ちひろさんという方は、琵琶湖のほとりに住んで居て、詩的な写真、感性ゆたかな写真、藝術美を感じさせる写真、寂寥感あふれる写真などなど印象深い作品をブログ、http://blog.goo.ne.jp/hanafubuki33 へ掲載しています。何時見ても画面が透明感を与えています。心が美しいのでこのような写真が撮れるものと感心しています。今日は、詩情あふれる琵琶湖の風景写真を転載して、お送りいたします。一番上の写真は琵琶湖の堤防の上に作られた道です。明るい晴天の下で、何故か寂しい雰囲気を感じさせる写真です。その下の写真は琵琶湖の遠景の広がりと岸辺の波の戯れを撮ったものです。何故か、初夏という季節が写っているようです。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。
山形県の北東端の山地に江戸幕府天領の銀鉱山があった。銀山川の渓流沿いに江戸時代から温泉宿があったという。現在は上の写真のように大正時代、昭和初期に建てられた旅館が立ち並ぶ。最後の2枚の写真は温泉街の奥にある白銀の滝と、銀採掘の時に出る地下水の排出口を示しています。
兎に角、交通が不便です。宿泊の費用が一流旅館だけなので覚悟する必要があります。しかし一泊はしたい場所です。夜の温泉街のそぞろ歩きも素晴らしいと宣伝しています。
撮影場所:山形県尾花沢市大字銀山、銀山温泉、詳しくは、
http://www.ginzanonsen.jp/index.html をご覧下さい。
撮影日時:2008年7月5日午前10時頃、撮影者:Mrs.Fujiyama
これは仕事の上での恥ずかしい失敗の話です。しかしその失敗の後に深い喜びを感じました。それから十数年して、私へ深い喜びを与えてくれたアメリカ人の学者に初めて会いました。老人になっていました。研究をやめて一人で寂しそうにゴルフ場へ通っています。その小さな後ろ姿に「老いの哀愁」を感じ、人生の儚さを知りました。しかし現在の私もその年齢になり、時々「老いの哀愁」を感じています。老いとは悲しい現実です。
若い時、自分ながら見事な論文が書けたと有頂天になり、アメリカの学会誌へ投稿したことがあります。印刷公表される前に厳重な審査があるので有名な学会誌です。しばらくして恐ろしい審査結果が返ってきました。
「この論文は非常に重要な問題を提案している。しかしその解答のための数学に大きな間違いがある。しかし、新しい重要な問題を提案しているので没にしないで、一度著者へ返却した後で、印刷・公表した方が良い」
その後いくら検討しても数式の間違いは見つからない。自分の数学の学力不足なのです。仕方なく訂正なしで返送しました。編集部から急いで印刷、公表すると連絡がありました。そして、翌月に間違ったまま掲載になりました。間違った論文が世界中へ公表されたのです。
数式の間違いを自分で見つけたのは3年後でした。
どの学会誌でも審査員は匿名です。公平な審査に深い喜びを感じ、学会誌の事務局へ手紙を送りました。「非常に公平な審査をして頂いたので審査員へ御礼の手紙を出したいので、住所・氏名を教えてください」、と書きました。
審査員はクリーブランドにある大学のクレーガー教授でした。お会いしたことは無かったが、飛ぶ鳥を落とすような勢いで数々の論文を発表している有名な研究者でした。私は、「審査が素晴らしかった、感動したのでお礼状を差し上げます」と、航空便を送りました。 教授からは感謝してもらって嬉しいという短い返事がきました。
クレーガー教授に一度は会ってみたいと思いつつ、年月が流れて行きました。しかし、十数年後の1990年に、オハイオ州立大学で偶然会えたのです。クリーブランドの大学を引退しオハイオの大学の客員教授で夏の三カ月だけ来ていたのでした。
自己紹介の後、「クレーガー先生、1980年に私の投稿論文の審査をしてくれたのを憶えていらっしゃいますか?」「ああ、良く憶えているよ。審査結果に感動してお礼状をくれたので特に憶えているよ」「日本では些細な間違いでも没になります。寛大な審査でしたので感動したのです」「そうですか?あの審査結果の報告の形式はアメリカでは普通で、アメリカ人からはお礼状なんて来ません」
聞けば、老齢になったので大学を引退したという。体も小さく、ヨボヨボと歩いている。車も運転出来ないと言う。オハイオでは小さな論文を一つだけ書けば良いという契約で夏の間だけ招待され、遊んでいます。寂びしそうに微笑んで言います。毎日ゴルフに行っているとのこと。ただ車が無いのでタクシーで通っているという。
すぐに送り迎えを申し出て三回ほどゴルフ場へ通う。四回目に、「勤務時間中に来てもらうのはやはり遠慮するよ」と丁重に断られる。その淋しそうな老人とはゴルフ場で別れた。その後消息を聞いていない。もう天国へ引越したのだろうと思い、時々、冥福を祈っています。
長い人生には色々な出会いと別れがあるものです。懐かしく思い出す私の人生のエピソードです。(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
下の写真は勢いよく流れ下る湯の滝ですが、見上げながら何故か「老いの哀愁い」を感じました。若い頃家族で見上げた楽しい日々を考えていたのかも知れません。