映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「スパイの妻」蒼井優&高橋一生&黒沢清

2020-10-21 20:09:23 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「スパイの妻」を映画館で観てきました。


「スパイの妻」はベネチア映画祭で黒沢清が監督賞を受賞した作品、コロナ騒ぎでちゃんと公開できなかった「ロマンスドール」でもコンビを組んだ蒼井優&高橋一生が主演である。昭和15年から16年の神戸を舞台に国家としての重要機密を漏らすスパイ嫌疑をかけられた夫婦の姿を描く。

でもよく意味がわからない映画である。当初1時間近くは緩慢でむしろ眠いくらい、その後に主題のスパイ行為が何かとわかる場面がある。そこからテンポがよくなるが、蒼井優演じる妻聡子の動きがかなり不自然、何考えているのかわからない。しかも、日本史的に見てもこんなことありうるの?というシーンが続く。歴史的考証はいいのであろうか?映像処理はうまいし、2人と憲兵を演じた東出昌大の演技はいいと思うけど、何か変だなと最後まで感じさせる作品だった。

一九四〇年。少しずつ、戦争の足音が日本に近づいてきた頃。
聡子(蒼井優)は貿易会社を営む福原優作(高橋一生)とともに、神戸で瀟洒な洋館で暮らしていた。
身の回りの世話をするのは駒子(恒松祐里)と執事の金村(みのすけ)。
愛する夫とともに生きる、何不自由ない満ち足りた生活。


ある日、優作は物資を求めて満州へ渡航する。
満州では野崎医師(笹野高史)から依頼された薬品も入手する予定だった。
そのために赴いた先で偶然、衝撃的な国家機密を目にしてしまった優作と福原物産で働く優作の甥・竹下文雄(坂東龍汰)。
二人は現地で得た証拠と共にその事実を世界に知らしめる準備を秘密裏に進めていた。

一方で、何も知らない聡子は、幼馴染でもある神戸憲兵分隊本部の分隊長・津森泰治(東出昌大)に呼び出される。
「優作さんが満州から連れ帰ってきた草壁弘子(玄理)という女性が先日亡くなりました。ご存知ですか?」


今まで通りの穏やかで幸福な生活が崩れていく不安。
存在すら知らない女をめぐって渦巻く嫉妬。
優作が隠していることとは――?(作品情報より引用)

1.スパイ行為とは?
偶然目撃した国家秘密とは、満州で日本人が中国人を人体実験に使ってペスト菌を注入しているという話である。いくら薬の商社にいたからといってこの行為を偶然見つけるということはありえないと思う。しかも、人体実験に関わる国家秘密を一人の憲兵隊長がわかるわけがないということがある。それに加えて、この行為は異常であるから全世界に知らしめるという夫福原の行動自体が不自然。何でそんなことする必要あるの?という感じである。この脚本はどうみても弱い。


2.意味不明の聡子の動き
主人から満州で人体実験を見てしまったということを聞き、これを夫が公表するなら自分も危ないと金庫から証拠書類を取り出して聡子は憲兵部隊長津森に渡す。夫が異常だからまあ普通でしょう。


津森はおいの竹下を爪を剥がす拷問をするが、夫にはさほどの危害を与えない。これって変じゃない。悪名高き憲兵らしくもない。そのあとで、聡子は残った書類をもってあなたと一緒にアメリカに行こうと言う。だったら、憲兵隊にいわなきゃいいじゃない。このあたりの意味がまったくわからない。ストーリーは最後までずるずる続く。今でも意味不明である。

コメント (2)
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映画「セレニティー 平穏の海」マシュー・マコノヒー&アンハサウェイ

2020-10-18 18:54:05 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「セレニティー」は2019年公開のNetflix映画


映画「セレニティー」ではマシューマコノヒーアンハサウェイというアカデミー賞俳優のカップリング主演である。何気なくNetflixの中で見つける。元妻からDVが激しい今の夫の殺人依頼された男がどう立ち向かうかという題材に関心を持つ。ネットで見ると、主役の2人に加えてダイアンレイン、ジェイソンクラークといったスター俳優が出演している割にはあまり評判はよろしくないようだ。

でも、時間の合間に見てみると、わりと面白い。カリブ海に浮かぶ島が舞台で、マシューマコノヒー演じる主人公はイラク戦線の退役兵で今は漁師に身を隠している。島の様々な場所を映し出す映像は美しく、視覚的に楽しませてもらえる上にスティーブン・ナイト監督自らの脚本も練られている。登場人物が適切に配置されており、展開を読みづらくする。土壇場で意外な展開があるわけだが、その評判が良くないらしい。確かに、正直アレ!?と呆気にとられるが、ムキになってけなすほどではない。娯楽として一見の価値はある。

カリブ海に浮かぶプリマス島、イラク戦線で負傷した退役兵ベイカー(マシュー・マコノヒー)は相棒の現地人ディーンと自前のクルーザーで観光客を乗せながら魚を釣っていた。大物のカジキを狙いながら、ゲットできないでストレスが溜まっていた。気難しいところがあり、ちょっとしたことでディーンを首にしたり偏屈である。ベイカーにはコンスタンス(ダイアン・レイン)という恋人がいる。

そんなベイカーの元へ別れたカレン(アン・ハサウェイ)が訪ねてきた。ベイカーのことをジョンと呼んでいた。夫フランク(ジェイソン・クラーク)のDVに悩んでいて、ベイカーとの間にできたパトリックもその被害を受けている。今までのことは悪かったとカレンが謝り夫を殺してくれと依頼する。1000万$報酬を出すという。フランクはもうすぐこの島に来て2日滞在する。一緒にベイカーの船に乗るので、海に沈めてくれというのだ。ベイカーは即答を避ける。


息子のパトリックはDVに耐えかね引きこもりになっていた。一日中部屋でパソコンに向かう毎日である。フランクが島にくると、釣りがしたいとベイカーの船にやってきた。案の定横柄な奴だった。ベイカーは息子がフランクの暴力に苦しんでいるのではと心配してしまう。

フランク夫妻は金満家で乗船したら1万$の謝礼をくれるという噂が島を駆け巡り、クビになったディーンが一緒に乗ると申し出る。3人で乗船して釣り竿の糸を垂らす。しばらくして、強い引きがある。どうもサメのようだ。ずっしり重みがある感触にフランクが2人の助けを借りて釣り竿を引き上げようとするのであるが。。。


この島は広くない。見慣れぬカレンが島にやって来てしかも金満家の奥さんで、彼女はどうもベイカーのこと知っているみたい。それだけで周囲は何があったかとひそひそ話だ。ベイカーの船に乗るだけで1万$になりそうだ。ベイカーの恋人も落ち着かない。カレンが気になってしょうがないのだ。バーのマスター、釣具店のおばさん、しかも、ベイカーの行方を探す謎の男もいる。周囲がざわつく。

以下は半分ネタバレあり、映画を観ていない方は観てからにして下さい。

⒈フランク殺しができるか?
フランクは自分が殺されるとは思っていないし、妻の元恋人がベイカーだとは夢にも思わない。ベイカーは金づると思って態度のでかいフランクに対しても余裕を持って対応する。でも、助手のディーンや周囲もきっと奥さんに対するDVがあって何かあるんじゃないかと思っている。サメが餌に引っかかってして右往左往する時に一気にやられるかとドキドキしたら、映像はフランクがオレが釣ったんだと喜ぶ姿を映す。まだ終わらないんだね。


フランクは「また乗って大物釣るぞ!お前ら釣りを教えてやる」と言っている。それでも大雨降る夜になるとカレンはベイカーの乗っているクルーザーにやってくる。そして念押しで夫を殺すように依頼する。ところが、カレンが目を覚ますとなんとフランクは真っ赤に血に染めて倒れているではないか。死んではいない。数人に取り囲まれたという。その話を聞いて息子を自分の元に戻そうとしていたベイカーは一気にやる気を喪失する。どうなるのか?!

ここで寸止めとしよう。この後は実は意外な大逆転がある。それは見てのお楽しみだ。
評判は悪いけど、この脚本は伏線もしっかり入れて、登場人物にそれぞれ役割を持たせる。それが徐々に効いてくる。自分にはそんなに悪くは見えないんだけどなあ。Netflix映画普通に契約している人はタダだし評判を気にせず楽しんでほしい。

⒉カリブ海に浮かぶプリマス島
猥雑な港のバーを映し出し、ラム酒を1人飲むベイカー(マシュー・マコノヒー)の姿が粋だ。そこへカレン(アン・ハサウェイ)が亭主の殺人を依頼にくる。バーのまわりのお店や市場、美しい砂浜、ベイカーが海に飛び込む絶壁など目の保養になる美的センスにすぐれる。途中でプリマス島という名前がでて、これをしらべると、今は無人島だという。何それ?どんでん返しって島がなくなるってことなの?とまで思ってしまうが、違う。あくまで実際の島にかこつけた架空の島なのである。


実はロケ地が日本企業がたいへんなご迷惑をかけたあのモーリシャス島と知ってビックリだ!いやーきれいだな。


この映像の場所が原油流失でやられたの?確かにこれはヤバイね。わあショックだ。
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映画「オン・ザ・ロック」 ソフィア・コッポラ&ビル・マーレイ&ラシダ・ジョーンズ

2020-10-16 09:51:30 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「オン・ザ・ロック」を映画館で観てきました。

「オン・ザ・ロック」ソフィア・コッポラ監督の新作である。往年の名作「ロスト・イン・トランスレーション」でコンビを組んだビル・マーレイが出演する。夫が同僚の女性と浮気をしているのではと疑う妻が父親と相談し、夫の尾行をするという話である。


娘がいる身からすると、この題材は気になる。毎度のことながらソフィア・コッポラ監督作品の音楽のセンスは抜群で、女流監督らしいきめの細かい映画作りはハイセンスだ。ニューヨークの街を縦横無尽に走り回る2人の姿は滑稽である。しかも、最後に向けては父娘でメキシコのリゾート地にも行ってしまうのだ。

ニューヨークに住むライターのローラ(ラシダ・ジョーンズ)はアフリカ系アメリカ人のディーン(マーロン・ウェイアンズ)と結婚し、2人の子供にも恵まれた。ところが、新しく夫のアシスタントになった女性フィオナと残業を繰り返すようになり帰宅も遅くなり、夫婦関係も疎遠になってきた。良からぬことが起こっているのでと疑いを抱く。

そこで、ローラは自分の父親のフェリックス(ビル・マーレイ)に相談を持ち掛ける。フェリックス は母親以外の女性とも浮名をずいぶんと流していた。フェリックスはこれは怪しいとローラにこの事態を調査すべきだとアドバイスする。しまいには子供を預けて父娘2人で真っ赤なオープンカーに乗って夜のニューヨークへと繰り出すのであるが。。。

1.滑稽な登場人物
シドニー・ポワティエ主演の「招かれざる客」という名作はあるが、黒人男性と白人女性のカップルの映画はめずらしい。その黒人男性が浮気していると疑われる女性もアジア系だ。人種のるつぼニューヨークらしい感じはある。映画を見るまで知らなかったが、ラシダ・ジョーンズクインシー・ジョーンズの娘と確認し驚いた。当然アフリカ系の血が入っているわけで、彼女の起用はなるほどと感じる。子ども2人の頭の毛はチリチリだ。


  いつもながらビル・マーレイ のパフォーマンスはここでも滑稽だ。「ロスト・イン・トランスレーション」 で演じた俳優役がすっとぼけていていい感じだったのを思い出す。いつもは運転手付きのベンツでニューヨークを闊歩する。でも、2人で夫が乗ったタクシーを追うときは真っ赤なアルファロメオのオープンカーを自ら運転する。運転は荒い。セカンド発進でぶっ飛ばしてパトカーに追いかけられる。捕まった後、警官をけむに巻いてうまく手なずける話術が傑作だ。気が付くと、警官がオープンカーを押している。


あと、ローラのママ友でよくしゃべる女を何度も登場させる。ローラが夫のことで気をとられているのに一人でべらべら喋りまくる。ピント外れのこんな女っているね。この女の使い方にソフィアコッポラのしゃれっ気を感じる。

2.父娘の関係
ローラは相談した後で、何度も父親と会う。ハンフリーボガードローレン・パコールと食事した場所やいろんなところへ行く。父親はいつもアポイントなしでふらっとローラの前に現れる。調査をする手はずを知っているせいか、夫のディーンがカルティエで買い物をしたとか、いまどこのレストランで食事をしているなんてこともわかっている。しまいにはメキシコのリゾート地のホテルを予約していることまで調べてしまい、2人で乗り込んでいくのだ。


娘から相談を持ち掛けるなんてことはあまりない。よくぞまあ在宅勤務が続くというくらい今期に入ってから会社に行っていない。それなので、時折食事に出かける。妻には言っていない。娘はスポーツクラブに通っているのでジャージ姿で出かけてこっそり外で会う。気の利いたところへ昼食に出かけたり散歩に出たりする。前は肉というと、娘はしゃぶしゃぶ専門だったが、最近は高級焼肉だ。

あとは四川系中華そしてタンドリーチキンに辛いカレー系、妻はコロナ恐怖症で外へ出たがらないので娘と2人で行く。KINTANやチャンピオンが多い。娘に限らず最近の女は肉好きだ。

この映画のテーマは何かにかこつけて娘と会いたがる父親の愛情ということなのであろう。ビルマーレイを見ながら自分の中に共通するものを感じた。
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映画「大地の子守歌」原田美枝子&増村保造

2020-10-14 16:46:52 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「大地の子守歌」を名画座で見てきました。


「大地の子守歌」は昭和51年(1976年)の作品で自分と同世代の原田美枝子主演、この映画も長い間DVD化されていなくて見るチャンスがなかった。名画座で増村保造特集を上演しているに気づき、足を向けた。これは見てよかった。13歳の少女が瀬戸内海に浮かぶ島の遊郭に売られ悪戦苦闘するという話だ。ここでは増村保造のハードな演出とこの当時まだ若干17歳だった原田美枝子の体当たり演技が光る。

昭和7年、四国の山奥で13歳のおりん(原田美枝子)は、ババアと呼ぶ祖母(賀原夏子)と暮らしていた。男勝りのおりんは小学校もいかず、獣を狩って食べる野生人のような生活をしていたが、ある日家に戻るとババアが息絶えていたのに気づく。そのことは周りに黙っていたが、村の人たちにばれてしまう。一人になったおりんを狙って、女衒の男がおりんに接近する。山で育って海を見ていないおりんに、言葉巧みに海を見に行こうと誘い、瀬戸内海に浮かぶ御手洗島に連れて行くのだ。

島にいくと富田屋という遊郭に連れていかれる。おりんは抵抗したが、そのまま下働きをすることになる。男勝りのおりんは周囲と常に軋轢を起こしていた。陸地の売春とは別に「おちょろ舟」という舟を出して沖で停泊する船での売春があった。おりんは進んで漕ぎ手になり店を手伝った。

やがて、初潮を迎えても店に黙っていたが、富田屋の店主たちにばれてしまい客をとるようになる。おりんはこの生活から逃れようと人の倍働いた。海辺で同世代の青年(佐藤佑介)と知り合ったりして気を紛らしていた。ところが、ある日目の前が見えずらくなっていることに気づく。人一倍働いていたせいか医者に行くと片目はほぼ失明状態だといわれるのであるが。。。

1.野生の女おりんとセックスチェック第二の性との共通点

山奥の藁ぶき屋根の一軒家がおりんとババアの住処だ。野ウサギを狩ったりして小学校もいかず生活する。野生そのものだ。言葉づかいも普通の男以上に荒々しい。そんなおりんが瀬戸内海の島で売春宿に気が付くと行かされている。他の女郎とはすぐさま取っ組み合いのけんかを始めるし、手が付けられない。気に食わない客から「水くれ」といわれたのでバケツに水を入れてきて、客に浴びせるとかめちゃくちゃだ。


そんな野性的なおりんを演じる原田美枝子もすごい。悪さをしたときに、全裸で店主からお仕置きを受ける残忍なシーンがある。SM映画のようだ。17歳にしてヌード全開である。この原田美枝子をみて連想したのが、同じ増村保造監督作品の「セックスチェック第二の性」だ。男女の性別があいまいな陸上選手を演じる安田道代が強烈な目つきで相手をにらむ。ものすごいワイルドだ。周囲と強烈な軋轢を起こす場面が全く同じにみえる。

これって、増村保造監督特有の個性的人物の異端ぶりを強調する演技指導が生んだものだと思う。若き原田美枝子もよく食らいついていったと思う。

2.瀬戸内海に浮かぶ島に売られる
御手洗島というのは初めて聞く名前だ。てっきり売春島だと思ったらそうではなさそうだ。江戸時代から瀬戸内海の海上輸送の中継地点だったらしい。考えてみたら、客がいなければ売春は成立しないわけで、それなりに栄えたところだったのであろう。今も伝統的な風景が一部残っているようだ。

売春宿に売られたというのが、ババアが死んで身内がいなくなったおりんなのに、女衒が誰に金を支払ったのか?ちょっとよくわからないが、単に女衒が儲けただけなのかもしれない。「おちょろ舟」という舟で沖の船でやる売春というのもすごい話だ。こんなの初めて聞いた。輸送する船も多く、きっと地理的に停泊している船がそれなりにあるあろう。舟を沖の海まで漕いでいくというのも女性には酷な仕事なんだろうが、それを進んで買って出るおりんという女もすごい。

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映画「もう頬づえはつかない」 桃井かおり

2020-10-12 21:49:48 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「もう頬づえはつかない」は1979年(昭和54年)のATG映画

映画「もう頬づえはつかない」は見延典子のベストセラー小説を桃井かおり主演で映画化した作品である。原作は未読。名画座での上映には縁がなく、DVDもでていなかったかと思う。ふと自分の大学生時代の映画を観たくなった。

早稲田大学第一文学部の学生だった見延典子が在学中に卒論として書いた。主人公の早稲田の女子学生がバイトで知り合った学生と元恋人のライターとの間の関係に揺れ動くという話である。若き日の桃井かおりと奥田瑛二、若干年上の森本レオを主軸に当時の同棲世代の紆余屈折を描く。


もう40年経ったのかと思うが、昭和20から30年代の映画を観たときと違って、まったく違う世界を見ているといった感じはしない。正直、話はたいしたことはない。主人公の妊娠が大きな事件には違いないが、起伏というほどでもない。地方出身の女子学生の日常を語っているというべきか。親元離れて、好き勝手やって男を連れ込んだ女子学生ってむしろ今より多かったんじゃないかな。

高田馬場から早稲田正門前までのスクールバスを映すが、周囲の風景に違和感がない。大学のキャンパスも変わらない。学生運動も一段落している時期だ。もう昭和50年代中盤になると、かなり垢抜けていると言えよう。いくつかの感想を見ると、しらけ世代という言葉もあるけど、逆に無意味な学生運動にうつつをぬかしたお前らの方が異常だったと言ってあげたい。

早大生のまり子(桃井かおり)は、アルバイト先で知り合った同じ大学の橋本(奥田瑛二)同棲中である。バイトをやめてしまい家賃も遅れがちで、大家の高見沢(伊丹十三)の妻・幸江(加茂さくら)が営む美容院でバイト中だ。


そんなとき、突然恋愛関係にあったルポライターの恒雄(森本レオ)がまり子のアパートにやってくる。部屋には橋本もいた。恒雄はまり子と橋本の関係を知って争いになり、まり子の前から姿を消す。そして故郷の秋田に帰る。また、橋本も就職試験を受けるために故郷鹿児島にかえった。そんな2人がいないとき、まり子は妊娠していることに気づくのであるが。。。

1.桃井かおりと奥田瑛二
「青春の蹉跌」が1974年で「幸せの黄色いハンカチ」が1977年となると、この当時桃井かおりははもう一人前の女優である。27歳で大学生を演じるということ自体がずうずうしい気もするが、薬科大学へ行ってから早稲田に移ったという設定を考えるとそれもありなのか。

独特のアンニュイなムードはいい感じだし、あらためてこの頃の彼女をみると美しいと感じる。奥田瑛二、森本レオの両方とベッドシーンもこなし、バストトップも気前よくみせる。ただ、今見ていると日活ポルノとしか見えないんだけどなあ。


奥田瑛二はブレイクするずいぶん前だ。ずいぶんと痩せている。この当時もう29歳になるんだけど、大学生だと言っても違和感を感じない。まったく売れていない時代で、俳優業が本業と言えない時代なのかもしれない。彼がブレイクするのはTVの金妻シリーズで、そのときまでには5年を要する。「コンドーム」じゃダメだと、盛んに「ピル」でやらしてくれ、全然違うんだと言い張る。映画の中で桃井かおりは妊娠する。ピルだから奥田瑛二じゃないと思い、森本レオの子だとするが、それはわからないよね。

2.伊丹十三
センスのある雑文を書いていた個性派俳優の時代である。映画監督として「お葬式」をとるのはこの5年先だ。味のある大家さん役である。外廊下ではなく、内廊下のアパートである。廊下に共通の公衆電話があってむしろ下宿スタイルという感じか、映像からすると西武新宿線沿いにあるアパート。今や見かけなくなった屋根上の物干し台の上で洗濯物の干し方のうんちくを語る。語り方がいかにも伊丹十三って感じである。まさに髪結いの亭主で、浮気をして加茂さくら演じる奥さんにはさみで刺される。

映画の中ではただ単に主人公だけを追うのではなく、大家夫妻も追っていく。でもこの映画ご懐妊とこれだけじゃねという感じだ。この映画で森本レオ演じるルポライターは、三流雑誌でヤクザに関する雑文を書いてヤクザに追われるという設定である。でもこれってこの13年後の伊丹十三の未来みたいな話だなと思い、不思議な縁を感じる。


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映画「銀座化粧」成瀬巳喜男&田中絹代&香川京子

2020-10-11 08:17:19 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「銀座化粧」は昭和26年(1951年)の成瀬巳喜男監督作品


先日映画銀座二十四帖で昭和30年の銀座の風景を堪能した。もう少し前だったらどうなるんだろう、ロケ嫌いという噂のある成瀬巳喜男監督作品だけど、少しくらいは昭和26年の銀座を映し出していると思い「銀座化粧」をみる。ストーリー自体はたいした話ではない。田中絹代演じる銀座の女給と店の後輩香川京子の日常を映し出すだけだ。高速道路になり埋め立てられた川が全面に映し出され「銀座二十四帖」でも感じたが、東京がいかに水の都だったというのが「銀座化粧」でもよくわかる。

雪子(田中絹代)は銀座のバー・ベラミで女給をしている。長唄の師匠の二階を借りて、小学生の息子春雄と暮らしている。戦前、妻と別れると言い張る藤村(三島雅夫)と子供をつくったが、結局藤村は別れず母子家庭となってしまう。その藤村は戦後落ちぶれて、雪子に金を無心に来ていた。友人たちからは金になる旦那をもてとすすめられてもその気にはなれなかった。

雪子は、勤めるバーのママから20万円金策出来なければ店を手放さなければならないと相談をもちかけられた。成金の社長(東野英治郞)にたのんで借りようと相談したが、倉庫で体の関係を迫られ逃げていく始末である。仲間の静江(花井蘭子)が疎開していた先の素封家の息子石川京助(堀雄二)が上京したとき、案内役を雪子にたのんだ。雪子は京助と意気投合して心が動いたが、春雄が朝から行方不明になっているという知らせが入り、芝居見物の案内は、妹分の京子(香川京子)にたのんだ。幸い春雄は帰って来たが、気がつくと京子が京助といい仲になってしまうのであるが。。

1.昭和26年の銀座界隈
母子家庭で水商売に入って子どもを養うなんて構図は70年近く前も今も同じにはある。たいして広くもない店に大勢女給がいてこれじゃ儲からないでしょと感じるが、案の定火の車のようだ。貸せば客は払わないしなんてセリフもある。

店を閉めようとしたらなかなか帰らない客がいる。雪子(田中絹代)がついていたお客は、友人が来るはずだったけど、自分は持っていないと言い張る。次の店に来るはずだといわれ雪子はついて行くが、ちょっとした隙に逃げられる。3000円踏み倒した分は雪子が責任もって処理する必要がある。そんなこんなでこの稼業もなかなかたいへんだ。

今は見かけなくなった流しもバーに来る。3人のトリオの伴奏で歌う客がいる。花売りの少女たちもバー巡りをしているし、まだ8歳という女の子もバイオリン伴奏引き連れバーで流しをしている。美空ひばりのようなものだ。


服部時計店の時計は同じように映るが、森永キャラメルの電飾塔はない。銀座周辺に二階建ての建物が多い。ライオンもその一つだ。東京駅の地下にもあった「東京温泉」が銀座で建築中である。家の近くにはチンドン屋や紙芝居のお兄さんがきており、麻雀が1時間10円だ。小唄の師匠に間借りしているせいもあるが、町に三味線が鳴り響く。田中絹代に元情夫が無心に来て渡すのが200円、踏みたおした勘定が3000円、バーが生き延びるためのお金が20万円。最初10倍かなと思ったけど、違うかな?それぞれ何倍したらいいのだろう。単位の違いに少し戸惑う。

2.田中絹代
田中絹代のキャリアを追うと、昭和23年の夜の女たち(記事)という大阪の街娼を映した映画がある。ここでは夫を亡くして中小企業の社長にお世話になる役柄であった。でも、この映画では二号になることは拒否している。戦後まだ6年では、母子家庭になった女は水商売、妾しか生きる道がなかったのかもしれない。そのせつなさがよくわかる。


田中絹代は昭和24年に日米親善使節で渡米した帰国後、アメリカかぶれしたとマスコミに大きくたたかれたことがある。想像もつかないがかなりパッシングをうけたらしい。そのスランプを乗り越えているころである。小津安二郎「宗方姉妹」、溝口健二「お遊さま」「武蔵野夫人」といった作品に出ている頃で、今となってみればそんなに悪い時期でもない気もする。

3.香川京子と成瀬巳喜男監督
小学生の頃、こどものくせして香川京子さんって本当にきれいな人だ思っていた。ちょうどアメリカに行っていらっしゃって、時折TVで見る姿がまぶしかった。日本経済新聞連載の「私の履歴書」を書いたのがもう11年の前のことになる。これはおもしろかった。

黒澤明監督作品では常連だったけど、赤ひげ(記事)新任医師加山雄三が頭が少し狂っている香川京子演じる患者を診るシーンはなかなか狂気に迫る素晴らしいシーンだ。そんな香川京子の若き日を映す貴重な映像だ。美人でバーに来る男連中からちやほやされているが、先輩の田中絹代にしっかりガードされているという役柄だ。清楚な美しさが光る。


その香川京子が「私の履歴書」で成瀬巳喜男監督9時にはじまり、17時に終わる撮影ローテーションだったと書いている。やりすぎの演技を嫌い脚本でも余計なセリフはカットして絵で見せることにこだわったという。これは貴重なコメントで、さすが巨匠と言うべきだ。
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映画「フェアウェル」オークワフィナ

2020-10-07 22:54:15 | 映画(アジア)
映画「フェアウェル」を映画館で観てきました。


映画「フェアウェル」は比較的評価も高く、主演の中国系アメリカ人オークワフィナゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞している。余命短いと宣告受けた中国に住む祖母の元に、帰国する家族が祖母に病気が深刻だとわからないように右往左往する話である。

期待して見に行ったが、完全外された。たまにはこういうこともあるのであろう。2019年の最高傑作とまでいう人がいると目にして、なんで評価が高いのか理解できなかった。オークワフィナが特別な演技をしているようにも思えない。不治の病気を告知するかしないかという題材はたまに見るが、ストーリーの展開にサプライズも感激も涙も何もない。通常こういうのはブログアップしないが、たまには追ってみる。

6歳の時に中国からアメリカに移住して25年になるビリー(オークワフィナ)は、父ハイヤン(ツィ・マーガン)と母ルー(ダイアン・リー)から祖母ナイナイ(チャオ・シュウチェン)が肺がんで余命3ヶ月と宣告されると聞く。父母は病のことを本人に悟られないように、ビリーのいとこの結婚式を口実に中国長春へ帰郷する。ビリーはすぐしゃべってしまうとニューヨークに残されたが、いたたまれなくなり追いかけて中国に向かう。


ビリーは真実を伝えるべきだと集まった親類に訴えると、中国では不治の病は告げずに見送るべきだと親戚中から反対される。病状はまったく楽観できないのにナイナイは元気に結婚式の準備を仕切っている。うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力を受け取っていく。そして結婚式を迎えるのであるが。。。

1.2人のいやな女ビリーと祖母ナイナイ
ビリーはNYで親元を離れて一人暮らしをしている。雰囲気は「魔法使いサリー」のよしこちゃんみたい。幼いときに両親と中国から移民で米国に来た。グッゲンハイム美術館の学術員に応募したが、不合格通知が来ている。自立心が高いのはいいが、家賃は滞納して家主から文句を言われている。父親からお金援助してあげるか?といわれても大丈夫と突っ張る。素直さに欠ける。

金がないくせにクレジットカードで中国に渡航する。しかも、長春への渡航便ってそうはないから旅費は高いんじゃないかな。たぶん払えない気がするんだけど。ブラックリスト行きか。これってルル・ワン監督自らを描いたモノなんだろうけど、いやな女だ。

祖母ナイナイの自室には人民服を着た姿での夫とのツーショットの写真がある。あの文化大革命をよく乗り越えてきたものだ。長春は旧満州の新京であったが、そのころからいたわけではないだろう。長男は日本に、次男がニューヨークと2人とも外国へ行ってしまった。主人を天国に見送り、1人で暮らしている。太極拳を毎朝気合いを入れてやっている。

強烈な仕切り屋だ。孫の結婚式の料理や記念写真にまで口を出し、ロブスターかカニかで式場の担当者と渡り合う。出しゃばり女だ。孫が結婚するのはアイコという日本人で中国語がわからないと思って陰口をたたく。いやな女だ。風邪をこじらせたと病院へ行っているが、付き添いの妹には医師は余命3ヶ月といっている。咳がはげしい。自分も上司を2人肺がんで亡くしたが、死ぬ前は咳が出ていたなあ。


いやな女が2人いるだけで感情流入がしずらくなる。
でも、逆にナイナイの息子2人はまともだ。2人とも性格がいい。女流監督にありがちだが、女のいやなところをこれでもかとばかりに表現する。まさにこの映画そうだよね。逆に父親にはやさしい想い出しかないせいか、それが映像化される。皮肉だね。


2.中国の発展と日本の左翼系文化大革命絶賛人
いろんな中国映画を観てきて、極端な田舎じゃなければなにかしら街に特徴があってどこか想像できる。でもずっとこの中国のまちどこなのか?と思っていた。ようやくわかったのが、結婚式のシーンで、長春の名前が出てくる。まともな日本人ならすぐさま満州国の首都新京だとわかるであろう。日本は戦前旧満州に近代国家を作る名目で格調ある建造物を建ててきた。それは映っていないし、超高層の建物が建て並ぶ近代都市なので驚いた。生活水準も高そうだ。


中国は景気がいいというセリフもでているし、ホテルでビリーがある部屋を一瞥すると、商売女らしい美女を横に侍らせて麻雀をやっているシーンが出てくる。しかも、ビリーのいとこが結婚するのがアイコという日本人なのはビックリだ。でも日本に対するいやな表現はまったくない。

米中の対立はちょっと米国がやりすぎという印象を自由貿易主義者の自分は持つ。ある意味中国がものすごいスピードで発展するのが怖いのだ。よくぞここまで眠れる獅子が目を覚ましたのかと思う。中国自体は文化大革命で30年以上発展が遅れた。日本の知識人には文化大革命を支持した人が多い。

A新聞の連中もその片棒をかつぐ。文化大革命に批判的だった東京外語大の中嶋嶺雄のようなまともな中国研究者がいたと思えば、早大教授安藤彦太郎や新島淳良のように学園紛争を支持してどうにも手のつけられない文革信者の連中もいるし、小島麗逸のように自己批判して転向した人もいる。この現代中国人の充実した生活をみてどう捉えるのであろうか?これでも農村からの革命と言うのであろうか?日本の左翼系知識人および学生運動にかまけていたクズ連中は本当に困ったものだ。

最後のワンシーンはよくわからない。これってシャレ?どう受け取ればいいのかしら?
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映画「エマ、愛の罠」 マリアーナ·ディ·ジローラモ&パブロ・ラライン

2020-10-04 10:03:09 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「エマ、愛の罠」を映画館で観てきました。


「エマ 愛の罠」はチリ映画、予告編を映画館で観てラテン系独特の色彩感覚に触発され映画館に足を運んだ作品である。チリ映画といえば、2019年日本公開作品の中でもナチュラルウーマン(記事)にはその素晴らしい映像美に魅せられた。トランスジェンダーが題材とすると変な偏見を持ってしまうが、行ったことのないサンティエゴの街も美しく視覚的な快感を覚えた。アカデミー賞最優秀外国映画賞にも輝いている。エマの監督のパブロ・ララインは「ナチュラルウーマン」の制作にも名を連ねている。それ自体も見に行きたくなる要因であった。

映画は始まってすぐに、燃え上がる信号を映し出す。横には火炎放射器を持っている人の影が。


何これ?といった感じで始まる。派手な色彩の舞台が映り、異次元世界に入ったようなダンスを見せつけられる。やたらまくし立てる男女の言葉の内容はよくわからない。ダンスチームの中でもピカイチの美貌を持つ金髪のエマのパフォーマンスが普通じゃない。性的匂いをプンプンさせるダンスは超セクシーだ。ストーリーはぼんやりこういうことなんだろうなあといった感じでつかむ。地球の裏側にはこういう世界があるのかと感じさせるヴィヴィッドな映画だ。

気の利いたカフェバーで大画面でBGM的にみるのも悪くないのでは?


あえて作品情報のストーリーをそのまま引用する。その後に感じたままをネタバレ気味に追ってみる。

若く美しいダンサーのエマ(マリアーナ·ディ·ジローラモ)はある悲しい事件によって打ちのめされ、 振付師の夫ガストン(ガエル·ガルシア·ベルナル)との結婚生活が破綻してしまう。 家庭も仕事も失い、 絶望のどん底に突き落とされたエマは、 ある思惑を秘めて中年の女性弁護士ラケルと親密な関係になっていく。 さらにラケルの夫で消防士のアニバルを誘惑したエマは、 彼女への未練を引きずる別居中のガストンまでも挑発し始める。 3人の男女をことごとく手玉に取り、 妖しい魅力で虜にしていくエマの真意は何なのか。 その不可解なまでに奔放な行動の裏には、 ある驚くべき秘密が隠されていた……。(作品情報より引用)

⒈エマの大胆な行動力
エマが所属するダンスチームを指導しているのが夫のガストンだ。夫は不能で子供が生まれない。なので、小学生くらいの男の子ポロを養子にもらったが、ポロのいたずらでエマの姉がやけどする事件が起き施設に預かられ、結局ある夫婦のもとに預けられる。

エマは夫との離婚訴訟ということで、女性弁護士ラケルに相談に行く。金がないので弁護料はないとラケルにいい、打合せテーブルの上でダンスを踊りながら、他のことで埋め合わせをするという。実はラケルが預けられた先の妻だというのを確認しての行動だ。


その後、エマは火炎放射器でわざと自分のクルマを燃やして消防を呼ぶ。消防士はラケルの夫のアニバルだ。彼に接近するための口実だ。アニバルがバイトする店にダンサー仲間といったり、エマはじわりじわりとアニバルを誘惑していく。そして2人は体を合わせるようになるのだ。その上で、離婚するとは言え同じダンスチームのガストンにはつれなくしているが、他のチーム員がガストンに近づこうとすると思い出したかのように近づき抱き合う。

エマはラケルとレズビアンのような深い関係になり性的に満足させる。加えて夫のアニバルとも強く合体するのだ。その後、エマはある学校にダンスの教師として雇ってくれと頼み、校長に気に入られて採用される。その学校にはポロがいるのだ。授業で出会った時にポロを外に連れ出してしまう。そのあとは肝なので語らないが、女性であることを武器にしたこの大胆さと行動力には驚く。

⒉vividな色彩感覚と美しいバルパライソの街
予告編でスペインのペドロアルモドバル監督のような色彩感覚を感じたが、期待を裏切らなかった。金髪でどこか神秘的なムードもあるエマは美しい。ダンス仲間との行動はとても理性的には思えない。仕事以外でも、仲間たちとダンスしたり、性欲を発散するが如くに男だけでなく女性とも自由に交わる。


そういうエマを映し出す色彩設計は抜群だ。海辺の港町が舞台になり、ゆったりとした丘のような立地に建物が並んでいる。建物の外壁はカラフルで色鮮やかだ。メイン道路には路面電車が走り、ケーブルカーで高所へ登れる。いずれにもエマを放ち華麗な映像コンテをつくる。


夜の場面では、海から勾配のある坂のように成り立っている街の灯りがとてもきれいだ。こんなの見たことない。


これ、いったいどこ?って映画を観ているときずっと思っていた。チリの街バルパライソである。太平洋のはるか先にこんなに美しい街があったんだ。恥ずかしながら知らなかった。なんと世界遺産になっているという。日本でいうと、港を囲む街の地形は長崎に近く、路面電車やロープウェイで函館をイメージする部分もあるが、見た限りでは日本の両方の街を凌駕する。「ナチュラルウーマン」の時にサンディエゴの街の美しさに感嘆したが、それと同様の感動を得た。


地球の裏側のこれまで知らなかった素敵な港町で、日本人の既成概念とはほど遠い価値観を持つエマという女性を自由奔放にふるまわせた。その映像を見るだけで満足である。
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映画「ある画家の数奇な運命」 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク&ゲルハルト・リヒター

2020-10-03 11:25:11 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ある画家の数奇な運命」を映画館で観てきました。

重厚感があり、実に見応えのある作品である。今年のナンバー1に評価していい!
大学の第二外国語がフランス語でドイツ映画は縁が遠い。でも直感で初日に行くことにした。美術家ゲルハルト・リヒターの若き日の物語に現代ドイツ史の出来事をかぶせる。


基調は美しい叔母への幼き憧れ、戦後知り合った妻への絶えなき愛である。その恋愛を軸にしながらナチスドイツの優生政策、戦後ソ連が強く関与する東ドイツの社会主義、ナチスの残党への追跡、ベルリンの壁による東西分断など現代ドイツ史の裏面を浮き彫りにしていく。

ゲルハルト・リヒター「何が事実で何が事実でないかはお互いに絶対に明かさないこと」を条件に取材に応じたとのことである。てっきり真実と妄想を交差させる幻想的なシーンとかがあるのかと思ったらまったく違う。硬軟とりまぜた重層構造でおいしいフルボディの高級ワインを飲んだような味わいがある素晴らしい映画となる。主要な出演者が若くてルックスがいいのもこの映画の大きな特徴である。 3時間の長丁場も退屈せずに見させる。傑作だと思う。

久しぶりに気に入った新作だったので、長めに振り返ってみる。
この後は映画を観ていない人は読まない方が良いです。(ネタバレあるので)

1937年のドイツドレスデン、少年クルトは美しい叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンタール)に可愛がってもらっていた。ある時クルトが部屋に入ると、叔母が全裸でピアノを弾いていて、ガラスの灰皿で自分の頭を打ちつけている。そこにクルトの祖母が帰ってきて、一緒に医者に見てもらうと統合失調症の疑いがあるという。ここだけの話にしてくれと医者に言うが、衛生局に通報され、精神病棟へと運ばれる。

衛生局ではナチスの高官でもある婦人科医のゼーバント教授(セバスチャン・コッホ)に診断を受ける。教授が席を外した隙にエリザベトが診断書を読むと統合失調症と病名が書いてある。慌てふためきエリザベトは自分はまだ子供が生めると強く主張するが、職員によって無理やり運ばれて断種手術をすることになる。やがて、第二次大戦が始まり多数でる見込みの負傷者を収容する病棟が不足するという懸念から、今入院している優生政策にそぐわない人物を処分するということでエリザベトもガス室送りになった。


その後ドイツ軍は劣勢となり敗れた。東ドイツ側で残ったクルトの父親は本来反ナチスであったが、党員に籍があるということでまともな職にありつけず掃除夫となる。1951年青年になったクルト(トム・シリング)も労働者扇動の宣伝看板を書いて働いていたが、美術のセンスを周囲に認められ美大に行くことになった。美大では教授に認められて、壁画の仕事を紹介されたりした。美大で名前が叔母エリザベトと一緒でよく似ている通称エリー(パウラ・ベーラ)と知り合う。


一方で、ゼーバント教授はナチスの大量惨殺の首謀者である元上司の行方を執拗にソ連将校から拷問を受けていた。自分は知らないと言い張り刑務所に入れられていた。そんな時、陣痛に苦しんでいる声が刑務所中に響く。その声は将校の妻だった。自分は産婦人科医であり、声を聞くと胎児の異常事態がわかるので自分が処置したいと監守に申し出る。そして、ゼーバントが診て胎児の位置を調整したおかげで無事に赤ちゃんが生まれる。父親であるソ連の将校は喜び、そのことで、ゼーバントは特別待遇を受け、刑務所を出所して医師の仕事に戻れることになる。

クルトは一気にエリーと恋に落ちていた。エリーの家で下宿人を求める話を聞き、クルトに応募させ、クルトは同じ屋根の下で暮らすようになる。やがて、エリーは懐妊する。産婦人科医である父親は娘の動きを見て懐妊を察知する。しかし、育ちが違うクルトの子供を産ませる訳にはいかないと、エリーが子供の頃に患った婦人科系の病気のことを理由に自ら中絶手術を自宅で執刀する。それでも恋愛感情は収まらず2人は結婚する。

年が経ち1961年、ゼーバントを優遇していたソ連将校に本国よりモスクワに帰還せよという辞令がでた。ゼーバントは呼び出され、そのことを伝えられると同時に、後任の将校が大量惨殺の首謀者を再度探すことになると言われる。西側に出国するなら配慮するよという言葉に慌ててゼーバントは夫婦で西ドイツに引越す。

クルトとエリーはそのまま東ドイツに残った。クルトが労働者たちを喚起させるための絵画は政府当局の評判もよく、美大時代の仲間をつかって大きな壁画を描いていた。しかし、これで良いのかと感じたクルトはエリーと一緒に西ベルリンに向かい列車に乗ると、思ったよりもあっさり離国することができた。


クルトは30歳になるところであった。西ドイツでも美大に入学して美術を究めて行こうとするが、スランプにぶち当たる。。。。

⒈命の尊さとゼーバント教授
いくつかの逸話を通じて、命の尊さについて問いている。
まずは、ナチスの優生政策によって、精神障害者などを強制的に断種手術する法律が1933年に成立している。まさにヒトラーが強力な権力を持った年だ。そして、1939年ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まるその時、「不適格」と判断された人たちへの安楽死政策が施行された。エリザベトはその時に犠牲になっている。ゼーバント教授は政策を履行する立場だ。


その後、産婦人科医であるゼーバントが戦後ナチスの戦争犯罪で囚われている時に、取調べるソ連の高官の妻がお産で苦しんでいる場面に出くわす。母子ともに亡くなってもおかしくないのに、無事出産に導く。多少の打算はあったとは言え、純粋に命を守る処置をするのだ。大量殺人に関与する人間が逆に新しい命を産む。

映画を観ていて、この映画はクルトとゼーバントのそれぞれの逸話をかたっているな。これってどういう意味を持つんだろうなあと思ったら、なんとクルトが美大で知り合った恋人エリーの父親がゼーバントなのである。もちろん、クルトの叔母がゼーバントの執行命令で断種手術をするなんてことはわかるはずもない。わかっているのは映画をみているわれわれだけである。

クルトとエリーは恋に落ち、映画の中でこれでもかというくらい愛し合う。当然懐妊してしまう。父であるゼーバントはプロの産婦人科医なので、娘の懐妊を見破る。でも恋人のクルトをよく思っていない。できたら別れさせたい。そこで、子供の時の婦人科系病気のために、出産すると支障があると娘を説得するのだ。真意は中絶すれば別れるだろうという訳である。さっさと自宅で処置してしまう。

あえて対照的な命をめぐる逸話を取り上げることでフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は「生命って何?」と言いたいのであろう。

⒉ソ連に影響を受ける東ドイツ
第二次大戦後ドイツは分断された。東西の分断で、東ドイツはソ連の強い影響が及ぶ国家となる。ブルジョワ文化は糾弾されて、映画の中でもあらゆるところにスターリン像が貼ってある。美大での課題絵画も労働者が働く姿を描いて気分を高揚させるものである。教授に認められたクルトは公共の場にある壁画を描く仕事につくのだ。

「灰とダイアモンド」のアンジェイワイダ監督によるポーランド映画残像(記事)で社会主義当局に反発して落ちぶれる美大の教授が取り上げられたことを連想した。クルドが壁画に描いているような社会的リアリズムのある作品は自分には描けないと反抗しても、当局はまったく許さないのだ。

でも、本当にこんなことやっていて良いのかと疑問に思い、西ベルリンに向かう。スティーブンスピルバーグ監督「ブリッジオブスパイ(記事)でこの時期のベルリンが描かれている。ほんの少し前まで行き来できたのがベルリンの壁ができてまったくできなくなる。壁を越えようとして殺された人も多いようだ。そう考えると、あっさり抜けられたクルトとエリーは強運の持ち主と言える。

西側では自由に満ちあふれ、美大でも前衛美術に関わる学生たちが多かった。ラムゼイルイストリオの「ジインクラウド」が流れる中、ヒッチコックの「サイコ」を映画館で観るシーンがある。いつもながら思うけど、共産主義は最低だよね。もっとも、今の日本は世界でもっとも成功している社会主義国という人もいるけどね。

⒊クルトの思いつき
美大では強い影響力を持ったフェルテン教授がいる。彼も戦争に従事し空軍に所属していた。飛行機が墜落して、タタール人に助けてもらい九死に一生を得たとつぶやく。そんな教授がでたらめな数字をあげてそれがどういう意味を持つかという問いに満員の階段教室でそれがロトくじの当選番号だったら意味を持つんだとクルドはいう。


そのココロは何?と思ってしまうが、白いキャンパスに何も描けなかったクルドが写真の模写を始める。戦後しばらく潜伏していて逮捕されたナチスの惨殺責任者や叔母と幼い頃の自分の像などを描いていくのだ。仲間からは「お前模写をやっているのかよ」とからかわれるが続ける。そしてそれをボカしたり、組み合わせて1つの絵画にしてみるのだ。このあたりは何が良くて何がよくないのかが自分にはよくわからない。それでも、クルドが最後に美しい叔母と同じことをしたあるパフォーマンスがある。これがよかった。
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映画「キューポラのある街」吉永小百合&浦山桐郎

2020-10-02 08:21:27 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「キューポラのある街」は昭和37年(1962年)の日活映画


吉永小百合の若き日の代表作といえば「キューポラのある街」と言われることが多い。川口の町の話から「キューポラのある街」の話題になり、これってひどい差別用語が飛び交う映画と話すと、ほとんどの人は知らない。吉永小百合と浜田光夫の輝かしい青春物語だと思っているようだ。先日も自分より年長で埼玉で育った人と話して同じような話になった。これまでも2回ほどブログで取り上げたが、踏み込んでもう一度見てみたい。

中学3年の主人公ジュン(吉永小百合)は鋳物工場で働く父辰五郎(東野英治郎)と母トミ(杉山徳子)、タカユキ,テツハルの弟2人と川口の荒川沿いに近いエリアで暮らしている。飲んだくれの父は働いている鋳物工場で人員整理が行われることになり辞めることになる。そんな時妊娠している母が破水して赤ちゃんが生まれるが、父親は飲みに行ったきりだ。無職になる父を若い元同僚の塚本(浜田光夫)が心配して、同僚からカンパを集め、組合からの給付金を渡そうとするが「オレは職人だ。アカの金はもらえない」と受け取らない。


父の失業を心配して、娘のジュンは朝鮮人の同級生がパチンコ屋の台裏で玉の補充をするバイトをしていると聞き、こっそりとバイトを始める。母は飲み屋で働くが、娘にはちょっとお店の手伝いをすると言ってある。長男は朝鮮人の同級生サンキチと一緒に悪さをして、年上の不良少年グループの言われるままに盗みを働いている。

ジュンは勉強ができる。同じクラスの社長令嬢ノブコにも自宅に呼ばれて教えてあげたりしている。浦和にある県立第一高校を志望している。先生にも合格すると太鼓判を押されているが、父親は「女は高校に行く必要はない。中学でて働け」という。それでも逆らって勉強をしている。ただ、職人気質の父親は紹介された別の鋳物工場をすぐさまやめている。


クラスでは修学旅行にいくら小遣いを持参するかが話題になっている。しょげているジュンを担任の教師(加藤武)が心配する。そして、修学旅行の公的な補助金がでる制度を教えてジュンは修学旅行に行けるようになる。しかも、同級生ノブコの父上が大きな鋳物工場の職をジュンの父親に紹介してくれた。これで安心して修学旅行に行けるのだ。

修学旅行の当日朝、意気揚々としていたが、寝ている父親を起こそうとすると、会社を辞めたという。家の中でケンカが始まりジュンは飛び出していく。向かった先は集合場所でなく、荒川の土手を目指すのであるが。。。

⒈川口の原風景
京浜東北線の車両がこげ茶である。自分が幼少時確かにそうだった。今から26年前和歌山から埼玉に転勤することになり、事務所は大宮だが、浦和川口を担当することになった。その時、アシスタントで会社に来ていた川口に住むおばさんに「キューポラのある街」のビデオを借りてみたのが最初だ。吉永小百合のイメージと違うストーリーに驚いた。

川口で働くようになった頃キューポラは今より見かけた。すでに駅前にはそごうデパートがあった。鋳物工場はマンションに変貌している途中だ。当時ロケ地である金山町付近は映画の名残を残していたが、現在この映画の面影はない。浦和川口と比較すると、浦和の方が格上に見えるが、川口は自営業者が多く前近代的資本主義が残る町だ。比較すると川口の事業主の方が金を持っている。家にもお金をかける。浦和はプライドだけ高く所詮サラリーマンの住処にすぎない。

マルクスの世界に近い川口の前近代的資本主義とは貧富の差が激しいということだ。この映画でのステレオがあって、ケーキがおやつに出てくる親友ノブコの家とジュンの家を比較して格差を浮き彫りにする。最近格差が激しいというが、この映画の頃と比較すると比べ物にならない。


ジュンが通った中学校は建替えて荒川の川沿いに今もある。川口市役所や川口陸橋は変わっていない。でもそごうは閉店が決まっている。埼玉は浦和伊勢丹、それと大宮高島屋、川越丸広などの一部除いてデパートがなくなってしまうかもしれない。東京から荒川を越えると、ショッピングモール文化になるのだ。当然、昭和36年には予想もしなかったことだと思うが。
すばらしいyoutubeがある↓


⒉吉永小百合の悲しい1日
修学旅行に行く朝、先生に用意してもらった旅行の補助金を鞄に入れて意気揚々と出かけようとする。ところが、ジュンの友人の父親に紹介してもらった転職先も父親がやめてしまったことがわかる。ガッカリして、修学旅行に行く気をなくしてしまう。ケンカして思わず飛び出す。

ジュンは荒川の土手に佇んでいるが、同級生が乗っているのかと思い横を通る京浜東北線から目をそらす。すると、腹痛がする。慌てて鉄橋の下に向かう。草むらの陰に行くと初潮を迎えたことに気づくのだ。血を見てたじろぐ吉永小百合。みんなが集合場所から出たのを見届けて駅に行く。「浦和一枚ちょうだい」切符を買って、目指している県立第一高校に向かう。校庭の裏から女子生徒が体操着を着て隊列を組んでダンスするのを見る。

本当は行きたかったのにという歯がゆい気持ちが強い。ここが一番悲しい。

川口に戻って、飲み屋街の前を通るとジュンの母親がいた。男の酔客の中でいちゃついている姿を見てショックを受ける。家には帰れない。そう思った時に女友達とばったり会いダンスホールへ行こうと誘われる。そこでは不良グループがたむろっていた。ジュンは女友達と楽しくダンスを踊っていたが、興味半分で飲んだお酒に睡眠薬を入れられていたのだ。薬が効いて女友達共々寝てしまう。別部屋に担ぎ込まれるのである。吉永小百合のピンチだ。

浦和へ向かって、志望校の校庭から体操を眺めるこのシーンがいちばんせつない。架空の県立第一高校としているが、映像を見れば明らかに名門「浦和第一女子高校」の校舎をロケに使っていることがわかる。吉永小百合が体操を眺める石積みの擁壁は今なおある。ダンスをしているのは本物の浦和一女の高校生なんだろうか?


勉強ができるのに家が貧しくて高校へ行けない。悲しい物語だ。昭和30年代にはこんな話がいくらでも転がっていたかもしれない。

⒊北朝鮮への帰還とその人たちは今
ジュンの同級生と弟の同級生サンキチは朝鮮人の姉弟である。屑鉄の回収を行う朝鮮人の父と名脇役菅井きん演じる日本人の母親から生まれる。当時北朝鮮への帰還事業が行われていた。父親は帰国に合意するが、母親は日本人でそのまま残る。「こっちにいても貧乏なんだから向こうへ行っても同じさ」とサンキチは言う。会話の中で北鮮という呼び名で、また戦争が起きるのではと、びくびくしている。この頃は停戦から時間がたってはいない。

サンキチは学芸会の演劇でその後「サインはⅤ」で一世を風靡する岡田可愛と一緒に演じるが、ミスってしまうとほかの生徒たちから「朝鮮人参」とからかわれる。のちの水戸黄門、東野英治郎演じるジュンの父親が「あんな朝鮮野郎と付き合うな」と厳しい言葉を姉弟に言う。 最近では考えられないような差別用語が飛び交う。 この映画はNG用語だらけで昔はTV放映できただろうが、 ちょっと今は難しいだろうなあ。

田舎の駅丸出しの川口駅の前に、北朝鮮への帰還を祝ってみんな集まる。ジュン姉弟もやってくる。最近は隣の西川口、ワラビを含めて中国人が多いが、この当時、川口駅は朝鮮人が多く住んでいたと聞く。自分の記憶では昭和42年ごろに王子駅のすぐそばを歩いたことがあり、今は音無親水公園になっている石神井川のほとりにも朝鮮人居住地の掘っ立て小屋が並んでいたのを違和感のある光景だったので鮮明に覚えている。

朝鮮本国帰還事業のお見送りが繰り返し実際に川口駅の前で行われていたのであろう。この時北朝鮮に帰った人たちはどんな運命をたどったのであろうか?サンキチはどうなったのであろう。想像するだけで気の毒になる。社会党のトップまで拉致はないと言っていたし、北朝鮮が地上の楽園というのは大嘘だとわかるのは平成に入ってからだ。情報が少なかったとはいえ、社会主義者たちの偽りの称賛には今更ながら呆れる。

ここで注目すべきなのは、駅のホームにある駅名標である。乗船する新潟に向かう朝鮮人の弟が 大宮駅で降りたとき、ちらっと駅名標が見える。大宮駅の次が宮原と蓮田となっている。宮原は同じだが、今は大宮と蓮田の間に土呂と東大宮の2駅ある。東京側が赤羽と書いてある。これは驚きだ。浦和駅には停車しない。昭和43年まで東北本線と京浜東北線は一緒の線路を走っていたようだ。時代を感じさせる。


担任の先生から定時制でも勉強できるよと勧められて、その昔バレーボールで有名だった日立武蔵工場に見学に行く。そこで吉行和子演じる先輩の勧めもあり、ジュンは働きながら学ぶ道を選ぶ。ラストはいい方向に持ってきてはいるが、約60年近くなって本当に良かったのかと考えされる。

2020年9月の日経新聞私の履歴書はアート引越センターの寺田千代乃氏だった。寺田氏は中学校卒で誰もが知っている運送会社を築き上げた。実はこの映画のジュンと同じ年である。
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