映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「テイク・ディス・ワルツ」 ミシェル・ウィリアムズ

2013-04-30 05:46:39 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
映画「テイク・ディス・ワルツ」は2012年公開の若手女性監督サラポーリーによるミッシェルウィリアムス主演の映画だ。

サラポーリーが監督した前作「アウェイフロムハー」で認知症の女性を描いた。これはよかった。
この映画も予告編をずいぶんとみて、行くつもりもあったが、上映中になかなか渋谷文化村に行く機会がなかった。

フリーランスのライターであるマーゴ(ミシェル・ウィリアムズ)は仕事で訪れた島で、ダニエル(ルーク・カービー)という青年に出逢う。情熱的な眼差しをもつダニエルに、何かを感じてしまうマーゴ。帰りの飛行機も一緒でダニエルとの束の間の時間を楽しむが、彼が偶然にも自分たちの家の真向かいに住んでいることを知り驚く。
マーゴは料理本を作る夫ルー(セス・ローゲン)と結婚して5年目だ。2人の間に子供はいないが仲睦まじく暮らしている。マーゴは意図せずダニエルと過ごす時間が増え、夫とは正反対の彼に惹かれていく。しかし、一線は越えず付き合っていた。ダニエルはマーゴの家のパーティにも来るようになっていた。マーゴはときおり普通に旦那に夜のお誘いをしようとしたが、あまりのらない。そう思っているうちにマーゴの気持ちは少しづつ変わって行ったが。。。

不倫映画である。
旦那とは仲がいいけど、あまりかまってくれないので、身近にいる男性とおかしくなってしまう話だ。女性監督の視線で描かれているので、男性の自分から見てよくわかりにくい場面もある。何で彼から離れてしまうのかな??と思わせる部分が多い。同じ不倫映画でも女性目線なので感情流入できない。

ここではミッシェルウィリアムズの気前がいい。何度も裸体をさらしている。これはどういうことであろうか?女性監督の方が開放的になるのかな。友人たちとのシャワールームのシーンにはみんなで裸をさらしている。ミッシェルの弛みのある裸体にちょっと意外感があったけど、逆にリアルだ。かえって日常的なストーリーと感じさせてしまうのは脱がせたサラポーリー監督の巧みさだろう。

美術や映像的には丁寧につくられた跡がある。
夫がつくる鳥の煮込み料理はすぐにも食べたいと思わせるおいしそうなものだし、不倫の2人をとりまく背景の映像もきれいだ。遊園地で「Video Killed the Radio Star」の歌に合わせて、主人公が乗り物に乗るシーンはいかにも楽しそう。それを楽しむだけでも見る価値はあった。

自由業同士の子供のいない夫婦で奥さんがこんな浮気をする話は日本でもよくある話だ。
この映画は女性には共感をもって受け止められそうな流れを持っている気がする。

テイク・ディス・ワルツ
優雅な不倫物語
(D)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「強奪のトライアングル」 ジョニートー

2013-04-30 05:42:20 | 映画(アジア)
映画「強奪のトライアングル」は2007年の香港映画だ。
香港ノワールを代表するツイ・ハーク,リンゴ・ラム,ジョニートーの監督3人でこの映画をつくった。俳優もサイモン・ヤムやラム・カートンといったジョニートー作品の常連が多いが、余分に解説をしてもらわないと何が何だかさっぱりわからない。途中からユーモアを交えた香港ノワールの動きになり少しはましになったけど、わかりづらいなあ。

エンジニアのサン(サイモン・ヤム)、タクシー運転手のファイ(ルイス・クー)、骨董屋のモク(スン・ホンレイ)の3人がバーで強盗話をしていると、老人が現れ、興味があったら連絡をくれと名刺と1枚の金貨を置いていく。前妻を事故で亡くしたサンは、前妻の友人だったリン(ケリー・リン)と結婚していた。しかし、多額の住宅ローンで悩んでいた。妻は毎晩謎の薬を飲ませるサンに疑惑を持ち、刑事ウェン(ラム・カートン)に相談するうち肉体関係を持つようになっていた。借金に追われるファイは、ヤクザのロンから執拗に強盗の仕事を持ちかけられている。株で失敗したモクは店をたたもうとしていた。

3人は名刺の人物チャンに連絡しようとするが、彼が死んだことを知る。しかも、チャンは大富豪だったのだ。3人が名刺に書かれていたURLを頼りに調べると、チャンはセントラルの政府ビルの下に秘宝を隠していた。地下に忍び込んだ3人は、棺に入った沢山の黄金が絡んだ礼服を見つける。

サンが怪しい行動をしているとリンから聞いたウェンは、サンが黄金の礼服を持っていることを知る。ウェンはモクの店に入ったサンを追い、礼服を奪うが、車の運転をサンに任せたため逆に人質になってしまう。借金の追いたてに焦ったファイは礼服を盗もうとモクの店に行くが、そこにモクも現れる。サンが礼服を持っていると知った2人は彼のいる場所に行く。リンもウェンの車を追ってそこに向かっていた。リン、ファイ、モクがサンの元に着くと、すきをついてウェンが礼服を奪い、車でリンをはねるが。。。

作品情報をたどって書いたが、見ているだけではここまでの情報が得られない。わかりづらい。

3人は運よく突如として大富豪と知り合うきっかけを持つ。出来過ぎと思う話で、何か不自然だなあという感じだ。説明不足の感が強く、しばらくは退屈だ。

しかし、すべての登場人物がそろい踏みとなった海辺の薄汚い海鮮料理屋での展開からは面白くなってくる。3人プラス妻に加えて、妻の恋人の警部、強盗話を持ち込む黒社会の男たち、道路の逃走劇を見て何かおかしいと感じる警官が加わり、唐の高官と思しきミイラーにかぶさった800万hk$程度の価値がある金貨を追いかける。そこにアル中の妙な男や海鮮料理屋のおばちゃんまでからむ。
ごちゃまぜといった印象だ。誰がゲットするのかを楽しむ展開となる。

拝金主義の典型ともいえる香港では、犯罪の動機が金目的ということが多そうだ。日本やアメリカでは資本主義なのにここまで映画でお金がテーマにならない。お金にしか頼れない国民性だろう。
ジョニートー独特のユーモア感ある締めは悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ハングリーラビット」 ニコラスケイジ

2013-04-29 13:12:52 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ハングリーラビット」は2012年公開ニコラスケイジ主演のサスペンス

代理殺人がテーマだ。代理殺人を遂行した男に、次はお前がやれとばかりに追い込まれる。そして逃走する。ヒッチコックの「見知らぬ乗客」と「逃走迷路」をプラスした内容に現代的なアクション映画の色彩を加える。ミステリーの定石どおりに徹底的に主人公を追い詰める展開で、ラストに向かっては二転三転し、ある程度は読める部分もあるけど予想したよりも楽しめる映画に仕上がっている。

高校教師のウィル(ニコラス・ケイジ)は音楽家の妻ローラ(ジャニュアリー・ジョーンズ)と2人で暮らしていた。ある日、ローラが帰宅途中に自分の車で暴行されるという事件が起こる。

ローラが運ばれた病院で、ウィルは見知らぬ男(ガイ・ピアース)から、ウィルの代わりに犯人を殺し復讐することを提案される。お金はいらない。簡単な依頼を後でするかもしれないけどと言われる。やり場のない怒りでいっぱいだったウィルは最初は胡散臭いと思ったが依頼する。犯人はいとも簡単に始末される。そしてウィルの元に死人の顔写真と妻の暴行時に奪われたペンダントが戻る。

それから半年後、その代償として今度はウィル自身が殺人をするよう迫られる。ウィルは拒否するものの再三の脅迫に受け入れる。女性虐待の常習犯と言われる男が決まった時間に現れるという幹線道路近くの歩道橋で男を待つと現れる。逆に男に襲われるが、男は歩道橋から転落して死亡。ウィルはあわててその場を去るが、殺人犯として逮捕されてしまうのであるが。。。

全く身寄りのない人が起こす無差別な凶悪犯罪がある。その犯罪をおかした人たちが正当に刑を受けているかというとそうでもない。日本のテレビでも、犯罪を犯した人間の刑が甘いと訴える遺族の叫びが報道されることが多い。DNA鑑定で犯人と一致させようとしても時間もかかる。そういう犯人殺しを受けますという集団がこの代理殺人を引き受ける人たちである。

遺族の立場になれば、そういう思いになるのは当然だろう。ある凶悪な仕打ちを受け死んだ息子の復讐に、地位のある大物がヤクザを使って犯人を残虐に殺したなんて話は聞いたことがある。


でもその代わりに殺人をやってと言われても困っちゃうよね。
依頼を受けて困惑する主人公をニコラスケイジがうまく演じる。しかも、波状攻撃でニコラスケイジを窮地に陥らせる。スリラー映画の色彩である。「主人公に残酷な小説ほど面白い」とはよく言われることだ。逮捕された後、運よく集団の一味の合言葉「ハングリーラビット」という言葉を聞いて、警官に釈放されるが、そうは簡単に逃げられない。警察、集団両方から追われる。しかも、自分の妻にも組織の追手がくる。自分の身内にもあやしい人物がいる。最悪の展開だ。

このストーリー展開は実にうまい。しかもスピーディーだ。
悪人と善人が気がつくと入れ替わるので、どっちがどっちだかわからなくなる。
ヒネリがきいているので、最後まで楽しく見れた。掘り出し物といった印象だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「續 姿三四郎」  黒澤明

2013-04-29 10:53:21 | 映画(日本 黒澤明)
映画「續姿三四郎」は昭和20年終戦直前に公開された黒澤作品だ。
4月29日恒例の全日本柔道選手権の前に見たくなった。

昭和18年公開「姿三四郎」の評判はよく、続編をつくることになった。
とは言え、公開は昭和20年5月というと、東京が空襲でめちゃくちゃになった大変な時期であった。
同じようなスタッフで完成した続編も興味深い。

まずは明治20年の横浜を映す。
米軍の水兵を乗せた人力車が坂を転げるように下って行く。あまりの乱暴なさばきに水兵が怒って、人力車の車夫を殴る。それを見ていた男がいた。二年間の旅を終えた姿三四郎(藤田進)である。暴力をやめろと言っても水兵は言うことを聞かない。仕方なく相手した水兵を海に投げ飛ばしてしまう。

噂を聞きつけ、アメリカ領事館に勤めている役人が姿三四郎の宿を訪れる。アメリカで流行の殴りあうスパークという試合がある。それでアメリカの選手と対決してもらえないだろうかと。姿は見世物試合はしないよと断るが、試合場に行くと、アメリカ人の相手は元柔術の心得があった男であった。以前柔術の達人が柔道の姿三四郎にコテンパンにやられて、柔術の地位が下がり、メシを食うため戦わねばならないのであった。その柔術の男はむちゃくちゃに殴られて、見るも無残だ。悩む三四郎だ。

そのあと修道館に向かい師匠矢野正五郎(大河内伝次郎)のもとを訪れる。そこで修道館四天王が復活となった時であった。世話になった和尚にもあいさつしたが、自分が柔術を懲らしめたばかりに、境遇が悪くなった人たちを思う心の迷いを告白したのであった。

そののち修道館に異様な風貌をした2人の男がくる。以前姿三四郎が対決した檜垣源之介(月形竜之介)の2人の弟鉄心(月形竜之介一人二役)、源三郎(河野秋武)であった。2人は唐手の達人であった。そして三四郎に対決を申し出る。その場はおさまるが、彼らが道場の若い衆に手を出すようになるが。。。


よく見るとアラが目立つ。何でこういう展開になるの?という場面も多い。
でも戦時中につくられた映画だ。天下の黒澤作品にケチをつけても仕方ないだろう。
戦争の相手アメリカ人を屈服させる場面がいくつか出てくるのは、今の北朝鮮が日本人を悪者にした映画をつくるのとは大して変わらない。姿三四郎が次から次へとアメリカ人を屈服させる。さぞかし、戦争末期に初見の日本人にとっては痛快だったろう。戦争末期によくもこれだけの外国人を映画撮影に呼べたなあ?というのは映画を見ていて素朴な疑問だ。ドイツ人かロシア人なのかなあ?

柔術対アメリカの拳闘、同じく対唐手と現在の異種格闘技の前身のような戦いである。柔道の殿堂修道館(講道館をモデル)では他流試合は禁止で破門を前提とした戦いである。「何で破門までして戦うの?」という疑問は残るが、難しいことは考えないでいいだろう。アメリカのボクシング選手のパンチをかわした後、必殺技山嵐で投げたら、相手は一巻の終わり。普通こんなことないだろうとは思うがそこは日本人の強さを見せるためには仕方ない時代だ。


最後に姿三四郎は檜垣兄弟と「武州天狗峠」で戦う。雪の中戦うのだ。最初セットかなと見ていたが、どうやら本当に雪の中で戦っている。完全主義者と言われる黒澤明のことだから、あえて雪が強い日を選んでいるのかもしれない。降り続く雪の粒がちがう。リアリズムだ。双方の武術パフォーマンスには?という部分もあるが、吹雪の中で戦わせるところに凄味を感じる。
ヒクソングレイシーを思わせる藤田進の顔も武道家らしい面構えだし、月形竜之介の目つきもいかにも殺人者の凄味だ。月形は一人二役で、結核で苦しむ以前姿三四郎にやられた兄も演じる。ここでは彼が活躍する。月形竜之介と言えば、映画版水戸黄門である。あの優しいまなざしとのギャップはさすが役者だ。

いずれにせよ、「仁義なき戦い」の作者笠原和夫がいうように、前作とこの作品は今の日本の武闘物、スポーツ根性物のベースになっていることは間違いない。両方とも黒澤明の脚本だ。60年代から70年代のたくさん量産されたスポーツ根性物をみて、黒澤が苦笑いをしている様子が目に浮かぶ。

男を映させれば天下一品の黒澤ならではの初期の作品だ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「舟を編む」 松田龍平&宮崎あおい

2013-04-24 18:32:20 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「舟を編む」を劇場で見てきました。
2012年の本屋大賞に輝く小説の映画化で、自分は原作を読んでいない。
雰囲気がよさそうなので、見てきたが期待通りであった。

主演2人もいいが、脇を固める加藤剛やオダギリジョーそして渡辺美佐子が実にいい味を出していた。
キャスティングの勝利であろう。

1995年玄武書房辞書編集部では新しい辞書「大渡海」の編さんにとりかかろうとしていた。現代用語も盛り込んだ新しい辞書である。監修者の松本先生(加藤剛)を中心にとりかかろうとしていたが、ベテラン編集者の荒木(小林薫)が定年退職すると若いチャラ男の西岡正志(オダギリジョー)と女性契約社員(伊佐山ひろ子)だけになるのであった。誰か代わりがいないかと社内を探すことになった。

馬締光也(松田龍平)は職場の営業部では変人扱いされていた。営業にはあまり向かない。大学院で言語学を学んだ彼は言葉に対する感性を見込まれ辞書編集部に配属される。仲間と共に24万語に及ぶ言葉と格闘することになった。ある日、馬締は下宿の物干し場で大家(渡辺美佐子)の孫娘・林香具矢(宮崎あおい)にであう。祖母の面倒を見るために同居することになったのだ。彼女は日本料理屋で板前の修業をしている。

馬締は彼女に恋をした。そして彼女に恋文を書くことにしたのであるが。。。

末梢神経を刺激するような話ではない。新しい辞書をつくるための軌跡を淡々と描いていくだけである。その間に主人公の不器用な恋話が描かれるのだ。

いきなり「右」という言葉の意味を言ってごらんという話が出てくる。
当たり前のことを表現するのはむずかしい。
そうすると「西を向いたときの北側」という話が出てくる。なるほど
「数字の10を書いた時の0」という表現もあった。

こんなトンチみたいな言葉解釈で一日中格闘するのは大変だ。その膨大な用例採集、見出し語の選定、語釈をめぐる果てのない議論が続く。この辞書編纂にとりかかってからなんと15年かかってようやく一つの辞書ができるのだ。

凄い話だ。語り口は見る者を退屈させない。充実した時間だった。

宮崎あおいが本当に可愛かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹

2013-04-21 09:30:30 | 
村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を早速読んだ。
長い間の彼のファンとしては本当に楽しみにしていた新作である。

題名を一読して意味がわかる人は誰もいないであろう。
「多崎つくる」は主人公の名前だ。なぜ色彩か?というと、高校時代や大学時代の仲間の名前に赤、青、白、黒、灰と色が入るのに彼の名前に色の名前が入っていないということ。それで「色彩を持たない」となる。「巡礼」はいくつか意味が込められているが、昔のある出来事に関して、その真相を確かめに行くために旅に出るという意味が強い。

いずれにせよ、読んでいくとわかっていく。
たまたま駅の構内で売られているのをみつけて、さっと購入して、翌日の電車の行きで90ページ、帰りで100ページ、自宅で残り全部を読んだ。
「1Q84」は600ページにわたるので、1冊読むのにも少し時間がかかったが、意外にさらっと読めた。長編の後こういう小説を入れることが多い。いずれも内容は違うけど「国境の南太陽の西」「スプートニクの恋人」が数ある長編の間に書かれているのと同じだ。

主人公多崎つくるは36歳の技術屋だ。電鉄会社の中で駅舎をつくる仕事に従事している。独身だ。今は2つ上の旅行会社に勤める沙羅と付き合い始めたところだ。
主人公にはつらい体験があった。高校時代仲の良い5人組でいつも行動を共にしていた。彼のほかに男2人、女2人でいつでも一緒にいた。主人公は名古屋出身で大学に進学する時、関心のある駅舎設計の専門の教授が東京の工科大学にいることを知り、東京に行ったのだ。残りの4人は名古屋に残った。進学後1年たった時、彼は残りの4人から絶交を申し立てられた。意味がわからないまま、もう15年以上たっている。そのことが彼の心に大きな傷となっている。
その話を沙羅にした後で、つくるが自分を抱いている時も心ここにあらずの感じがすることがあると言われる。昔の事件がわだかまりになっているのではないかと、残りの4人の消息を探すことを勧められる。段取り上手な沙羅は4人の消息を探しだしてきた。そして主人公の4人それぞれの消息を追う巡礼が始まる。。。

この間に大学で知り合った灰田という2つ下の男との関わりや、灰田の父親の体験が織り交ぜられていく。話自体は比較的単純な話だと思う。村上春樹の長編ではいくつものストーリーが平行線で語られることが多い。謎の人物も多い。それが彼の小説の重層性につながるが、ここでは灰田の話を思ったほど語りすぎないので単純化している。あえて長すぎないようにつくったのであろう。
昔の仲間ということで4人の人物を登場させている。
「国境の南太陽の西」では主人公の中学時代の同級生との純愛が語られ、あとは主人公の妻以外には存在感を持たせていない。ここでは昔の仲間4人にそれぞれ存在感を与える。このように昔の4人を普通に紹介すること自体は珍しい。それでもやり方次第では200ページで構成することすらできるストーリーだと思う。ストーリーは単純である。


村上春樹は分析的描写や心理的描写が好きでないと言っている。確かに彼の小説では、平易な話し言葉だけれども、非常に練られたセリフで登場人物が話していることが多い。それによって登場人物のキャラクターを浮き上がらせるのが彼の特徴である。
しかし、それだけだと軽く流されてしまうので、むしろ小説に出てくる場面の情景をかなり詳細にわざと表現することで、会話の流れをいったんあえてとめることを心がけていると彼が語るのを読んだことがある。フィッツジェラルドに影響を受けたそういう彼の書き方が好きだ。

でも、今回の小説は若干違うかもしれない。分析描写が目立つし、会話でキャラを浮き上がらせるのは同じであるが、前段の人物紹介がいつもより長い気がする。読者に読みやすくするつもりだと思う。最後の新宿の描写が意外に長いのであれと思った。軽く流されないためにそうしているのであろうか。彼の小説は謎の人物を織り交ぜることが多い。今回は緑川くらいかな?でもその緑川のキャラに一番自分は関心を持った。まずは彼の言葉をかみしめるように再読した。緑川がピアノを弾きがたるあたりが、一番好きだ。読みながら「ラウンドミッドナイト」のフレーズが耳についてきた、村上春樹の小説をよんでいるという実感が一番強い部分だった。

最後の締めはあれでよかったのかもしれない。自分なりに推理する楽しみができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新卒面接

2013-04-20 20:38:51 | Weblog
会社の来年度新卒2次面接官をやった。
いつも人事部から依頼を受けるが、忙しくて何回もできない。
ただ現役学生の動向って気になるので1,2回はお付き合いをする。
面接が解禁になった4月からスタートした1次面接を通った志望者の2次面接をやった。
メンバーのレベルは、面接スタート時点が高くてだんだんと低くなる。
それは学生の学力が高い云々でなく、採りたいなあと思う面々が少なくなるのだ。
後のほうになると、いろんな会社を受けたけど落ちて、もはや疲れきっている学生が多い。
就職が良い時期も悪い時期もこれだけは変わらない。

面接をすると、「どうしてうちの会社を受けようかと思ったの?」と聞く。
もっともらしい答えが返ってくるが、難しい表現を使う人が多い。
自分で自分の言っていることがわかっているかな?と感じてしまう。
「高尚なこと言うね」というと、逆にドキッとしている印象だ。

志望理由の中で、環境とか復興とか使う奴も多い。非常に偽善的だ。
元々真逆の発想していた経営者ばかりだった企業が「環境配慮企業イメージ」を打ち出すことになった。むかしの企業は環境を平気で犠牲にしてきたが、今度は同じ利潤動機から、環境配慮を目指すようになった。その路線を是認する学生も偽善的だ。何かと環境という学生には良い点数はつけられない。

何社くらい受けているの?というと、20社以上すでに回っているらしい。
逆に「こいつ内定出したら本当に来るのかな?」と思ってしまう。そういった意味では技術系の社員のほうが専門分野が明らかなんで来る可能性が高い。多少難ありでも採用基準をゆるやかにしてしまう。
文系は時期が後になればなるほどレベルが下がってくることを考慮すると、国立、早慶、マーチ上位校の学校中心の今面接受けている奴らはとりあえず通したほうがいいかもしれない。今いる若い奴と比べてもそん色はない。人事部の判断もあるだろう。どうするかはわからないけど。

面接で掘り下げて聞いてみると、大手証券会社や上り調子の大手IT企業の内定をとっているやつもいた。どうしたの?行かないの?というと、先行きが不安という。ものづくりをしたいといっていた。確かに大学のクラスで大手証券会社行った奴は誰もそのまま勤めていない。良い時は確かにいい。ボーナスも多い。でもアップダウンが激しすぎる。確かにその通りだ。大手銀行だってエリートでなければたいしてもらっていない。しかも、大手銀行では50前半の支店長がすくない。あと残っているのは選抜された一握りの役員しかいない。あとは全部放り投げられる。この事実は学生時代には全くわからなかった。確かに奴の言うとおりだ。逆にその話をした。
一歩上を抜けている実力があればそんな心配もしなくていい気もするが、こればかりは超難関みたいだ。

昨年と違い、今年の新卒は理系ばかり自分の部店に入ってきた。総合職の女性も1人いる。
全く未知数だ。いつも通り技術系の部署で修行するが、たぶん本辞令のときはみんな営業だろう。
家が遠くてアパートを借りなければならない奴がいた。とりあえずホテルを借りた。その話を聞いて、通勤1時間以上かかる女の子が私もホテルをと言い出した。おいおいやめてくれよ。 
そうなったらみんなアパート借りないと難しいもんね。金がいくらあっても足りないよ。
去年も住まいにはずいぶんと注文付いた。そういう奴らはみんな好きになれない。

それでも今年は女性を除き、就職試験を受ける方が優位に立てそうな気がするんだけどなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ヒッチコック」 アンソニーホプキンス&ヘレンミレン

2013-04-17 18:42:04 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ヒッチコック」を劇場で見た。

4月はいって何かと忙しく映画も見られない日が続いた。
これだけはと思いながら、見に行った「ヒッチコック」面白かった。

「サイコ」のメイキングのような映画で、聞いたことあるような話もある。しかし、文章で読むのと、このように映像で見るのとは臨場感が違う。アンソニーホプキンスとヘレンミレンの演技合戦もよく、ジャネットリーを演じたスカーレットヨハンソンや秘書役のトニ・コレットも良い感じだ。
映像にくぎ付けとなった。

1959年「北北西に進路を取れ」が公開され評判となる中、アルフレッドヒッチコック(アンソニーホプキンス)はさっそく次回作へ向け誰もが驚く映画の企画探しを開始した。実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルにした小説『サイコ』に心奪われ、映画化を決意する。案の定、その陰惨な内容にパラマウント映画のトップは二の足を踏み、出資を拒否する。優秀な映画編集者にして脚本家でもある妻アルマ(ヘレンミレン)はこの企画に懐疑的。それでも諦めないヒッチコックは、ついに自宅を担保に自己資金での製作に乗り出した。
そんな夫の熱意の前に、アルマもこれまで同様のサポートをしていく。。

ヒッチコック映画は毎度美男美女の出演者で構成される。特にイングリッドバーグマン、ジョンフォンテーン、グレースケリー、ティッピヘドレン。。と優雅な美女が常に出ている印象が強い。ヒッチコックの美女好みは有名だが、その奥さんについて語られたものはしらない。
ここでは映画脚本家であるアルマが脚本家仲間の男性と食事をしたり、一緒に彼の別荘で脚本を書く場面が出てくる。それに対してヒッチコックが嫉妬心を持つというのがずっと映画の根底に流れる。

有名なシャワーシーンがある。ジャネットリーがシャワーで殺されるシーンである。それ自体が映倫を通るかどうかが微妙であったというのは、今では考えられないことであるが、当時はそんなものだったのであろう。映倫を通るかどうかでパラマウント映画側もびびってしまう。それでもヒッチコックが押し切る。

ヒッチコック自らがナイフを振り回して、ジャネットリーを恐怖に陥れる。それがあの名シーンにつながる。ここはスカーレットヨハンソンが臨場感をうまく出してくれた。ここで、ヒッチコックが小うるさい映倫の検閲官や金を出し渋るパラマウント映画のトップや妻が共同で脚本をつくる男を思い浮かべながらナイフを振り回すという設定が面白い。

ヘレンミレンがいい。彼女を見ているとどうしてもエリザベス女王を思い浮かべてしまうのは自分だけであろうか。夫のある中年女性がハンサムな脚本家と会っている姿は今より刺激的な話であろう。内面からうまく彼女の心理状態を見せつけてくれた。一回目の試写で酷評だった「サイコ」を一緒になって刺激的な作品になるよう編集したり、主人公の女性を中盤で殺してしまおうというヒッチコックのアイディアを最初の30分で殺したら?とアイディアを出すシーンは興味深い。

美人好みのヒッチコックがジャネットリーを選び、妻と3人で食事をするシーンで美女に見とれるヒッチコックを横目に妻が軽いやきもちを焼くシーンもうまい。

いずれにせよアンソニーホプキンスの貫禄はさすがだ。
こんなに太っていなかったと思うので、役作りで太ったのであろうか。グレースケリーの写真に見とれるシーンや自分が引き立ててやろうとしていたのになぜか懐妊して「めまい」を降りたヴェラ・マイルズに対してbetrayという単語を使っていた。そこのシーンも印象的だ。主人公を陥れるというのがストーリーの基本だ。ここまで悩ませるのかというくらいヒッチコックも密かにいじめられる。その苦悩をアンソニーホプキンス流で表現する。

自分自身はこの映画を最初に見た時ジャネットリーとヴェラマイルズがあまりに似ているので一人二役かと錯覚した。
3つ印象的なシーンがあった。当然シャワーシーンがその一つだが、大金を持ち出したジャネットリーが運転するシーンが妙に印象に残っている。警察に検問をうけたあと、パトカーに後を追いかけられるいかにもヒッチコックぽいドキドキシーンだ。これはこの映画でも取り上げられていた。あと一つは謎の屋敷で母親が飛び出してくるシーンだ。自分はこのシーンが一番ドッキリした。

ここでは母親を見てビックリするヴェラマイルズを映すだけだったが、母親の顔はさすがに気食悪くてだせなかったのかなあ

ちなみに自分のヒッチコックベスト3は
「見知らぬ乗客」「海外特派員」「めまい」
一番怖いのは「鳥」だよね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「最強のふたり」

2013-04-07 10:25:39 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「最強のふたり」は実話に基づくドラマ仕立てのフランス映画

これは日本でもヒットした。
関心はあったが、ポスターの車いす姿を見て映画の筋を誤解してしまった。偽善的な同情を誘うような展開と思ってしまったのは失敗だった。
とりあえず見てみようかと見始めたら、いきなりスポーツカーを超高速で運転する黒人が映る。横には身体障害のフィリップが座る。アースウィンド&ファイアーの「セプテンバー」が流れる中、並みいる車を追い抜く。ところが、後ろにはパトカーが。。。懸命に逃げて捲ききったと思ったら、目の前と後ろにパトカーがいる。黒人主人公が車の外に出された後、振る舞う狂言が最高だ。
「俺はこの身体障害者が急病になったので、急いでいるんだ。俺を逮捕しようものならこいつは死んでしまうぞ」と警官を脅かし、助かる。
これを見て何か違うんじゃないかと、映像を食い入るように見始める。
バックにはジョージベンソンをはじめとして、ブラックテイストの音楽が続く。黒人主人公のパフォーマンスは笑うしかない。お互いの厚情に気持ちがほんのりするが、涙がでるような映画ではない。
後味がすっきりとした良い映画だ。

ひとりは、スラム街出身で無職の黒人青年ドリス。もうひとりは、パリの邸に住む大富豪フィリップ。何もかもが正反対のふたりが、事故で首から下が麻痺したフィリップの介護者選びの面接で出会った。他人の同情にウンザリしていたフィリップは、不採用の証明書でもらえる失業手当が目当てというフザケたドリスを採用する。その日から相入れないふたつの世界の衝突が始まった。クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ──だが、ふたりとも偽善を憎み本音で生きる姿勢は同じだった。
互いを受け入れ始めたふたりの毎日は、ワクワクする冒険に変わり、ユーモアに富んだ最強の友情が生まれていく。だが、ふたりが踏み出した新たな人生には、数々の予想もしないハプニングが待っていた。。。

介護士として元々面接に通ることは一切考えていない。
ただ、失業手当支給申請用の不採用の印をもらいたいだけだ。それだけに、採用する主人に対する言葉も好き勝手なことを言う。品位はまったくない。それなのに自分と正反対の何かを感じて採用してしまう。
豪華な個室に居住して、隣室にあるご主人の面倒をみるということだ。しかも、介護の内容は下のお世話もふくんで何でこんなことまでするんだという所からスタートだ。やったことないことばかりだ。
周りは彼を雇ったことに驚く。前科があることをこっそりもらす人もいるが、主人は一向に気にしない。
そうしていくうちに少しづつ2人の間に友情が生まれる。

2つばかり印象深いシーンを

画廊で抽象画を主人フィリップが購入しようとしている。白いキャンパスに赤い絵の具だけが塗っているだけの絵だけだ。高価な購入価格を知り、ドリスは自分で絵を描いてみようとして、同じような抽象画を描く。その描いた絵をなんと主人が1万ユーロもの値で売ってしまうのだ。フィクションとはいえ、この展開はありそうだ。高価なものって、普通の人が売ろうとしても二束三文にしかならないが、高貴な人が売ろうとすると意外にも買い手がいるものである。このご主人、詐欺師の素質があるのかもしれない。

その日はフィリップの誕生日だ。弦楽のアンサンブルを呼んでいる。終わり際、ヴィヴァルディ「四季」の夏を演奏してもらおうとする。横にはドリスがいる。この2人のやり取りがおもしろい。
「四季の夏」を聞いてどう思うかい?といわれて「踊れないと何も感じない」という。
そのあとクラッシックの名曲が続く。ドリスは「これはコーヒーのCMだね」と言ったり、バッハの曲を聴いて「あの時代のバリーホワイトだな」同じくヴィヴァルディ「四季」の春が流れると、身を乗り出して「これは有名だ」どこで聴いたかというと
「こちらは職業安定所です。。。。2年間お待ちを」と職業安定所の館内放送のバックで流れたという。
これには笑いこける。
などなど笑った後に逆にドリスがアースウィンド&ファイアの「ブギワンダーランド」を流して、踊りまくる。この踊りが実にかっこいい。黒人特有のリズミカルなステップだ。そして初老の使用人たちをフロアにくり出して踊りまくる。この辺りが映画の一番の絶頂であろう。

ドリスの顔がものすごく愛嬌がある。それだけでこっちの気持ちもファンキーになる。
この映画における彼の存在は実に大きい。 

フランス映画なかなかやるねといった感じだ。
以前はインテリ筋大好き、難解な映画といった印象だったが、今はコメディタッチがお上手という印象に変わってきた。あとフランス人のディスコミュージック好きがここでも出ている。コメディタッチの映画「ディスコ」でも70年代後半から80年代にかけてのディスコミュージックを流していたが、ここでも同じ。フランスというとシャンソンのイメージをつい異国の自分は思ってしまうが、実は意外にもブラックミュージックが好きな気がする。日本の40半ばから50後半にかけての往年のディスコ世代もいきなり「セプテンバー」の展開はウキウキしたんじゃないだろうか。
フィンランドの巨匠アキ・カウリマスキがフランスを舞台に撮った映画「ルアーブルの靴磨き」も黒人の移民問題がテーマになっていた。この映画でも同じだ。現地ではかなりの社会問題なのかもしれない。

いづれにせよ予想と違う展開に楽しまさせていただいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ひみつのアッコちゃん」 綾瀬はるか&岡田将生

2013-04-07 05:38:16 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「ひみつのアッコちゃん」は2012年公開の綾瀬はるか主演の作品だ。
時代背景を現代に置き換えたオリジナルストーリーが展開する。
想像以上におもしろい。

現在40代後半から50代前半くらいのオジサン、オバサンにとって、「アッコちゃん」の響きは格別のものがあるだろう。自分もそうだ。当時小学校のクラスでは、男も女もみんな毎週欠かさずテレビを見ていた。我々の同世代はほとんど主題歌のサビを歌えるだろう。最後にエンディングロールのバックにオリジナルで流れてきたときは、背筋がぞくっとして涙が出そうになった。

さすがに綾瀬はるかの映画ポスターをみて、劇場で見る気にまではならなかった。
でも気になるんでdvdでみたけど、あまりの馬鹿さ加減にひたすら笑うしかないといった感じだ。
おバカコメディと思えば良いのだ。

10歳の加賀美あつ子は普通の小学生だ。彼女は誤って鏡を壊してしまう。残念がって家の外で鏡のお墓をつくっていたところ、鏡の精(香川照之)が現れる。彼女に魔法の鏡を渡す。鏡に向かって呪文を唱えると好きなキャラクターに変身できるというのだ。

「魔法の鏡」に「大人の私になーれ」といい、22歳の女子大生(綾瀬はるか)に変身する。元々母親の化粧品をこっそり使って化粧するのが好きなアッコちゃんは、デパートの化粧品コーナーで、化粧品会社「株式会社赤塚」(まさに赤塚不二夫流ギャグだ。)のエリート社員・早瀬尚人(岡田将生)と出会い同じ会社でアルバイトすることになった。身体は大人だが、頭の中まで大人になったわけではない。小学生から進化していない。逆に屈託ないその発言とアイディアに早瀬は感心する。

買収問題に揺れる会社を立て直すため新商品開発に取り組む尚人のため、アッコも奇想天外なアイデアで危機に立ち向かおうとするが。。。。

大人になるばかりでなく、企業の買収劇に巻き込まれるという構図がおもしろい。
「料理の鉄人」の鹿賀丈史演じる会社社長が買収を仕掛け、専務がグルになる。買収されてはならないと筆頭株主のところに綾瀬はるかと岡田将生が押しかけて、買収阻止を図るなんて話はどっかでよくある話だ。ありえない話と思ってしまってはダメ。ここは素直に童心に帰るしかない。

身体は大人でも頭は10歳のアッコちゃんは、大人たちの専門用語だらけの会話にチンプンカンプン、しかも履歴書には「早稲田大学算数学科」に通っていると書いてある。小学校高学年というと女の子の方がませている。むしろ男を引っ張るかもしれない。それっぽい正義感を発揮して諸問題を解決していく姿が単純に楽しめる。大人に変身した後、綾瀬はるかが自分の爆乳を見て「私胸もあるわ!」といっているのには笑えた。天国の赤塚不二夫もにっこりだろう。

当時のNETの「アッコちゃん」の前作が「魔法使いサリー」だった。これも男女問わずみんな見ていた。サリーちゃんの最終回は40年以上たった今も脳裏に残る。あの時サリーちゃんからアッコちゃんへ引き継ぎがきっちりなされていたので、すんなり入れた気がする。懐かしい思い出だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ホーリー・モーターズ」 レオンカラックス

2013-04-06 20:41:27 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ホーリー・モーターズ」を公開初日に劇場で見た。フランス映画だ。
凄い傑作に出会って唖然とした。今年見た作品ではダントツに良い。



主人公のオスカーが一日中リムジンで移動し、変装しながら様々な人物を演じていく姿を描いていく。ヌーベルバーグで有名なフランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」でトップの評価を得たという。
内容を聞いていると面白そうだ。
見始めると小さいストーリーがいくつも続く。それぞれの話はさほど長くないが、意表を突くエピソードで目が離せない。主人公が奇怪な動きをする。一体何だろうと思わせながら、次どうなるのか気になって行く。美しいパリの街を縦横無尽に走るリムジンが次から次へと主人公を奇想天外な場所へ連れて行く。
夢と現実が交錯するようなシーンが続き「なんだこれ!」と思いながらも奇妙な映像美に引き込まれる。

ある朝、大豪邸から富豪のオスカー(ドニ・ラヴァン)が子どもたちに見送られ、元モデルと思しき長身の女性セリーヌ(エディット・スコブ)が運転する白い大きなリムジンに乗り込む。

秘書らしきセリーヌは「今日は9件のアポがあります。」という。その日の予定を確認し、電話を済ませる。車内にある化粧鏡の覆いを外して白髪交じりの長髪のカツラをとかし始める。パリのセーヌ際の橋に到着したリムジンから降りてきたのは、みすぼらしく腰の曲がった物乞いに変装したオスカーだった。道行く人々は、そんな彼に見向きもしない。

次の場所へ向かう車内で、モーション・キャプチャーのスペシャリストへ素早く変装するオスカー。工場のようなスタジオで、女性ダンサーとともにエロティックなダンスを踊っていると、キャプチャーされた彼らの動きが、怪物が愛し合うアニメーションに変換される。

下水道に住む怪物メルドに扮した彼は、墓地で撮影をしていたモデルのケイ・M(エヴァ・メンデス)と出会って、抱きかかえて下水道に連れて2人の世界に入り込む。



初めてダンスパーティーに参加した10代の娘を迎えに行くと、誰とも踊らなかったと聞いて激昂したり、さらに、アコーディオン奏者、スキンヘッドの殺人者、死にゆく老人と演じていく。その日の任務をこなしてゆく。。。

幻想的で難解な映画という想像もあったが、全く違った。
この映画を見て、自分としてはフェリーニの「8・1/2」やデイヴィッド・リンチの一連の作品を連想した。
いずれも、「映画の中の映画」という手法を使う作品だ。

それらに近いが、主人公の職業は何も語られない。撮影者や演出者が映っているわけでない。それぞれのエピソードを主人公がメイクをして完ぺきに任務をこなすように演じていくが、現実なのか映像の中の空想なのかがわからない。カラックスは重層構造の悪夢を我々に映像で語る。
傑作といわれるフェリーニの作品よりも断然凄いのが、完ぺきな美術装置と出演者のパフォーマンスを見事に撮りきったカメラ捌き、そしてセンスのいい音楽だ。なんと日本版「ゴジラ」のテーマソングも出てくるし、カイリーミノーグも歌う。

すべてが素晴らしいが、印象深いシーンを2つあげる。
墓場でエヴァメンデス演じるファッションモデルらしき女性が、プロのカメラマンに次から次へと写真をとられている。変なメイクをしている。そこに現れるのが片方の目をつぶした怪物だ。ゴジラのテーマソングに乗って、墓場の墓にある花を食べたりして、走り回っている。カメラマンは奇想天外な怪物の出現に興奮して、写真をとりまくる。その時、怪物は自分の体よりもはるかに大きいモデルの身体を抱きかかえて、下水道のトンネルに入り込む。座るや否や、モデルの財布をあける。中の紙幣をみつけると食べ始める。。。。。言葉にするとこんな話だが、見ていると一体どうなって行くんだろうと凝視してしまう。



同じようなリムジンに乗った車の中に一人の女性がいた。カイリー・ミノーグ演じる女性は主人公オスカーの昔の連れ合いだったようだ。30分だけ時間があると2人は廃墟のデパートへ入って行く。

2人は旧交を確かめ合う。そしてその思いを歌にする。

「私たちは誰だったの? 私たちが私たちだったあの頃
私たちはどうなったの? もしあの頃別の道を選んでいたら
感じてるわ とても奇妙な感覚
一人の子供がいた 小さな子供が 私たちにはかつて子供がいた
その子に呼びかけた でも、その子は…」

歌うショートカットのカイリーミノーグが素敵だ。時間が終わりになるにつれ、美しいパリの夜景を臨むデパートの屋上で、店名を示す古い文字看板に近づく。そこから落ちれば死ぬしかない。その時、彼女に会いに来ている男性が近づくが。。。
この廃墟の映像は凄い。

などなど
これは言葉では表しづらい。
レオンカラックスという天才との出会いにときめきを感じた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「かぞくのくに」 井浦新&安藤サクラ

2013-04-04 19:57:22 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「かぞくのくに」は昨年2012年公開の作品
数ある日本映画の中でキネマ旬報日本映画部門で一位の評価を得た。
井浦新そして安藤サクラをはじめ俳優の技量が際立つ良い映画であった。


北朝鮮への帰国事業で祖国に戻った人が病気治療のため日本へ一時帰国するという話とは知っていた。しかし、北朝鮮に絡んだ話はこれまで日本を悪く言う映画が多かった。古くは吉永小百合主演「キューポラのある街」(これって北朝鮮の帰国事業を描いた映画なのに単なる小百合の青春映画と思っている人が多いのに笑う)最近では「パッチギ2」なんて良い例だ。生理的に受け付けなかった。若松孝二監督作品で縁が強くなってきた井浦新が主演ということで見てみたら、想像と違いよかった。傑作だと思う。

見ていてムカついた「パッチギ2」みたいに日本をけなすという部分はみじんもない。むしろ日本に住む在日の朝鮮系の人が横暴な北朝鮮政府当局に翻弄されている姿を描いている。北朝鮮本国が好き勝手やるのにもかかわらず、言うとおりにいかねばならない悲しい性が語られる。ついこの間も朝鮮学校の無償化をめぐって、デモをする姿がテレビに映っていた。非常に不愉快なシーンであった。しかし、この映画を見ると、本国からも良い待遇を受けていない朝鮮系在日のつらい立場に若干同情する。

1997年の東京が舞台だ。
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄は、日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた。そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許された。25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから自由に育ったリエ(安藤サクラ)、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。

井浦新が演じるシーンの中で印象的なシーンが2つある。
1つは昔の仲間が経営する飲み屋で旧交を温める中で、白いブランコを弾き語りで歌う旧友に合わせて井浦がはもっていくシーン。じわっと涙が出てきた。設定で考えると、97年に41歳くらいの設定だから、自分より少し上だ。でもある意味同世代といえる。72年あたりは当然帰国事業も一段落したことと思っていたが、まだ悲劇に遭遇する人がいたと思うと悲しくなる。


もう1つは北朝鮮へもどった在日である主人公がやりたくない仕事をやらされていることへの強い葛藤を表現するシーンであった。兄が妹に依頼する。「ある特定の人にあった時、どういう話をしたか教えてくれないかと。。」妹はすぐさまスパイ的仕事とひらめく。それはできないと断る。横で聞いていた父親があとで兄を問い詰める。その時に兄は今までと違う感情を爆発させる。これは凄い迫力があった。
今回、兄が自分の家族について何も語らない。少しだけ彼の家族との写真が映像に出るがそれだけである。
ここでも余計なことはしゃべらない。ただ、つらい思いを叫ぶだけである。

イヤーつらいなあ。
他にも「クイズの女王」宮崎美子演じる母親が息子に同行する北朝鮮当局の人間に背広を買ってやるシーンや考えさせられるシーンがたくさんあった。
見ていて本当に在日朝鮮人に同情した。北朝鮮嫌いの全く違う主旨で生きている自分でさえ思うくらいなんだから、そう思わせる映画製作者は大したものだ。しんみりと響く音楽もよくジーンとした。
昨年の日本映画のトップにこの作品を推す気にはならないが、確かによくできている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小谷野敦「日本人のための世界史入門」

2013-04-04 19:56:47 | 
小谷野敦「日本人のための世界史入門」を読んだ。
いや一回見終わったときに再読した。そのあともう一回マーカーひきながら読んだ。基本は世界史の教科書の内容をベースにしながら、小谷野氏の思いと雑談を書いていく。なかなか面白いんじゃないと思う。

この男面白い。
このブログでいうのは初めてだけど、ムチャクチャ勉強している割に適度にしか評価されない。なんかうさんく評価されるんだろうか?でもいい男だなあ。一度飲んでみたい。

彼は自分より少し年下
いわゆる学園紛争でクズになった年齢ではない。東大出身だけど当時メジャーな高校の出身ではない。(今は逆にメジャーになったけど)そういえば彼がでた高校は自分も滑り止めで受けている。その中でも彼はいじめられている。
今でもamazonの批評をしていじめられている。
彼は色々な著作や映画に対して割と辛口のアマゾンレビューを書く。それを見て「参考にならない」と一般人にいじめられている。。
ここまで自分から辛口で評したら復讐しようとする奴いるだろうなあ。
彼の意見と違うことも多いが、映画レビューは面白い

でも彼の書いた「母子寮前」という小説を芥川賞候補になった時買って読んだ。
自分が母親をガンで亡くした時の構図によく似てますます好きになった。
他の評論も読んでいて楽しい。変な奴だと思うけど参考になる。

彼の考えのベースは自分と一緒である。
「私はあさま山荘事件について全く理解できないし、理解しようとも思わない。あるいは宗教でなくても、マルクス主義についても異様な情熱を燃やす人たちを理解できないし、理解しようとも思わない。。。。」

変な奴って多かったよね。今でも多いのかも。
昭和20年代生まれには多い人間のクズ。昔社会主義思想にかぶっていた奴。でもこういう人間のクズ、アベノミクスがうまくっているから今沈黙しているかもしれない。

「多くのリベラル知識人が50年にわたって自民党政権を批判してきたのに、選挙で自民党は第一党であり続けたし、知識人がどれほど石原慎太郎を非難しようとも選挙をすれば勝つ」
その通りじゃない。

彼はこういう。
「かつての英雄の子孫を国民が支持する現象をボナパルティズムという。現在、ビルマの軍事独裁政権に抵抗しているアウンサンスーチーも。。。アウンサンスーチー将軍の娘なのでボナパルティズムなのだ。」

なるほど
彼女を描いたリュックベッソン監督の映画見たのでその事実知っていたけど、そう言われるとボナパルティズムなんて言葉あったのね。知らなかった。
日本でいうと、時代ごとにあるよね。この間落選した田中真紀子さんもそうだし、いつまでもつかわからないけど小泉元首相の息子さんも同じだよね。

他にも
宋の蘇さんが流刑なのに妾を連れて地方で豪邸に住む姿の話は面白いし、欧州の王室が何で他の王室から王を連れてくるかという滑稽さ、イスラムの教書コーラン(クアルーン)が「旧約聖書」の内容を焼き直しをしている話など面白かったあ~
まだまだたくさん。。。
「チャールズ1世はピューリタン革命で斬首された人だし、王政復古の後もチャールズ2世だったとはいえ、あまり縁起のいい名前とは言えないけどなんでつけたんだろう。。。」
この言い方もその通りだなあ

この本amazonの批評ではクソミソで、学生には勧められないという人いるけど違うと思う。
むしろ高校2年生くらいが普通に読むと教養になるんじゃないかしら。世界史は流れという論者にもピッタリ。世界史教科書らしい流れを基本に簡潔に逸話をまじえて楽しくよめる。現代史が弱めだけど、ちくっと戦後インチキ知識人を愚弄する。

著者はいう。
「戦後日本人の知識人の多くは、社会主義や平和主義に幻想を抱きすぎていた。中国は1966年から毛沢東が主導して、あの悪名高い文化大革命を行った。多くの文学者はこれを批判したが、これを称賛するものもあり、新島淳良などはのち過ちを認めたが、未だ認めないものもいる。」


「日米を問わず、戦後の知識人のソ連、中共への心酔は恐ろしいほどで、米国やNATOが核兵器を持つのは許されないが、ソ連が中共が持つのはいいという議論が普通になされていた。」
これって今も狂っている反原発で名高い某左翼系新聞社でしょうね。
彼の批評を悪く言う奴はいわゆる学園紛争とかにうつつをぬかした奴か日教組(今もいるかな?)の教師だと思う。いずれも人間のクズだ。

アヘン戦争って誰がどう見てもひどいよね。
著者はいう。
「中共政府は日本に対して強く出るが、一番ひどい加害をおこなった英国は、第二次大戦の戦勝国か、それとも冊封国ではないからか、何も言わない。」
本当そうだ。

論敵ディズレーリ首相とともに19世紀後半ヴィクトリア女王時代の英国をささえたグラッドストーン首相はその若き日アヘン戦争出費が議会で271対262で可決されたときこういったという。
「これほど不正な、恥さらしな戦争はかって聞いたことがない。大英帝国の国旗ユニオン=ジャックは、かっては正義の味方、圧制の敵であり、民族の権利、公正な商業のために戦ってきたのに、いまやあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられることになった。国旗の名誉はけがされた。」
その通りだ。
それを機に諸外国は図にのった。日本も人のことは言えない。
でも他の国の方がずいぶんだと思うけど。

これから娘の大学受験の世界史の点数上げようと思うと、この本だけではさすがに無理だと思う。
ちょっとやり方考えてみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「アンナ・カレー二ナ」 キーラ・ナイトレイ

2013-04-03 19:58:18 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「アンナ・カレー二ナ」を劇場で見てきました。

言わずと知れた文豪トルストイの名作を映画化した作品だ。19世紀の貴婦人の不倫愛をトルストイらしいダイナミックな構図で描いた。ドストエフスキーは「アンナ・カレーニナ」を「文学作品として完璧なものである」と評して「現代ヨーロッパ文学のなかには比肩するものがない」とさえ言い切った。

予告編の時より、映像の華やかさに目がくらんでいた。
ジョーライト監督は「路上のソリスト」「ハンナ」いずれも好きだ。
花粉症にやられた目の調子も復活してきて、今月から映画も復活しようといざ出陣

1874年のロシアが舞台、アレクサンドル2世による帝政のころだ。
サンクト・ペテルブルクで社交界の華と謳われる美貌の持ち主アンナ・カレーニナ(キーラ・ナイトレイ)は、政府高官の夫カレーニン(ジュード・ロウ)と結婚し、息子にも恵まれ、何ひとつ不自由のない暮らしをしていた。ある日、兄夫婦が離婚の危機にあると聞き、仲を取り持つために兄家族が住むモスクワに向かう。モスクワへ向かう中、騎兵将校のヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出会ったアンナ。二人は一目見たときから恋に落ちてしまう。自制心を働かせようとするも、舞踏会で再会したときには燃えさかる情熱を止めることができなくなっていた。アンナは社交界も夫も捨てヴロンスキーとの愛に身を投じるが、それは同時に破滅へと向かうことになっていく……。

1874年といえばロシア革命まではまだ40年の月日がある。いわゆる帝政ロマノフ朝に陰りがさしているわけではない。皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を1861年に出しているが、その後の民衆反乱は鎮圧している。クリミア戦争こそ失敗すれども、権威が落ちているわけではない。1877年にはオスマントルコと露土戦争を戦い、地中海への南下政策を進めている。
皇帝をとり囲む貴族たちはその権力をまだ誇示している。
この映画では貴族たちが社交を楽しむ華やかな世界を美しく映像化している。
華麗なストリングス中心の音楽もすばらしい。
舞台となるセットがいくつも移りゆく、その中で立ち回る人妻アンナ・カレーニナが美しい。

まさにキーラ・ナイトレイには適役といえる。27歳というのは大人になりかけの女性の魅力を出すこともできる年頃である。不倫の恋といえば、たいてい予期せぬ懐妊が絡むものである。ここでもお決まりのように出てくる。それに対しての処置方法が現在と違うことにも注目したい。

意外にも夫役ジュード・ロウが寝とられ役のしょぼい役である。いつもの男っぷりの良さと比較すると、情けない役をいかにもらしく演じるところがいい。これはうまい。

ヴロンスキー役のアーロン・テイラー=ジョンソンは色男ぶりを発揮するが、「ノーウェア・ボーイ」のジョンレノン役とは少々驚いた。映画を見ている時にはまったくかぶらなかった。

この小説はアンナとヴロンスキーの不倫恋を描くだけでない。トルストイらしいスケールの大きい複層構造の恋物語である。農家を営むリョーヴィンと兄嫁の妹キテイの逸話が並行的に語られる。むしろそっちの方が興味深いという人もいる。でもここではちょっと弱い印象だ。何でかな?やっぱりキーラナイトレイの美しさが主題になってしまうからなのかな?アンナの魅力に取りつかれたヴロンスキーを好きなキテイがやきもきするシーンが象徴的だ。今がキーラの美の絶頂なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする