後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ある人の訃報に深く感慨を覚える

2010年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

私はマスコミの商業主義的な報道姿勢へ対して厳しい意見を、このブログで度々書いてきました。しかし今日の読売新聞、38ページの訃報報道には深く感謝いたします。

その訃報は,無教会主義者、内村鑑三の流れをくむ第三世代の重鎮、高橋三郎氏が89歳で亡くなり、東京港区赤坂1の14の3の霊南坂教会で、28日午後1時30分からお別れの会があるというお知らせです。喪主は、妻の美佐子さんです。

私のように世界的な固い組織のあるカトリックの信者にとっては、無教会主義は常に考えねばならないことです。

その上、内村鑑三の第三世代の重鎮とは興味深い報道ぶりです。

内村鑑三は明治時代にキリスト教を日本人独自の信念で、咀嚼、理解し、血肉化した偉大なキリスト教徒です。日露戦争に賛成したと批判する人々も多いのですが、私の大好きな日本人的な本物のクリスチャンです。

その流れを汲む人が居て、第三世代だという報道なのです。その人は89才で天に召された高橋三郎さんです。

天にまします我らの父よ、そしてイエス様、どうぞ高橋三郎様を天国へお迎え下さい。


甲斐駒の麓の小屋へ行って来ました

2010年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は山小屋へ家内と日帰りで行ってきました。

鬼家(オニイエ)さんの山荘により、モリアオガエルの成長ぶりを見てきました。眼がパッチリとして、人相がとても可愛くなって来ました。

その姿の写真は明日掲載します。梅雨空の下の雑木林はほの暗く、静かでした。遠方で松蝉とミンミン蝉が小さな声で鳴いていました。

おやすみなさい。   


自然豊かな大月市の風景写真

2010年06月27日 | インポート

山梨県の東京よりにある大月市はJR中央線で、東京駅から乗り換え無しで1時間50分です。山々に囲まれ、桂川の深い谷川が流れています。昔から甲州街道の重要な宿として栄え、武田信玄の時代には、その24将の一人の小山田氏が大月市北に聳える岩殿山に城を築き、八王子城の北条一族と対峙していました。

大月市として検索すると生活情報が出ていますし、大月観光協会として検索すると観光情報が出ています。以下に、昨日撮影して来た大月市の風景写真をお送りします。

014 053 061

028_3 032 036 056 069 072


少女小説で、2つの感心したことが有りました

2010年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログは国際政治から科学、源氏物語、旅行記などなどとりとめも無い雑多なことが書いてあります。本当をいうと話題を幅広くして、読者層を老人だけにならないように努力しているつもりです。そこで、少女小説を取り上げました。前回の記事;携帯小説を見る方法をご紹介致します に続けて、その先を転載しました。

少女小説を読むのは初めてです。根気良く読みましたら2つの感心すべきことがありました。まず、美しい日本語で書かれていることです。そして少女のみずみずしい感じ方が分かり易く書かれていることです。内容は老人にとっては退屈なものが多いと想像できました。感心すべきことが2つもあったので、続きを以下に掲載します。転載許可を下さいました、チルさんへ感謝致します。

=======================

カンパニュラ著、「不安の季節」の3ページ目から、(http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=say620&..

SUNと同じ発音で違う意味の単語知ってますか?」
と先生は続けてタカシに質問した。
若い女の先生は、いたずらっ子っぽいタカシを面白がっているようだった。
「知りません!」
タカシは即答した。

・・・誰でも知っているでしょ・・・

私は可笑しくなって、一緒に来ている友達の顔を見ようとした。
彼女達は下を向いており、首を上げた私だけが、先生の視線に捕まった。

「ユリさん、知ってるでしょ?」

「ハイ・・・息子・・・SON」

「そうよ!
タカシ君!
君はお父さんの息子でしょ?」

「たぶん・・・」とタカシが答え、みんながドッと笑った。

授業が終わり、友達と3人で話をしながら校庭に下りていくと、タカシと友達がサッカーボールでリフティングをしていた。
私達は女子高に行っていたので、サッカー部はなかった。
リフティングはまるで、曲芸のようで、目を奪われた。

見物していると彼らは調子に乗って、肩や頭でもリフティングをやってみせた。
ボールがそれて、タカシが受け損なった時、私は思わずそのボールに手を伸ばした。

「足で取らなきゃ!」
タカシにボールを手渡すと、彼は白い歯を見せて笑った。

「頭いいよな~私立なの?」

褒められたせいか、見つめられたせいか、私は一瞬にして顔に血が昇り真っ赤になった。

・・・やだやだ!見られたくない!・・・

タイミングよく先生が後ろから
「授業が終ったら、早く帰りなさ~~~い!」
と叫んだ。

「うるせ~な~先公!」
タカシが小さな声でつぶやいた。

そんな言い方をして、不良っぽいなと思った。
ちょっと怖くなった。

4ページ目から24ページまで省略します。そして以下は25ページ目です。


「男でないこと」

15歳で母を亡くした。
愛情に飢え死にしそうな私はさぞや物ほしそうな目をしていたことだろう。
道を歩くだけで、男達から次々に声がかかった。
始めは道を聞かれるのかと思って立ち止まった。
すぐにある一定の速度で歩かなければ、手を引かれることに気付いた。
通りすがりに1万円札を握らされることもあった。
自分が、そのような対象に見えることが15歳の私には不潔に感じた。

大人が嫌い・・・
男の人が怖い・・・

同じ年頃のボーイフレンドに守って欲しかった・・・

でも、彼も男だった・・・


小樽のニシン倉庫が巨大なガラス細工品の店になった・・・時代ですね!

2010年06月27日 | 写真

小樽の運河にあがった大量のニシンをトロッコで運び、保管しておく「北一」という巨大な倉がありました。今でもトロッコのレールが店内に残っています。一番上に写っている北一倉庫が5棟くらい横に並んでいて、内部は全てつながっていて、巨大なガラス細工の店になっています。ニシン倉がガラス細工品の店に化けるたのです。しみじみ時代の流れを感じさせ、感慨深い思いをしました。撮影は6月17午後4時頃でした。

018 019 028

017 025 026 027 029 030


遠視、近視、斜視・・・苦労します(2)国内政治と国際関係の見方

2010年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

身の回りのこと、近所のこと、自分が住んで居る町のこと。それだけに関心があって国家や外交に関することに一切関心を持たぬ生活態度があります。さだめし、これを近視眼的生活態度と言って良いと思います。それに対して外国の事は全てに強い興味が有り、何でも知っている人が居ます。しかし日本の事は関心が無くて、何も知りません。これでは遠視眼だけを持っている人としか言いようがありません。

さらに、欧米の事だけに関心があり、アジア諸国やアフリカには全く関心が無い人がいます。欧米だけを尊敬し、アジアやアフリカの諸国を軽蔑しています。こういう人は斜視なのでしょう。

この斜視はいけません。遠視と近視はどちらも重要です。身じかの事と外国の事にバランス良く関心を持っていることが理想的な生き方ではないでしょうか?

しかしどうも近視眼的な生き方の人々が多いのも現実です。外国の事や国際問題に関心の無い人々が圧倒的に多いようです。証拠は幾つかあります。まず大新聞のページ数の配分から分かります。たとえば読売新聞の朝刊は40ページ位ですが、国際ニュースの欄は2ページ弱です。40ページの中の2ページは5%です。他のページは娯楽情報、スポーツニュース、国内の経済ニュース、国内政治のニュースなどで埋め尽くされています。

もう一つの事実は国会議員の選挙での時です。街頭で演説している候補者が国際問題を取り上げて話し出すと聴衆が消えてしまうらしいです。「外交政策を述べると票にならない!」ということも、しばしば聞きます。それよりも毎日の生活に直結した消費税や所得税を下げるような話をする方が得票に繋がります。当選してから増税派に鞍替えすれば良いのですから。

外交に関心が無いので、外務省の役人が自分達の権利拡大のために国際関係を勝手に動かしても誰も文句を言いません。それはいけないと、民主党が政治家優先の方針を強くしたのです。政治家は少なくとも国民の選挙で選ばれています。一方、外務省の役人は東大や京都大学を卒業して、外交官試験に優秀な成績で合格した人々なのです。始めから庶民感覚が皆無な人々なのです。

多くの人々が国際関係に無関心で国内的視点、・・・すなわち近視眼的な見方で基地反対を叫ぶのです。日米関係はお互いに相手の考え方を理解し合って保持しなければ悲劇的な結果になるのです。

その上、鳩山さんまでが近視眼的に基地不要論を展開したのです。アメリカが日本に基地が絶対必要だと考えている時にいきなり反対するのは外交ではありません。喧嘩を売って相手を怒らせるのは一番損する外交の方法なのです。

その上、日本が第二次大戦でアメリカに敗れたという歴史的事実を軽々しく考えては間違います。卑屈になる必要はありませんが、アメリカ人の心の底にはその事実があるのです。

第二次大戦は自分の生まれる遥か前の事だから関心が無い。そのような日本人が増えたのです。それだけに日米関係を注意深く進めて行く必要があると信じています。

遠視眼的な考え方と近視眼的考え方のバランスが悪いと思っています。もっともっと遠視眼的な考えを強くした方が良いと思います。国際関係や外国の考え方を重要視する方向に変えた方が良いではないでしょうか。

貴方はどのようなお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人