後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

哲学と宗教の違いは簡単です

2010年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、日本人の西洋文化輸入の大間違い という記事を書きました。その中で哲学と宗教の関係と、2者の間の明確な違いを書かなかったので補足いたします。

哲学は宇宙で起きるあらゆる現象の法則性を考え、いろいろな宇宙観を提案します。

一方宗教では、神が宇宙をどの様にして作ったかとか、神と人間のあいだの契約や宇宙の法則を教えます。仏教でも宇宙の全ての物体は、人間も含めて「空」であると教えます。従って高等宗教はそれぞれ独自の宇宙観を提示しています。

それぞれの教義は哲学の一種と分類出来ます。キリスト教的哲学とか佛教的哲学と呼べば分かり易いですね。そのような宗教的哲学を信仰の対象にすれば、その哲学は宗教に変わります。従って、宗教書は信仰を強める方法の教えも、祈り方も、儀式の方法も含んで書いてあります。

結論を簡単に言ってしまえば、宗教の教義は哲学の一種類と分類出来ます。宗教はその哲学を信仰することです。信仰が有るか否かでその哲学の一種が宗教に変化するのです。

それでは富士山の頂上からご来光を拝むのは哲学でしょうか?宗教でしょうか?

拝むかぎりにおいて、それは宗教です。富士山に登らないで、そして自宅からも朝日を拝まない人もいます。しかしその人が太陽が地上を照らすお陰で生物が生きて行けると考えていたら、それは哲学の一種ですね。あまり緻密ではありませんが、それは一つの宇宙観になっています。

神社を参拝するのも宗教行為です。しかし神道は普遍的な宇宙観を完全な形では提案していません。哲学的な考えがあまり含まれていません。

高等宗教と原始宗教の違いは普遍的な宇宙観を提示しているか否かによって分類します。神道は原始宗教、そして仏教は高等宗教と呼ぶのはこのような理由によりますね。

哲学と宗教の違いを何時も明確にして置いた方が混乱が起きなくて良いと思いますが。貴方のご意見はいかがでしょうか?


この鬱陶しい梅雨を心楽しく過ごす方法・・・庭の花々と仲良くなる

2010年06月29日 | うんちく・小ネタ

梅雨時は鬱陶しいですね。その上、日を追うごとに気温が上がって来て、蒸し暑くなってきました。しかし、庭にある小さな花々にとっては快適な毎日らしく、日々美しくなっていきます。そんな花々と仲良くなって、彼等の気持ちになって見ると梅雨時も心楽しく感じられるから不思議です。小さな庭にいきいきと咲いている8種類の花の写真をお送りします。ムクゲ、アジサイ、ハナザクロ、ミオウヤナギ、テイカカズラ、アヤメ、スイレン、メドウセージ、の8種類です。梅雨の鬱陶しさが消えれば嬉しくおもいます。

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猫好きの方々へ送る、可愛い猫の写真3枚です

2010年06月29日 | 写真

水戸にお住まいの玲さんはいつも素晴らしい写真を発表していらっしゃいます。そのブログは「日々の思いをカメラに・こころのままに」という名前です(http://blog.goo.ne.jp/koiredawa)。その中から今日は猫好きの方々のために3枚の写真をお送りします。いつもは鮮明かつ緻密な傑作写真が多いのですが、この3枚は携帯で撮ったので画素数が少なくいつものとは少し趣が違います。是非、彼女のブログの写真もご覧下さい。玲さん、転載許可を下さいまして、有難う御座います。

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日本人の西洋文化輸入の大間違い

2010年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

江戸時代は鎖国でした。ヨーロッパ文化はオランダだけから細々と入って来ました。しかし明治維新でいきなり開国し、西欧文化を遮二無二に輸入し、富国強兵を進めました。

西洋文化の中から、富国強兵にすぐに役に立つ分野だけを集中的に取り入れたのです。従って西洋文化の各分野をバランス良く取り入れることはありませんでした。バランスが悪いだけでなく、とんでもない間違いをしているのです。

昔の話で恐縮ですが、アメリカの大学へ留学したとき、この間違いを体験的に理解しました。日本の大学では学問を教えるところだと散々聞いていました。ところがアメリカへ行ってみると、学問という英語が存在していません。大学という学校では「哲学」を教える所だと言うのです。

明治政府が大学を作る時、ヨーロッパの大学を形式的に真似をしましたが、教える内容を富国強兵にすぐ役に立つように変えてしまったのです。

「哲学」という言葉を見ると多くの日本人は顔をしかめます。難しくて理解できない。何の役にも立たない。厭な分野だ。厭な事は考えないで、気楽に生きよう。

アメリカの大学では、まず「哲学は簡単なもの」という事から教えます。自然界で起きる現象の法則性を考えるのが哲学ですと。人間の行動も自然現象ですと教えます。

例えば、近所の八百屋のおかみさんも、季節によって売れる野菜が違うことを知っています。お客さんの買う態度に、季節によって違う法則性を、体験的に知っています。この法則が哲学の一種なのです。商売現象の法則性だけが哲学ではありません。科学は自然界の現象の因果関係の法則性を明らかにする分野なので、科学の全ての分野は哲学の一部です。

これは自分の自慢話です。私は哲学書を一冊も読んだことが有りませんが、アメリカで哲学博士の称号を貰いました。ごく狭い科学の分野の研究をしただけです。その体験を得てから、目から鱗が落ちるように欧米の大学と日本の大学では存在目的が大きく違うことを理解出来たのです。

欧米では哲学を研究して教える為に大学が存在するのです。日本では富国強兵のためにすぐに役に立つ知識だけを教授が欧米から輸入して学生へ教えるのです。

現在の日本では、「富国強兵」の強兵は無くなりましたが、富国が残りました。日本の経済的発展の為にすぐに役に立つ技術を教える工学部や経営学部や経済学部がやたらと学生定員が大きいのです。

そうかと思うと哲学とは無関係な文化系の学部の学生も多いのです。

大体、Philosophyや、Scienseや、Technoplogyを哲学、科学、工学と翻訳したのが間違いのもとです。3つとも「学」の字がついていて並列にならぶ分野の違いという意味になってしまいます。哲学がすべてを含み、一番上にして考えると体系的に分かります。日本人は学問というと深遠で立派なものだと思います。しかしその一方で学問は知識を多く暗記する事とも理解しています。そのような理解で欧米の知識を現在でも輸入しています。日本が欧米から買っている特許の金額が、売っている金額の10倍なのです。

この日本と欧米との文化の質の大きな相違に気がついて居ない人々が多すぎる。そんな思いは老境になった現在でも一向に変わりません。

書いてはいけないと封印してきた思いを書いてしまいました。心に詰まっていたシコリです。シコリは忘れて、気楽に生きることが出来るような気分になりました。

あなたも心にシコリを抱えていたら、公表してしまうと楽になりますよ。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人