宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の終りのところにジョバンニとカンパネルラの次のような会話があります。
・・・ジョバンニが云いました。
「僕、もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄に窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫さけびました。・・・
ここにある本当の幸いとは何でしょうか?
老境になって私は本当の幸いを見つけたような気がします。
それは感謝の気持ちを持って毎日を送ることです。他人を愛して毎日を過ごすことです。
そんな気持ちで時を過ごしている間、私は本当の幸福の中にいるのです。
人は高齢になるにしたがって、年上の父母、親類、恩人、友人たちが次々と旅立って行きます。ある時、気が付いてみるといつの間にか自分一人になっているような気分になります。
そのような老境は間違いなく淋しいものです。
しかしそうなると若い他人の親切がしみじみと有難く感じます。病院でリハリビ施設で薬屋さんなどなどで、若い他人が実に親切なのです。「有難う御座います」と私は毎日、何度も言います。
そして他人を心の中で愛しています。なにせ高齢者の周りにはもう家族は少なくなります。親切な他人だけがたくさん居るのですから。
幸運にも私の妻は健在です。毎日感謝して、若い頃より一層愛しています。近所の路地をよく老夫婦が幸せそうに一緒に散歩しています。
その姿はほんとうの幸いの中を歩んでいる姿なのです。若い時より幸せそうです。
不運にもどちらかが亡くなってしまった高齢者もいますが、他人が一層親切にしてくれます。そんな実例をたくさん見ております。
こうして老境は他人の愛に支えられて幸せなのです。ですからこそ他人を強く愛するようになります。
このような幸せを忘れないで持続するようにしたいと思います。
そのためには四季折々の自然の風景を眺め、自然と同化するのが良いと思います。
写真にそんな風景をお送りします。北アルプスの雪解け水が安曇野に湧き出して豊かに流れている光景です。今年の6月18日に撮った写真です。
この写真のような風景を見ると誰でも幸せになれます。
しかし不幸な老境もあるのです。他人の好意に感謝せず、一人で不満をぶつぶつ言いながら毎日を過ごす人がいます。
自分の不幸の原因をすべて他人のせいにして他人の悪口をいろいろを考えながら日々を過ごす人もいます。
そして病院の医者が冷酷だと思い込んで怨念を抱いている人も居ます。
市役所の福祉課の役人のサービスが悪いと恨み言を言う人もいます。
政治家の悪口を言って自分だけが正しいと言う人もいます。
このような高齢者が居るのも事実です。
人それぞれですから、どのような老境を過ごすかは個人の自由です。勝手で良いのです。
強制的に「他人へ感謝しなさい」と言ってはいけません。それは個人の自由の侵害になります。
さて他人を愛することはどうすれば出来るようになるのでしょうか?
それは「愛してますよ」と何度も心の中で思う訓練をすれば良いのです。
例えば私は妻を愛していますと心の中で何度もつぶやきます。この文章を真面目に読んで下さっている読者の方々を愛しています。
親切にしてくれた方々に「愛しています」と心の中で言うのです。
今日の結論です。本当の幸いは感謝する気持ちがあればやって来ます。家族は勿論ですが、他人を愛する心があれば本当に幸福になれるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)