575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

私的新発見  鳥野

2006年10月27日 | Weblog
おっ、こんなのもありか、と嬉しくなった句。

 朝顔やおもいを遂げしごとしぼむ  草城

山本健吉氏は俳句鑑賞歳時記で「・・・こういう概念的な表現で、凋む朝顔の本性をとらえていると言うべきか」と述べていますが、わたしには、エロスそのもの。
さて、朝顔はどのような想いを遂げたのでしょう。

すでに膾炙されていることでしょうが、草城にはこんな句もあって驚きました。

   ミヤコホテル10作
 
 けふよりの妻と来て泊つ宵の春

 夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻とおりぬ

 枕辺の春の灯しは妻が消しぬ

 をみなとはかかるものかも春の闇

 バラ匂ふはじめて夜しらみつつ

 妻の額に春の曙はやかりき

 うららかな朝のトーストはづかしく

 湯あがりの素顔したしく春の昼

 永き日や相触れし手は触れしまま

 失ひしものを憶へり花ぐもり

(クックッ、勝手にしやがれ)ですよね。

句壇は「俳句研究」に載つた作品を真摯に受け止め、賛否交々。

 一種のオーケストラ的効果 不死男
 これは遊び 万太郎
 連作の見本になったら大変 秋櫻子
 はかなくもあわれなるおっちょこちょいの姿

等々。

明治34年生まれの草城が、昭和9年に発表したこの10句、なるほど新興俳句とはこのようなもの、斬新な句とは、としみじみ考えさせられました。

  
 かいつぶりさびしくなればくぐりけり

好きです。        
                     









                              
コメント (2)
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