私はアメリカが好きです。若い頃に留学し許嫁を日本から招んでアメリカで結婚しました。その時アメリカ人が親身になって私どもを助けてくれたのです。
その後もアメリカ人といろいろな事がありました。
アメリカはベトナム戦争やイラク戦争などなど悪いこともしました。しかし私の感情ではアメリカは理想の国であり続けたのです。
そんな事情もあったので、トランプ大統領の出現以来のアメリカ社会の分裂に心を痛めていました。
多くの日本人はアメリカの混乱を遠方の対岸の火事のように感じ、まあトランプさんもいろいろ面白い事をしてくれると眺めています。
しかし私は理想の国、アメリカが地に堕ちたようで悲しいのです。
トランプさんが大統領になってからもう一年以上になります。
そんな折にマケイン上院議員の葬式がありました。
同じ共和党に属しながら、マケイン氏とトランプ氏は繰り返し表立って対立し、互いを批判してきたのです。マケイン氏の遺族は、トランプ氏に参列を控えるよう伝えていました。
その葬式の時のブッシュ元大統領とオバマ前大統領の弔辞を私は読んで、やっと明るい気分になりました。
アメリカ社会は相変わらず健全なのです。理想の国だと思えるのです。
その弔辞の内容を整理して個条書きにして示します。
出典は、https://www.bbc.com/japanese/45386450 です。
ブッシュ元大統領の弔辞です。
(1)「アメリカはもっとまともだ!」
2000年大統領選の共和党予備選でマケイン氏に勝ったブッシュ元大統領は、マケイン氏の勇気や誠実さ、名誉を称えたのです。そして次のように語ったのです。
「自由の欠落を知る人ならではの情熱で、自由を愛していた」
「ジョン・マケイン氏は長い議員生活の中で、自分の国にふさわしくない政策や慣行と何度か対決した。ジョン・マケインはその時々の権力者に面と向かって、『自分たちはもっと、まともなはずだ。アメリカはもっとまともなはずだ』と力説した」と。
自分たちはもっと、まともなはずだという言い方がブッシュらしくて真情に溢れています。彼は北朝鮮などを「ならずもの国家」と言ったのです。
(2)権力の乱用を唾棄した
「ジョン・マケインは真っ先に、自分は完璧な人間じゃないと認めるはずだ。けれども、人間がこれまで作り上げた中で最も完璧な国の理想のために、人生を捧げてきた」
「そしてジョンは何より、権力の乱用を唾棄(だき)した。偏見と差別にまみれた人間や、えばり散らす暴君は、まったく受け入れなかった」
オバマ前大統領の弔辞です。
(3)マケイン氏を戦士、為政者、愛国者と讃えた
オバマ前大統領は、2008年米大統領選で戦ったマケイン議員を、「戦士、為政者、愛国者」で、アメリカを偉大にしている資質の多くを体現している「傑出した人」と称えた。
(4)一番重要なことは「他人を感動させる力、法の支配や人権といった普遍的な価値観」
オバマ氏は、自分とマケイン氏は生まれ育ちも政治的立場も大きく異なっていたが、「同じチームの所属だというのは、お互い疑っていなかった」と述べ、党派を超えた共通理念で通じ合っていたのだと話した。
「この国の安全や影響力はただ単に軍事力や財力で得るものではないと、相手を意のままにする力で得るものではないと、ジョンは理解していた。そうではなくて、他人を感動させる力、法の支配や人権といった普遍的な価値観を死守する姿勢、そして全ての人間には神から授けられた尊厳があるのだと譲らないこと、そうしたことから、この国の安全や影響力は得られるのだと、ジョンは理解していた」とオバマ氏は述べた。
マケインさんのこと、
(1)海軍提督の祖父と父のもとで育ったマケイン氏は、自分自身も海軍将校となりベトナム戦争に従軍。1967年にハノイ上空で撃墜され、5年半の捕虜生活を送った。撃墜時の負傷の手当てが不十分だったのに加え、たびたび拷問を受けたことから、両腕が上まで上がらないなどの後遺症が終生残った。
(2)選挙資金規正法の改正成立のため民主党議員と協力し、環境保護の推進を支持。イラク戦争開戦は支持したものの、米政府がテロ容疑などで拘束した相手を「水責め」などの手法で尋問するのは拷問だと呼び、激しく批判した。
(3)葬儀で弔辞を読む人に加え、自分の棺を運ぶ担ぎ手の顔ぶれも、マケイン氏自身が選んだのです。
その人選は、党派を超えて活動した生涯を反映するもので、ハリウッド俳優でリベラル活動家のウォーレン・ベイティー氏、無所属のマイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長、選挙資金規正法改正のため一緒に法案を作った民主党のラス・ファインゴールド元上院議員、ロシアの反政府政治家ウラジーミル・カラ・ムルザ氏、親友のバイデン前副大統領(民主党)など14人が交代で、議員の棺を大聖堂まで運びました。
(4)ジョン・マケイン米上院議員の埋葬
遺体は米メリーランド州アナポリスの海軍兵学校に埋葬された。
1958年に海軍兵学校を卒業し、後に戦闘機パイロットとしてベトナム戦争で戦ったマケイン氏は、近親者や同級生、現在の士官候補生たちが見守るなか、敷地内の墓地に埋葬されました。軍用機の編隊が、上空を飛んで、故人を称えました。
マケイン氏は同級生で友人のチャック・ラーソン提督の隣に埋葬された。ラーソン提督は2014年の時点で、自分と妻、そしてマケイン夫妻のために場所を予約していたのです。
「チャックは、相棒の僚機を取り戻しました」と、提督の妻サラ・ラーソンさんはCNNに話したそうです。
書きたいことはまだありますが、長くなるので終りにします。
やはりアメリカ社会は相変わらず健全なのです。理想の国だと思えるのです。
今日の挿し絵代わりの写真は留学したオハイオ州の北にあるエリー湖の風景と、その東端にあるナイヤガラの滝の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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その後もアメリカ人といろいろな事がありました。
アメリカはベトナム戦争やイラク戦争などなど悪いこともしました。しかし私の感情ではアメリカは理想の国であり続けたのです。
そんな事情もあったので、トランプ大統領の出現以来のアメリカ社会の分裂に心を痛めていました。
多くの日本人はアメリカの混乱を遠方の対岸の火事のように感じ、まあトランプさんもいろいろ面白い事をしてくれると眺めています。
しかし私は理想の国、アメリカが地に堕ちたようで悲しいのです。
トランプさんが大統領になってからもう一年以上になります。
そんな折にマケイン上院議員の葬式がありました。
同じ共和党に属しながら、マケイン氏とトランプ氏は繰り返し表立って対立し、互いを批判してきたのです。マケイン氏の遺族は、トランプ氏に参列を控えるよう伝えていました。
その葬式の時のブッシュ元大統領とオバマ前大統領の弔辞を私は読んで、やっと明るい気分になりました。
アメリカ社会は相変わらず健全なのです。理想の国だと思えるのです。
その弔辞の内容を整理して個条書きにして示します。
出典は、https://www.bbc.com/japanese/45386450 です。
ブッシュ元大統領の弔辞です。
(1)「アメリカはもっとまともだ!」
2000年大統領選の共和党予備選でマケイン氏に勝ったブッシュ元大統領は、マケイン氏の勇気や誠実さ、名誉を称えたのです。そして次のように語ったのです。
「自由の欠落を知る人ならではの情熱で、自由を愛していた」
「ジョン・マケイン氏は長い議員生活の中で、自分の国にふさわしくない政策や慣行と何度か対決した。ジョン・マケインはその時々の権力者に面と向かって、『自分たちはもっと、まともなはずだ。アメリカはもっとまともなはずだ』と力説した」と。
自分たちはもっと、まともなはずだという言い方がブッシュらしくて真情に溢れています。彼は北朝鮮などを「ならずもの国家」と言ったのです。
(2)権力の乱用を唾棄した
「ジョン・マケインは真っ先に、自分は完璧な人間じゃないと認めるはずだ。けれども、人間がこれまで作り上げた中で最も完璧な国の理想のために、人生を捧げてきた」
「そしてジョンは何より、権力の乱用を唾棄(だき)した。偏見と差別にまみれた人間や、えばり散らす暴君は、まったく受け入れなかった」
オバマ前大統領の弔辞です。
(3)マケイン氏を戦士、為政者、愛国者と讃えた
オバマ前大統領は、2008年米大統領選で戦ったマケイン議員を、「戦士、為政者、愛国者」で、アメリカを偉大にしている資質の多くを体現している「傑出した人」と称えた。
(4)一番重要なことは「他人を感動させる力、法の支配や人権といった普遍的な価値観」
オバマ氏は、自分とマケイン氏は生まれ育ちも政治的立場も大きく異なっていたが、「同じチームの所属だというのは、お互い疑っていなかった」と述べ、党派を超えた共通理念で通じ合っていたのだと話した。
「この国の安全や影響力はただ単に軍事力や財力で得るものではないと、相手を意のままにする力で得るものではないと、ジョンは理解していた。そうではなくて、他人を感動させる力、法の支配や人権といった普遍的な価値観を死守する姿勢、そして全ての人間には神から授けられた尊厳があるのだと譲らないこと、そうしたことから、この国の安全や影響力は得られるのだと、ジョンは理解していた」とオバマ氏は述べた。
マケインさんのこと、
(1)海軍提督の祖父と父のもとで育ったマケイン氏は、自分自身も海軍将校となりベトナム戦争に従軍。1967年にハノイ上空で撃墜され、5年半の捕虜生活を送った。撃墜時の負傷の手当てが不十分だったのに加え、たびたび拷問を受けたことから、両腕が上まで上がらないなどの後遺症が終生残った。
(2)選挙資金規正法の改正成立のため民主党議員と協力し、環境保護の推進を支持。イラク戦争開戦は支持したものの、米政府がテロ容疑などで拘束した相手を「水責め」などの手法で尋問するのは拷問だと呼び、激しく批判した。
(3)葬儀で弔辞を読む人に加え、自分の棺を運ぶ担ぎ手の顔ぶれも、マケイン氏自身が選んだのです。
その人選は、党派を超えて活動した生涯を反映するもので、ハリウッド俳優でリベラル活動家のウォーレン・ベイティー氏、無所属のマイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長、選挙資金規正法改正のため一緒に法案を作った民主党のラス・ファインゴールド元上院議員、ロシアの反政府政治家ウラジーミル・カラ・ムルザ氏、親友のバイデン前副大統領(民主党)など14人が交代で、議員の棺を大聖堂まで運びました。
(4)ジョン・マケイン米上院議員の埋葬
遺体は米メリーランド州アナポリスの海軍兵学校に埋葬された。
1958年に海軍兵学校を卒業し、後に戦闘機パイロットとしてベトナム戦争で戦ったマケイン氏は、近親者や同級生、現在の士官候補生たちが見守るなか、敷地内の墓地に埋葬されました。軍用機の編隊が、上空を飛んで、故人を称えました。
マケイン氏は同級生で友人のチャック・ラーソン提督の隣に埋葬された。ラーソン提督は2014年の時点で、自分と妻、そしてマケイン夫妻のために場所を予約していたのです。
「チャックは、相棒の僚機を取り戻しました」と、提督の妻サラ・ラーソンさんはCNNに話したそうです。
書きたいことはまだありますが、長くなるので終りにします。
やはりアメリカ社会は相変わらず健全なのです。理想の国だと思えるのです。
今日の挿し絵代わりの写真は留学したオハイオ州の北にあるエリー湖の風景と、その東端にあるナイヤガラの滝の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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