映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

シングルマン  コリンファース

2011-03-30 14:29:07 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
今年のオスカー主演賞を受賞したコリンファースの受賞作の前作である。
「シングルマン」はファッション界で名を挙げたトムフォードの初監督作である。コリンファースとジュリアンムーアの二人が写る映画ジャケットからは二人の恋物語を連想した。実際にはジャケットから想像できない男色ベースの映画であった。1962年ケネディ政権時代のゴールデンエイジといわれたアメリカが舞台。ファッション、インテリア、音楽に関しては抜群のセンスを感じさせる。


水の中を彷徨う男が映像に映し出される。なんだろう?
そして交通事故で死んでいる男の唇に自らの唇を合わせるコリンファースが映し出される。
1962年11月30日のコリンファースの一日を映像が追う。8ヶ月前主人公の大学教授ことコリン・ファースには16年間共に暮らした連れ合いの男性ことマシュー・グードがいた。彼は交通事故で亡くなった。LAの大学で英文学を教えている内省的な主人公と建築家の連れ合いとは最愛のパートナー同士であった。それ以来悲しみは癒えるなかった。そしてコリンは自らこの辛い状況を終わらせようと死を決意する。大学のデスクを片付け、銀行の口座を整理、新しい銃弾を購入。着々と準備を進めた。
しかし、最後の授業ではいつになく自らの信条を学生に熱く語った。講義に触発された教え子の少年ことニコラスホルトが、学校の外で話したいと追いかけてくる。彼の誘いを断って銀行に行くと、いつも騒がしい隣家の少女と偶然出会う。コリンは少女の可憐さに始めて気付き、彼女との会話を楽しんだ。帰宅したコリンは、遺書、保険証書、各種のカギ、「ネクタイはウインザーノットで」のメモを添えた死装束……全てを几帳面にテーブルに並べる。そして銃、とその時、かつての恋人で今は親友のジュリアン・ムーアから電話が入る。コリンは彼女の家を訪れるが。。。


トムフォード監督のファッション界における活躍はすごい。そんな彼が撮っただけに、センスある映像が続く。62年といえば、ベトナム戦争が始まっていない。ソビエトとの冷戦状態にあったが、学生運動が始まる前のキャンパスには典型的アメリカらしさが残る。そこに美少年たちを次から次へと登場させる。新宿3丁目系の人たちにはある意味たまらない映画であろう?
ニコラスホルトはこれからハリウッドでメジャーとなる存在だと思う。


最近のラブコメ系は原色系の派手な美術であるが、対照的にこの映画ではかなり色彩を落としてセピア系に近いトーンだ。いっそのことモノトーンにしても良かった気もするが、カラフルな色の外車、建築美を感じさせる素敵なロケ地を見せるにはやはりカラーなのかな?
ミケランジェロアントニオーニ監督に「夜」という不毛の愛を描いた1961年の名作がある。マルチェロマストロヤンニにモ二カヴィッティ、ジャンヌモローがからむ当時としては先端をゆく作品だ。

白黒映画の「夜」であるが、妙にこの映画に通じているところがある。ともに抜群のセンスをもつ映画の背景だ。主人公が住む家は、すばらしい意匠を見せる。FLライトが西海岸で設計した建築作品集をみたことがあるが、それに通じるセンスだ。室内空間が広がり、クロス貼りでなく木目調で小細工をきかせたインテリアがプロの建築家が見せる仕事ぶりだ。ロケハンティングも絶妙だ。


隣家の少女が街を歩く場面をみていてハッとした。
スローモーションタッチの映像の動き、バックに流れるバイオリンを基調にした音楽。私の大好きな香港映画「花様年華」でマギーチャンが歩く姿のシーンとそっくりではないか。。。さては監督コピーしたなと思った。そうしたら調べてみると、音楽がいずれも梅林茂という日本人が担当していることを知った。
私のブログのプロフィルにはずっと「花様年華」のシーンを貼ってある。ものすごい好きなのに梅林茂の存在を知らなかった。かたやノスタルジックな香港、かたやLAとまったく違う情景なのに同じようにしっくりいく音楽に感銘を受けた。ちょっと追いかけてみたい。

ただ男色映画っていうのはやはり苦手だなあ。ファッション、インテリア、音楽を楽しむにはいいんだけれど
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どん底  黒澤明

2011-03-29 20:15:11 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明監督がゴーリキーの「どん底」をベースにつくった1957年の時代劇である。
セットが中心で演劇を見ているがごとくの作品だ。江戸の長屋を舞台に、そこに住む個性的な住民と地主との人間関係のもつれを描いていく。セリフは巧妙、でもセット内だけにとどまるのがどこか単調に思えてくる。

江戸の場末の長屋が舞台だ。アバラ屋には、さまざまな連中が住んでいる。年中叱言を云っている鋳掛屋こと東野英治郎。寝たきりのその女房。夢想にふける八文夜鷹こと根岸明美。中年の色気を発散させる飴売り女こと清川虹子。アル中の役者くずれこと藤原鎌足。御家人くずれの“殿様”こと千秋実。そして向う気の強い泥棒捨吉こと三船敏郎。
この長屋にお遍路の嘉平老人こと左卜全が舞い込んできた。この世の荒波にさんざんもまれてきた老人は長屋の連中にいろいろと説いて廻った。病人のあさには来世の安らぎを、役者にはアル中を癒してくれる寺を、そうした左卜全の言動に長屋の雰囲気は変ってきていた。泥棒こと三船は大家の女房こと山田五十鈴と既に出来ていたが、その妹こと香川京子にぞっこん惚れていた。山田は恐ろしい心の女で、主人である因業大家こと中村鴈治郎にもまして誰からも嫌われていた。



黒澤明の映画は、たとえセットであってもその情景の美術が次々と変化するのに一つの楽しみがある。ここではほぼ単一のセットだ。閉塞感すら感じる。そういった意味で、他の作品とは志向が異なる。演劇を映画でやる実験のような作品と自分は感じた。正直自分には物足りない。
ただし、ここでいろんな個性の俳優から発せられるセリフは実におもしろい。ユーモアを感じさせる。それを楽しむべきではないか?個人的には山田五十鈴の存在感に凄味を感じた。前作の「蜘蛛巣城」で三船とものすごい演技を展開させていた。いずれも憎たらしい役柄だ。このころはまだ若く、娘の嵯峨三智子を連想させる美貌だ。いまだ存命と聞くとより凄味を覚える。
よく知った黒澤映画の常連たちが黒澤に徹底的な演技指導をされる姿が目に浮かぶ。ここには明らかな主役はいない。この長屋にたむろう全員が主役と感じさせる。黒澤作品で志村喬の姿が見えないのは極めて珍しい。なぜなのだろうか?
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ナイト&デイ  トムクルーズ

2011-03-28 06:00:37 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
昨日久々に車で近場のショッピングゾーンをまわった。
一週間前とうって変わって、街は賑やかになっていた。ガソリン地獄からは脱出した印象。みんな外に出られなくてうっぷんがたまっていたかの如くの様子であった。となれば気分もそこそこ上向きになり久々に映画を見てみようという気にもなる。



映画復活は慣れたトムクルーズの映画からスタートする。
キャメロンディアスとの共演、10年ほど前であればもっと人気を集めたかもしれないアクション映画だ。2人とも年を取り、特にキャメロンからみずみずしい若さは消えつつある。でもトムクルーズはうまい。一部のアクションは難易度が高い見応えのあるものであった。監督はジェームズ・マンゴールドだ。


空港のシーンからスタートする。主人公のトムクルーズが出会いがしらに女主人公キャメロンディアスとぶつかってしまう。飛行機の切符が取れないということであったが、突如とれると先ほどあったトムクルーズも搭乗していた。機内はなんで?と思わせるガラガラ状態であった。
キャメロン・ディアスは、妹の結婚式に出席するためにボストンへと向かうところであった。寸前に出会っていたトムクルーズとキャメロンは座席で歓談した。独身の彼女はトムに惹かれた。自分の見栄えを良くするための化粧直しにトイレへ行っている際に、トムは搭乗していた乗客と乗務員から執拗な攻撃を受けた。トムクルーズは寸前までCIAエージェントだったのだ。彼は当局から追われていた。絶妙な捌きを見せ、乗務員まで消してしまったトムしか飛行機を操縦できないことを知り、急降下する旅客機にキャメロンは驚く。そして気がつくと農場に不時着することになる。ところがふと目を覚め気がつくと自室のベッドに?そこにはトムの伝言が残されていた。



ふとした間違いで陰謀にはまってしまうという展開は、ヒッチコック映画によくあるパターンである。方々にいく展開も同じだ。この場合はキャメロンがはまってしまう。映画のポスターでは、同じ任務をもっているように見せかけるが実際には違った。まずは、トムクルーズが圧倒的強さを持って、刺客をつぎつぎにやっつける。この捌きはなかなかのものだ。途中いくつか派手なアクションを挟む。特に闘牛の牛を放っての街でのチェイスシーンはなかなかのものだ。見ごたえがある。
でもそれだけの映画かなあ。キャメロンの衰えが目立つ。
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地震の直後から5

2011-03-24 21:21:30 | Weblog
もう少しで地震から2週間である。
余震が止まらない。今日は千葉市のモノレールにのった。
乗っているさなかに地震にあった。レールにつるされている電車が右に左に振られて、どきどきした。駅にいるときだったので一瞬外に出ようかと思った。しばらくすると、走り出したが怖かった。その後京成電車のダイヤがめちゃくちゃになった。
余震の数があまりに多いので「地震、またか」と思う人も多いだろう。でもこう続くと参ってくる。この間も帰りの電車の中で2日連続で地震に遭遇した。そうすると安全の確認で一時間近く立ち往生する。
疲れる。

東北地方にはさまざまな工場があるらしい。
仕事をしていても、部材の搬入が難しいといった話が増えてきた。放射能で避難したエリアにも多いようだ。会社に座っていると、いろんな会社の人が来て言いわけをしている。そんな様子がつづく。しかも、計画停電が始まってからみんなびくついているようだ。夜遅くまで仕事をする感覚がない。いつも早く家に帰る。
世間も委縮しているようだ。諸外国の外国人からは、日本が間違いなく復活するとして日本株を買う動きがあるようだ。でも今までとは違う。一般サラリーマンからやる気というものが消えている気がする。みんな脱力感に襲われる日々がしばらく続くような気がする。しかも、計画停電も間に入ってくる。真っ暗な夜は最悪だ。被災者のことを思うと、飲み会は自粛という気持ちはよくわかる。。でもこんな感じで続くと、上を向いて行こうという気にならない。日本大丈夫なのかな?
正直地震の直前までかなり日本経済は復活していたと思う。産業構造の転換で、旧態依然の仕事の仕方で景気が悪い人もいる。だから儲かっている人たちが気を使って静かにしている印象があった。世間の動きは絶対的に上向きだった。なんだろう、この変換は?!まさに「ブラックスワン」ではないか。

映画三昧もなかなか復活できない。
「川の底からこんにちは」の次は何を見ようか?考える気にならない。重症だ。
でもそろそろ生活を変えていこう。
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地震直後から4

2011-03-20 20:05:06 | Weblog
地震が起きてからはや1週間が過ぎた。
しかし、行方不明者は1万人を超える。これは警察に届け出があった分なので、実際にはもっと多いのかもしれない。本当にむごい話である。

先週週初めから相場が大荒れだった。
地震が起きた時、あの揺れでは恐怖感でポジションを取ることは無理。西日本の人たちを除いては難しかったと思う。普段より揺れがひどいということを加味して、とりあえず売っておこうとした人もあっただろうが、そこまでは考えなかったろう。しかし、週明けのボラティリティの高まりはすさまじいものであった。通常、こういった予測不可能な事象が起きると、上か下かに大きく振幅するものである。
素人?であれば、オプションのディープアウトオブマネーを両建てで買っておくのが、軽いヘッジもできて一番いいのかなあと自分は思う。いわゆるストラングルの買いである。でもあの時点で地震の影響がここまでひどいとは誰も考えなかったし、自分の職場は地震の揺れ途中に停電である。同じような人も多かったろう。これじゃどうにもならない。

しかし、その後オプション、FXでとんでもないことが起きたようだ。追い証を払うどころか、強制反対売買で証拠金以上の損失を出して終了した投資家が続出したと今朝の日経新聞で見た。自分たちの損でなく、顧客の損で億単位の貸倒損失を証券会社が計上しているのである。これはすごいことだ。オプション、先物の取り扱いをやめる証券会社が出てくるなんて話はまさに平成2年の強烈な下げ相場を連想させる。
外から見ていると、絶好のタイミングで売り買いを重ねている人がいるように見えるが、現実には素人では不可能に近いと思う。当局介入によるドル円相場の戻しでも、70円台後半ではドル買いどころか、すでにゲームオーバーでポジション取れずだったろう。そう簡単に上に下に反射神経を使ってディーリング出来ないと思う。特にボラティリティが激しい動きを見せると、反対方向のオプション売りを仕掛けている人たちには地獄である。
破産続出か?ポジションを持たず、客観的な目で見ていると気楽だなあ。
ここで震災とは全く別な意味で地獄に落ちた人が出てきた。

2月に営業活動の一環で、法人営業部隊に同行して銀行をまわった時に、来店客が多いのに正直びっくりしていた。一昔前と違い、銀行も勝負が早いということで投信の販売にかなり力を入れている。銀行の支店長は2,3年で異動になる。手っ取り早く収益の実績を上げるには手数料商売をするのが一番楽だろう。
慣れない素人がやるとロクなことがない。愚直な大衆たちがまた買っているなと心の中で思っていた。別に遊び人といった風貌ではなく、すでに定年を迎えているような人たちや初老のご婦人たちである。銀行の支店長たちに「景気がいいですね。」というと、意識的にそうしているわけではないけど、来店が多くてと言っていた。まんざらでもなさそうだった。日経平均は11000円に向かいつつあるときだった。
こういう人たちがろうばい売りをするとは考えづらいけど、金融商品の恐ろしさは身にしみて感じたのでは。

原子力発電所の問題は深刻である。放射能の危険をしりながら日本国のために頑張っている自衛隊、消防署の人たちには心の底から敬意を表したい。非難を浴びているが、東電の社員も必死だろう。予測の甘さはあるとはいえ、今現在寝ずに頑張っている社員さんに対してこころから応援したい。
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地震直後から3

2011-03-17 05:38:54 | Weblog
3月15日
電車の接続が難しそうだったので、大回りで京葉線を利用して出勤
ディズニーランドのある舞浜駅あたりを通過して、ディズニーランドを見るとクレーン車が入っているような様相であった。ようやく会社に80%以上が集まれる状態になる。千葉の内房線、外房線はまだ通っていないので千葉市より先に住む人たちが出社できないでいる。
社長から発信で出ている書面を臨時朝礼をやって読み上げる。
宴席、会食の類は自粛するようにと書いてあった。注意事項を述べた後仕事をした。
新規受注に関する把握があまりできていない。営業業務が止まってしまっている。
本来期末ムードでイケイケドンドンムードがどうにも高まらない。
そんなことをしていた後、すぐそばのショッピングモールへ昼食に行った。
トイレットペーパーがなくなっていると妻が大騒ぎしていたので、見てみるとあった。
すぐに妻に確認電話して購入した。ここ数日ショッピングモールがお休みだったので、開店してまもないので、いつもの数分の一の客数であった。だから並ばずにあっさり買えたのであろう。
あとは計画停電があるので、会社を6時前に閉める準備だ。女の子もちゃんと帰さないといけない。
予想通り、電車の接続がない。遠回りだ。6時過ぎに停電が予想されるので駅もクローズ体制だ。
イヤーまいった。

今回被災されたエリアは何度も行ったところだ。
牡鹿半島の先っぽにある金華山にはその昔社内旅行で行き、「3年連続で行くと一生金に困らない」といわれ、一昨年まで5年連続で行った。ブログにも書いた。御利益はかなりあった。
その金崋山に行くために石巻も2回泊った。水量が多い北上川の河口が美しかった。女川にも泊った。南三陸町こと志津川には2回泊ったことがある。仙台から直接金華山へ行ったこともある。被災を受けた仙石線にも乗ってとことこ石巻に行った。東松島あたりは線路から海が見えてきれいなところだった。そこが津波を受けてひどい被害を受けたと聞くと本当に心が痛む。

他人事には思えない。もし自分が行ったときに被災したらと思うと何と運が良かったのかとも逆に思う。それと同時に震源地との隣接関係をみて、金華山パワーの強さには改めて驚かされた。
金華山のお土産屋の人たち、鮎川の港の人たち、女川の港の前の「中村雅俊記念館」の人たち、女川の湾のそばにあるホテルの人たち、志津川のホテルの人たちみんな元気なのかな。。。。。
心配です。


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川の底からこんにちは  満島ひかり

2011-03-16 19:44:59 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
地震のあと初めて見た映画はなかなか面白い映画であった。
「川の底からこんにちは」は普通のOLが父親の病気で田舎のしじみ工場を継いでしまうという話である。夫の浮気による三角関係や継母と娘の人間関係の妙も面白いが、しじみ工場で働く従業員のパフォーマンスが実に楽しい。満島ひかりはなかなかの好演、今風で若いのに良く頑張っている。



上京して5年目の主人公こと満島ひかりは、職場の上司こと遠藤雅と付き合っている。バツイチで小さい娘がいる男であった。ある休日、3人で行った動物園でプロポーズされるが、主人公は戸惑う。そのとき、主人公の叔父から、主人公の父が肝臓がんで入院したと電話が入る。一人娘の満島ひかりは実家のしじみ工場を継ぐよう求められるが、あっさり断った。
ところが、その話を聞いた彼氏は会社を辞め、主人公の故郷で彼の連れ子と一緒に暮らしたいと言い出す。満島ひかりは彼氏とその娘を連れ、実家に帰る。父親の病状は最悪であった。叔父は暖かく二人を迎える。しかし、父が社長であるしじみ工場の従業員のおばちゃんたちは、駆け落ちして故郷を離れた満島ひかりを無視する。しかも、彼氏が工場で働く主人公の幼なじみと浮気をしてしまうのである。そんな悪い状況が続いたあとで、満島ひかりは開き直ってしまうが。。。



コメディと考えてもいいような雰囲気を持つ。本当に楽しい。
それもしじみ工場のおばさんたちと古参の経理担当のパフォーマンスが傑作だからだ。日本人はこういう古参社員からのいじめのストーリー展開が大好きだ。新しい社長を徹底的にいじめる古参社員はどこでも出てくる。でも今回はそのいじめ役をいじめ役にとどまらせない。コミカルな動きだけでなく、しじみ工場の社歌を歌わせる。この社歌が実におもしろい。歌も歌詞も、歌う姿もなんて面白いのであろう。
そんな中一生懸命這い上がろうとする満島ひかりには応援歌を歌ってあげたいような気がした。
映画を見て気持ちが何か晴れやかになるような気がした。
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地震直後から2

2011-03-16 18:46:17 | Weblog
3月12日
前日は全然だめだった電車に乗って会社に向かうことにした。
京浜東北線は通るという話を信じて駅にいった。ホームには電車があった。すいていた。座れた。
みな昨日のことがあるので、動くかどうか半信半疑だったのであろう。
しばらくして安全の確認が取れたとのことで動き出した。超のろのろ運転である。
ある駅で大量に乗車してきた。ものすごい数である。この電車で座れたのはラッキーだが、いつものように本を読む気がしない。地震のあと、読書量が極度に減った。

会社があるビルが立ち入り禁止にしていて、今日も事務所に入れないことがわかった。
それなので、ショールームに行くのか迷った。千葉駅近くにある営業所は幸いビルの機能が生きているらしい。そこへ向かった。
総武線の乗車にあたって、一回待った。最初は乗れなかった。

営業所に着くと、自分と同じように支店に入れないメンバーがいた。
11日は女性2人が上司の家に泊ったらしい。いずれの女子社員も東京在住だ。途中まで向かってあきらめて泊めたらしい。そのうちの一人の家は断水で、シャワーも浴びれなかったらしい。
こういうことが起こるのだ。逆に転勤が決まって名古屋に異動になる人間が、家さがしにたまたま11日行って地震にあった。一晩泊って12日東海道新幹線は普通に動いていて、むしろ自分より早く千葉駅に着いた。新幹線は強いなあ。
いろいろな仕事上不都合の情報がたくさん入ってきた。これだけの地震だけに仕方がない。
でも気持ちがだんだん憂鬱になっていった。

そうしているうちに本社から通達があった。6時過ぎに停電の可能性があるので電車がなくなるから、早く帰宅するようにと。。
昨日の二の舞は御免と早く帰った。疲れてきた。
そしてテレビを繰り返して見て、地震の凄まじさにあっと驚いた。どんなに強い家に住んでいても、津波に飲まれたらどうしようもないのだ。悲劇だ!

13日は停電が止まり、機能が復活した事務所へ行った。
会社近くのショッピングセンターはまた休みになった。どうしても気持ちが晴れない。
つらい気持が続く。浦安の街を歩いた。普段きれいな街が最悪の状態だ。新興国のように土煙が舞い上がっている。液状化で泥水が地下から上がり、水が蒸発して泥だけが残る。至る所でインフラ復旧の工事をしている。道路はガタガタで、家の外構は80%以上壊滅と信じられない凄い光景だ。
ディズニーランド復活には当分時間がかかるであろう。
早めに家に帰った。
テレビを見るとまたしんどい画面が続く。そうしたあと計画停電の実施決定の映像が映ってきた。
菅直人首相のスピーチの後、東電社長が話をした。決まったようだ。
でもさいたま市というだけでよくわからない。困ったなあ。と思ったが面倒くさくなって寝た。

翌朝14日あっと驚いた。
埼玉、千葉から東京への交通が遮断されているのである。
埼京線は動くという情報もあったが、信用できない。京浜東北が赤羽までしか行っていない。
総武線は動いていないし、京葉線も運休絶望的だ。
こんな絶望的な状況は生まれて初めてだ。
会社メンバーに早朝から連絡をして、通勤不可能ということで浦和の事務所に出社することにした。
携帯電話では通話不可能になるので、普通の事務所から電話連絡しないと難しいと判断した。
歩いて浦和の会社に向かった。以前の自分が通ったところだ。
会社に向かうとき、国道17号線は大渋滞だった。自転車に乗って通勤する人が多い。
歩道をびゅんびゅんとばして自転車が走る。光景は中国の出社状況と一緒だ。
千葉と比較すると、埼玉はあまり大きな影響を受けていない。埼玉の支店は埼京線が結局通り、埼玉居住者も多いせいか、出社率は高かった。浦和で昼飯に行こうとしたら、食事するところは3分の2程度は空いていた。浦和伊勢丹、コルソは休み、イトーヨーカ堂にはたぶん食料を求めてか行列ができていた。ドラッグストアではトイレットペーパーを求める行列もある。
予想外の光景である。うーん。。。。
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地震直後から1

2011-03-16 05:44:52 | Weblog
地震が起きてから、喪失感でブログ更新できなかった。
昨日の帰りの電車、誰もがパワーを失っているように感じた。

3月11日2時46分ころは千葉の事務所で会議を開いていた。会議をしているのは8人

突如として、地震が来た。
揺れはじめた一瞬は、いつもの地震かという感じだった。
ビル内の地震が来たことを知らせる放送が鳴りはじまった。しずまらない。
座っていた我々も揺れのあまりの大きさに机の下へ入った。
それでもしずまらない。場内の緊急放送が再度鳴りつづける。何だこの揺れは。
こんなに長い地震を感じたのは初めてだ。恐怖を感じた。
停電になった。ビル十数階であるから、揺れも強い。いったん静かになった。
ビルの管理室より館内放送で「至急ビルの外へ出るように」と指示があった。
会議室からフロアー自席に戻り、あわてて階段を降りて行った。
フロアのキャビネットが崩れ、引き出しが飛び出し、机上の書類が落ちていた。

外へ出た。携帯はもうかからなくなった。
自宅はどうなっているのか?心配になった。
同じビルに入っている別の会社ではヘルメットをかぶっているような人もいる。
同じビルの人たちがビルの駐車場に回った。自分のビルは海から近い。外は液状化も始まっていた。
そんな時妻よりメールが来た。ほっとした。
その駐車場へいってしばらくして余震が来た。これも大きい。ただ、外に出ていたのでビルの中ほどきつい感じ方ではなかった。津波警報があるので移動の指示が来た。当然だろう。

移動した駐車場にフロアにいた社員約50人と一緒に移動した。
その場を出るときは、もう一度戻ると思ってワイシャツ姿で飛び出した社員もいた。
自分はとりあえず降りるときにコートとカバンは持って出た。
どうやら事務所へはもう戻れなくなっているようだ。電車も通っていない模様。
とあればいったん帰すしかない。区分けして帰した。
でもその時は帰れない人が出てくるとは夢にも思わなかった。

事務の責任者が停電で暗闇の階段を上がっていった。地震発生時に空きっぱなしになっていた表エントランスを閉め降りてきて、車で一緒に埼玉へ帰ることにした。技術の責任者も同じさいたまだ。3人で帰る。
車を走らせると、大渋滞が始まっていた。全く進まなかった。途中給油所があった。
今思うと給油できたのはラッキーだった。
ラジオでは地震の大きさを告げる放送が続いていた。思った以上に大きい地震のようだ。
結局さいたまに帰るまでになんと8時間かかった。
途中、帰宅困難で徒歩で帰ろうとする人たちを数多く見つけた。松戸のあたりで国道6号線に入った。
11時をはるかに過ぎていた。6号線上には疲れ果てて、路上に座り込む人をたくさん見つけた。女性も多い。家に帰ると1時半くらい。テレビ画面ではラジオではわからない光景が次から次に散見された。
でも寝た。

しかし、翌朝テレビで見た津波が町を飲み込む光景にはあっと驚いた。
そのまま会社に向かった。


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告白 松たか子

2011-03-11 06:29:26 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
湊かなえのベストセラー小説を、中島哲也監督が松たか子を主演に迎えて映画化した。松たか子は自分の愛娘を殺害した教え子の男子中学生に復讐する女教師を演じる。原作はすでに読んだ。予想よりも、読み始めると面白かった。ベストセラーになるというのもわかる気がする。先に読んでしまったので、どうしても原作と比較してしまう。映画の印象としてはもう一歩かな?


がやがやとした学校の教室の場面からスタートする。女教師・森口悠子こと松たか子が一人でしゃべっている。最初は誰も聞いてはいない。ところが、亡くなった松たか子の娘の話になったとき、教室が静かになる。松たか子は「私の娘はこの1年B組生徒二人に殺されたのです」と衝撃の告白をする。松たか子の3歳の一人娘が、森口の勤務する中学校のプールで溺死体にて発見されたのだ。A,Bと呼ばれた二人の犯人を囲んで騒然とする教室だった。映像はその犯罪を振り返ると同時に、犯人の二人そしてその後進級したクラスの動きを映し出していくが。。。。

おちゃらけたクラスの動きが異様である。高校生の設定ならともかく、今の中学一年はこんなに勝手な行動をとるようには思えない。先生が話そうとするときに、ここまで勝手なことはしないであろう。妙に不自然な気がした。新しい教師の前でKC&サンシャインバンドのザッツザウェイにあわせてダンスを踊っていた。意識的に作ったシーンだと思うが、違うような気がした。それ以外はいいと思うんだけれど。
あと猟奇的な映像が多い。殺人に絡むシーンが妙にどぎつい。だから15禁になったのであろう。

松たか子の設定は強烈だ。冷静沈着な顔をしながら、じわりじわり復讐の念を深めていく。その姿は狂気に迫るような雰囲気ではない。表に出さないようにしながら、じわりじわり迫っていく。その動きは怖いほどだ。真骨頂だと感じた。
コメント (2)
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数学的思考の技術  小島寛之

2011-03-09 19:29:54 | 
「数学的思考の技術」は小島寛之という経済学者が書いた本だ。
新書で彼の書いた本はいくつか読んだことがある。正直さほど感銘を受けたわけではない。娘の受験にあたり「高校への数学」の増刊号を見ていて、彼の書いた本があった。あれ!と思ったら、同一人物だった。
なるほど彼は東大の数学科出身であった。「高校への数学」の増刊ではいわゆる受験の難問を扱っていた。その彼が書いた「数学的思考の技術」を読んで久々にピクンと来た。これはいい。
大量に発刊される新書の中ではずばぬけておもしろい。意見が一致することが多かった。

最近は行動経済学の本が多い。それにつながる本かと第1章を見て思った。
「給料があがらないのはなぜか」
「だらしない人の経済学」
「勝ち組は運か実力か」

そういう議論がなされる。これ自体は目新しいものではない。
でも彼一流のやさしい論じかたで読みやすい。しかし、この本の凄味は第2章以降だ。

「不況時は正義感が仇となる。」とする。まさにその通りだ。
「市民は当初、バブル期に無軌道な投資をした銀行や大企業を仮想「悪者」として足並みをそろえる。。。。無謀な土地投資をした金融機関を糾弾し、借金で行かなくなった大企業の救済にブーイングした。。。でも市民は、この段階ではまだ、自分の職と所得は確保され続けることを疑ってさえいない。彼らの大多数は、この投資銀行や大企業とは直接関係ないからだ。
けれど、経済社会では、対岸にいる人など一人もいない。仮想「悪者」を叩いたことから湧いてくる災いは、巡り巡って自分に降りかかってくるのだ。
経済社会は、すべての歯車が複雑に噛み合っていて、遠くの歯車が壊れることで、すべての歯車が動かなくなるからだ。それこそが不況や恐慌なのだ。」

まさに同意見だ。バブル崩壊に至るプロセスでは、マスコミが徹底的にバブルつぶしをした。
久米宏はテレビ朝日でまあよくここまでいうものだ。とバブルつぶしをした。久米の後ろで同じようにコメントしていた左翼系某大新聞社の論説者も同様である。そもそも某大新聞社の人間にはまともなのがいない。それにのった大衆も大衆だ。野口悠紀雄という経済学者もバブル時の論調は異常だった。彼も今でこそ涼しい顔をしているけどバブルつぶし先鋒で日本経済つぶしの代表かもしれない。(彼のビジネスノウハウ本はおもしろいけど)
そういう出来事を短く端的な文章で小島氏は表現した。

そのあと環境問題にもメスが入る。
「環境にやさしいは必ずしも人の生活に優しいとは限らない」とする。
環境に優しいことをするとめぐり巡って、自分たちに不幸をもたらすかもしれない。

環境問題の異常な論じ方にはいつも嫌気がさしている。正直異様なコンプライアンスの順守と同じくらい嫌気がさしている。これを「欲望の二重一致がない」という論じかたで解いている。
読んでいてすっきりする。

でもこう続ける。
「前世紀の終わりごろから。。。。先進国の市民はこれ以上の経済的便益よりも、むしろ環境の改善を求めるように嗜好が変化した。。。。その結果多くの企業は、自社の生産が環境を配慮くしたものであることをアピールすることに関心を持ち始めた。。。。企業は「環境配慮企業イメージ」を打ち出すことになった。これまでの企業は。。。。環境を平気で犠牲にしてきたが、今度は同じ利潤動機から、環境配慮を目指すようになったのは、驚くべきことであり、前世紀の経済学者には想像もつかない展開であった。」

なるほど自分の会社も「環境配慮イメージ」を打ち出すのに必死である。ある意味会社のトップはこのように割り切って「環境配慮」と訴え続けるのである。やはりこのくらいの割り切りが必要なのであろう。頭の中には金儲けの事しかないのに、偽善的顔をしてれば、たっぷり儲けられると理解した経営者たちは、天皇崇拝から民主主義信仰に転向した戦後日本の支配者と同じかもしれない。

同様に不況脱出の景気政策も「環境配慮」に変わったと論じる。これまでの景気対策が環境破壊型の公共事業が中心であったのが、大きく転換したと著者は続ける。そして今後の検証の結果「環境配慮」型の経済政策が「環境破壊型」の公共事業と同じような効果があるのならば、既存の経済政策に逆転の発想をもたらす可能性があるとする。

環境への配慮が必ずしも生活に優しいと限らないと言っておきながら、環境配慮型の経済の動きは今後いい影響をもたらすととじるのは見事だ。

彼は宇沢弘文門下生のようだ。もともと数学科出身で数理的経済学の業績を作った後、公害問題で目指すモノを変えていく。その「宇沢ワールド」を語りながら、経済社会の理想を語る。
「GDPが内容を問わない単なる「数」にすぎず、必ずしも我々の幸せを表わしていない」と

ただ、なじめなかったのは都市設計者が「機能優先」で都市の設計をすることを著者が批判するくだりで、建築界の鬼才ル・コルビュジェを登場させる。
ここでジェイコブスの魅力的な都市の4条件を述べる。1.街路の幅が狭い2.古い建物と新しい建物の混在3.各区域が2つ以上の機能を持つ4.人口密度が高い。その都市設計の正反対としてル・コルビュジェを名指しで批判する。でも著者はル・コルビュジェの設計した建築作品をちゃんと見ているのであろうか?彼が設計した建築作品のほとんどが「機能優先」で設計した作品には私は思えない。むしろポストモダンのはしりでもあるわけだから。

村上春樹理論を数学でとらえるのはおもしろいし、確かに著者の言う通りと思う。だが、同じ村上春樹ファンである自分からするとあまりなじめなかった。ここはもう少し読み進めてもいいかなと思った。

いろいろ言ったが、再読に値する本だと思う。
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孤高のメス 堤真一

2011-03-07 20:20:08 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
映画「孤高のメス」はベストセラー小説を映画化した医療系作品である。現代医療の抱える様々な問題に警鐘をならす社会派ドラマだ。本格的手術シーンは堂に入っている。体内臓器を映す美術のレベルが高い。主人公は米国留学までしている医療にかけては凄腕の持ち主なのに何の野心もない。田舎の病院で、ろくな手術も受けられない患者のために、黙々とメスを振るうブラックジャックだ。



看護師だった急死した母こと夏川結衣の葬式を終えた新米医師の息子は、整理していた母の遺品から一冊の古い日記帳を見つける。
1989年。夏川結衣が勤める海辺の田舎の市民病院は、軽い外科手術すらまともにできない地方病院だった。そこに、ピッツバーグで肝臓移植も手掛けた主人公こと堤真一が赴任した。医師をまわしてくれる地元医大に配慮して、堤へのポストに戸惑う病院幹部だった。着任早々盲腸ということで運ばれた急患は腹を開くとがんであった。その緊急オペに、堤は正確なメスさばきで対応する。あやうく命を取り留めた。それを見た市長こと柄本明と病院側は医師としての腕前に驚き、地元医大出身の医長に配慮しながら、堤を第二外科医長とする。第一外科医長こと生瀬勝久らは強く反発、いやがらせをする。

手術室担当のナースとして堤に接していた夏川は、ブラックジャックばりの堤の仕事ぶりに感動、仕事に対するやる気を取り戻した。ある日、第一外科で、一年前のオペが原因で患者が亡くなる事態が発生。デタラメなオペをしながらそれを隠蔽、責任を回避する第一外科医長と対立して若き医師が病院を去る。
そんな中、市長が末期の肝硬変で病院に搬送される。市長を助ける方法は生体肝移植しかない。だが、成人から成人への生体肝移植は困難を極めるものだった。堤も大学病院でないと無理だという。堤が市長の家族に対して移植のリスクを説明する。その時、夏川の隣家に暮らす小学校教師こと余貴美子の息子が交通事故で搬送されてくる。脳挫傷で脳死と診断された息子の臓器提供を子供の思いと母親余は強く訴える。堤医師は日本ではまだ認められていない脳死肝移植を市長に施すことを決断するが。。。。



マスコミの攻撃、殺人罪で逮捕されるかもしれない・・・色々なことが予想されるのに、堤医師は黙々とメスを握る。いつもながら堤真一は冴えている。「三丁目の夕日」の下町の大将的役柄から、「容疑者Xの献身」の天才数学者役、「刑法39条」発狂の狂言を演じる男の役までなんでもできる。ここでも無心に患者の病気に挑む医師を好演した。

映画を見ていてあきの来ない流れであったが、先が読めてしまう気がした。そこが物足りないかな。
脇役に隆大介の刑事などまさにドンピッシャリの配役を持ってきたからには、脳死時点の執刀に公安が突っ込む場面がもう少しあったほうがおもしろかったかもしれない。

コメント (2)
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知らなすぎた男 ビルマーレー

2011-03-06 17:56:14 | 映画(洋画 99年以前)
「知らなすぎた男」はビルマーレーが彼らしいキャラクターを発揮するコメディである。勘違いがずっと続き、それでも平然としているビルマーレーが滑稽だ。ヒッチコックの「知りすぎた男」に引っかけたわけだ。これもある意味サスペンスには違いないが、完ぺきなコメディだ。



アイオワ州のビデオ店員の主人公ことビル・マーレーはロンドンに住む銀行家の弟ことピーター・ギャラガーの家に遊びに行った。その日はビルマーレーの誕生日で突然にプレゼントをたかりに行くことだった。ところが、弟はドイツ人の富豪を自宅に招待し、資産運用のプレゼンをすることになっていた。弟は兄に「ライブ劇場」のチケットを渡した。それは、参加者がプロの俳優に混じって街中でドラマを演じることができる演劇ゲームだった。
打ち合わせ通りに電話ボックスヘ行くと「スペンサー、女を始末しろ」と電話が入る。主人公は劇場の指示だと思い、指定場所へ赴くが、それは本物の殺し屋にあてられたメッセージだった。本物の殺し屋は直後に電話ボックスに着き電話を聞き、劇をおこなっている場所へ向かう。主人公が殺し屋として指定された家には国防省の要人の情婦ことジョアン・ウォリー=-キルマーがいた。彼女は要人の陰謀を綴った手紙を持っていたため、諜報部に狙われていた。すべてが演技だと思っている主人公は彼女のセリフに感心し、違う筋書きを考える。手紙をネタに意図的でなく英国諜報部をゆすった。そして諜報部、警察を交えたドタバタが始まるが。。。。

ビルマーレーが演じるおとぼけ役は何度見ても面白い。本当のキャラもこうなんだろうか?
「恋はデジャブ」「ブロークンフラワーズ」「ロストイントランスレーション」など
題材的には60年代の冷戦時代に多かったスパイ話だ。それをすっとボケたビルマーレーがいなすところが見どころ。今回はコメディ的なシナリオがよくできていると思う。コントが的確で、ちょっとしたしぐさで予想もしない展開をもたらすところは、計算つくされているといえよう。カーチェイス場面があるが、こんなの初めて!「ブルースブラザース」のカーチェイスとは違った意味で笑える。
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ボビーフィッシャーを探して

2011-03-04 06:20:43 | 映画(洋画 99年以前)
7歳のチェスの天才少年が成長していく姿を描いた映画である。スポーツ・ライターのフレッド・ウェイツキンが、実子ジョシュの少年期を描いたノンフィクションを映画化した。題名の「ボビーフィッシャー」とは奇想天外な行動で一世を風靡したチェスの元世界チャンピョンである。

彼の映像も織り交ぜながら、少年が成長する姿を描く。プロデューサーは名監督シドニー・ポラック。主演はオーディションで数千人の中から選ばれた8歳のマックス・ポメランツ。脇役に現在メジャー俳優として活躍する芸達者たちが多く、なかなかいい映画に仕上がっている。ムードもいい。お勧め映画だ。



7歳の主人公ことマックス・ポメランツは、街の公園で「大道将棋」のように指されているチェスに関心を持つ。ルールを覚えてすぐ上達する。公園のストリートチェスの名手ことローレンス・フィッシュバーンも、少年の才能に目を見張る。主人公の父親ことジョー・モンテーニャは、息子に本格的なチェスの教育を受けさせようと往年のチャンピオンことベン・キングスレイと会う。父親は、ベン・キングスレイを息子のコーチに雇う。ベンもまた彼の才能にひかれ、一対一のレッスンが開始された。「第2のボビー・フィッシャー」を目標に特訓は進められ、才能は開花していった。元来大会に出るのは早いといっていたベンキングスレイであるが、家族の意思で少年少女チェストーナメントに参加、次々に制覇していった。そんな時、強力なライバルが現れた。4歳よりチェスの英才教育を受けている少年だ。彼の存在を脅威に感じた主人公は、大会当日、プレッシャーから初回の格下の相手に負けてしまう。スランプが続き、まわりのトラブルが続くが。。。。



子供のチェスの大会なのに、後ろで見ている親のほうが興奮してしまって、取っ組み合いまで始まってしまい、親を隔離するシーンが面白い。親バカの極致である。

一人の天才少年をめぐって、外野のほうが大騒ぎである。
父親は通っている学校で、チェスばかり夢中になってそのほかのことがないがしろになっていると教師であるローラリニーに言われて興奮。母親はベンキングスレイの息子への指導に素直になれずおかんむり。公園のストリートチェスの名手ことローレンス・フィッシュバーンは攻撃的な早指しチェスを子供に教えるが、往年のチャンピオンことベン・キングスレイは深読みで攻めろという。
チェスを他の芸やスポーツに置き換えるとよくある話なのかもしれない。でも子供はいろんな話を自分なりに消化して、しっかり成長していく。そんな姿が健気に見える。

すんなり這い上がっていくわけではない。途中にスランプや挫折もあり、割と激しい場面もある。父母の道理に合わない動きもある。でも全般的に流れるムードはやさしく、安心して最後まで見れた。
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悪い奴ほどよく眠る  黒澤明

2011-03-03 04:39:46 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明監督の昭和35年公開の現代劇映画である。
最後の壮絶な事故のことが記憶に残っていたが、詳細は忘れていた。ものすごく後味が悪い映画だという印象が強かった。久しぶりに見た。汚職の構造にメスを入れたストーリーで、社会派っぽい作品は水爆を取り上げた「生きものの記録」に続くものだ。森雅之の演技が冴える。ある意味「羅生門」の三船への復讐戦だ。



日本未利用土地開発公団の副総裁(森雅之)の娘(香川京子)と、副総裁秘書(三船敏郎)の結婚式の場面からスタートする。政財界の名士を集めた披露宴が始まろうとする時、公団の課長補佐(藤原釜足)が、警察に連れ去られた。
取材に押しかけた新聞記者たちは公団と建設会社の癒着に注目する。五年前、一人の課長補佐が自殺してうやむやとなった不正入札事件があった。現公団の副総裁と管理部長(志村喬)、契約課長(西村晃)が関係したという噂があった。運ばれたウェディング・ケーキは汚職の舞台となった建物の型をしていた。しかも、自殺者が飛び降りた七階の窓には、真赤なバラが一輪突きささっていた。その頃、検察当局には差出人不明の密告状が連日のように舞いこんでいた。そのため、開発公団と建設会社の多額の贈収賄事件も摘発寸前にあった。だが、証拠不足で逮捕した課長補佐藤原や建設会社の経理担当は釈放された。

しかし、建設会社の経理担当は拘置所の門前で、トラックに身を投げ出して自殺、公団の課長補佐も行方不明となった。課長補佐は開発予定地である火口から身を投げようとしたところを秘書三船が助けた。しかし、遺書が見つかり翌日の新聞は、課長補佐の自殺を報じた。三船は副総裁秘書で娘婿でありながら、課長補佐をかくまい汚職疑惑に対抗しているようだが。。。。



そして、官財の癒着にメスを入れる話が、憎しみと復讐の話に変わっていく。
黒澤の現代劇は、世相の風俗が映像にとりいれられることが多いが、この映画はさほどでもない。
脚本はかなり練られて計算されている印象である。官民の癒着話はむしろ昭和40年代になってから取り上げられることが多くなってきたのではないか?まだこのころは戦後の体制がきっちり整ってきたわけでもなく、現在のような高度な情報社会でもないので裏金もずいぶんと動いていたであろう。同時に人を始末するために、手荒いことを裏の人たちに依頼する風土も残っていた印象である。これは怖い。
ネタばれスレスレになるが、最後の壮絶な事故の場面ばかりが印象に残っていた。こういう残忍なやり口がまだまだ行われていたのかもしれない。そういえば、いわゆる60年安保の年であるが、警察による警備をカバーするために、やくざ系の人もかなり雇われていたと聞く。まさに先日見た韓国映画の「息もできない」の主人公のような話である。

この間高峰秀子主演「女が階段を上る時」を見た。同じ年の映画である。そこにも森雅之が出演していた。銀行の支店長を好演していたが、ここではその10歳以上上の公団の副総裁役を老けたメイクで演じている。実にうまい。もともと有島武郎の子で血統もよく、ちょっとだらしないインテリ系の役をやらせると抜群にうまい。市川昆の代表作「おとうと」などもこの年で彼はのっていたのかもしれない。
三船敏郎はいつも通りどすの利いた声で迫力ある演技、志村喬はここでは普通かな?のちの黄門さま西村晃もこのころは悪役ばかりだが、いい感じだ。山茶花究も実にうまい。青大将やる前の田中邦衛が殺し屋をやっているのが御愛嬌だ。

後味の悪さは残ってしまうのはどうしてもしかたないなあ。
コメント (2)
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