべきワルのでんでんは本当にすごかった。こういうのを怪演というべきであろう。
悪事を重ねている熱帯魚店の店主を演じている。人のよさそうなオヤジという雰囲気で出てくる。最初からハイテンションだが、ボルテージが急激に高まっていく。すぐにやくざじみた雰囲気に変わる。
でんでんはいろんな映画によく出ているが、警官の役も多い。要はやくざと警察は紙一重ということか。ここ最近のヤクザの雰囲気はまさに彼のパフォーマンス通りである。このハイテンションぶりは、いかにも躁うつ病の躁状態の表現である。ばくちにはまり、借金地獄になっていく連中にはよくいるタイプだ。お笑いを経験した俳優は演技ができる。特にこういうハイテンションな役にはもってこいではないか。


その妻?役を演じた黒澤あすかもすごい。夫と不釣合いな若い情婦の雰囲気をかもし出す。巷のクラブやスナックによくいるタイプの女性だ。途中ボディをさらけ出すが、いかにも使い古したようなバデイで崩れ方に卑猥な雰囲気がプンプンする。熟女もののAVを見ているようだ。そそられる人もいるだろう。その彼女と夫役でんでんとのコンビネーションが絶妙だ。この悪女ぶりはお見事だ。今後の活躍も期待できる。2人の姿に不自然さがない。現実にこんなワルの夫婦がいそうで、見ていてぞくぞくする。


主演の熱帯魚店主役吹越満は最初はオドオドした状態で出てくる。往年の冬彦さんの佐野史郎を思わせる。途中ワルのでんでんの策略にはまっていく弱々しさをうまく表現する。それがあるとき変貌する。その姿に注目したい。その妻は後妻に入った不自然に若い女性、それを元巨乳グラビアアイドル神楽坂恵が演じる。いきなり豊満なバストを強調した服を着て出てくる。主演とのアンバランスを強調しているようだ。その圧倒的なナイスバディも途中見せてくれる。今回女性二人黒澤と神楽坂の存在が映画にうまい味付けをしているような印象だ。


いずれにせよ園子温監督はうまい。その後神楽坂恵と結婚したというが、あのナイスバディを独り占めしているとはうらやましい限りだ。
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スプリングフィーバー

2012-02-20 19:59:00 | 映画(韓国映画)
「スプリングフィーバー」は中国では上映禁止となった中国映画である。
恋愛映画だが、ゲイ同士の愛をテーマにする。

監督ロウ・イエは当局より5年間の映画製作・上映禁止処分を受けた。『天安門、恋人たち』(06)ではタブーとされている天安門事件を描いたからだ。そんな彼が手持ちカメラによるゲリラ撮影で撮りあげた作品だ。2009年のカンヌ国際映画祭で脚本賞に輝いたが、中国では上映禁止となった。


歴史のある都市南京が舞台だ。現代の南京の風景を映像で見たことがないので、都市化が進む光景をみて中国の発展度合いがよくわかる。でも男同士のハードな絡みもあり、見ようによってはきつい映画だ。

現代の中国・南京、いきなり男性二人が映像に映し出される。その二人が小さな小屋に入り男性同士で交わるきわどいシーンでスタートする。
女性教師リンは、夫ワンの浮気を疑っている。リンに調査を依頼された探偵ルオは、その相手がジャンという青年であることを突き止める。その報告を妻であるリンにした。
妻リンは夫を罵倒する。大喧嘩になる。
一方妻にばれたことがわかったジャンは妙に気持ちがさめた感じになり、ワンを避けていく。一人になったジャンはなじみのゲイバーをさまようようになる。
探偵として追いかけていたルオはジャンが出入りするゲイバーに出入りする。そして2人は接近する。しかし、ルオには女性の恋人がいた。
奇妙な三角関係が始まるのであるが。。。。


ゲイを「純粋な愛」とするのには抵抗がある。
新宿三丁目系の遊び場には以前行ったことあるが、苦手だ。ショーンペンの「ミルク」は彼が出ているという理由だけでみた。
これは悪くはなかった。でもやっぱり苦手だ。
今回もかなり露骨に男性同士の絡みを見せる。鮮明に見せないので許せるが。。。。ちょっと。。。ね


南京のナイトスポットがいくつか映し出される。以前は香港にしか存在しなかった世界だ。
少し前の中国本土では、夜の遊び場はブルジョワジーのものとして紅衛兵にぶっ潰されただろう。
それもこれも市場経済導入による経済発展の賜物だろう。風景を見ると高層の建物が多い。道路も整備されている。
南京は人口500万を超えるようだ。その昔の都である南京は何かが違う印象を映像から受けた。
そういえば今日、名古屋の河村市長が南京大虐殺を否定する発言をしているようだ。
「当時の人口よりも多い人を殺すわけないでしょう。」ということであったが、ずいぶんと思い切ったこと現地でいうなあという印象だ。気持ちは共感するけど

手持ちカメラがなめるように映し出していくが、映画製作処分を受けている監督の作品だけに
照明が使われていない。夜の撮影映像は非常に解像度が悪くなる。
醜いものをみせる部分もあるので、むしろボロ隠しになっている。
それにリアルさを感じる部分もある。でもこの映画の脚本賞はいまひとつ理解不能
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映画「軽蔑 」 鈴木杏

2012-02-19 18:39:01 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「軽蔑」は予想よりもいい映画だった。
長まわしを意識的に何度も使う。
この使い方が絶妙であった。

作家・中上健次の遺作を「ヴァイブレータ」の廣木隆一監督が映画化した。ジャケットを見ると今風の若いチンピラとダンサーの写真で、魔界の夜的なイメージが強い印象を受け、見るのが後回しになっていた。
実際には南紀和歌山の新宮の町のロケが大部分を占める。特殊な愛だが、見ようによっては純愛だ。


新宿歌舞伎町でその日暮らしをしているカズ(高良健吾)は、兄貴分から、借金を帳消しにするかわりに、組に断りなしで賭博を行っているポールダンスバーへの強襲を命じられる。カズは仲間と共にバーを襲う。そこにはカズが恋焦がれていたダンサーの真知子(鈴木杏)がいた。混乱の最中、控え室から真知子を連れ出したカズは、その勢いのまま駆け落ちを提案する。
二人が向かったのはカズの故郷和歌山の新宮市だ。実家は素封家であったが、両親とは疎遠であった。遊び人の息子のしりぬぐいをしていた。彼女を連れてきたカズに、母(根岸季衣)も父(小林薫)も唖然とした。父親は所有マンションの一室を二人のために用意し、移り住むことになる。カズは叔父の酒屋で配達の仕事を始めた。真知子も新宮での生活にとけこもうとしていた。
しかし、元ストリップダンサーの真知子との結婚となると、両親は反対だ。カズは頭に血が上って父親に刃物を向ける。カズの祖父の愛人で、今はカフェ「アルマン」を営むマダム(緑魔子)から知らされた真知子は東京に逃げ戻り、再びダンサーとしての生活を始める。そんな中、傷心のカズが地元の賭博場で借金を重ねてしまう。負け続けたのちに、カズは真知子を追ってクラブの楽屋に現れたが。。。。


歌舞伎町と六本木付近の映像が映る。いきなり夜のダークゾーンが出現して、そのまま物語が進むと思いきや、和歌山新宮の典型的な田舎町をめいいっぱいに写す。新宮は世界遺産のある街でもある。

自分は平成のはじめのころ、和歌山で3年仕事をしたことがあった。和歌山全域がテリトリーであったが、和歌山市付近で仕事をしていた。人口100万のうち約50万近くが和歌山市付近に集まっていて、広い紀伊半島の大部分には大きな町はなかった。
新宮は歴史の古い市だが人口3万4000人の過疎地だ。新宮までは同じ県なのに和歌山市から特急で約3時間かかった。車だと6時間程度でつくかどうか。東京から白浜まで飛行機は出ていたが、そこから先が長い。まあ遠いところである。でもときおり仕事があると、行くのが楽しみであった。白浜から先は明らかに海の色が変わる。透明度が高い。魚が新鮮だ。夜になると、空を見上げるとプラネタリウムのように星がきれいだ。その時まで感じたことのないような感動だった。

作者中上健次新宮の出身、被差別の実態を書いた小説を書いているが、文体は南紀の土着といった感じだ。代表作「枯木灘」は和歌山にいるときに読んだ。そんな彼の故郷をロケ地に選び、新宮の街を方々になめるように2人の主役とともに映し出していく映画だ。
この映画自体かなり地元住民の協力がないと出来なかった映画だと思う。さびれた商店街や路地もそうだけど、家を燃やしちゃったり、信用金庫の中でロケをやったり他の街じゃ考えられないロケだ。和歌山の人は実に「人がいい」そんな和歌山の良さを思い出して気分がよくなった。


長まわしの映像が多い。
これも良し悪しで、映画の批評をみると中途半端としているものもあるが、自分は悪くないと感じる。俳優には酷だけど、長まわしの中でじっくりと情感を盛り上げていく。

主役2人はかなりのベッドシーンをこなさせられる。廣木隆一監督はもともとがピンク映画の出身だけに丹念に撮っていく。鈴木の乳房が小ぶりで普通ぽくて濡れ場になんか妙なリアル感を感じた。
全般的に2人の演技は悪くない。高良健吾の半端者ぶりがらしくてよい。それと同時に脚本がうまいと感じた。調べてみると、奥寺佐渡子。「サマーウォーズ」や「八日目の蝉」の彼女だ。サマーウォーズでは上田、八日目の蝉では小豆島、パーマネント野ばらでは高知の田舎そして今回と、地方のさびれた町を描くのがうまい脚本家なんだろう。なるほどうまいはずだ。「男と女は、五分と五分」という真知子の独白をうまくからませる。脚本に合わせたロケハンティングもうまい。これは監督の手腕だろう。

同時に脇役の使い方がうまい。「ヴァイブレータ」廣木隆一監督と一緒だった大森南朋、もう死んだのかと正直思っていた緑魔子などは適材適所で、彼らをうまく使いながらの手持ちカメラを使った撮影もうまい。広い空間を映し出したと思ったら、アップを使ったり巧みな印象を持った。

あまりにもひどすぎるのでブログにアップするのをやめた「アンダルシア」と比較して日本映画も捨てたもんじゃないなあと感じた。無理して外国へ行かなくても、日本国内の町でいい映画がとれる。

軽蔑 
中上健次の遺作


千年の愉楽
中上健次作品を若松孝二が演出した路地作品
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ALWAYS三丁目の夕日64

2012-02-17 20:43:00 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
「三丁目の夕日64」を劇場で見た。
なつかしい時代を思い起こすのか、高齢の人たちが目立った。

詳細で気になるところはいくつかあったが、前作同様気がつくと涙の洪水になってしまう。なんでだろう。
吉岡秀隆がからむ話に強くしんみりする場面がいくつかあった。

昭和39年(1964年)オリンピック開催を控えた東京は熱気に満ち溢れていた。
東京の夕日町三丁目では、駄菓子屋の店主やりながら小説家の茶川竜之介こと吉岡秀隆は、ヒロミこと小雪と結婚し、高校生になった古行淳之介と3人で仲良く生活している。商店の一角は改装され、小雪がおかみを務める居酒屋となった。小雪は身重。だが吉岡は「冒険少年ブック」の看板作家として連載を続けているが、新人小説家の作品に人気を奪われつつあった。編集者から「もっと新しい雰囲気で」と言われ、スランプに陥っていく。
一方、鈴木オートには、主人の堤真一とその妻こと薬師丸ひろ子、一人息子、住み込みで働く星野六子こと堀北真希が暮らしていた。堀北にも後輩ができ彼女無しでは鈴木オートの仕事は回らないほどであった。そんな堀北は、毎朝おめかしをして家を出て行く。それは、通勤途中に若い男性こと森山未來とすれ違いあいさつを交わすのを日課にしていたが。。。。


エンディングロールのクレジットのトップは吉岡秀隆である。堤真一よりも上になっている。
ストーリーの基本は吉岡と堀北が中心になって構成されている。田舎ものの堀北と小説家くずれの吉岡はそれぞれに今回も紆余屈折がある。
吉岡については、雑誌の連載小説の欄を若い別の作家に奪われそうになっていること。
小説書くくらいなら勘当だといわれて離れていた田舎の父親が危篤になる話
小雪の懐妊、東大を目指す同居の少年が小説をあきらめきれない。といったところが柱か
堀北について毎朝出会う若者との恋愛関係がこの映画でのキーポイントになる。
それを東京オリンピックという大イベントを絡ませる。この年は新幹線開通の年でもある。


今回も泣けるのは、吉岡の話だ。
脚本も毎回狙いを吉岡のダメ男ぶりに焦点を当てているが今回も同じだ。
まんまと脚本家のたくらみにはまってしまう。
でも何でこんなに泣けるんだろう。
それなりに自分との共通点があるのかもしれない。

吉岡の父親は表向きは厳しいが、裏では息子の書いた小説の掲載誌を大切にストックしている。
結局生きているときには、そんなことはわからなかった。それを死後初めて発見する。
それぞれに暖かい父親のコメントが残されている。
このシーンが一番ジーンとした。
自分の父親は筆不精で何も書かなかったが、母親は筆まめなほうで昔の日記等をたくさん残していた。
やっぱりそれを見るとジーンとするものだ。
それと同じような感情だ。

自分もぎりぎり30年代の記憶がある。
この映画の舞台も東京タワーの近くだから、港区の三田の都電通りをずれたあたりだ。
小石川のおじさん宅へおじいちゃんとタクシーで通っていた道だけに
印象が強い。都電通りの雰囲気はいかにも同じだ。
でも39年にもなったら東京の真ん中で舗装されていないところはあまりなかったんじゃないかなあ
商店の感じもこの時期になるともう少し変わっていたんじゃないかしら?
それが違うような気がするがどうだろう。


あとは「シェー」を子供たちがやる場面
漫画では連載されていたけれど、子供たちが「シェー」をやるようになったのは
おそまつ君がテレビ放映された後じゃないのかなという気がする。
ひょっこりひょうたん島は39年にスタートだけど当初からこんなに人気あったかな?
銀座のみゆき族に焦点を当てたのはいい。アイビールックがいかにもVANの香りがする。
チェックのジャケットがいかにもVANぽい。
銀座のフルーツパーラーで堀北が彼氏とデートする場面が出てくる。
40年代前半までは、パフェとかを食べるにはわざわざ銀座に行ったもんだ。あるいは渋谷の西村か新宿の高野。子供心にもちょっとこぎれいな格好をして、銀座に行く感覚っていいもんだった。

鈴木オートの息子がエレキを高校で演奏している。
でも、エレキ人気は39年ではまだだったんじゃないかな。
ベンチャーズの来日は40年始めだったはず。そこで一気にエレキ人気が急激に高まり
年末に加山雄三「エレキの若大将」が放映されたと記憶する。
そしてGSブームへとつながっていく。
39年と40年微妙な一年違いなんだけど、自分なりにはそう分析する。

細かいこと言ったけれど、見ている初老あるいは老人たちにはそんなこと
どうでもいい話だろう。みんな懐かしいものとしてみただろう。
おそらくは満喫して帰ったのだと思う。それでめでたしめでたしなんだろう。
コメント (3)
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「円高の正体」とバーナンキとフリードマン

2012-02-15 20:09:08 | Weblog
ようやく日銀が金融緩和に動いた非常に好ましいことである。


アメリカがリーマンショック前の株価の水準に戻っているのに、日本はまだまだ下だ。
よくリーマンショックで米国資本主義が崩壊したなんて論調が目立つ。とんでもないことだ。1929年のいわゆる大恐慌の株安は戻るまで25年かかった。今回はあっという間だ。
これは金融当局の日米の姿勢の違いが表面に出たものだと思う。


FRBバーンナンキ議長のかじ取りは実にお見事である。しかし、これはミルトンフリードマンが大恐慌の理由としてあげたFRBの金融政策の失敗の逆をいっているからこそうまくいっているのだと思う。
2002年、ミルトンフリードマンの90歳の誕生日にバーナンキ議長(当時は理事)があらわれた。
バーナンキ議長は言った。
「大恐慌に関して、あなた方の意見は正しかった。連邦準備制度はあなた方が述べた通りのことをした。我々は極めて遺憾に思っている。しかし、あなた方のおかげで、われわれはそれを2度と繰り返さないだろう。」


ミルトンフリードマンは、大恐慌が悪化した理由としてFRBとニューヨーク連銀の主権争いにニューヨーク連銀が屈服したことをあげる。
もともとニューヨーク連銀にベンジャミン・ストロングという総裁がいた。彼は公債の買い入れの権限を大規模に行使すれば、恐慌を食い止められるといっていた。20年代の好況を後押しした。ところが、彼は1928年に亡くなってしまう。そして、1929年の大恐慌を迎える。
いったんは後任率いるニューヨーク連銀は公債買いをおこなったが、ニューヨーク連銀の影響力に嫉妬していたFRBはそれを食い止めた。当然マネーサプライは減る一方だ。その時点で政策の転換があればいいものを、それがないので、銀行に取り付け騒ぎが起きる。それなのに、1931年イギリスが金本位制から離脱したあとは、金流出をふせぐため公定歩合をあげるのだ。銀行が次から次へと倒産する。
なんと国内の3分の1の銀行がなくなり、1929年から33年3月までにマネーサプライが3分の1減少してしまうのである。ものすごい話である。血液が抜かれた状態では経済はノックアウトだ。

われわれは小学生から大学まで社会、政経、経済学の教科書でこんな話は習っていなかった。大恐慌で有効需要が減ってしまったことだけを学んだ。ニューディール政策でそれが改善されたと学んだ。日教組の先生ですら日本の政治家もまねろと絶賛していた。
実際ニューディール政策ではアメリカはよくなっていない。これは戦後日本教育がアメリカに押しつけられたものと考えるしかない。財政政策でよくなったのはナチスドイツだけである)
要はそれ以前に米国マネーサプライがFRBの意地っ張りで3分の1減ってしまった事実をわれわれは知らなかったのだ。その事実に焦点を当てたのはミルトンフリードマンである。
日本に新自由主義嫌いが多いのは、小学校から日本人が洗脳されてきたからだと思う。しかも、マルクス、学園紛争、労働組合に毒された人が多い。そういう人たちが多いと本質を見失う。

(だからといって自分はケインズが嫌いなわけではない。ハチャメチャなあとの処方箋はケインズの言うとおりだろう。しかし、ケインズは完全雇用に戻れば、新古典派の政策でいいと名著「雇用利子および貨幣の一般理論」24章で言っている。)


最近「円高の正体」安達誠司著という本を読んだ。この本は良かった。
基本的にはやさしく書いてある本だが、今まで勝手なことを言ってきた政治家、バカな学者ないしは評論家まがいの連中をコケにする。
痛快だ。

この本を見てびっくりしたことがある。
P126のリーマンショック前後の日米マネタリーベースとドル円ベースのグラフだ。
「リーマンショック後FRBは量的緩和政策を実施、大量のドルを市中銀行に投入する政策をおこない、アメリカ経済全体に資金を潤沢に供給することで、経済に対する被害を最小限に抑えました。
しかし、日本銀行は、緊急的に少額で短期的な金融緩和は実施したものの、「マネタリーベースを増やす必要がない。」という態度であったため、ほとんど何もせず、日本のマネタリーベースはそれほど大きく増えなかった。」
(円高の正体:P125~126)
何よりこのグラフには説得性がある。(ここの引用はしません。本で見てください。びっくりです。)
アメリカのマネタリーベースはリーマンショック時点から2011年末までに3倍近くなっているのに、日本は1.3倍程度だ。しかも明らかに円高に進んでいる。

まさにバーナンキ議長ミルトンフリードマンの誕生日のスピーチで述べたことを徹底的に実行に移しているのである。さすがとしか言いようにない。

今後日銀が政策転換を維持するならば、期待インフレ率が高まり、円高が矯正され株高も始まると思われる。今日の相場がいい見本だ。
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マージンコール  ケヴィンスペイシー

2012-02-15 06:53:40 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「マージンコール」は突如巨大損失を抱えて崩壊するウォール街の証券会社の一夜を描く作品だ。
日本では公開されなかった。比較的地味だからだろう。俳優を見ると超豪華だ。え!何で非公開?とも思わせる。ヒッチコックでも「ロープ」という室内劇があったが、おもしろくなかった。この映画も80%以上はニューヨークマンハッタンの街をを見渡せるビル内での動きだ。映画は動きのある背景があってこそ面白くなるというのを再認識した。

ウォール街の投資会社で大量解雇が発生した。その一人であるリスク部長のエリックは、別れ際に意味深な言葉と共に後輩のピーターにUSBメモリーを託す。その晩、USBメモリーに記録されたデータを調べた工学博士号をもつ数字に強いピーターは、会社倒産にも繋がる衝撃の事実を知る。
その後ファンドで多額の損失がでることが目前という、その事実を知った上司、部長から役員、そして社長も集まる。夜を徹して対策が練られるという話である。。。


ケヴィンスペイシーにデミムーアという高給取りに、オスカー俳優ジェレミー・アイアンズが加わる。彼ならではの役だ。それに最近の映画で活躍するポール・ベタニー、ザカリー・クイント、サイモン・ベイカーも出演している。見慣れた顔が並ぶDVDのジャケットをみて思わず手に取ってみた。


殺人事件が起きるわけではない。派手なアクションはまったくない。ひたすら室内での動きだ。演劇のようでもある。昼間に突如解雇になって、すぐさま退社しろと言われたリスク部長がリスクに気が付いていた。その内容をUSBにして後輩に帰り際に渡した。でも内容を伝えようと会社から外に出てみると携帯は停止されていて、事務所に電話できない。典型的なウォール街の金融マンの解雇の模様を語る。
内容は不動産ファンドのパフォーマンスが急激に悪くなって多額の損失が突如表面化されるということだ。要はファンドの前提が一定の範囲の価格変動内に収まるのならいいが、それを超えると大きな損失をだしてしまい。一気に会社で支えられる範囲を超えてしまうというのだ。



リーマンブラザースをモデルという話だが、ちょっと違うと思う。もしそうなら個人的にはこんな話は起こり得ないのではないかと思う。
解雇というのは、アメリカの投資会社では日常茶飯事のことである。しかし、それが大量となると、それまでに自分たちのリスクについてもう少し慎重に吟味されるはずである。
しかも、一晩で一気にということになると、「911」事件のようなブラックスワン的事件が起きるわけでなければ、ヴォラティリティが異常に高くなることはないだろう。でも、2008年のリーマンショック後の異様な証券価格降下の場面には確かに急激なヴォラティリティの上昇がみられていた。この一夜の動きが金融危機のあとの「リーマン」以外の別会社が舞台ということならわかるけれど、DVDジャケットのように「リーマンブラザース」がモデルとするなら矛盾がある。DVD販売会社の勇み足かもしれない。

そんなことよりも、ウォール街の高給取り金融マンの実像を描きたかったのであろう。びっくりするような高額の報酬の話が会話に出てくる。それをもとにどういう生活をしているのかという話も語られる。社会勉強にはいいだろう。
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ドラゴンタトゥの女 ルーニー・マーラ

2012-02-14 05:42:35 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「ドラゴンタトゥの女」劇場で見てきました。
なかなかおもしろかったです。
主人公ダニエル・クレイグの影が薄くなるようなドラゴンタトゥの女ルーニー・マーラの存在感にびっくり。あの「ソーシャル・ネットワーク」の恋人役とはとても同一人物には見えません!!


「ドラゴンタトゥの女」は世界的ベストセラーの映画化作品をデイヴィッド・フィンチャー監督がハリウッドリメイクしたミステリーサスペンス映画だ。
雑誌「ミレニアム」のジャーナリストの主人公は、資産家から40年前に起こった少女の失踪事件の真相追究を依頼される。背中にドラゴンのタトゥをした天才ハッカーとともに捜査を進めていく。


月刊誌“ミレニアム”のミカエル・ブルムクヴィストことダニエル・クレイグは、名誉毀損の裁判で敗訴する。マスコミに騒がれ、編集長エリカことロビン・ライトに迷惑をかけるので身を引こうとしていた。同じ頃、ミカエルの身辺調査がセキュリティ会社に依頼されていた。調査を担当したのは、リスベットことルーニー・マーラというまだ若い女性だ。鼻や耳にピアスを付け、黒ずくめの服を着る、無表情な「ドラゴンタトゥの女」だ。得意のハッキングを駆使して、完ぺきなレポートを仕上げた。

やがて、ミカエルの許に弁護士から連絡が入る。大企業ヴァンゲルの元会長ヘンリック・ヴァンゲル(クリストファー・プラマー)からの面会の申し込みだった。雪深いスウェーデン北部のヘーデビーを訪れるミカエル。富豪ヘンリックは彼に姪ハリエットの写真を差し出し、事情を説明する。



1966年9月、ヴァンゲル一族の家族会議の日、姪ハリエットが姿を消した。捜索の結果、彼女は何者かに殺され、遺体は遺棄されたとされた。だが、自分が生きているうちに真相を知りたいと願うヘンリックは、表向きは自分の評伝の執筆依頼をミカエルに頼みながら、真相究明を依頼するのだった。
ヴァンゲル一族の資料を整理しながら、一族のさまざまな過去が明らかになっていく。ヘンリックの話した通り、酷い一族のようである。ヘンリックの兄は、ユダヤ人を迫害し続けるネオナチであった。その息子は酔っぱらって溺死、その娘がハリエットである。ハリエットの兄マルティン、父親の従姉妹にあたるセシリアとアニタ、隠居同然のハラルド、その他多くのヴァンゲル一族がいる。その一人一人を追っていく。
ミカエルは、残された写真などから、取材、調査を続けている。途方にくれるミカエルにヒントを与えてくれたのは、ミカエルの娘だ。壁に貼られたメモを見て、娘は聖書からの引用とほのめかす。
一方調査能力を買われたリスベットは、ヘンリックの手配で、ミカエルのアシスタントになる。ハリエットの残した旧約聖書の引用から、未解決の連続殺人事件と関係のあることを突き止めるが。。。


「ドラゴンタトゥの女」は少女時代に問題を起こして、いまなお後見人の保護下に置かれている。新しい後見人はとんでもない奴で、報告書に書く内容や、生活費を払う見返りに性的な奉仕を迫るデブ弁護士だ。しかし、後見人にレイプされる様子を隠しカメラで撮影して逆に脅す。これは見ようによってはスカッとするシーンだけどえげつないシーンで、一気に目が離せなくなる。

中盤からおもしろさが増幅する。「ドラゴンタトゥの女」は単なるえげつない女ではなかった。ハッカー能力だけでなく、賢さを発揮して次から次へと調査の仕事をこなしていく。CPUからだけでなく、古い普通の資料を解読して真相を導き出す。するどい手際の良さに、感心してしまう。劇中にのめり込む。こんな賢い秘書がいたら、とんでもないゼニ儲け出来るのにとまで不純なことまで自分で考えてしまう。

ダニエルクレイグが単なるオヤジになり下がっている。彼なりに調査を重ねるのだが、ここでは「ドラゴンタトゥの女」が輝いている。そして、ヒッチコック風ハラハラドキドキのカメラワークとあわせて気分が高揚した。

アニタを演じた美人俳優を見て、若き日のヴァネッサレッドグルーヴを思わせる美人だなあと銀幕の前で思っていた。ミケランジェロ・アントニオーニ監督「欲望」に出演したときの彼女の面影がある。プロフィルを見たら実の娘ジョエリー・リチャードソンだった。やっぱり娘は母親に似るんだなあ。


いきなりオープニングで流れるのが「移民の歌」なのにもビックリした。
「スクールオブロック」の時ほどの衝撃はないけど、映画のイメージにはぴったりだ。

「ハンナ」のシアーシャローナンとルーニー・マーラの2人の天才少女の卓越なる演技をみて、映画は永遠に続くなあと思った。逆に日本映画大丈夫かと。。。
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ハンナ   シアーシャ・ローナン

2012-02-13 22:22:07 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
映画「ハンナ」これは抜群にいい!
ここしばらくのDVDでは一番好きな作品となった。

CIAの元エージェントだった父親に殺人兵器のように育て上げられた少女の物語だ。
序盤戦からテンポもよく、フィンランドの美しい雪景色をはじめ映画「バベル」でも登場したモロッコ、スペインのバックも視覚的にも十分楽しめる。主人公シアーシャローナンはアクション作品主演としてもすぐれていたし、16歳の少女の繊細な心情を演じるのも見事であった。しかも、少女の敵となるケイト・ブランシェットが冷徹なキャラを見事に演じうまい。しびれっぱなしであった。


映像はフィンランドの雪景色が映し出される。美しい!そして主人公の動きにアッと驚く。
凍りついた世界の中で、父親ことエリックバナと娘ことシアーシャが小さい小屋でひっそりと暮らしていた。彼女は元CIAエージェントであった父親に鍛えられ育っていた。殺人兵器のように育てられていたが、テレビもラジオもなく、父親が口で伝える知識だけが彼女の唯一の知識であった。
戦闘力が父を越えるまでになったハンナに、ついに外の世界へ旅立つ日が訪れる。CIA捜査官マリッサを標的にすることが使命で、母親の仇ということだった。父親はしずかに小屋を去り、ハンナは残った。しかし、CIAはすぐさまアジトを逆探知して、部隊をフィンランドに送り、彼女は確保される。
確保されたCIAのアジトに主人公は一人拘留されていた。
そこでかつての父の同僚であるCIA捜査官マリッサことケイト・ブランシェットの命令で尋問がはじまる。ところが、完全に隔離していたこのアジトからハンナは脱出してしまう。外はフィンランドと対照的な乾ききったモロッコの乾燥地帯であったが。。。。


今回はアクション映画に挑んでいるが、ジョーライト監督は「つぐない」を撮った女性映画のプロである。そのプロが少女を殺人兵器にして描くアクションサスペンスが最上級のレベルまで達しているということをを示してくれた。旅先で出会った家族のインテリの母親やあっけらかんとしたアメリカンの娘との対比を見せながら、野性の少女のような主人公の姿を浮き上がらせる手法は実にうまい。
セリフは多いわけではない。簡潔だ。映像でセリフが表現しようとするものを伝える。


当然ながらリュックベッソン監督の名作「ニキータ」をストーリー的には連想させる。でもそのレベルにとどまらないのは、主人公 シアーシャ・ローナンの抜群の演技力であろう。想像もつかないほどの将来の大器であるといっていいだろう。男っぽく走る。最後まで走りまくる。しかも、素手のアクションが多く、体力的には消耗するだろう。役作りの凄味に驚いた。
同時にケイトブランシェットもCIAの女性幹部を実にうまく演じた。知性が強い印象だが、今回のような冷徹な役はお似合いだ。エリザベス1世も気が強いもんね。実はこういう男まさりの素質があるのかもしれない。


書き出すときりがないが、シーンでおもしろかったのは、ドイツのグリム童話の家での場面だ。連想したのはオーソンウェルズの1947年の名作「上海から来た女」だ。いくつかのプロットに類似点を感じたが、「上海から来た女」の最終の遊園地の場面とダブってしまった。名作と比較するのも何だが、こっちの方がいい。女性2人の凄味に圧倒されてしまった。
好きな作品の一つになった。
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スーパーエイト エイブラムス&スピルバーグ

2012-02-12 09:35:27 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「スーパーエイト」は「ミッションインポッシブルⅢ」のJ・J・エイブラムス監督が、制作スティーヴン・スピルバーグとのコラボで描くSFアドベンチャー映画だ。
1979年の田舎町を舞台に、8ミリカメラで自主映画を撮影中に偶然列車事故を目撃した少年少女たちが、やがて不可解な事件に巻き込まれさまを、初期のスピルバーグ作品へのオマージュも盛り込みつつ描き出す。少年少女を中心に作り上げる展開は、いかにも初期のスピルバーグの匂いが強い。


 1979年の夏、オハイオの小さな町で保安官である父ジャクソンと2人暮らしの少年ジョー。映画オタクの親友たちとゾンビ映画を製作していた。ある夜、親に内緒で家を抜け出し、チャールズやアリスら5人の友達と共に駅舎で8ミリ映画の撮影中、自動車が列車に衝突した大事故に遭遇する。電車に衝突した車を見ると、ジョー達の通う学校の生物教師であるウッドワードがいた。ジョー達に「今見たことを決して誰にも言ってはいけない。そうしなければ君達も大変なことになる。」秘密にすることを誓い合った。

ほどなくして現場には軍が到着した。そして彼らは、ある極秘情報が何者かに知られてしまったと、大規模な捜索を展開する。しかし、町では不可解な事件が次々と起き始めた。自動車からエンジンが抜かれたり、犬が突然いなくなったり、停電が頻繁に起こるようになったりと。。。。


SF映画であると同時に「ジョーズ」と同様にパニック映画の色彩をもつ。
「ジョーズ」でサメが出てくるまでに1時間半近くかかったように、この映画でも謎の生物が出てくるまで同様の時間をかけてもったいぶる。正体がわからないのはやっぱり不気味だ。謎の生物の断片は少しづつ見せていくが、はっきりとは見せない。何だろうと観客に思わせる方法はうまい。音響も恐怖心を高めるようにしている。

「ET」同様に子供目線で話が展開する。スティーヴン・スピルバーグのクレジットがされていたのでその昔だったら、もう少し人気が出たのかもしれないが、興行収入今一歩ということはこの手の類はもはや時代が違うということか?アリスを演じたエル・ファニングは映画「アメリカンビューティ」の少女と同じような妖艶な雰囲気だ。将来が楽しみだ。
70年代後半のポップミュージックの使い方が上手で、ELOの曲や「マイシュローナ」など好きだった曲がたくさんかかったのにはご機嫌になった。
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ハングオーバー2

2012-02-11 23:07:32 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
ハングオーバー!「史上最悪の二日酔い」は前作の好評を受けつくられたコメディ映画だ。
前作はラスベガスでの悪夢のようなバチェラーパーティが描かれた。
今回はタイが舞台だ。雑然としたバンコックの街の裏側で酔った主人公たちのおバカな振る舞いを見せると同時にシーサイドの美しいリゾート地をバックにカメラを回す。タイの観光案内のようで楽しめる要素もある。


フィル(ブラッドリー・クーパー)、スチュ(エド・ヘルムス)、アラン(ザック・ガリフィアナキス)、ダグ(ジャスティン・バーサ)の4人は、歯科医のスチュの結婚式に出席するためタイに向かう。新婦はタイ出身だ。ラスベガスでの忘れ難い悪夢のようなバチェラー・パーティーを経験したスチュは、トラブルを回避するために、結婚式前には控え目で慎ましいブランチを計画していた。しかし、それじゃつまらないという仲間は、スタンフォード大に通う花嫁の弟とともにタイの結婚式に参加することにする。


タイに行った面々は結婚式の前祝いの宴で飲む。新婦のタイ人の親は花婿にいい印象を持っていなかった。気分の悪い宴席であった。
そこで、面々は例によって軽い気持ちで飲み始めた。
しかし、気が付けば翌朝。二日酔いで目を覚ますと、部屋はメチャクチャ。

式を控えた新郎の顔にはサソリのタトゥー、花嫁の秀才の弟はいつのまにか姿を消し、サルが1匹いた。みんな記憶がない。前夜の記憶だけでなく、髪もパンツも無い。あちこちに散らばった数々の手がかりを頼りに、彼らは失われた記憶を取り戻そうとするが。。。。


軽く飲むつもりがついつい飲み過ぎてしまうというのは自分も同じ。
飲み屋の領収書があるときはまだましだが、何もない時記憶をたどろうとしてうまくいかないことも多い。翌日深く反省することがまた多くなってきた。

それにしてもこの映画の興行収入ってすごい。なんと世界で5億8000万ドル以上の興行収入である。前作もすごいとおもったが、今回もすごい。コメディは日本ではここまでヒットはしない。これが国民性の違いなのか?
R指定ならではの下ネタが最初から連発し、ナイトクラブのニューハーフなども登場させいかにもタイらしい裏スポットを散りばめる。前作の悪ノリを踏襲して次から次へとハチャメチャぶりを発揮する。バンコクの街中のカーチェイスなど、見ていてどきどきさせるシーンもありあきなかった。
ネタばれなので名前は言わないが、最後のスペシャルゲストには笑った。
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悪の華 クロード・シャブロル

2012-02-10 05:50:38 | 映画(フランス映画 )
映画「悪の華」はフランス映画の巨匠クロード・シャブロル監督による2003年の作品だ。
2010年に監督が亡くなり、昨年劇場公開された。サスペンスの香りもするが、流れるタッチはいかにも50年代から60年代にかけてのフランス映画のタッチである。


フランス・ボルドーの豪華な屋敷が映し出される。
止まっている車が古い。回想シーンのようだ。邸宅の中をぐるりとカメラが徘徊し、部屋のベッドの横で殺されている男が映し出されるシーンでスタートする。
現代フランスにカメラがチェンジする。3年ぶりにアメリカから息子のフランソワが帰国する。空港に車で迎えるのは父親ジェラールだ。薬品関係の仕事をしている。車は優雅な邸宅に戻り、彼の帰国を喜ぶ義妹のミシェルと叔母リンがいた。義母アンナは市長選挙に出馬し多忙な日々を過ごしていた。
そんな時アンナの元に一枚の中傷ビラが送られてくる。このビラでは、家族の裏側に隠されていた陰部が暴かれていた。昔その家であった殺人事件の話の書いてあった。しかし、それにもめげず選挙活動に励む義母だ。フランソワとミシェルは再会を喜び、2人は海辺の別荘へと遊びに出るのであるが。。。。


男女関係がハチャメチャである。これはフランス映画にはありがちな設定である。
夫婦でありながら、お互い勝手なことをしている。
横溝正史の小説を思わせるような展開で、近親相姦も含めて何でもありだ。クロード・シャブロル監督はヌーヴェルヴァーグの巨匠の一人で、もともとは「カイエ・デュ・シネマ」の評論家であった。
画像はカラーだが、鮮明な色を使っていない。わざとだろう。インテリアもあっさり目だ。音楽もどんくさい。一体どうしたの?といった感じだ。70年代くらいにまでタイムスリップしている感覚である。そういうところがいいと思しき人もいるだろう。
個人的には、昔ながらの邸宅のたたずまいや別荘地での映像コンテでいくつかのショットにはしびれるものはあった。

ただ、宣伝文句ではヒッチコックを意識させる画像と聞いていたのでかなり期待したが「あれ!」という感じだった。サスペンス性に期待するとがっかりするであろう。
どちらかというと、一時代前の「知識人」向けの映画といった印象だ。
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スーパー! 

2012-02-09 19:01:25 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「スーパー!」はアメリカンコミック調の覆面ヒーローもの映画だ。
スパイダーマン、バットマンよりも「キックアス」の匂いが強い。
ただし、主人公は冴えない中年だ。あるとき神の啓示を受けコスチュームヒーローに変身する。相棒の女の子とともに悪の退治をする。割と楽しい。


主人公ことレイン・ウィルソンは、町のダイナーでコックをしているさえない中年男だ。美しい妻との結婚式と逃げる泥棒を捕まえたことを人生で輝くこととしてその絵をはって毎日見ている。ドラッグに依存している妻ことリブ・タイラーが、ドラッグティーラーことケヴィンベーコンの元へ向かい、家を出て行ってしまう。主人公は家に妻を取り戻そうとするが彼女は戻らない。主人公は落胆する。
ある日家で悶々としていた主人公に突如神の啓示が来る。主人公はよく行っていたコミック雑誌店で得たヒントを元に赤のコスチュームをデザインする。そして“クリムゾン・ボルト”と名乗って町の悪と闘い始める。麻薬取引の買人を中心にこらしめる。コミック雑誌店の女店員ことエレン・ペイジは町で活躍する「クリムゾンボルト」を見て店に主人公だと気がついていた。そんな彼に押しかけ的に相棒になった。ボルティーと名乗る彼女と共に行列を割り込みする人にお仕置きしたりする。

主要な俳優はA級映画脇役中心のケヴィンベーコンとB級映画の主演級レイン・ウィルソンとJUNOで16歳の妊婦を演じたエレン・ペイジだ。そこにリブタイラーが加わる。
それぞれに個性を見せて、演技自体は悪くない。

正義の映画のようだけど、ちょっと行列に割り込んだだけで、激しく懲らしめたり、このコスチューム男は他の映画のヒーローと違う動きをする。でもうーんと思うときでも、アメコミタッチの映像にごまかされる。
相手を傷つける描写がえげつない部分もある。スプラッター的にも見える。いくつかのシーンでは気持ち悪いので見ていて目を思わずそむけてしまう。
レイン・ウィルソンのダメ男ぶりが楽しく、 エレン・ペイジがかわいい。

悪党やっつけるたびに大喜びする姿が妙に印象的だ。
ケヴィン・ベーコンの映画界でのつながりを「ベーコン指数」なんて言ったりする。彼は悪役の比率が半分くらいだ。今回も「らしさ」を出すが、「激流」の時のようなきつい顔ではない。ここでは役を楽しんでいるのかもしれない。
カルト的人気になりそうな映画だ。
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結果の平等

2012-02-07 20:37:10 | Weblog
格差社会と言う論調が多い。今の日本に「機会の平等」でなく「結果の平等」を求める傾向があるのは事実だ。これは破滅への道を示しているといえよう。そもそも結果の平等なんてことはありえないのだ。

ミルトン・フリードマンは1980年に「選択の自由」でこのように語る。
「過去一世紀において、自由主義資本主義は不平等を増大させ、富裕な者が貧困者を搾取する体制だとする神話が広がっていた。
これほど真理から遠い考え方はない。
自由市場の運営をゆるされているところや、「機会の平等」へと近づいていくことが許されているところはどこでも、通常の人がかつては夢見ることができなかった生活水準を、次から次へと達成することができている。自由市場の運営を許されていない社会はどの社会でも富裕な人と貧困な人の格差が増大していき、富裕な人はよりいっそう富裕となり、貧困な人はより貧困となっている。
このことは、相続した社会的身分が社会的立場を決定していく中世紀のヨーロッパや独立以前のインド、現代の南アフリカにおける諸国家のように封建社会において真実だ。
(以前の)ソ連、中国、インドのように、。。。平等の名において中央集権的計画が導入された国では、このような状態が必ず起きている。」(選択の自由:西山訳)

「ソ連という国は、実質上二つの国から成立している。一方では、官僚とか共産党員の党役員とか技術者によって構成される、ひとにぎりの特権をもった上流階級という国がある。他方祖父母に比べても生活の水準が改善されていない、巨大な一般大衆によって構成されている国がある。上流階級の人はあらゆる種類のぜいたく品を手に入れることができる。これに対して一般大衆は、基本的な必需品を除けばほとんど何も享受できないように運命づけられている。」(選択の自由:西山訳)

今の北朝鮮がまさにその状態なのは明らかであろう。いやもっとひどいかな。
このあと中国についても同様に論じられる。でも市場経済を導入して世界2位の経済大国に変貌した。今の日本はまるで共産主義を待ち望んでいるような論調を示す人すらいる。末期だ。おかしい!

ソ連と同様にフリードマンは「結果の平等」を求め「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの国内政策を痛烈に批判する。また、サッチャー首相が登場するまでの官僚や労働貴族たちの支配についても批判する。過度な福祉政策の失敗をイギリスはおかした。
「イギリスの結果の平等に向けての運動が、効率や労働の生産性にもたらした悪影響。。」
(選択の自由:西山訳)
逆にイギリスの植民地であった香港での経済運営についてはフリードマンは絶賛する。

「西欧の資本主義が達成した偉大な業績は、。。。以前の時代には富裕な人や権力を持ったひとだけの独占的な特権であった生活上のいろんな便利や便宜を、一般大衆の手に入るようにさせてきたのだ。」
(選択の自由:西山訳)

ここでいう富裕層の独占的特権とは、たとえば、古代ローマの貴族は一流の音楽家や俳優を自分の家で見ることができたから、別にテレビやラジオがなくてもよかったということだ。

「結果の平等という意味における平等を自由より強調する社会は、最終的には平等も自由も達成することなしに終わってしまう。平等を達成するために強制力を使用することは、自由を破壊することになる。」
(選択の自由:西山訳)
強制力すなわち中央集権主義ということ。まさに北朝鮮、今の中国もまだ相当なごりがある。でも大きく変化している。

「市場の役割は、強制によらず合意を導く役割を果たすことである。。。市場が広く活用されれば、そこで行われる活動に関しては無理に合意を強いる必要がないので、社会の絆がほこびる恐れは減る。市場で行われる活動の範囲が拡がるほど、政治の場で決定し、合意を形成しなければならない問題は減る。そしてそういう問題が減れば減るほど、自由な社会を維持し合意に達する可能性は高まっていく。」
(資本主義と自由 フリードマン1962年:村井訳)
フリードマンは少数意見を多数意見に従わせなければならない愚を論じた。
市場の活用になって、中国も国家統制からの制約がかなり減った。それゆえ、共産主義の色彩が薄まった。フリードマンの言うような自由な社会に近い姿が現在の都市部の中国では存在する。

「特権的な立場が社会制度化されてしまうのを、自由な社会は阻止してくれる。
特権的な立場にある人は、他の有望な野心あふれる人の攻撃に常にさらされている。自由とは、多様性だけでなく、社会的移動性をも意味するのだ。自由は、今日では不利益な立場に立っている人が明日には特権を持った人になれるための、機会を保持してくれるのだ。しかも、その過程で自由はほとんどすべての人が、すなわち上から下までのほとんどあらゆる人が、もっと充実した、もっと豊かな生活を楽しむようにしてくれる。」(選択の自由:西山訳)

社会的移動性は重要だ。政府から放り出されても市場で職を見つけることができる。名目上「結果の平等」をうたう共産主義だったら国家に葬られ本当に飢え死にするしかない。
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