575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

一人ヅツ一人ヅツ敵前ノ橋タワム  西東三鬼

2006年09月13日 | Weblog

靖国神社に参拝をすませた人達は、遊就館に向かいます。
入場料800円。
明治15年に軍事博物館としてスタート、
ゼロ戦や戦車の実物の展示、ヤスクニ・グッズ
販売コーナーなどがありますが、
メインは戦争の展示。
戊辰戦争から太平洋戦争までの歴史が、
写真やパネル、映画などが紹介されています。

最後の部屋には、軍神の写真がずらりと展示されていました。
ひめゆり記念館でも女学生の写真が並んでいました。
写真というメデイアは、死者を甦らせる力を
持っていると実感しました。

駆け足で一回りした印象は、
日本は明治維新の1868年から敗戦の1945年まで、
ずっと戦争をしていたんだ!というものでした。
ひとつの戦争が次の戦争を呼び、その戦争がまた、次の戦争の原因となる。
そして1945年の破局に至る。

戦後のおよそ60年を、コインの表とすれば、
そこには平和の姿が描かれていますが、
裏は悲惨な戦争だったのです。
昭和天皇の服装は、戦後は背広、戦前は軍服でした。

昭和12年の上海事変当時のニュースを再編集、映写していました。
日本は、西欧から石油などの軍事物資が輸入できなくなるために
宣戦布告をしませんでした。事変と呼ばれる由縁ですが、
映像が伝えているものは、まさに中国との戦争です。

戦火を逃れて、中国の人々が難民となって
避難してゆく様子が映し出されます。
それに続いて次の様なコメントが続きます。

 日本軍の所為か?
 戦火のためか?
 なぜ?
 蒋介石の失政である

このロジック、どこかで聞いたことがありませんか?

     かん
  

この映画が日本国内の映画館で上映されていた頃、
俳句の世界では、積極的に戦争を詠もうという声があがりました。
「新興無季俳句は、その有利な地歩を利用して、
千載一遇の試練に堪えてみるのがよかろう。
銃後においてよりも、むしろ前線に於いて
本来の面目を発揮するのがよかろう」
と山口誓子は「俳句研究」に書いています。

そしてニュース映画や報道写真を素材に
次々と戦火想望俳句が詠まれます。

  一人ヅツ一人ヅツ敵前ノ橋タワム 西東三鬼

  一兵士はしり戦場生れたり    杉村聖林子

  そらをうち野砲砲身あとずさる  三橋敏雄

                    遅足



コメント (3)
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