後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「国宝の大浦天主堂の写真」

2024年06月16日 | 写真
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。
また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。
1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。



「東京のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」

2024年06月16日 | 日記
 6月16日

【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
エゼキエルの預言(エゼキエル  17:22-24)
第2朗読
使徒パウロのコリントの教会への手紙(2コリント 5:6-10)
福音朗読
マルコによる福音 (マルコ 4:26-34)

カトリック麹町 聖イグナチオ教会
https://www.ignatius.gr.jp/index_j.html


「深大寺の銅造 、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」

2024年06月15日 | ブログ
平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺 の銅造 釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。
深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。

深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。
白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。

「東京で最古の寺、深大寺の写真」

2024年06月15日 | 写真
今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏) もあります。
深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。
以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。
1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。
この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。
2番目の写真は深大寺の山門です。
3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。
4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像を本尊にしています。

5番目の写真は深沙大王の像を祀った「深沙大王堂」です。「深沙大王堂」は本堂から離れた場所にありますが、私は必ずお参りします。玄奘三蔵法師を尊敬しているからです。

以上、東京で最古の寺、深大寺の写真をお送り致しました。

深大寺・神代植物園へは中央線吉祥寺駅、三鷹駅からバスが便利です。また京王線の調布駅からも深大寺方面へのバスがあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「私の身近にあったお寺の写真」

2024年06月15日 | 写真
父の実家は兵庫県の田舎のお寺でした。そんな関係で私の身近にはいつもお寺があったのです。
今日は私の身近にあったお寺の写真をお送りしたいと思います。

1番目の写真は父の実家の正林寺です。兵庫県の田舎のお寺で曹洞宗でした。

2番目の写真は正林寺での施餓鬼供養の光景です。毎夏見た光景です。

3番目の写真は兵庫県の篠山市にある叔父が住職をしていた法福寺です。ここにも私は何日も泊りました。

4番目の写真はよく行った宮戸島の大高森にある薬師堂です。松島湾が一望できる所です。

5番目の写真は仙台の瑞宝寺です。幼少の頃にこのお寺の幼稚園に通っていました。

6番目の写真は現在住んでいる小金井市にある真蔵院です。よく散歩に行く道そいにあるお寺です。

7番目の写真は真蔵院の境内です。兵庫県のお寺が懐かしく境内に入って散歩します。

この他によく行くお寺は小金井の金蔵院や海岸禅寺があります。
今日は私の身近にあったお寺の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」

2024年06月14日 | 写真
私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。
その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493 です。

1番目の写真はハクサンイチゲです。

2番目の写真はシラネアオイです。

3番目の写真はユキワリコザクラです。

4番目の写真はミヤマオダマキです。

「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」

2024年06月14日 | 写真
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。
写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。
2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。
3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。
「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。
写真は、https://www.asoview.com/note/475/ からお借りしました。
続いて美しい松島の雪景色の写真をお送り致します。
写真は、「松島の雪景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。

今日は我が故郷、松島の四季折々の写真をお送り致しました。
仙台に生まれ育った私にはいろいろな思い出があります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」

2024年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム
安曇野の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに泊ったことがありました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。
部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルの雰囲気でした。写真をお送り致します。

1番目の写真は白馬東急ホテルの玄関です。写真はインターネットからお借りしました。

2番目の写真は私どもが泊まった部屋と同じような部屋の写真です。写真はインターネットからお借りしました。
ここのホテルを出て、暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などがパノラマのように見えたものです。それは私ども家族にとっては印象深い旅でした。

3番目の写真はゴンドラから家内が撮った白馬東急ホテルです。

4番目の写真はホテルの庭から家内が撮った客室です。客室のバルコニーで庭先の樹々を見下ろしながらビールを何度も飲んだものです。
このホテルは自然に囲まれサービスも上質なのですっかり気に入りました。数回この白馬山麓のホテルに泊まりました。
家内の両親と一緒に泊ったこともありました。家内の父は坂倉準三氏の設計した三角形の屋根の姿が大変気に入ったようでした。またフレンチのコースも美味しいと喜んでくれました。

2013年の旅は最後の白馬東急ホテルへの旅でした。あれから11年、もう白馬山麓は遠方すぎて行けませんが、白馬東急ホテルのことは忘れられません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「安曇野の仁科三湖、木崎湖、中綱湖、青木湖の寫眞」

2024年06月13日 | 写真

大糸線の大町駅から白馬駅の間に車窓から3つの湖が見えます。その周囲には何も無い静かな湖沼群で

標高が一番高い西端の青木湖から中綱湖、そして木崎湖と農具川でつながっていて、木崎湖から流れ出ているのも農具川といい、それは高瀬川に合流し、信濃川になります。

この仁科三湖は透明度の高い水で、遥か遠方には残雪の白馬連山が横たわっています。そんな美しい水をたたえた風景写真をお楽しみ下さい。大糸線の車窓から撮った写真です。

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そして下の写真はこの仁科三湖と北アルプスの山々ととの位置関係を示しています。この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B9%96です。

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「安曇野の風景と大きな水車の思い出」

2024年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム
思い出ばかり書いているのは老人の悪い傾向です。と知りながら今日も書きます。安曇野の風景と大きな水車の思い出です。思い出すたびにすがすがしい気分になります。元気が出ます。そして老境を格調高く生きることが出来るのです。
1番目の写真は残雪が輝く北アルプス連峰です。
写真の出典は、https://www.kabegamikan.com/p/i.php?url=www.kabegamikan.com%2Fimg%2Fna14%2F169619.jpg です。

2番目の写真は北アルプスの麓に広がる水田の風景です。写真はインターンットからお借りしました。
続いて自分が2017年6月に撮った安曇野の清流と水車の写真をお送りいたします。
3番目の写真は訪れた安曇野の山葵園の脇にある美しい流れの光景です。
川底の藻がゆらゆら揺れていて、その左右に揺れる様子から流れる水流の早さがわかります。北アルプスの高い山々の雪解け水が安曇野に湧き出しているのです。
4番目の写真は清流に水車がある風景です。
5番目の写真は水車の構造が頑丈に出来ていることを示す写真です。
水車の羽根が水流で押され水車がゆっくり回り、水車小屋の中の粉ひき用の杵がゴトン、ゴトンという低音がのどかに聞こえています。
この水車は以前に、黒沢監督の『夢』の撮影に使用された水車です。
水車の遠方には残雪の山並みがあり近景には緑の水田が広がっています。本当に美しいものです。
このような風景を常日頃思い出していると、この世の欲から解放されて老境が格調高く過ごすことが出来ます。
ついでに私が心がけていることを書いておきます。
それは他人を憎まず他国を蔑まないことです。
老境になると社会から離れるので仕事の上での他人との確執が無くなります。自分を悲しい目に合わせた人のことも次第に忘れます。老境になると誰でも他人を憎まなくなります。
そして恩人たちへの感謝の気持ちが一層強くなってくるものです。すべてのことに感謝の気持ちが強く湧いてきます。自然に湧いてきます。
しかし毎日見る新聞やテレビでは他国を悪いと非難したり、憎しみをかき立てる扇動的な報道があります。
他人を恨んでいたり、他国を非難している限り格調の高い老境を過ごすことは不可能です。
旅をしてホテルに泊まるときはクラシック・ホテルに泊まる。サービスの質を重大視しています。このようなホテルや旅館は少し高価なことが多いようですが我慢します。

まだまだ書きたいことが沢山ありますが、それを割愛するのも格調の高い姿勢なのかも分かりません。これで終わりにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)