575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中皆二の短歌から 〜原発銀座のこと〜竹中敬一

2017年08月11日 | Weblog
父は自然破壊などには常に心を痛めており、昭和40年代、久須夜岳に観光道路が
出来ることに反対して、数数の短歌を発表しました。
その後、若狭湾には次々に原子力発電所が建設され、原発銀座と呼ばれるように
なりましたが、この事にどう反応したのか、歌集を調べてみました。
第五歌集「草木と共に」の中の昭和62年の所に七首見つかりました。

 無気味なる静寂にして入海の奥に聳ゆる原電ドーム

 原電の是非には触れず只仰ぐこの灰白色巨大ドーム

 巨大なる原電ドーム二基並び聳ゆる入江の奥のしづもり

昭和54年に福井県大飯郡おおい町に建設された大飯原発のことを取り上げのは
この三首だけで、後の四首は原発のある入江の情景を詠んだものです。
「草木と共に、自然は最高」と云っていたのに、どうしたことか。以前に紹介
した父の歌を思い出しました。

 今にして思ふ 軍専制時代には面従腹背のわが生きざまなりき

父の云う暗黒時代のように表向きは服従するかのように見せかけて、内心では
反抗。現地に住んでいないと理解できない複雑な思い。原発の是非には触れず、
黙することが自然を愛する父の精一杯の抵抗だったのかもしれません。

そんな父の気持ちを代弁して、他郷に住む私が脱原発の思いを込めて、初めて
短歌らしいものを作ってみました。

 ふるさとは原発銀座といわれ居り 海のある奈良 若狭の里よ

 反原発唱え続けて幾年ぞ 中嶌老師信念貫く

中嶌哲演老師は福井県小浜市の古刹、明通寺の住職です。
簡単なプロフイールより。昭和17年生まれ。私と同じ若狭高校を卒業後、
東京芸術大で美術史を専攻するも、中退して高野山大学へ。卒業後、明通寺の
住職を勤めながら、学生時代に原爆の被爆者に出会ったのをきっかけに反原発
運動を進めた。
昭和46年(1971)、「原発設置反対小浜市民の会」を結成して事務局長を勤め、
今も脱原発を訴え続けている。小浜市民の会の結成時には29歳だった中嶌氏も
今は75歳。

私は平成2年、拙著「若狭の海幸山幸物語」を出版した時、明通寺蔵の「彦火
火出見尊 (ひこほほでみのみこと)絵巻」の中から、数シーン転写の上、掲載
させてもらいましたが、その許可を得るため、明通寺を訪れた際、中嶌氏から
快く受け入れて頂いた上、穏やかな口調で
「原発反対を声高に叫ぶだけではいけない。若狭に息づく古い文化やすばらしい
自然に改めて光を当てることは、とりもなおさず、故郷を守ることにつながる」
と、おっしゃいました。
以来、小浜市民の会からは「若狭の原発を考えるーはとぽっぽ通信」を送って
もらっています。若狭だけではなく、全国の反原発の動き、住民の声を知る
ことができます。

私の手元にある最近の「はとぽっぽ通信」より。
「福島原発震災から6年、ますます過酷、深刻化している"フクシマ"の被災者
たちに心を寄せ、その抜本的で包括的な救済(法的、財政的な整備など) を願い、
また、若狭に" 第二のフクシマ"を断じて繰り返さないことを願って、今朝
(5月15日〜3日間) から断食を始めました。」

父は、きっと中嶌老師の考えに賛同していたことと思います。

写真は、私の故郷、内外海 (うちとみ)半島(福井県小浜市 )の先端、
    泊地区から見た大飯原子力発電所。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする