映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

アメリカ副大統領候補とヒルビリーエレジー

2024-07-17 07:10:18 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
共和党の大統領候補トランプ前大統領が副大統領候補にヴァンス(バンス)上院議員を選出したと報道されている。


一瞬、その名前を見てぴんとこなかったが,プロフィールを確認して、以前ネットフリックスで見た「ヒルビリーエレジー」の主人公だと確認できた。ちょうどコロナ期真っ只中で,エイミー・アダムスとグレンクローズの2人のメジャー女優が実質主演を務めている。メガホンは超一流のロンハワード監督がとる。主人公の母と祖母である2人の演技のレベルは高かった。


オハイオ州のある家庭が舞台になり、ヘロイン中毒でトラブルを常に抱えている母親がエイミーアダムズで、その母親で主人公であるヴァンス候補から見ると祖母にあたる向こう気が強い気質の激しい女性を「危険な情事」グレンクローズが演じる。アカデミー賞級の演技だった。名門イェール大学の法科大学院で学ぶ主人公が都会生活で戸惑う姿や薬物中毒で入院している母親のために急遽オハイオに帰る場面も取り上げられる。このヴァンス候補の著書「ヒルビリーエレジー」はベストセラーになったようだ。


トランプ前大統領への狙撃事件には驚いたが、日本の左翼系論者が多いTV番組で女性キャスターの勇み足もあった。ライバルのバイデン大統領をはじめとして、事件に対して同情心を持った論調なのにその逆を行っている。周囲がみんなトランプ嫌いと思い込んでいる。何気ない一言が予想以上に波紋を呼んで、プライドの高い女性だけにショックを受けているのではないか。

それにしてもトランプ候補も巧みにヴァンス上院議員を副大統領候補に選んだものである。女性、アフリカ系といった観点でなく、オハイオ州の下層家庭出身の39歳を選んだ。イラク出兵にも参加している。安易な選択はしていない。それが吉とでるかは秋にならないとわからない。
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映画「モスル あるSWAT部隊の戦い」

2021-12-27 20:57:57 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「モスル あるSWAT部隊の戦い」を映画館で観てきました。


「モスル あるSWAT部隊の戦い」はイラクのSWAT特殊部隊がISIS(イスラム過激組織)とイラク第2の都市モスルで戦う姿を描いている。正直イラクの内戦についての知識はあまりない。非常に緊迫感のある映画という情報があったが、半端じゃない高圧の電流が流れて心臓をパクパクさせるすごい作品である。近年観た戦争映画ではピカイチの迫力ではないか。

主演級に自分の知らない俳優が多いので、もともとアラブ諸国のどこかで製作した作品だと思っていた。しかし、米国資本でお金はかかっているので質的には高い。「アベンジャーシリーズ」他の製作者ルッソ兄弟がプロデュースにあたり、監督は最近は「21ブリッジ」の脚本を書いたマシュー・マイケル・カーナハンがはじめてメガホンを持つ。

映画の流れの本流に流れるのは、SWATに入隊した21歳の警察官の成長である。でも、そんなたやすいものではない。欠点を克服するとか、主人公に逆風を吹かせるといったよくある成長物語ではない。SWAT内部のメンバー同士の葛藤もあるが、少し間違えたら死んでしまうのである。この危機感の設定に、今の日本で育った運の良さを強く感じる。

長引く紛争で今ではすっかり荒廃したイラク第2の都市モスル。この地で働く21歳の新人警察官カーワ(アダム・ベッサ)は、ISIS(イスラム過激派組織)に襲われたところを、あるSWAT部隊に救われる。部隊を率いるジャーセム少佐(スヘール・ダッバーシ)は、カーワをその場でSWATの一員に徴兵する。彼がISISに身内を殺されたという、入隊条件を満たしていたからだ。彼らは10数名の元警察官で編成された特殊部隊で、本部からの命令を無視して独自の戦闘を行っていた。


彼らを繋ぐ使命は秘密で、カーワにも明かされない。やがて手段を選ばない激烈な戦闘で仲間を失っていく中、絶望的な状況に直面する。それでも部隊は、ISISの要塞へと向かう決断をするのだが。(作品情報より)

⒈アラビア語の映画
出演者にアラビア系の出演者を揃えて、アラビア語で映画を構成するだけでちがう。オーディションを重ねてアラブ系俳優を用意しただけある。本年もソ連やドイツでの出来事なのに、英語で主要セリフを整えた映画をいくつか観た。いい映画なんだけど、物足りなさを感じてしまう。

それに加えて、SWATを構成するメンバーの顔つきがちがう。比較するのもどうかと思うが、日本の俳優も戦争をリアルで体験した世代の顔つきと今の俳優がその時代の人間になりきろうとする顔つきでは弱い。SWATの隊長を演じたスヘール・ダッバーシに戦前の日本軍下士官の匂いを感じた。虫ケラのように身近な人が亡くなっている国の俳優の動きすべてに凄みがある。


⒉戦闘シーンのリアル
いきなり敵か味方かよくわからない銃撃戦が繰り広げられる。なんじゃこれというスタートである。爆弾も至るところで爆発する。わずかな休憩時間も安心していられない。いきなりドローンで撮影したと思われるビルのコンクリートが崩れ落ちる荒廃したモスルの街を映し出した。その後もガレキの山での戦闘が続き、イラクってこんなところばかりなのかと観ながら思っていた。あとで、監督インタビューでモロッコでのロケで大規模なセットだったと確認して驚いた。


⒊超越したカメラワーク
何よりカメラが激しい銃撃戦を身近で捉えている。「トレーニングデイ」や「イコライザー」といったアクション映画の名作で撮影担当だっただけでなく、「アバター」アカデミー賞撮影賞を受賞しているマウロ・フィオーレの腕前には感服である。深作欣二の「仁義なき戦い」では、狭い空間でのヤクザ同士の立ち回りを手持ちカメラで捉えているシーンはスピード感があって好きだが、その高揚感をもっと激しくしたような凄みを感じる。なめるように戦闘集団を追う手持ちカメラは緊迫感を強める。
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映画「MONOS 猿と呼ばれし者たち」

2021-12-01 21:51:02 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
「MONOS 猿と呼ばれし者たち」を映画館で観てきました。


「MONOS 猿と呼ばれし者たち」2021年の日本公開映画でも最上位の評価を受けているので、ロングラン中の映画館ですき間時間に寄って観たコロンビア映画である。コロンビア南米でコーヒーの産地という知識があっても、詳しい知識は皆無だ。ただ、麻薬のシンジケートが絡む映画ではよく舞台になる。初めて知ったが、社会主義国家を作ろうとしてゲリラ組織による内戦が長期間続いていたようだ。そういう地下組織でのイザコザに焦点をあてる。

山岳地帯で生活するゲリラ組織の男女が、敵との対決や仲間割れをする生死の境目の中で生き抜こうとするサバイバル映画である。ただ、具体的な地名は出てこない。コロンビアであるとも出てこない。人名はそれぞれにあるが、組織の究極の目的が何かはわからない。政治思想の要素はセリフにはない。

実際に映画の内容は非常にわかりづらい。難しい言葉が飛び交う観念的というわけではないが、すべてが具体的でなく抽象的な映画だという感覚をもつ。それなので、これが好きとは到底いえない映画である。ただ、カメラワークについては今年見た映画ではピカイチである。


作品情報を引用する

世間から隔絶された山岳地帯で暮らす8人の兵士たち。ゲリラ組織の一員である彼らのコードネームは“モノス”(猿)。「組織」の指示のもと、人質であるアメリカ人女性の監視と世話を担っている。

ある日、「組織」から預かった大切な乳牛を仲間の一人が誤って撃ち殺してしまったことから不穏な空気が漂い始める。ほどなくして「敵」の襲撃を受けた彼らはジャングルの奥地へ身を隠すことに。仲間の死、裏切り、人質の逃走…。(作品情報より)

最初は山間部でのゲリラ兵士の訓練みたい様相だ。コメディアンの岡村隆史みたいな風貌の親分が指揮している。上は絶対だ。兵士たちの顔立ちは若い。男女入り交じっていて、仲良くスポーツにふけっているシーンもある。年ごろなのでお互いに惹かれあっている同士もいる。


作品情報によると、コロンビアの複数のゲリラ組織の中でも最大だったFARCの戦闘員たちがモデルのようだ。密林や高地に潜伏しながら、政府軍と戦ったり、人質の拘束を続けたりしている。何となくよくわからないままストーリーが進んだ後で、ジャングルの中に場所を移した後でカメラが冴えて面白くなってくる。

⒈ジャングルと驚異のカメラワーク
敵の襲撃を受けたため、人質の「博士」を連れてジャングルの奥地へと移動するのだ。ところが、徐々に人間関係が崩れてくる。崩れ方はひと昔前の過激派の分裂のようだ。見慣れない顔が8人もいるので区別がつきにくい。頭が混乱する。ジャングルの横を川が流れる。風景自体は日本のどこかと言ってもおかしくない風景だ。ルソン島に居続けた小野田さんの映画とも風景は共通する。


動きが早くなる。その時にカメラが常に人を追い続けていく。この接近が緊迫感を高める。僻地に来てしまった当事者になったみたいだ。演技を超越した心理状態を見抜くカメラワークである。しかも、水の中まで追いかけるのだ。川に飛び降りる時もほぼ同時にその水中に落ちていくアクションを捉える。水中カメラも併用する。こんな映像どうやって撮ったのかと思う。そういうカメラの捉え方だけで興奮する。カメラマンのヤスペル・ウルフについては大絶賛しかない。


⒉水辺のシーン
ジャングルの横を流れる川も位置によって流れが違う。それが、ある位置からかなりの急流になる。TVの画面に映る台風で嵐のように押し寄せる川の激流だ。そんなすごい流れの中で、登場人物が実際に流れていくのだ。どうもCGでない。何それ!という急激な流れの中を俳優が流される。たぶん日本だったら大騒ぎになるんじゃないかな?こんな映像撮ったら。

これもすごいが、鎖で動かないようにさせられた女が逃げ出そうと水の中で大暴れをするシーンもすごい。水中で2人の格闘を映し、首を鎖で締められ、足をバタバタしているのが収まって浮き上がる映像もドッキリする。加えて、バックの音楽が良い。自然音も多いが、こういう究極の地での顛末にはピッタリ合う。


2つ取り上げたが、見所はこれだけではない。観る価値はある。
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映画「最後の決闘裁判」マットデイモン&アダムドライバー&リドリースコット

2021-10-17 07:21:32 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「最後の決闘裁判」を映画館で観てきました。


「最後の決闘裁判」はリドリースコット監督の新作である。百年戦争最中の1386年のフランスで行われた決闘によって裁判の決着を仰ぐという決闘裁判を描いている。決闘するのはマット・デイモンとアダムドライバー。脚本にはマット・デイモンに加えてベン・アフレックが名を連ねる。2人のコンビによる名作グッドウィルハンティングを連想し映画館に向かう。

この時代はまだ鉄砲もなく、戦争といっても人対人で激しくぶつかり合う。そんな戦いの映像が何度も出てきて迫力ある。ただ、ここでは強姦を受けた側の妻マルグレットを演じるジョディカマー心の揺れにも注目したい。

夫(マット・デイモン)と義母が不在の時に夫の知人(アダムドライバー)に強姦された妻(ジョディカマー)が裁判に訴え、決着を決闘に委ねるという話である。強姦の真実のみに焦点を当てるわけでもなく、法定モノのように裁判での駆け引きを述べるわけでもない。夫と妻、そして強姦の加害者の3人それぞれから見た視点で強姦という事実を取り巻く3つのストーリーが展開する。


脚本をまとめるマット・デイモン黒澤明の映画「羅生門」を当然意識している。ある事実をめぐる3人の心の動きを映し出すのを主眼にこの作品を企画してリドリースコット監督に委ねている。

⒈黒澤明「羅生門」を意識した3人の立場
黒澤明の映画「羅生門芥川龍之介の小説「藪の中」が基本になっている。三船敏郎、森雅之、京マチ子3人の視点での告白が映像となる、真実は藪の中としている。映画では通りかかった人物が見た真実ということで黒澤明の解釈を加える。強姦が絡むという意味では、この映画と同じである。

しかし、羅生門」の3人はそれぞれのエゴが前面に出ていて三者三様に証言している。強姦に関わる事実がまったく違う。妻京マチ子が豹変して夫森雅之を罵倒するシーンが見どころだ。


ここでは、ストーリーの流れに映画「羅生門」のような登場人物が極端に違う告白をするようにはしてない。ただ、同じ事実、場面を3つのテイクでカメラ目線も少しづつ変えている。それぞれのテイクを観ていくうちに深みが感じられるようになる。

⒉女性の立場がおもしろい
最初は夫カルージュ(マットデイモン)の立場ということでスタートする。決闘裁判が結審する1386年の16年も前から背景を語っていく。敵との戦いの中で、一度はルグリを助けたこともあったが、結局上位者に引き立てられるのは自分でなくルグリの方である。そんな男の嫉妬心も映画に露骨にあらわれる。


2番目が強姦したルグリ(アダムドライバー)の視線で語られ、3番目が妻マルグリット(ジョディカマー)の視線になる。ここで断然面白くなってくる。単純に強姦の事実が語られるだけでなく、夫との関係が必ずしもうまくいっていると言い切れない部分や義母との嫁姑問題なども絡んでくる。地代の徴収に関する話も取り混ぜているのもリアル感がある。女性目線になり急激に表情の変化による心理描写を増やす。事実中心の単純な描写から登場人物の心の葛藤を捉えるリズムがいい。


⒊決闘裁判
最後はヴァロワ朝の王シャルル6世の目の前で決闘が行われる。精神に変調をきたしていたと言われるシャルル6世は、男系がなく王位を継いだ日本で言うと大正天皇と似ている。ちょっとまともでない王として登場して決闘裁判に興奮する。2人の決闘は逆転に次ぐ逆転で迫力たっぷりに映像を映す。決闘裁判は神が真実を述べた方を勝たせるということなのだ。これだけは決着を知らずに見た方が良い。


映画の最後で闘いの勝者が数年後十字軍の遠征で亡くなると字幕が出ていた。え!とっくの昔に終わっているよ十字軍。これって絶対におかしいよと歴史の教科書引っ張り出した。誤訳?か大きなミスか?
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映画「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」ダニエルクレイグ&キャリー・フクナガ

2021-10-03 19:27:03 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」を映画館で観てきました。


公開延期に延期を重ねた007シリーズ「ノー・タイム・トゥ・ダイ」が遂に公開された。少年の頃からずっと追い続けてきた007シリーズだけにすぐさま映画館に向かう。今回でダニエルクレイグも引退するという。どういう結末かも気になっていた。脇を固める悪役やボンドガールも気になる。

ストーリーを説明しようと思うが、なかなか難しい。
引退を決め込んでいたジェームズボンド(ダニエルクレイグ)がイタリアでマドレーヌ(レアセドゥ)と優雅に過ごしているときに、悪玉スペクターの一味に襲われ恋人と別れる。その後、中米のリゾートエリアにいたジェームズが再度CIAやMI6に駆り出されて悪玉サフィン(ラミマレック)と対峙するというストーリーなんだけど、自分の理解力が弱いせいもあってか、わかりづらい展開だ。


ロシアの科学者が出てきて、DNAや遺伝子が絡んだセリフも多い。ナノボットという言葉を見ると、レイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い」の内容を思い出す。生体工学的要素も含めている。字幕はお馴染み戸田奈津子さんだが、横に監修という男性の名前があったのも、テクニカルタームが連発されていたからだと思う。近未来的に人類の行方を左右する技術が映画の場面に具現化されてはいない。ただ、言葉遊びをしている印象を持つ。

163分はいかにも長い。過去には「慰めの報酬」のように106分でまとめたので、テンポが早すぎて頭がついていけない作品もあった。そういった意味では143分のスカイフォールが007シリーズ独特の小道具の連発も用意されていて楽しかった。今回は悪玉が絞りきれず、ボヘミアンラプソディで名を売ったラミマレックの存在が中途半端という印象を持った。過去の悪者よりちょっと弱い。怖くない。長い割には締まっていない。


⒈素晴らしいロケ地とアクション
このシリーズの見所に一つは、自分が絶対に行くことがないと思われる海外の素晴らしいエリアのロケが毎回取り混ぜられていることだ。映画を一瞬見ただけでは何処だかわからない。最初に映るイタリアのマテーラも山の中に埋め込まれたような建物の数々に思わずうなる。そこにボンドが運転するアストンマーチンがなじむ。今回は007シリーズ独特の小道具が少ないが、一応用意されている。


歴史のある街って日本でもそうだけど、道が狭い。その狭い道路での追跡劇は迫力ある。バイクが陸橋のようなところを駆けあげるシーンはすごい。スタントがやっているなら凄すぎる。他にも空からヘリコプター、道路上で車やバイクに追われ絶体絶命の状況になるシーンを切り抜けるのはいかにも007シリーズの醍醐味である。

⒉フクナガ監督とジャパニーズテイスト
凍りつく湖の側に住むスペクター幹部の娘だったマドレーヌの家に殺人鬼が復讐にやってくる。仮面をかぶっている。日本流オカメの仮面である。日本のサスペンス映画で殺人鬼がよくかぶっているパターンだ。いきなりジャパニーズテイストだ。


今回はキャリーフクナガ監督がメガホンを持つ。日系の血筋も入っている。それだからというわけではないが、悪玉サフィン(ラミマレック)がいる孤島の中でもジャパニーズテイストを含ませる。申し訳ないが、ちょっと中途半端な美術だけど、畳や日本庭園を模した部分がある。「007は二度死ぬ」を思わせる悪玉の基地である。


キャリーフクナガ監督には闇の列車、光の旅というメキシコ移民を描いたすごい傑作がある。2010年日本公開では飛び抜けてよくできている。彼の名をクレジットで見てすぐさま連想した。

⒊ダニエルクレイグ
ここで一旦区切りということでご苦労様と言いたい。ただ、これだけ活躍したダニエルクレイグの割には、終わりかたは間抜けな感じがして残念である。これよりもっときつい危機をこの映画でも通り抜けてきているのになぁ。


ラストに向かって涙が出てくるように言う人はちょっと変。ルイアームストロングの歌声を聴きながら次はどうなるのかな?と考えてしまう。今回欠番にならなかった007を黒人女性が名乗っていたが、いくら何でも違うよね。

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映画「クーリエ 最高機密の運び屋」 ベネディクトカンバーバッチ

2021-09-25 18:06:22 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「クーリエ」を映画館で観てきました。


「クーリエ 最高機密の運び屋」は久々観る英国のスパイ映画でベネディクトカンバーバッチ主演である。キューバ危機をまたぐ情報戦ではスピルバーグの「ブリッジオブスパイ」という傑作がある。ベルリンを舞台にして緊迫感のある傑作だった。この時期の世界情勢に関する映画は好きで迷いなく映画館に向かう。

東欧エリアでのビジネスに携わっているというだけで、まったく無縁の諜報活動に駆り出された英国商社マンがソ連高官から得た機密情報を英国に運んでキューバ危機回避に貢献するという話だ。実話というのがすごいなあ。

低予算の日本映画を連続してみた後で、久々に映画らしい映画を見たという実感だ。緊迫感を引き出すカメラワーク、音楽、簡潔に要旨を抜き出す編集いずれも高水準である。ソ連が舞台なのに、英語のセリフだと物足りない感じが残る映画もある。その点、ここではソ連内の場面はロシア語の会話でいかにもというロシア人公安の顔をした登場人物が出てきてリアル感はある。


でも、5点満点というわけでなく、評価するなら全部4点という映画なんだよなぁ。史実というのはすごいけど、結末が予測できてしまうだけに思わぬ逆転があるスリルがないのは、弱い部分だ。それでも十分楽しめた。

1960年代初頭、米ソの対立が激化した時代、英国のMI6は東欧諸国で工業製品を卸す英国の商社マン、マングレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)に目をつける。まったくの素人のウィンだったらソ連側にも怪しまれないと、機密情報の「クーリエ(運び屋)」にスカウトする。新規顧客開拓の名目でモスクワ入りしたウィンは、ソ連高官のオレグ・ペンコフスキー大佐(メラーブ・ニニッゼ)と会う。ペンコフスキーはフルシチョフの強硬姿勢で世界大戦に向かうことを恐れ、米政府に自国の機密情報の提供を申し出る。

ウィンは密かにペンコフスキーが得たソ連の機密情報を西側に運び続ける。しかし、何度も往復するうちに、ソ連KGBも何かがおかしいとマークし始めるのであるが。。。

⒈ベネディクトカンバーバッチ
HPには、セールスマンとなっているけど、国をまたがって個人相手でない商売をしているわけで商社マンというべきだろう。大酒飲みで、最愛の妻と10歳の息子がいる。いつ見ても同じブリティッシュストライプの細めのレジメンタルタイをしている。もともとやる気がなかったのに途中で様相が変わる。秘密を共有したソ連の大佐を亡命させようとしてしまうのがやり過ぎだった。


ベネディクトカンバーバッチ大減量で役作りしたのが後半戦でよくわかる。なかなか難易度は高い役柄だ。彼の出演した映画は、最近多いコミックものを除くとほとんど見ている。天才数学者を演じた「イミテーションゲーム」では二重スパイの疑いをかけられる。そういった意味では今回の役とにているが、どちらかというと奇人の部類に入る天才数学者役の方がうまい。

⒉メラーブ・ニニッゼ
軍人出身の諜報本部高官である。評論家の財部誠一のような顔をしている。最愛の妻と娘がいるふつうの家庭だ。フルシチョフが核のスイッチを押す衝動的な動きをすると恐れている。ソ連の裏の裏まで知っている中、大胆にもアメリカと内通する。冷戦時代の映画では、ソ連はみんな敵だ。ロシア人らしい顔をした悪玉の顔はみんな似ている。ニニッゼはそこまででもないが、緊迫感あるシーンを見せつける。好演だ。


ソ連の貧困を隠すために外国にロシア人が出ないなんてセリフがある。そののち露呈されるが、核や宇宙開発で先陣を切っていても社会主義経済がすでに行き詰まっていたということも示されている。

⒊資本主義批判のクズ
最近日本では、資本主義批判をして、マルクスを持ち上げる人の本が売れている。斎藤幸平の本など読んでみると、世間知らずと呆れるばかりである。資本主義の根本というばかりでなく経済活動の基本である分業を否定するし、70年代くらいまでバックする位経済を減速させろという。バカには困ったものだ。


ここ最近、高度成長過程にあった中国がまるでバブル期の日本を思わせる不動産への規制を当局がおこなった途端、中国を代表する不動産会社がとんでもないことになっている。それを見ても経済成長の鈍化というさじ加減は難しいのだ。それなのに経済を70年代まで戻したら全員こじきだ。後戻りになったら国は貧困のどん底に落ちる。それなら彼らのいう社会施策の財源はない。経済音痴にはわからないだろうなあ。

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映画「シャン・チー テン・リングスの伝説」 シム・リウ&トニー・レオン

2021-09-04 07:47:47 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「シャンチー テン・リングスの伝説」を映画館で観てきました。


「シャン・チー/テン・リングスの伝説」マーベルスタジオのアメコミの実写映画化である。最近はこの手の作品はスルーすることが多いが、久々に香港のトニーレオンが観れるというだけで映画館に向かう。ミシェルヨーの姿がみれるのもうれしい。予告編で主人公シャンチーのカンフーアクションが凄そうというのもチェックしていた。要はシャンチーはカンフー的マーベルヒーローなのね。たまには武侠映画を観てみたい気持ちはある。

不老長寿の父(トニーレオン)と武芸の達人の母の元で幼い頃から殺人術を教えられてきたシャンチー(シムリウ)は、父のもとを離れサンフランシスコのホテルで駐車係を同僚のケイティ(オークワフィナ)とやっていた。ある時バスで突然身に付けていた緑のペンダントを狙われ暴漢に襲われる。その場は持ち前の格闘能力で切り抜けたが、同じペンダントをマカオにいる妹が持っているからと、ケイティとともに助けに向かうのであるが。。。


以上のストーリーはあくまで序盤戦、ストーリーは複雑ではないが、次から次へとシャンチーのもとに難関が押し寄せる。そして、父と再会するが、親子であっても必ずしも味方とは言えない要素もあり、敵味方が入り乱れていく展開である。

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」を見終わっての率直な感想としては、中盤過ぎまではおもしろかったという感じかな?いきなりの映画「グリーンデスティニー」を連想させる武侠アクションとバスの中で暴漢に絡まれた中でのサンフランシスコの坂道でのカンフーアクションにまず度肝を抜かれる。しばらく行けていないので、「新リスボアホテル」をはじめとしたマカオの夜のネオンにもウキウキする。高所アクションは映画の定石通りのスタイルだけど楽しめる。

でも、最終場面が近づくにつれ、急激にファンタジーの色が濃くなる。しかも、中国なので、竜が出て来る。ダイナミックな映像だけどこの辺りはちょっと微妙、なんかキングギドラとラドンが戦っているみたいな要素はちょっとやりすぎに見えてしまう。お金がかけられているのはよくわかる。この映画では中国語英語両方のセリフがあるが、子連れでなければニュアンスをわかるために字幕でみたい。

⒈トニーレオンとミシェルヨー
米国資本が武侠映画に資金を投入して、アンリー監督「グリーンデスティニー」とチャンイーモア監督「HERO」という名作ができた。色彩感覚に優れ、空間の使い方が衝撃的だった。ちょっと遅れているなあと思っていた中国映画界がこの辺りから一気に進化した。歴史的傑作だと思う。「グリーンデスティニー」のミシェルヨーと「HERO」のトニーレオンが出演しているだけで、期待してしまう。さすがに2人とも還暦に差し掛かる年齢なので、新しい中華スターへの世代交代も図られている。


トニーレオンを映画館で観るのが久しぶりだ。考えてみると、チャンツィイー共演の「グランドマスター以来だ。トニーレオンの履歴を辿ってみると、その後もいくつか出演しているようだけど、日本未公開だったりして縁がなかった。この映画のトニーレオンの風貌は香港で活躍した20年前の姿と変わらない。でも、声がかすれ声だった。不老長寿を感じさせるためにわざとやっているの?という気もするが、どうしちゃたのかな?気になる。あとはストーリーの問題だけど、トニーレオンの途中からの動きの意味がよくわからない。


⒉オークワフィナ
中国、韓国の混血のアメリカ人、日本人といってもおかしくない風貌でネイティブな英語を話す。前作「フェアウェル」ではゴールデングローブ賞の主演女優賞までいただいたが、そんなに良い映画とは思わなかった。でも、彼女の存在感は感じた。中国系に多い正統派美人女優ではなく、どこにでもいるような女の子である。自分にはアニメ「魔法使いサリー」のヨシコちゃんにダブってしまう。東京オリンピックの金メダリストのボクシングの入江選手にも似ている。彼女お笑い向きだよね。


ここではホテルの駐車係をシャンチーと一緒にやっている普通の女の子。コミカルな動きを見せる。日本でいえば吉本の芸人的な活躍で、最後まで笑いを誘う。映画に必要なのは美男美女だけでない。これはこれで重要な存在だ。

⒋シム・リウとデスティン・ダニエル・クレットン
デスティン・ダニエル・クレットン監督は日系の母親でアジア系の血筋もあるようだ。死刑囚の再審がテーマの前作黒い司法 0%からの奇跡とはまるっきり違う。伝統的黒人冤罪映画だからてっきり黒人監督による作品だと自分は勘違いしていた。映画界では相応の期待があるから、今回も起用されたのではないか。

「グリーンデスティニー」などの現代武侠映画だけでなく「燃えよドラゴン」などの古典的アクション映画のテイストも数多く引用している。序盤戦で、竹林の間での戦いで、自分が小学低学年の時のアニメ「風のフジ丸」を連想させる木の葉が舞い上がるシーンがあった。思わず提供の藤沢薬品の名前を連想した。これはこれで悪くない。


主演のシム・リウは初めて知る。正直無名の彼の名前だけでは映画館には足が向かない。アジア系の大スターに挟まっているにもかかわらず、激しいアクションも無難にこなしたのではないか。今後に期待したい。

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映画「明日に向かって笑え!」リカルド・ダリン

2021-08-11 21:50:52 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「明日に向かって笑え!」を映画館で観てきました。


アルゼンチン映画「明日に向かって笑え」の原作・脚本は、アカデミー外国語映画賞を受賞した「瞳の奥の秘密」の脚本を担当したエドゥアルド・サチェリである。主演のリカルド・ダリンが、今回も主人公のフェルミンを演じている。映画「瞳の奥の秘密」は上質なサスペンスで、ミステリーとしての先行き推理の楽しさもある。「明日に向かって笑え」という題名に、明るい響きを感じ、このコンビであれば間違いないと思って観に行ったが、自分にはハズレだった。

2000年前後に世界のあちらこちらで金融危機が起きた中で、アルゼンチンの経済危機についてはあまり知識がない。放漫な経済運営となるような体制なんだろうか?
映画を通じて意味がよくわからないし、預金封鎖がきっかけで預金が引き出せず、しかも没収された金が持っていかれるのはムカつくけど、強盗をはたらいて取り戻したらそれいいの?という感じもある。まあ、選んで観に行ってもハズレはある。

2001年8月、アルゼンチンの小さな田舎町。妻リディアと共に小さなガソリンスタンドを営むフェルミン(リカルド・ダリン)は、廃倉庫を買い取って、農業協同組合を作ろうと動き出す。町民たちから集めた15万ドルを元手に、不足分の融資を銀行に相談すると、支店長から全額の預金を指示される。


その翌日、金融危機によりドル預金が凍結され、フェルミンたちは無一文になってしまう。支店長が弁護士のマンシーと共謀し、顧客のすべてのドル預金を奪ったと知ったフェルミンたちは、夢と貯金を取り戻すために、奇想天外な作戦を実行する。(作品情報 より)


それでも、イマイチな展開かなと眠気が襲っていたとき、オードリーヘップバーンの姿が映り、急に目が冴える。フェルミンがビデオで映画「おしゃれ泥棒」の美術館でのシーンを見ている。ブーメランを飛ばすことで何度も美術館の警報機を鳴らして故障に見せかける。そして、防犯装置のスイッチを切らせるというシーンだ。この映画パリが舞台で、ファッショナブルな実に楽しい映画である。ジャガーEタイプに乗るオードリー・ヘップバーンが印象的だ。作戦を思いついた主人公が急にウキウキする。



おお!こうくるかと思わずうなった。でも、そのあとがもう一歩。切れ味がなく残念
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映画「ビーチ・バム」 マシュー・マコノヒー

2021-06-22 20:44:20 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ビーチ・バム」を映画館で観てきました。


マシューマコノヒーは相性の良い俳優である。「ビーチバム」は比較的評価良さそうだけど、上映館が少ない。もう無理かな?と思ったら渋谷でやっている。隙間時間に行ってみると、ちょっと飛びすぎかな?といった感じである。

途中でいったん落ち込むはずのストーリーなんだけど、主人公のテンションはまったく下がらない。常にハイ!だ。躁鬱病の躁病のようなもの。ドラッグやりながら作っているんじゃないかなあ。音楽もディズニーランドの場内にいるかのように、ハイテンションな曲が高らかに鳴り続ける。曲選びのセンスは悪くない。50年代から60年代のアメリカ映画でよくあるちょっとうるさめとこちらに感じさせる使い方だ。

生き方が悪ふざけという感じで、その昔の米国プレイボーイ誌のヒューヘフナーが裸の女性に囲まれてご満悦みたいな生活を連想する。ましてや、映るのはフロリダの海上で、開放感はこの上ない。でも、正直この映画をいいと思う人と自分の感覚は違うのかもしれない。観にいく人はハズレと思う覚悟が必要だ。


ムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は、かつて天才と讃えられた詩人。しかし今は、謎の大富豪である妻ミニー(アイラ・フィッシャー)の果てしない財力に頼り、アメリカ最南端の“楽園”フロリダ州キーウエスト島で悪友ランジェリー(スヌープ・ドッグ)らとつるみ、どんちゃん騒ぎの毎日を送っている。


浜辺でうたた寝し、酒場を飲み歩き、ハウスボートでチルアウトし、時たま思い出したようにタイプライターに詩をうつ…。そんな放蕩生活を自由気ままに漂流していたが、ある事件をきっかけに、ムーンドッグは一文無しのホームレスに陥ってしまうーー。(作品情報より)

まったく、感情流入ができないまま終わってしまった。

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映画「ファーザー」 アンソニー・ホプキンス

2021-06-19 18:52:11 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ファーザー」を映画館で観てきました。


「ファーザー」アンソニーホプキンスアカデミー賞主演男優賞を受賞した作品である。最近は観たいと思う洋画新作に恵まれず、やむなくたどり着く。公開してしばらく経つが、映画館は意外にも満席だ。きっと自分と同じ心境なのであろう。

主人公の認知症を映し出している作品であるのは予想通り。娘役は女王陛下のお気に入りオリヴィア・コールマンである。このコンビで英国映画特有の崇高な流れをもつ。起承転結が鮮明に出て、一つ一つの出来事を浮かび上がらすという映画ではない。場面を一筆書きのように連続的に描きながら、アンソニーホプキンスのボケぶりを徐々にエスカレートして見せていく。


演技巧者のそれぞれの演技には文句はない。観ているうちに自分の老後もつい心配してしまうけど、最後は「え!これで終わっちゃうの」というようなあっさりした感じで、傑作という感じはしなかった。スリラーだという人もいるがそうも思わない。でも、こうやって振り返るとこの映画は二度三度観て、理解が進むのかもしれない。

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー(アンソニーホプキンス)は記憶が薄れ始めていたが、娘のアン(オリヴィアコールマン)が手配する介護人を拒否していた。そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ? なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか? ひょっとして財産を奪う気か? そして、アンソニーのもう一人の娘、最愛のルーシーはどこに消えたのか? (作品情報 引用)

⒈連続性
場面が一定の範囲内に固定される室内劇映画は苦手な方である。この映画もある意味室内劇であるが、最後まで閉塞感がなかった。同じ室内にいるような錯覚を受ける。所々で窓の外から見る風景などで実は違った場面だというのを示す。それでも、ずっと同じところにいるのではという連続性を感じた。美術の卓越性が鮮明にでる。幾何の難問で補助線一本を鋭くひき解答に導く役割がここでは美術だ。


結果的にいくつか場所が移っているのであるが、場所が移転する事実は映画の場面で出ていない。気がつくと、アンソニーホプキンスは別の部屋にいるのだ。こういった錯覚感がある。当然認知症の症状が出ているわけであるし、現実に存在する人物なのかどうかもわからない人物もでてくる。ナタリーポートマンの「ブラックスワン」や一連のデイヴィッドリンチ作品のように現実と虚構を入り混ぜた場面でわれわれの思考を混乱させる。そこがこの映画のいいところだ。

⒉アンソニーホプキンス
もう84歳になる。映画界にはもっと年上のクリントイーストウッドもいるが、主演級現役俳優としては最高齢に近いだろう。続編が次々とできた「羊たちの沈黙」のレクター博士がオハコで、出演作品では最も印象に残る。ここでの枯れきった演技は申し分ない。アカデミー賞受賞に色気をだす年齢でもない。そんな時に映画の神様が微笑む。


自分の娘ローラによく似た介護士がでてきたと同時に、虚構かどうかわからない謎の男にピンタを何度もうけるシーンがある。二度でてくるが、介護士かどうかは余計な説明を入れない。自分が見捨てられるのではないかという恐怖で泣いてしまうシーンもある。こんな思いを感じてしまうことがあるのであろうか?

介護士には甘える。甘えた時には女性介護士は優しくしてくれる。まだ救いがあるんだけど、あと何年先になるかわからないが、自分も同じ場面に出くわすのであろうか?
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映画「ジュディを探して」 

2021-05-20 20:57:31 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ジュディを探して」は2018年アメリカ公開

Netflixもいい作品ばかりではない。ハズレを引きっぱなしでうんざりしてしていた時に偶然見つけたコメディだ。主演はハングオーバー」のエド・ヘルムズでお相手は人気若手女優のアマンダ・サイフリッドである。


日本未公開である。アメリカのコメディは日本で流行らないと思われていて、アメリカで2億7000万ドル世界で4億ドル以上のものすごい興行収入だった人気作品「ハングオーバー」も危うくDVDスルー寸前だった。もしかして掘り出し物かとみてみる。

TVのワイドショーの観客として拍手して日銭を稼いでいた男が、ある日突然誰もが知っている有名人になって生活が一変し、そのために大好きなジュディと会えなくなり懸命に探すという話である。

コロナ禍では見なくなった存在だが、TVのワイドショーや通販番組ではスタジオに見学者たちの集団がいる。うなずいたり、拍手したりする存在は万国共通のようだ。その参加料で日銭を稼いでいるのが主人公だ。米題は直訳すると「拍手男」、まさにその通りの男が突如有名人になってしまうというコメディである。評価はイマイチのようだが、お気楽にみる分には悪くない。


エディ・クランブル(エド・ヘルムズ)は通販番組のサクラとして生計を立てていた。エディはガソリンスタンドで働いているジュディ(アマンダ・サイフリッド)に好意を抱いている。

スティラーマンは夜の人気ワイドショーのキャスターだ。街の誰もが見ている番組で、観客で参加している1人の男が、ヒゲをはやしたり顔を変装したりして色んな番組に出演しているが、実は同一人物であると番組で紹介する。そして、この男を探してくださいと呼びかける。スティラーマンの番組で取り上げられたことで、エディは思わぬ注目を集めることになった。

しかし、ジュディのTVは壊れていて、エディがワイドショーで騒がれていることに気づかなかった。たまたま、デートするチャンスを得て博物館で恋をささやき合う。エディはウキウキだ。そんな中、エディの拍手仲間のクリスが同じような類いだとわかり、先に番組に紹介される。クリスと街を歩くと、TVの男だと周囲は大騒ぎで動画にもとられてしまう。


番組のクルーがエディの身辺を執拗に嗅ぎ回った結果、ガソリンスタンドに好きな女性がいるらしいと、ジュディが追いかけられる。とばっちりでジュディが解雇されてしまい、ジュディの行方がわからなくなる。エディはガックリだ。騒がれたTVと一線を置いていたエディも逆にTVを利用してジュディを探そうとするわけであるが。。。

⒈変装がバレる
よくもまあ、こんなやつに注目したのかと思うけど、あらゆる番組に変装して出演している。普通はワイドショーの観客がどうあろうと、どうでもいいような気もするが、キャスターは注目する。別に悪いことやっているわけではない。色んな公開放送のワイドショーを狙って出て行く奴って日本でもいるかもしれない。


ここでは変装がバレることが話のネタにされている。

⒉一般人が有名人に
一昔前と比較すると、TVをみんな見るわけではない。今日のNHKの発表によれば、10代20代は半分も1日に15 分以上TVを見ていないという。ワイドショーの人気キャスターと言ってもピンとこないでしょう。でも、ハリウッドが舞台のこの映画で、このキャスターには影響力がある。こんなつまらないネタでも一躍有名になる人物がいるのだ。地域性が高い米国ではあり得るのか。

街で主人公に出会うと、みんな動画を撮る。スターのようだ。そして、いきなりyoutubeにアップしてみんな大騒ぎ。それ自体がネタになる。そんな騒動である。どうでも良いストーリーかもしれない。でも、気はまぎれる。
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映画「ストックホルムケース」 イーサンホーク&ノオミラパス

2021-04-28 06:08:19 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ストックホルムケース」は2020年日本公開


監禁事件で、被害者が犯人に心理的つながりを持つというのをストックホルム症候群というらしい。「ストックホルムケース」はここのところ出番が多いイーサンホークが主演で、北欧系の女優ノオミラパスが色を添える。銀行強盗を扱った作品は山ほどある。ただ、監禁された銀行員が強盗犯に親しみを覚えるなんて設定は見たことない。

これが実話に基づくというのに驚く。70年代前半の雰囲気を、ニクソン大統領が映るTVニュースや服装やシトロエンなどの自動車などで醸し出して、簡潔な短編小説を読んでいるような気分にさせてくれた。


1973年、ストックホルムで銀行強盗が発生した。実行犯のラース(イーサン・ホーク)はアメリカ人の名を騙り、幼い娘を持つ行員のビアンカ(ノオミ・ラパス)を含む3人を人質にとり、服役中の犯罪仲間グンナー(マーク・ストロング)を釈放させることに成功する。人質と交換に金と逃走車を要求するが、警察は彼らを銀行の中に封じ込めて、長期戦に持ち込んでいく。

警察や政府の対応に不信感を募らせた人質たちは、ラースたちの境遇や人柄を知るにつれ親近感を覚え、両者は連帯感で結ばれていく。(作品情報より)

⒈簡潔でムダのないストーリー展開
まわりくどい前置きはない。銀行の入口前に銃を持って主人公は登場する。余計な話もなくいきなり銀行構内で銃を乱射する。お客さんを銀行の外に追い出し、従業員を人質にとり、立てこもる。そして、収監されている仲間を釈放させて一緒に銀行内に籠城するのだ。


一方で、警察もただでは済ませない。建物の周囲は固め、内部もじわりと包囲網をつくる。でも、なかなか事態は進展しない。


ここではノオミラパス演じる人質の女性ビアンカをクローズアップする。小さい子どもがいるから私を殺さないでなんて最初は言っている。映像は家族にもカメラを向ける。もともとビアンカは、犯人に強く反発していた。その後、市長と犯人とのホットラインでもなかなか事態が変わらず徐々に様子が変わってくるのだ。

⒉銀行の監禁事件
日本でこういう銀行監禁事件といえば、1979年大阪北畠の三菱銀行に籠城した梅川事件が有名だ。これは自分が大学生時代の事件で今の若い人は知らないかもしれない。結局犯人は射殺されたが、当時は日本中大騒ぎだった。いきなり、猟銃で警官を射殺した後、責任者は誰だと呼び出した支店長も殺してしまう。本気で銃を乱射するとなると、人質も言うことを聞かざるをえない。監禁した行員を裸にしたり、めちゃくちゃやった。

この映画では、警察から撃てるものなら撃ってみろと言われて、ノオミラパス演じる人質のビアンカを撃つのだ。倒れて死んだものだとみんな思う。ここがターニングポイントだ。TVでも射殺されたと大騒ぎだ。こいつは本気だということで展開が変わるのは同じかもしれない。

⒊ノオミラパス
スウェーデンの女優で、「ドラゴンタトゥーの女」で一歩抜けた存在となる。個人的には、ブライアンデパルマ監督作品「パッションが緊迫感溢れるサスペンスで見応えあった。いつも、強いベタベタのメイクをしているのに、薄いメイクで普通ぽい違う姿を見せた。


この映画でも「パッション」に近い普通メイクで、ノオミラパスだとはすぐにはわからない。途中まで普通の主婦であるが、突如として変態を愛する女に変身する。まあ、子供もいるのに何でこんな男に引き寄せられるの?こういうのを演じれるのもノオミラパスならではである。
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映画「グッバイ リチャード!」 ジョニーデップ

2021-04-26 18:16:26 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「グッバイリチャード!」は2020年日本公開


「グッバイ リチャード」ジョニーデップの主演作品。ここ数年はちょっとイマイチな作品にばかり出ている印象が強い。ただ、ラムダイアリーなど彼の駄作と言われる作品でも自分には合う映画が多く、相性は悪くない。

余命が短いと言われた大学教授が自分の好きなように生きていこうとする姿を描く。とっさに黒澤明監督志村喬主演の名作「生きる」を連想した。がんと言われて落胆した公務員が死ぬ前に公園を作ろうと突如奔走するというストーリーだ。ちょっと違うだろうなあとは思っていたが、ある意味似ている部分はある。世捨て人のキャラクターはジョニーデップには合っている。


自分もいい年になってきたので、いつ何時同じような状況になるかわからないと思いながらふと見てしまう。90分に簡潔にまとめていてムダもない。でも、傑作とは言えず世間の評価も良くないが、なぜか心に残る。

大学教授・リチャード(ジョニーデップ)に告げられた突然のがん宣告。博学でエレガント、真面目な夫として美しい妻と素直な娘との何不自由ない暮らしを送っていたはずのリチャードの人生は一変。追い討ちを掛けるかのように妻に上司との不倫を告白された彼の日々は予期せぬ展開を迎える。死を前に怖いものなしになったリチャードは残りの人生を自分のために謳歌しようと決心。

あけすけにものを言い、授業中に酒やマリファナを楽しむ。ルールや立場に縛られない新しい生き方はリチャードにこれまでにない喜びを与え、人の目を気にも留めない彼の破天荒な言動は次第に周囲にも影響を与えてゆく。しかし、リチャードの“終わりの日”は着実に近づいていて…(作品情報引用)

⒈家族には内緒
リチャードはがんで余命が短いと医師に宣告を受ける。家に帰って妻と娘にその話をしようとしたら、する間もなく娘は自分はレズビアンと告白して妻と揉めている。しかも、妻までリチャードが勤務する大学の学長と不倫していると言い出し話を切り出す間もない。結局その後もそのまま何も言わない。


「生きる」では志村喬演じる主人公が自らがんだとわかって帰宅してぼう然としている。それなのに、妻を早々に亡くして男やもめで育てた息子なのに、自分を追い出して家を建てる話を嫁としている。呆然とするばかりだ。思わず夜の街に1人飛び出して放浪する。結局、家族に言い出すことができないままだ。

それぞれ状況は違うがいちばん肝心な家族に言える状態でないということでは同じだ。この辺りは脚本家も「生きる」を軽く意識しているのであろう。


⒉単位はくれてやるから授業に出なくていいよ
リチャードは大学の文学部教授である。講義を聞きにきている学生たちにこう言う。「単位が欲しい人は今すぐ退席すればCの成績をあげるよ。」すると、大多数の学生は退出する。それでもまだ残っている学生はいる。いくつもの退出する条件をあげると、少しづつ退席するが、それでも10人程度の学生は残る。


そこからリチャードの特別講義が始まる。それぞれが読んできた「白鯨」などの作品の要旨を発表させる。それも教室でなくオープンエアでだ。すぐさま、リチャードは思った通りの論評をする。AをくれずBの評価だけど酷評された学生はふくれっ面だ。でも辞めない。しかも、酒場で特別講義は続く。リチャードはちょっとした隙間にバーの店員を口説いてトイレでいたしたりもする。そんな軽いノリだ。この辺りの展開は悪くない。


「生きる」志村喬は自分の疎外感を感じて、行ったこともないストリップ劇場に行ったり、伊藤雄之助演じる怪しい男と夜の酒場を彷徨い散財する。でも、翌日役所を辞めようとしていた小田切みき(チャコちゃんこと四方晴美のお母さん)演じる事務員と語り合い人生を考え直すのだ。リチャードも講義に出席している学長の姪と親密な会話を交わし、近づいていく。構造は似ている。


でも、リチャードは志村喬が汚い下水溝をふさぐ暗渠を作って公園にするためにこれまでになく奔走したような人生をかけた健全な動きはしない。

⒊ついに告白
親しい大学の同僚には自らがんだということは話した。でも他には話さない。妻の冷え切った態度は相変わらずである。抗がん剤治療を選択していないので、あっという間に病状は悪化する。体調も良くない。

そこで大学の学長や妻および大学関係者が集まるパーティがある。そこでの動きはネタバレなので話さない。ただ、ようやくがんであることを告白するのだ。そこからの展開はうーんという感じである。リチャードの妻はインテリ系の奥さんだけど、なんか嫌な女だ。こういう奥さんをもらっていなくて良かったとひたすら思う。


⒋もしも自分が。。。
母が13 年前がんで亡くなるとき、地元の医者に見てもらい、胃カメラでがんであることがわかった。その後で、大学病院へ行き、診察を受け抗がん剤治療となる。その際、自分が医師よりあと半年と言われた。ものすごいショックだった。

母にはそこまで進んでいるがんであることは隠して、しかも妹も含め周囲に言わず自分の胸に置いた。それとは知らず、母は生きようと抗がん剤治療に真面目に取り組んだ。委員を拝命された区の教育審議会の会合にも出席した。結局2年生きたが、限界だった。

自分はどうするんだろう。延命治療を願い出るのではないか。その間にいろんなことをしたい気がする。でも、逆にリチャードのような道を選ぶかもしれない。blogを終了するのもいつのタイミングにするのかな?ちなみに親しい友人にさえもこの映画blogをやっていることは言っていない。知っているのは妻と娘だけだ。しかし、2人とも読むことがない。そうなったとき、どう処置しようか?死にそうになったら止めといてねと娘には言うのかな。


やっぱり、相続にあたってどう処理するのか考える時間がないとまずい気もする。
ついついそんなことまで考えるきっかけになってしまった。
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映画「ファイブブラッズ」スパイク・リー

2021-03-23 10:47:45 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ファイブブラッズ」はスパイクリー監督によるNetflix映画

黒人人種差別に対するメッセージが強い監督だけにおおよそ内容が想像される。それでもメジャー監督作品なので、思わず観てしまう。ベトナム戦争の黒人帰還兵4人がサイゴン(ホーチミン市)に集合して、主戦場だった山奥のジャングルに向かい従軍中に見つけた金槐を取り出して一儲けしようとする顛末だ。


アメリカの黒人比率は11%なのに、ベトナム戦争に出征した軍隊の黒人比率は32%だったという台詞がある。黒人が最前線に行かされていたのは間違いない。自分が小学校の頃、最強のヘビー級チャンピオンであるカシアスクレイ(モハメド・アリ)が従軍拒否をしたのが子供心に記憶に残る。そんなシーンも出てくる。正直、何でアメリカがベトナム戦争に関わるのか我々日本の子供は誰も意味がわからず、大人になってからも納得させられる理由に出会っていない。

米軍が制空権を制して、爆撃を繰り返してもベトコンのゲリラ戦には米軍は難儀したものだ。ベトナム戦争に加わった米軍兵士も大義名分がなく、厭戦でやる気も失せるだろう。そんな戦争の途中で偶然金塊に出会った兵士たちのハンフリーボガードの映画「黄金」ばりの物語だ。スパイクリー監督だけに人種差別も含めた社会問題をかなり盛っている映画である。

アフリカ系アメリカ人のベトナム帰還兵、ポール(デルロイ・リンドー)、オーティス(クラーク・ピータース)、エディ(ノーム・ルイス)、メルヴィン(イザイア・ウィットロック・Jr)が、45年ぶりに久々サイゴンで再会する。現代のサイゴンは近代化している。

戦地で銃弾に倒れたノーマン隊長(チャドウィック・ボーズマン)の遺骨を回収するとともに、戦争中のどさくさで見つけて、終戦後に取りにこようと土の中に埋めた金塊を探し出すことだった。PTSDに苦しむポールを心配した息子のデイヴィッドも加わり、5人は戦地へと向かう。


川の上流に向かい、ラオスの山奥に入る。見覚えのある地形で遺骨を懸命に探そうとする。金塊の換金で裏社会のボス(ジャンレノ)に相談をしたこともあり、5人が金槐を探している情報が既に出回っていた。しかも、周囲は旧ベトコンが地雷をあちらこちらに埋め込んでいる。そんな危険なエリアにきて、地雷が爆発したり、お互いに疑心暗鬼となり仲違いしたり敵味方入り乱れていくのであるが。。。


⒈スパイクリー
スパイクリーの映画では完全に白人は敵だ。前作「ブラッククラウズマン」では白人至上主義の団体をオーバーに登場させたりしていた。ここでも、相変わらず過激な白人批判が飛び交う。ドキュメンタリー映像も黒人に都合の良い映像ばかりである。時代が70〜80年代くらいならわかるけど、キング牧師が亡くなってから半世紀以上経って状況は違うと思うんだけどね。でも、このくらい白黒ハッキリする方が映画の構造としてはメリハリがつくかもしれない。


正直途中でストーリーは訳が分からなくなる。4人のうちの1人ポールベトナム戦争で心に傷を負ったPTSDで、敵味方が入り乱れてからはアレ?どうだったけ?

⒉ソウルフルなムード
音楽のセンスは抜群だ。旧サイゴンでソウルフルな曲が流れるダンスフロアのあるディスコ(クラブ)に4人が連んで入るシーンがある。歳をとっていてもかっこいいよね。ボートに乗って戦地に向かうときには、「地獄の黙示録」で流れたワグナーだ。いざ出陣という勢いがつく。マービンゲイの曲『Inner City Blues』や『What’s Going On』が効果的に使われるのもいい感じだ。いつも何気なく聴いているけど、結構歌詞は凄いこと言っているんだよね。


⒊ホーチミン(サイゴン)
今から6年前にホーチミン市に行った。活気のある街だ。旧フランス領だったというのを偲ばせる洋風の建物が高層ビルが立ち並ぶ一角に建つ。この映画でも一部出てくる。その中を大量のバイクが滑走する。TVでよく見るこの光景も身近で見ると圧倒される。信号が割と少なくて、バイクが走る中横断するのに難儀した。

ベトナムの後にクアラルンプールとシンガポールに行ったけど、シンガポールは日本より物価は明らかに高くてホーチミンが物価は一番安かった。それでも、一昔前とは考えられないくらいに発展しているのを実感した。自分が大学生の頃は、東南アジアと対等な交易ができるように経済を発展させようと教授が話していた。今やどっちが上だかわからないくらいだ。

この映画では、その昔戦ったベトコン戦士と黒人退役兵たちがバーで出会うシーンがある。もうわだかまりがない。それは実感として感じるものがあった。
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映画「コロンバス」

2021-03-21 19:12:54 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「コロンバス」は2017年のアメリカ映画

久々のDVDレンタル屋で漁っているうちに見つけた作品。日本公開は2020年3月だったようで、コロナ禍まったく気づかなかった。モダニズム建築が多く建てられているコロンバスが舞台という紹介で、みてみたい気になる。そもそもコロンバスという街のことは正直知らなかった。インディアナ州にある人口4万人ほどの小さな街だ。この位置だと、たぶん一生行くことはないだろう。


期待通りで、映像に映るコロンバスの街にある建築作品はどれもこれも素晴らしい。メガホンをとったコゴナダも建築が好きなんだろう。ガラスが全面に貼られているモダニズム建築のだけでなく、レンガ貼りのアメリカっぽい建物もいい感じだ。いい建物をピックアップしている。


建築の専門家でもアメリカのど真ん中にあるコロンバスには行ったことある人は少ないだろう。ニューヨークで名建築巡りをしたり、シカゴでFLライトの建物が数多く建つオークパークに行ったことはあるが、それらに比較しても劣らない。

First Christian ChurchとNorth Christian Churchの両方の教会は何度も映像に映るが素晴らしい。目の保養になった。


建築学者の父が倒れたという報を受け、韓国に移住していた息子のジン(ジョン・チョー)はアメリカインディア州の小さな街コロンバスを訪れる。父との確執もありこの街に留まることを厭うジンが出会ったのは、夢を諦め母の看病を理由にこの街に留まる図書館員のケイシー(ヘイリー・ル・リチャードソン)。
どこまでも対照的な二人の運命が交錯し、建築を巡り、語ることで、それぞれの新しい人生に向かって歩き出す…。

ストーリーは正直何が何だかよく分からない。地元の図書館員であるケイシーはいかにもハリウッド女優というような派手さは皆無で、庶民的な感じが好感持てる。もともと近い存在だったボーイフレンドがいたにもかかわらず、ふとしたことで知り合ったコリア系のジンに惹かれて一気に近づいていく。


母親の看病で地元を出られないケイシーは建物巡りのガイドも志す。有名建築家の息子だというジンを引き連れて建物を巡っていく。父親が名建築家という素性に反発する人生を送ってきたというジン自体はそんなに建築は好きではない。しかも、性格もわるい。個人的にはこういう奴は付き合いたくないタイプの男だ。


それでも素敵な建物やインテリアを目の前にして2人が自分の好き嫌いをお互い語り合うのがいい感じだ。気の利いたカフェでBGM的な感じで映像を流すんであればいいんじゃないかな。
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