575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

山鳩よみればまはりに雪がふる  高屋窓秋

2006年09月05日 | Weblog

   特攻はなぜ行われたのか?

1944年の後半には、軍の上層部にも勝利の見込みのないことは
はっきりと認識されていた。
これ以降も戦闘が行われたのは何故か?
どこかの戦線で局地的な勝利をおさめ、降伏の条件をよくする。
この一点で戦闘は継続されたという。
しかし米軍に太刀打ちできる戦闘能力は残っていなかった。
そこで特攻戦法が採用された。
1944年10月に、はじめて特攻隊が出撃した。
表向きは現地の発案、パイロットたちの志願によったものとされたが、
実際は、海軍の中央で決めたものであったという。

   士気の低下

特攻戦法は仕官たちにどう受け止められていたのだろうか?
あるパイロットは戦後に次のように回想している。
「この戦法が全軍に伝わると、わが軍の士気は目に見えて衰えてきた。
神ならぬ身である。生きる道があってこそ兵の士気は上がる。
表向きは元気を装っているが、かげでは泣いている」

   特攻隊に志願したのは?

航空隊の幹部や兵学校の仕官、古参パイロットは
特攻に出ることは少なかった。
学徒動員の予備士官や、予科練出の少年航空兵が多く選ばれた。
ある航空隊では、こうした状況に疑問を持った海軍少佐が
司令の大佐にこう主張した。
「もし行くんであったら、まず私が、隊長、分隊長、
兵学校出の仕官をつれて必ず、敵空母にぶち当たってみせます。
最後に司令も来てくれますね。
予備仕官や若いのを絶対に出しちゃいけません」と。
この後、この隊では特攻出撃は行われなくなったという。

           「民主と愛国」より。

この本を読んで考えこんでしまいました。
特攻で散っていった一人一人の気持ちは純粋であったでしょう。
しかしその純粋さに涙している私で良いのだろうか?

                       遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする