後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の散歩は貫井弁天神社まで」

2025年01月10日 | 日記
ここ小金井市は江戸時代の貫井村と小金井村が合併して出来ました。
今日は昔の貫井村の貫井弁天神社まで散歩しました。往復5Kmくらいです。
撮って来ました貫井弁天神社の写真をお送り致します。
 

「ヨットの趣味のおかげで視野が広くなった!」

2025年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
私は50歳で小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。
そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。
ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。
優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットを山小屋の名と同じあけび号と命名しました。
家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。

1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。
霞ヶ浦で元気に活躍していました。

2番目の写真は群馬県のカヤシマさんに譲った「あけび号」です。綺麗に塗装してくれて大切に乗っています。
「あけび号」を手放してから今度は大きな「ルナ3世」号を買いました。

3番目の写真は「ルナ3世」号です。長さ26フィートです。後方にプレイデッキがあるので家内が気に入ったようです。
4番目の写真は「ルナ3世」号のキャビンの炊事コーナーです。
霞ヶ浦でヨットをしているといろいろな友人が出来ました。趣味の視野も広ガリ海での帆走に興味が湧きました。
5番目の写真は千葉県の保田魚港に係留してあったハンスクリスチャン41型のヨットです。2009年4月に初めて艇長のHootaさんとを一緒にビールを飲んだ時の写真です。Hootaさんは「Hoota's Yacht Life」、https://hoota.blog.so-net.ne.jp/ というHPを書いていました。
6番目の写真は駿河湾の沼津に近い漁港に舫っているHootaさんが艇長をつとめるハンスクリスチャン41です。この日私も駿河湾のセイリングを楽しむことが出来ました。
7番目の写真は駿河湾の風を受けて疾走するハンスクリスチャン41です。
8番目の写真は東京湾上のババリア39型のヨットから見た東京の風景です。この船のオーナーのOkumaさんに乗せて貰ったのです。2009年の5月のことでした。
9番目の写真は同じOkumaさんのヨットで三浦半島の突端の三崎港から東京の浜離宮わきの係留地までセイリングした時の写真です。背景は房総半島です。
私のヨットの趣味は葉山や江の島で小型ヨットのディンギイで2年、霞が浦でYAMAHA-19での10年、「ルナ3世」号での13年間、合計25年間の趣味でした。
最後に何故、ヨットの趣味で私の視野が広がったか理由を書きます。
それまでは金持ちの人を差別し、彼等の「金持ち趣味」を軽蔑していたのです。自分の金持ちへの嫉妬心です。世の中には金持ちと貧乏人しかいない。私は誇り高い貧乏人だと威張っていました。
しかし金持ちだけがしていると思っていたヨットの趣味には質素な暮らしをしながらお金を工面してヨットに乗っている人が大部分なのです。
ヨットの世界には金持もそうでない人も完全に平等な世界なのです。
その上、海で豪華なヨットに乗っている人は小さなヨットに乗っている人をほとんど無償で豪華なヨットに招待してくれるのです。
海で豪華なヨットに乗っている人々は別世界の人だと思い込んでいた私の間違いを思い知ったのです。
このようにヨットの趣味を続けながら親切な人に沢山出会いました。
そのお陰で私の視野がすっかり広がり人間を見かけによって差別しないようになったのです。
他人を差別しなければ皆と仲良くなれます。それが幸せと感じるようになりました。ヨットの趣味のおかげで視野が広くなったのです。趣味はヨットの趣味のおかげで視野が広くなった

今日は私のヨットの趣味をご紹介致しました。その趣味のお陰で視野が広くなったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「帆船シナーラ号の日本における修復の記録」

2025年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
美しい木造帆船の『シナーラ』は世界が私たちに与えてくれた素晴らしい宝物です。この約100年前のイギリスの帆船は日本で修復され富士山を望む美しい相模湾にもう一度2020年 に進水されました。
今日はこのシナーラ号の日本における修復作業の様子を写真に従ってお送り致します。文献、https://cynara.jp/ja/restoration-2/ に従ってお送り致します。
1番目の写真は2020年に修復を完成したシナーラ号が相模湾を帆走している光景です。修復は1926年にシナーラにはじめて取り付けられたオリジナルの帆を製作した製帆所への依頼 しました。
2番目の写真は日本のシーボニアマリーナで修復のため吊り上げられたシナーラ号です。
シナーラ号は約90年という歳月のうちの半分にあたる45年を、日本の三浦半島周辺で過ごしてきました。 調査の結果、この船の当初の建造に用いられた材料の約80%弱も、修復後も再利用できることが明らかになりました。 
3番目の写真はシナーラ号の船首です。
作業場で『シナーラ』を分解してみると、船首に面積が約3平方メートルもあるブロンズ製の大きな板が2枚見つかりました。船が何かに衝突して竜骨の鉛バラストの前側が損傷を受けたために、修理に用いられたように見えます。
4番目の写真は船体のお修復の様子です。
船体の外板修復は2017年5月に船底塗装を剥がすことから着工しました。膨大な仕事量の面積に対して、3人体制でスクレッパーによる手作業で進めていきました。 最終的に、外板は全体の92%がオリジナルのチーク材を再利用して修復されました。
5番目の写真シナーラ号の舵輪です。
使われ続けていたブロンズ製の艤装品は修復して再利用しています。バー・クリート、旗竿用ソケット、さらにビナクルと操舵装置などです。 
6番目の写真はシナーラ号の内部です。
英国の国立海洋博物館から提供されたオリジナルの構造図により、復元を開始した時点でのシナーラの内装は、建造当時とあまり変わっていないことがわかりました。 最も印象的だったのは、1927年時点での計画では浴室が船室とほとんど同じ大きさで、浴槽まであったとわかったことです。
7番目の写真はシナーラ号のデッキの交換、修復の様子です。
元々のチークデッキを交換しなければならないことは当初から明らかで、2017年7月後半から撤去作業が始まりました。
 新しいデッキは、天井の層、合板の層、そしてチークの最上層の表層の3つの層で構成されています。  
このデッキの修復チームは1ヶ月間、長い時間をかけて集中し、献身的に作業を行いました。  完成したデッキは、彼らの努力の賜物であり、少なくとももう一世紀は持つと思われます。

今日はこのシナーラ号の日本における修復作業の様子を写真に従ってお送り致しました。木造船を作る船大工の精妙が技術をご理解頂ければ幸いです。

この船に乗って帆走した体験が私の宝になりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)