575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

語り継ぐ臣民 聖断物語  遅足

2017年08月15日 | Weblog
72年前の今日、日本は連合国に無条件降伏。
昭和天皇がラジオで終戦の詔勅を放送。
私は2歳。オジサンの背中で聞いていたそうです。

詔勅というのは天皇が臣民に下す文書。
国民はみな天皇の赤子という地位に置かれているのです。
昭和18年生まれの私は、天皇の赤子だったのです。

敗戦によって新しい憲法が施行されます。
私は主権ある国民に生れ変ったわけです。

今、安倍さんたちは、再び、国民を臣民とするような
憲法に変えようとしています。
二度と臣民となることは御免こうむりたいものです。
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翅わって威嚇の音のこがね虫   狗子

2017年08月14日 | Weblog
季語はこがね虫。
俳句を習いはじめたばかりの頃に出会ったのが
高浜虚子のこの句。

  金亀虫擲つ闇の深さかな

狗子さんの句は、音に焦点をしぼって詠んでいます。
飛び立つ時、翅わって音をたてる・・・
それを威嚇の音と捉えてところが、類想を抜け出ています。

以前は夜になると、どこからともなく
黄金虫が飛んできて網戸にとまりました。
今はひと夏に数えるほどです。
                     遅足



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鷺の曳く一筋の水脈晩夏光  等

2017年08月13日 | Weblog
この句のキイ・ワ-ドは「水脈」。
「すいみゃく」と読めば、地中を水が流れているみち。
あるいは、舟が通るみちを意味します。

「みお」と読むと、海・湖・川で、流れの作用で
底がみぞのように長く深くなった部分。船の水路になります。
そこから、船の通ったあと、航跡を意味します。

この句では、「みお」と読み、航跡という意味で使われています。
川の流れの中に立って魚を狙っている鷺。
その脚を舟に見立てて、水脈を曳く、と詩的に表現した句です。

じっと魚をねらって立ち尽くす鷺。
晩夏の光のなかの鷺はシルエット。
足元の水脈がキラキラと輝いています。
映像のしっかりした美しい晩夏の句です。  遅足


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仙人掌の花の一夜の時間軸   麗子

2017年08月12日 | Weblog
15年ぶりに仙人掌の花が咲いたそうです。
一日のいのちの花。
ご近所の仙人掌は昼間ですが、作者の家の仙人掌は夜。
それが句の陰翳を深くしています。

この句のポイントは下五の「時間軸」。
読者に時間軸って?と、謎をかけています。
命あるものは、みな、自分の時間を生きています。
つまり、己の時間軸を持っているわけです。
作者の時間軸と仙人掌の時間軸が交わった時間。
そんな永遠のなかの一瞬を詠んだ句です。

仙人掌の花言葉は「枯れない愛」だそうです。遅足


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父、竹中皆二の短歌から 〜原発銀座のこと〜竹中敬一

2017年08月11日 | Weblog
父は自然破壊などには常に心を痛めており、昭和40年代、久須夜岳に観光道路が
出来ることに反対して、数数の短歌を発表しました。
その後、若狭湾には次々に原子力発電所が建設され、原発銀座と呼ばれるように
なりましたが、この事にどう反応したのか、歌集を調べてみました。
第五歌集「草木と共に」の中の昭和62年の所に七首見つかりました。

 無気味なる静寂にして入海の奥に聳ゆる原電ドーム

 原電の是非には触れず只仰ぐこの灰白色巨大ドーム

 巨大なる原電ドーム二基並び聳ゆる入江の奥のしづもり

昭和54年に福井県大飯郡おおい町に建設された大飯原発のことを取り上げのは
この三首だけで、後の四首は原発のある入江の情景を詠んだものです。
「草木と共に、自然は最高」と云っていたのに、どうしたことか。以前に紹介
した父の歌を思い出しました。

 今にして思ふ 軍専制時代には面従腹背のわが生きざまなりき

父の云う暗黒時代のように表向きは服従するかのように見せかけて、内心では
反抗。現地に住んでいないと理解できない複雑な思い。原発の是非には触れず、
黙することが自然を愛する父の精一杯の抵抗だったのかもしれません。

そんな父の気持ちを代弁して、他郷に住む私が脱原発の思いを込めて、初めて
短歌らしいものを作ってみました。

 ふるさとは原発銀座といわれ居り 海のある奈良 若狭の里よ

 反原発唱え続けて幾年ぞ 中嶌老師信念貫く

中嶌哲演老師は福井県小浜市の古刹、明通寺の住職です。
簡単なプロフイールより。昭和17年生まれ。私と同じ若狭高校を卒業後、
東京芸術大で美術史を専攻するも、中退して高野山大学へ。卒業後、明通寺の
住職を勤めながら、学生時代に原爆の被爆者に出会ったのをきっかけに反原発
運動を進めた。
昭和46年(1971)、「原発設置反対小浜市民の会」を結成して事務局長を勤め、
今も脱原発を訴え続けている。小浜市民の会の結成時には29歳だった中嶌氏も
今は75歳。

私は平成2年、拙著「若狭の海幸山幸物語」を出版した時、明通寺蔵の「彦火
火出見尊 (ひこほほでみのみこと)絵巻」の中から、数シーン転写の上、掲載
させてもらいましたが、その許可を得るため、明通寺を訪れた際、中嶌氏から
快く受け入れて頂いた上、穏やかな口調で
「原発反対を声高に叫ぶだけではいけない。若狭に息づく古い文化やすばらしい
自然に改めて光を当てることは、とりもなおさず、故郷を守ることにつながる」
と、おっしゃいました。
以来、小浜市民の会からは「若狭の原発を考えるーはとぽっぽ通信」を送って
もらっています。若狭だけではなく、全国の反原発の動き、住民の声を知る
ことができます。

私の手元にある最近の「はとぽっぽ通信」より。
「福島原発震災から6年、ますます過酷、深刻化している"フクシマ"の被災者
たちに心を寄せ、その抜本的で包括的な救済(法的、財政的な整備など) を願い、
また、若狭に" 第二のフクシマ"を断じて繰り返さないことを願って、今朝
(5月15日〜3日間) から断食を始めました。」

父は、きっと中嶌老師の考えに賛同していたことと思います。

写真は、私の故郷、内外海 (うちとみ)半島(福井県小浜市 )の先端、
    泊地区から見た大飯原子力発電所。
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井戸尻考古館    麗

2017年08月10日 | Weblog
先週、蓼科を訪れた時、諏訪郡富士見町にある井戸尻考古館に行ってきました。
およそ6000年前の縄文土器が多数展示されており、中でも曽利遺跡から出土した43㎝の水煙渦巻深鉢は
見事な造形美で、縄文時代の精神世界を象徴しているかのようでした。(昭和47年の郵便はがきの切手の意匠に採用されていました)土偶もどっしりとしたたくましいものでした。

甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山をのぞめる自然豊かなところ。豊かな湧き水に恵まれことことと水車が回っています。すぐそばには美しい大賀ハスや睡蓮の花が咲いています。とても気持ちのいいところでした。

縄文時代からここに人が住んでいたのだという感慨に浸れます。
冬は氷点下を記録する寒いところですが、どんな生活をして私たちはここまで進化してきたのでしょう?
掘ればまだまだ土器のかけらがたくさんででくるそうで、私が訪れた時も地元の小学生がボランティアで土器の破片を洗っていました。

            縄文の風に吹かれて蓮揺れる   麗
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ゆらゆらと海月になって漂うか  能登

2017年08月09日 | Weblog
海月は夏の季語。
作者は夏の海を海月になってノンビリと漂ってみたい、と。
クラゲは、傘を開閉することで、ゆっくり前に進んでいきます。
泳ぐのは時折で、ほとんど漂っているようです。

好きな時に食事をして、あとはただ日々の波に身を任せて・・・
他人から、あなた海月でしょう、と言われるような生活。
理想的です。ひょっとすると、もう海月とみられているかも。

でも世の中は甘くはありません。
ウッカリしていると亀やマンボウの餌餌に。
人間も狙っています。日本人と中国人です。
彼らは、海月の乾燥させたものを、水で戻して、酢の物や和え物などに。
また、気管支炎などの呼吸器系疾患や高血圧、胃潰瘍などに
効果があると、薬にもしています。

先日、海月の酢の物を食べました。
マレーシア産で、コリコリして美味しかったです。  遅足





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かき氷突き抜けて空雲かかり  智恵

2017年08月08日 | Weblog


この句は、かき氷のみに焦点を当てています。
カメラはパーンアップ。高く盛り上がっていくかき氷。
突き抜けて天まで。さらに頂上には夏の雲がかかって・・・
大きな大きなかき氷。食いしんぼの楽しい句です。

夏の風物詩・かき氷は空前のブームとか。
カフェやレストランでも期間限定のかき氷が登場。
若い女性の人気を集めています。

我が家の押入れに可愛らしいかき氷機があります。
子どもが小さいころに買ったもの。
冷蔵庫で作った氷を削り、苺シロップをかけて。
あの頃の親子四人、かき氷を食べた記憶が蘇ってきます。
なぜか捨てられぬまま残っています。

こちらも楽しい一句。

  かき氷巨き洞窟つくるべし  辻桃子

     

名古屋は青空が顔を見せてくれました。
昨夜、右足の薬指を椅子の脚にぶつけてしまいました。
一晩たって痛みは薄らぎましたが、
これも台風の被害でしょうか?    遅足


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台風の5号ちかづく。 遅足

2017年08月07日 | Weblog
台風の接近で名古屋には暴風雨警報が。予定されていた謡のお稽古は中止。
時折り、激しい雨が降っています。最近の気象はちょっと異常ですね。
地球から見れば、ほんのちょっと空気の流れが変化しただけ。
温暖化に懐疑的でしたが・・・

先日、東京で近代文学館主催の文学講座に行ってきました。
最期の講師は、萩原朔太郎のお孫さんの朔美さん。
前橋文学館の館長さん。最期に文学館のあり方を痛烈に批判。
美術館や博物館のようにお客様目線で!と。
たしかに文学館は訪れても見せてやるという態度。
文学を楽しむ文学館への改革。朔美さん、ガンバッテ。

  束の間の晴れ間はげしき蝉の声

蝉が泣き止んだら、また風雨が強まってきました。
家の周りの風に飛ばされそうなものを片付けて。
台風の進路にあたる地方の方々はくれぐれも要注意です。


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銀河系一惑星の原爆忌   遅足

2017年08月06日 | Weblog
ヒロシマへ原爆が投下されて72年。9日にはナガサキへ。
中日新聞によれば広島、長崎あわせて7万柱が引き取り手のないまま、とのこと。
一家が全員死んでしまった家族がいかに多かったか・・・

チェルノブイリ、フクシマと、核は、人間の想像力を越えた影響を残しています。
おそらく人類が滅亡しても、人類の負の遺産として残ることでしょう。

写真はあの沼です。







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父、竹中皆二の短歌から ~草木、花~竹中敬一

2017年08月04日 | Weblog
私は短歌を作ったこともなく、いや、作らうとしても頭に浮かんできません。
そんな私が父の短歌の文学的価値について述べることなどできないのは、
わかっていますが、父の歌を通じて、その時代背景や父の感じていたことを
知ることくらいは出来ると思い、拙文を書いています。

父はこれまで6冊、歌集を出版しています。
「百艸」(昭和9年) 、「朱」(昭和34年) 、「しらぎの鐘」(昭和57年) 、
「永遠と木草」(昭和59年) 、「木草と共に」(平成4年) 、
「自然は最高にして」(平成7年)。
題名からもわかるように、父の歌は自然詠が圧倒的に多くなっています。

 逞しく枝をひろげし裸木あり 雪中にして確かなるもの

 豪雪に崩れし廃屋の前にして 花盛りなる大き桃の木

 くぬぎ林いまだ芽ぶかず 根方には残雪光る差せし入日に

 山峡にゆく春の日を悲しめば 黒き牡丹の花咲きゐたり

 山肌に斑雪残れる如くにて 辛夷の花は一めんに咲く

 屋上の自然木いまだ青き葉の風に戦 (そよ)げる櫨(はぜ)の木あらん

「永遠と木草 」抄出

父は昭和51年、S字結腸ガンのため、京大病院で手術を受けましたが、歌集の
後記に「手術後、歩けるようになって窓から外を眺めた時、廃屋のような
病院の建物の屋上に、何の木かわからないが、鳥の糞から生じたのだろうと
思われる1メートル位の木が青葉をひるがえしていたのをみて、生きる力が
湧いた。」
「私の歌が平凡なのは、 あたりの草木が平凡なのと同じだ。私は奇岩、奇勝、
名所旧蹟をあまり好まない。名もなき山、雑木雑草、川の流れがよいのだ。」
と記しています。

父は名古屋の旧制第八高等学校に在学中の一時期、応援団にいたと聞いたことが
あります。声はよく通るほうで、牧水や自作の歌の朗詠の他、旧制高校の寮歌を
よく唄っていました。
なかでも八高寮歌「伊吹おろし」の第三節が好きでした。

 「見よソロモンの栄耀も 野の白百合に 及かざるを
  路傍の花にゆき暮れて はてなき夢の姿かな」

若い頃、父は聖書「マタイ伝 、山上の垂訓」に出てくる言葉に感動したと、よく
語っていました。
「栄華を極めたるソロモンだに 、その服装(よそおい) 、野の白百合の一つにも
及(し)かざりき」

父は92歳で亡くなりましたが、その晩年に出した歌集の題名は「自然は最高にして」
というものでした。
平凡な草木に永遠を見るという考えは、仏教で云う「草木国土悉皆(しっかい)成仏」
にも通じるものがあるように思います。

  竹中皆二 直筆の歌
  「冬のかへで老木の幹のつめたきを なでては われは山下るなり」

                   (歌集「しらぎの鐘」より)
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緑響く池    麗

2017年08月03日 | Weblog
一泊で蓼科へ行ってきました。
以前、能登さんがこのブログにも紹介して下さったことのある東山魁夷の「緑響く」の絵のモデルとなった「御射鹿池(みしゃかいけ)」を訪れることができました。
この神秘的な池は昭和8年に農業用のため池として作られたそうです。
鏡のような静かな水面に映るカラマツの木々。東山の名画には亡き川端康成へのオマージュとも言われている白馬が描かれています。
白馬はもちろんいませんでしたが、そのかわりのように、一羽の鴨がすーっと泳いで水脈ができました。
この日は曇りでしたが、晴れた日にはもっと湖面が輝くそうです。
秋の黄葉もまた格別とのこと。多くのカメラマンとの会話の弾みました。

その後、蓼科から車山高原へ。クーラーなしで過ごせる避暑地はこの時期最高でした。今朝はまた汗をかきかき片付けやら洗濯に追われています。

          ひっそりと緑水面に響きけり   麗子
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殺されし子猫洗へる霹靂(はたた)神  佐保子

2017年08月02日 | Weblog
公園の入り口に子猫の死体が・・・と散歩から帰った妻。
見に行くと、自然死ではなさそうです。
ふっと少年Aや元名古屋大学の学生の事件を思い浮かべました。
殺人事件の前に猫の死体が見つかっているとか・・・
犯人はカラス?あるいは?・・・?

どこか不気味な空模様。やがて雷鳴とともに降りだした雨。
大粒の雨が子猫の死体を洗い清めているようでした。

子猫の死体は地区の保健委員さんが処理して下さいました。
夕立の翌日のことです。

           

落雷から身を護るには建物の陰に入るのが一番らしいですね。
木の下はあぶないと言います。  
                    遅足
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千枚田数へて先は夏の海  結宇

2017年08月01日 | Weblog
目の前の千枚田に、前に思わず「1,2,3・・・」と指を折る。
ついにその先は夏の海に・・・。情景を描いて見事です。

能登半島を訪れた時の句だとのこと。
そうすると、石川県輪島市白米町の千枚田でしょうか。
2001年に、国の名勝に指定されています。

私の記憶にあるのは、長野県姥捨の千枚田。
まだ中学生の頃、中央線の夜行列車で長野へ。
途中、一か所だけ列車の進行方向が変わる駅があって、それが姥捨。
姥捨伝説の地であり、千の田に千の月の映る名所として知られていました。

  姨捨山に見ゆ千枚田たにし鳴く 判治遼

全国各地にあった千枚田も、今は数えるほどです。
愛知県にはただ一か所、新城市に四谷千枚田が残っています。
昔、訪れた時は耕作放棄された田もありましたが、
今では、都会の人達が応援、自然と親しむ場ともなっているとか。

                     遅足

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