映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

Netflix映画「グッドナース」ジェシカ・チャスティン&エディ・レッドメイン

2022-10-31 20:20:47 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
「グッドナース」は2022年日本公開のNetflix映画


Netflix映画「グッドナース」は医療事故の実話に基づく作品。ジェシカチャスティンとエディ・レッドメインの演技派2人の主演である。巧者2人の演技合戦で恐怖感を盛り上げる。ただ、ケチってロードショーに行かず、Netflixで見てしまったのは失敗だった。自分は映画館原理主義者ではないが、映画館でこの緊張感を味わった方が良かったと思わず反省する。

病院の緊急治療室の看護師エイミー(ジェシカチャスティン)は、子持ちのシングルマザーだ。自らも心臓疾患を患っているのを隠して重病患者に向き合う。その病院に新しい看護師チャーリー(エディレッドメイン)が加わってきた。やさしく接するチャーリーにエイミーの母娘とも好感をもつ。ところが、病院内で異常な急死が増え、意図的なものを感じた警察の捜査が病院に入っていく。

題材は単なる医療事故に止まらない。現代アメリカの社会事情を物語る話が含まれている。アカデミー俳優2人の演技は期待通り、怪演とも言えるエディレッドメインには恐怖感すら感じる。この恐怖感は映画館で味わうべき題材だったなあ。俳優2人で思いっきり引っ張るが、実話なので意外性には欠ける。物足りなく感じる気持ちもある。

⒈ジェシカチャスティン
前半戦は看護師エイミーの貧困事情にも焦点があてられる。心臓疾患で本当に苦しそう。心臓移植をしなければもたない。小さな娘もいる。でも、無保険者である。日本では考えられない世界だ。あと数ヶ月勤務して初めて健康保険に入れる。懐もさみしい。緊急治療で多額のお金を支払う。何度も治療費を支払う余裕がない


そんなエイミーにやさしく接してくれる看護師チャーリーが入ってきた。自分の境遇も打ち明け、家族ぐるみの付き合いをする。でも、突然死が続き、病院に捜査が入る。どうやらチャーリーがあやしい。かばおうとしても、かばいきれない。別のエビデンスがあらわになる。そういうエイミーの心理状態を映画が追っていく。

以前から追っているジェシカチャスティンなのに、念願のアカデミー賞を受賞した前作が観れていない。ネット配信のみだ。これも困ったものだ。今回も一瞬だけの公開だ。なんかおかしい!

⒉エディレッドメイン
これまでの演技歴では、怪演というべき特殊な役柄に本領を発揮する。スティーブンホーキングもうまかった。殺人鬼なのに、それらしき振る舞いはない。むしろやさしい。重篤な病気なのに、金がなく治療できないエイミーに同情する良い人だ。

それでも、エイミーが発作を起こして倒れた後で、チャーリーが面倒をみようと近づくシーンにはドッキリする。何かされてしまうのではないかと恐れる。その辺りのヒッチハイク的サイコサスペンスムードが映画の見どころである。やさしい顔をしながら、実は殺人鬼というギャップを演じる演技力にエディレッドメインの凄みを感じてしまう。
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映画「君だけが知らない」

2022-10-30 16:16:55 | 映画(韓国映画)
映画「君だけが知らない」を映画館で観てきました。


映画「君だけが知らない」は韓国得意のサスペンススリラー映画だ。監督脚本のソ・ユミン、主演のソ・イェジをはじめ出演者スタッフは知らないメンバーたちだ。記憶喪失になった妻が、夫の懸命な介護にもかかわらず妄想に悩まされ何が真実で誰が正義かわけがわからなくなる話である。妄想といっても、デジャヴ感覚で一瞬先に身近に起きる出来事がとっさに脳裏に浮かびあたふたするのだ。

この映画は予備知識を持たずに観た方が面白いサスペンスなので、説明は最小限とする。よくできている映画だ。

話の展開は落着の予測をことごとくはずす。
映画を見始めてから主人公の妻スジン(ソ・イェジ)と夫(キム・ガンウ)の立ち位置が少しづつ変わっていく。事故で記憶喪失になったスジンが夫の看病のおかげで退院する。人生をやり直すために2人でカナダに移住しようとしている。


そうしたときに、スジンは身の回りで起きる事故を直前に察知するようになる。自宅マンションの住人の小学生が交通事故に遭遇したり、同じマンションに住む少女が乱暴されるのを脳裏に浮かべて、大慌てで事件を回避しようとするのだ。

スティーブンキング原作クリストファーウォーケン主演のデッドゾーンという映画がある。事故の後長い昏睡から目を覚ました主人公が一瞬先に起きる悲劇的出来事を脳裏に浮かべ事件を察知する。おそらく、トムクルーズ「マイノリティリポート」にも影響を与えている作品だ。

その作品のように、この映画は超能力的予知能力を示す物語になるのかと映画を観ていて思う。ところが、予言だけに焦点があてられるわけではない。脚本が映画を観ている誰もが催眠術にかけられた状態にするように巧みに導く。


色々と起きる事件に関して、ある人物が圧倒的に怪しいとする展開に持っていく。そこで自分はある結末を予想する。でも、逆転に次ぐ逆転が起きる。いつもながらの韓国サスペンススリラーの展開の見事さに黙って身を任せたい


終わって振り返ると、奥が深いきれいに伏線を仕掛け、こういうことだったんだと結論に導く。監督脚本のソ・ユミンの手腕に感心する。美人女優ソ・イェジにスキャンダルが起きて、2021年4月韓国公開にあたり、あたふたしたようだ。日本公開に持ち込めたことを喜びたい。
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映画「アフターヤン」 コゴナダ&コリンファレル

2022-10-23 06:51:11 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「アフターヤン」を映画館で観てきました。


映画「アフターヤン」は近未来の時代設定で、AIロボットのベビーシッターをめぐる家族の物語。中米の美しい街コロンバスを舞台にした映画「コロンバス」コゴナダが監督コリンファレルがロボットヤンのご主人様である。手塚治虫の「火の鳥」に出てくるロボットのような人間とほぼ変わらない家庭用ロボットに焦点をあてる。でもむずかしい映画ではない。

茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)、妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかしロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)が突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。


修理の手段を模索するジェイクは、ヤンの体内に一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かなまなざし、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた。(作品情報 引用)


しっとりとした肌合いをもつ映画だ。
AI、近未来という設定に一瞬尻込みしそうになる。でも、そういった要素はほとんどない。時代の進歩を感じさせるのはロボット以外になく、家のインテリアから感じられる生活感は現代そのものに近い。

家族同様に暮らしていたロボットが故障すること自体が一種の喪失で、突然誰かが蒸発するパターンが多い村上春樹の小説のような展開だ。激しくこちらの末梢神経を刺激する場面はない。白人の夫、アフリカ系の妻、中国人の養女という構成は最近の多様性を強調する映画のしばりが強いものと感じる。

⒈小津安二郎のファンのコゴナダ監督
コゴナダ監督の前作では、たぶん一生行くことはないだろう美しいコロンバスの街のモダン建築を中心とした美しい映像で目の保養になった。コゴナダ監督は小津安二郎監督を敬愛しているという。小津の影響が強いのは、この映画の映像を見れば一目瞭然である。

白人の夫とアフリカ系の妻の会話を、小津作品得意の「切り返しショット」で映し出す。その手法が映画で何度も繰り返される。しかも、ほぼ真正面でそれぞれの人物を映すショットも一緒だ。

あとは、誰もいない部屋の内部空間を映すショット小津安二郎監督作品ではよく見られる。自分の好きなカラー作品「浮草」は大映作品で名カメラマン宮川一夫が、小津流で撮る。その時のいくつかのショットにアナロジーを感じる。決してパクりではない。これはこれで悪くない。


⒉秀逸な音楽とインテリア
小津安二郎流で映し出す主人公の家のショットが映えるのも内部のインテリアのセンスの良さが際立っているからだ。前作でもコロンバスのモダン建築に焦点を当てたコゴナダ監督は建築に造詣があるのではないか?コゴナダはコリア系だが、ここで映し出されるインテリアはアジアンというよりジャパニーズテイストと言っていい。和風の障子を多用したり、内部造作の木の使い方に日本のテイストを入れているので、親しみが持てる。外部の緑を強調した樹木の見せ方もうまい。


そんな美しい映像のバックで流れる音楽のセンスが抜群にいい。坂本龍一のテーマ曲は別として、音楽担当Aska Matsumiya 優しいピアノ基調の音楽に快適な気分を感じる。映像の基調は解像度が高いものではなく、薄暗いテイストだ。紆余曲折あるストーリーの強弱で魅せる映画ではない。やわらかいストーリーとともにしっとり快適な時間を過ごせる。
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映画「七人樂隊」

2022-10-22 10:41:20 | 映画(アジア)
映画「七人樂隊」を映画館で観てきました。

映画「七人樂隊」は香港の7人の映画監督が時代の片隅に埋もれているショートストーリーを描いた作品である。アクション映画の巨匠ジョニートーが全体をまとめる。1時間50分で7作なので、1本あたりは短い。1950年代から現代まで追っていく。短い短編小説を読んでいる感覚だ。香港好きの自分としては、非常に親しみの持てる作品が続く。7本もあると、何をどう書いて良いのか迷う。

1作目は50年代の中国のアクロバットな舞踏団のきびしい稽古、練習をサボると罰を受けて延々と逆立ちをやらされる話、


2作目は恩師だった校長先生と旧交を温めるときにやさしかった若くして亡くなった美人教師をしのぶ話、3作目は付き合っていた高校生のカップルが、女の子の家族が海外に移住する別れの前に自分たちの将来がないことで葛藤する話、


4作目は海外に移住した息子の娘が一時帰国して、むかしカンフーの達人だった祖父と孫娘がチグハグな交情を交わす話

この辺りまでが香港返還くらいまでの時期である。ビル群の上を飛行機が飛び交う啓徳空港がまだあったころの時代背景だ。猥雑な部分とコロニアル文化が混じった自分が大好きな90年代の香港だ。物価も安い上に円高でいい買い物ができた。2〜4作で出ている女性がみんなかわいい。特に2作目の美人教師がやさしそうで素敵だ。香港人好みの若手美人女優を集めた。


1作目では体操の選手を一斉に集めたようなバク転連発の曲芸のようなパフォーマンスがいかにも香港的、3作目で山口百恵のコスモスの中国語版が流れる。香港でも流行ったのかな?出演者のヘアルックスはいかにも80年代後半頃だ。4作目のハンバーガーを食べる孫娘と彼女のために蒸し魚を作ってあげるカンフーの達人とのアンバランスさがおもしろく見れる。自分はやっぱり広東料理の蒸し魚の方がいい。


1997年のチャールズ皇太子(現国王)が参列した香港返還のセレモニーがつい昨日のような気がしてくる。

5作目はマネーゲームに関心を持った男女3人が、株や不動産の価格の上げ下げを感じながらもゲームに加われずうまくのれない話、6作目は久々に海外から香港に帰郷した男が、以前あった場所に同じ建物がなく右往左往してしまう話、最後は精神病院の入院患者のやりとりだけど意味がよくわからなかった。


5作目で、株を買おうとしたら気がつくと株価があっという間に高騰していて買えず、どんどん上がっていた後で急落してあたふたする光景は株を買う人は誰もが経験するパターン、その後SARSでどんどん不動産の売り物がでて、叩き売りになった時に誰も買わないシーンもある。結局その時点から比較して今は8倍になっている皮肉の話だ。なかなかうまくいかないことをコメディタッチにしておもしろい。ジョニートーの作品だ。「奪命金」という相場に関わる人たちを描いた作品を思い出す。


6作目で名優サイモンヤムが演じる初老の男が、香港中環(セントラル)でフェリー乗り場の移転に戸惑い、以前建てた建物がなくあたふたする話を見て、しばらく行けていない香港に自分が行った時に大丈夫なんだろうか?とふと感じてしまう。自分の好きなジョニートー「スリ」で香港の街で悠々とスリをする姿を見せるサイモンヤムとは正反対なので思わず吹き出す。


あたふたしているうちに主人公が交通事故に遭ってしまう話と仲本工事の事件が妙にダブる。この作品をつくったリンゴラムは亡くなってしまう。
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映画「ドライビング・バニー」

2022-10-22 10:27:08 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「ドライビング・バニー」を映画館で観てきました。


映画「ドライビングバニー」はニュージーランド映画、夫殺しで服役したあと出所して窓拭きなどでギリギリの生活をしている女が大胆な行動に踏み出す物語である。「ラストナイトインソーホー」トーマシン・マッケンジーが出演している。

バニー(エシー・デイヴィス)は渋滞している車の窓拭き掃除のチップで生計を立てている女、刑務所暮らしから出所して妹の家に居候している。実娘と別れ別れになり、ときおり面会できるが短時間で一緒に暮らせる日を楽しみにしている。


バニーがある時ガレージで妹の主人が妹の連れ子トーニャ(トーマシン・マッケンジー)に言い寄っている姿を見つけ、妹の主人に食ってかかり追い出される。そのあと、バニーはトーニャを連れて妹の家のクルマに乗って娘の誕生日を祝うために飛び出してしまうのであるが。

あまり面白くなかった。
まずはこの主人公に感情移入することができない。犯罪者にありがちで常に嘘をつく、繕っても隠しきれずバレる。それの繰り返し、娘への愛情を見せても自業自得と思わせるだけ。規範逸脱になっても仕方ないと思わせる部分があっても、ラストへの籠城場面に関してもまったく同情できない。
ロッテントマトで100%と聞き、ただただ呆れるしかない。意味不明??せっかくのマッケンジーちゃんの登場もねえ。
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映画「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」ロザムンドパイク

2022-10-16 07:09:22 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「キュリー夫人」を映画館で観てきました。


映画「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」ノーベル賞を2度受賞した科学者マリキュリーの物語だ。小学生時代に子ども向けの伝記でキュリー夫人の物語を読んだことがある。最近はどうかわからないが、自分と同世代だった子どもたちは皆同じであろう。そんなキュリー夫人をロザムンド・パイクが演じているという情報を得た。「ゴーンガール」「パーフェクトケア」と自分には相性のいい女優である。

観に行こうとしたら、都内の上映館は立川だけ。まいったなあ!それでも気合いで映画館に向かう。会場内には自分より年上の老人が目だった。みんな子どもの頃にキュリー夫人の伝記を読んだクチだろう。ただ、子どもの偉人伝とは少し違う

ポーランドで育ったマリ・スクウォドフスカ(ロザムンドパイク)は才能を認められてパリのソルボンヌ大学で学ぶが、女性は彼女1人だけだった。ピエール・キュリー(サム・ライリー)の研究室を使うことになったマリはピエールと共に、ラジウムとポロニウムの2つの元素を発見して、放射能研究を進める。その功績で夫婦連名でノーベル物理学賞を受賞し、夫ピエールキュリーはソルボンヌ大学教授に昇進する。その後、夫は馬車の事故で不慮の死を遂げ失意のどん底に落ちる。それでも研究に打ち込んだマリは単独で2度目のノーベル化学賞を受賞する。

偉人キュリー夫人の意外な一面を観て驚く
そのむかし誰もがキュリー夫人の伝記を読んだ。そこで書かれているのは、自分が上記で書いた要旨であろう。ノーベル賞を2回受賞したこと、夫が馬車の事故で亡くなったことだけは記憶にある。ところが、そこに抜けていることがあった。

キュリー夫人が少数派だった女性科学者として、男性主体の権威への対抗心が強いこと。非常に性格的に激しい人で、傲慢でへそ曲がりであったこと。夫が亡くなったあと、研究者の同僚ポール・ランジュバン不倫に陥り、パリ中からパッシングを受けたことなどを知っている人は少ないであろう。この映画はロザムンドパイクの一人舞台に近い。キュリーは性格的にはイヤな女である。彼女が演じているというだけで一定以上の映画の水準は確保されている。適役だと思う。


⒈放射能研究の発展について
キュリー夫人の人生を振り返ると同時に、研究の成果として、がんの放射線治療、広島で投下された原子爆弾の話、米国内での原子爆弾投下の実験で破壊される場面やソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故などの映像が挿入される。

映画のセリフによると、ピエールは放射能の研究を他の人が応用することに寛容だったようだ。応用範囲は広い。ピエールは馬車の事故で亡くなった訳だが、死ぬ前から 血を吐いたり咳をしたり結核にかかっているように見受けられる。放射能の影響もあるのであろう。マリも咳をする場面が目立つ。

第一次世界大戦の時、マリは戦争で負傷した兵士が最も簡単に腕や足を失うのを知った。放射線の活用で切断するまでは悪化していないことを判断できると、レントゲンのような機械を導入せよと当局にくってかかる場面がある。そのために金の足しにとノーベル賞の純金のメダルまで差し出す。勇気ある立派な行動だ。


⒉不倫と家族
ピエールのソルボンヌ大学での助手ポール・ランジュバンについて、予備知識はなかった。調べると、物理学でかなり功績があるという。ランジュパン方程式というブラウン運動に関する確率微分方程式は見たことがある。キュリー夫妻の研究に協力してきた訳だが、ピエールの死去に落胆するマリと一気に接近してしまう。

キュリーの家に居ずっぱりで家には帰らないので、ポールの妻が心配する様子やゴシップが報道されてパリの街で後ろ指を指される姿が映画で描かれる。キュリー夫人は全く悪気がない。もっとも性的にもっとも熟している時期だったのは間違いない。周囲にゴシップが流れた直後に2回目のノーベル賞を、今度は2つの元素を発見したことによる化学賞で受賞する。それでもパリのマスコミ受けが悪かったようだ。

娘のイレーヌをアニャ・テイラー=ジョイが演じる。Netflixの「クイーンズギャンピット」や昨年の「ラストナイトインソーホー」にも出演している。両作品とも大好きだ。ただ、キュリー夫人の映画が2019年製作で先の作品だ。優秀な遺伝子は受け継がれるもので、娘イレーヌも夫婦でノーベル賞を受賞している。娘の婚約者が母親マリに結婚の許しを得ようと訪ねて尋問されるシーンもある。


マリキュリーはポーランド生まれとはいえ、フランスでの生活を描いているので英語のセリフに違和感を持ったが、どうも彼女の人生はフランスの国と相性がイマイチだった感じである。英国の俳優によりキュリー夫人が描かれるのもそういう根深い何かがありそうだ。
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映画「声 姿なき犯罪者」

2022-10-15 18:11:26 | 映画(韓国映画)
韓国映画「声 姿なき犯罪者」を映画館で観てきました。


映画「声 姿なき犯罪者」振り込め詐欺を題材にした韓国映画だ。韓国では年間7000億ウォン(約700億円)の振り込め詐欺被害があるという。ある意味社会問題になっているようだが、その巧妙な手口を題材にする。自分の妻が一瞬にして振り込め詐欺の被害者となってしまった元刑事が組織に潜入してカネを取り戻そうとする。

これはムチャムチャおもしろい。
日本でも振り込め詐欺が映画の題材になることもあるが、これほどの組織化した手法ではない。韓国の詐欺組織がコールセンターを中国瀋陽に設けてシステマティックに犯罪を繰り返す。集団で役割分担しながら、カネをせしめる。日本の犯罪グループには見せたくない映画けど、逆に堅気の人は必見だ。


⒈元刑事の妻が引っかかる
釜山建設現場で働くソジュンが、現場で作業員の転落事故に遭遇する。その際、ソジュンの妻のところに弁護士から電話が行く。現場で作業員が転落して、ご主人が警察に逮捕されている。今だったら示談で済ます方法があるので口座に入金してくれという電話だ。妻はまず夫に電話するが通じない。とっさにネットBKから指定の口座に入金する。

詐欺組織側は入金されたお金をいくつかの口座に振り替えて、お金をおろす係がバイクに分乗してBKで次々とキャッシュを下ろしていく。そのうちに、妻は夫と連絡がとれる。警察にいるわけでないのがわかり、慌ててBKに向かう。すでに口座のお金は出金されている。失意の妻は交通事故に遭ってしまう。

これだけではなかった。建設現場で働いている従業員の個人情報が抜き取られて給与未配の事態が出てくる。この建設現場には、振り込め詐欺グループの手下がいて密かに事件を仕組んでいた。しかも、事故が起きた段階に現場付近で通信障害が起きるようにして、当事者が外部と連絡取れないようにしてしまうのだ。


手際の良い手口をいきなり観て、思わずうなってしまう。こんなやり方は聞いたことない。おそらく、こんな感じで巧妙な手口が次から次に生み出されているのであろう。詐欺組織には新しい手口を考える企画チームもいるのだ。実際にそういう連中がいるのであろう。

⒉名門企業の合格者へのアプローチ
韓国は日本以上の格差社会で、良い大学を出て超名門企業に入ることに躍起になる。詐欺組織は高いお金を出して、名門企業のリクルートで最終面接までいった学生のリストを入手する。彼らは学費の高い大学を卒業するために、教育ローンを借入していることが多い。そこに目をつける。

保証会社のふりをした電話では最終面接合格したと学生に伝える。ただ、教育ローンを借入していると、信用調査で不利益を被る可能性がある。そこでそれを返済したことにするためにお金を振り込んでくれというわけだ。


引っかかる、引っかかる。韓国の大学の学費が高いのかどうかは知らないが、教育ローンを借りている学生は多いんだろうなあ。

2つの例を出したが、生活苦にあえぐ人たちがまるでドラマ「イカゲーム」のように詐欺組織で働かざるをえないこともあるだろう。念入りに振り込め詐欺の実態を取材した気配は感じられる。元刑事が詐欺組織に潜入してからのアクションを楽しむというより、こんな悪知恵ってあるのかを観るための映画だった。
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映画「千夜、一夜」田中裕子&尾野真千子

2022-10-12 18:41:08 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「千夜、一夜」を映画館で観てきました。


映画「千夜一夜」田中裕子主演の失踪した夫を30年間待つ妻の物語である。若き独身の日から田中裕子の作品には注目していて、今回も早々に映画館に向かう。同じように失踪した夫を待つ看護師の妻尾野真千子、田中裕子に昔から想いを寄せる男にダンカン、その母親を名優白石加代子が演じる。ドキュメンタリー映画出身の久保田直がメガホンをもつ。

心地よく心に響くいい映画である。
話を急がずゆっくりテンポは進む。でも緩慢という訳でない。佐渡の古びた海辺の町と海を映すアングルがよく、塩の匂いが感じられる映像がもつ独特のムードがいい。


平坦に進むと思いきや、途中で軽い起伏を与えて、どうなっていくんだろうと思わせる。佐渡は拉致被害者曽我ひとみさんが連れ去られた場所、2人の失踪にも拉致が絡まると推定される話の展開だ。田中裕子は好演、脇にまわった尾野真千子もいい。怪演でいつもハラハラさせる白石加代子はさすがの貫禄だ。

舞台は佐渡から海を見渡す町、若松登美子(田中裕子)は30年前に失踪した夫が戻ってくるのを待っていた。その登美子に想いを寄せる漁師の春男(ダンカン)が求愛して、周囲からも一緒になることを勧められるが、まだ夫を待っているからと応じない。そんな登美子の前に、2年前に夫が失踪した奈美(尾野真千子)が話を聞きに訪れる。登美子は奈美の夫が行方不明になった痕跡を追いかけるため聞き込みをして協力する。奈美は登美子の執着心をみて自分にはできないと、同僚の求愛を受けようと思っていた。そんな時にハプニングが起きる。


⒈田中裕子(若松登美子)
海辺の海産物工場でイカを捌く仕事をしている。遠洋漁業の船乗りだった夫が27歳の時、帰港したのちに行方不明になる。町で行方不明者のビラを配ったりして30年間懸命に探してきた。地元の同年代の漁師から何度も求愛されても、「まだ結婚している」と拒絶する。周囲がお節介をやいて、本人だけでなく同僚や漁師の母親、町の有力者などから何度も説得されても首をふらない。夫とのやりとりの音が流れる古いカセットテープを繰り返し聴いている。


不審船が漂着して、中に朝鮮人が乗っていた。すると、捕まった男のいる病院にまで、夫を探すチラシを持って無理やり押し入っていく。この男を知らないかと写真を見せる。この辺りの血相を変えた演技の迫力がすごい。


⒉尾野真千子(奈美)
在日3世で今は帰化して病院の看護師だ。理科の教員だった夫が2年前に失踪した。いつも相談している人の紹介で登美子に会いにいく。登美子の執着心に自分にはできないと圧倒される。勤務先の病院に不審船に乗船していた朝鮮人が入院していて、自分の夫が身近なところにいたかと聞く登美子に圧倒されて自分が夫をじっと待つのは無理と思ってしまう。

そんな時にハプニングが起きる。

⒊ハプニングと次の展開の予想
登美子(田中裕子)は奈美から事情を聞くだけでなく、むかし夫と一緒だった同僚にどんな仕事ぶりだったかなどをヒアリングして報告書にまとめた。奈美はそれを見ながら、別の人と暮らす道を選ぼうとした。登美子が用事で本土に向かった時に、街で偶然夫の姿を見かける。報告書にまとめるため、何度も写真を見ていたから初見でもわかったのだ。

ここからどうなるか?思わず身を乗り出す。
登美子は奈美に会わせようと佐渡へ引っ張っていく。謎めいているわけでないが、ストーリーの先行きが気になる。行方不明の人が突然出てきてという設定はたまに観る。でも、今回のような場面の既視感はなかった。そこから先、もう一歩意外な展開に向かう。不思議な情感を感じた。


⒋田中裕子の映画
自分が大学生の頃、田中裕子の人気がピークを迎える。TVドラマ「想い出づくり」で、結婚適齢期の女性3人の彷徨いを自分と同世代の森昌子と古手川祐子と演じていてずっと見ていた。この辺りから田中裕子を追うようになる。「おしん」は時間的に見れないので、記憶にうすい。昭和から平成にかけて数多くの主演作品を演じた。


映画では、松本清張原作「天城越え」高倉健との共演「夜叉」田中裕子が素敵だ。ここでの妖艶な姿には、ジュリーが妻子を置いて家を飛び出しただけの魅力がある。ただ、ジュリーと結婚した後の田中裕子の記憶は薄くなっていく。

ところが、2005年の「いつか読書する日」を観て呆然とし感動した。あの妖艶で魅力的な田中裕子表情のない無機質な女を演じる。この顔つきに驚く。また、長崎が舞台のこの映画では極めて動的にふるまう傑作である。自分的には数多く観た日本映画で10本に入るすごい映画だとおもっている。自分にとっての田中裕子の存在感が変わった。


その後も「共喰い」「ひとよ」で存在感を示して、高倉健の遺作「あなたへ」で夫婦役を演じた。年老いた田中裕子には若き日の妖艶な魅力はない。どこにでもいるような女性だ。でも、妙に追いかけたくなる存在だ。ラストの海岸でのシーンを観ながらこの映画でも不思議なな感慨を覚えた。
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映画「さかなのこ」 のん

2022-10-11 20:44:47 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「さかなのこ」を映画館で観てきました。


映画「さかなのこ」はのん主演で人気者魚博士のさかなクンの人生を振り返っていく作品である。予告編から気になっていたが、ついつい後回しになってしまった。子ども連れが多く、公開1ヶ月経ったにもかかわらず思いのほか満席に近いので驚く。

のんの天真爛漫なキャラクターが何よりすばらしい。
娯楽として十分楽しめる作品となっている。前半戦で、魚好きの8歳のミー坊が自由奔放に動きまわった後、高校生になったミー坊が不良グループと混じり合いながら成長していく。でも、魚と関係ある就職先に勤めたあとは転々と職になじめない話が続く。


前半戦の軽快さに比べると、後半戦の逸話は多いけどチグハグでそれぞれのシーンが尻切れトンボな印象を受ける。幼なじみとの同居生活や不自然な会食シーンなどの一部には不要なシーンもあるのでは?と感じる。もう少し縮めることはできるかもしれない。

⒈のん
高校に学ランを着て通う。いかにも田舎のツッパリって感じの不良グループが出てきて、天真爛漫で空気がまったく読めないミー坊は何が起ころうと気にしない。釣った魚をしめるシーンは練習したのであろう。ほかの不良グループとのケンカ話はまさにギャグ。コメディ要素が強くて楽しい。学ランが似合うのんがすばらしい。


のん「あまちゃん」で全国区の人気者になった後、芸能プロダクションから個人事務所を作って独立しようとして相当な反発を受けたようだ。自分で動いた訳ではないだろう。この辺りの事情はむずかしいねえ。


⒉さかなくんの登場と幼少時のミー坊
8歳のミー坊を演じた子役の西村瑞季がいい。最近観た「こちらあみ子」あみ子にかなり共通する周囲が見えないで自分勝手な女の子だけど、無邪気でかわいいのは2作とも共通する。学校からも呆れられるが、ミー坊をかばうのが井川遙演じるお母さんである。かなりいい感じだ。ただ、海辺の田舎町が舞台だけど、井川遙が帽子をかぶって出てくるとセレブの香りがする。


帰り道でハコフグの帽子をかぶった変なおじさんに遭遇する。いつも逃げていたが、好奇心でついて行く。これがさかなクン自ら演じるギョギョおじさんだ。家に行ったら、たくさんのお魚が泳いでいる水槽やさかなグッズがある。お母さんから日が暮れるまでに帰ってきてねと言われたのに気がつくと夜の9時でお父さんが警察を連れてくるなんてオチだ。原作にないらしいが、さかなクンは出演してよかった。

子どものころのミー坊が学校の上下校にいつも「魚介の図鑑」を持参している。これを観て、思わずジーンときた。自分も小学校低学年の頃、小学館の「魚介の図鑑」を読み込んだ時期があった。いちばん好きなのはサメのページだ。映画のさかなクンの水槽にもネコサメがいた。当時江の島に別宅があり、江の島水族館によく行った。そこでサメを見たあと図鑑と睨めっこしたものだ。当然学校の勉強は何もしていないので成績は良くない。それでも時刻表や歴史の図鑑ともども毎日見るのが楽しかったいい時代だ。


⒊子ども向き?
沖田修一監督作品では「モヒカン故郷に帰る」が好きだ。この映画も海辺の町を舞台にしているので共通する。子どもや高校生の使い方が上手く、目線を落としてギャグの要素も加えるところがいい。


最初家族4人で住んでいた家から、高校生の時には母娘一緒に住む賃貸住宅と思しき場所に移る。その時点で、アレ?別居したのかな?と思うけど、特に言及しない。最後に向けて、家族に関するセリフが出てくるが、井川遙がはぐらかす。これって子供を意識して離婚などの類のセリフをあえて言わせないのかな?

後半戦に向けては、説明が足りない印象を持つ。もっと子どもの視線も気にするべきでは?意識的に大人の理解度に合わせているとしたら、カッコつけすぎかもしれない。
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映画「赤線の灯は消えず」 京マチ子

2022-10-11 08:22:38 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「赤線の灯は消えず」を名画座で観てきました。


映画「赤線の灯は消えず」は1958年(昭和33年)の京マチ子主演の大映映画だ。「偽れる盛装」での堂々たる貫禄に圧倒されて名画座の大映女優特集を続けて観てしまう。1958年3月末に売春防止法が施行されてまもない時の公開である。DVDもなく今回初めて観る作品で、Wikipediaにも記載がない。

吉原の赤線にいた信子(京マチ子)が故郷にも出戻れず、東京で何度も職に就いても赤線にいたというだけで差別される話の主旨だ。ストーリーが進むにつれて、以前観た原知佐子主演「女ばかりの夜」に似ていることに気づく。もっとも、「女ばかりの夜」の方が1961年公開で、むしろ「赤線の灯は消えず」の後でできた作品だ。両方とも赤線出身者の世話をする婦人相談所をクローズアップする。

いくつも逸話があり、これでもかというくらい京マチ子が窮地に陥る。赤線出身者というだけで差別されるのだ。京マチ子にまとわりつくチンピラに根上淳、一緒の店にいた若い元娼婦に野添ひとみ、その恋人に船越英二といったあたりがメジャーな共演者だ。浪花千栄子がいつもながらの芸達者ぶりで笑いを誘う。上流「京女」のイメージだった若き日の市田ひろみ関西弁を駆使して元娼婦の役を演じるのもビックリだ。

赤線廃止後まもない吉原の建物などを映した貴重な映像もある。時流に合わせて急いでつくったと思しき、普通の映画である。京マチ子「偽れる盛装」ほどの迫力はない。溝口健二監督の「赤線地帯」はまだ赤線が現役だった時の娼婦たちの悲運を描いていた。ここでは、赤線廃止で職を失った女たちが、仕事に就いても元の素性がばれて職の上司に言い寄られたり、差別も受けるし、チンピラに絡まれたりで八方塞がりになる気の毒な話だ。もともとの売春生活に戻らざるを得なくなる。


京マチ子が元の同僚に女中のあてがあると言われて根上淳演じるチンピラのところに行くと、それは罠で一緒に組んで売春をやらないかと誘われる。当然断って婦人相談所に行く。でも、斡旋された玩具工場では工場主に無理やり誘惑されるところを奥さんに見つかると、こいつは元赤線出身者で女の方から誘ってきたと言われる。これと同じような話が「女ばかりの夜」にもあったなあ。何でもかんでも悪く解釈されることの連続だ。

売春防止法で女性が解放されたという大義名分がある一方で、10万人以上の大量の失業者が出たという。半分が故郷に帰り、結婚する人もいたというが、暴力団も絡む闇売春が増えたのであろう。法律ができたおかげで放り出された女性が大勢いて、むしろその方が悲劇というのが映画で言いたかったのかもしれない。


この時代、女性にとっては、大正から昭和の初頭に生まれた大半の男たちが戦争にとられて適齢の結婚相手の絶対数が減り、苦労したはずである。そんな悲しい昭和史はこういう映画を観るとよくわかる。
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映画「偽れる盛装」 京マチ子&吉村公三郎

2022-10-09 17:56:00 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「偽れる盛装」を名画座で観てきました。

映画「偽れる盛装」は1951年(昭和26年)の京マチ子主演の大映映画で吉村公三郎監督新藤兼人脚本の作品だ。1951年のキネマ旬報ベストテンでは小津安二郎「麦秋」、成瀬巳喜男「めし」に引き続く3位となっている。4位の木下恵介「カルメン故郷に帰る」や5位の今井正「どっこい生きている」といった名作よりも上の順位だ。これまで観る機会がなく初見である。

京都を舞台にして京マチ子演じる芸妓の打算的な生き方を描いている。フィルム上映で状態はかなり粗いが、当時の京都祇園の花柳界の裏側も映し出す貴重な映像だ。

お茶屋島原屋の看板芸妓君蝶(京マチ子)は金ズル男を渡り歩く打算的な女だ。その一方でお茶屋の女将きく(滝花久子)はむかし世話になった染物屋が傾き息子(河津清三郎)が金の無心に来ると、家を抵当に入れて金を用意するお人好しで君蝶に呆れられる。妹の妙子(藤田泰子)は市役所勤めで同僚の孝次(小林桂樹)と結婚しようとしているが、孝次は同業の菊亭の養子で女将で養母の千代(村田知栄子)は格式が違うと結婚に大反対だ。これらの話を基調にして、祇園の花柳界を取り巻く浮き沈みを描く。

見応えのある映画だ。
確かに白黒の粗いフィルムの映像は現代の進化した映画技術と比較すると古さを感じる。題材となる花柳界の話も数々の映画で取り上げられている。しかし、戦後5年経った京都の町中を映し出し、祇園のお茶屋通りや現役の舞妓や芸妓が着物で着飾る姿を観ると風情を感じる。ともかく、撮影当時26歳だった京マチ子の存在感におそれいる。周囲との関西弁(京都弁?)の掛け合いもテンポ良く、思わず唸ってしまう。

⒈京マチ子の凄み
京マチ子の大映時代の作品はこのブログでもかなり取り上げている。ただ、OSKから映画界に移って長くはない昭和26年にここまでのレベルに達しているのがすごい。黒澤明監督「羅生門」は前年の作品である。ある意味イヤな女だ。金の亡者のような場面を何度も映す。「金の切れ目が縁の切れ目」とばかりに、未練たらたら縁を切りたくない男を平気な顔をして捨てる。お茶屋の家計が苦しくなると、身体を張って金のある男にまとわりつく。

女の情念、嫉妬といった部分を目の表情で見せる。相手を蔑んだ目をここまで非情に見せる女優は現代ではいない。古い映画を観る価値は、その女優の最高の演技をした場面を堪能できることにある。「偽れる盛装」では後年の京マチ子作品以上に凄みを感じる。


⒉吉村公三郎と新藤兼人
戦後間もなく「安城家の舞踏会」「わが生涯の輝ける日」をこのコンビでヒットさせた。その後失敗作もあり、2人は松竹を抜けて近代映画協会を設立してその後活動する。もともと松竹時代に「偽れる盛装」を別の題名で持ち込んでダメで、最終的にようやく大映に配給で決まったという。でも、そのおかげで結果的に京マチ子が起用できて正解だった。

吉村公三郎京都で子どもの頃育ったようで、よく熟知していると見受けられる。後年の「夜の河」でも山本富士子を起用して、京都を舞台にした。もともと銀座が舞台の「夜の蝶」でも人気クラブのママに京マチ子を配置し、一方で京都出身で銀座に進出したライバル山本富士子を起用する。いずれにせよ、夜の世界には熟知しているのであろう。


ただ、量産体制のせいか新藤兼人の脚本には突っ込みどころも多い。明治女の義理堅さを言いたかったにせよ、お茶屋の女将がこんなに簡単に家を抵当に入れるのを承諾するかな?しかも、担保に入れてすぐさま、返済期限が迫ってくるというのもちょっと変かな?という気もする。新藤の他の作品でもビジネス系のセリフに違和感を感じることがある。ラストに向けて、京マチ子が男に追われる場面も、普通であれば周囲に男が取り押さえられても良さそうだ。そんな欠点をすべて京マチ子の迫力でカバーする。

⒊名優のルーツ
登場人物に名優が揃う。金廻りが悪くなって縁を切られる商店主が殿山泰司で、近代映画協会の仲間だ。後年よりさすがに髪の量が多い。妹役の藤田泰子の恋人役が小林桂樹だ。もう10年くらい経ってからの東宝時代とイメージが違い若い。映画を観ながら驚く。まだまだ未熟者という感じで、京マチ子から往復ピンタをくらう。大映で小林桂樹を観たのは記憶にない。

妹役の藤田泰子はなかなかの美人女優で現代的な顔をしている。この後引退するが、履歴を見るとキョウドー東京の社長夫人に収まったとのことだ。


お偉いさん役が多かった河津清三郎は落ちぶれていく商家の息子役で、いつもよりみじめったらしい感じだ。京マチ子のスポンサーには進藤英太郎菅井一郎などが登場する。昭和40年代まで両者ともTVドラマの常連だった。進藤英太郎といえば「おやじ太鼓」の頑固おやじが脳裏に残る。溝口健二監督と相性が良かった。ここでは京マチ子の前で鼻の下を伸ばすスポンサーだ。

今月末久々に神楽坂で御座敷だ。この映画を観て待ち遠しくなった。
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映画「アメリカから来た少女」

2022-10-08 19:32:35 | 映画(アジア)
台湾映画「アメリカから来た少女」を映画館で観てきました。


映画「アメリカから来た少女」は台湾映画、母娘3人でアメリカから台湾に帰国した13歳の少女が母国の学校生活に慣れずに戸惑う生活を描いている。韓国映画はちどりが好きな人はこの映画を気にいるかもしれないというコメントを見て気になり早速映画館に向かう。主人公と同じような境遇でアメリカで育った女性監督ロアン・フォンイーがメガホンを持ち、台湾映画界の各種映画賞を受賞したようだ。

2003年冬、母と妹とロサンゼルスで暮らしていた13歳のファンイー(ケイトリン・ファン)は、母(カリーナ・ラム)が乳がんになったため、3人で台湾に戻ってきて父と暮らす。台北の中学に通い始めたファンイーは、アメリカとは違う学校生活になかなか馴染めない。母に対しファンイーは反抗的な態度を取り続ける。親子の溝が広がっていく話である。


流れているムードは静かである。
比較的平坦な映画である。細かい逸話をいくつも重ねていくが、起伏は小さい。ちょうどSARSが流行した時期で、ストーリーに少しだけ織り交ぜる。自由なアメリカでの学校生活に比較すると、規則でがんじがらめになり戸惑う少女の心の動きと周囲から冷たい目で見られる姿を描く。病気で苦悩する母親は女のイヤな部分をここぞとばかり見せつけるので、自分はちょっと苦手。女性の方が気持ちが同化しやすいかもしれない。

「はちどり」は主人公の他に、漢文塾の先生という魅力的な女性を登場させたので傑作というべきレベルになった。オーディションで選ばれたケイトリン・ファンの演技はすばらしいが、映画としては「はちどり」と比べるとちょっと弱い。


⒈台湾の学校生活と意外な側面
アメリカではAの数が多いので、主人公ファンイーはいわゆる台北の名門校に編入できた。幼なじみとも仲良くなれた。でも、校則で髪を切らねばならずガッカリ、漢文の授業は苦手だ。しかも、母親の精神状態が不安定で家庭内がバラバラだ。とても勉強できるムードにない。成績もわるい。ここで、漢文の授業で点数が発表されて成績のわるい人は立てと言われるが、ファンイーは立たない。そこで女教師に体罰を受ける。この時代でもまだ残っていたのかと驚く。

さすがに大人扱いを受けた自分の高校では体罰はなかったが、昭和40年代半ば過ぎだった公立中学時代は、当然の如く体罰の嵐だった。別に部活動ではない。課題の出来が悪いだけで、美術の教師はお尻を竹刀で叩いたし、英語の教師も小さな棒で叩いていた。体育の教師は生徒をしょっちゅう殴っていた。当然その当時の教員は体育の教員を除き戦前派で軍隊こそ行くかどうかの境目くらいで、旧制中学くらいまで行っていた。戦前の体罰は自分の時代よりもひどかっただろう。

台湾は戦前は日本が統治していた訳で、この体罰の習慣も日本人教師が持ち込んだのであろう。映画の学校の保護者会の場面で体罰を肯定する発言が親から出ていたのには驚く。
今はどうなっているのであろうか。


⒉旧式のインターネットとSARS
2003年ってついこの間のような気もするが、はや19年経つ。ネット時代に入っているが、携帯電話も旧式だし、インターネットは電話回線で立ち上がりに時間がかかる。それでも、ファンイーは一人でネットカフェに入り、台湾の学校生活は不自由だとアメリカの親友にメールして愚痴をこぼす。母との衝突をブログ記事にして、学校の先生にもバレてしまう。

自分もSARSのおかげで毎年のように遊びに行っていた香港に行けなかった。ここでは、妹に熱が出て学校行事に行けるかどうかの問題が最後のストーリーの詰めの題材になっていく。


ここでは、父親の発言が気になる。台湾だけでは商売が成り立たないので、大陸に長期出張して家を空けざるを得ない。そもそも、そういう事情で母親と娘2人がアメリカに行ったのだ。現状、台湾海峡をめぐる事情も徐々に緊迫している。台湾人は当然現状維持を望むだろうが、そうはさせないと試みる。でも、台湾のビジネス上では大陸の影響を大きく受けるというのがセリフからわかり複雑な気持ちになる。
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映画「ロマンポルノナウ2 愛してる!」

2022-10-04 19:19:02 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ロマンポルノナウ2 愛してる!」を映画館で観てきました。


映画「愛してる!」はニューロマンポルノ第二弾である。第一弾は現代若者の恋愛事情を描いた青春モノという感じだった。今度はSM系のようだ。出演者は高嶋政宏を除き誰も知らない。何で高嶋政宏がいるの?って感じもするが、変態本も書いているらしい。それはしらなかった。


プロレスラー上がりの地下アイドルの主人公ミサ(川瀬知佐子)が、顧客にプロレス技をかけてクビになる。その後素質を見込まれてSMクラブの女王様に拾われる。女王様で攻めるにはやられる側の気持ちがわからないとできないと言われて、クラブの女王カノン(鳥之海凪紗)からいじられると予想外の快感に溺れる話の展開だ。これを1人の女性カメラマンが追い、ドキュメンタリータッチで映し出す。


今まで観たことのない類の映画だ。
まず、地下アイドルなんて世界は自分が知らない世界だ。自分が知っている過去の日活系SM映画とは肌合いがちがう。往年の谷ナオミ主演映画では、上流のご婦人がはめられてSM界の悪い男の餌食になるというパターンがよく見られた。当然男性陣に縛られていたぶられる。それが逆で、いたぶられるのを快感とするのが男性だ。その男が女王に飛びつくことはない。ここでは男女の絡みがない。


女性同士で叩きあい、大人のオモチャを駆使して、快感をもたらそうとする。そこに女性特有の嫉妬を交えながらねちっこく描いている。あえて似ている作品を探すと、芳賀優里亜主演赤×ピンクが非合法格闘技にエロティックサスペンスを絡めていてテイストは同じ感じだ。「愛してる」というのは、SMプレイで痛みつけられた時に、もうこれ以上は勘弁してくれとギブアップする時に発する言葉である。


主人公川瀬知佐子は割と健康的なイメージである。元気のいいごく身近にいてもおかしくない雰囲気だ。映画自体は男女の絡みがないのに第一弾より激しさを感じる。ここでも女性陣のボディはそれほど肉感的ではない。小ぶりなバストをときおり見せる。その普通な感じは悪くないかもしれない。
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映画「アイアムまきもと」 阿部サダヲ

2022-10-02 18:24:09 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「アイアムまきもと」を映画館で観てきました。


映画「アイアムまきもと」孤独死した人の後始末をする市役所の「おみおくり係」の話を阿部サダヲ主演で描く。『舞妓Haaaan!!!』、『謝罪の王様等に続き水田伸生監督とタッグを組む。

予告編で観ているときに、これって英国映画おみおくりの作法と似ているなと気づく。原作者ウベルト・パゾリーニ監督を製作者に入れて公認でリメイクしたもののようだ。この映画はジーンと心に響くすばらしい映画だった。映画スタート前に大きく「SONY 」の文字が出ている。日本映画にしては珍しいSONY配給だ。日本だけでなく諸外国にも売り込むつもりか?韓国に比べて、外国でのセールスには弱い日本映画だけに良いことだと感じる。

市役所の「おみおくり係」の牧本(阿部サダヲ)は孤独死した人の後始末をする仕事をしている。遺留品から遺族や友人だった人を探し、遺族から拒否されても葬儀を行なうことをモットーにしている。ところが、新任の局長から本来市役所が遺体や葬儀まで関わるべきでないと、今携わっている仕事を最後に「おみおくり係」の廃止を伝えられる。

警察の担当者(松下洸平)から連絡があった最後の仕事は、牧本が住むアパートの別棟に住む蕪木(宇崎竜童)という男の孤独死の処理だった。遺留品から蕪木のこれまでの人生をたどり、元いた会社の人(松尾スズキ)、同棲していた女性(宮沢りえ)、一緒に仕事をしていた仲間(國村隼)、そして娘(満島ひかり)にたどり着くが、誰も葬儀には出席しないという。それでも牧本はあきらめない。


やっぱり泣けた。
おみおくりの作法は好きだった映画だけに、数多く観た映画でも基本的なストーリーは鮮明に覚えている。今回日本が舞台になるので日本固有の事情でアレンジしている。それがいい。うまく脚本ができている。登場人物も宮沢りえをはじめ主演級を脇役につける。


融通のきかない主人公のキャラクターは原作と一緒で、まさに堅物の公務員という感じだ。ストーリーもここは違うのかと思っても最後に合わせてくる。牧本の情熱が実ってくる中でラストを迎える。こうなるとわかっているのに、激しく涙腺が刺激されてしまった。

⒈阿部サダヲとおみおくり係
おみおくり係の部屋には引き取り手のない遺骨が部屋中に置かれている。先日観た川っペリムコリッタでも主人公松山ケンイチの父親が孤独死する設定で、市役所に遺骨が数多く保管されている部屋があった。「川っペリ」では主人公が柄本佑演じる市役所職員のところに取りにいくだけマシである。葬儀に顔を出しても遺骨は引き取らない人も多い。


阿部サダヲのおみおくり係が一人で葬儀に出ているシーンを見ながら、費用はどうするんだろうと思っていた。縁の薄い遺族に請求しても拒否される。おみおくり係が自費で葬儀をあげているセリフを聞き驚く。映画のおみおくり係はやりすぎだなと感じる。さすがにここまでやる人はいないでしょう。

オリジナルのおみおくりの作法の主演エディマーサンは地味な脇役が多い。いろんな映画で脇役ででるので、コイツ見たことあるという人も多いだろう。おそらく主演で演じることはもうないんじゃないかな。


逆に阿部サダヲは、死刑囚を演じたと思ったら、今度は律儀な公務員と本当に器用でこれからも主演作は続くだろう。その意味では対照的だが、両方とも適役だ。

⒉のどかな日本海沿岸エリア
庄内市役所という架空の市役所だけど、酒田駅が映像に映るし、山形の酒田市周辺でロケしているのはわかる。ドローンを使って、俯瞰した空からの映像を何度も見せる。のどかないい街に見える。羽越本線を上空から映し出す映像を観て萩原健一、岸惠子共演約束に出てくる日本海沿いを走る列車を連想する。

以前、部下の父親が亡くなって酒田市の葬儀に参列しようとしたら、簡単にはいけないからやめたほうがいいと言われた。確かに、東京から行くと交通の便が極めて悪く次の仕事ができないのがわかって断念した。そういう場所だ。


以前孤独死した男が同棲していた女(宮沢りえ)のところに行き、海辺で女が漁師相手に営む食堂を映すシーンがある。そこで見える岩が美しい。鉾立岩と言って新潟の村上にある。ここで岩を見ながら食べる磯料理はきっとうまいだろうなあ。


⒊公務員の最後の仕事(軽いネタバレあり)
公務員の最後の仕事といえば、黒澤明の不朽の名作「生きる」志村喬が演じた老公務員を連想する。ストーリーはまったく違うが、原作者は「生きる」を意識していたであろう。がんとわかった典型的なお役所仕事しかしない主人公が、残り少ない人生で公園をつくろうと懸命に奮闘する姿を描く。


牧本はおみおくり係最後の仕事として葬儀をあげようと懸命にがんばる。「生きる」では、志村喬演じる亡くなった公務員の通夜の席で役所の同僚が故人をしのんで回想するシーンが中心だ。牧本は重篤な病気にかかっていたわけでない。ただ、悲劇が起きる。その直後に牧本を思う周囲の気持ちの描き方がむずかしい。「ラストのラスト」原作と同じ設定でいいのであるが、いくらなんでも普通は同僚がこう処遇しないだろう。ひと工夫あってもいい気がした。

それはわかっていながらも泣けるのは、やはりこの主人公に自分が感情移入できるものがあるからであろう。
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インド映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」

2022-10-01 19:57:47 | 映画(アジア)
インド映画「スーパー30」を映画館で観てきました。


「スーパー30 」はインド映画、貧しい境遇で育った勉強好きの子を無料で教える塾の教師の物語だ。目標はインド工科大学入試合格だ。中国映画少年の君では大学受験が題材になっていて現代中国受験事情がつかめた。ゼロを発見して古代から数学に強いインドはどうなんだろう。以前観たインドの数学の天才ラマヌジャンを描いた奇跡がくれた数式はおもしろかった。興味を持って映画館に向かう。

数学に長けて、英国のケンブリッジ大学から留学を認める通知がきたアーナンド(リティク・ローシャン)なのに、渡航して暮らす就学資金を懸命に用立てようと試みたが難しく断念する。

結局、インド工科大学を目指す高額所得者層の子弟が通う予備校の経営者ラッラン(アーディティヤ・シュリーワースタウ)に拾われ、たちまちカリスマ人気講師となる。ところが、勉強好きなのに金がなく進学を断念する少年を路上で見て、無料で学べる塾を始める。恵まれない子たちを選抜で30人に絞り、インド工科大学を目指して勉強を始めるのだ。

もといた進学塾からはクレームがつき、徹底的に妨害されても運営していたが、金欠では塾の運営もうまくいかない話の展開だ。


十分楽しめた。
実話に基づいているとはいえ、オーバーな表現も目立つ。バックの音楽はうるさいくらい奏でられるので、嫌な人もいるかもしれない。しかも、インド映画だけに上映時間が長いのが気になっていた。途中でインターミッションの表示も出ていた。それでも最後まで飽きなかった

いきなり、1.618のフィボナッチ数が出てきて、数学や物理の専門的な用語も出てくるかと思ったらそうでもない。歌に踊りのインド映画の中に、「王の子どもは王じゃない。王になるのは能力のある者だ」と金言を交えて生徒たちを教育する姿を描く。ただ、90年代から2000年代にかけてのインドが、同じ時期の中国と比べてあらゆる面でここまで遅れていて非常に貧しいのは意外だった。中国に比べて市場経済導入が遅れた。社会主義経済が主軸の国の危うさだろう。

⒈制度がない
奇跡がくれた数式ラマヌジャンは有名なインドが生んだ数学の天才ラマヌジャンの物語で、ラマヌジャンの天才ぶりが認められケンブリッジ大学の教授から招聘されて英国に向かう。これって今から100年前の1914年の話である。それなのに、アーナンドは20世紀の最後の話なのに行けない。父親の年金の前借りをした上に、文部大臣が数学の賞の表彰式で渡航費用を持つと言ったことを信じていく気になっていたのがオジャンだ。

どこへ陳情に行っても行っても「制度がない」の一言だ。奨学金とかの制度がないということなのか?悲劇だ。これが今から50年くらい前ならともかくインドってやっぱり貧しかったんだなあ。ラマヌジャンはカースト制のバラモン階級だったのでその違いか?


⒉スパルタ教育とインド工科大学
インド工科大学がすごいというのはいろんな本に書いてあるし、卒業生のGoogle CEOのサンダー・ピチャイなどがIT系のトップにいることも知っている。でもそれだけ。恥ずかしながら、インド工科大学がインド各地にいくつもの校舎があることは知らなかった。競争率50〜100倍というのは半端じゃない。そう簡単には入れないね。数学の入試問題を初めて見てみた。数Ⅲ程度の証明って感じだけど、ネットでわかる範囲では一部だし、何題をどれくらいの時間で解かねばならないのかわからないのでなんとも言えない。難しいのは確かだ。

まずは30人を選ばねばならないのにテストする。そこで振り落とすわけだ。次点の子が自分も入れてくれとお願いにきても、アーナンドは入れない「入試とは一点の差が大きい。甘くない。来年またきてくれ」という。


インド工科大学に入るために塾で講義するといっても、知恵の出し方を塾で教えているという印象を受ける。最後に向けて、インド工科大学の入試に行けないように妨害されて、頭を使って対抗する場面がある。福山雅治のガリレオシリーズの物理的な思考という感じを持った。本当にこんなことあったの?という感じも持ったがまあインド映画だし、いいでしょう。


歌って踊って大はしゃぎの場面もある。
インド人って普段の生活でもこんなことしているのかな?と思ってしまう。
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