575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

秋暑し今朝は隠れる多米連山    朱露

2011年08月24日 | Weblog
   東三河から湖西にかけて厚い雲の朝。
   薄日は射しているのでまあ明るいが。
   豊橋の街中から見れば多米も霧の中。
   何事も第三者の眼で見る癖をつける。

              

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危険水位ふたたび   鳥野

2011年08月23日 | Weblog
8月18日は飛騨川バス事故の日。
今年で43回目の法要がありました。
「僕は高校生でした」「ワタシは小学校」と、話合う人たち。
事故は遠い日の出来事になって、参加する人数もめっきり少なくなりました。

事故のあと、国の道路行政を告発した大訴訟。原告130人、弁護団40人、
全国交通運輸労働者の力強い支援を受けました。

6年間の苦労が実って獲得した国家賠償という全面勝訴。
以来、この判決は道路管理の転換点になりました。

43回忌のこの日は、よく晴れた暑い日。「天心白菊の塔」の前のテントで行われている
法要を横目に、トラックが乗用車が疾走していきます。

どうか、事故に遭遇しませんように。

 ここまで書いて、投稿寸前の23日(火)午前11時、下呂市 の飛騨川沿いの住民に 避難勧告。
 局地的豪雨により、飛騨川が危険水位に達したというものです。
 大きな災害にならないことを祈るばかりです。
                        鳥野

 
  


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八月に生まれ八月もの思う     朱露

2011年08月22日 | Weblog
   今朝は七十七才の来し方を振り返る。
   三才の疫痢と十才の機銃掃射で死ぬ。
   その後腹膜炎と肺結核の手術で死ぬ。
   その後半世紀毎晩酒を飲み毎晩死ぬ。

             



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亡き人も我を忘るる大花火   遅足

2011年08月22日 | Weblog
船団・岡野ドクターの診断です。

なんか芭蕉みたいで、深いなあ。褒めすぎでしょうか。
去るものは日日に疎しといいますが、この句を前にすると、
この成句があくまでも生者側からの発想であったことに気づかされはっとします。
鬼籍に入ったあの人も、あのひとも、この私を忘れるというのですから。
死者もまた忘却するという思ってもみなかった発想です。
花火は間違いなく生者側の現象ですが、
夜空の束の間の光に死者の誰それが浮かんだのでしょうか、
それとも、この死者の忘却という想念がそれこそ光速で現れたのでしょうか。
大花火が効果的です。

ありがとうございます。

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枝豆のさや積み上げて考える    朱露

2011年08月22日 | Weblog
    人は一生懸命枝豆を食べるものだ。
    黙々と食べる図は沈思黙考に似る。
    少し塩を振りたいという程度でも。
    枝豆が友の限り悪巧みは出来ない。

            



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ホームレス歌人のいた冬(三山 喬・著)を読んで   遅足

2011年08月21日 | Weblog
遅ればせながら、ようやくこの本を読みました。

(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
                    (ホームレス)公田耕一

2008年に朝日歌壇に登場したホームレス・公田さんの歌。
旋風を巻き起こした公田さんは、一年足らずで、
朝日歌壇を去っていきました。

公田さんとは、どんな人なのか?
フリー・ジャーナリストの三山さんが、
横浜のドヤ街などで、公田さんを探した記録です。

かっては、日雇い労働者の町だったドヤ街が、
今は、福祉で生きる老人の街となっていることなどが
紹介されていました。

結局、公田さんは見つからなかったのですが、
十分に読み応えのある一冊でした。

なぜ歌をつくるのか?

人は絶望的な苦境に立たされると、心に蓋をしがちになる。
だが、それは希望をも遠ざけてしまう自己防衛である。
それでも、傍らに「表現」という自己確認の手立てがあれば・・・
そういう行為があれば、極寒の路上でも孤独な独房でも
人は自分のまま生きていくことが出来るのではないか。

三山さんが辿りついた結論です。

ドヤ街で俳句をつくっていた人も紹介されています。

  曼珠沙華母に詫びいる般若波羅蜜多  はじめ

俳句をつくることは、時に苦痛でもあるのですが、
作っている時は、たしかに自分自身であることが
出来るわけです。
そんな不幸にして幸せなことはないのでしょう・・・



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電線の幽かに揺れて秋の声    朱露

2011年08月21日 | Weblog
    二階南の部屋の目の前に電線が走る。
    電信柱の太い線から別れる細い線だ。
    言い方は幼稚だが言う意味は分るね。
    朝七時前なので秋の声も大いばりだ。

            

   秋の声「山川、天地、どこということなく
   聞こえてくるように感じられる秋の無韻の響き」
   と、歳時記に。

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虫の音のみどりに闇をひからせて    遅足

2011年08月20日 | Weblog
昨夜、お風呂に入っていたら虫の音が・・・
急に秋らしくなって虫も泣き始めたようです。
今朝は蝉の声が聞こえません。

 虫の音の虹七色に鳴き競う

まもなく、こんな夜がやってきそう。
着実に季節は秋へと・・・

追伸 立雄さんの選句が届き、最終結果となりました。
   一番は亜子さんの句です。

 搾られて搾られてなほ檸檬かな



  

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今朝の秋写真の母の薄笑い    朱露

2011年08月20日 | Weblog
     八月二十日七十七才になった小生。
     七十数年前の母の写真を見ている。
     三十そこそこという計算になるが。
     例の如く正視に耐えなくて仕舞う。 

              



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米兵にクラスの女ぶら下がる    朱露

2011年08月19日 | Weblog
     中学一年だから若過ぎると思うけど。
     しかし「事実は小説より奇なり」だ。
     彼女の父は戦争に行ったままだった。
     向こうから来るので逃げるしかない。

               


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終戦日加害者の声すこしづつ 立雄

2011年08月19日 | Weblog
今年の8月15日は、新聞休刊日。
こんな大事な日に休刊するなんて!という声もありました。
また、東日本大震災・原発事故のあった今年は、
終戦の日の意味合いが、変わったような気がするという感想も。

日本人の多くは、あの戦争で国民は軍部に騙された、
酷い目にあった被害者だったという気持ちを
持っているのではないでしょうか?
これは韓国や中国の人たちの気持ちとは懸け離れているようです。

死を前に、戦争での加害体験を、明らかにしておこう、
という元兵士の声が少しづつですが、聞こえてくるようになりました。
日本人が、聞く耳を持つようになったのかも知れません。

小さな、しかし大きな変化だと思います。   遅足

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檸檬句会   麗

2011年08月18日 | Weblog
突然の雨に降られながらも蒸し暑い中行われた昨日の檸檬句会。
レモンのさわやかな香りに包まれながらの句会ではなく汗を吹き吹きの開催となりました。

レモンといえば初恋の思い出。若き日の青春の一片。その既成概念に引きずられた句が多かったような。。。なかなか手強いお題でしたね。

さて朱露さん作の

    積ん読や檸檬の梶井基次郎

から一体、どんな内容だったかと句会で話題になりました。皆の朧気な記憶。
これは一度読み直さねばと思っていたら手持ちの電子辞書に全文掲載されていました。(しかも音声付き)

以前読んだ時は何かよくわからない感じでしたが、檸檬句会のあとで檸檬の存在について語ったあとだったかして今回はすとんと理解できました。

僭越ながら要約いたしますと、「憂鬱な不吉な塊を胸に抱いている主人公が、ある日ひとつのレモンを買ったことで急に元気になり、その冷覚、触感、嗅覚、視覚が目覚めます。しかし、その気持ち良さは長続きせず、また鬱屈した気持ちに逆戻り。立ち寄った丸善で本を積み上げ、その上に爆弾に見立てたレモンをおいて爆発する瞬間を想像しながら店をあとにする」という内容です。

積ん読から解放されましたか?
さすがに檸檬の形を紡錘形と表現するところ、「鼻を撲つ」香りと表現するところ。一個の檸檬で気持ちが軽くなる不可思議さ。檸檬の重量感。そのあたりの描写はさすが梶井基次郎。

「檸檬」を読んで句を作ったらかなり違った俳句ができたかもしれません。やはり積ん読はいけませんね~。でも朱露さんはきっと読んでおられることと思います。

さて、トップ賞に輝いた能登さんの

   葉を分けてグーを突き出す青レモン


色づく前の青いレモン。その形が勢いのある拳に見える。それをグーと表現されました。
梶井基次郎もびっくりの新感覚派。
カメラマンのとぎすまされた目でしょうね。

来月はコスモス。また百恵ちゃんの歌に引きずられないように新しい表現にチャレンジしましょう。
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8月句会の最終結果です。    遅足

2011年08月17日 | Weblog
8月句会の結果です。
レモンは難しいという声がありました。
確かに、ちょっと発想の飛躍した句をつくるのは難しかったようです。

題詠「レモン」

①庭檸檬 長鋏食(は)む ボトンゴロン(智恵)結宇
②積ん読や檸檬の梶井基次郎(朱露)童子・静荷・郁子
③片すみに夢見るレモンの恋ごころ(郁子)値遇
④初デートレモンスカッシュつつきおり(麗子)能登・値遇・智恵・立雄
⑤檸檬並べ唱歌校歌を口ずさみ(晴代)遅足
⑥檸檬てふ字よ過ぎにし日若き日々(静荷)結宇
⑦搾られて搾られてなほ檸檬かな(亜子)鳥野・童子・狗子・晴代・麗子・遅足・朱露・立雄
⑧午前零時レモンが夢を見る時間(遅足)能登・亜子・郁子・麗子・朱露・立雄
⑨白雲(しらくも)に乗ってみたかろレモンの黄(立雄)鳥野・亜子
⑩河馬が来て甘納豆とレモン食ふ(狗子)静荷・遅足・朱露
⑪レモン一つ「パンセ」の章に挟み置き(結宇)能登・値遇・童子・晴代・麗子
⑫葉を分けてグーを突き出す青レモン(能登)智恵・狗子・晴代・亜子・静荷・郁子・結宇
⑬談笑や輪切りレモンを踊らせて(値遇)智恵・鳥野・狗子

自由題
 
①終戦日加害者の声すこしづつ(立雄)値遇・晴代・亜子・静荷・結宇・麗子・遅足
②少年の背丈かすめて鬼やんま(静荷)鳥野・晴代・麗子・朱露・立雄
③身に沁むや三度目の核フクシマに(亜子)静荷
④みちのくのいのちを踊りあかすかな(遅足)値遇・智恵・童子・狗子・亜子・郁子・結宇
⑤秋立つや雲の下ゆく雲のあり(晴代)能登・鳥野・童子・狗子・亜子・郁子・遅足
⑥石庭に佇み蝉の声を聴く(麗子)晴代
⑦残業か想い尽きぬか夜の蝉(郁子)能登・値遇・鳥野・狗子・静荷・立雄
⑧ヒロシマの噂が走る真鶴へ(朱露)
⑨束ね髪 首筋さらり シュシュふわり(智恵)結宇
⑩啄木鳥や胎動の増す産科の途(値遇)遅足
⑪キャンパスでカップルで見る流星群(能登)麗子
⑫雨戸開け昨日の蝉ののけぞりし(結宇)智恵・郁子・朱露
⑬茄子の馬送るころには萎びをり(狗子)能登・智恵・童子・朱露・立雄

次回は9月21日(水)午後1時   東鮨
題詠は「コスモス」「秋桜」です。

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秋高し寺と畠と県道と    朱露

2011年08月17日 | Weblog
   愛知県東南端多米山麓の早朝。
   多米を動かなくなって数十年。
   名古屋・東京は彼方へ消えた。
   今東京の娘が来てはいるけど。

          



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磯釘で蚫剥がして世は終り    朱露

2011年08月17日 | Weblog
     戦中戦後数年の夏は真鶴で蚫を採る。
     蚫(あわび)を潜って剥がす楽しさ。
     その後六十数年あんなに楽しい・・・
     その後の楽しさはたいてい裏が・・・

             

  

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