最近、考古学的趣味にとりつかれて車で2時間以内に行ける展示館を探して出かけています。幾つも記事を掲載しましたが、以下はその代表的な記事です。
私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷
所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代
先日、相模原市の田名向原遺跡公園を訪問した折に入手した資料をその後丁寧に読みました。
そうしたら相模原市の相模川北岸の塩田、田名、谷原、東原などの地名の地域は驚くべき考古学的史跡の宝庫なのです。
2万年前の旧石器時代の住居跡と3000個の精巧な石器の他に5000年前の縄文時代の住居跡、そして1400年前の13基以上の古墳が発見されたのです。
発見された住居跡や古墳は田名向原遺跡公園に復元されています。
考えてみるとこの相模川中流の北岸の平野は人間が住みやすいので、2万年前の旧石器時代から絶えることなく人間が住みついていたのです。
それがが発見されたのは平成になってからです。相模原市や文部科学省からの研究調査費の支出が大きな考古学上の進歩をもたらしたのです。
実はこのような旧石器時代の発掘を多くの市町村が実施しているのです。それは主に平成時代になってからのことです。
その結果、日本には約4万年前の旧石器時代から人間が住んでいたことが明確になったのです。精巧な黒曜石製の石器も沢山出てきたのです。黒曜石の産地と流通経路も明らかになったのです。
今日は田名向原遺跡公園に復元されている住居跡や古墳の写真を以下に示します。
まず20000年前の住居跡の説明です。
下は公園に復元された円形の住居跡です。12本の柱穴と2か所の炉の跡が示されています。
次は5000年前の縄文時代の家跡の説明です。
下は5000年前の縄文時代の住居を公園に復元したものです。
次は1400年前の古墳の発見の説明です。玄室から直刀や装身具も出て来ました。
下はその古墳の復元です。
この古墳の約1400年後の平成21年に以下の展示館が完成したんぉです。
こうして上の写真を見るとこの地域の約2万年の歴史が概観出来るのです。
人々の生活は縄文時代、弥生時代、古墳時代になってもほとんど変わらなかったというのが真実に近いと思います。
円形の掘っ立て小屋に住み、土器や木製の農具を使い、石器も相変わらず使っていたに違いありません。青銅器や鉄の道具は高価すぎて支配階級しか使えなかったのです。
農民の生活を考えると時代が変わってもあまり大きな変化が無いと理解するのが自然ではないでしょうか?
下は現代に作った石器です。これをを見ると、それらは安価で簡単に作られる道具だったに違いありません。鉄器は高価だった時代には農民はこのような石器も使っていたと私個人は想像しています。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代などという時代区分は歴史学者が勝手につけたものです。地方、地方に住む農民の生活の実態とは何の関係も無かったのです。これが私の歴史を考える視点です。
火山が噴火するたびに土が降り注ぎ、住居跡が三重、四重と重なって土中に埋まっているのです。今後ますます発掘調査が進むことを祈ってこの記事の終わりと致します。(終わり)