映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「女ばかりの夜」原知佐子&田中絹代

2021-01-30 10:55:04 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女ばかりの夜」は昭和36年(1961年)の東京映画(東宝)、名画座で観てきました。


原知佐子特集を渋谷の名画座でやっている。昨年亡くなったようだが、中年過ぎてからはTVドラマでの意地悪なババア役が多かった。特撮で有名な実相寺昭雄監督の奥さんとは当然知らなかった。この特集の中でも池部良と加賀まりこコンビの乾いた花はすでに観ている。原知佐子は池部良を服役中ずっと待っている情の厚い女を演じていた。「女ばかりの夜」田中絹代の数少ない監督作品で、今まで観たことはない。TV連続小説に作品を提供している田中澄代の脚本で、当時の東宝を代表する豪華キャストが揃っている中で原知佐子は主演を演じている。

昭和33年の赤線廃止の後も街娼で生計を立てる女はたくさんいたようだ。元赤線で働いていた女が堅気の職にありつけようとするが、なかなか上手くはいかないというのがこのストーリーの趣旨である。こういう映画化されるのも、同じような女たちがこの当時多かったということであろう。今のように独身女性が自立する時代と違って、結婚こそが幸せという時代なのに、年上の男たちの数多くが戦争で死んでしまい相手が少ない中、独り身でつらい思いをした女性は多かったに違いない。


元赤線などで働いていた女性が街娼にまわった時に摘発され収容される厚生施設の一つに白菊婦人寮がある。寮長の野上(淡島千景)や北村(沢村貞子)たち寮母たちと摘発された女性たちが更生をめざしていた。邦子(原知佐子)はその中の一人である。ある食料品店から住み込みの女性を求むという照会があり、邦子に白羽の矢がたち働くことになった。

食料品店の店主(桂小金治)と妻(中北千枝子)には2人の子どもがいて、一緒に住み込むなるが近所にある店の男たちが美貌の邦子をみて色めきだつ。寮長は更生した邦子の手紙がくると、周囲の寮生に見せつけ喜ぶ。しかし、元いた白菊婦人寮がどういうところかを近所の男たちが知るようになり、みんなの態度がかわってくる。それに嫌気をさして店主を誘惑したりして家庭をバラバラにした上で店を飛び出す。行くあてもなく、街をさまよう邦子は歩いている男を誘うと警察手帳を見せつけられ、捕らわれてしまうのであるが。。。

寮長に諭された後に工場の女工になったけど、やはり元赤線ということで差別を受けてやめてしまう。ここでは大丈夫かと平田昭彦と香川京子演じる夫婦が営むバラ園に行き、後の青春スター夏木陽介が演じる男に惚れられたりするが、昔の売春の元締めが訪ねてきたりまあ何をやっても上手くいかない。言いたいのは赤線や街娼に落ち込んだ女たちは堅気の世界に戻ろうとしてもそうは簡単にいかないということなんだろう。

この映画でのおばさまたちの話す言葉が昔のザアマス東京弁である。こういう言葉遣いの人減ったなあ。つい先日、昔の自分のお客様にちょっとしたお世話したらお礼をいただき連絡したら90歳過ぎても同じような正統派ザアマス東京弁だった。きっと抜けきれないのであろう。それも今の80代までであろう。「ございます」「~よ」など、美しい香川京子が話しているきれいな言葉も含めて、もしかして徐々に死語になりつつあるのかもしれない。


1.昭和40年代のTVドラマを彷彿させる出演者
この映画の昭和36年となると、さすがに小さすぎて記憶はない。でも、ここで出演している東宝の俳優たちはほとんどが自分が小学生時代のTVドラマで見かけた人ばかりである。寮長の淡島千景はどちらかというと、東宝の喜劇映画でおなじみという感じだが、寮の幹部の沢村貞子はよく見かけた。

彼女の小説「おていちゃん」は朝のTV小説にもなった。その昔は毎日のように沢村貞子の顔をTVで見かけたが、「犬神家の一族」が映画で超メジャーになる前に横溝正史の同じ小説を元にしたTVの火曜サスペンスドラマ「蒼いけものたち」で映画の高峰三枝子に対応する役柄を沢村貞子が演じていたのが個人的には極めて印象深い。そのときに沢村貞子の妹役を演じた千石規子がここでは元売春婦の寮生を演じている。死ぬまで活躍した脇役として欠かせない俳優で、「蒼いけものたち」で演じた宗教に狂う役柄がもう50年くらい前だけど頭にこびりついて離れない。


あとは浪花千栄子の怪演だ。これには驚いた。上方の俳優なので関西を舞台にした映画には溝口健二作品をはじめとして昭和20年代から目立った活躍をしているが、売春の元締めとかやりそうでも、元売春婦の59歳の女なんて役柄、良く引き受けたかと思う。

映画館でも彼女の奇怪な動きに観客がうなり、どよめいていた。それってすごくよくわかる。なんと今、朝のTV小説のモデルになっているんだって、これには本当ビックリ!東京人の自分にとっては、松竹新喜劇というより「オロナイン軟膏」のおばあちゃんのイメージが強すぎる。


2.原知佐子
性格の悪い近所のおばさんとか姑なんて役柄は絶妙のうまさだ。私生活ではどうだったのであろう。小林桂樹主演の名作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」では小林桂樹の浮気相手という役柄だった。こうやってみると、当時25歳の原知佐子はきれいだ。略歴をみたら、この年で同志社大学を中退して映画界に入ったとのこと、この年代で4大卒の女性はおそらくは3%もいないと思うので、ある意味インテリだったのかな?

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映画「KCIA 南山の部長たち」イ・ビョンホン

2021-01-25 06:11:29 | 映画(韓国映画)
映画「KCIA 南山の部長たち」を映画館で観てきました。


現代韓国史の真相や裏面を描いた映画はどれもこれも面白い。一応フィクションと断ってはいるが、「KCIA 南山の部長たち」は1979年の朴正熙大統領暗殺事件に至る経緯を語っている。予想を裏切ることのない迫力のある展開であった。最近の40代以下の人は多分そう感じないと思うが、われわれより上の世代では北朝鮮の存在以上にKCIAの文字に恐怖感を覚えた日本人は多いと思う。1973年の金大中拉致事件が起こって以来、得体の知れない怖い印象をKCIAに対して持っていた。

ここでは朴正熙大統領の側近である中央情報部長キムと警備室長クァクとの葛藤が中心になる。以前、ソン・ガンホ主演の「大統領の理髪師」という映画があった。そこでも仲の悪い2人のことが描かれていたが、今回も実にリアルに取りあげる。日本人的には明智光秀の本能寺の変や赤穂浪士の忠臣蔵のような反逆の物語が大好きである。韓国でもそれと同じような気分になるのであろうか?実話なので、結末はわかっているとはいえスリリングな展開を堪能できる。

李承晩大統領の政権を覆すために、1961年の軍事クーデターで朴正熙(イ・ソンミン)が権力を握った。すでに18年の日々が流れている。1974年の朴正熙夫人の暗殺事件こそあれど、国内では独裁体制を確保していた。その一方で、本流からはずれた人物もいた。もともとはクーデターの同志であった中央情報部元部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)である。米国下院議会の公聴会で、朴正熙大統領の腐敗を訴えた。


大統領は激怒した。暴露本を出版するという話があり、現在の側近、中央情報部キム部長(イ・ビョンホン)が自分が回収してくると米国に向かった。お互い旧知の仲であるキム部長は、金銭的対価とともに原稿を回収することに成功した。そのときにパク部長から別の存在に地位を脅かされないように気をつけろと言われる。

帰国して朴正熙大統領に原稿を手渡した。しかし、同じ大統領の側近でありながらクァク警備室長(イ・ヒジュン)とは常に意見を異にしており、キム部長の失敗をこれ見たことかと非難する。やがて、お互いにスパイ合戦のように秘密を探り合うようになる。そして、徐々にクァク警備室長寄りの状況がでてきたときに、キム部長はある行動を決意するのであるが。。。


1.登場人物の心理状況
この映画の見どころは、各登場人物がみせる表情であろう。スパイ映画のように探り合う世界である。朴正熙政権とともに子どものころから育ってきたが、黒いサングラスをした写真が怖かった。特にKCIAが金大中拉致事件を起こしてから極めて怖い存在だった。イ・ソンミン「工作」では北朝鮮の北京の支局長的な役柄でいかにも北朝鮮の幹部らしい怖い存在に見えた。ここでの朴正熙はそこまでの怖さはない。むしろ、われわれが知らない次から次に起こる悪い出来事に直面してさまよう大統領の姿をさらけ出すということなのであろうか。そう考えるとうまい。

地位が次から次へと脅かされているイ・ビョンホンも、その心理状況になりきっている感がある。朴大統領と酒を飲み交わすシーンや暗殺の場面のドジな部分も無難にこなした。「悪いやつら」や「コクソン」など悪の根源のような役をやらせると上手いクァク・ドウォンがこの出演者の中では韓国クライムサスペンスの常連であるだけにいちばん見ているかもしれない。ここでは反逆者になりきる。自分に狙いを定める男たちが次から次へと出てくる中でいつものような不死身の強さを見せつけた。大統領を取り巻く世界なのになんかヤクザ映画やスパイ映画のようだ。


2.日本語の登場
ともに日本軍人として戦った経験がある。大勢では話さないであろうが、2人きりで日本語で会話することもあったという。そういえば、「大統領の理髪師」にも同じように朴正熙が日本語を話す場面があった気がする。マッコリにサイダーを混ぜるというのがどうかわからないが、飲みやすいアルコールかもしれない。「あのころはよかった」と2人で酒をくみかえしながらつぶやく。あえて、このシーンを選択したウ・ミンホ監督の真意が知りたい。


もし、朴正熙大統領が暗殺されなかったら、どうなっていたのであろうか?
全斗煥政権が出現したであろうか?こればかりはわからない。
コメント (2)
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Netflix映画「ザ・ホワイトタイガー」ラミン・バーラニ

2021-01-24 09:59:09 | 映画(アジア)
映画「ザ・ホワイトタイガー」はNetflix映画


Netflixで配信間もない作品の「ザ・ホワイトタイガー」の紹介が気になる。貧困から抜け出そうと富豪の運転手になったあとに地位を築いた男の一代記だという。映画を見始めたら、舞台はインドである。インドの言語も当然主力だが、アメリカ資本で制作なので英語が基調である。今はリッチになった主人公がこれまでの道筋を振り返る訳である。インドの貧困エリアや猥雑な街をカット割り激しく紹介していく中に、ずる賢く生き残ろうとする主人公バルラムを映す。

監督のラミン・バーラニが撮ったアメリカ映画ドリームホーム 99%を操る男たちは観ている。住宅ローン払えず破綻した家庭と不動産ブローカーを描く作品でなかなか面白い映画であった。そんなわけで見てみる。傑作というわけではないが、サクセスストーリーというよりも現代インド社会の矛盾を浮き彫りにしている印象をもった。ある意味現代インドを知るには見ておいて良かった。でも、これって日米の映倫系大丈夫なの?

青年起業家ぽい雰囲気を充満させる主人公バルラムが自分の過去を語ろうとする、そのときに自らがお尋ね者になっているチラシを焼くシーンがある。何かあるんだろうと想像させる。大家族の一家は貧しい上に、父親が結核に倒れる。地主への地代の支払いもままならない。元々は勉強ができる主人公バルラム(アダーシュ・ゴーラヴ)は教師からデリーで学ぶルートの紹介をうけウキウキするが、兄からそんな余裕はないからここで働けと言われ落胆する。

そんなとき、富豪の家で運転手を募集する話があるという情報が入る。富豪の息子アショク(ラージクマール・ラオ)はアメリカ留学から帰国したばかりでこういう人につきたいと考える。免許なんかあるわけない。大家族の主である祖母に頼む。きっちり仕送りを送るという約束をしてドライビング教室で学び、富豪の豪邸の前で待ち伏せする。門前払いになりかけたが、熱心さに押され家族調査もされて押しかけ運転手になることに成功する。


いざ運転手になってみると、不合理で理不尽な話が満載である。それでも、息子のアショクとピンキー(プリヤンカー・チョープラ・ジョナス)はバルラムをかわいがってくれた。バルラムは夫妻が夜遊び回るのにも付き合っていたが、あるとき酔ったピンキーが自分が運転すると言い、任せると飲酒運転とおぼしき蛇行運転で猛スピードに走り抜くところに子どもの影が映るのであるが。。。

事故のシーンは冒頭にも流れ、予想通りの流れにはなっていく。アメリカ帰りの2人は常識的な考えを持っているが、周囲は日本で言えば戦後の混乱時期までその倫理観がさかのぼるような社会である。でもこの主人公のサクセストーリーだよね。その割には華やかにサクセスしていくような流れにならないよなあ。ちょっとやきもきする。時間は刻々とエンディングに近づいている。そんな場面から意外な展開となる。こうするとは予想もつかなかった。複雑な感情を持つ。

インド社会の矛盾
1.悪いことしてもわからない。
統計を見ているわけではないが、犯罪摘発率って極めて低いのではないか?映画の中でもおいおいどうなっちゃうんだろう??と思わせるようなことがいくつかあるけど、大丈夫である。インドの工科大学の頭脳は世界有数で、著名IT企業に大勢優秀な人材を送っているにもかかわらず、実際には犯罪に関してとんでもないザル社会だ。

お尋ね者のチラシを見ながら、この手の顔はインドにはいくらでもいるからねと主人公はのたまう。いずれ中国を抜いて世界一の人口になるというインドでの犯罪蔓延はそうは変わらないであろうという印象を持つ。

2.賄賂社会インド
現代中国の賄賂はあまりにも有名で、習近平主席がかなりそれを摘発したと言われる。かなり改善されたのではないか。女性の映るポスターで社会主義国家インドの良さを訴えるという場面に出くわす。でも、この映画でも主人公が仕えるアショクのところに政治家が来て献金をつり上げるシーンがでてくる。アショクは自分の都合の良いように図ってもらうように献金を配りまくる。そのとき運転するのはバルラムである。

官僚が強く、許認可制のすき間をすり抜けるには賄賂が必要という前近代的な体制にまだインドがなっていることがよくわかる。そうか!実質インド映画なのにアメリカ映画としてなっているのは、国内であからさまに批判することができないのだからであろうと映画を見終わるころに気づく。

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映画「私というパズル」 ヴァネッサカービー

2021-01-22 12:31:24 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
私というパズルはNetflix映画


映画館で観たいのが少ないとNetflix映画で探す。気になるのがヴァネッサカービー主演の「私というパズル」だ。死産の後、夫婦に災難が続くという展開は好きな題材ではないが飛びつく。これは想像よりも良かった。一見の価値がある映画である。心理描写も見応えがあるし、カナダロケだという冬景色に馴染む音楽も実に適切なタイミングと音色だ。

映画が始まって出産を待ち望んだマーサ(ヴァネッサ・カービー)とショーン(シャイア・ラブーフ)のカップルの姿を映した後で、臨月のマーサが破水するシーンとなる。いきなりの出産シーンが一筆書きのように30分近く続くのに驚く。いつカットが入るのかと思いながら、自宅での出産を望んだ主人公夫婦とお産婆さんが奮闘する。

そもそものお産婆さんの代理できた女性だが、手際は悪くない。本来は病院に行かねばならないのであるが、マーサは強情だ。普通に聞こえてきた心音の調子が悪くなる。それでも、苦渋の表情の中で赤ちゃんが生まれ、小さな鳴き声が聞こえる。生まれた後が弱い。赤ちゃんは冷たい。異常に気づきやがて救急車がくる。


その後、落胆する2人を映す。死亡原因が特定されない。沈滞ムードが続く。2人の仕事にも張り合いがない。お墓の文字のスペリングで内輪もめ。妻の自分の母との関係は微妙、これまで何かあったのかあまり良くない。母親も変な女だ。夫もどこか変だ。家の中は洗っていない食器が散乱、観葉植物も水やりせずに枯れる。

世間では、お産婆さんへの魔女狩りが始まっているようだ。「え!何で?」という印象を持つ。別に悪いことしていないじゃない。でも、夫や妻の母親は親類の法律家(弁護士?)を通じて訴訟しようとしている。これっておかしくないと観ながら感じる。

そして気がつくと映画は法廷モノの要素を持ってくる。



この辺りはコルネル・ムンドルッツォ監督が観客への印象づけを意図的にやっていることなんだろうけど、徐々に引き込まれる。個人的な2015年日本公開のベスト映画ホワイトゴッドの監督だということに見終わった後に気づく。そうなんだ。この映画ホワイトゴッドは凄かった。あのレベルでつくれる人の映画であれば間違いない。でも、この映画をつくっているとは知らなかった。

1.ヴァネッサカービー
ヴァネッサカービーは昨年スターリン政権下のソ連を取材する英国記者が飢えた人々を見つける顛末の「赤い闇」で、肝になるニューヨークタイムズのモスクワ支局に勤める女性支局員を演じていた。魅力的な存在だった。今回の演技で、黒沢清監督が監督賞を受賞したヴェネツィア映画祭で主演女優賞を受賞している。ミッションインポッシブルでは重要な謎の女を演じて、これがまた色っぽい。次作にも登場する模様だ。


橋ゲタの現場監督の旦那を持つけど、ヴァネッサカービーのここでの役柄はインテリで自立した女である。自分というものを持っている。周囲が何を言おうが自分の道は自分で決める。それなので、自宅で子供を産むのにこだわる。途中でのお産婆さんを追求する動きにどう振る舞うかと思ったけど、最後に向けては素直に彼女に気持ちが同化できた。

2.絶妙な音楽
バックに流れる音楽がいいのに途中で気づく。肝心なところはむしろ無音だ。この主人公ヴァネッサカービーは雪景色が似合うクールビューティである。ヴァネッサと風景にピッタリのリリカルなピアノとストリングスを使い分け、ジャズピアノが入る場面もある。ハワードショア、「ロードオブザリング」でアカデミー賞音楽賞も受賞したことのある名作曲家だ。格が違う。

最後に向けて、リンゴの木の下でアレ?というシーンを映す。そこで流れるピアノとストリングスが併せ持ったピアノ協奏曲的エンディングは最後までずっと聴いていたい衝動に駆られた美しい曲だった。
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映画「ニューヨーク親切なロシア料理屋」 ゾーイ・カザン

2021-01-20 20:56:29 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「ニューヨーク親切なロシア料理屋」を映画館で観てきました。


まずは題名の「ニューヨーク親切なロシア料理屋」にひかれる。ロシア料理は亡くなった父が好きで、子どものころから渋谷の「サモワール」などに連れて行ってくれた。今でも新宿「スンガリー」や神田駿河台「サラファン」には時々行く。大好物だ。主演のゾーイ・カザンエリア・カザンの孫という血筋の良さで、連れ合いのポール・ダノと撮った「ルビー・スパークス」からのファンだ。公開以来時間合わず後回しになったが観に行く。

警官の夫からの家庭内暴力に音をあげて息子2人と家を飛び出してマンハッタンに来た主人公が、文無しで街の中をさまよう顛末である。結果は、あまりよろしくなかった。ロシア料理屋と日本題からおいしそうな料理で目の保養になると考えると、まったくの期待外れになるだろう。最後まで待っていたけど、ロシア料理の映像はまったくでない。新宿「スンガリー」を親から継いだ実質オーナーの加藤登紀子さんの推薦文があるのにだまされた。まあこういうこともあるだろう。

ニューヨークのマンハッタンで、創業100年を超える伝統を誇るロシア料理店〈ウィンター・パレス〉。だが、現在のオーナーであるティモフェイ(ビル・ナイ)は商売下手で、かつての栄華は過去の栄光となり果て、今では経営も傾いていた。

店を立て直すためにマネージャーがスカウトされるが、マーク(タハール・ラヒム)というその男は刑務所を出所したばかりの謎だらけの人物。店を支える常連の一人である看護師のアリス(アンドレア・ライズボロー)も、恋人に裏切られて以来、救急病棟の激務に加え〈赦しの会〉というセラピーを開き、他人のためだけに生きる変わり者だ。次々と仕事をクビになったジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)ら、ワケありの過去を抱えた者たちがアリスを慕っていた。


そんな〈ウィンター・パレス〉に、まだ幼い二人の息子を連れて、事情を抱えて夫から逃げてきたクララ(ゾーイ・カザン)が飛び込んでくる。無一文で寝る場所もないクララに、アリスとマークにジェフ、そしてオーナーも救いの手を差しのべる。しかし、ある事件をきっかけに、夫に居所を知られるのも時間の問題に。追い詰めれたクララは、皆から受け取った優しさを力に変えて、現実に立ち向かうことを決意するが…。(作品情報引用)

刑務所から出所したばかりでロシア料理屋のマネジャーになった男やセラピスト的な行動もする看護師の物語と平行する。
こんなことあるの?と思わせるのは無一文で子ども三人を連れてマンハッタンにやってくるなんてことがそもそもあるのかしら?夫からの家庭内暴力があったにもかかわらず、ニューヨークに住む夫の父親に金の無心をするなんてことから話はスタートする。それ自体ありえないよね。

金がないのにホテルに泊めてくれとフロントにからむとか詐欺師まがいの行動でむちゃくちゃだ。しかも、ブティックには行っては脱衣ルームに試着のふりして洋服を盗んだり、関係ない宴会に侵入して料理をかっさらう。店番のふりしてクロークに入り込んで、客のコートの中から金を取ったりするなんて行為を見てこの女に同情したくはない。今までのゾーイカザンの映画とまったく違って感情流入ゼロだった。

訳があって下の息子が危篤状態になり入院したときの入院費用だって払っているのかい?日本と違って医療費は高いはずだから、無一文プラスアルファでできるはずがない。まあそんな訳でむちゃくちゃな脚本で、書いた人は金銭観念のないかなりの世間知らずだと思う


ここで映るロシア料理屋はロシアの民族衣装を着たバンドが入って、飲めや踊れやの雰囲気である。日本でこういうロシア料理屋はみたことがない。そもそもはこんな感じなんだろうか?ピアノを弾くビル・ナイのおさえた老巧な演技だけはまともだった。
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映画「Swallow/スワロウ」 ヘイリーベネット

2021-01-15 21:09:26 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「Swallow/スワロウ」を映画館で観てきました。


「Swallow/スワロウ」のポスターが気になっていた。一瞬いい女に見えるような感じだけど、ジェニファー・ローレンス??いや違う。ヘイリー・ベネットである。ポスターの色使いも気になるので映画館に向かう。富裕層に嫁いだ若妻が懐妊した後で、精神が安定しないので異物を飲み込む様になってしまうという話だ。サスペンスというほどではないが、サイコスリラー的要素を持つジャンルかな??

たしかに主人公が住むのがすごい豪邸で色彩設計がうまく、赤や青や原色の使い方が上手い。それに加えてアップを多用するカメラワークも悪くない。映像としてのセンスにあふれている。ただ、この映画は懐妊後の女性の複雑な感情やアメリカ版微妙な嫁姑関係などがからんでいくので女性の方が共感できるかもしれない。


どこまでばらしていいのか難しい映画なので、作品情報そのまま引用します。

完璧な夫、美しいニューヨーク郊外の邸宅、ハンター(ヘイリーベネット)は誰もが羨む暮らしを手に入れた。ところが、夫は彼女の話を真剣に聞いてはくれず、義父母からも蔑ろにされ、孤独で息苦しい日々を過ごしていた。そんな中、ハンターの妊娠が発覚する。待望の第一子を授かり歓喜の声をあげる夫と義父母であったが、ハンターの孤独は深まっていくばかり。

ある日、ふとしたことからハンターはガラス玉を呑み込みたいという衝動にかられる。彼女は導かれるままガラス玉を口に入れ、呑み下すのだが、痛みとともに得も言われぬ充足感と快楽を得る。異物を“呑み込む”ことで多幸感に満ちた生活を手に入れたハンターは、次第により危険なものを口にしたいという欲望に取り憑かれていく…。(作品情報引用)

1.ヘイリーベネットとセレブの嫁
先入観なく映画を見たが、マジにジェニファー・ローレンスに見えた。ヘイリーベネットといえば、ついこの間Netflix映画「ヒルビリーエレジー」で主人公の姉演じていた。ああそういえばという感じだ。今回は富裕層の家に嫁入りした。夫は若くして父親を継いで常務に昇進、言うならば玉の輿だと思う。プール付きの大豪邸からは美しい川が見れる光景が眺められる。ハドソン川沿い高級住宅なんてこれだけ映画を見ていても出くわしたことがない。うらやましいくらいのすごい家だ。


そこには優しい夫がいて専業主婦で何も不満もない生活 、夫と義父母ともに懐妊に喜ぶのだ。男からみたら、何の文句もつけようがないように見える。でも、きっと女はちがうんだろうなあ。ネクタイにアイロンをかけただけで機嫌が悪くなる夫、自己啓発の本を読めと言ってくる姑など、男性にはわからない何かがあるのであろうか?

でも、気になったのはどういうきっかけでこの2人カップルに?
義母が「あなたは今までなんの仕事をしていたの?」なんて聞いてくることってなんか不思議だ。キッカケ何なの?

2.異食症って?
何も不自由のないように見える主人公なのに、ふとビー玉のようなガラスの玉を口に入れる。それだけではない。画鋲ピン📌のようなもの口に飲み込む。見ていて大丈夫なの?と思ったら、血染めになったガラス玉やピンがでてくる。これって排出されたのか?


でも、結局夫にバレる。赤ちゃんの様子を見るための超音波検査で異物が入っていることがわかる。いろんなものが中にある。大騒ぎだ。
セラピー受けたり、看護師が雇われたりするのだ。おいおいどうなっちゃうんだろう??
このストレスは初めて知った。 ネットを見ると、妊娠中になりやすいと書いてある。へえそうなの?

途中で、どう最後にもっていくのかと思ったけどね。でも今ここでは語れない出来事がキーポイントになる。セレブを映し出すと同時に下層社会の末端も語っている気もした。
最後のエンディングロールにはビックリ、こういう形になると何かあるんじゃないかとなかなか退出できないよね。
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映画「無頼」井筒和幸

2021-01-09 08:03:23 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「無頼」を映画館で観てきました。


「無頼」井筒和幸監督にとっては黄金を抱いて翔べ以来8年ぶりの作品である。「この世界に残されて」という比較的薄味の映画で今年の映画館鑑賞をスタートしたので、井筒ブランドで一転ハードと思しき映画に行くことにした。上映している新宿K‘sシネマは元やくざ映画専門の地味な映画館新宿昭和館であったが、逆に建替えたk’sシネマは割ときれいで驚く。昔とイメージ違う。この映画では1人の極道者の人生を少年のころから還暦すぎるまでその時代を代表する出来事をちりばめながら追っていく。

井筒和幸監督作品では「パッチギ」とかは好きだし、前作黄金を抱いて翔べも傑作というわけではないけど楽しめたので期待していったが、正直イマイチだった。


1956年からスタートする約50年の時代推移において、登場人物が多い。ヤクザの組織などの名前も多い。オーディションで選ばれた俳優が多いようだ。主演とその他一部を除く誰も彼も無名なので誰が何をしているのかよくわからない。知っている顔だと頭でストーリーが整理される。話がよめていく。登場人物がみんな同じような顔に見えるので、1つの場面が次に繋がらない。次の場面でアレ?これ誰だっけ?といった感じだ。名作「仁義なき闘い」はそれぞれの登場人物にこれは誰だと示す字幕がある。それは確かに奥の手だが、ある意味観客には親切だ。

逆に不親切な映画ではないか。この映画はストーリーで観るというよりも、いくつかの過激なシーンを観るための映画かもしれない。

⒈印象に残るシーン
地名は出ない。浜松というセリフがあって、うなぎの養殖池が出てくるので結局静岡?なのかなあ?途中、山口組の抗争を思わせるシーンがあり、その後で深作欣二の名作「北陸代理戦争」で西村晃が雪の中で首だけ出しているシーンで映画の中の映画の手法を使う。でも、雪の中の首シーンは改めて撮り直している。登場人物が映画館でこの映画を見ながら「親分よくこれを映画化させてくれたな」なんてセリフあり、あれこの映画って北陸が舞台だったよなと思う。実在のモデルはいるというが、わざとそらしているかもしれない。


exileの松本主演、刺青で凄みでも怖さはまったくない。バキュームカーの汚物を融資を断った銀行内に撒き散らすシーンがずいぶんと激しい。よくあるヤクザ映画のように虫ケラのように射殺されるシーンは当然のごとく多い。組幹部がのんびりと露天風呂に入っているときに襲撃されるシーンなどもあるが、素人映画集団が遊んでいるようにしか見えないなあ。


⒉井筒和幸
前回作品黄金を抱いて翔べもブログにアップしているが、高村薫作品の映画化で設定に欠点が目立つけれどもアクションは楽しめるものであった。個人的には「パッチギ!」は面白いし、躍動感がある傑作だと思う。かなり在日朝鮮人をかばうが、「パッチギ!2」はちょっとやり過ぎ。赤羽線あたりで暴れまくる朝鮮学校の連中を映したりして、東京の一角でハチャメチャなことをした連中をかばいすぎだ。でもこれらの映画も沢尻エリカをはじめ普通の俳優を起用していて今回の映画のように誰が誰だかよくわからないという状況にはしていないので見やすい。


このころはTVでも世相を語ったり、映画評論の本を出版していたけど、最近はみなくなったなあ。ある意味、「パッチギ!2」あたりの思想の極端さが影響している気がする。岸和田愚連隊のように思想が露骨にでていないければいい味持っている人なのに残念。今回井筒和幸監督カメオ出演していたなあ。

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映画「白い巨塔(1966年)」田宮二郎

2021-01-06 20:19:57 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「白い巨塔」は昭和41年(1966年)の大映映画


山崎豊子のベストセラー小説「白い巨塔」山本薩夫監督により最初に映画化した作品である。もちろん原作は読了、大々的にリバイバルされたときに映画館で観ている。その後田宮二郎自らテレビでも主演している。直近のテレビ放映は縁がなかった。フィクションということであるが、明らかに大阪大学をモデルにしている浪速大学医学部第一外科の後任人事をめぐる裏のやりとりが描かれている。

Netflix映画の中に入ってきたので、思わず見てしまう。田宮二郎というこの映画を撮るために生まれてきたような適役を得て、キネマ旬報ベスト1位になった。いつみても新しい発見があるいい映画である。

浪速大学医学部第一外科の財前助教授(田宮二郎)は、週刊誌にも取りあげられるくらい手術の腕前に優れていた。翌年、第一外科の東教授(東野英治郞)が定年になるので、その後任が誰になるのかが学内で話題になっていた。財前助教授はその能力から当然後任候補と見られていた。しかし、東教授は財前助教授が目立った行動をとるのが気にくわなかった。そこで、医学部長の鵜飼医学部長(小沢栄太郎)に相談すると、他の大学から推薦してもらうのも手だろうと言われ、医学界の大御所である東教授の母校東都大学教授の船尾(滝沢修)に有力な人物を推薦してもらおうとした。


その動きを察した財前は財前産婦人科を経営し、大阪医師会副会長である義父財前又一(石山健二郎)に相談する。もともとは岡山で生まれ母子家庭で育った財前は養子縁組で財前家に入った。義父の財前からすると、娘婿が浪速大学医学部教授となるのが夢で、医師会の会長ともども金に糸目をつけず協力すると言ってくれた。早速に義父たちは医学部長の鵜飼を懐柔しようとする。

一方、東教授は東京に行き船尾教授から金沢大学医学部の菊川(船越英二)を紹介してもらう。東教授は学内で第二外科教授の今津(下条正巳)に声をかけ、財前の動きを良く思っていないメンバーに投票を依頼する。また、その両方の動きに属さない野坂教授(加藤武)が浪速大学出身で別の候補者を立てて対抗し、三つ巴の選挙戦となった。

財前助教授が第一内科の里見助教授(田村高広)から様子を見てほしいと言われた患者がいた。がんがあり、第一外科で面倒をみることになり結局手術することになった。その際に、里見から今一度検査をしてほしいという要望があったが、もうすでに第一外科の管轄なのでそれは不要だということになった。しかし、このことがその後問題になっていくのであるが。。。

1.田宮二郎
当時まだ31歳だったということに驚く。昇進する大学教授とすればいくら何でも40代であろう。10歳上の役柄を演じていたのだ。大映では勝新太郎とのコンビで「悪名」シリーズ、梶山季之の「黒」シリーズで主役を張っていた。でも、こんな適役はないだろう。


渡辺淳一原作のテレビシリーズ「白い影」の医師役が個人的にはいちばん印象に残る。その後でテレビシリーズの「白い巨塔」で演じるが、テレビの「白」シリーズの中でパイロットを演じた「白い滑走路」も人気あったなあ。クールで二枚目のそのスタイルで亡くなるまで演じていたのに、何で自殺したんだろうか?

2.山本薩夫監督と俳優の起用
山本薩夫監督といえば、まさにアカ監督という印象が強い。実際に戦後の東宝争議をリードしたのは山本薩夫だといわれている。レーニン顔からして典型的一時代前の共産党員である。思想的には自分とまったく合わない監督だが、山本薩夫作品は割と好きである。実は市川雷蔵の「忍びの者」が子どものころ大好きで五反田にあった大映に両親と通っていた。にっぽん泥棒物語での後半にかけての裁判場面の躍動感も印象に残るし、政財界の暗黒な部分を描くと抜群にうまかった。同じくレーニン顔のアカ役をやらせると抜群に上手いここでの原告側弁護士役鈴木瑞穂といいコンビである。

山崎豊子の小説といえばかなりの長編であり、それを2時間半程度にまとめるのは容易ではない。ここでの編集はうまく、要旨がわかるように手際よくカットされている。共産党員としてはまったく真逆な部分と言えるだろうが、裏工作で芸者を上げたり、夜のバーでのシーンもうまくまとめている。東野英治郞、小沢栄太郎など俳優座などの劇団員がそれ相応の上手い芝居をみせる。その中で思わずそのパフォーマンスに笑ってしまうのは財前の義父を演じた石山健二郎である。「天国と地獄」でのハゲ刑事役は印象に残る。この作品でのパフォーマンスはまさに明治の男って感じで裏芸も何でもありという一時代前の男を実に上手く演じる。


3.昭和41年の大阪
昭和41年の大阪がずいぶんと映し出される。梅田の駅前に立ち並ぶ建物だけでなくや実際の旧大阪大学病院まででてくる。里見助教授を演じる田村高広と藤村志保が二人並んで歩くのは中之島あたりであろうか?これはこれでいい。ある程度まではセットかもしれないが、財前の義父御用達の料亭でのシーンがいい感じだ。義父の情夫である女将がいて今まったく消えたわけではないだろうが、芸者を呼んでぱーっと宴会をするなんていうのが普通の時代ってそれはそれで素敵かもしれない。
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映画「この世界に残されて」

2021-01-05 21:01:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「この世界に残されて」を映画館で観てきました。


戦後ソ連によって厳しく弾圧された東欧諸国を映像にする映画は多い。「この世界に残されて」のストーリーを読むとその手の映画のようだ。批評を見ると比較的女性陣から絶賛されている。それなのに、女性が普通いやがりそうな中年の男性と16歳の少女との怪しい関係が描かれているようだ。この不思議な矛盾に興味を持ち映画館に向かう。

弾圧された東欧諸国を映像にする映画にはスターリンの肖像画のもとで、徹底的に共産主義思想を植え付けられるシーンが多い。しかし、ここではその色彩は少ない。暴力的なシーンは見当たらない。わりとたんたんと映画が過ぎていく。前のコメントで蓮實重彦の「映画の90分論」のことを書いたが、この映画は90分を切る。映画を見ているうちに時計をみると制限時間が近づいている。気がつくとラストを迎える。正直これで終わっちゃうの??という感じの映画だった。別にいやな映画ではないけど、最高点をつける人たちの感性はよくわからない。

1948年、ハンガリー。 ホロコーストを生き延びたものの家族を喪った16歳の少女クララ(アビゲール・セーケ)は、保護者となった大叔母オルギと暮している。周囲とも打ち解けないクララは寡黙な婦人科医師アルド(カーロイ・ハイデュク)に出会う。42歳のアルドの心に自分と同じ孤独を感じ取り、クララは父を慕うようにアルドを頼りにする。そんなクララを見て、大叔母オルギは「私は勉強をみてあげることもできないから」と、もう一人の保護者になってほしいとアルドに懇願する。アルドは快諾し、クララは週の半分をアルドの家で過ごすという不思議な同居生活が始まった。


ゲームに興じたり映画を観に行ったりして、クララは明るさを取り戻す。ホロコーストによって大切な人たちを喪ったアルドと共に心に傷を抱えながら、寄り添うことで徐々に人生を取り戻していく。スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、党に目をつけられた者たちが次々と連行されるなど緊張が増していく。そんななかクララとアルドの関係は、スキャンダラスな誤解を招いているのであるが。。(作品情報一部引用)


⒈少女と中年医師の出会い
この少女クララは16歳にしてまだ初潮を迎えていない。それなので、婦人科にかかったのだ。診るのはアルドである。アルドからしたら、子どもみたいなものである。でも、クララはちがう。同世代の男女とまったくウマが合わないが、アルドには惹かれていく。最初の頃のクララの表情がきつい。わざとそうしているんだろうと思うけど、見るからにいやな娘だ。


でも、アルドを親代わりに思うのかどうかわからないが、急接近に寄り添う。もともとロリコンの気があったわけではないが、むごい時代を経て共感を持つのだ。同じベッドでもハグはあっても裸で交わることはない。そのような理性を持っている。そういう前提の映画で、不純な要素は少ない。よって刺激はあまりないのだ。

⒉ハンガリー
ハンガリーのブタペストは賢い人たちを多数生んだことでも知られる。たとえばコンピューター、原子爆弾、ゲームの理論に関わったフォン・ノイマンなんて天才もそうだし、近年ではジョージ・ソロスなんて有名投資家も生んでいる。第一次世界大戦の頃まであったオーストラリアと一緒だった帝国には逸材がビックリするほどいた。

しかし、第二次世界大戦の時にはエライ目に遭ったようだ。虐殺が相次いだようだ。フォン・ノイマンなんかはアインシュタインと一緒で早々とアメリカに渡っている。残ったモノはババを引く。その中でも医師であるアルドは上層階級に所属した人物だと思われる。でも、ホロコーストのいやな目に遭う。その点は悲しい。


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映画「セインツ-約束の果て-」ルーニーマーラ&ケイシー・アフレック&デイヴィッド・ロウリー

2021-01-03 13:08:49 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「セインツ-約束の果て-」は2013年のアメリカ映画


年始に蓮實重彦の映画の新書「見るレッスン」を読んだ。その中で絶賛されているのがデイヴィッド・ロウリー監督とその監督作品映画「セインツ」である。この映画の記憶はない。主演は「ソーシャルネットワーク」ドラゴンタトゥーを撮った後のルーニー・マーラでこの映画は気にいったはずなのに存在に気づいていなかった。褒め言葉をよんで、いきなりamazonでピックアップして観てみた。妻の懐妊に気づいた後で銀行強盗を犯して捕まって収監された元常習犯が、脱獄して妻の元へ戻ろうとするという話である。

蓮實重彦の本の中では90分で映画をおさめることの素晴らしさが語られる。「セインツ」もほぼ94分である。映画の趣旨を簡潔に映像で捉えているのは確かによくわかる。無駄がない。その中で大草原が延々と続くアメリカの田舎を映す映像もきれいだ。カントリータッチの音楽もうるさくなく、心に刺さる。独特のムードで最終場面に向けて単純には行かないんだろうなあと思わせるストーリーも先を読ませず、確かに推奨作品といえる快作である。

強盗を繰り返しているカップルがいる。ルース(ルーニー・マーラ)が懐妊しているのに知りながらもボブ(ケイシー・アフレック)は仲間と銀行強盗に入る。しかし、保安官たちに囲まれ銃撃戦になったときに、ルーズが撃った銃弾が保安官パトリック(ベン・フォスター)の肩にあたる。ボブはここで収監してもすぐでられるよとルースをかばって投降する。やがて、ルースは無罪となり出産するが、ボブは懲役25年となってしまった。


ボブとルースの育ての親であるスケリット(キース・キャラダイン)はボブが刑務所にいる間にルースと娘に家を買い与えて本当の親のように見守っていた。ある日、ルースの家に保安官パトリックが姿を見せる。どうやらボブが脱獄したようだ。5回失敗した後で看守の目を盗み作業者から逃げた。そのあと、貨物列車に乗ったり、通りがかりの女を脅したりして移動していた。


同時にスケリットが営む店にはボブを狙った殺し屋たちが戻ってくることを予測してたむろってくるのであるが。。。

1.ボブとルースを取り巻く人間関係
単純に妻の元へ戻ってくるという話にはしない。ボブには黒人でバーを経営するむかしの仲間がいる。元のすみかに戻ってきてまずは仲間を頼る。これはボブにとっての援助者だ。保安官は知人として当然来ているか確認するが、仲間は黙っている。

育ての親パトリックもボブにとっては味方の一人だが、娘を育てているルースとボブの仲がもどるのがいいと思っていないので完全の味方ではない。そんなパトリックの元に殺し屋集団が来る。なんかわけがわからない連中だけど、こういう存在がいるので最終の決着がわけわからなくなるのだ。

映画を見るのに集中できるのはストーリーの先行きが気になるからだと思う。まさにそれ、変化技にうなる。


2.蓮實重彦「見るレッスン」
文面は一つの文を句読点を使って長めに書くいかにも蓮實重彦というようなタッチではない。内容は好き嫌いが激しい彼らしく、世間で評判がいいとされる作品も一刀両断される。「デトロイト」のキャスリン・ビグローやソフィア・コッポラも蓮實重彦からみると酷評である。ゴダールやウディアレンのように映画を90分におさめることにこだわっていて、デイヴィッド・ロウリー監督の評価がやけにいい。なんと、蓮實先生自ら直接メールをしたそうな。年初あらためてデイヴィッド・ロウリー監督を追ってみたい。

日本映画では別の意味で有名になった濱口竜介監督「寝ても覚めてもが推奨されている。これは自分と同意見だ。しかも、世間でボロクソにされた唐田えりか非常に魅力的と評している。まあ、元東大総長の蓮實重彦にとっては週刊誌ネタはどうでもいいことだろう。それに負けじとルーニー・マーラは「キャロル」に劣らずかわいいけど。


その一方で「カメラを止めるな」はある女性から聞いた話では、彼女の住むマンションのママたちはみんな見ていたらしい。でも、それはないだろうと思います。だから、自分の好きなものを発見せよと言いたい。(蓮實2020 p.4)こういうことはありがちかもね。

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紅白を見て

2021-01-01 09:21:50 | Weblog
ワインを飲みながら紅白を見てしまう。

観客がいないのがはじめてだという。
ウッチャンの総合司会で、大泉洋と二階堂ふみは映画でもおなじみだ。

それにしても、二階堂ふみの司会が手慣れている。これには驚く。しかも、歌も上手い。
そうなんだ。ついこの間映画ばるぼらでかなり長時間全裸を披露したけど、最近NHKもそんなこと気にしない。


坂本冬美の歌が桑田佳祐とのコラボだという。
「ブッダのように私は死んだ」桑田らしい歌詞で、いい感じの歌だ。坂本冬美の歌なので安心して聴いていられる。
桑田佳祐がミカン畑バックにいかにも和歌山からコメントを言っているみたいに振る舞いだが、和歌山育ちの家人が「これって和歌山弁のつもり?」


鈴木雅之「夢で逢えたら」にもいろんな想い出がある。
そもそも大瀧詠一の曲、吉田美奈子の歌を聴いたのが、自分が高校生の時だ。友人の家でこれを聴いて大酒を飲んで翌日学校に行けなかった。鈴木雅之のバージョンも好きだ。彼の歌は「渋谷で5時」を今でもカラオケで歌う。セクハラ街道まっしぐらだけど、飲み屋のネエチャンだけでなく社内の会合でも若い子ずいぶん引っ張り出したな。菊池桃子かわいいよね。中学の後輩である。


ディズニーメドレーもいい感じだけど、二階堂ふみうまいよな。
「星に願いを」矢沢エーチャンも歌うよね。しばし、コンサートからも遠ざかる。

「エール」の出演者の歌では森山直太朗の「長崎の鐘」にうなった。
長崎への社内旅行にいったときにお世話になった人が歌っていたこの曲が忘れられない。胸にしみる。

のメドレーはこれで最後ということか3曲だった。でも最後という感じはしない。
女性歌手が歌ういくつか街で聴く曲が流れる。飲み屋で若手女性陣が歌って曲を覚えるけど、その設定がコロナでなくなったのはさみしい。

ユーミンが登場する。
安倍さんがやめるときにユーミンに対してアカ教授の白井聡がつまらないこといってやられたな。荒井由実のまま終わればというけど、こいつ1977年生まれで荒井由実時代のことなんて知らないはずなんだろうけどなあ。意味不明??「守ってあげたい」は自分が大学4年生の時の歌だ。「カラオケロシアンルーレット」でユーミンメドレーを4人くらいで歌って歌えなかったら一気飲みなんて遊びもコロナでできなくなった。最後にやったのが3月だった。


その後で芸人3人を引き連れての「きみのためにSUPERMAN」はよかった。音痴3人の露払いもいい感じ
そして「やさしさに包まれたなら」を聴くと高校時代にタイムスリップする。昨年はまた高校の同級生が亡くなった。一緒にユーミンを聴いた仲間が亡くなるのはさみしい。

福山雅治、MISHAの歌はそれなりによかったし、なんと久々に二階堂ふみ率いる紅組が勝ったのは久しぶり、ちょっとびっくりして2020年にさよならだ。
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