身の回りのこと、近所のこと、自分が住んで居る町のこと。それだけに関心があって国家や外交に関することに一切関心を持たぬ生活態度があります。さだめし、これを近視眼的生活態度と言って良いと思います。それに対して外国の事は全てに強い興味が有り、何でも知っている人が居ます。しかし日本の事は関心が無くて、何も知りません。これでは遠視眼だけを持っている人としか言いようがありません。
さらに、欧米の事だけに関心があり、アジア諸国やアフリカには全く関心が無い人がいます。欧米だけを尊敬し、アジアやアフリカの諸国を軽蔑しています。こういう人は斜視なのでしょう。
この斜視はいけません。遠視と近視はどちらも重要です。身じかの事と外国の事にバランス良く関心を持っていることが理想的な生き方ではないでしょうか?
しかしどうも近視眼的な生き方の人々が多いのも現実です。外国の事や国際問題に関心の無い人々が圧倒的に多いようです。証拠は幾つかあります。まず大新聞のページ数の配分から分かります。たとえば読売新聞の朝刊は40ページ位ですが、国際ニュースの欄は2ページ弱です。40ページの中の2ページは5%です。他のページは娯楽情報、スポーツニュース、国内の経済ニュース、国内政治のニュースなどで埋め尽くされています。
もう一つの事実は国会議員の選挙での時です。街頭で演説している候補者が国際問題を取り上げて話し出すと聴衆が消えてしまうらしいです。「外交政策を述べると票にならない!」ということも、しばしば聞きます。それよりも毎日の生活に直結した消費税や所得税を下げるような話をする方が得票に繋がります。当選してから増税派に鞍替えすれば良いのですから。
外交に関心が無いので、外務省の役人が自分達の権利拡大のために国際関係を勝手に動かしても誰も文句を言いません。それはいけないと、民主党が政治家優先の方針を強くしたのです。政治家は少なくとも国民の選挙で選ばれています。一方、外務省の役人は東大や京都大学を卒業して、外交官試験に優秀な成績で合格した人々なのです。始めから庶民感覚が皆無な人々なのです。
多くの人々が国際関係に無関心で国内的視点、・・・すなわち近視眼的な見方で基地反対を叫ぶのです。日米関係はお互いに相手の考え方を理解し合って保持しなければ悲劇的な結果になるのです。
その上、鳩山さんまでが近視眼的に基地不要論を展開したのです。アメリカが日本に基地が絶対必要だと考えている時にいきなり反対するのは外交ではありません。喧嘩を売って相手を怒らせるのは一番損する外交の方法なのです。
その上、日本が第二次大戦でアメリカに敗れたという歴史的事実を軽々しく考えては間違います。卑屈になる必要はありませんが、アメリカ人の心の底にはその事実があるのです。
第二次大戦は自分の生まれる遥か前の事だから関心が無い。そのような日本人が増えたのです。それだけに日米関係を注意深く進めて行く必要があると信じています。
遠視眼的な考え方と近視眼的考え方のバランスが悪いと思っています。もっともっと遠視眼的な考えを強くした方が良いと思います。国際関係や外国の考え方を重要視する方向に変えた方が良いではないでしょうか。
貴方はどのようなお考えでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人