集まって下さ~い」市内史跡拠点で、振り絞って声かけども、
一向になびかぬ群れを相手に、虚しく呼びかける。
列の先頭から終端まで、こんなに離れてしまった。
軍隊の行軍ではないので、足並みを揃えてまでは強制は出来
ない。
かっては、町を元気よく闊歩していた衆も、一歩一歩確かめ
ながら歩むも中には転ばぬ先の杖ではないが、道具を頼りに、
懸命に列を追う人もいる。
離合集散を繰り返し予定した分刻みのスケジュールを
時間通り、案内を終わらせなければならない。
こんな足並みの揃わぬバラバラの集団を束ね、案内する難し
さを改めて遭遇する。、
説明は通り一遍にならず、独りよがりにならず、多少の深さ
も加え、歴史を楽しんで貰う。
日野駅の西側、西の地蔵さん前の緩やかな坂道
ゆったり、もったりで始まった、道先案内であった。
かっては鉄道の専用軌道を跨いで、向こう側に旧街道は繋がって
いたが、今は完全に開かずの踏み切りになってしまった。
金網越しに鉄路を前に折り返す。
◇パンダ隊士
法泉寺から旧甲州街道を縦断し、狭い道を辿りながら井上源
三郎さんの生家へ案内する。
しかし、開館時間より早すぎていたので、未だ閉まっていた。
開館日は判っていたが、開館時間が変わっており、すっかり、
その確認が抜けていた。
多数の引率を背後に特別の計らいで何とか開けてくれた。
館内に案内して貰い、説明がはじまり、徐々に熱帯びた説明
が伝わってくる。
向かい側で、新選組隊士姿で身を帯刀したパンダ隊士が縁台
で腰掛けている。
おおきな頭にちょこんと、小さな鉢金を被っており、戦闘体
勢にあるが、そのゆったりした姿に、緊迫感は余り感じられない。
「そこの~、まあゆっくりして、いけや」
パンダ隊士と向き合い、忙しく動き回る間の一日に、しばし骨休
みすることが出来た。
◇鳳凰のすがたに
宿の真ん中、現代でも残す江戸の文化を今日伝える、唯一の建物。
何時も家の中からであるが、外側からの説明はこんな時に限ら
れる。
式台のある玄関口の入母屋作りの屋根に何時も得たいの知れない
動物が見下ろしている時代の経過を物語り、風化しているが、
その姿は今なお健常である。
頭の前はキリン、後ろは鹿、首は蛇、あごは燕、背中は亀、尾っ
ぽは魚と言われる
古来中国で言われている象徴的な動物、鳳凰(ほうおう)だそうである。
木造家屋は燃えやすい。建物の火災の守り役を担っている。
◇道案内
石田地域は多摩川と浅川の合流点に有るため、昔から現代まで
出水の歴史。
多摩川の渡しが流された、歳三の生家や石田寺も水没などなど。
そんなことから、道が正に入り組み、複雑怪奇である。
住宅地の中、特に目立った目標がないため、たまに行くと迷走
する。
とうかん森、石田寺に行く時に、道案内してくれるのが、この
巨木である。
森といわれる看板も10数本あった巨木が今や僅か2本残されるの
みで、切り落とされてしまった。
石田寺はかやの木 、この巨木が住宅にあって、建物の影から顔
を除き、此処だぞと道案内してくれる。
◇日野高校
南側に日野高校が隣接するが、2013年の高校野球の地方大会は
私立のシード校を次々と倒し、あれよあれよと言う間に決勝ま
で進んだが、惜しくも甲子園行きを逃してしまった。
この快挙は地元の雄、歳三の機智と武勇の気が時代越えて、草
の根の日野球児に乗り移り、戦勲が生れたのではと勝手に想像した。
同校の応援歌は同校のOBの亡き忌野清志郎の代表作RCサクセシ
ョンの「雨あがりの夜空に」が鳴り響き、選手たちを鼓舞した。
甲子園で鳴り響けば、忌野もほくそ笑んでいるであろう。
日野、石田、高幡廻りきって、もうヘロヘロ、しかしやり終えて
最後のご挨拶。
拍手が総て、何とかやり遂げた。
一期一会を大切に、また再びお会いできることを誓って
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