京の着倒れ、難波の食い倒れ、といいます。
佐渡には「舞い倒れ」というコトバがあるそうです。
能を楽しむには、面や衣装など、かなりのお金が必要。
のめり込みすぎて身上をつぶした人たちが居たのでしょう。
能を完成させた世阿弥は、晩年、佐渡に流されています。
歴史伝統館では、世阿弥のロボットが雨乞いの舞を披露していました。
佐渡には中世の雨乞いの面が文化財として残されていますが、
世阿弥がこれをつけて舞ったという伝説があるようです。
佐渡で、初めて能が演じられたのは、江戸時代になってから。
平和な時代が続き、村同士が競い合って能舞台を建てました。
その数、明治には200にも上りました。
当時、村の数が200ほどでしたから、一つの村に一つの舞台。
いかに人びとが能にのめり込んでいたのかが伺われます。
そして、この頃、舞い倒れというコトバも生まれたのでしょう。
旅の初日に「猩猩」を観ました。能舞台ではなくイベント会場でした。
佐渡には、今でも30近い能舞台があり、夏には薪能が行われています。
もう一度、行ってみたいものです。
なお雨乞いは夏の季語になっています。今では死語に近いですね。
佐渡には「舞い倒れ」というコトバがあるそうです。
能を楽しむには、面や衣装など、かなりのお金が必要。
のめり込みすぎて身上をつぶした人たちが居たのでしょう。
能を完成させた世阿弥は、晩年、佐渡に流されています。
歴史伝統館では、世阿弥のロボットが雨乞いの舞を披露していました。
佐渡には中世の雨乞いの面が文化財として残されていますが、
世阿弥がこれをつけて舞ったという伝説があるようです。
佐渡で、初めて能が演じられたのは、江戸時代になってから。
平和な時代が続き、村同士が競い合って能舞台を建てました。
その数、明治には200にも上りました。
当時、村の数が200ほどでしたから、一つの村に一つの舞台。
いかに人びとが能にのめり込んでいたのかが伺われます。
そして、この頃、舞い倒れというコトバも生まれたのでしょう。
旅の初日に「猩猩」を観ました。能舞台ではなくイベント会場でした。
佐渡には、今でも30近い能舞台があり、夏には薪能が行われています。
もう一度、行ってみたいものです。
なお雨乞いは夏の季語になっています。今では死語に近いですね。