。
近くに専用軌道があり、東西にJR中央線が走る。
住宅地の先に見えるのが多摩丘陵で高台の稜線が繋がっている
のが見える。
中央線の東側は多摩平に抜ける崖があり、切通で貫通されている。
この崖を登る坂でバイパスに繋がる。
従って坂以外の道は行く手を阻まれ、行き止まりになり、車の往
来が少ない。
窓を開けると夏場は電車の騒音がもろに、飛び込んで、気になる
が、間欠的で馴れてしまう。
都心に住まい、JR中央線の立川以西の多摩の世界は遥か遠い空間
であったが、会社の事業所に近いと言うこともあって、居ついて
しまった。
我が家を挟んで線路の反対側、多摩平に抜ける崖に湧水が生まれ、
その流路沿いが、自然のオアシスとなり、一年を透して変わらぬ
水温から、冷気にちびさん達の格好の水場になっている。自然が
手の届くところにありそんな自然環境もあり、住めば都である。
当地に住んでン十年、恵まれた環境に子供達も、育ち、家族ぐる
みお付き合いも自然に生まれた。年が経ち、その子供たちも巣立
っていった。
核家族化から、それぞれ巣立っていった世代も、新たな世界で、
生活が生まれ、再び、当地に土地に戻る機運もなく、廻りを見る
と残された老夫婦が、古い建屋を維持しつつ、悠々の世界を何と
か送っている
<未だ画像も生生しく、解体された隣接の家屋>
道を隔てた隣家も、老夫婦の世界であったが、向こう三軒両隣で、
そこそこお付き合いが自然に生まれた。
ご主人はオーデイオに凝り、秋葉原まで通い、部品を買い集め
エレクトロニクスに凝っていた。
一方では、自らギター、エレクトーン、ピアノを奏でられ、多
趣味のご主人であった。その秀逸な演奏振りは、道を隔てて自然
と耳に入り、爽やかな空気に和まされた。
奥様はお主人にも負けず劣らず、ギター、花他、旅行など多趣味
で幅広い交遊関係から、来客も多く、邸宅からは人の賑わいも絶
えることはなかった。
既に嫁いだ我が家の娘も小学校時代に、2階にお邪魔し、立派な
エレクトーンを前に弾かせて貰いダイナッミックな音に魅せられ
た思い出もある。
手入れの行き届いた植木と、四季を告げる梅、桃など見事な咲き
具合が奥様の自慢でもあった。
そんな御夫婦も高齢化からご主人が亡くなり、仲良し夫婦に、支
えを失い3年後、奥様も跡を追った。
既に、予知をされたのか、奥様は隣近所の絆を大切に、それぞれ
の隣近所に感謝の気持ちを認め、そっと準備されていた気遣いが、
メッセージとして残された。
因みに輩のことは背の高い植え込みの梅の木を手が届かないので、
毎年その時期になると、枝落としの お手伝いしたことの感謝が、
伝えられ、胸が熱くなった。
建物はその後借家にされたが、間もなく空き家になった。
とかく、物騒な世の中、何時までも空き家にすることにならず、
この度、第三者に売却された。
<建設機械が入り、パワーショベルの破砕、掘り起こしが始まる>
建屋、植え込み、外壁とも併せ、一気に解体、その廃材は綺麗
に搬出撤去された。
これも時代の流れか、其処にあった生活の証が、瞬く間に消え
去ってしまった。
長い生活の記録も、変な感情に捕らわれず、ごく事務的に、塗
り替えられる。
詳細は
「ようこそ松崎家の世界へ」
掲載されてます。
近くに専用軌道があり、東西にJR中央線が走る。
住宅地の先に見えるのが多摩丘陵で高台の稜線が繋がっている
のが見える。
中央線の東側は多摩平に抜ける崖があり、切通で貫通されている。
この崖を登る坂でバイパスに繋がる。
従って坂以外の道は行く手を阻まれ、行き止まりになり、車の往
来が少ない。
窓を開けると夏場は電車の騒音がもろに、飛び込んで、気になる
が、間欠的で馴れてしまう。
都心に住まい、JR中央線の立川以西の多摩の世界は遥か遠い空間
であったが、会社の事業所に近いと言うこともあって、居ついて
しまった。
我が家を挟んで線路の反対側、多摩平に抜ける崖に湧水が生まれ、
その流路沿いが、自然のオアシスとなり、一年を透して変わらぬ
水温から、冷気にちびさん達の格好の水場になっている。自然が
手の届くところにありそんな自然環境もあり、住めば都である。
当地に住んでン十年、恵まれた環境に子供達も、育ち、家族ぐる
みお付き合いも自然に生まれた。年が経ち、その子供たちも巣立
っていった。
核家族化から、それぞれ巣立っていった世代も、新たな世界で、
生活が生まれ、再び、当地に土地に戻る機運もなく、廻りを見る
と残された老夫婦が、古い建屋を維持しつつ、悠々の世界を何と
か送っている
<未だ画像も生生しく、解体された隣接の家屋>
道を隔てた隣家も、老夫婦の世界であったが、向こう三軒両隣で、
そこそこお付き合いが自然に生まれた。
ご主人はオーデイオに凝り、秋葉原まで通い、部品を買い集め
エレクトロニクスに凝っていた。
一方では、自らギター、エレクトーン、ピアノを奏でられ、多
趣味のご主人であった。その秀逸な演奏振りは、道を隔てて自然
と耳に入り、爽やかな空気に和まされた。
奥様はお主人にも負けず劣らず、ギター、花他、旅行など多趣味
で幅広い交遊関係から、来客も多く、邸宅からは人の賑わいも絶
えることはなかった。
既に嫁いだ我が家の娘も小学校時代に、2階にお邪魔し、立派な
エレクトーンを前に弾かせて貰いダイナッミックな音に魅せられ
た思い出もある。
手入れの行き届いた植木と、四季を告げる梅、桃など見事な咲き
具合が奥様の自慢でもあった。
そんな御夫婦も高齢化からご主人が亡くなり、仲良し夫婦に、支
えを失い3年後、奥様も跡を追った。
既に、予知をされたのか、奥様は隣近所の絆を大切に、それぞれ
の隣近所に感謝の気持ちを認め、そっと準備されていた気遣いが、
メッセージとして残された。
因みに輩のことは背の高い植え込みの梅の木を手が届かないので、
毎年その時期になると、枝落としの お手伝いしたことの感謝が、
伝えられ、胸が熱くなった。
建物はその後借家にされたが、間もなく空き家になった。
とかく、物騒な世の中、何時までも空き家にすることにならず、
この度、第三者に売却された。
<建設機械が入り、パワーショベルの破砕、掘り起こしが始まる>
建屋、植え込み、外壁とも併せ、一気に解体、その廃材は綺麗
に搬出撤去された。
これも時代の流れか、其処にあった生活の証が、瞬く間に消え
去ってしまった。
長い生活の記録も、変な感情に捕らわれず、ごく事務的に、塗
り替えられる。
詳細は
「ようこそ松崎家の世界へ」
掲載されてます。