長良さんから「古池に蛙は飛び込んだか」を借りて読みました。
著者は長谷川櫂さん。ポイントは次のようなことかと。
「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」
と、誰もが信じて疑わない芭蕉の句は、本当は
「蛙が水に飛び込む音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」
という句である。
切れ字の「や」を勘案して、散文に直すと、
蛙が水に飛び込む音が聞こえる
古池がある
と、あります。
音が古池のイメージを呼び起こした句となる。
なるほど!と感心しました。
しかし、句そのものは、
古池がある
蛙が水に飛び込む音が聞こえる
この順番に書かれています。
私は、古池に蛙が飛び込んだと読み、
水面に残る波紋をイメージしてきました。
俳句って迷宮みたい! 遅足
著者は長谷川櫂さん。ポイントは次のようなことかと。
「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」
と、誰もが信じて疑わない芭蕉の句は、本当は
「蛙が水に飛び込む音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」
という句である。
切れ字の「や」を勘案して、散文に直すと、
蛙が水に飛び込む音が聞こえる
古池がある
と、あります。
音が古池のイメージを呼び起こした句となる。
なるほど!と感心しました。
しかし、句そのものは、
古池がある
蛙が水に飛び込む音が聞こえる
この順番に書かれています。
私は、古池に蛙が飛び込んだと読み、
水面に残る波紋をイメージしてきました。
俳句って迷宮みたい! 遅足