後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「韓国理解のために(5)韓国の美少女、おたあジュリアの話」

2021年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム
この連載記事では今まで朝鮮の歴史や宗教や文学という固い話が続きました。そこで今日は少し趣くを変え、韓国の美少女、おたあジュリアの話を紹介したいと思います。
おたあジュリアは日本へ拉致されて連行されて来ました。秀吉の朝鮮出兵の時、小西行長に連れて来られたのです。そしてキリスト教の信仰を捨てなかったので伊豆七島の神津島へ流されたのです。その島で彼女は貧しい人々を助け、島の人に非常に大きな感銘を与えたのです。
私は2006年に神津島へ旅をして「おたあジュリア」が今でも島の人々に大切にされ尊敬されていることを知りました。

1番目の写真は神津島の写真です。写真の出典は、http://runo345.btblog.jp/ です。

2番目の写真は2006年に私が撮った神津島の荒波です。神津島は太平洋の波頭に浮かぶ小さな孤島なのです。

おたあジュリアが日本へ連行されて来た後にキリシタン弾圧が次第に厳しくなっていました。
その頃、キリシタンとして捕まったおたあジュリアはむごい拷問にあいます。しかし絶対に棄教しなかったのです。
ジュリアは磔の刑を免れて神津島への遠島の刑を言い渡されます。
流された神津島では、ジュリアは罪人にも拘わらず貧しい人々の世話をして島民に愛されます。島民に尊敬され、親切にかくまわれます。
その時代にはキリシタンへ親切にしたり、尊敬した人々はキリシタンと同罪の罰を受けます。
ですから神津島の島民はジュリアを尊敬している事を絶対に秘密にしていました。それは島の人だけの恐怖の秘密だったのです。
時代は明治維新になり、明治、大正となりましたがジュリアを尊敬しているということは大声で話すことではなかったのです。

話は変わりますが、2006年に私は満70歳になったので仕事を一切止めました。
そして伊豆七島の神津島へ東京から高速水中翼船で4時間、遥か外洋に浮かぶ小さな火山島へ小さな旅をしました。山ばかりで平地が少ない小さな島でした。島では民宿に投宿しました。
そして燗酒を傾けつつ、宿の主人から島の昔話を聞いたのです。
彼は低い声で話し出しました。
「朝鮮風の石碑が岬に有りますよ。おたあジュリアの墓です」 と。
しばし沈黙の後、彼は話し出します。
「小西行長が朝鮮征伐のとき連れ帰った娘です。キリシタンだったのでここへ流された女です。当時の島の貧しい人々を助け勇気づけたので女神のように思っている人が多いです」 ・・・・
「おたあ、は立派な女です。元気に島の人々の面倒を良くみたのです。困った人の相談に乗り、悲しむ人々を慰めました。おたあは本当に優しく賢い女だったのです」 ・・・・
「おたあ、に島の人々は感銘を受け、彼女の島での生活を温かく助けたのです。しかしキリシタンを助ければ幕府から重い処罰を受けます」 ・・・・
「ですから神津島の人々はこのおたあジュリアのことは絶対に秘密にしたのです」・・・「秘密は明治、大正になっても固く守られたのです」・・・
「島の人々は今でも、おたあのことを尊敬しています。まあ、つまらない話かもしれませんが」・・・

現地へ行ってみないとローカルな歴史は分からないものです。神津島とおたあジュリアの歴史は島の民宿に泊ったので知ることが出来たのです。
神津島への旅の後すぐにおたあジュリアのことを調べてみました。
おたあ、は3歳の時、日本へ連れて来られ、アウグスチノ小西行長の養女となり、洗礼を受け、ジュリアという名を授かりました。関が原の合戦の後、小西は石田三成とともに三条河原で斬首されます。
そしておたあは家康の側室の侍女となります。しかし信仰を持っていたので家康の言いなりになりません。
そんなおたあは桃山、江戸、駿河と移され、禁教令と共に神津島へ流刑になったのです。
それは慶長17年、1612年のことでした。小西行長の友人の石田三成一族も神津島へ隠れ住み、ジュリアを助けたという話もあります。
現在は、毎年、神津島おたあジュリア顕彰会などの主催で「ジュリア祭り」があります。カトリック東京大司教区と韓国のカトリック教会が共同でおたあジュリアの慰霊祭も同時に行っているのです。

3番目の写真はおたあジュリアの絵です。
ジュリアの姿絵は、https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190515000709.html から転載しました。

4番目の写真は神津島にある記念塔で彼女のお墓と想定されています。

5番目の写真は韓国の切頭島へ神津島から引っ越したジュリアのお墓です。1972年日韓の友情によって移設されました。

毎年、5月になるとジュリア祭りが現在でも開催れています。2019年にも5月8日にで第50回目のジュリア祭りが開催されました。おたあジュリアは慶長2年(1597年)に日本へ連行されたとすると、神津島へ来た時はまだ18歳の若さでした。

今日は孤島、神津島とおたあジュリアの話をご紹介いたしました。

それはそれとして今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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