昨日、今日のマスコミは民進党が小池さんの「希望の党」へ合流するというニュースで大騒ぎをしています。安倍政権が倒れるというのです。
しかし老人の私は一向に興奮しません。「それがどうしたの?」と誰かに静かに聞きたいくらいです。兎に角、歴史的に時間をおいて考える癖がついてしまっているのです。そうするとマスコミの大騒ぎも空虚に感じられるのです。
どうも老境になると人間の考えが驚くほど変わるようです。
そこで今日は老境になると人間の考えがどのように変わるのか簡略に書いてみようと思います。
簡略に説明するために次のような3つの例を挙げて説明したいと思います。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
勿論、人はそれぞれですから、老境になっても若い頃と考え方が全然変わらない人もいます。ですから今日の主張は私自身の場合であって一般化するつもりは毛頭ありません。
さて上記の(1)、(2)、(3)について少し説明をしたいと思います。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
私は現役の間は原発賛成派でした。しかし老境になると、原子力発電の危険性をいろいろな視点から詳細に考え出しました。
その結果、日本のように狭い国では原発を止めて、火力発電、水力発電、風力発電、太陽光発電にすべきという考えに変わり、その主張をこの欄に何度も書いてきました。
そして慰安婦問題については、朝日新聞の誤報を厳しく糾弾しながらも、一方で日本が朝鮮を併合した負の遺産について、この欄に具体的な事実を書いてきました。現役で仕事をしていた時は忙しくてこのような問題に関心が無かったのです。
仕事を止めて時間が出来て深く考えるようになったのです。そして後期高齢者になる頃から、原発問題も慰安婦騒ぎも遠い風景を見ている感じになってきました。
どんな大問題も目くじら立てて議論したり嘆いたりしなくなったのです。
そうして、全ての問題は、現在の若い世代の賢さを信じ、彼等に任せるべきだと思うようになりました。
一方、人によっては死ぬ最後の日まで政治問題や社会問題を身近に感じ、喧々諤々の議論をしている人もいます。立派です。そういう方々は青春の心のまま死ぬのです。それも良いものですが、私はすっかり変わってしまいました。
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
若い頃からいろいろな本を読みました。そうしたら「老人になってみないと分からない」という表現があります。老人にならなければ絶対に理解出来ない感じ方や、ことわざや、思想があるというのです。
若い頃は、その言葉が出てくるたびに反発を感じ、しまいには不愉快になったものです。若い頃はこの世のことは全て理性で理解出来るはずだと信じていたのです。ですから「老人にならないと理解出来ない」と言われると自分が馬鹿だと言われたような気分になり、不愉快になるのです。
しかし自分が後期高齢者から晩期高齢者にさしかかって来ると、成程、そうだ、そのとおりだと膝を叩いて理解出来ることがどんどん増えてきたのです。
その一つに、「人生は邯鄲の夢」という言葉があります。
唐時代の小説にある話です。出世を望んで旅をした若者が、邯鄲という国のある旅籠で粥が出来上がる間に居眠りをして、自分の一生の夢を見るのです。 しかしフト目覚めてみると、まだ粥が出来ていません。若者は人生とはそんな儚い夢なのだと悟って出世の欲を捨て郷里へ帰っていくというお話です。
老境にいたればこの人生観を深く理解出来ます。深く同感出来るのです。
若い時や現役の間は自分の人生は、努力によって立派な価値あるものに出来ると信じていました。そして一方では大きな失敗も何度か経験しました。成功して歓喜し、失敗して落胆していました。
このように自分の人生に体をぶっつけて取り組んでいる間は、人生は一朝の夢だとは考えられないのです。
しかし仕事も一切止めて、数年間、毎日、山川の景色を眺め、花々を愛して暮らしていると次第に、我が人生は邯鄲の夢だったと実感出来るようになるのです。
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
人間は仕事を止め、悠々の身になると、住んでいる土地の歴史や文化に強い興味を持つようになります。
明治維新以来の薩長土肥の政治家や軍人がどのように近代国家を作ってきたかという中央の権力の推移よりも、学校では教えない地方、地方の歴史が老境の好奇心を掻き立てるのです。
従って国内の観光旅行に行っても行く先々の地方の歴史を関連させて考えるようになります。
例えば北海道旅行では富良野や知床や、そして阿寒湖、屈斜路湖、などは雄大な美しい景観を見せてくれますが、あまり歴史的な魅力はありません。
その点、函館は江戸末期から開港され、ロシアやイギリスの領事館もあり古い教会もあります。
明治初年には新撰組と明治政府の最後の決戦もあり、土方歳三が壮烈な最後を遂げた町です。
したがって日本の近代化の過程で、北国にある函館がどのような歴史を歩んだか考えながら観光するのが面白いのです。
一般的に、地方の墓地の墓石を見ながら散策すると、その土地の歴史や当時の人々の感情がそこはかとなく分かってきます。
函館でも、ロシア人墓地とその隣にある函館ハリスト正教会墓地を見に行きました。
ロシア人墓地には1859年に作られたアスコリド号の航海士のお墓も含めて43人のロシア人が眠っています。墓碑はみな大海に向いています。
函館ハリスト正教会の日本人信者が供養を続けているのです。
函館は江戸末期から明治にかけてロシア文化の影響を深く受けた特別な地域だったのです。横濱や神戸よりもロシア文化の息づかいが強く感じられる土地です。
このような函館の歴史は学校では教えません。大学受験の試験問題にも出てきません。
そんな地方の歴史を自分なりに調べて昔の人々の感じ方や人生の過ごし方を想像するのが楽しいのです。そしてそんな昔の人々の人生も一朝の邯鄲の夢なのだと想うのです。
以上のように老境になると時間の余裕が出来いろいろと考えるようになります。自分の利害得失を離れ客観的に考えられるようになります。また狭いながらも自分の人生経験が人間というものの理解を深めます。その結果、私はいろいろと変わりました。
3つだけ具体的な例をあげれば次のようになるのです。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
今日の挿し絵代わりの写真は老人を象徴しているようなススキの写真です。箱根の仙石原の風景です。写真は、http://jere.blog1.fc2.com/blog-entry-628.html からお借りしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
しかし老人の私は一向に興奮しません。「それがどうしたの?」と誰かに静かに聞きたいくらいです。兎に角、歴史的に時間をおいて考える癖がついてしまっているのです。そうするとマスコミの大騒ぎも空虚に感じられるのです。
どうも老境になると人間の考えが驚くほど変わるようです。
そこで今日は老境になると人間の考えがどのように変わるのか簡略に書いてみようと思います。
簡略に説明するために次のような3つの例を挙げて説明したいと思います。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
勿論、人はそれぞれですから、老境になっても若い頃と考え方が全然変わらない人もいます。ですから今日の主張は私自身の場合であって一般化するつもりは毛頭ありません。
さて上記の(1)、(2)、(3)について少し説明をしたいと思います。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
私は現役の間は原発賛成派でした。しかし老境になると、原子力発電の危険性をいろいろな視点から詳細に考え出しました。
その結果、日本のように狭い国では原発を止めて、火力発電、水力発電、風力発電、太陽光発電にすべきという考えに変わり、その主張をこの欄に何度も書いてきました。
そして慰安婦問題については、朝日新聞の誤報を厳しく糾弾しながらも、一方で日本が朝鮮を併合した負の遺産について、この欄に具体的な事実を書いてきました。現役で仕事をしていた時は忙しくてこのような問題に関心が無かったのです。
仕事を止めて時間が出来て深く考えるようになったのです。そして後期高齢者になる頃から、原発問題も慰安婦騒ぎも遠い風景を見ている感じになってきました。
どんな大問題も目くじら立てて議論したり嘆いたりしなくなったのです。
そうして、全ての問題は、現在の若い世代の賢さを信じ、彼等に任せるべきだと思うようになりました。
一方、人によっては死ぬ最後の日まで政治問題や社会問題を身近に感じ、喧々諤々の議論をしている人もいます。立派です。そういう方々は青春の心のまま死ぬのです。それも良いものですが、私はすっかり変わってしまいました。
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
若い頃からいろいろな本を読みました。そうしたら「老人になってみないと分からない」という表現があります。老人にならなければ絶対に理解出来ない感じ方や、ことわざや、思想があるというのです。
若い頃は、その言葉が出てくるたびに反発を感じ、しまいには不愉快になったものです。若い頃はこの世のことは全て理性で理解出来るはずだと信じていたのです。ですから「老人にならないと理解出来ない」と言われると自分が馬鹿だと言われたような気分になり、不愉快になるのです。
しかし自分が後期高齢者から晩期高齢者にさしかかって来ると、成程、そうだ、そのとおりだと膝を叩いて理解出来ることがどんどん増えてきたのです。
その一つに、「人生は邯鄲の夢」という言葉があります。
唐時代の小説にある話です。出世を望んで旅をした若者が、邯鄲という国のある旅籠で粥が出来上がる間に居眠りをして、自分の一生の夢を見るのです。 しかしフト目覚めてみると、まだ粥が出来ていません。若者は人生とはそんな儚い夢なのだと悟って出世の欲を捨て郷里へ帰っていくというお話です。
老境にいたればこの人生観を深く理解出来ます。深く同感出来るのです。
若い時や現役の間は自分の人生は、努力によって立派な価値あるものに出来ると信じていました。そして一方では大きな失敗も何度か経験しました。成功して歓喜し、失敗して落胆していました。
このように自分の人生に体をぶっつけて取り組んでいる間は、人生は一朝の夢だとは考えられないのです。
しかし仕事も一切止めて、数年間、毎日、山川の景色を眺め、花々を愛して暮らしていると次第に、我が人生は邯鄲の夢だったと実感出来るようになるのです。
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
人間は仕事を止め、悠々の身になると、住んでいる土地の歴史や文化に強い興味を持つようになります。
明治維新以来の薩長土肥の政治家や軍人がどのように近代国家を作ってきたかという中央の権力の推移よりも、学校では教えない地方、地方の歴史が老境の好奇心を掻き立てるのです。
従って国内の観光旅行に行っても行く先々の地方の歴史を関連させて考えるようになります。
例えば北海道旅行では富良野や知床や、そして阿寒湖、屈斜路湖、などは雄大な美しい景観を見せてくれますが、あまり歴史的な魅力はありません。
その点、函館は江戸末期から開港され、ロシアやイギリスの領事館もあり古い教会もあります。
明治初年には新撰組と明治政府の最後の決戦もあり、土方歳三が壮烈な最後を遂げた町です。
したがって日本の近代化の過程で、北国にある函館がどのような歴史を歩んだか考えながら観光するのが面白いのです。
一般的に、地方の墓地の墓石を見ながら散策すると、その土地の歴史や当時の人々の感情がそこはかとなく分かってきます。
函館でも、ロシア人墓地とその隣にある函館ハリスト正教会墓地を見に行きました。
ロシア人墓地には1859年に作られたアスコリド号の航海士のお墓も含めて43人のロシア人が眠っています。墓碑はみな大海に向いています。
函館ハリスト正教会の日本人信者が供養を続けているのです。
函館は江戸末期から明治にかけてロシア文化の影響を深く受けた特別な地域だったのです。横濱や神戸よりもロシア文化の息づかいが強く感じられる土地です。
このような函館の歴史は学校では教えません。大学受験の試験問題にも出てきません。
そんな地方の歴史を自分なりに調べて昔の人々の感じ方や人生の過ごし方を想像するのが楽しいのです。そしてそんな昔の人々の人生も一朝の邯鄲の夢なのだと想うのです。
以上のように老境になると時間の余裕が出来いろいろと考えるようになります。自分の利害得失を離れ客観的に考えられるようになります。また狭いながらも自分の人生経験が人間というものの理解を深めます。その結果、私はいろいろと変わりました。
3つだけ具体的な例をあげれば次のようになるのです。
(1)原発反対も慰安婦騒ぎも遠い風景になる
(2)我が人生は邯鄲の夢と実感出来ようになる
(3)地方の歴史や文化に強烈な興味が湧いて来る
今日の挿し絵代わりの写真は老人を象徴しているようなススキの写真です。箱根の仙石原の風景です。写真は、http://jere.blog1.fc2.com/blog-entry-628.html からお借りしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)