575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

冷温の核やとろとろ煮大根   遅足

2012年01月21日 | Weblog
船団・岡野ドクターの診断です。

政府は終息宣言を出しましたが、とんでもないと思います。
素材の扱いが生で気持ちいい句ではありませんが、
同時代にこういう句があってもいいと思います。
あまりにもあからさまな核燃料と煮大根のアナロジーは
一方が食べ物だけに眉をひそめる向きもあるでしょうが、
ここで洒落てどうする?というスタンスもあり、
私はそっちに肩入れします。
「とろとろ」という措辞は天文学的な時間をかけても
無害化されないこの物質の本質に触れています。

ありがとうございます。
こういう素材は、どうかな?とは思いましたが・・・


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初句会の最終結果です。    遅足

2012年01月20日 | Weblog
今回の題詠・福寿草。実物を見たことのない人もかなり。
お正月用に盆栽にした福寿草をみかけることがありません。
生活スタイルが洋式になって、盆栽も姿を消していますね。


題詠「福寿草」

①福寿草心の融点見つけたり(麗子)遅足・狗子・晴代・立雄
②福寿草米寿の人の話好き(晴代)亜子・静荷・麗子・立雄・朱露
③鐘いくつ宮居着く間を福寿草(結宇)晴代
④身の丈に合った日溜まる福寿草(郁子)静荷・智恵
⑤福寿草可憐な見目に禍根秘め(智恵)
⑥人の世のまさかの坂や福寿草(亜子)鳥野・遅足・狗子
⑦福寿草昨日のことは昨日まで(静荷)能登・麗子・朱露
⑧水遣りし白寿の母の福寿草(立雄)能登・麗子・郁子・朱露
⑨どちらからともなく寄りて福寿草(遅足)鳥野・静荷・智恵・立雄
⑩めでたさに毒を秘めたる福寿草(須美)亜子
⑪ちいさめの愛のかたちやふくじゅそう(能登)鳥野・狗子・郁子
⑫向日葵(ひまわり)のようになりたくて福寿草(狗子)智恵・郁子
⑬福寿草姉は静かに眠りたり(朱露)能登・遅足・晴代・亜子


自由題

①成人式晴れ着に映る親の労(郁子)狗子・静荷・立雄
②しまわれてパン切りナイフ三日かな(晴代)鳥野・能登・遅足・亜子・麗子・立雄・朱露
③野位牌や馴染みの字有り大晦日(結宇)
④病床目鼻やわらぐ湯気ふわり(智恵)
⑤鬱々と光を憎む雪女郎(静荷)朱露
⑥初春の光の中で目を閉じる(麗子)郁子
⑦孫子来てキッチン狭きお節かな(立雄)智恵
⑧ものいわぬとも人といて冬雲雀(遅足)能登・狗子・亜子・麗子
⑨万の星我を突き刺す寒さかな(亜子)遅足・晴代・朱露
⑩なみなみと七草よそう湯気の中(ますみ)鳥野・晴代・静荷・智恵・麗子・郁子・立雄
⑪二度とない華やぎかなし春着たち(能登)狗子・郁子
⑫追風に背中押されり日脚伸ぶ(狗子)鳥野・遅足・静荷
⑬雨戸細めに元旦の陽を浴びて寝る(朱露)能登・晴代・亜子・智恵

次回は2月15日(水)午後1時 東鮨
題詠は「寒明」です。
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福寿草句会 麗

2012年01月19日 | Weblog
2012年、平成24年の初句会は「福寿草」で始まりました。

心の雪解け、元気な話し好きの88歳、鐘のなる参道、日だまり、実は根に毒を持つ花、思いがけないこともある、そんな悩みも昨日でお終い、99歳まで生きた母が大切に育てていた、そんな花を覗きこむ二人、めでたいけれどやはり毒があり、でも小さな愛の形にも見え、本当はひまわりにあこがれる、亡き姉に寄り添う鎮魂の福寿草。

いかがでしょうか?新年、それぞれの人生にそれぞれの福寿草が咲きました。

印象に残ったのは智恵さんのひとこと。
ご自身に上昇志向があるので

  「向日葵のようになりたくて福寿草」(安藤さん作)

を採ったというお話。

でも多くの日本人は明るい前向きな句と死を読んだ悲しい句ではなぜか後者の方に惹かれるという遅足さんの解説がありました。
そういう意味で向日葵の対極にある

  「福寿草姉は静かに眠りたり」(朱露さん作)
は、日本人特有のなんともいえぬ哀愁があります。亡きお姉様に捧げる一句。やはり心打たれます。


さて新しく575の会に入られた須美さんが自由題で早くも本領発揮。

    「なみなみと七草よそう湯気の中」

暖かい情景が浮かび「なみなみ」という上5に参りました。
でもご本人からは「七草」ならたくさん食べても太る心配がないというチャーミングな解説付き。
今年も笑いの絶えない575の会がスタートしました。
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福寿草の句集まる。    遅足

2012年01月18日 | Weblog
初句会の句が集まりました。さまざまな福寿草が詠まれています。
さあ、午後から句会です。今日の風は、どの福寿草に・・・

題詠「福寿草」
①福寿草心の融点見つけたり
②福寿草米寿の人の話好き
③鐘いくつ宮居着く間を福寿草
④身の丈に合った日溜まる福寿草
⑤福寿草可憐な見目に禍根秘め
⑥人の世のまさかの坂や福寿草
⑦福寿草昨日のことは昨日まで
⑧水遣りし白寿の母の福寿草
⑨どちらからともなく寄りて福寿草
⑩めでたさに毒を秘めたる福寿草
⑪ちいさめの愛のかたちやふくじゅそう
⑫向日葵(ひまわり)のようになりたくて福寿草
⑬福寿草姉は静かに眠りたり


自由題
①成人式晴れ着に映る親の労
②しまわれてパン切りナイフ三日かな
③野位牌や馴染みの字有り大晦日
④病床目鼻やわらぐ湯気ふわり
⑤鬱々と光を憎む雪女郎
⑥初春の光の中で目を閉じる
⑦孫子来てキッチン狭きお節かな
⑧ものいわぬとも人といて冬雲雀
⑨万の星我を突き刺す寒さかな
⑩なみなみと七草よそう湯気の中
⑪二度とない華やぎかなし春着たち
⑫追風に背中押されり日脚伸ぶ
⑬雨戸細めに元旦の陽を浴びて寝る
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冬の朝団地と雲と山と俺     朱露

2012年01月18日 | Weblog
     目の前が団地で後ろが多米山脈、
     と言うと山共は俺の事かと恐縮。
     低いこと角のないことまるで俺、
     と呟いたらどっと笑いやがった。

             



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天使の階段  鳥野

2012年01月17日 | Weblog
北信濃の小川村は美しい村です。
白馬村と長野市の間に挟まれて、3000人程が住む小さな山里。
村のどこを切り取っても風景画になりそう。
なかでも、大洞高原は「信州のサンセットポイント」に選出。
「星と緑のロマントピア」として、天文台、温泉、宿泊などの設備が整っています。

その駐車場に立った時です。夕暮れ近く、見はるかす北アルプスの稜線の上空は、かなりの量の雲が浮いていました。
太陽は雲に隠され、その切れ目から斜めに降り注ぐ幾条もの光線の柱。
背景は北アルプスの山なみ、光線の届く先は、大町、安曇野の平野と雄大です。

と、友人が『天使の階段』と言ったのです。

この現象は、雲にある程度の厚みがあり、その雲に光線を通す切れ目があれ起きるとのこと。

別の呼び名は薄明光線。さして珍しくはないと、言われても、遠望の利かぬ都会暮らしでは、望むべくもありません。

空と地上を結ぶ光の階段は用意されました。
何時の日にか許されて、辿ることができれば。と切実に。

                  鳥野

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初謡は「朝長(ともなが)」     遅足

2012年01月16日 | Weblog
数年前から宝生流の謡曲を習っています。
毎年一月は、初謡(はつうたい)といって、
昨年習ったものの発表会。今日がその初謡の日。
私は「朝長」の前シテ。

朝長は、源義朝の次男。頼朝の兄です。
義朝は、清盛と戦った平治の乱で負けて都落ち。
東国で再起を図ろうとした義朝は、朝長に、
「信濃へ下り兵を集めよ」、と命じます。
しかし朝長は、途中で矢を膝に受けて負傷、美濃の父のもとに。
義朝は「頼朝なら、こんなことには」と嘆き、
「念仏申せ」と、自らの手で殺したと、平治物語にあります。

朝長十六歳。性格がやさしく、武士としては失格だったようです。
平治物語では脇役だった朝長を謡曲では、
シテ(主人公)にして一曲を作りあげています。

芭蕉は能が大好きだったようで、美濃の青墓に足を運び、
朝長の墓を訪ねています。その時の一句。

  苔埋む蔦のうつつの念仏(ねぶつ)哉

念仏かな、と詠んだのは、朝長が最後に
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、二声念仏を唱えて
自害したという能の一節を踏まえています。

私も、随分前に朝長のお墓に行ったことがあります。
大垣の北、山際の円興寺一角にありました。
ひっそりとして訪れる人もありませんでした。   
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鳥の眼を持ち初夢の人となる   遅足

2012年01月15日 | Weblog
船団・えなみドクターの診断です。
この句は妙に調子がいい。
その原因は「~持ち」の後で一度切れて、
「~となる」と続ける繰り返しの妙にあるように思います。
詠まれている内容は、ごく普通のことですが、
上手に表現すると気持ちの良い句になるという
見本のような句です。

ありがとうございます。

夢といえば、先日、ためしてガッテンで、
悩みを流す方法を紹介していました。
まず目をつむり、小川をイメージします。
そして木の葉を一枚流します。
次に、木の葉に悩みをひとつ乗せて流します。
と、いうものでした。
わたしの見た夢。
木の葉に自分が乗って流れてしまいました・・・
これって?!!どういうことでしょう?



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鮟鱇の値札大きく口に刺し   山口昭男

2012年01月14日 | Weblog
山口昭男さんは昭和30年生まれ。「秋草」の主宰。
句集「讀本」を読みました。

  白菜としぼりしままの雑巾と

日常のささやかな出来事に言葉を寄せて詠んだ句。
私には詠めない句。良い句です。
こんな句も目に留まりました。

  水面の雨粒まろし生身魂

スロー・モーションのような句。
すぐれた動態視力から生まれたのでししょう。
写生句のお手本のような句。
生身魂、という季語を取り合わせたことから、
人のいのち、水のいのちの危うさが感じられます。

一方、それとなく作者の気持ちを詠み込んだ句。

  北風を頬へあてたるまま坐る

  ふりかえる秋風のまた苦きとき

句集のタイトルとなった句。

  じゃがいもの咲いて讀本文字大き

戦前の教科書を手にとって開いた時の印象でしょうか?
じゃがいもの花は、目立たない花。
取り合わせに、讀本の文字の大きさに
注目したところが良いですね。     遅足

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断捨離実行  麗

2012年01月13日 | Weblog
持ち越しになっていた断捨離の実行。
とりあえず気になっている一部屋からスタート。
クローゼットの中のもう着ないと思われる服を選び出しました。
部屋もすっきりさせようとできるだけ床に荷物などをおかないように
片付けました。すっきり!
そうすると不思議なことに色んなお誘いのメールや手紙が来だしました。
ちょっと風通しがよくなったのかな?

これが風水のなさる技かも。今年はすっきり暮らすことを目指します。
句会も近づきました。そろそろ準備しないと。。。
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「福寿草」句会近づく。    遅足

2012年01月11日 | Weblog
今回の題詠は「福寿草」です。
福寿草は、キンポウゲ科の多年草。
春を告げる花を咲かせます。
鉢植えの福寿草は、新年を祝う花として珍重されて、
新年の季語とされています。
元日草とも言う、と歳時記にあります。

  福寿草雪しりぞきしところより  永田耕一郎

雪の残るころに茎を出し、一輪だけ黄色の花をつけます。
岐阜県恵那市上矢作町に福寿草の自生地があり、
一度、訪ねたことがあります。
ここで花が咲くのは3月の中旬ごろ、農家の田んぼの土手一面、
小さなお日様の花盛りでした。

  寄りそふも離るるもあり福寿草  高木晴子

さて、句会には、どんな福寿草が登場するのか、楽しみです。
ちょっと冬の京に行ってきます。




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吉事多かれ   鳥野

2012年01月10日 | Weblog

  ・ 新年之始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家余其謄
    (あたらしき年のはじめの初春のきょう降る雪のいやしげ吉事)

 年の初めには、知らず知らずの間に思い出す一首。万葉集4516首の最後に,編者とされる大伴家持が
 置いた歌です。

 朗々と歌い上げて心地よい、これぞ迎春の寿歌といえましよう。
 
 今年の元旦は雪こそ降らなかったものの、厳しい寒さ。
 千二百余年前の万葉人の想いに副って、佳きこと多き年であれと祈りました。

 
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疑ひは人間にあり雪の闇  平井照敏

2012年01月09日 | Weblog
能と俳句の最終回です。
現代の俳人も、題材を能にとった句を詠んでいます。
作者の平井さんは、自句自解のなかでこう言っています。

  謡曲にあるこの上・中の句のことばは、時折よみがえってくる。
  神には疑いはない。神は明らかに真実を見とおしているから。

「疑ひは人間にあり」は、羽衣という謡曲のなかに出てきます。
羽衣をとった男が、舞をまってくれたら羽衣を返そうと言います。
しかし、返したら、舞わずに天に帰ってしまうのでは?
と、言うと、天女はこう答えます。

  疑ひは人間にあり、天には偽りなきものを

天には偽りも疑惑もない。偽りを言ったり、疑うのは人間である、と。
歌人では馬場あき子さんが、能に詳しくて本も書かれていますが、
俳人では、あまり聞いたことがありません。
               
             

私も一句つくってみました。
能・朝長のなかの言葉。

  光の陰を惜しめども 月日の数は程ふりて

を頂いて

  日記買ふ光の陰を惜しめとや   遅足

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払へども払へどもわが袖の雪   漱石

2012年01月08日 | Weblog
昨日に続いて、能と俳句についてです。
この漱石の句も、能「鉢木」からの本歌取り。
大雪に道を迷ったワキ僧の様子を謡った箇所。

 今降る雪に 行方を失ひ 一所に佇みて
 袖なる雪を うち払ひうち払ひし給ふ気色・・・

句では作者の姿とともに、深い雪のなかで難渋する
僧(実は鎌倉幕府の執権)のイメージを引き寄せることが出来るために
句の世界が大きく広がります。
漱石も虚子も宝生流の謡を習っていました。

 永き日のわれ等がために観世音   虚子

これは「田村」から。

 げにや安楽世界より 今この娑婆に示現して
 我等がための観世音 仰ぐも疎かなるべしや

娘を亡くした父が子の為に建てる観音像の台座に
刻む句として詠んだものだそうです。

 有明に残る桜の一二片  虚子

昭和2年、宝生流の名人・松本長氏が
秘曲・関寺小町を謡ったあとの一句。
能の印象を一句に仕立てたもの。
こんな句を頂いたら、松本さんは嬉しかったでしょうね。

    (能狂言が見たくなる講座十撰より)  遅足
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旅人とわが名よばれむ初時雨   芭蕉

2012年01月07日 | Weblog
この句の前書は。

 はや此方へと 夕露の 葎(むぐら)の宿は
 うれたくとも 袖を片敷きて お泊りあれや旅人

能の「梅枝」のなかで、一夜の宿を乞う旅の僧に
女主人が、どうぞと言う場面の言葉。

能のワキは旅の僧。
これは芭蕉が、私も謡曲のなかの旅の僧のような旅がしたい、
という気持ちを詠った句ということになります。
奥の細道も、芭蕉はワキの僧と見立てた旅の記録という味方もあります。

  春水や四条五条の橋の下  蕪村

これも能の「熊野(ゆや)」のなかの一節。

 四条五条の橋の下 老若男女貴賤都鄙、
 色めく花衣 袖を連ねて行末の・・・

シテの熊野が、平宗盛とともに清水寺の桜見物に向かう
道行を謡った部分。七五にそのまま引用しています。

俳諧に先立つ連歌では、題材を源氏物語からとっていました。
これに対して新しい俳諧は、謡を材料に句を詠ったようです。
引用によって、能の世界を呼び寄せることが出来、
句に大きな広がりを持たせること効果があります。
もっとも原典を知らない私には??・・・でしたが。

       (能が見たくなる講座十撰より)   遅足
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