靖国神社に参拝をすませた人達は、遊就館に向かいます。
入場料800円。
明治15年に軍事博物館としてスタート、
ゼロ戦や戦車の実物の展示、ヤスクニ・グッズ
販売コーナーなどがありますが、
メインは戦争の展示。
戊辰戦争から太平洋戦争までの歴史が、
写真やパネル、映画などが紹介されています。
最後の部屋には、軍神の写真がずらりと展示されていました。
ひめゆり記念館でも女学生の写真が並んでいました。
写真というメデイアは、死者を甦らせる力を
持っていると実感しました。
駆け足で一回りした印象は、
日本は明治維新の1868年から敗戦の1945年まで、
ずっと戦争をしていたんだ!というものでした。
ひとつの戦争が次の戦争を呼び、その戦争がまた、次の戦争の原因となる。
そして1945年の破局に至る。
戦後のおよそ60年を、コインの表とすれば、
そこには平和の姿が描かれていますが、
裏は悲惨な戦争だったのです。
昭和天皇の服装は、戦後は背広、戦前は軍服でした。
昭和12年の上海事変当時のニュースを再編集、映写していました。
日本は、西欧から石油などの軍事物資が輸入できなくなるために
宣戦布告をしませんでした。事変と呼ばれる由縁ですが、
映像が伝えているものは、まさに中国との戦争です。
戦火を逃れて、中国の人々が難民となって
避難してゆく様子が映し出されます。
それに続いて次の様なコメントが続きます。
日本軍の所為か?
戦火のためか?
なぜ?
蒋介石の失政である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
このロジック、どこかで聞いたことがありませんか?
かん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_ang2.gif)
この映画が日本国内の映画館で上映されていた頃、
俳句の世界では、積極的に戦争を詠もうという声があがりました。
「新興無季俳句は、その有利な地歩を利用して、
千載一遇の試練に堪えてみるのがよかろう。
銃後においてよりも、むしろ前線に於いて
本来の面目を発揮するのがよかろう」
と山口誓子は「俳句研究」に書いています。
そしてニュース映画や報道写真を素材に
次々と戦火想望俳句が詠まれます。
一人ヅツ一人ヅツ敵前ノ橋タワム 西東三鬼
一兵士はしり戦場生れたり 杉村聖林子
そらをうち野砲砲身あとずさる 三橋敏雄
遅足