575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

消えし浜海ほおずきを吹きし日よ  晴代

2019年09月15日 | Weblog

海ほおずきとは、巻貝の卵のことです。
私の子供の頃には、女の子たちが、
鬼灯と同じように、口に含んで鳴らして遊んでいました。
縁日や海辺の駄菓子屋で売っていたそうです。

作者の故郷は伊勢の海辺と聞いています。
海岸は、見渡す限りの白砂青松。
夏には海水浴。海ほおずきでも遊んだそうです。

しかし何時の間にか海岸は埋め立てられました。
コンビナートなどの工場地帯が出現。
海も空も汚れていきました。
そして四日市公害裁判の判決が出た日。
コンビナートの煙突は沈黙。
中継車から見た空は綺麗でした。

公害対策は進み、喘息で苦しむ人は激減しましたが、
白砂青松の海岸は戻りませんでした。

しかし、作者の目には今も伊勢の海が見え、
海ほおずきの音が聞こえているんでしょうね。(遅足)
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猿投窯 ( さなげよう ) の発見 ⑵  竹中敬一

2019年09月14日 | Weblog




写真は愛知県豊田市平戸橋にある豊田市民芸館に展示

されている古瀬戸 ( こせと )


陶磁家で古瀬戸のことに誰よりも詳しい加藤唐九郎が本多静雄氏から灰釉のかかった

陶器の破片を見せてもらって、「 かすかに釉薬をかけたと思われるものがある。

自分は瀬戸の釉薬の初源がこんなわれわれの足元に転がっていようとは思わなかった。」

と言っていますが、私のような陶器のことに疎い者には、この発見がどうして大ニュース

に繋がっていくのか、今ひとつピンときません。

そこで、本多静雄氏の著書などを参考にして、私なりに解釈してみました。

まず、唐九郎が 「 瀬戸の釉薬 」 と言っているのは、古瀬戸のことだと思います。

古瀬戸とは、広辞苑によると、「 鎌倉・室町時代に今の瀬戸を中心につくった焼物 」

とあります。

この説明だけでは不十分で、「釉薬 ( ゆうやく ) 」にカギがあると思います。


古瀬戸というは、人工的に釉 ( うわぐすり )を素焼きの陶器にかけたもので、この

「 人工的 」というのが、 この際、重要になってきます。

唐九郎が本多氏から見せてもらった陶器の破片には 、かすかに釉薬がかかっていた

と言いますが、これは、窯の焚き火が偶然、素焼きの陶器にかかって溶け、化学反応

を起こしてガラス質の古瀬戸と同じような陶器ができたもので、これを自然釉という

ことです。

その後、本多静雄氏は次々に古い窯跡を見つけ、陶器の破片を沢山、収集しますが、

その中には、人工的に釉 のかかったものもありました。


日本では、古墳時代から奈良時代にかけて、釉のかかっていない素焼きの陶器 ( 須恵器

や土師器 )があって、鎌倉時代に入ると突然、人工的に釉のかかった古瀬戸があらわれる。

その間に何かあったのでは、と唐九郎が探し求めていたものが、まさに、あの陶器の

破片だったというわけです。

唐九郎が「瀬戸の釉薬の初源 」と言っていたのが、後に猿投窯と呼ばれるように

なります。

これで、やっと猿投窯までたどり着けたと思うのですが、どうでしょうか。


本多静雄氏が持ってきた陶器の破片を見て、「 こりゃ大変なものだ 」と言った

陶芸家の加藤唐九郎は間もなく上京のついでに、日本陶磁器協会の小山富士夫に

この破片を見てもらいました。

陶磁研究の第一人者、小山富士夫はこれを見て、新聞社に 「 猿投山麓の黒笹で

不思議な窯跡が発見された。あるいは、日本の釉薬の初源かもしれない。」と

発表しました。

その夜、豊田市平戸橋の本多宅に地元の新聞記者がやってきて、

「 東京から連絡があって、この辺で古いカマが発表されたという話だが、そのカマを

見せてくれませんか 」と言ったという。

記者はてっきり「 お茶 の釜 」と思っていたようですが、それももっともな話で

誰もこの辺りに古い陶器の窯跡があったことなど知る人はいませんでした。

                         つづく
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兎の国の 主<あるじ>探すや フルムーン  殿様

2019年09月13日 | Weblog



今宵は中秋の名月。
満月が出ました。
兎<と>の国の主<あるじ>を探します、と殿様。

今夜の月。見られぬかもしれません。
そこで殿さまのメールを掲載させて頂きました。遅足
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風は秋色♪  麗

2019年09月12日 | Weblog
蒸し暑く寝苦しかった夜から一転、朝起きたらさわやかな秋風が吹いていました。空が心なしか高くなり鱗雲も出ています。
一夜にしてこの変化。どうぞ、千葉にもこのさわやかな風が吹き、一時間でも早くや断水が停電が解消されますようにお祈りしています。  

窓を開け放ち、布団を干し、久しぶりに少し丁寧に掃除をしました。さぼっていたトイレ掃除も(笑)
昨日買って読んだ吉本ばななのエッセイの中に「心の立て直し方」のくだりがあり、落ち込んだ時は体を動かし、雑巾がけなど目の前のことに集中するのがいいとありました。

あまりの暑さにすっかりやる気も集中力も落ちていましたが、秋風が少しだけ心を軟らかくしてくれそうです。
ところで皆さん、秋風の俳句はできましたか?

         秋風や心をほどくメッセージ   麗



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鬼灯が故郷の道赤しるべ  幸泉

2019年09月11日 | Weblog

たまに訪れる故郷。高齢化がすすみました。
道の草も伸びたままに。道がわかりにくくなってきました。
しかし、以前からある鬼灯を道しるべにしながら墓参りを、と作者。

一方、お金も人も、すべてを一極に集めた東京。
台風に弱い綱渡りのような通勤の毎日。
今は、停電という後遺症で、なお多くの方が苦しんでいらっしゃいます。

その東京の方々の故郷は、過疎から限界集落へ。
鬼灯がお墓参りへの道しるべに・・・シュールな光景です。

現代日本を見事に切り取った一句といえるかも知れません。

  鬼灯が故郷の道しるべ 赤

と「赤」を切り離す手もあるかな?(遅足)


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一本の赤鬼灯や招き猫 竹葉

2019年09月10日 | Weblog

今年はお兄さんの新盆だという友人を訪ねた時、
玄関に鮮やかな色の鬼灯が一本だけ飾ってありました。
亡くなった人も生きてる人も招き寄せる感じがしたので、
招き猫として詠みました、と作者。

鬼灯を招き猫と喩える感性に脱帽。

  鬼灯に死者と生者の集いける  能登

年に一度、ご先祖様が家に帰って来るお盆。
13日には、玄関で迎え火を焚き、故人を迎えます。
仏壇や盆棚には、提灯に見立てた鬼灯を飾ります。
身体を持っていないご先祖様は、お盆の4日間を
鬼灯の空洞の中に身を宿して過ごすとも言われています。
そして16日には帰っていただくために送り火を。
この4日間、生者と死者はともに暮らすのです。

  鬼灯を挿して定まる父母の位置  遅足

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「秋風」句会近づく。  遅足

2019年09月09日 | Weblog

9月の句会が近づいてきました。
今回の題詠は「秋風」「色なき風」「風の色」です。
秋は日本の風土にぴったり。
秋の風は、昔から歌に俳句に詠まれてきました。

  秋風や藪も畠も不破の関  芭蕉

中国では秋の色は白とされ、これを取り入れた日本の歌人たちは
「色のない風」と言い表しました。

  吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな  紀友則

  物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに  久我太政大臣雅実

そして寂しい身にしむような風を本意とするようになりました。

  籠らばや色なき風の音聞きて  相生垣瓜人

  欄干に寄れば色なき風のこゑ  深沢暁子

「風の色」もこれと同じようにあつかわれているようです。

  金木犀散るとき風の色となる  大塚とめ子

この他「素風」「金風」とも言います。
日本人は本当に秋風が好きだったんですね。

関東には台風。みなさん大丈夫でしょうか?
名古屋は朝から気温があがり、37度とか。
せめて扇風機を回して、秋風の句をつくってみます。
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夕地蔵鬼灯一つ足元に  等

2019年09月08日 | Weblog

夕日を浴びた地蔵が赤く染まっている情景が浮かびました。
そして鬼灯の赤。同系色で揃えた一句だと思います、と紅さん。

子供の頃のことですが、お寺に六地蔵があり、
まずお辞儀するようにと、教えられました。
六地蔵が何者かを知るのは、後になってからですが、と結宇さん。

この句に詠まれたのは名古屋・覚王山日泰寺のお地蔵さま。
お堂などもあり、かなりの数にのぼるとか。
夕方、そのお地蔵さんの足元を照らすように鬼灯が一本。
上から下への動き、そして「鬼灯」という表記。
この世を超えた独特の世界を生みだしているようです。

同じ作者の作。

  木下闇地蔵の帽子漂へり

これも下五の「漂えり」に生の不安感が感じられます。(遅足)

 
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猿投窯 ( さなげよう )の発見 ⑴  竹中敬一

2019年09月07日 | Weblog


本多静雄氏は郷里の愛知県豊田市の平戸橋に新居を構えてから、日本電話施設を

設立するなど実業家として活躍する一方、古い陶器の収集や研究を続けました。

昭和25年、鎌倉時代後期と思われる灰釉のかかった花瓶を入手するまでは前回

お伝えしましたが、この花瓶がどこで作られたものか不明であったことから、近くに

住む知人らにこれに似た灰釉のかかった陶器の破片が見つかったら知らせるよう

依頼していました。

昭和29年、ある知人から灰釉陶器の破片が届く。灰釉は確かにかかっているが

唐九郎から入手した花瓶とは系統が違っているように思えたため、早速、現地へ

行ってみることにしたという。

その場所は愛知県みよし市の黒笹地区。加藤金吉さん所有の畑からでした。

「 … そこは、狭い芋畑で、その畑の中に、小さな陶器の破片が散らばっていた。

しかも、驚くべきことに、畑の土は真っ黒で、明らかに古い窯址であることを示して

いるのだ。これが後に猿投古窯黒笹第一号と命名された窯址である。」( 本多静雄

著 「 青隹自伝 」より )



写真は愛知県みよし市黒笹の猿投古窯跡 。

今は宅地造成中で立ち入り禁止になっています 。


私も最近 、この黒笹の現場へ行っみましたが、そこは、私の住む日進市に隣接する

東名高速道路のすぐ近く。かっては愛知大学の敷地内でしたが、今は宅地造成の真っ

最中で立ち入り禁止になっていました。


本多静雄氏はこの黒笹一号に続いて、近くの丘陵地から同じような窯跡を次々に見つけ

出して発掘し、それらを加藤唐九郎に見てもらった。

すると、唐九郎は突然 、大きな声をあげて叫ぶようにこう言ったという。

「 これこそ自分が永年探していたものだ。この破片のなかに、かすかに釉薬をかけたと

思われるものがある。鎌倉時代 の釉薬が充分にかかっているものには、はるかに及ば

ないが 、自分は瀬戸の釉薬の初源がどこかになければならないと考えて、ずっと以前

から心にかけて求めていたものだ。その初源が こんなわれわれの足元に転がっていよう

とは思わなかった。」( 「 本多静雄 著 「 青隹自伝 」より )



愛知県豊田市平戸橋の豊田市民芸館に展示されている猿投窯 。

いずれも、本多静雄氏が黒笹地区で収集したもの 。


この猿投古窯の発見が古墳時代から奈良、平安時代を経て鎌倉時代に及ぶ日本陶磁史の

解明に繋がっていくわけですが、この辺は 次回お伝えします。



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渋滞の心鎮めし遠花火  紅

2019年09月06日 | Weblog

お盆の帰省による渋滞。
しかし遠くの花火に気がつきました。
距離があるのでしょうか。音も聞こえません。
遅々として動かないクルマ。
遠い花火を眺め心を鎮めます、と作者。

渋滞時の心模様と遠花火の描写。
心情と情景のバランスが巧み。
記憶に残る秀句、と殿様。

お盆やお正月の大渋滞。
年に2回、ふるさとへ。
東京へ行った子は帰省しますが、
私は名古屋生まれ、名古屋育ち。
帰るべき「ふるさと」をないはずですが、
それでも「故郷」を求める心はあるようです。
「兎追いし・・・」と歌うと涙が出そうに。
これって不思議です。(遅足)
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大雨  麗

2019年09月05日 | Weblog
昨夜は一晩中激しい雷雨でした。
三重県はレベル4の警戒とのこと。
皆様のお宅は大丈夫でしたか?

今日は急遽、大阪から友達が名古屋に来ることになり、今、喫茶店で到着を待っているところです。
彼女への手土産は一冊の本。吉本ばななの[ムーンライトシャドウ]という初期の短編です。20代の頃、繰り返し読んで泣いていました。恋人を亡くしたお話。先日読み返したらもう泣けなかったけど、やはり胸がきゅんとなりました。喪失感を埋めてくれる一冊です。
お父様を亡くした友人の心の癒しになればと思います。

   遠雷や心の隙間埋めるよう  麗子


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日没偈<にちぼつげ>聴きいる栗鼠や長谷の夏  殿

2019年09月04日 | Weblog



鎌倉の長谷寺に日没の読経<日没偈>が流れます。
ふと、見上げると一匹の栗鼠。
まるで、仏の教えを聴いているようです、と殿様。

インターネットで、調べてみました。
この世のあらゆるものが無常であることを説いている文で、
「人々は日々の慌しさに追われるばかりで、
命が一日一日ついえていくことに気づいてはいない。
命の灯は、風にさらされればいつ消えてしまうかわからないのである。
この迷いの世界には定まった境地などないのだから。
いまだ苦しみの世界から抜け出せずにいるにもかかわらず、
どうして安穏としていられるのだろうか。
よく聞け。剛健なる時にこそ、自らを鞭打って、常住なる極楽浄土を求めよ」
という内容だそうです。
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大声で負けじと叫ぶ蝉と僕  幸泉

2019年09月03日 | Weblog

蝉がたくさん鳴いていて僕の声が蝉に消される!
僕は蝉よりも大きな声で叫びました、と作者。

蝉とボクがお互いに負けじと競い合っている様子が可笑しいですね。
こんな短歌もありました。

  蝉の音のした歩みつつ子の声は蝉に負けざればわが耳に届く  花山周子

あれだけ騒がしかったクマゼミの声も聞こえてきません。
八事の興正寺に行ったら、ツクツクボウシの鳴き声を聞きました。
数匹が追いかけっこをするように鳴きあっていました。
残暑はきびしいですが、もう秋ですね。

  法師蝉夏の終りを追いかけて  遅足
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中日歌壇です!

2019年09月02日 | Weblog
今朝の中日新聞「中日歌壇」に
宗匠の短歌が掲載されました。

島田修三 選

「炎天の坂を一列のぼりゆくなかに一匹笛を吹く蟻」


評 炎天下の坂をのぼる蟻の行列。行列に視点を接近させ、
  笛を吹くかのように見える不思議な一匹をズームアップした。
  面白い歌。

笛の音は、全体の足並みをそろえる音か
励まして鼓舞する音か・・
イソップの童話の挿絵が浮かんできそうですが
果たして行列はどこに向かうのでしょうか。

必死に耐えた暑い夏、
思考力も低下しておりますが、
今日から新学期!気持ちもあらたに頑張ります。郁子





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ほおづきやはじめて母につきし嘘  遅足

2019年09月01日 | Weblog

少女の頃の遠い思い出がおかしみを加え浮かんできます、と紅さん。

嘘とは「ほおづきの笛が吹けた」でしょう。
しかし、一文字も記すことなく読み手に伝えています、と殿様。

ありがとうございます。(遅足)
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