日本には古来から民族宗教として神道がありました。西暦6世紀にインドの大乗仏教が中国から入って来ました。そして西暦1549年にザビエルによってキリスト教が伝承されます。
仏教と神道は混淆され明治維新までは仏教と神道は一体として人々に信仰されていたのです。現在でも神社とお寺は並んで存在している風景は珍しくありません。それらは同じものとして一体化されていたのです。明治維新以後、神道と仏教の分離運動が起きお寺と神社の間には塀が建てられ別々の宗教施設になったものも多数出来ました。しかし現在でも同じ境内にある場合も多いのです。
さて1549年に入って来たキリスト教は神道や仏教とどのように混淆したのでしょうか?
今日はキリスト教と神道と仏教の混淆の問題を取り上げてみたいと思います。
元来キリスト教の教義は排他的な性格が潜んでいて他の宗教との混淆を嫌っています。
しかし日本では宗教の混淆は悪いことではありません。神道と仏教の混淆ほど完全な混淆ぶりではありませんが今日は次の2つの事例をご紹介します。
(1)サン・ジワン神父を祀ったキリシタン神社の長崎市の枯松神社
(2)熊本県天草市の「﨑津三宗派御朱印帳」のこと。
これはキリスト教と、仏教と、神道という、3つの異なる宗教の御朱印を一冊の御朱印帳として発行したものなのです。
この二つの情報は五島列島生まれの写真家、峰脇 英樹さんが Face Book に最近掲載した写真情報です。それに私が少し調べたことを追加しました。
上の(1)と(2)について少し説明します。
(1)サン・ジワン神父を祀ったキリシタン神社、枯松神社
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しいものです。 この枯松神社では年に一度、キリスト教のカトリックの信者と仏教の信者が共に祈りを捧げるのです。
詳しくは、キリシタン神社の神秘 http://oratio.jp/p_column/kirishitanjinja をご覧下さい。
1番目の写真は 長崎市下黒崎町枯松頭にある枯松神社です。
枯松神社は禁教時代に外海地方で活動した日本人伝道士バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀まつっています。この珍しいキリシタン神社は外海のかくれキリシタンの聖地のひとつです。
神社といっても鳥居はなく、小さな社殿がひっそりとあるだけです。厳しい弾圧の中、信仰がばれないように神社としてカムフラージュしたなごりなのです。
2番目の写真はこの合同慰霊祭の写真です。
この合同慰霊祭では、2000年より毎年11月3日に行われています。
サン・ジワンとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。特徴的なのは、現在のカトリック信者と仏教徒、そして旧キリシタン(かくれキリシタン)が一堂に会して祭りを行うことです。
カトリック教会による慰霊ミサやかくれキリシタンの代表によるオラショ奉納など、緑深い山林の小さな神社を前に行われる儀式はとても神聖で神秘的な雰囲気が漂うそうです。
禁教時代、外海のキリシタンは表面上、寺の檀家となって暮らしていました。
その中には、キリスト教が解禁になってからも教会には復帰せず、そのまま仏教徒として先祖が継承した潜伏期の信仰を守り続ける人たちもいたのです。そのような信者は「かくれキリシタン」と呼ばれ、外海では現在も数戸の家で信仰が継承されているそうです。
枯松神社のすぐそばの墓地にはキリスト教の洗礼名と仏教の戒名が一緒に刻まれている墓があります。かくれキリシタンの家の墓石なのです。「枯松神社際」と同様に、外海の信仰の複雑さを物語っています。
このようにキリシタンをまつった神社は全国的に珍しく、長崎市内淵神社の桑姫(くわひめ)大明神、東京都伊豆大島の おたあね大明神が知られているだけです。
詳しくは、枯松神社 http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000609.html をご覧下さい。
(2)熊本県天草市の「﨑津三宗派御朱印帳」のこと。
三宗教の合本した御朱印帳は世界でただひとつのようです。
以下は、http://shimanotane.jp/sakitsu_3religionstamps/ からの抜粋です。
﨑津集落の共同墓地の下にある「鶴林山 普應軒(ふおうけん)」が「﨑津三宗派御朱印帳」の佛教部分を出しているのです。
3番目の写真はこの 普應軒です。
このお寺は元禄年間(江戸時代中期)に創建された曹洞宗のお寺で釈迦如来が祀られています。
ここで最近、有名になっているのが「﨑津三宗派御朱印帳」です。キリスト教と仏教と神道という3つの異なる宗教の御朱印を一冊の御朱印帳として発行しているのです。キリスト教に御朱印制度はありませんから非常に珍しいものです。
4番目の写真はこの「﨑津三宗派御朱印帳」です。
キリスト教の御朱印は世界遺産のカトリック崎津教会の神父さまが墨書しています。神道の御朱印は﨑津諏訪神社の神主さまが墨書しています。
5番目の写真はカトリック崎津教会を取り囲む天草市の崎津集落の写真です。
今日は珍しいキリスト教と神道と仏教の混淆の様子を示す写真を掲載し少し説明を加えました。
少し深く考えると潜伏キリシタンが厳しい禁教の下で250年も生き残ったのは神道信者や仏教徒の目に見えない保護や支援があったからなのでしょう。幕府の権力者を恐れない農漁民の崇高な勇気が250年の潜伏キリシタンの歴史を作ったのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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峰脇 英樹
1964年長崎県新上五島町生まれ、東京写真専門学校を卒業後、写真関係の会社勤めを経て1995年に独立。各種雑誌、書籍、カレンダーなどに写真を発表している。長崎の教会、日本各地の風景も撮影。五島の教会では、昔の人はこの場所で何を感じ、何を思っていたのかを想像しながら写真を撮っている。写真展も定期的に開催。
『ペトロ岐部司祭と187殉教者列福式 公式記録』2017年のユスト高山右近列福式ミサ公式記録集を撮影。2004年に五島列島巡礼写真集『ロザリオロード 虹色の光の祝福の島 巡礼の道』を出版。 2008年に五島列島のカトリック教会51を歩いて巡礼。現在も堂崎教会で販売中。
仏教と神道は混淆され明治維新までは仏教と神道は一体として人々に信仰されていたのです。現在でも神社とお寺は並んで存在している風景は珍しくありません。それらは同じものとして一体化されていたのです。明治維新以後、神道と仏教の分離運動が起きお寺と神社の間には塀が建てられ別々の宗教施設になったものも多数出来ました。しかし現在でも同じ境内にある場合も多いのです。
さて1549年に入って来たキリスト教は神道や仏教とどのように混淆したのでしょうか?
今日はキリスト教と神道と仏教の混淆の問題を取り上げてみたいと思います。
元来キリスト教の教義は排他的な性格が潜んでいて他の宗教との混淆を嫌っています。
しかし日本では宗教の混淆は悪いことではありません。神道と仏教の混淆ほど完全な混淆ぶりではありませんが今日は次の2つの事例をご紹介します。
(1)サン・ジワン神父を祀ったキリシタン神社の長崎市の枯松神社
(2)熊本県天草市の「﨑津三宗派御朱印帳」のこと。
これはキリスト教と、仏教と、神道という、3つの異なる宗教の御朱印を一冊の御朱印帳として発行したものなのです。
この二つの情報は五島列島生まれの写真家、峰脇 英樹さんが Face Book に最近掲載した写真情報です。それに私が少し調べたことを追加しました。
上の(1)と(2)について少し説明します。
(1)サン・ジワン神父を祀ったキリシタン神社、枯松神社
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しいものです。 この枯松神社では年に一度、キリスト教のカトリックの信者と仏教の信者が共に祈りを捧げるのです。
詳しくは、キリシタン神社の神秘 http://oratio.jp/p_column/kirishitanjinja をご覧下さい。
1番目の写真は 長崎市下黒崎町枯松頭にある枯松神社です。
枯松神社は禁教時代に外海地方で活動した日本人伝道士バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀まつっています。この珍しいキリシタン神社は外海のかくれキリシタンの聖地のひとつです。
神社といっても鳥居はなく、小さな社殿がひっそりとあるだけです。厳しい弾圧の中、信仰がばれないように神社としてカムフラージュしたなごりなのです。
2番目の写真はこの合同慰霊祭の写真です。
この合同慰霊祭では、2000年より毎年11月3日に行われています。
サン・ジワンとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。特徴的なのは、現在のカトリック信者と仏教徒、そして旧キリシタン(かくれキリシタン)が一堂に会して祭りを行うことです。
カトリック教会による慰霊ミサやかくれキリシタンの代表によるオラショ奉納など、緑深い山林の小さな神社を前に行われる儀式はとても神聖で神秘的な雰囲気が漂うそうです。
禁教時代、外海のキリシタンは表面上、寺の檀家となって暮らしていました。
その中には、キリスト教が解禁になってからも教会には復帰せず、そのまま仏教徒として先祖が継承した潜伏期の信仰を守り続ける人たちもいたのです。そのような信者は「かくれキリシタン」と呼ばれ、外海では現在も数戸の家で信仰が継承されているそうです。
枯松神社のすぐそばの墓地にはキリスト教の洗礼名と仏教の戒名が一緒に刻まれている墓があります。かくれキリシタンの家の墓石なのです。「枯松神社際」と同様に、外海の信仰の複雑さを物語っています。
このようにキリシタンをまつった神社は全国的に珍しく、長崎市内淵神社の桑姫(くわひめ)大明神、東京都伊豆大島の おたあね大明神が知られているだけです。
詳しくは、枯松神社 http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000609.html をご覧下さい。
(2)熊本県天草市の「﨑津三宗派御朱印帳」のこと。
三宗教の合本した御朱印帳は世界でただひとつのようです。
以下は、http://shimanotane.jp/sakitsu_3religionstamps/ からの抜粋です。
﨑津集落の共同墓地の下にある「鶴林山 普應軒(ふおうけん)」が「﨑津三宗派御朱印帳」の佛教部分を出しているのです。
3番目の写真はこの 普應軒です。
このお寺は元禄年間(江戸時代中期)に創建された曹洞宗のお寺で釈迦如来が祀られています。
ここで最近、有名になっているのが「﨑津三宗派御朱印帳」です。キリスト教と仏教と神道という3つの異なる宗教の御朱印を一冊の御朱印帳として発行しているのです。キリスト教に御朱印制度はありませんから非常に珍しいものです。
4番目の写真はこの「﨑津三宗派御朱印帳」です。
キリスト教の御朱印は世界遺産のカトリック崎津教会の神父さまが墨書しています。神道の御朱印は﨑津諏訪神社の神主さまが墨書しています。
5番目の写真はカトリック崎津教会を取り囲む天草市の崎津集落の写真です。
今日は珍しいキリスト教と神道と仏教の混淆の様子を示す写真を掲載し少し説明を加えました。
少し深く考えると潜伏キリシタンが厳しい禁教の下で250年も生き残ったのは神道信者や仏教徒の目に見えない保護や支援があったからなのでしょう。幕府の権力者を恐れない農漁民の崇高な勇気が250年の潜伏キリシタンの歴史を作ったのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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峰脇 英樹
1964年長崎県新上五島町生まれ、東京写真専門学校を卒業後、写真関係の会社勤めを経て1995年に独立。各種雑誌、書籍、カレンダーなどに写真を発表している。長崎の教会、日本各地の風景も撮影。五島の教会では、昔の人はこの場所で何を感じ、何を思っていたのかを想像しながら写真を撮っている。写真展も定期的に開催。
『ペトロ岐部司祭と187殉教者列福式 公式記録』2017年のユスト高山右近列福式ミサ公式記録集を撮影。2004年に五島列島巡礼写真集『ロザリオロード 虹色の光の祝福の島 巡礼の道』を出版。 2008年に五島列島のカトリック教会51を歩いて巡礼。現在も堂崎教会で販売中。