575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

野の道の薄氷割りて児に還る  能登

2011年02月28日 | Weblog
この句、愚足さんの

  薄氷触れる若さも無くしけり

とは対照的。

歳を取ると、人生は引き算に。
父が逝き、母も・・・
友人のなかから、一人一人とあちらへ・・・
カンタンに出来ていたことも、ダンダン出来なくなってきます。

愚足さんは、薄氷に触れる若さをなくした、と。
嘆きつつ、一種の諦観を詠んでいるのではないでしょうか?

引き算の人生後半ですが、確実に増えているものもあります。
記憶です。思い出といっても良いでしょうか。
思い出は、脳の押入れのなかに乱雑に収納されています。

能登さんは、薄氷を割って子にかえりました。
記憶は行為とつながっています。
氷を割った能登さんは、子供時代のあれこれを
思い出したのではないでしょうか。

             

私の母の実家は、足助の山の中。
早春といっても、田圃には氷が張っていました。
弟たちと3人で恐る恐る乗って遊んでいました。
突然、右足が田圃のドロのなかへ・・・

母の家までの道の遠かったこと。冷たかった!

                    遅足


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春雨や朝飯の菜ロッシーニ     朱露

2011年02月28日 | Weblog
   六時からアンサンブル・ゼフィロを。
   ベートーベンとロッシーニのお菜だ。
   「セビリアの理髪師」で食べ終わる。
   雨の中犬の散歩をしているおばさん。

             


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