映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

年末に和歌山へ

2016-01-02 09:26:14 | 家族
忙しい年末の日が続いた。
この12月は本当にいろんなことがあった。ブログもかけなかった。
最後に妻の母が突如亡くなった。入院していたが、容態が急変した。
通夜を30日、告別式が31日となりあわてて妻の実家のある和歌山に向かう。


朝の紀の川、水量が多い。遠くに見えるのは住友金属の和歌山製鋼所で、妻の父親が働いていた。
自分も和歌山にいるときはここで水上スキーをやった。


31日葬儀をすべて終えた後、市内中心部へ
まさに中心の商店街ぶらくり丁にはほとんど人が歩いていない。
横は和歌山を代表する地銀の紀陽銀行本店

倒産した丸正百貨店のあとは、中途半端なショッピングスペース
ここにも人がいない
(調べたら島精機の創業者一族が株主の会社が所有しているらしい。さすがにつぶれないでしょう。)

メインストリート本町通、さみしいものだ。

大阪は次から次へと変貌を遂げるが、和歌山はすたれる一方
31日夜、駅ビルをはじめとして店がほとんど6時にしまってしまい、食事の行き場所がなく困ってしまった。県庁所在地の主要駅でなんでそうなるの?どこもなくチェーンの居酒屋に入るしかない。オーダーしても全然出てこない。最悪!!
31日の朝、中国人が大挙して朝食会場に来ていて驚いた。大阪のホテルが予約できないという噂だから、和歌山にもながれているんだろうか。のんびりしている和歌山人は南紀白浜の人を除いてはインバウンドで儲けるなんてことはあまり考えていないだろう。

翌日元旦は妻の父などが眠る四天王寺へ
あべのハルカスも借景でよく見える。

初詣客はいたが、それほど多いというわけではない。大阪の人は戎さんとか行くだろう。
それにしても、泥棒と思しき事件であるマンションまわりに警察がいたり、コンビニのゴミボックスの中を浮浪者があさっていたり、相変わらず治安はよくなさそうだ。

昼飯にうどんやにはいるとこんなメニューが

大きなたこ焼きが2個はいっているうどん。
こういうのはさすがに東京では見ないなあ。こういうアイディアは関西人ならではだ。
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6年目の追想

2013-08-25 09:00:11 | 家族
この夏休みは娘の学習指導に明け暮れた。
ともかく疲れた。ブログ更新もままならない。

7月の初めに模擬テストがあった。
英語の点数が悪い。読解が全然できないという。英単語の習得が進んでいない。
そこでまずは7月中旬英単語暗記からスタートした。
8月4日にあるセンターマーク模試に向けてスタートした。
カタカナでの発音まで書いてあるような単語集を使った。ベースになる1400単語を7月に2週間で覚えた。
もう宇宙語にしか英語長文が見えないという状態は脱却した。
センター模試は60%を超えるくらいまで来た。
夏休みに入って学校でセンター長文対策の特別講習をやってくれた。これはよかった。英文の慣れができた。センター形式の英語長文を50分で解いて、その解説をするというやりかただ。英単語をある程度覚えた後なので効果的だった。
予備校その他には行っていないし、これまでいったことがない。それだけに助かった。

学校の課題になっている英文法語法問題集を2周した。といっても最初は答えをマーカーするだけ、1回目は流すだけだ。2回目は自分の夏休み6日間を使ってやった。
1197問ある問題を1日200問づつやった。これはいきなり解いていき、できないものをチェックするやりかただ。きつかったが自分の夏休み中に終了した。
そのあとも苦手部分に絞って、同じ文法問題集をやっている。
7月初旬気がつくと英語は壊滅的状態まで陥っていた。反復練習で少しづつよくなっているという段階だ。

世界史はまず1年、2年から今までの中間期末テストで出題された問題と模試の復習をした。
まずは中間期末で出題されている語句を覚えて、世界史の概要をつかむのである。
それに加えて「世界史5分前」という軽い問題集をやった。これはよくできている本だ。
その結果8月4日のマーク模試は70%までいった。上出来だ。偏差値60程度まで戻る可能性もある。
そのあと自分の夏休みにセンターの過去問をやっている。
世界史Bになった1997年以降の過去問はすべて2回以上解いた。今は3回目だ。
私立の一般入試向けの対策というより世界史の全容をつかむのにはもってこいである。
最初は45~55%くらいの正答率だ。入試問題なので仕方ない。2回目以降は80%~90%にアップする。
11月にはセンター全過去問正答率100%をめざし、そこからディテイルに進む。

一年の夏に入るくらいから、今年5月末まで普段の家庭学習の時間がほとんどゼロに近い状態だった。毎日夕方7時までやっている部活で頭がイカレタのだ。
学校のテストは1年最初は真ん中くらいが、2年はほとんど底辺を彷徨った。
勉強しなければ成績が悪いのは当然だ。少し持ち直してきたかもしれない。
習慣というのは凄いものだ。あれほど何もやらなかった人間がよく立ち直ってきた。

自分が苦手なだけに国語をあまりやっていない。
これは少しづつやるしかない。本来は自分が得意な数学をやりたかったがもう無理だ。
ここでできた習慣をいかに来年2月まで継続させるかが勝負であろう。

今年の夏、上映している映画にみたいものがあまりなかった。
DVDで旧作を割と見た。ゴッドファーザーⅠ、Ⅱ、Ⅲ通しで見た。ブログに「ゴッドファーザーⅡ」の記事を書こうとしたら頭が混乱してまとまらない。その他にも韓国映画の「悪魔を見た」なんて映画は凄かった。「チェイサー」「殺人の記憶」レベルの韓国らしいクライムサスペンスだ。書きたいことがありすぎて記事にならない。「塀の中のジーザスクライスト」も半分書いてブログ記事がまとまらない。そろそろ準備に入る。

本はそれでもずいぶんと読んだ。想像したものと違って楠木建「戦略読書日記」が実におもしろかった。一橋大教授で今でも本屋に平積みになっている「ストーリーとしての競争戦略」の著者である。会社の研修の教科書として以前熟読した。
「戦略読書日記」の中に21冊プラス1冊(ストーリーとしての競争戦略)取り上げられている。22冊ののうち読んだことのあったのは4冊だった。単なる読書論だったら2000円以上もする本は購入しないのであるが、楠木教授が取り上げた本の中に小林信彦「日本の喜劇人」があった。驚いてすぐレジに向かった。
この本はすぐれものである。同じく小林信彦作「植木等と藤山寛美(現題:喜劇人に花束を)」「おかしな男 渥美清」も含め自分は何回も読んでいる。ここで楠木教授が「日本の喜劇人」で書いている文は絶品だ。他もしびれる。
その後、井原高忠、石井妙子、広木隆、内田和成、笠原和夫、平尾勇司、若桑みどりの本は読了した。柳井正とハロルド・ジェニーンの本は好きな本で書棚にあり、再読した。これらについてはあとで触れたい。
楠木教授はノンフィクションがお好きなようだ。自分もその影響受け伝記を3冊(またまた井原高忠、町井久之、グリーシャ・ペレルマン)ほどピックアップして、通勤時に読了した。読書というのは連鎖していく。一つの本を読むとそれに関連した本が読みたくなる。広がりができていい。

知的な夏だったが、インプット中心だった。7月は英単語を娘と一緒に1400暗記するところから始まったが、アウトプットの時間がなかなかとれていない。熱い夏が終了すると同時にそろそろアウトプットに移行するころかな?
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娘との勉強再開4

2013-07-24 09:17:55 | 家族
娘の熱い夏休みになった。

今から3年前の高校受験の時は楽勝ムードだった。偏差値も70を超えて、日常の勉強もはかどっていた。
あの当時は埼玉の業者テスト「北辰テスト」の過去問3年間分をまわしていた。それだけで十分だった。
今はまったく違う。

部活が毎日のように夕方7時まであって、それで帰宅で8時過ぎ食事して風呂に入って勉強せずにゲームやアニメ三昧の日々が2年近く続いた。6月で引退したが学力低下は甚だしい。定期テストの成績はいつも最悪だ。定期テスト前若干やったが、一部を除けばどん底の成績だ。世界史だけは中間期末とも80点は確保できたので学校の評価もよかった。でも世界史できる奴はいるものだ。自分が高校3年の時、こんなにできた奴いたっけ?とふと感じてしまう。

いずれにせよ何回かここのブログにも書いたが、一向に良くなっていない。

英語は読んでいても呪文を読んでいるみたいだと言いはじめた。高校入ってすぐは長文読解の方が点数取りやすいなんて言っていたけど、単語力の低下は著しい。学校では「ターゲット1900」の小テストを繰り返しやっていたり、桐原書店あたりの文法問題集をやって実力をつけようとしている。これをちゃんとやっていれば、実力がつくだろうと思うけどなあ。。。

自分なりに参考書、問題集のセットを見てどうすればいいのか作戦をたててみた。
我々のころは単語集と言えば「でる単」そして「でる熟」が基本で伊藤和夫の「英文700選」をおぼえたものだ。英文法は駿台「英文法頻出問題演習」なんて基本をマスターした後、原仙作「英文法標準問題精講」をやった。これは力がついた。模擬テストや入試英文法で失点することはなくなった。でも今英文法の問題集を見ていると、どれもこれも解説が丁寧だ。もっとわかりやすいものが出てきている。

「でる単」は今でもいい単語集だと思うけど、訳語が古臭く感じる。時代が違うしなあ。そうしているうちに今の娘のレベルにぴったりの単語集をみつけてきた。娘にやらせる前に自分で覚える練習を6月くらいから行き帰りの電車の中で始めた。1400繰り返しやって覚えた。やり方も何度か試行錯誤した。元々のやり方では音読を7日くらい続けるというけれど、そこまでやらなくてもいい気がする。
敬愛する有賀悠さんもこのように書いてある。
「小中学生が漢字を覚えるのに書き取りをさせることがある。。。。先生や親は覚えさせようとして同じ漢字を30回くらい書かせようとする。ところがそうやってもいっこうに書けるようにならない人がいる。これは単に真似ているからだ。3回ほど書いてみたら、書けるかどうか試して、そこで書ければとりあえずok、書けなければ、また3回ほど書いてみて覚えたどうか試してみればいいのだ。。。」

「よく英単語を覚えるからといって、スペルを紙に何回も殴りがきしている人がいる。しかし、受験英単語の多くはスペルから訳が言えればよく、スペルまで正確に書けなければならないものは多くない。必要なのはスペルと訳の架け橋を作ることである。。。。スペルを読んだら訳を読み、数十個読んだら初めからスペルを見て、訳を思い出そうとしてみる。」
この一節を思い出してやり方を決めた。
まずは50個1セットで音読を2回させる。発音記号が読める状態ではないから、カタカナ付きが望ましい。そうしているうちに今まで全然違う読み方をしていた単語があることに気づく。そのあと訳を隠しながら英単語から日本語が言えるようにする。この1セットは15分から20分程度だ。一日50~100個新規に覚える。同時に今まで覚えた英単語の復習をやる。5回別の日にやる。そうすると、弱点がわかってくる。覚えにくい英単語が必ずある。それをノートに大きく書く。そして覚える。有賀先生の記憶ノートの要領だ。

期末テストが終わってから、やり始めた。自分がいない時もやればいいのであるが、まだそんな向上心はない。自分の飲み会がない日を中心にやっている。すでに1000個以上覚えた。上等だ。
学校の夏期講習で英語長文の演習をやっているが、以前ほど呪文のように感じなくなってきたといっている。この感覚が大事なのだと思う。まだまだ先が長い。夏休みに付き合うと映画が見れないが、今の状態では7付き合うしかないだろう。

そんな折、友人から矢沢永吉武道館チケットゲットの連絡がきた。今年はコンサートの回数少ないので気になっていたが、恒例のコンサート今年も参加できてうれしい。良いおこないすればツキもまわる。



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娘との勉強再開3

2013-05-26 07:41:40 | 家族
全然勉強しない子供も高校3年生になった。5月末なのに部活もう少しやるらしい。
予備校や塾は行っていない。
というよりも生まれて今まで行ったことはない。

であればどうはじめるか。
まずは学校定期テストでいい点を取るようにテスト勉強をするのが一番手っ取り早いような気がする。
受験勉強といっても特別の勉強をするわけではない。
それが実力向上に直結する気がするのである。
でも全然始める気配がない。困ったなあと思っていたが、さすがに試験直前は少しはやる気になった。

現状を垣間見ると、受験では社会で高得点をとって国語、英語ボチボチで逃げ切りの作戦しかない。
今回のテスト範囲は明以降日清戦争前の中国、帝国主義の時代など割と広い。
世界史は一週間で4時限ある。これくらいやってもらえると確かにいい。進み具合も早い。

先生が授業で使っているプリントがある。
これは山川出版の教科書などのパクリでなく、自家製だ。割とまとまっている。まとめの間に穴埋めの問いがある。これに重要用語の穴埋めを加える。
穴埋め問題を多く作るのだ。用語はライオン社「世界史試験5分前」という本から選択
この本名前は胡散臭いけどツボをつかんでいて意外に優れ物だ。



最初に読むことからスタート
答えを読む。音読を2回から3回する。
人名 ピンク、事件 緑、地名 オレンジ、その他重要 黄色、年号 青
以上のマーカーを引く。色分けは重要単語を浮き彫りにする効果がある。
すぐに全部頭には入らない。でももう一枚用意した穴埋めを解かせる。
できなかったところはチェックする。
その後でもう一回読む。

このセットを数回もやる。
毎日やればもっと効果あるのだが、試験寸前まで何もやっていない。

書いて覚えてというが、書き出すとものすごい時間がかかる。タイムアウトになる。
しかも書いて覚えられるかというと、覚えている状態には意外になっていない。

まずはプリントをマスター
その後に山川の「世界史総合テスト」をやる。
プリントで知識を入れ込むが、実際には世界史の問題形式は違う。
問題をやりながら、別の方向から知識を整理する。

両方やれば、少しはましになる。
試験では割とスラスラ答えられたようだ。でもよくよく聞いてみると、ヴァとヴォを間違えたりしている。なかなか得点をあげるのは難しい。
結果8割、平均5割。問題分析したら先生自分のプリントに書いていないことまで出した。ヒデエ
ちょっとボケているかも?まあ上出来か
前は6割取れなかったから。。。

有賀悠はこう言う
「小中学生が漢字を覚えるのに書き取りをさせることがある。。。。先生や親は覚えさせようとして同じ漢字を30回くらい書かせようとする。ところがそうやってもいっこうに書けるようにならない人がいる。これは単に真似ているからだ。3回ほど書いてみたら、書けるかどうか試して、そこで書ければとりあえずok、書けなければ、また3回ほど書いてみて覚えたどうか試してみればいいのだ。。。」

それでも忘れる。

「スペルを読んだら訳を読み、数十個読んだら初めからスペルを読んで訳を思い出そうとする。初めで読んだ単語は、後の単語を読んでいくことで、意識がいったん外れるという状態ができている。これが大事なのだ。一つの単語に時間をかけ、もう大丈夫と思って進んでも。。。。一度意識が離れたら、思いだせるかどうかは定かでない。思いだす訓練をしていないから当然のことだ。初めに戻って思い出せなければ、訳を見て「ああそうだった」と思うので、大きな刺激が脳に行く。思い出せた単語に印をつけ、すべての単語に印がつくまで繰り返す。。。」

天才のいうことは違う。
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受験に向けて

2013-03-24 19:03:02 | 家族
まずはセンター試験に向けて稼働する。

センター試験で高得点をとる。80%を目指せば、大学にどこかひっかかる。
1.英語
英語センター過去問1日に2年分
青本で過去問をやる。
アップグレードのマスター

2.国語
国語センター過去問1日に1年分
私大過去問

3.世界史
世界史センター過去問1日に2年分
青本で過去問をやる。
世界史試験5分前

過去問90%のペースを作る。
これを12月初旬までやる。

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久々の関西へ4(天王寺)

2012-12-31 11:26:11 | 家族
さすがに30日には関東に戻っていなくては
妻の親族が眠る四天王寺にお参り行った。
天王寺駅を降りて高層ビルの高さに圧倒される。横浜のランドマークタワーよりも高い建物だという。
2014年完成まであと一年、凄いことになったなあ


四天王寺は初めて
妻が四十九日の準備をする。雨が降っているので娘と2人控室で静かにしている。

ここは宗派を問わず、入れるという。知らなかった。
いかにも大衆的な大阪らしいやりかただ。

食事をしようとして、駅ビルに戻る。
ずいぶんと変わっているようなので、単独行動させてもらってどのように変わったかを見る。
近鉄百貨店はまだ営業中、隣のごちそうビルは自分が阿倍野に住んでいるころにできた。
横は都ホテルだ。

駅から近鉄百貨店の裏側に行ってビックリした。
以前自分が住んだ天王寺は18年ぶりだ。元々区画整理の話は自分がいたころからあったが、急激に進んだようだ。あの猥雑な阿倍野のテイストが一気に変わっている。
それでも走る阪堺線は大したものだ。

阪堺線の線路の反対側にすばらしいショッピングモールができた。
これも驚いた。このあたりは大阪らしいディープそのもののエリアであった。
こうも変わるものなのか?区画整理のスピードに驚く。(大宮東口の遅さはいったい何!!)



裏に行ってもこんなエリアがある。この近くに「あべのスキャンダル」なんてディープスポットあったな。
梅田、難波、天王寺いずれもが凄い進化を遂げた。
これで大阪経済が沈滞しているとは思えないんだけどなあ。。。。


実に不謹慎だが、一生にあまりないきっかけで関西に行くことになった。
昔の姿がそのまま残っている尼崎と新しい姿を見せつめる梅田、難波、天王寺のまるっきり反対の姿に関西の奥行きの深さを感じた。
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久々の関西へ3(尼崎~なんば)

2012-12-31 11:24:15 | 家族
阪神尼崎駅には下車したことがない。

妻は小さい頃まで尼崎に育った。元々親は尼崎にいて、異動で和歌山に移って永住した。
駅を降りて、生家に向かった。途中大きな寺があった。歴史が古いようだ。

用事がすんで近くの寺の中から移動しようとしたら、たこ焼き屋があった。
何気なく通り過ぎようとして価格表が目に入った。
7個100円14個200円と書いてある。うそだろ?!!ともう一回見直す。
間違いない。ただし、7個は小学生のみと書いてある。200円で14個分を買った。

写真を撮りたかったが、いかにも関西のおばちゃんという風貌の人がタバコを吸いながら店の前にでんと座っているのでとれなかった。たこ焼きを食べたら妻の喜んだこと!!!。ムチャクチャおいしいというわけではないが、こんな値段で今どき食べられるということに感動した。妻は関東はだからダメなんだと言いはじめた。黙って聞いていた。

妻は小さい頃の思い出を語るとよく賑やかな尼崎の商店街の話をしだす。自分が育った近所に品川の戸越銀座商店街と武蔵小山商店街があった。いずれも全国有数の商店街と言われている。それを知っているのでそうでもないだろうと思っていた。ところが行ってみて本当に驚いた。まさに凄い商店街だと思う。

戸越銀座にしても武蔵小山にしても、昔からそのままある店は少ない。銀行のキャッシュコーナーや居酒屋や外食チェーン店にみんな変わっていて、これが商店街だと元気よく言えるものではない。ところが、尼崎は違う。まさに昭和40年代にタイムスリップしてしまうのである。

商店街に入ってみるとパチンコ屋が多い。バクチ好きの関西人向きの場所と思っていたら、急に昭和40年代の商店街に代わって行くのだ。

今では少ない業態も多い。小さい頃五反田で見たようなミニ市場だ。
商店街の中にこういうのがいくつかある。

こういう古典的米屋というのも見なくなったなあ。
お菓子屋、八百屋、果物屋などから始まって肉屋も多い。

今どき肉屋って本当に見なくなった。古臭い店に色がきれいなおいしそうな肉が陳列してある。ホルモン専門の肉屋もあった。尼崎は労働者の街だけあって作業着屋もある。

模型屋や文房具屋も自分が知っている昭和40年代の匂いだ。

飲み屋のお姉さんが着るようないかがわしいドレスも陳列してある。

凄い衝撃を受けた。尼崎商店街は関西ではメジャーなんだろうか?
背筋がぞくっとする衝撃だった。戎神社が近くにあった。
関西人は戎さんが大好きである。そういえば鳥居はまだくぐれないんだ。

尼崎から難波に向かう阪神電車に乗る。
此花や九条なんていかにも大阪のディープなエリアを通る電車だ。

まずは定番で戎橋に向かう。少し変わったかな?






戎橋から心斎橋筋の商店街を歩いた。尼崎で感動していたので、普通に見えた。
お腹がすいてきたので、道頓堀脇でフグを食べた。




カフェ同様タイミング良く店に入れた。運がいい。
出るときには店前は大行列になっていた。

席は道頓堀沿いだ。窓からドンキホーテを写す。
目立つこと!凄いなあ

てっさ 娘が思わずおいしいという。

ふぐ唐揚げ

てっちり
妻も娘も満足だ。ラストは雑炊で

最近では東京付近でもふぐの安い専門店ができたけど、基本的にふぐは高い。大阪に行くまではそんなに食べたことなかったのに、大阪に異動したらフグが安く食べられるので驚いた。

不謹慎だが、家人も気を紛らわせられただろう。

高島屋のライトアップが最高にきれいに見えた。
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久々の関西へ2(梅田)

2012-12-31 11:18:56 | 家族
3日目は大阪へ向かった。
妻の親が昔所帯を構えた尼崎に行くためである。大きく変わった梅田を見てみたい気持ちもある。
和歌山市駅から南海電車の特急サザンに乗った。
和歌山の人は「ザジズゼゾ」が言えない。「全然」なんて言葉は「デンデン」になってしまう。しかるに特急サザンはサダンになってしまうのだ。笑うしかないが、向こうは真面目だから面と向かって笑えない。

大阪までずっと車窓を眺めていた。みさき公園をこえて、海が見える。遠くに関西空港も見える。泉佐野につく。車窓から見える海側はずいぶんと変わった。ちょうど自分が大阪に行った時、堺から以南が担当エリアだった。泉佐野なんて地名聞いたことがなかった。でもその時とんでもないバブルが起こっていた。関西空港開港に伴う土地の収用で泉佐野市民は巨万の金をもらっていたはずだ。
城が見える。岸和田だ。ここではお世話になった人たちがずいぶんといた。だんじりにかけた人たちの心意気にうたれた。徐々にサザンもフルスピードになる。泉大津をこえる時、海側にマンション群が見える。この風景は初めてみる。高石、浜寺なんて場所も異動するまでまったく知らないところだった。いずれも海側の風景が違っている気がする。堺をこえると天下茶屋に止まる。昔はとまらななかった。そして新今宮をこえ難波だ。駅に近づくと雰囲気が違う。大阪スタジアムもない。高層ビルが増えてきた。

大阪に異動した時の着任地は難波だった。ミナミの繁華街のパワーには圧倒された。
南海の駅の雰囲気も華やかになった。もうちょっと泥臭かった。着任してすぐ当時の上司が焼肉屋につれていってくれた。大阪というとやっぱり焼肉だ。汚い店に行きながら上司が「これが大阪だ!」と言いはった。でも駅前にでっかいマルイもできて、歌舞伎座以外はまったく雰囲気が違う。


御堂筋線に乗って梅田に行く。地下鉄の乗り入れ口から地上に上がる。確かに風景は変わった。阪神電車に乗る前に日経MJのヒット商品今年の番付で小結にはいった「阪急百貨店うめだ本店」にいく。東京駅よりも番付は上だ。

これはずいぶんと大きくなったものだ。

中で食事した。食堂街に行ったら長蛇の行列だ。これはまずいと思ったら、妻が階下の9階の広場横のカフェは空いていたよと移動する。でもこれが大正解だった。

まずは広場にビックリだ。空間をぜいたくに使う設計だ。
カフェに入る。入る時間のタイミングが良かった。



カフェでは本日の魚料理でスズキの料理が出てきた。先日家族でフレンチ行った時もスズキがでた。
当たりだなこの店




JR大阪駅と大丸。大丸もずいぶんと大きい。
ここにも入ったけど、阪急からは高級感を感じたが、大丸は普通のデパートという印象だ。

阪急メンズ館だ。新宿の伊勢丹メンズ館もいいけど、それぞれのフロアがそんなに広くない。このフロアはそれなりの広さで高級品中心のディスプレイ。なかなかだ。

感心しつつ阪神電車に18年ぶりに乗って尼崎に向かう。
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久々の関西へ1(和歌山)

2012-12-31 11:08:33 | 家族
26日ブログ更新して、すぐ寝たら11時半過ぎに電話を受け家人があわてている。誰か亡くなったのかな?
話を聞いて「え!」という感じだ。妻の親がなくなった。翌日27日通夜で28日告別式
東京だと28日友引は火葬場は休みのはずだが、向こうは関係ないのか?
義理の親だから立場的には通夜から行かねばなるまい。
27日は仕事納めで納会はあるけど、行く準備をし始めた。
仕事はほとんど片付いていた。あいさつ回りも大体終えていた。強い約束もないので大丈夫だろう。
朝の朝礼で挨拶して11時過ぎに事務所を出ることにした。
東京駅で新幹線のホームにつく。家人と娘を見かける。ビックリだ。
それぞれに切符を取って現地で会う前提で出たのに、ばったり会う。おいおいこんなことってあるの!

名古屋を新幹線が出たあたりから初めて関西へ着任した時のこと頭に思い浮かべた。
東京の生まれ育ちで大学も東京、就職先は関西系の企業を意識して避け、東京本社の会社へ。
東京支店に配属になって頑張っていたのに突如大阪支店の異動辞令がきた。ショックだった。
直後に上司から「リーダー」で行けるかもしれないよと言われ、気を取り直す。でも本当になれるかなあ?最小単位のリーダーにはなりたかった。それでも大阪に行くくらいなら実家の家業を継いでもいいのかなと思い、3月初旬の内示から1カ月落ちつかなかった。結局2回往復して大阪天王寺の近くに住居を決めた。恐る恐る異動先に行くと、自分のための座席が用意されていた。リーダー席だった。うれしかった。

最初はすぐにでも東京に帰れるようにと、新大阪付近で家を捜そうとした。ところが、街を歩くと至る所に「部○解放」の文字がある。「何じゃいこれは?」と思いやめた。今回久々に新大阪の駅を降りたけど、近くにその文字はなくなっていた。時代の推移だろう。

新大阪の駅で和歌山行き特急「くろしお」に乗った。

そうしたら何と隣の座席に妻と娘がすわった。またまたびっくりした!
車窓を眺める。梅田周辺の雰囲気が変わったようだ。高層ビルが増えて、ずいぶんとダイナミックになった。福島をすぎしばらくすると、妙なドームの建物に気が付いた。「京セラドーム」のようだ。大阪環状線のラインを大人になって初めて通った時、ずいぶんと汚い風景だと思った。瓦の汚さが目立ったが、今回は割と屋根が葺き替えられていた印象をもった。天王寺だ。高層ビルをたてている最中だ。
天王寺から駅1ついった所に住んでいた。車窓から天王寺高校が見える。住んでいたところは高校に近いところだ。でも見えない。わりと雰囲気が変わっていた気がした。大和川をこえるのも久しぶりだ。電車は堺の鳳あたりまでは比較的ゆっくり走る。その先はぐんぐんスピードをあげていく。

阪南エリアをこえるともうすぐ和歌山だ。妙に緊張する。
山を越えると和歌山の平野が見えてくる。空の旅では上空から和歌山市内の上をよく通る。でも陸路で向かうのは久しぶりだ。別に緊張する必要はないのに落ち着かない。
今から18年前、和歌山から異動するとき、駅で当時の部下たちにバンザイされながら離れた。涙が止まらなかった。その思いと異動辞令が出て、初めて和歌山に特急「くろしお」に乗って行くときのこと両方が脳裏にへばりついてきた。車内放送で『まりと殿様』「テンテン・テンマリ」と流れるのが印象的だったが、割と普通の放送に変わっていたのが残念だった。大阪に行くときは大淀の橋を渡ると大阪に来たという実感がある。和歌山の場合は「紀ノ川」だ。水量の多い美しい川だ。渡って本当に和歌山に来たなと実感する。海側には住金の大きな工場が見える。


和歌山市駅に行き、そこからもう一度電車に乗って葬祭場に行く。

紀ノ川をこえるときは、ちょうど夕日が沈みつつあるときだった。これがまた美しい。
通夜に向かう。
家族葬で簡単に済ませる方針だ。それの方がいい。自分の両親の場合、近所や外野がうるさいので、普通にやった。参列者はそれぞれ450人くらいだった。1年の内に2回も葬式をやり気苦労も多かった。
でもこうやって家族葬というものを初めて経験すると、気楽な方がいいと思えてくる。

ホテルに戻ろうとしたら、その昔飲みに行った場所が気になった。捜しに行くことにした。
でも見つからない。住宅地の一角にあるところで、繁華街の中ではない。記憶をたどってこの辺りかと懸命に捜したがない。あたりには人は歩いていなかった。そう言えばあの頃より飲酒規制が厳しい。客が減ったかな?なんて思いながらきっと無くなったのかと確信した。

昔いた事務所に向かった。まだある。全国最小の事務所だった。暗くなったときに見て胸がジーンとした。
思い出に浸った。

翌朝早くおきて和歌山の街を歩いた。
基本そんなに変わっていない。南海和歌山市駅周辺は悲しいくらいに廃れた。昔食べた店もなくなった。メインの百貨店「丸正百貨店」はなくなった。商店街があるブラクリ丁も寂れていっていると聞く。

お城だけは変りようにないだろうなあ。

街の雰囲気は少し変わったくらいか
お堀の傍は遊歩道になっていた。



番丁のメイン道路
和歌山県民は所得は少ないが貯蓄高は多い。大手証券会社だけでなく、大手都銀もある。
合併して三井住友銀行になって、元の三井銀行の建物が居抜きで和民になっていたのには笑えた。

大きなホテルができた。でもこのくらいしか高い建物はない。

思い出はたくさんある。和歌山の現地採用の人たちと一緒に仕事した。部下が年上ばかりだったので、最初は本当に大丈夫かと思った。異動で行くときは気が重かった。でも一緒に働いてくれた人たちは本当に気のいい人たちだった。助けてくれた。ここに行かなかったら今の自分はなかったかもしれない。

火葬場の和歌山斎場は立派な建物だった。両親の葬儀は品川の桐ヶ谷斎場でやった。桐ヶ谷の陳腐さと比較するとあまりの凄さに驚いた。プロの設計士による仕事だと感じる建物だ。控室が3mくらいある高天井の部屋で、そこで精進料理を食事したがおいしかった。先日近所の人の葬式があり、桐ヶ谷に出入りしている仕出し料理のまずさは自分と妹が体験してわかった。親の葬儀の時あんなマズイものを参列していただいた人に出していたのかと思うと気恥ずかしくなった。これが東京の城南地区のメインの葬儀場でいいのかと思う。
妙なことを感じながら葬儀は無事終わった。
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娘との勉強再開2

2012-12-12 09:34:14 | 家族
うっち先生へ

趣味で勝手なこと書いてある変なブログにコメントいただき恐縮です。私も大学時代は塾講師のアルバイトやっていました。

>娘さんの受験の際のブログにて公立校より私立校のほうが面倒見がいいのでは?といった内容がを書かれていましたが、その後2年間公立高校に通われて実際どのように感じられてますか?

確かにその記述を書きました。私立高校の個別説明会で、娘と同席して先生の話を聞きました。その時に直感で感じたことです。
2つ私立進学校合格しましたが、いずれも勉強をかなり熱心に指導している印象でした。娘の受かった進学クラスは部活入部禁止ということでした。ポイントはそこかな?と思っています。

今行っている高校は部活入部が必須になっています。勉強できる子は部活も勉強も両方ちゃんとやり、進学成績もいい。そういう話が学校で語られるので、部活も夕方というか夜までやります。娘は体力があるわけでないので、両立はできません。両方とも中途半端で、勉強しない癖が付いたので成績も下降の一途です。
どちらかというと、公立高校の方がこういう文武両道が語られるのではないでしょうか。
娘の学校の課題はものすごく多いです。各科の教員が全体のバランスを考えずに、課題を出すので気が付くと答えを写すので精いっぱいという状態になります。それなのに夜まで部活をやらせるというのは矛盾があります。私立高校はその進学成績で自分たちの給料が大きく影響されるので、勉強だけに集中している印象です。でもどっちに行くかはその人の考え方次第でしょう。
勉強だけが人生ではないという評価もあるでしょうから。
今娘の通っている学校でも、そういう文武両道をこなし有名校に行く人が割といます。でもそれって全体の1、2割といった印象です。合格体験記なんて見ると凄い勉強法やっているなあと感心する人もいます。私立公立どっちの評価はその人によるでしょう。

最近感じるのは、単に勉強のことだけ考えるのであれば、中高一貫校の方がいい気がします。途中で受験をはさまないので、中だるみもあるかもしれません。でも今の普通の高校教員たちは妙な焦りがある気がします。それと、今中学で習う内容と高校で習う内容に異様にギャップがあるということです。そのため短期間でいろんなことを詰め込もうとするので、一部の体力のある子を除けば付いていけないのではないでしょうか。中高一貫校であれば(想像になりますが)中学時代から高校で習う内容も少しづつ教えることができるので、まだ楽なのでは?

自分が崇拝する勉強本に有賀悠さんの本があります。知っている限りではこの本を上回る勉強本はないと思っています。絶版でアマゾンではなんと6万で中古本で売られています。彼は福岡の有名公立高校から東大に現役入学、その後薬学部卒業時に上級国家公務員、薬学部大学院、理科3類合格そして医学部進学という凄い人です。そんな彼も能力で絶対にかなわないなあと思ったのは、小学生までに頭をフル回転する訓練を受けた人だと書いてありました。例えば灘や東京の御三家出身者、将棋のプロになる人、そろばんの有段者などをあげていました。そして小学校の2年間はその脳を発達させるために一番いい時期だそうです。そこで脳をフル回転する訓練をすると中高6年が楽になると言っています。
頭の良し悪しは関係ないという人がいるけど、頭のいい人はいる。関係ないという人はきっとそれは屈辱的思いをしたことのない人だ。有賀さんはそういいます。同感です。理科3類に行った人だから、なおのことそう感じる場面は多かったのでしょう。遺伝による部分もあるでしょうが、それに加えての訓練も早いうちの方がいいという考えでした。

自分は公立高校出身で、娘も同じ道を歩みました。もうそれ自体は変えようにないので、今の設定条件でどこまでいけるか考えるしかありません。
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娘との勉強再開

2012-12-09 09:39:55 | 家族
中学の時、受験に備えてずいぶんと勉強したものだった。それはブログにも書いた。
先週、「その後どうですか?」というコメントをいただき、改めてやばいと思っているところです。

今高校2年生である。部活を遅くまでやっていい学校である。自分の場合、定時制がある高校だったので部活は遅くとも5時半までとなっていた。通常5時までだ。ただ練習が厳しいので5時寸前にかかる音楽を聞いてこれで終わりだとほっとしていた気もする。ところが、娘の場合は7時近くまでやっている。いや7時すぎることもよくある。学校まで約40~50分くらいか?電車に乗っている時間よりも歩いている時間も長い。帰りは早くはない。
そんな訳で気が付いてみるとまったく勉強しなくなっていた。

一年の時は少しは中間期末の前に付き合っていた。2年になると、だんだんそれもやらなくなってきた。数学が最悪の状態だ。嫌いだといってやらない。微分積分やベクトルとか点数がとりやすいのになんて思いながら、まったく教科書すら開かない。完全に国英社の私立型のことしか考えていない。それはそれで仕方ないと思うが、受験科目さえろくにやっていない。
そういう自分が同じころどうだったかと言えば、それなりにというしかない。高校一年終えて、英語の通信簿が初めて4をつけたのにやばいと思って、英文解釈と英作文の予習をやるようになった気がする。それはそれでよかった。あの時やらなかったら受験は駄目だったろう。でも基本麻雀に狂っていて、授業を抜け出して家で麻雀をやるのが日課に近くなっていた。学校の面々ともやるが、別の学校に進学した連中ともずいぶんとやった。高校中退で働いているやつもいた。徹夜になった。その面子は大学進学でない連中だから、いくらでも遊べる。奴らはディスコ通いにも狂い始めていた。ロックジャズをはじめとして音楽も好きだったので、そういうエリアは大好きだ。もちろん映画も好きだった。人のことそんなに言えることしたわけではない。

2学期の中間テストの時、一緒にやろうと試験10日くらい前に言ったけれどまったくやる気を示さなかった。本人がやる気を出さないんだから無理だろうと思い静観していた。どうもそれがイケないらしい。中間テストの成績は最悪だった。親も成績がわからない状態だった。そんな時「この教科書がない」と娘が懸命に探しているのを見て妻が一緒に探したら、見つかった本の中から成績表が出てきた。
アッと驚く妻で、相当絞ったらしい。

そりゃそうだろう。まったく勉強しなければ、誰だっていい成績なんてとれるわけがない。
こうなったら就職した方がいいんじゃないかと話だした。娘の学校で就職する人は数年に1回くらいしかいない。自分は共学の進学校だったが、当時2,3人就職した子はいた。家庭の事情もあったのであろう。いずれも日本を代表する企業に就職していった。でも時代が30年違うと、どうも勝手が違うようだ。そんな話をしたけど、本人はまだ大学進学しか考えていないようだ。田中真紀子さんがこの間騒ぎを起こしたように、大学だってたくさんできている。行こうと思えばどこでも行ける。でもでたはいいけど、就職はないでは困る。

ともかく受験科目だけはやろうといい始めた。でもなかなかやらない。
挙句の果て、家では勉強したくないとまでいい始めた。勉強に集中できないというのだ。困ったなあと思いながら、先週は娘と2人ファミレスをはしごしながら少しずつやり始めた。完全に勉強をしない癖が付いているので、頭に入って行かない。定期テスト前だから教科書をやればいいようなものの、中学と違って教科書準拠の中間期末対策問題集なるものは高校にはない。学校から渡されている問題集には答えがない。教員でないと売ってくれない。授業を聞いていればいいけれど、アニメのキャラクターの絵しかノートには書いていない。友達に勉強の好きな子はいない。昔も今も女は高校になると落ちていくのかなあと思いながら、まだあきらめてはいけないと自分で心を引き締める。

比較的簡単な4択問題集からやり始めた。4択を選ばせることからはじめて、次にその答え自体が答えられるように、教材を加工した。自宅で加工して会社でひっそりコピーする。プラスでもう一冊問題集を用意した。参考書なんてやっても無理だ。まずは問題集の答えの言葉に慣れてもらうしかない。一時に比べると記憶のスピードは落ちたが、僕がやるよりはもの覚えは悪くない。でも覚えるのに時間がかかる。内容は簡単ではないからだ。
「中学校だったらもっとすぐ覚えられたのに今は覚えられない。」
「勉強して悪い成績だったら落ち込むからいやだ」なんてネガティブ言葉の連発だ。
困ったなあ。でもめげずに食らいつく。期末テストを前にして一日休暇を取った。代休でカバー可能だ。
映画もあまり見ていない。

今の中学はゆとりだ。でも高校の内容は決してやさしくはない。確かに数学を見ても、以前数Ⅰでやっていたことが数Ⅱになったり、数Ⅱの行列や一次変換が数Cで理系しかやらないなんてことあるけれど、中学と高校の学ぶ内容にギャップがありすぎて戸惑っているのかもしれない。しかも学校からの課題が多い。それはほとんど答えを写して終了。これじゃ学力向上どころの話じゃない。困ったものだ。

「覚えるのに一度で覚えられる人はいないよ。5回くらい繰り返さないと」と自分が持っている有賀ゆうの学習本を見せながらいう。自分も同じ問題集をやってみる。当然自力で全部解答するのに時間がかかる。お父さんもお互い一緒だよといいながらやっている。今日もやるつもりだ。イヤー困った。
今年は会社全体の業績が伸び悩む中、自分のまわりは一年中いいことずくめだった。他にも面倒な問題がいくつか解決した。
やっぱり全部うまくいくことはあり得ない。
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娘の高校と自習2

2011-05-31 05:49:56 | 家族
1週間ブログ更新できていなかった。
仕事も忙しかったせいもある。見た映画も面白くなかったせいもある。でも一番大きいのは娘の中間テストと返されたテストに関するストレスだった。
先週娘の中間テストがあった。なんせ科目が多い。合計で10科目ある。国数英社理それぞれ2つずつある。これは確かにしんどい。捨て科目もあるなあと思っていた。なんでおそらく受験とは無縁となると思われる地学なんかは捨てていた。週例テストがある数学にはいちばんのウェイトを置いた。英語はそれなりにやったが、国語は比較的手を抜いていた。世界史は割とやった。

寸前はわりと付き合ってあげた。でも結果は良くなかった。
理科は仕方ないと思っていた。内容自体はそう難しくはないとかんじていた。なので最悪は脱することはできると思っていたが、悪かった。これは完全に自分の責任である。捨てろ捨てろといったら、本当にダメになった。学校はプリント中心である。教科書と全く連動していない。そして試験前にセンター試験問題等を抜き出したようなプリントも配られた。これさえやっていれば大丈夫なんて言っていたら、それを超越した問題が出た。プリント中心の授業をやっているなら、その中で全部出来るものかと思っていたがそうはいかない。生まれて初めての悪い点数だった。平均点も異様に低いがそれ以下だった。

理科はやっていないのだから仕方ないだろう。でも数学はショックだった。妻にはあんたの指導が悪いと責められる。高校入って数学に時間かけて勉強しているのに本人も自分もショック極まりない。
毎週数学チャートの確認テストがある。それに備えて勉強する。よくあるパターンだ。毎週のテストの結果は割と良かった。クラスで一番のときもあった。でも中間テストは計算ミスを連発したせいもあるけれど、うまくいかなかった。本人も妙に苦手意識を持ったようである。これはやばいと思って、中間テストの直後の週例テストはまじめにつきあった。でも返却されていないが、感触は良くないようだ。これまでずっとよかったのに、心理的なものかもしれない。
数学も丸暗記がうまく行ったときはいいが、解き方を応用が利くように理解していないとだめだ。

英語リーディングは良くはないが平均よりは上。でもわりと勉強した英文法が一番点数が良かった。これはもう少し緻密にやればもっと点数がとれるかもしれない。英語は入試で最も重要な科目だから、もっと時間をかけた方がいいのかもしれない。学校も英文法に力を入れているのはいいことだと思う。

逆にやっても点数よくならないから、ウェイトを置かないように言っていた国語が割とましだった。特に現代文。娘によると先生の授業はおもしろいとのことである。おもしろいから頭に入るのであろうか。中学の時はヒステリックな女性の教師で、テストは割といい方だが、女性教師だけに気分で作文に悪い点数をもらったこともあった。国語は男の教師に限ると言っていた。高校入ってやった実力テストもなぜか国語だけ学年上位10%にはいっていた。不思議なものである。

高校生なんだから親がかりもおかしいかもしれない。でも気になる。数学については、もう少し指導法を考えた方がいいのかもしれない。反省しきり。初心者に教えるのはむずかしい。
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娘の高校と自習1

2011-04-28 05:42:03 | 家族
子供も高校へ行き始めて一月がたった。
中学はあるいていけるところだった。
部活に入ったら帰りが遅くなった。自分のときは定時制があったので
部活は5時に終了して6時までに下校しなければならなかった。
そういった意味で7時までは学校にいることが出来る。少し遅くなる。

現代社会なんて教科は自分のころはなかった。
理科総合A,Bなんて教科もはじめて見る。中学のときの第1分野、第2分野の延長だな
やっていることは地学に物理だ。途中から生物に化学をやる。
家庭科も高校ではなかった。こういうのを見ると、文部省の意図するところがよくわからない。
私立だったらやらないのであろうか?

数学を見た。
中身を見ていると数学Ⅰで以前やった内容がかなり数学Ⅱに移っている。
数学Ⅱの内容は微積をのぞくと、ほとんどが以前数学Ⅰだった内容だ。
数学Bの数列は以前も数学Ⅱだったが、ベクトルの内容はずいぶんとやさしい。
積分の体積算出は数学Ⅲとなり、一次変換、行列が数学Cになって理系しかやらない。これは驚いた。
経済系大学の文系数学で必要な項目を下手すると高校では習わないかたちになる。
いいのであろうか?

でも教科書は割りと実践的になっている印象だ。問題をみるとそう思う。
しかも、娘の高校ではチャートが配られて、1~2週に一回程度小テストもある。
こういうやり方は悪くない。テスト前には演習内容を見てあげている。その成果もでている。
自分のころはチャートを渡すというのではなく、数研の「オリジナル」という答えのみが書いていて
過程が省略されている問題集をやらされた。
答えのみ渡されているのは、それを授業でやるからということだ。やり方としては過程がちゃんと書いてある問題集をやったほうがいいと思う。

そんなこともあり、会社に行く途中で数学をやり始めた。通勤乗車時間約50分を要する。ラッシュでもタイミング良く座ることができる。
何から手をつけようと思った。受験当時の昔の参考書はまだ残っている。
月刊「大学への数学」の「日々の演習」、駿台の講義ノート、黒の「大学への数学」30年以上前の
代物だ。でもいきなりはじめるにはしんどい。
どうしようと思ったときにとっておきのものを見つけた。単問ターゲットという開成高校の教師がつくった本だ。300問で基本から標準までやれる本だ。新書スタイルで電車でも見やすい。基本はこれで網羅できる。笑ったのは今年の京大入試で、受験生がネットを通じてカンニングした問題のほぼ同じの類題があった。
これがいい。数学Ⅰを完了して、数学Ⅱももうすぐ終わる。それに加えて月刊「大学への数学」を買って基礎やスタンダードの演習をやった。学力コンテストは到底無理だが、これはなかなか今の自分のレベルにはいい。

野口悠紀雄の本では、数学英語を改めて学ぶ重要性のことが書いている。
今度の新しい本はその昔の「超勉強法」の焼き直しの部分もあるが、現代風にいい感じで焼き直ししている。まさに野口先生の言うとおりにパラシュート法で高校数学に飛び降りた。最近高校数学の焼き直しの本がずいぶんと売っている。かなり分厚い本だ。でもこれって厚すぎてみんなやらないのではないか。野口先生の言うとおり、「厳密な基礎は難しい」と思う。簡単な問題集でフットワークを重ねてからレベルアップしていくうちに、少しづつ基礎にもかかわる証明問題をやっていったらいいと思う。
今のところ順調だ。

頭の回転をキープするにはいい。
でも酔っちゃうと数学は難しいなあ。
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無事合格  娘の受験準備

2011-02-24 21:07:59 | 家族
会社に行く前から落ち着かない。
家を出てから、つい時間が気になる。会社で承認の押印をしている時もそうだ。
9時に発表だ。一緒に行った妻からメールが来るまでの間どきどきだ。絶対うまくいったと思う試験の発表ほど緊張するもんだ。

娘や妻よりもこっちの方が朝からやきもきしていた。
そうしたら「合格していたわ」とメールが来た。
ほっとした。火曜日に行った最後の神頼みも通じた。

受験の日、娘と一緒に試験場に向かった。
歩きながら自分が若いころ、高校や大学を受けた時の話をした。
昔の試験場での失敗を話して、同じようなミスをしないように、試験場で力が出し切れるようなこつを伝授した。
試験場に向かうと、どこかの塾の生徒たちが先生たちとワイワイやっていた。
こっちは塾には、いっていない。一人で行かさないで付いていって良かったと思った。

昨日話したように、点数が取りにくい埼玉の県立高校の数学の問題も少し易化しているような気がした。でも、試験場独特の難しさがある。焦りが出ると実力が発揮できないことがある。
果たして、最後の特訓の成果が出たのか?ひやひやした。それでも自己採点はやらなかった。
絶対に受かっているからとやらなかった。
振り返ってみると、自分が試験を受けた時も、自信があった試験は確かに合格している。
確率の問題で3回さいころを振る問題が出ていた。県立あたりの確率問題で3回さいころを振る。すなわち216通りの場合の数を計算する問題はほとんどない。高校受験というよりも大学入試級である。
実は30年以上前、自分が行った大学を受けた時に偶然だが、数学の問題で216通りの事象から確率を計算する問題があったのを思い出した。その時は得意の数学がむしろうまくいかず、英語と社会で稼いで合格した。
娘はその問題は捨てて、他の問題をやったと言っていた。それは正解であろう。
自分も電車の中でその問題をやった。10分では出来なかった。しかも、数え間違いをしていた。
試験場に向かう途中、得点力が上がるようなコツを最後に教えた。それがよかったのかもしれない。記述が多いので、しぶとく粘れ、部分点狙いで貪欲に点数を取りにいけ!といった。
本当によかった。公立は金がかからなくて助かるなあ

それにしても、今日発表が終わって学校に戻ると、落ちた人たちがたくさん先生と面談をしているという。北辰テストの成績優秀者欄でうちの娘以上のところに名前がのっていた子が落ちて泣いていたようだ。
学校では受かったことはあまり言うなと指導されているという。昔とはちがうなあ。
来年から変わるのであるが、前期後期と分ける妙な形式をとっている。
今日は半数近くが県立に落ちて元気のない顔をしていたという。学校の先生もつらいなあ。
埼玉の県立高校入試はちょっとおかしい。妙に難しい問題をだして、中学の勉強をちゃんとやっていれば解けるはずだと、涼しい顔をしているようだ。これじゃ教育委員会の実験材料みたいだ?
それなのに娘の中学校の教科の進捗は異様に遅い。あんな難しい問題を解くような準備は全くしない。216通りを計算する確率の問題はどこにも見当たらない。自分のように親が教えないと、無理なんじゃなかろうか?矛盾を感じた1年だった。

蹴ることになる私立は、北辰テストの好成績のおかげで何とか引っかかった。
私立行こうと思えば、北辰テストだけ頑張っていればいい。奇妙だが私立校はちゃんと評価する。3年間の北辰の過去問は繰り返してやった。ある意味楽だ。それはそれで不思議な制度だ。
私立高校の方が面倒見がいいような気もする。実際立ち読みで週刊誌の高校別大学進学の記事を見ると、娘が行かなかった学校の成績がすばらしい。おそらく3年間みっちりやるのであろう。逆に県立に行った生徒は手を抜いて、レベルを落とすのかもしれない。どっちがいいのかはわからない。
でも家計を助けてくれる娘に感謝したい。これで受験準備が終わったと思うとさみしい。
楽しまさせてもらった。受験の話題もこれで最後だ。
何度も解いた過去問、品川の家にしばらく保管しておこう。孫の受験準備のために。。。。
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いよいよ 明日発表

2011-02-23 21:43:03 | 家族
いよいよ明日娘の県立高校発表だ。

ちょっとドキドキする。
私立は無事2校とも合格で、両方とも選抜クラスに引っかかった。
そのあと、県立に向けてラストスパート、自分も丸付け中心に共同作業だった。
埼玉の県立の数学は、県立高校の割にはむずかしめの問題だ。というより誰でも解ける問題も多いけれど、一瞬暗闇に包んでしまうような応用問題が、非常にやりづらい。得意の社会、理科の増強と数学の得点力向上を中心にやった。

自分が解いてみると数学は昨年よりはやさしい気もする。
でも帰ってくるなり「この数学クソだ」とかそんな乱暴な言葉を使う。
みんな自己採点するようだけど、うちの子はやらない。絶対に受かっているからと、やらない。でも考えてみると大学のときは自分も一部を除いてやらなかった。そんな中一週間が過ぎた。明日発表を迎える。

昨日は夕方から本社でお偉いさんとのミーティングがあった。早めに千葉の支店をでて、東京に向かう。高輪のお墓にいく。祖父祖母、父母にまだ私立合格を報告していなかった。そして明日の合格を祈る。そのあと、上野にいき、とんかつ御三家の一つ「ぽん多」でカツレツを食べる。黄金の衣がいいが、小さくなったのでは?
そして坂を上って、湯島天神へ。梅がきれい。受験シーズンなんで人も多く、絵馬もたくさんあった。
そこでも参拝
湯島の医療機器店が立ち並ぶ、裏通りを通って、神田明神へ行く。こうなったら、お参り三昧だ。
亡き母が好きだった甘酒を飲むのも目的だ。
そこでとんでもない人に出会った。テレビのロケをやっていて、なんと嵐の二宮君がいた。
これにはびっくりした。
ところが、神田明神をうろうろしている人たちは、老人が多く、誰も気が付いていないようだ。若者たちが少しでもいたら、大騒ぎだったと思う。服装はカジュアルで、体も大きいわけではない。一瞥しながら、甘酒屋に向かった。黒塗りの車で移動している模様。まわりにスタッフたちがいたが、比較的地味に撮影していた。もう一度ネットで顔を再確認したが、間違いない。
ついでに湯島聖堂まで寄った。そして好きな街お茶の水から神保町を歩きながら、地下鉄に乗って新宿に向かった。困った時の神頼み、この間は千葉に来て初めて成田山へいった。ちょっとやりすぎかな?
さて結果はいかに?
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