後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中

2012年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、考古学的趣味にとりつかれて車で2時間以内に行ける展示館を探して出かけています。幾つも記事を掲載しましたが、以下はその代表的な記事です。

日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見

私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷

所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代

先日、相模原市の田名向原遺跡公園を訪問した折に入手した資料をその後丁寧に読みました。

そうしたら相模原市の相模川北岸の塩田、田名、谷原、東原などの地名の地域は驚くべき考古学的史跡の宝庫なのです。

2万年前の旧石器時代の住居跡と3000個の精巧な石器の他に5000年前の縄文時代の住居跡、そして1400年前の13基以上の古墳が発見されたのです。

発見された住居跡や古墳は田名向原遺跡公園に復元されています。

考えてみるとこの相模川中流の北岸の平野は人間が住みやすいので、2万年前の旧石器時代から絶えることなく人間が住みついていたのです。

それがが発見されたのは平成になってからです。相模原市や文部科学省からの研究調査費の支出が大きな考古学上の進歩をもたらしたのです。

実はこのような旧石器時代の発掘を多くの市町村が実施しているのです。それは主に平成時代になってからのことです。

その結果、日本には約4万年前の旧石器時代から人間が住んでいたことが明確になったのです。精巧な黒曜石製の石器も沢山出てきたのです。黒曜石の産地と流通経路も明らかになったのです。

今日は田名向原遺跡公園に復元されている住居跡や古墳の写真を以下に示します。

まず20000年前の住居跡の説明です。

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下は公園に復元された円形の住居跡です。12本の柱穴と2か所の炉の跡が示されています。

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次は5000年前の縄文時代の家跡の説明です。

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下は5000年前の縄文時代の住居を公園に復元したものです。

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次は1400年前の古墳の発見の説明です。玄室から直刀や装身具も出て来ました。

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下はその古墳の復元です。

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この古墳の約1400年後の平成21年に以下の展示館が完成したんぉです。

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こうして上の写真を見るとこの地域の約2万年の歴史が概観出来るのです。

人々の生活は縄文時代、弥生時代、古墳時代になってもほとんど変わらなかったというのが真実に近いと思います。

円形の掘っ立て小屋に住み、土器や木製の農具を使い、石器も相変わらず使っていたに違いありません。青銅器や鉄の道具は高価すぎて支配階級しか使えなかったのです。

農民の生活を考えると時代が変わってもあまり大きな変化が無いと理解するのが自然ではないでしょうか?

下は現代に作った石器です。これをを見ると、それらは安価で簡単に作られる道具だったに違いありません。鉄器は高価だった時代には農民はこのような石器も使っていたと私個人は想像しています。

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旧石器時代、縄文時代、弥生時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代などという時代区分は歴史学者が勝手につけたものです。地方、地方に住む農民の生活の実態とは何の関係も無かったのです。これが私の歴史を考える視点です。

火山が噴火するたびに土が降り注ぎ、住居跡が三重、四重と重なって土中に埋まっているのです。今後ますます発掘調査が進むことを祈ってこの記事の終わりと致します。(終わり)


油絵を楽しみながら世界の貧困を考える

2012年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

絵画と貧困を考える事の関係はこの記事の最後に書きます。

それよりもまず子供たちを描いた油絵を楽しんで頂きたいと思います。

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ヴォーデン

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ドガ

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グラッケンス

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モジリアニ と ピカソ

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モリゾー と ゴーギャン

=====世界の貧困を考える=================

国連の機関にユニセフというものがあります。第二次世界大戦直後のヨーロッパで飢餓と病気に悩む子供たちを助けるために国連が1946年設立した機関です。

その後その支援活動はヨーロッパのみならず全世界の貧しい子供たちを支援する活動へと発展していったのです。

この機関はいろいろな事業を繰り広げています。

その一つにいろいろなものを売って、その売り上げの何割かを貧困地帯の子供たちへ送る事業も行っているのです。

ユニセフが売っている冊子にアート・ダイアリーがあります。

上の絵は2013年のアート・ダイアリーという日記とカレンダーを兼ねた冊子からデジカメで撮った写真です。

この冊子を買ってあげると貧困地帯の子供たちが助かる仕組みになっています。下にこの冊子の写真を示します。少年の絵はエゴン・シーレです。

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この日記風のカレンダーは毎年、我が家へ送られて来ます。家内の知人で高貴な心を持った若い女性が送ってくれるのです。

ユニセフを検索するとこのアートダイアリー以外のいろいろなものが販売されています。インターネットで購入できます。購入するとその人は貧困な子供を助けたことになります。

外国の貧困地帯なんて自分と関係ないと思っていらっしゃいませんか?

ところがあなたの収める税金の一部が貧困地帯の支援に使われているのです。

国際ボランティアという言葉を検索すると、実に数多くのNPO団体が海外で活動をしています。この団体の活動歴と実績に従って外務省が資金援助をしているのです。

15年ほど以前に「国際ボランティア協会」という団体の事務局を訪れたことがあります。その時貰った年報に外務省から資金援助を受けているグループの一覧表と収支決算表が公開してありました。

外務省がODAやJICAなどの外国支援政策で貧困国を支援していることは誰でも知っています。しかし民間のいろいろなボランティアグループにお金を渡していたことは知りませんでした。日本の外交をうまく進めるために民間のグループの助けを借りているのです。

一方、今日ご紹介したユニセフの品物を買って外国の貧困を助ける行為はまったく個人の力で出来ることなのです。ですから多くの国々で購入する人が増えていきます。このアート・ダイアリーも15の国の言葉で説明が書いてあります。イスラム教の国々の言葉も使われています。

貧困地の子供を助ける方法はいろいろです。少数の子供の里親になる日本人もいます。小学校を作る人もいます。文房具を送る人もいます。

現地でのボランティア活動に参加する人もいます。

それにしても何故この世には「貧困」があるのでしょうか?

しかし必ずや「貧困」は根気良い努力で根絶出来るのです。日本の戦前の東北地方の貧困は根絶出来たので。現在、日本では凶作で飢饉になることは無くなったです。

ゆっくり、ゆっくりではありますが必ずや全世界から貧困が無くすことが出来ると私は信じています。その一つの方法のユニセフの活動への参加をご紹介いたしました。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

Food to Europe
After World War II, European children face famine and disease. UNICEF is created in December 1946 by the United Nations to provide food, clothing and health care to them.

http://www.unicef.org/about/who/index_history.html