映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ダークナイトライジング」 クリスチャンべール

2012-07-29 17:16:16 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「ダークナイトライジング」を劇場で見た。
前作の素晴らしい出来からして、今回も公開早々いくしかない。
前2作を超える衝撃という宣伝文句は確かにその通り、ちょっとびっくりするくらいだ。
160分を超える大作であるが、時間の長さを全く感じさせない。

基本的に前作の延長でつくられている。モーガンフリーマン、ゲイリーオールドマンといったいつものレギュラーメンバーに加えてアンハサウェイ演じるキャットウーマンと極悪テロリスト的で総合格闘技の猛者みたいな悪党が登場する。正統派の善人が見当たらない。みんな悪党ばかりだ。
映画って次にどうなる?と見ているものに感じさせるが一番重要だと思う。映画の最中次の展開どうなるのだろうとずっと考えていた。ドキドキしながらだ。それなので長く感じないのであろう。意外性のあるストーリー展開と迫力ある映像を含めてさすがと思える出来である。

悪の巣ゴッサムシティもジョーカーが立ち去ってから8年たっていた。
殉死したデイト検事(アーロンエッカート)の追悼集会が行われているシーンからスタートする。本当はジョーカーのせいで悪党になっていた検事の殉死の責任がバットマンということになり、富豪ブルースウェイン(クリスチャンべイル)も人前には姿を現さなくなっていた。実際格闘続きで身体もガタガタになっていた。犯罪も減り警察本部長(ゲイリーオールドマン)の役割も少なくなっていた。しかし、事件から8年たち殉死の真実をスピーチしようと本部長は準備していた。

警察本部長が悪党集団にとらえられる。悪党集団には異様なマスクをした男ベイン(トム・ハーディ)がからんでいた。本部長は懸命に逃げる。この悪党集団は核融合にからんだウェイン社のライバル企業にもつながっている。ウェイン社をなんとか陥れようとするライバル企業と悪党集団は女盗賊キャットウーマン(アンハサウェイ)をひっそりとウェインの自宅のメイドとしてしのばせ、ウェインの指紋を取りだそうとするのだ。

キャットウーマンが自分の母親のネックレスを盗み出したのに気付き、妙な動きを察したブルースウェインはバットマンとして8年ぶりに復活しようとする。しかし、執事は反対する。そんな中悪党集団は証券取引所に乱入する。取引をぐちゃぐちゃにする。同時にウェインの指紋を盗んだことにより取引成立させたオプション取引でウェインを大損させ、破産させてしまうのであるが。。。

このあと主人公の転落がはじまる。想像もしないようなシーンが続くが。。。

(脚本)ウォール街デモ、格差社会への反発といった現代の世相をずいぶんと反映した脚本になっている。某左翼系新聞の読者が好きそうな題材だ。主人公バットマンことブルースウェインも富豪なので、格好の攻撃対象になる。テロ的社会の成立なんて、60年代に学生運動したクズ連中と同じような発想である。反原発デモ参加している現実性のないバカどももこの映画をみて別のことを考えるかもしれない。映画を見ていてこう来るか?!と思ったものだ。あえて一般大衆に合わせるような展開にもみえる。テロ攻撃、核開発などの話も出てくる。題材がこれでもかと思うくらい盛りだくさんだ。でもクリストファーノーランの言いたいことは某左翼系の奴らとは違うことだと思いますが。。。。

(配役)主人公クリスチャンべールはボクシング映画「ファイター」で強烈に減量でやせた姿を見せた。あの役作りは凄かった。ここでもほぼ同様なやつれた姿をみせる場面がある。しかも今度の悪党は強い。今までみたいな不死身ではない。今までより人間臭い汚れ役をこなす。これこそ本物の役者だ。
あとは2人のヒロインがなかなか巧みだ。

アンハサウェイがかっこよすぎる。バットマンのマシンに乗って走る姿は華麗だ。撮影が映す彼女のショットも光の使い方に変化をつけていた。ラブコメ常連の彼女が違った一面を見せた。つい先日ウディアレンの「ミッドナイトインパリ」で30年代のパリの美女を演じたマリオンコティヤールもいい味出していた。クリスファーノーランもうまい使い方をしたものだ。

音楽、特撮、アクションはいずれも絶妙で、映画を見たという実感がわき出る傑作である。
ゴッサムシティは前作のシカゴと違い、明らかに今回はニューヨークだ。鉄橋のシーンといい、街中のシーンといいCGもあるが実写も多い。爆破シーンも多く、映画への寛容性が高い国だと改めて感じる。

(一つ気になること)ウェイン社の破綻への流れが、字幕の訳からだけと?と感じる部分がある。オプションの売りで失敗となっているが、プットとコールオプションはっきりすればいいと思うんだけどね。証拠金がないと出来ない取引だけど、指紋認証したからといって破産するくらいの大きな取引ならば、売りポジション持つかどうかは普通は確認すると思うんだけどなあ?オサマビンラディンもオプション先物持ち玉をテロの前にずいぶんと持っていたみたいだ。まあどうでもいいことだけど。。。

前作を見ていない人は見てから鑑賞されることを勧めます。
コメント (2)
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マイウェイ 12000キロの真実

2012-07-27 20:18:26 | 映画(韓国映画)
映画「マイウェイ 12000キロの真実」は韓国の戦争映画だ。

第二次世界大戦で日本、ソ連、ドイツ三国の兵士として戦い、連合軍の捕虜になった日本人の実話?をヒントに、「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ監督がオダギリジョー、チャン・ドンゴン主演で描いた戦争映画だ。韓国映画にしては珍しく日本語のセリフが多い。

日本占領時代の朝鮮の首都京城を映し出す。
憲兵隊司令官の祖父(夏八木勲)を持つ日本人の少年長谷川辰雄が医師である父(佐野史郎)と母とともに朝鮮にやってきた。そこには長谷川家の使用人とその息子キム・ジュンシクがいた。少年2人とも足が速く、負けず嫌いの少年たちは競っていた。ところが、お祝いの席で祖父の元に届けられた贈り物に爆弾が入っていた。祖父は爆弾で死亡する。贈り物を手渡ししたことでキムの父は捕まる。
その後足の速い長谷川辰雄(オダギリジョー)とキム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)はライバルとして大会で戦うようになる。1936年ベルリンオリンピックで朝鮮人孫が日本国代表としてマラソンに出場して金メダルを取っていた。その次の東京オリンピックの代表を争っている2人だったが、いつしかその関係は人種同士憎しみ合う争いとなる。やがて開催されたオリンピック選考会で事件が発生。ジュンシクは罰として日本軍に強制徴用されることになり、オリンピックの夢は消えた。

1939年、ノモンハンで2人は運命の再会を果たす。日本兵として戦うジュンシクのもとに現れた辰雄は冷酷な軍人に変わっていた。戦場でも夢を捨てずに走り続けるジュンシクに激しい嫌悪を抱く辰雄は、ソ連への特攻隊にジュンシクを任命する。

死闘の末、敗北した日本兵はソ連軍の捕虜となるが、対ドイツの戦局が悪化し、決断を迫られる。“ソ連軍として戦うか、それとも死ぬか?”日本に自分のすべてを捧げてきた辰雄だったが、誇りを捨て、生きることを選ぶが。。。

この作品をアップするかどうか迷ったら、一週間たってしまった。
何せ日本人の描かれかたがめちゃくちゃだ。韓国映画なのでそれは仕方ないと思う部分もあるが、ちょっとひどすぎる。映画にフィクションはつきものであるが、主人公が軍隊に入ってすぐに大佐になったり、朝鮮人が強制的に徴兵されたり嘘ばかり並べられても気持ちいいものではない。そもそもソ連は捕虜にして強制労働させても、自国のために戦う戦士にはしないであろう。ドイツについても同様だ。主人公同士が逆転する最後の結末もどう考えてもありえない話だ。
カン・ジェギュ監督は「シュリ」「ブラザーフッド」の出来が良かっただけに非常に残念だ。
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ヒミズ 二階堂ふみ

2012-07-19 20:30:29 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「ヒミズ」は「冷たい熱帯魚」で人々をあっと言わせた園子温監督の新作だ。
腐りきった両親に育てられた中学3年生の主人公が絡まる人間模様を映し出す。
いつもながらきわどい映像と激しい演技でハートにどっしりくる。
園子温監督の作品は最近の日本映画ではその重量感でずば抜けている作品だと考える。



主人公住田祐一(染谷将太)は中学3年生だ。川沿いで貸しボート屋を経営する母(渡辺真紀子)と一緒に住んでいる。
ボート屋の周りには東北の大震災で家を失った人たちがテントで暮らしていた。中学のクラスでは主人公は異質であった。道徳的な話をする教師に反発していた。
彼のパフォーマンスを見て同級生の茶沢景子(二階堂ふみ)が住田に強い好意を示していた。しかし、住田は無視するばかりだった。それでも彼女はひたすら追いかけていた。
あるとき家を飛び出していた父親(光石研)が帰ってきた。母さんはいないかと、息子を見るや否や暴力を振るうばかりだ。父親に「おまえなんかとっくにこの世からいなくなったほうがよかったんだ」といわれるが、息子は殴られながらその言葉に耐えるしかない。
母には付き合っている男性がいた。いつの間にか一緒に飛び出してしまう。ボート小屋には主人公しかいなくなった。

そんな時、ボート屋にヤクザまがいの金融業者(でんでん)が取り立てに来る。父親が借りていた600万円の回収だ。事情を知らない主人公に詰め寄るのを見て、そばのテントの住人である夜野さん(渡辺哲)が一言口をはさむとコテンパンにやられた。お前らが返せといわれた。

夜野さんは最近知り合ったばかりのスリの達人(窪塚洋介)に仕事をもらいに行く。スリの達人からは1000万以上儲かる話があると言われていたのであった。夜野さんはお世話になった主人公のためにその仕事を請けることを決意してするの達人と現場に向かう。金のありかに向かうと、そこには死体があった。その直後にヤクザまがいの男が入ってくるのであったが。。。。

園子温監督の作品の暴力表現はかなりきわどい。予告編を見たときに少年たちが暴力を振るいあう姿を見てドキッとしたものだ。日本映画の場合暴力の演技を本気でやっている感じがしない。彼の作品は別だ。韓国映画同様本気度の高い暴力表現だ。ドキドキする。俳優たちが懸命に監督のきつい演技指導についていっているのがよくわかる。
今回は街中の無差別殺人を起こす人たちの姿も写し出す。不審者を表現する。
いくつかの暴力的なシーンで泥まみれになるのを見てフランス映画の名作「恐怖の報酬」を連想した。あの映画の終盤で主人公イブモンタンと相棒が油まみれになるシーンがある。映画史上でもこれほどすさまじいシーンはない。この映画でも泥んこまみれになるシーンからは同じような衝撃を感じた。今回はこれまでの彼の作品と異なりセックスシーンは少ない。それを補うかの如くの暴力描写の強調だ。

あとは主人公と同級生の女の子の好演が印象に残る。2人とも親からお前なんか生まれない方が良かったといわれる少年少女だ。親の言葉を聞くとむかついてくる。幼児虐待をするような親たちを想像する。そんなハチャメチャな親の虐待から懸命に自力で逃げていこうとする若者を見事に演じた。「冷たい熱帯魚」で狂気の世界を演じた俳優たちがここではおとなしい。あの作品でのでんでん、吹越満、黒澤あすかの演技はまさに狂気の世界を彷徨っている感じだった。ここでも強い個性をみせるが地味にサブに回る。

二階堂ふみが印象的だ。
世話好きで、男性の面倒を見たがるようなタイプの女の子って割と昔は学校に多かった気がする。
最近世の中から減ったんじゃないかなあ?おせっかいで見ようによってはうっとうしい印象すら与える女の子だ。おまえなんか消えろといわれながらも好きな男にしぶとく喰いつく。そういう女の子をうまく演じたものだ。住田語録とばかりに、主人公が学校で語る「普通、最高!」などの名言?を紙に書き自室に貼り付けているシーンには笑えた。おせっかいが強くて嫌な部分も多かったが、女の執念とばかりに付きまとう姿にはむしろ怖くなるくらいの衝撃すら感じた。


いきなり被災地の映像が映し出される。いいのかなあ?と思いながらみていた。
今回音楽の基調は2つのクラッシック音楽がベースになる。崇高なイメージをもつ2つの曲をうまく映像に結びつけた。音楽はイメージの強化につながる。モーツァルトの「レクイエム」とバーバーの「弦楽のためのアダージョ」いずれも映画が持つどんよりとしたムードを強調していた。


ただ、個人的な感想で言うと、ラストに向かっての展開は若干意外だった。主人公の笑いが急にうまれたのが妙に不自然に感じられた。でもこれはあんまり語らないでおこう。
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新東京いい店やれる店

2012-07-16 06:46:24 | 
「新東京いい店やれる店」がついに出版された。
期待を裏切らない面白さに感動しました。さすがホイチョイプロダクションだ。

ホイチョイプロダクションの傑作中の傑作「東京いい店やれる店」が出てから何と18年がたつ。
文章の面白さとお店の選出の素晴らしさに感動して、今だに自分の本棚からグルメ本の帝王の地位を動かさなかった。その続編が発行されることをネットで何気なく発見した。ちょっと立ち読みしてから買おうかと思って大きな本屋をいくつか回ったが、どこにもない。そんなに売れてるの??
そう思いながら、近くのツタヤで何げなく置いてある本を見つけた。立ち読みしている暇はない。即購入した。

94年に出た前作「東京いい店やれる店」にはいわゆる東京の老舗が全般的に取り上げられている。
自分の手元に父が持っていた1973年のグルメ本「新東京うまい店」(料理本の老舗、柴田書店刊)がある。それと比較してみると、今回も含め和風系には共通しているお店が多い。中江、いせ源、並木藪蕎麦、鮎正など。。ただ、1973年すなわち昭和48年というとフレンチ、イタリアン系はまだまだ今ほどはメジャーではなかった。昭和50年代のディスコブームのころからしゃれた店が多くなった気がする。そしてバブルを迎える。一気にフレンチイタリアンが増えた。しゃれたバーも急激に増えた。
古いも新しいも含めた集大成が前作「東京いい店やれる店」だと思う。
ともかく面白かったし、素晴らしい。


今回の本をざっと読んでみた。
単なる前作の延長になっていないのがいい。
例えばミシュラン本はいくつか中身が変わるが、基調は大きく変わらない。そんな本は毎回買う気にもならないだろう。立ち読みで済ませればいいわけだ。
これは違う。

季節感を大事にする。春であれば花見、夏でいえば花火やホタル狩り、秋はお月見、冬は雪見というように日本には江戸時代から強い季節感があった。今はこういう季節だからこれ食べに行こうよというような誘い方ができるような設定にしている。その構成の仕方が実にうまい。
プチ夜景、ハモ極楽、サルサ、アユ、すっぽん、生ガキなどの話には思わずなるほど。。。
西麻布のすし屋リストは凄い!四川料理の店リストも参考になる。
個人的好物インド料理の話もいい感じだ。嶮暮帰が№1というのは確かだ。
経験のない北欧料理には挑戦してみたい気になった。「大人たちよもう一度湘南を目指せ」には全く同感
そしてそれぞれの東京の伝統的な食の歴史を取り上げている。
嫌味にならないうんちくがいい。

今回もデートそしてそのあとも盛り上がる店という選定だ。絶妙なタッチの文章で東京都内をかけめくる。
20年近くたって、前作で取り上げられたフレンチイタリアン系の店は大きく変わった。バーについても同様である。今行ってもない所が多い。前のアクアパッツァの場所に今ある店が取り上げられているのも象徴的だ。

3つだけ取り上げたい。
そのうちの2つがよくいくところである。逆に取り上げられるのが意外だった。
まずはシェラトン都ホテルの中華料理「四川」だ。
うちの墓のある高輪の寺も近くで、祖父祖母の法事や父の四十九日もこの店でやった。母の四十九日の時は目黒駅前の中華の老舗「香港園」にした。天皇家や美智子さんの実家正田英三郎一家の気品ある写真があると妙に高尚に見える店だ。母の姉妹で辛いのが苦手そうな人が多かったその時だけ変えた。
昼間は非常にリーズナブルな価格だ。予約は必須、なめてかかって予約なしできたら入れないので注意。客層はいい。ここでマーボー豆腐を小さい頃から食べているうちの娘は悲劇だ。どこへ行って四川系の料理を食べても絶対に満足できない。小さい頃からおいしいものを食べるとそれはそれで悲劇だ。

夜も行くが、安くはない。上のような普通の牛肉オイスター炒めでも抜群にうまい。
アラカルトで頼む四川風味付けをした蒸し鳥が絶品。
夜窓の外の竹が揺れ、非常にムードある。こういう形で取り上げられるのは意外。

小さい頃、この隣にある「清正公」という寺のお祭り縁日に祖母とよくいったものだ。通りを都電が走っていた。寺の隣に大きな屋敷があった。故藤山愛一郎元外務大臣の大邸宅である。盛りの時期は過ぎたが、そのころも現役の衆議院議員だった。財閥の御曹司でロマンスグレーの紳士であるが、自腹で政治資金を調達して財産をつぶしたので有名な政治家だ。女優細川某との付き合いはあまりにも有名だ。いつの間にやら屋敷がなくなりホテルが建設された。都ホテルだ。大学生の頃だったと思う。藤山の御霊が宿ったのか、このホテルは政治家がよく女性との密会に使っていた。今はどうなんだろう。

キャピタル東急ホテルのバーはよく使う。
「李白バー」という名であった。
正直建て替える前のウッド基調のインテリアが好きだった。落ち着く場所で、友人ともよく来たものだ。小腹を満たすためにホテル内の中華料理屋から出前もとれる。この点心が抜群にうまい。
このホテルはビートルズが来日した時宿泊したのであまりにも有名だった。東京に外資のホテルが次々と出来て存在感が薄くなっているのに危機感を持って建て替えをしたと思うが、正直前の方が良かった。
新しいキャピトルバーも素敵だが少しイメージが違う。
それでもこの本で「猿でもチュウできる店」として取り上げていた。
この気持ちはわかる。淡い想い出がある。

大学に入った後、高校を卒業をしてすでに働いていた女の子にばったり駅で会った。幼稚園から中学まで一緒だった子だ。幼稚園の頃うちに遊びに来て、結婚するまで帰らないと自分の母に行ったという。小さい頃からおませな女の子だった。彼女が誘ってくれた。それがこのホテルだ。赤坂のビブロスやムゲンは知っていてもホテルなんてまだ無縁だった。ホテルに行き大人の雰囲気を持ったレストランで食事をした。天井が高かった印象がある。夏でホテルに入るときはまだ明るかった。食べ終わってホテルの外へ出たら暗い。異様なムードが漂いぞくぞくした。山王日枝神社の裏手を2人で歩く道筋が妙に暗く、歩きながらドキドキ心臓が鳴り始めた。まだ大人になりきれない自分は静かにふるえながら歩くしかなかった。。。。人生の道理を知っている彼女が僕に大人になるための何かを教えてくれた気がする。
まさにその場面がこの本で取り上げられている。
恥ずかしながら、この本と同じ作戦ずいぶんと使わせてもらった。幼馴染に感謝すれど、彼女は8年前もう別世界の人となった。

以上のよくいく2つの店のほかにポルトガル料理が紹介されているのが気になった。
いろんなグルメ雑誌ではあまり紹介されていない。香港好きの自分はマカオも当然好きだが、最初に行った時のポルトガル料理の印象がよくないのか、食べていなかった。それが2年前マカオに一緒に行った人たちと食べたポルトガル料理に感動した。見方が180度変わった。それまでの日々を後悔した。
この本ではイラストが紹介されているダックライス
鯛めしを食べているような食感だ。

アフリカンチキンは抜群だ。(この写真はマカオのポルトガル料理屋で撮った)

ちなみにここで紹介されている高輪の店「マヌエル」はうちのお墓の寺のすぐそばだ。ある時突如見慣れぬ国旗が立っていてビックリしたものだ。でも店出て次の展開どうするのかな?墓の横の道歩くのは逆効果だよね

ほかにもたくさん書きたいことあるがやめておこう。
帯に「エロ本」と書いてある。女性に手の内を教えないのが趣旨だから心の中にひっそり思う方がいいのだ。
この本あれば当面新しいグルメ雑誌は買う必要はないことがわかった。
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友情  渥美清

2012-07-11 17:32:48 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「友情」は昭和50年の松竹の作品だ。
渥美清と中村勘九郎が主演、美の絶頂というべき松坂慶子が美しい。

映画「大鹿村騒動記」とは類似点があることに気づく。
気になり映画を見た。渥美清の振る舞いは基本は寅さんと同じ、人情物が得意の松竹らしい作品だ。

同棲している主人公の大学生(中村勘九郎)とOL(松坂慶子)がいる。大学生は仕送りが途絶えて、OLは生計を立てている。申し訳なく思う大学生は群馬の山奥のダム工事現場へ出稼ぎに行くことを決意する。 OLには両親はいない。肉親のおじ(有島一郎)が、同棲した後彼女が男に捨てられるのではないかと心配していた。
主人公はダムへ向かう途中で一人の男源太郎(渥美清)とであった。道を聞くとダムまでまだまだ遠いという。
気のいい男は主人公をダム工事現場まで連れて行った。そこには下請けの土木会社の幹部(名古屋章と谷村昌彦)がいた。慣れない仕事に主人公は四苦八苦した。それでも飯場に一緒に住む源太郎は一緒にのみに連れて行ったりして仲良くしてくれた。ところが、主人公は運搬トラックが横転して骨折の大怪我を負う。出稼ぎができなくなった。恋人が見舞いに来てくれた後東京へ戻る。
普通の生活に戻ろうとしているとき、警察から電話がある。なんと源太郎の身元を引き受けてくれないかというのだ。警察署に向かうと飲んだ後街の中で大喧嘩したらしい。
主人公は自宅に源太郎を連れてくる。一緒に毛がにで酒盛りをするが、食あたりでしばらく主人公のアパートに寝泊りすることになる。
そこへ現れたのがOLのおじだ。主人公にはっきりしろと迫るが、主人公は「先のことはわからない」とばかりにはっきりしない。
そこで渥美清の得意の口上が始まる。
「男が女に甘えて何が悪いの?」とばかりに応酬する。その場はとりあえず収まった。
主人公は源太郎の故郷瀬戸内海の離島へ向かう。
しかし、源太郎にはそこへ帰りづらい事情があった。遊びの女にお金を持ち逃げされ、妻子を置き去りにしてきたのだ。。。。

(戸越銀座)台詞の中で主人公は戸越銀座に住んでいると言っている。品川の町並みが出てくる。
でもこの映像は明らかに戸越銀座ではない。地元だけによくわかる。
中学生から高校生にかけては、高校のある武蔵小山から、戸越銀座、大井というのは自転車でよく走ったものだ。映像の一部に「○品川」と○が陰に隠れた映像が出てくる。電車は高架を走る。ステンレスカーだ。それだけで池上線でないことがわかる。
おそらくは大井町線(当時は田園都市線)の下神明駅あたりの新幹線と交差するあたりではないか?
確かにこのあたりは西品川という住居表示だからつじつまは合う。
商店街の道路の幅も狭すぎる。これは戸越銀座商店街ではない。たぶん下神明付近ではないだろうか。公園の近くに高架が走っているので、この公園も戸越ではない。遊具にかかれた暴走族「ZERO」の文字が懐かしい。
仲間内でよくこの集会に参加すると自慢げに言っていたやつがいたっけ、ZEROは大井が地元だ。
あえて言えば主人公がラーメンをすする「太陽軒」というのが戸越銀座商店街の第二京浜を渡ったところに今もある。

(配役)自分が小さい頃は、周りに出てくる子役というと四方晴美のチャコちゃんか中村勘九郎神津かんな くらいだった。子供心にすごい存在に思えた。いずれも二世である。でも中村勘九郎が演じるような大学生っていたのかなあ?
松坂慶子がまばゆいばかりに「愛の水中花」で衝撃的な曲線美を見せたのはもう少し先だ。
美しい。当時「同棲時代」という劇画がはやっていた。その影響が強いので作られた脚本だろう。
名古屋章と谷村昌彦を見ると、昭和にタイムスリップした錯覚を覚える。この2人はよくテレビに出ていたなあ。特に渥美清の浅草時代からの盟友谷村昌彦のずうずう弁は学校でよくみんながまねしていたものだった。忍者ハットリ君実写での「ハナオカジッタ君」本当に懐かしい。

(大鹿村とこの映画の類似点)大鹿村騒動記では原田芳雄ふんする主人公の元を幼馴染の男と主人公の妻が駆け落ちをして出て行くシーンが出てくる。
この映画ではお金にまつわる失敗をして渥美清ふんするグータラ男が、妻子を残して瀬戸内海の離島を飛び出す。戻ってきたら妻は夫の幼馴染の男と一緒になっているのである。いずれも人口の少ないエリアでの恋愛、誰も彼もがみんなが知り合いだ。幼馴染同士も絡んだ相関関係ということが類似点である。
でも人口の少ない人里はなれたところにはこういうことってあるんだろうなあ。


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大鹿村騒動記  原田芳雄

2012-07-10 06:03:07 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「大鹿村騒動記」は阪本監督がメガホンをとった原田芳雄の遺作

配役がすごい。主役が張れる俳優だらけである。ある意味夢の競演だ。
主演級の俳優を脇に従えて、自分が構想した作品を撮り終わり人生を終える。
これで名優原田芳雄とお別れと思うとなんかさみしい。

長野の山奥にある大鹿村では、300年の伝統をもつ歌舞伎が演じられてきた。今年もあと数日で開催の時期となった。「ディアイーター」という鹿の食堂を営む主人公善(原田芳雄)を中心に稽古も活気を帯びてきたところであった。そんな大鹿村を15年前に飛び出した男と女が戻ってくる。
女(大楠道代)は主人公の妻であったが、ある日突然主人公の幼馴染(岸部一徳)と駆け落ちする。ところが15年たって最近妻に認知症の気が強くなってきた。亭主も新しい男もよくわからないのである。むかつく主人公であったが、自宅に2人を泊めた。

翌日から最近雇い入れた一人の少年と3人の生活がはじまる。妻はボケている。気がつけば酒屋に入って万引きをする。万引きの意識はない。万引きしたのは元亭主の好物の塩辛だ。それなのに、ときおり歌舞伎のセリフを思い出したように話すことがある。
そんな時出演者の一人のバス運転手(佐藤浩市)が事故に遭って負傷する。しかも、地元を通るリニア新幹線の是非をめぐって村の中は賛成派(石橋蓮司)、反対派(小倉一郎)で議論が二分される。2人は歌舞伎のコンビである。大ゲンカだ。役場の総務課に勤める若い女性(松たか子)も調整に大慌て、果たして歌舞伎はどうなるのであろうか。。。

(原田芳雄)7月19日に亡くなったのに7月11日の試写会に車いすであらわれたという。執念だ。自らの構想で作った映画への執着心だ。この作品にこれほどまでの主演級が集まったのも原田の人徳であろう。おそらくは彼がガンに侵されていることを知り、集まったのであろう。鈴木清順監督の作品で共演した大楠道代との名コンビも復活だ。スター集合するとそれぞれ好きにやりすぎることが多いが、みんな抑え気味だ。原田芳雄は彼らしいワイルドな部分を残す。見た感じは数作前の姿と大差ない。
自宅に原田芳雄の古い本があった。昭和57年3月発行の本「B級パラダイス」である。写真を見ると顔つきが実にワイルドだ。殺気じみた姿は男っぽい。写真と同時に今回共演の大楠道代、故松田優作、桃井かおりや宇崎竜堂との対談を含む。でも何でこの本買ったのだろう。記憶にまったくない。


(大鹿村の歌舞伎)人口は1100人の完全な過疎地である。若い人も減っているだろう。よくもまあ続くものだ。歌舞伎といっても大衆演劇の延長のようだ。チップの投げ銭が飛び交う中、演じる男たちの息は荒い。この歌舞伎で原田芳雄は最後の力を振り絞って演技する。後ろの口上は地元の人たちであろう。プロの匂いがする。
この映画のいいところは地元紹介に余計な時間を使いすぎないことだ。例えば「八日目の蝉」はいいと思うが、小豆島の地元のお祭りなどをくどく紹介する。時間がそれで長くなる。実に余計だ。ここではそういうことはなく、大鹿村の住民になりきって配役が歌舞伎を演じる。二度手間のロスがない。原田芳雄、大楠道代、小野武彦、石橋蓮司、でんでん、加藤虎之介、小倉一郎とそれに加えての黒衣が岸部一徳に瑛太だ。なんというスターたちであろう。すばらしい。現代日本映画の集大成みたいだ。
そして最後の手締めをする三国連太郎、ケガをして歌舞伎に出れない佐藤浩市親子が共演する。

執念に思わず拍手、心から原田芳雄の冥福を祈りたい。
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千葉ロッテ試合見てきました7/6

2012-07-08 15:08:43 | Weblog
7月6日千葉ロッテの試合見てきました。ナイター観戦は久しぶりだ。

オリックス対ロッテの試合 
千葉幕張のQVCマリンフィールド球場だ。

あいにくの雨模様だ。それでも千葉県民はロッテファンが意外に多い。

海のすぐそばだ。


オリックスが練習のところをグラウンドに出てみる。

投げている球の速さが違うなあ!
すぐ横をロッテの高橋慶彦コーチが歩く。ドキドキしてしまう。


席はVIPルーム どんどん早い時間から酒盛りだ。



華やかだなあ!最近の野球は
チアガールかわいい!


ロッテの先発はクライシンガー頑張れ!

でもあえなく2回で7点も取られてしまう。
雨模様でやる気がないのか!
ヒエー!野球場でヤジるオジサンたちの気持ちがよくわかる
それでもロッテは7-8まで追いかける。
外野席でロッテファンがピョンピョンハネまくる。


逆転のチャンスあったが凡退
あとはひたすら飲むだけだ

結局負けた。
ビールの売り子の動きが可愛い!
これはオジサンたち飲みすぎるわけだ

意外に楽しいもんだなあ!野球も
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探偵はBARにいる  大泉洋

2012-07-08 07:55:02 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「探偵はBARにいる」を見た。
これは面白い。

札幌を舞台にしたフィルムノワールとでもいおうか。大泉洋演じる探偵がいくつもの殺人事件に巻き込まれる設定だ。大泉洋はこの主人公の個性にあっている。脇を固める松田龍平、高嶋政伸が意外な一面をみせて、小雪がまさに適役。脚本、札幌の地の利を生かした映像、音楽すべてにバランスがとれている。笑いを誘うシーンも時おり混ざり十分楽しめる作品となっている。

札幌が舞台だ。
探偵業を営む主人公(大泉洋)は、北大農学部で研究助手をしている相棒の運転手(松田龍平)とともに、実質は何でも屋稼業をしながら毎日を過ごしている。ある夜、いつものBARで依頼の電話がくる。“コンドウキョウコ”と名乗る若い女性は10万円探偵の口座に振り込んだという。「ある弁護士に、去年の2月5日、カトウはどこにいたのか?」とだけ聞いてくれという奇妙な依頼をしてきた。
主人公は早速弁護士のところを訪問する。名目は自分の事務所の顧問依頼でアポをとった。断られた後、単刀直入に女性から依頼された内容を話す。一瞬動揺した弁護士だったが、知らないの1点張りであった。
そしてその帰り道、危険な黒社会方面の男たちに拉致されてしまう。あやうく雪原に生き埋めにされてしまうところだった。いかにも自分たちのことにかまうなという警告だった。
しかし、主人公は自分を危険に陥れた男たちのことを調べようとする。旧知の記者にその組織の周辺の情報を聞くと、バーのママが放火事件に巻き込まれたり、その犯人が行方不明になっていることがわかるが。。。。

(フィルムノワールと大泉洋)1940年代から50年代にかけての映画様式にフィルムノワールというのがある。「マルタの鷹」「三つ数えろ」なんてハンフリーボガードの作品がその典型だ。シニカルな探偵が謎の女に出会い、不条理な連続殺人に巻き込まれるという構造だ。最近では「ヌードの夜」もそのパターンともいえる。「探偵はbarにいる」はその定型を大きく外していない。依頼主がはっきりしないが、声に雰囲気のある女性に仕事を頼まれ、その直後から不可解な事件に巻き込まれる。まずは主役となる探偵の配役が重要だ。大泉洋というのはまさに適役といえよう。
大泉洋は高校の時も、大学の時も必ず出会うタイプの男だ。若干背が高めで、軽いパーマがかかった頭、正統派男前というわけではないが、常に彼女がいる。学校の勉強は好きでないが、悪知恵がきく。煙草を常に離さず、酒も好き、バクチも好きだ。一番好きなのは女で、もてるせいか次から次へととっかえひっかえ遊ぶなんて同じような風貌の奴はずいぶん出会ったなあ。男にとっては意外に頼りになるんだけど、女性にとってはつらい存在だと思う。
主人公は純潔な正義の味方でもない。何でも屋みたいに、ホテルでのマル秘写真で人を脅して金を巻き上げたりもする。情報屋ばかりでなく地元の裏社会の幹部とも仲がいい。警察官でないから、別に大丈夫なんだろう。腕っ節はそこそこ強いが、達人でもなく、ときおりコテンパンに叩きのめされる。そんなキャラだからこの映画楽しめるんだろう。

(配役の妙)準主役の松田龍平が北海道ならではの設定。北大助手でいつもは家畜とすごす。空手の達人で北大空手部のコーチ。その腕を生かして、探偵の用心棒的存在だ。それなのにいつもすっとぼけている。運転するボロ車はいつもなかなかエンジンがかからない。「まほろ駅前多田便利軒」で見せた彼の個性に通じる部分もある。名優松田優作の息子もうまい俳優になってきた。

高嶋政伸のイメージが違う。髪の毛を整髪料できっちり整えた好青年のイメージではない。裏のイメージを持つ長髪で、凶暴な目つきの残忍極まりない裏社会の幹部を演じている。ふだん気のいい善人を多く演じている人ほど、いざ悪役に回ってみるとしびれるほど恐怖をふりまくのか、彼の意外な一面を見た気がする。

40年代から50年代にかけてのフィルムノワールでは謎の女は常に美人であった。三つ数えろのローレンパコールの印象が強い。ここでの小雪もぴったりの配役だ。長身の高級クラブの美人ママという雰囲気がまさに銀座やキタの新地から飛び出したような感じだ。独特の雰囲気を醸し出し、事件の中に深くかかわっていく。

(札幌)雪の札幌が映画の舞台になる。ラーメン横丁、テレビ塔、大通り公園だけでなくススキノの夜を全面にクローズアップする。最近の映画では珍しい気がする。決して現代的なムードではない。携帯電話を持たないという主人公の主義もあるせいか、この映画が昭和50年代の設定としてもおかしくない。映像は決して新しい匂いのするものではない。それがこの映画のいいところだと思う。しかも大泉は北海道出身でこの町はよく知りつくしている。実にいい感じだ。父が生まれた北海道なのにそういえば死んでから一回も行っていない。急に行きたくなってきた。

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ものすごくうるさくてありえないほど近い 

2012-07-06 05:45:28 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」は2011年の作品だ。

911テロで父親を亡くした10歳の男の子の物語だ。
トムハンクス、サンドラブロックの2人のオスカー俳優がメインに出ているが、実際には少年を一人称にしたストーリーだ。公募で選ばれた新人の主役の少年が大活躍、ものすごい才能を見せつける。

少年を一人称にする。
父(トムハンクス)母(サンドラブロック)と3人でニューヨークに暮らす少年オスカーが主人公だ。オスカーはアスペルガー症候群と疑われるくらい頭の回転が速く異様に知識がある。父親もその息子の才能を生かすべく、ニューヨークの中での調査探求ゲームをやったりしていた。
楽しい家族3人の生活に悲劇が訪れた。9.11同時多発テロである。当日仕事の所用で父親はビルの105階にいた。ビルは飛行機の襲撃を受けたが、直接ではなく消防隊の救助を待っていた。父親は何度も自宅の電話に連絡した。留守電にその都度入れて自分の心境を報告した。ところがあえなくビルは崩壊する。
最愛の父トーマスを亡くした少年オスカーはカラの棺桶で葬儀をすることには抵抗があった。
その死に納得できないまま一年が経ったある日、父のクローゼットを整理していたら、見覚えのない瓶をみつけた。取り出そうとしたら割れてしまう。その中に小さい袋に一本の鍵が入っていた。その小さい袋にはblackと書いてあった。それは人の名前ではないかと予測をたてて、ニューヨーク中のblackさんを訪ねて、その鍵で開けるべき鍵穴を探す計画を立てるが。。。

(911テロ)この映画を見ると、テロで家族を失った人たちの喪失感が痛いほどわかる。遺体がない家族も多い。ビルからまっさかさまに墜落した人も多いのだ。非常につらい話だ。
自分は翌日から香港に行くことになっていて、普段見慣れないテレビをつけていた。そこへのニューヨークからの第一報である。ビックリした。最初はビルが単なる火災を起こしているだけだと思った。そうしたらなんと2機目の飛行機が突入して真相をつかんだ。しばらくしてビルが崩壊する場面を見た時にはこの世の終わりかと思った。日本でいる自分ですら、そういう思いになるわけなんだから、リアルで見て感じているニューヨーク市民の衝撃は想像を絶する。むごい話だ。無宗教国家日本に生まれてよかった。

(主人公オスカー)リュックサックにカメラやノートや万一に備えての毒マスクをつめてblackさんの元へ出発する。手には心を落ち着かせるためのタンバリンを持つ。公共交通機関は怖いので使わない。訪れた先でそれぞれの生活を聞く。カメラにあった人の写真をとってそれをノートに貼り付ける。大人以上の取材術である。
生意気なガキだなあと思う人も多いであろう。見ているものを不愉快にさせている場面があまりにも多い。しかし、この子供恐ろしいほどの才能を見せる。早口言葉で自分のことを話させる時、脚本があるとはいえ機関銃のように言葉を発する。「これはいつ起きたの?」と問いかければ即座に秒単位で○時間△分■秒と答える。彼にそういう才能が備わっているかがごとくの答え方をする。
自閉症に関する映画は少しづつ増えている。一番有名なのは「レインマン」ダスティンホフマンは迫真の演技をする。歴史上の出来事の日や曜日を一瞬にして答えたり、落ちたマッチの数を一瞬にして数えたりする。それに通じるものである。自閉症の子供を描いた映画については記憶にあまりない。
日本はずいぶんとジャリタレをクローズアップするけど、全米の中で選ばれただけあって彼は能力が違う。難易度の高い役を平然とこなす末恐ろしい子役である。
彼の才能を引き出す映画「リトルダンサー」の監督スティーブン・ダルトリーの手腕もすごい。



トムハンクス、サンドラブロックはここでは普通。サンドラブロックは最初はあれ!彼女なの?と思わせるくらい違って見えた。途中から彼女の出てくる場面が増えるが、そのシーンがちょっと余計に見えた。
主人公に同行する祖母の同居人の老人がなかなかいい味を出している。彼とともに主人公がニューヨークをまわる場面では自分もニューヨークに行ったような錯覚を持つ。映画自体を見ていて、子供の気持ちに同化してくる要素をもつ。編集も実にうまく完成度は高い映画だ。
でも謎が一回解けた後の話はちょっと余計なんじゃないかな?もう少し短くまとめた方がすっきりした気がするんだけど。。。
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映画「きっとここが帰る場所」 ショーンペン

2012-07-05 20:49:15 | 映画(自分好みベスト100)
映画「きっとここが帰る場所」はショーンペン主演のロードショウ作品
劇場で見てきました。

本当にすばらしい映画です!
今年映画鑑賞113作目になりますが、個人的にはベスト1です。

ショーンペンのオカマじみた顔を見て、なんか気持ち悪いなあ。見たくないと思う人はきっと後悔するでしょう。老いた人も楽しめる美しい映画です。
数多く見ても、もう一度その映画を見てみたいと心から思うことはめったにありません。
ロードショウやっている間に1000円デイにもう一度行ってきます。
ワイドスクリーンを思いっきり生かした映像美には脱帽するしかありません。

主人公(ショーンペン)は昔ロックスターだった男だ。今はアイルランドのダブリンに妻(フランシス・マクドーマンド)と大豪邸で暮らしている。ときおり株取引をして遊んでいて、お金には全く困っていない。ロック好きの女の子と遊んだりしているが、別にはまっているわけではない。ロックに未練があるようにも感じられない。メイクはロックスターの時のまま、シワが年齢を感じさせる。

そんな主人公の元にアメリカから父親が危篤だという知らせが来る。30年疎遠な父親の元に向かう。しかし、飛行機嫌いの主人公が船便で着いたのは亡くなった後だった。

そこで主人公は最後まで父親がアウシュビッツ収容所で受けた仕打ちに復讐の念を持っていたことを知る。ドイツ人の名前を聞き、その男を探しに彼はアメリカを縦断しはじめるのである。ニューメキシコ州やユタ州などを車で走りさまざまな人たちと会って行くのであるが。。。

(ショーンペン)
彼が監督する映画「プレッジ」「イントゥザワイルド」に共通するのは美しい映像コンテである。ロケハンティングを念入りにやって、作る映画にあった場所を探してくるのに長けているのがよくわかる。ここでは自身の監督作品ではないが、信じられないくらい美しい映像を見せてくれる。最高の映像コンテである。
映画を見始める前に銀幕が意外にも大画面に拡がった。でもそれが生きてくる。
映画館で見るべき映画だと思う。

ここでの主人公は元ロックスターだ。元スターというといろいろなタイプの映画がある。例えば比較的最近の「レスラー」では、くたびれたままリングに立つ主人公を描いている。古い映画では「サンセット大通り」グロリアスワンソンが昔の栄光を忘れられず、新作での主演を目指す女優を演じる。
この主人公にはそんな野心はまったく感じられない。女じみたオカマ的な声を出したりしている。でも振る舞いは統合失調症にかかって、薬漬けになった患者のようだ。以前はヘロインをやっていたというセリフはあるが、薬漬けになった経験があるというのを意識した動き方と見受けられる。
町を歩いていると、元ロックスターだけにいろんな人物が声をかけてくる。どれに対してもそっけない。
ロック好きの若い女の子と仲がいいが、彼女を口説こうとする男が身近に迫ってきても、「彼と付き合ってみたら」とそっけない。
株式投資はうまくいっている。妻に言わせると、株に手を出しているからこんな調子なのだと言いたげだ。35年も夫婦生活をしている。意外にうまくいっている。庭にある水のないプールで妻とスカッシュをする。何をやっても勝てない。妻は自分勝手に好きに生きる。家はお金持ちなのに妻は消防士をやっている。
(フランシスマクドーマンドにぴったりのキャラ)


主人公はそんなキャラだ。

そんな彼が全米を走り回る。この映画は基本的にはロードムービーなのだ。
鬼才デイヴィッドリンチ監督が一作だけ普通のロードムービーをつくった。その「ストレイトストーリー」の匂いがある。あの映画でもトラクターに乗った老人が旅先で大勢の人たちに逢う。交情を交わす。言葉は足りなくても、心は通じるような映画だった。途中からその流れに近い気がする。
主人公が旅に出て、いろんな人たちと気持ちを通わせる。一つ一つ話してしまうとネタばれすぎるので省略するが、一番良かったのはニューメキシコでの交情だ。
ダイナーで知り合ったウェイトレスと仲良くなる。(ちなみにこのダイナーでのやり取りは笑える。)彼女にはデブの息子がいた。水に入れない。そこで見せるハートフルな主人公の動きにはジーンとした。

他にもたくさんある。大技も見せるが、小技も憎いくらいに決まっている。
ガソリンスタンドでアメリカ先住民と思しきオジサンが何も言わずに、主人公の車に乗っている。主人公はそれに対して何も言わず横に乗せて車を走らせていく。周りに何もない大平原の中で、同乗者が合図する。車を止める。そして同乗者が下車する。大平原の中に歩いていく。先に目的地らしきものはないのに。。。。黙って再度車を走らせる主人公
不思議なシーンである。

ユタ州の黄色に樹木が染まった美しい別荘地に行く。そこには捜している男がいるかもしれない。
住民らしき人物に話しかける。一人ドイツ訛りの男がいる。別荘に行く主人公、そこに寝ていると奇妙な形をした動物が夜やってくる。不思議な余韻がする。

そんなことが続きながら捜している男を追っていく。。。。
30年も疎遠で、父親は自分のことを嫌いだと思っていた。しかし、昔の側近によれば、父親は息子のことが好きだったという。そして、父が追いかけた男を捜しに行く。

ラストでショーンペンが笑顔を見せる。
その笑顔がこの奇妙な話に終止符を打つ。素敵な笑顔だ。
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カルテット

2012-07-04 21:45:35 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「カルテット」は崩壊寸前だった家族がクラシックのカルテットを結成することできずなを取り戻し、再生していく姿を描いた人間ドラマ。
クランクイン直前に東日本大震災が発生し、舞台でもあり撮影地でもあった千葉県浦安市が液状化被害を受け制作中止の危機にひんしたが、復興に尽力した市民の協力によって完成した。

父はピアノ、母はチェロ、姉はフルートを演奏する音楽一家で育った永江開(高杉真宙)は、バイオリンの資質に優れており将来を有望視されていた。しかし、両親は生活のためにやむなく音楽の道をあきらめた。弟の才能に対して負い目を感じる姉(剛力彩芽)は自信を喪失している上に、父親が失業したことで一家は破たんしそうになる。再び家族のきずなを取り戻すため、開は家族カルテットを結成しようと一念発起する。

というのが解説である。

千葉県で仕事をしている自分としては、浦安の街にもご縁がある。映画のクレジットに知っている方の名前もある。映画がロードショーされるときは見に行こうと思ったが都合合わずいけなかった。
そんな映画なので、DVD化されたらすぐ見ようと思っていた。
でもちょっとひどすぎる作品だった。脚本が不自然すぎるし、とてもこれは人様の前に出せる出来ではない。
学芸会の延長みたいなものだと思う。
浦安の街が立ち上がろうとする姿云々という言葉にだまされてしまった。
全然関係ないじゃん。復興という言葉をを映画の呼び込みに使っちゃダメだよ。

駄作の場合にはアップしないことにしているけど、これはちょっとまずすぎるので一言
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アメイジング・スパイダーマン アンドリュー・ガーフィールド

2012-07-04 08:12:36 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「アメイジングスパイダーマン」を劇場で3Dメガネをつけてみた。
配役、監督を一新して制作された新シリーズだ。なんとアメリカに先駆けて公開されている。これもすごい。
ハイスクールに通う科学好きの少年が、研究施設でクモに刺されてスパイダーの能力を得る。そのあたりの基本は同じだ。ナイーブな印象を与える新しいヒーローも映画の主旨にあっている。ジェームズ・ホーナーの音楽が高らかに鳴り響く中、娯楽として楽しめた。

幼少時に両親と離ればなれとなった高校生のピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、伯父夫婦(マーティン・シーンとサリー・フィールド)に育てられてきた。

科学好きの少年だが、学校では運動部系の身体のでかい生徒たちにいじめられる場面も多い。ある日、隠すように置かれていた父のカバンを発見する。カバンの隠しポケットにある研究ノートを見つける。科学者だった父親が残した叔父にその件を尋ねながら、父の研究パートナーの存在を知る。

コナーズ博士(リース・イーヴァンズ)をネットで調べて、研究室のある会社を訪れる。課外学習できていた他の学校の生徒のふりをして中に侵入する。そこには同級生のグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)もインターンで来ていた。主人公は彼女に密かに思いを寄せていた。


主人公は、その研究所の中をこっそりのぞきまわる。そこで遺伝子の研究に使われている特殊なクモに噛まれた。そこで身体に異変が起こる。気がつくと不思議なパワーを発揮するようになった。

自分でマスクをつくり、町の中で起こる犯罪に対して立ち向かうようになる。しかし、ニューヨーク市警はスパイダーマンの仕業が問題と考えていたが。。。。

スパイダーマンは3Dがはえる映画だと思っていた。
いつものように自らが空を飛んだような気分になれる期待感もあった。当然その気分は満たされた。
ジェームズ・ホーナーの音楽が意識してその躍動感を盛り上げている。
ときおりメガネをはずして画面を見直したりして見たけど、もともとの映像作りがうまいんで、2Dでも十分楽しめるような気もする。

今回は主人公のルーツについてずいぶんと追及する。本人もその秘密を知ろうとする。
主人公はけっして万能ではない。ドジを踏むことも多い。そしていつものようにヒロインに恋をする。
前シリーズではスパイダーマンは自分がスパイダーマンであることをしばらく隠していた。今回は違う。
割とあっさりと告白する。誰とは言えないが重要人物が割とあっさり死んでしまうのも特徴だ。
いいのかなあ?と思うけど考えがあるのであろう。

アンドリュー・ガーフィールドは20代後半にもかかわらず、ハイスクールの学生役である。でも不自然さはまったくなかった。「ソーシャルネットワーク」同様、現代の学生らしい風貌なんだろう。年下のエマ・ストーンの方がむしろ大人っぽい。女の子の方がおませということなのかな?
彼女の父親役の存在がこの映画では大きなターニングポイントをつくる。父親役と主人公がスパイダーマンをめぐって言い合いをする。ここがおもしろい。いったいどうなるのかと思ったが、少しづつ2人を接近させる。
そのあたりはうまいと思う。


でも満点をあげるほどの感動はなかったなあ。
自分の理解度が悪いのかもしれないが、コナーズ博士に関する話で、よく理解できない場面が数多くあった。意味がわからない間にテンポがよく進むのでどういうことなのかなあ?と考えてしまった。単純にスパイダーマンの映像を追いかけているだけならいいけどね。

そういえば、エンディングロールがはじまりもう終わりかと思って帰りかけたら、突如映像がはじまる。重要人物が出てきて次回がいかにもありそうな話をする。まだまだ続きそうだ。
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映画「テトロ」 フランシスコッポラ

2012-07-02 18:58:36 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
映画「テトロ」はブエノスアイレスを舞台に、「ゴッドファーザー」の巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督が年の離れた兄弟の葛藤を描いた物語だ。

モノクロの画面を生かした映像作りは緻密ですばらしい。さすがコッポラというべき映像コンテが最後まで続く。アルゼンチン風の音楽もすばらしく。最後はブラームスの交響曲で締めくくる。
ブラームスの交響曲第1番を最後のヤマで効果的に使用。荘厳で不安を掻き立てられるような旋律が映像にマッチする。

それだけ言うと完璧な映画に聞こえそうだが、ストーリーがいまひとつ面白くない。
次にどうなる?という楽しみで映画に集中するという展開ではない。
ただ娯楽として楽しめなかったが、完璧な構図の映画だった。

アルゼンチンで暮らす兄テトロ(ヴィンセント・ギャロ)に会うため、異母弟のベニー(オールデン・エーレンライク)がブエノスアイレスに降り立つ。テトロは妻ミランダ(マリベル・ベルドゥ)と住んでいた。しかし、名前を「テトロ」と変えた兄はそっけない態度をとるだけだった。高名な指揮者(クラウス・マリア・ブランダウアー)を父に持つ兄弟だが、兄はある衝撃的な事件から生まれ育ったニューヨークの家を飛び出した。本来の名前を捨て「テトロ」と名乗った。そんな兄とは別に義姉は優しくしてくれた。

ある日、ベニーは兄が密かに執筆していた自伝を盗み見てしまい、それをきっかけに兄弟の仲は決裂。さらにベニー自身の出生にかかわる家族の秘密が明らかになっていくが。。。。

現在がモノクロ、過去の回想がカラーというように分ける。チャンイーモア監督「初恋のきた街」を思い起こさせる。パートカラーで演じられる過去回想の画面構成がすごい。
先日見た「愛の残像」でもモノクロ画面の利点が浮き彫りになったすごい映像だったが、さすがにコッポラのこの映画のほうがすごい。
不安定な心理を強調する音楽に合わせて、暴力描写などが強烈なシーンが作られる。

ひときわすごいと思うシーンが3つあった。
1つ目はテトロと妻とのベッドシーンだ。このシーンでのモノクロの光と影のコントラストでうまく表現した2人のシルエットは美しかった。別に美男美女というわけではない。その二人が光と影の中で、静かに戯れる。しなやかだ。露骨に性行為を示すわけでない。「男と女」を連想した。こんな美しいベッドシーンは歴史的?ともいえる気がする。


2つ目は飼い犬の子犬を弟が追いかけて行くシーンだ。子犬が車道に出てしまい、危ないと思った弟がそのまま車道に入り込む。車がそこを避けるが、別の車が逆方向から来て弟が交通事故にあってしまうシーンだ。これにはドキッとした。CGは使っていないと思う。このシーンをまともに撮れるの?危ないなあ。あまりにリアルなので配役さん大丈夫なのかと心配してしまう。
3つ目はテトロが弟の友人たちとドライブに出るシーンだ。そこで写す南米の景色の映像コンテがすばらしい。雪山に向かいながら、その山をモノクロカラーで美しく映し出す。ぞくっとする。モノクロの極地だと思う。そのあとで弟が女性2人と戯れるシーンも悪くない。



あとは脇役としてテトロの妻と同じアパートに住むホセという男の存在がアルゼンチンの匂いを強く出す。
ともに個性あふれる面々で、特にホセの夫婦喧嘩のシーンは笑える。

完璧に盛り付けされた味もいい料理なのに、何か楽しめないという気持ちなのかな。。。
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