先回の会での句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を
務めたことのある桐生悠々。
その悠々に
蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜
という句があります。
昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書き、
在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。
蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。

新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、名古屋新聞と合併して、現在の中日新聞となっています。
この合併も戦争遂行を目的に、言論統制のために行われたものです。
(遅足)